永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は… 永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は、日本の小説家、漫画原作者、シナリオライター。 ダイナミック・プロ所属。漫画原作者としては高円寺 博(こうえんじ ひろし)のペンネームも用いた。 中華民国(当時)の上海生まれ。後に石川県輪島市に引き揚げた。本名は永井 博。漫画家・永井豪は実弟。東京都立文京高等学校卒業。 1969年、『鮮血のバプテスマ』(永井ばく名義)で江戸川乱歩賞候補となるが、ダイナミック・プロ設立のために作家活動を一時断念した(この年の乱歩賞は森村誠一の『高層の死角』が受賞した)。 作家としての再デビューは1981年の『真・デビルマン』である。
真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、194… 真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、1941年3月10日 - )は、日本の漫画家、アニメーション映画の演出家、脚本家、監督。 神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。
武本 サブロー(たけもと サブロー、本名:渡辺 武幹、194… 武本 サブロー(たけもと サブロー、本名:渡辺 武幹、1941年2月17日 - 2008年)は、日本の漫画家。島根県益田市出身。 1941年2月17日、島根県益田市に生まれる。手塚治虫に憧れ、小学生の頃より漫画を描いていた。中学生の時に国鉄職員の父の転勤で京都市に移住し、近所に住んでいた石川フミヤスと知り合う。卒業後、京都のアニメーション会社に就職しようとしたが両親に反対され、高校に進学した。 高校卒業後、大阪市の水道局で働きながら漫画を投稿、劇画短編誌『街』(セントラル出版)掲載「黒い氷」で貸本漫画家デビューする。いくつかの短編漫画を発表したのちに本格的に漫画家を目指すべく上京。一峰大二に師事するが、リアルな劇画を描きたいと石川フミヤスに相談し、さいとう・プロダクションに所属。
みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本… みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本の漫画家。本名青木 千禾子。代表作は『小さな恋のものがたり』『ハーイあっこです』など。 茨城県石岡市生まれで、1歳の時から東京都中野区で育つ。1947年に中野区立鷺宮小学校に入学、1953年に中野区立第八中学校に入学。1956年に東京都立武蔵丘高等学校に入学、美術部に所属したが、2年生の時に放送劇部に転部し、脚本の執筆などの活動を行った。同部における活動は、サリーのモデルとなる男子生徒と出会うなど、後の『小さな恋のものがたり』の原点となる。1959年に同校卒業後、皆川正インダストリアルデザイナーに1960年2月より入所。その後1961年4月よりヨーコーアニメーションに転職。
あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941… あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941年1月20日 - 2001年3月22日)は、日本の男性漫画家。東京都生まれ[3]、6歳から18歳まで広島県呉市育ち[4]。広島県修道高等学校卒。
山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 … 山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 - 2025年2月27日)は、日本の漫画家、文字絵作家。日本児童出版美術家連盟会員、東アジア文化支援プロジェクト事務局長。山内 譲二名義による作品もある。本名は山内 紀之(やまうち のりゆき)。 日本の租借地であった関東州(現在の中華人民共和国遼寧省)大連市で、関東局勤務の警察官の家庭に生まれる。1945年、日本の第二次世界大戦敗戦に伴い収容所生活を送った後、1947年に日本へ引き揚げ、父の郷里の宮城県登米市で育つ。小学校5年生の時、手塚治虫と文通。中学校2年生の時、小野寺章太郎(石ノ森章太郎)と知り合う。宮城県佐沼高等学校卒業。 上京後、1960年9月から1962年3月までトキワ荘に住み、石森章太郎や赤塚不二夫のアシスタントを経て独立。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は… 武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は、おもに少女漫画を手がけ、1960年代から1970年代にかけて『週刊マーガレット』や『週刊セブンティーン』で多数の作品を発表した日本の漫画家。 大阪府池田市生まれ。日本画専攻の学生時代に、貸本漫画作家としてデビューし、若木書房から貸本用の少女漫画作品を多数発表した。 1961年に雑誌『少女』(光文社)に掲載された『あの波こえて』で雑誌デビューして、以降、『週刊マーガレット』、『週刊セブンティーン』など集英社の少女誌で多数のヒット作を発表し、特に『さぼてんとマシュマロ』はテレビドラマ化されるほどの人気となった。1980年代以降は『BE in LOVE』など女性漫画/レディースコミック誌に活動の場を移した。
