水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年… 水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年5月)は、日本のジャーナリスト、医事評論家。大阪府出身。 父は作曲家・声楽家で元岡山大学教育学部長の水野康孝。1948年大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、山陽新聞入社。社会部デスク時代に企画連載「ガンを追って」で日本新聞協会賞を受賞。その後独立して医事問題の評論家となり、老人保健福祉審議会、医道審議会等の委員を歴任。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2019年〈令和元年〉9月3日)は、日本の経済評論家。日本個人投資家協会初代理事長。 主な評論の対象は時事の経済評論の他、国内政治評論、国際政治、国際経済、軍事関係等である。国際経済・政治評論に製鉄・金属加工の切り口からの分析を加えている。 京都府出身。大阪府立茨木中学校(旧制中学校)大阪高等学校 (旧制)(後の大阪大学一般教養部南校)を経て大阪大学工学部冶金学科に入学し1953年(昭和28年)卒業。日本共産党に入党、「国際派」に属した志賀義雄衆議院議員秘書。1955年から1963年まで日刊産業新聞記者を経て、1963年に経済評論家として独立し、証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行う。
古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11… 古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の評論家、児童文学作家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。早稲田大学第一文学部露文科在学中、早大童話会にて鳥越信らと『少年文学宣言』を草案・発表。その後中退。児童文学の評論、創作など多様な活動を続けた。 1960年(昭和35年)『現代児童文学論』第9回日本児童文学者協会新人賞。1967年(昭和42年)『宿題ひきうけ株式会社』第7回日本児童文学者協会賞。 愛媛県川之江町(現:四国中央市)にて、1927年(昭和2年)八人兄弟の三男として生まれる。
古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1… 古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本の文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」。 広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業。1950年、早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業。 高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義・戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 202… 中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 2021年11月26日)は、日本の評論家、小説家、翻訳家、演出家。 東京市大森区生まれ。明治大学文学部英文科卒。在学中の1946年より『近代文学』への投稿を始め、「戦後派」の最も若い批評家として注目を集める。初期評論はのちに『怪蛇(バジリスク)の眼』(1975年)にまとめられている。 1956年、「俳優座」養成所の講師として、戯曲論、アメリカ演劇研究などを講義し、やがて「青年座」などで演出にあたる。 1958年、アメリカ版『MANHUNT』誌の日本語版として創刊された雑誌『マンハント』に翻訳スタッフとして参加。同誌は創刊号で「珍訳誌、超訳誌」を宣言しており、中田も原文に縛られない自在な「超訳」を披露した。
坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - … 坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - 1978年11月15日)は、北海道旭川市出身の日本の元教育評論家。モーニングショーの子育て講座で知られている。 幼少時を函館市で過ごしたが、遊ぶ環境では津軽地方出身の人も多く、後述のように津軽弁も交えた独特の話し方のもとになっている。 東京文理大卒業。専攻は教育学。主に子どもを取り巻く教育や家庭環境などの記載がみられる。北海道教育大学や函館大谷短期大学で教鞭を執り、また地元・北海道を中心にした講演活動も増えていく。道内各地で講演した内容を太陽出版社から「愛情心理教室」として出版し、三松出版社の政経界月刊誌「ろんだん」にも1977年秋から家庭問題、子どもの非行、自殺などの問題に関する寄稿を連載していた。
松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004… 松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004年2月6日)は、日本の国文学者、文芸評論家。国文学研究資料館名誉教授。近世文学専攻。 京都大学卒業、同大学院に学ぶ。福岡女子大学助教授を経て、国文学研究資料館教授、法政大学教授を務めた。井原西鶴の研究から始まり、芸能史、民俗学の知見を踏まえ、近世文化における闇の部分を評論家的な筆致で論じ、広末保とともに影響を与えた。映画論も書いた。著作集全8巻がある。 2004年2月6日、午後0時20分、死去。