クミタ・リュウ(1940年7月20日 - )は、日本の漫画家… クミタ・リュウ(1940年7月20日 - )は、日本の漫画家。岐阜県出身。岐阜県立本巣高等学校(現・岐阜県立本巣松陽高等学校)卒。血液型O型。 ひとコマ漫画(カートゥーン)が中心。政治漫画を主なジャンルとして、成人向けの作品を主に新聞紙上で発表している。 ひとコマ漫画家集団“JAPUNCH”の一員としての一連の著作 "JAPUNCH"の一員として
真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16… 真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉1月2日)は、日本の漫画原作者・小説家・空手家。本名:高森 真土(たかもり まつち)。 世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期に手がけていた。 ペンネームは、高森3兄弟の本名の構成漢字を組み合わせる案を梶原が出し、これに従ったという。すなわち、梶原の「朝樹」と「真土」から1字ずつとって姓を「真樹」とし、下の名は三男の名「日佐志」を基に「志」を語呂良く「夫」に置き換えたものである。
上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7… 上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 1986年〈昭和61年〉1月11日)は、日本の漫画家・イラストレーター・エッセイスト。 大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、その作風から「昭和の絵師」とも呼ばれた。『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年… 草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年1月1日 - 2018年2月13日)は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県曽於郡末吉町出身。 1958年に上京し、川崎の東芝のテレビ工場に入社。その傍ら東京のお茶の水絵画研究所で8年間デッサンを学ぶ。1970年に退社しプロ入り。主に青年誌や新聞紙でナンセンス漫画を描く。 1977年『真夜中の子守歌』他作品にて第23回文藝春秋漫画賞受賞。 『農業共済新聞』にて『花咲かじいさん』を連載していた。 2018年2月13日に脳内出血のため死去。78歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2… 山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2017年7月20日)は、日本の競馬評論家、小説家、脚本家、漫画原作者、鉄道趣味者。 大阪府大阪市港区出身。 大阪市立昭和中学校、大阪府立住吉高等学校を経て、1年浪人して1959年に関西学院大学法学部に入学。大学は阪神競馬場のすぐ近くにあったため、競馬好きの学生が多く、山野も競馬好きになる。また、「映画研究部」に入部し、1960年に、2年生で脚本・監督作『デルタ』を制作。『デルタ』はテレビ放映もされ、その際のゲストだった寺山修司と知り合う。なお、寺山がのちに競馬に熱中するようになったのは、山野の影響だという。また学生映画の全国組織での会合で、日大在学中の足立正生と出会う。
しのだ ひでお(1939年11月15日 - 2022年8月2… しのだ ひでお(1939年11月15日 - 2022年8月20日、本名:篠田英男)は、日本の漫画家。元大垣女子短期大学教授・副学長。鳥取県日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)出身。篠田ひでおとも表記。もっぱら小学館の学年誌や学研の雑誌等に掲載される児童漫画の領域で活躍した。 鳥取県立鳥取西高等学校卒業後、1958年(昭和33年)に上京し、19歳の時に手塚治虫のアシスタントとなり、1959年(昭和34年)、20歳で少女漫画で独立しデビュー。 上京時に手塚が引っ越したあとの並木ハウスの部屋を譲ってもらい、近所のトキワ荘へたびたび遊びに行っていたことから藤子不二雄の両人と親しくなり、藤子スタジオの社員ではなかったにもかかわらず、専用の机が用意され、『怪物くん』『黒イせぇるすまん』などの多くの作品で作画協力アシスタントを務めた。
矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 20… 矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 2020年11月20日)は、日本の漫画家・エッセイスト。株式会社矢口プロダクション代表取締役。本名:高橋 高雄(たかはし たかお、戸籍上は「高」が異体字(はしご髙)で髙橋 髙雄)。血液型A型。 自然の中での生活をテーマにした作品を描き、代表作の『釣りキチ三平』、『幻の怪蛇バチヘビ』で、釣りとツチノコブームを起こした。 秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(後の平鹿郡増田町狙半内、現在の横手市増田町狙半内)出身。町の中心部から20km離れた山村に生まれ、自然に囲まれて育つ。この子供時代の生活が、後に漫画の題材となった。 4歳の時に、母親に読み聞かせてもらった宮尾しげをの『西遊記』や田河水泡の『のらくろ』で漫画に接し、以来無類の漫画好きになる。
斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、… 斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、日本の教育評論家、漫画評論家、漫画原作者。個人紙『まんがコミュニケーション』主宰。斉藤次郎と表記される場合もある。 埼玉県飯能市生まれ。1963年法政大学文学部日本文学科卒業。子ども調査研究所を経て、教育評論活動を開始。真崎守の漫画『共犯幻想』『寂光院蝉しぐれ 甦春記・京都大原』『紫陽花寺・流謫 甦春記・鎌倉明月院』では原作者を担当。『COM』で漫画評を連載し、村上知彦や米澤嘉博らの「私語り」漫画論に大きな影響を与えたとされる。1987年から、子供や子供文化に係るミニコミ誌『三輪車疾走』『子どもプラス』『子どもプラスmini』の編集代表を務める。
清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021… 清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021年3月2日)は、日本の漫画・風刺画研究家。 東京市(現大田区)生まれ、千葉県習志野市在住。日本マンガ学会、日本笑い学会、日本ペンクラブ各会員。妻は工芸作家の清水己明。 立教大学理学部数学科卒業。1963年三省堂に入社して編集者となる。1968年から1983年まで、日本リーダーズ・ダイジェスト社で勤務。1984年より研究・著作に専念。 川崎市市民ミュージアム専門研究員、文京女子短期大学非常勤講師、帝京平成大学教授、学習院女子大学非常勤講師をはじめ、日本仏学史学会会長、岡本太郎美術館収集委員、昭和館運営委員、日本漫画資料館館長などを歴任した。
岩本 久則(いわもと きゅうそく、いわもと ひさのり1939… 岩本 久則(いわもと きゅうそく、いわもと ひさのり1939年3月 -)は、日本の漫画家。 高知市出身。高知市立城北中学校在籍中から漫画に熱中していた。同期生に俳人の松田ひろむがいる。1954年、中学校を卒業後、海上自衛隊に入る。1967年に漫画家として独立。 近藤日出造のあとを受けて「読売新聞」2面の時事漫画(政治漫画)を描く。ナンセンス漫画に属する。 環境保護、バードウォッチング、ホエールウォッチングでも知られ、特に鯨の保護に力を入れている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )… 金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。 東京都出身。大沢野小学校、速星中学校、富山県立富山工業高等学校卒業。虫プロダクションを経て、フリー。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。 東京都四谷で生まれる。生家は市ヶ谷駐屯地の前で軍服の仕立て屋を営んでいた。第二次世界大戦により1944年に富山県の遠戚宅へ疎開、富山県では高校卒業まで過ごす。中学時代には美術部に所属。高校時代から本格的に漫画を描き始める。高校卒業後は集団就職した千葉県市川市の鉄工所に勤務しながら夜間は漫画修行という生活に明け暮れるが、1959年、20歳のときにいったん富山へ帰郷。
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月… ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長。 紫綬褒章受章者、旭日小綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院会員。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家ちばあきお、ちばプロダクション社長千葉研作、漫画原作者七三太朗は実弟。
藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出… 藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出身の版画家、漫画家、エッセイスト。現代童画会会員。青森県八戸市在住。 公務員生活の合間をぬって版画家、漫画家、エッセイストとして作品を制作する。著書「看護婦のオヤジがんばる」シリーズは同名映画化され、昭和55年度文化庁優秀映画賞受賞。 1939年、青森県鶴田町生まれ。1958年、青森県立五所川原高等学校卒業。青森民友の新聞記者を経て公共職業安定所に勤務。 1999年、八戸公共職業安定所所長を最後に公務員生活を終了。 この間に版画家、漫画家、エッセイストとして活躍し、また1974年、朝日新聞に投書し、看護婦の労働条件の向上をめざして「看護婦のオヤジの会」提唱。
井上 英沖(いのうえ ひでおき、1939年 - 1986年8… 井上 英沖(いのうえ ひでおき、1939年 - 1986年8月)は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。英京治(はなぶさ きょうじ)名義でも作品を発表している。 手塚治虫のアシスタントを経て、1959年『テレビ小僧』を「おもしろブック」に発表し、商業誌デビュー。 1964年には横山光輝、馬場秀夫、宮腰義勝、岸本修らと光プロダクションを設立。代表作に、アニメ化された『遊星少年パピイ』(原作:吉倉正一郎、『少年』連載)がある。他に『サンダー7』があり、『宇宙パトロールホッパ』や『サンダーバード』など、テレビ作品のコミカライズに多く携わる。 『パピイ』のヒットにより、莫大な収入を得たが遊興費などに散財し、その後は多額の所得税の未払いなどから逃げ回るような生活だった。
望月 三起也(もちづき みきや、1938年〈昭和13年〉12… 望月 三起也(もちづき みきや、1938年〈昭和13年〉12月16日 - 2016年〈平成28年〉4月3日)は、日本の漫画家。別名に、牧 英三郎、M・ハスラー、M・ストライカー。 神奈川県横浜市西区出身。生家は横浜駅の目の前にあり、一家は父親の宮大工の仕事で生計を立てていた。神奈川工業高等学校卒業後、建設会社に入社するが、漫画家になる為1年で退社し、1960年に『特ダネを追え』(講談社『少年クラブ』お正月臨時増刊)でデビュー。しかし連載は続かず、堀江卓、吉田竜夫のアシスタントとして働く。 1962年、吉田竜夫が弟の吉田健二、九里一平と漫画専門のプロダクションとして創設したタツノコプロダクションに参加。
古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月1… 古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月10日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元漫画家。広島県呉市(旧・豊田郡)安浦町三津口出身。 1958年に上京。同年、講談社の雑誌『なかよし』夏の増刊号掲載『二つのうそ』でデビュー。1959年、同誌に『ぶどう園の歌』を発表。1960年、『なかよし』で『花の子マリ』連載。吉田竜夫のアシスタントも務めていた。 1966年に妹が結婚して、漫画家の望月三起也と姻戚になる。 1970年代には『超人バロム・1』、『流星人間ゾーン』、『勇者ライディーン』、『伝説巨神イデオン』などのコミカライズで活躍。集英社の伝記物の学習漫画も手掛けた。
荒木 伸吾(あらき しんご、1938年11月28日 - 20… 荒木 伸吾(あらき しんご、1938年11月28日 - 2011年12月1日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。作画プロダクション「有限会社荒木プロダクション」代表取締役。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。愛知県名古屋市出身。 代表作に『聖闘士星矢』『キューティーハニー』『魔女っ子メグちゃん』など。全盛期の1970年代から1980年代まで、荒木伸吾デザインのアニメキャラクターはその端正な絵柄で美形キャラクターの代名詞とされるほどだった。アクション作画の腕前を評価する声も多い。 映像ディレクター、CMプランナーの荒木伸二は息子。 中学卒業後、日本車輌製造に勤務する。
甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )… 甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市土佐山田町)出身の漫画家、アニメーター。 香南中学2年の頃より『こども高知新聞』に4コマまんが「マンガ横町」を連載。 四国学院大学生の時、横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロ」に呼ばれ、退学して入社。その後、トキワ荘出身の漫画家を中心に設立された「スタジオゼロ」にうつり、映画『ひょうたんすずめ』、アニメ『パーマン』や『オバケのQ太郎』などの制作にかかわる。 1969年、「何か新しいことに挑戦したい」とドイツに移住。ドイツを中心に、チェコ、スイスなどで新聞マンガ、アニメ、イラストなどを制作。 1993年、『ピングー』の制作を原作者のオットマー・グットマン(英語版)急逝後に引き継ぎ、5年間携わった。
江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月1… 江波 譲二(えなみ じょうじ、1938年(昭和13年)5月13日 - )は、東京都江東区出身の漫画家。 小学生の頃からスポーツ万能で学力優秀な生徒であった。中学生の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け漫画家を目指す。東京都立第三商業高等学校卒業後の1957年、日の丸(集英社)掲載「幕末珍騒動」で漫画家デビュー。貸本漫画「トップ屋ジョーシリーズ」(ひばり書房)で人気漫画家となる。南波健二と大仙プロを設立。その後は少年誌や青年誌の世界で活躍した。近年では代々木アニメーション学院で講師を務めた。 2014年、「都会派アクション劇画~江波じょうじの世界~展」が、8月7日から31日にかけて東京・江東区森下文化センターで開催された。
平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月1… 平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月13日 - 2015年〈平成27年〉1月17日)は、日本の小説家・漫画原作者・脚本家。神奈川県横須賀市生まれ。娘は漫画家の平井摩利。 1938年、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。祖母は仙台藩家老中野家の娘だという。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年に中央大学法学部に入学。 1959年、ハードボイルド小説「夜の干潮」が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる。中央大学ペンクラブ時代の友人に本間俊太郎がいる。
あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)… あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)は、日本の漫画家、イラストレーター、デザイナー。愛知県出身。東京学芸大学美術学科卒。浅野利治、浅野りじとも表記される。オリジナル漫画の他、コミカライズや、児童向けの学習本の著作がある。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotar… 石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotaro Ishinomori、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)。1984年までは「石森 章太郎」の表記を使用していたが、この時期には「いしもり しょうたろう」と呼ばれるのが通例だった。 SF漫画、ギャグ漫画から学習漫画まで幅広いジャンルの作品を量産し、“漫画の神様”手塚治虫との対比で「漫画の王様」、「漫画の帝王」 と評された。 代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』『人造人間キカイダー』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など。
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto… 松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 2023年〈令和5年〉2月13日)は、日本の漫画家。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』など。 福岡県久留米市出身。血液型B型。本名は松本 晟(まつもと あきら)。宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。正六位、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。 妻は同じく漫画家の牧美也子。弟は早稲田大学大学院名誉教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將。 一般的にSF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争、動物など様々なジャンルの漫画を描いている。
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 20… 牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。4人きょうだいの長男。漫画家の牧野和子は実妹である。 愛知県立時習館高等学校卒業。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立。 1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に。
東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30… 東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30日 - 2026年4月5日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名は庄司 禎雄(読み同じ)。1974年6月16日から2014年12月31日にかけて毎日新聞朝刊に13,749回連載した4コマ漫画の『アサッテ君』で、一般全国紙の連載漫画の最多掲載記録を作った。他の漫画・エッセイの連載においても、ほとんどが40年超のロングランとなっている。 東海林は1937年10月30日、東京府東京市杉並区高円寺南で生まれた。父は小西六(現在のコニカミノルタ)の社員だった。小学生時代に戦火を避け、父以外の家族で山梨県大月市に疎開。終戦後も東京には戻らず、母方の実家のある栃木県那須郡武茂村(のちの馬頭町)に移り、中学2年時まで過ごす。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 -… 高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 - 2016年11月14日)は、日本の漫画家。 長崎県佐世保市出身。父が上海租界で書店を開いていたため、上海で育つ。 帰国後、『漫画少年』に投稿し、石森章太郎や赤塚不二夫と知り合う。松本晟(後の松本零士)と共に東日本漫画研究会の九州支部を結成。定時制高校卒業後は赤塚たちに誘われてトキワ荘に入居する約束をしていたが、上京してみると高井が入ろうとしていた部屋に水野英子が入居しており、トキワ荘には入れなかった。 手塚治虫のアシスタントを経て、1956年『少女』掲載の「リコちゃん」でデビュー。1960年代後半から1980年代前半まではフジオ・プロの客分扱いで赤塚不二夫の仕事を手伝いつつ、青年誌を中心にナンセンス漫画を描いていた。
永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 200… 永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)は、日本の漫画家。本名:永島 眞一(または真一、ながしま しんいち)。東京市出身。愛称はダンさん。長男はギタリストの永島志基。 東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。小学生の頃から漫画家に憧れるが、教師に諭され一旦諦める。鬱積した感情を抱え不良少年となる。いくつかの決闘に勝ち、目黒区立第一中学校の総番長の座に就く。高校生と殴り合いの喧嘩をして負傷したこともあった。 同校を2年で中退後、家出して酒屋や洗濯屋、豆腐売り、自転車修理工など十を超える仕事を転々としながら漫画を描いていたがどれも長くは続かず、半年後に行き詰った。
福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 199… 福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 1995年1月5日)は、日本の漫画家、随筆家、アマチュア雀士、放送タレント。福地 泡介(つくりの包の己の部分が巳)の表記も用いた。本名、福地 豊。 岐阜県関市生まれ。生家は刃物製造会社を経営し、志津三郎兼氏の末裔とされる。岐阜県立関高等学校在学中から新聞や雑誌へ漫画の投稿を行い、プロを志して荻原賢次に弟子入りを志願するが断られ、京都で予備校に通いながら浪人生活を送り、早稲田大学法学部に入学。早稲田大学漫画研究会に入部。2年上級にしとうきねおと園山俊二が、1年上級に同い年の東海林さだおがいた(2年生での入部で、福地と同期入部)。1959年、福地・東海林ほか、他校の学生漫画家を加えた4人で「グループ'59」を結成し、一般誌に合作漫画の売り込みを行ったが、ほとんど採用されずにグループは数か月で解散に追い込まれた。
モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、19… モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、1937年〈昭和12年〉5月26日 - 2019年〈平成31年〉4月11日)は、日本の漫画家。東京工科大学大学院修士課程修了。 有限会社エム・ピー・スタジオ代表(初代)、デジタルマンガ協会会長(初代)、大手前大学人文科学部教授、大手前大学メディア・芸術学部教授、社団法人日本漫画家協会理事、専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問などを歴任した。 筆名として加東 一彦(かとう かずひこ)、ムタ 永二(むた えいじ)、かとう・一彦(かとう かずひこ)といった名義を用いたこともある。 『ルパン三世』や『一宿一飯』を始め、多数の青年漫画を手掛けた。漫画の制作にコンピュータを積極的に取り入れており、デジタルマンガ協会を設立して初代会長を務めた。
伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、… 伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、石川県金沢市出身の漫画家、挿絵画家。伊東 あきお名義で貸本漫画を手がけた。 1975年、科学まんがシリーズ『先祖をたずねて億万年』(原作:井尻正二、新日本出版社)で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 -… 石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 - 2014年11月24日)は、日本の漫画家。京都府京都市南区唐橋門脇町出身。本名は石川文康。血液型はB型。 子供の頃から手塚治虫の漫画に慣れ親しむ。高校卒業後、病弱だったため就職を断念、家でも出来る仕事として漫画家を目指す。 1956年12月、日の丸文庫より『復讐の鬼』でデビュー。その後は『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル出版)などの貸本漫画誌に執筆。1959年、さいとう・たかを、桜井昌一、辰巳ヨシヒロらとともに漫画家グループ「劇画工房」に参加する。1960年、「劇画工房」解散後「さいとう・プロダクション」設立と共にスタッフとなる。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月… 灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月17日 - )は、日本の競技麻雀のプロ雀士、エッセイスト、漫画原作者、歌手。日本プロ麻雀連盟名誉会長(第2代会長)。同団体内での段位は九段。 北海道札幌市生まれ。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える。 北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする。 1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。
多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東… 多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東京都出身の絵本作家、漫画家。本名は多田寛。 武蔵野美術大学デザイン科を卒業。絵本の他に環境漫画も手がける。 寺村輝夫作品は「寺村輝夫」を参照。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月… 山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月20日 - 2024年〈令和6年〉9月30日)は、日本の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。東京市目黒区出身。 1937年、東京府東京市(※現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。四人兄弟の二男。父は目黒駅の助役をしていたが、生後4ヶ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた。戦争中の1943年、親類のいた三重県伊勢市に疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。戦後に東京目黒へ戻る。三木鶏郎に傾倒し、冗談工房への参加を夢見る。
板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日… 板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日 - 2017年12月6日)は、日本の漫画家。板井レンタロー、荒井太郎、板井たけお、板井太郎、板井練太郎などの名義による作品も多い。 兵庫県芦屋市生まれ、東京都杉並区に育つ。父親は大分県出身。 杉並区立久我山中学校から日本大学第二高等学校に進学。中学2年生のときに、手塚治虫の漫画作品に感銘を受け、漫画家を目指した。日大第二高時代に『漫画少年』にアマチュア投稿をしたことがある。 1955年に日本大学商学部に進学。同時に単行本『関が原の決戦』(曙出版)でデビュー。大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。
佐々木 守(ささき まもる、1936年9月13日 - 200… 佐々木 守(ささき まもる、1936年9月13日 - 2006年2月24日)は、日本の脚本家、放送作家、漫画原作者。 石川県能美市(旧根上町)出身、石川県立小松高等学校、明治大学文学部日本文学科卒業。 大学では児童文学研究部に所属し、鳥越信、古田足日、山中恒、神宮輝夫らの児童文学研究誌「小さい仲間」の同人となる。そのころに書いた「児童文学における近代性への疑問 -- 児童文学者の戦争責任」(『小さい仲間』26号)「新美南吉『おじいさんのランプ』論」(『日本児童文学』通巻45号)などで注目をあびた。 1955年、大学2年の際に「砂川闘争」に参加する。大学4年の時から教育映画作家協会 (現:日本記録映画作家協会)の機関誌「記録映画」の編集者をつとめ、大島渚、松本俊夫らと知り合う。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 198… 梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3… 楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日 あるいは9月25日 - 2024年〈令和6年〉10月28日)は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。
古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく… 古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく)、1936年8月18日 - 2018年3月1日)は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。本名や古賀 しんさく名義による作品もある。 主にホラー漫画を執筆する。代表作は「エコエコアザラク」。 大牟田市立平原小学校3年生の時、手塚治虫『ロストワールド』に憧れて漫画家志望となる。福岡市の中学を卒業後、菓子製造会社などで働きながら独学で漫画を習得。21歳で上京し、ひばり書房の貸本向け単行本「黒猫」(短編集)掲載の「影なき犯人」でデビュー。1964年、『週刊マーガレット』で「白ヘビ館」を連載。当時、少女向けホラー漫画家として楳図かずおと双璧を成す存在だった。