永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年… 永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年11月)は、日本の民俗芸能評論家・研究者。 東京生まれ。日本大学国文科卒業。1997年まで日本大学文理学部国文科教授を務める。舞踊の作詞家としても活躍、代表作に新内『広重八景』。 正岡容の門下。同門には小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる。 小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、加藤武らとは、東京やなぎ句会を結成して俳人として活動した。 大学の教え子に、演芸作家の稲田和浩がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025… 白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025年2月26日)は、日本の評論家。鉄道技術者。鉄道ファン。元名古屋鉄道社員。元大井川鐵道副社長・顧問。日本ナショナルトラスト会員。 名古屋鉄道在籍時に、鉄道技術者としてパノラマカー(7000系)、モノレール車両(東京モノレール100形、名鉄MRM100形)の企画・製作・設計に携わった。大井川鐵道在籍時に井川線のアプト式新線開業、蒸気機関車の動態保存を手がけている。 同じく鉄道ファンであり鉄道関連の著書を多く手がけている白井良和は実弟である。 愛知県岡崎市出身。旧制豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。
福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 19… 福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 1997年6月8日)は、日本の文芸評論家、ドイツ文学者、翻訳家。 専門は、登山にまつわる随筆、紀行、ドイツ文学などの翻訳のほか、トーマス・マン、 テオドール・フォンターネ、ロベルト・ムジールを中心にドイツ近代小説の研究。また、井上靖夫人の次兄の娘婿で、最もよき理解者である。『井上靖の世界』『井上靖評伝覚』は、文献的にも作家論的にも井上靖に関する最高の業績である。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、1952年東京大学文学部独文科卒業。同年東京大学文学部助手。 1953年茨城大学講師、1955年立教大学文学部講師を経て、1967年立教大学文学部教授。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 201… 岩淵 達治(いわぶち たつじ、1927年7月6日 - 2013年2月7日 )は、日本のドイツ文学者、演劇評論家、演出家、劇作家。学習院大学名誉教授。ベルトルト・ブレヒト研究の第一人者だった。 1927年、東京市麻布区(現・東京都港区麻布)に開業医の子として生まれる。1944年都立一中四修卒、 1947年旧制東京高校卒、 1951年東京大学文学部独文科卒。 埼玉大学文理学部助手、 1953年学習院大学文学部独文科専任講師、 1956年助教授、1967年教授。1997年定年退職。 ドイツ演劇が専門で、千田是也の門下生である。ベルトルト・ブレヒトの全戯曲を翻訳した。演劇の現場にあって、ハイナー・ミュラーの『カルテット』(ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ『危険な関係』が原作)を訳し、渡邊守章と競演の形で演出を行った。
青木 やよひ(あおき やよい、1927年6月13日 - 20… 青木 やよひ(あおき やよい、1927年6月13日 - 2009年11月25日)は、日本のノンフィクション作家、音楽評論家・女性論評論家。 静岡県出身。東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業、出版社勤務、『ロマン・ロラン全集』(みすず書房)の編集に携わるかたわら、片山敏彦の知遇を得て文筆活動をはじめる。 1970年代以降、大学や市民講座で女性学を講じながらベートーヴェン研究に取り組む。 1983年前後、エコロジカル・フェミニズムを掲げて上野千鶴子と論争した。 晩年はベートーヴェン関連の著述に集中した。夫は北沢方邦。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
若城 希伊子(わかしろ きいこ、1927年4月4日 - 19… 若城 希伊子(わかしろ きいこ、1927年4月4日 - 1998年12月22日)は、日本の作家、評論家、脚本家、翻訳家。 東京都渋谷区生まれ。日本女子大学卒、慶應義塾大学文学部国文科卒、折口信夫に学んだ。脚本家として活動するほか、映画ノベライズを翻訳。 1971年ラジオドラマ「青磁の色は空の色」で芸術祭優秀賞受賞。以後小説、ノンフィクション、評論などを刊行、最初の単行本『十五歳の絶唱』はロングセラーとなった。1978年『ガラシャにつづく人々』で第79回直木賞候補、1983年『小さな島の明治維新』で第2回新田次郎文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 201… 永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 2016年5月13日)は、日本の音楽評論家、訳詞家。妻はタンゴ歌手の前田はるみ。 大阪府大阪市出身。1948年京都大学工学部卒業。翌1949年上京、シャンソン社を設立、月刊誌『シャンソン』を刊行した。その後シャンソンを中心とする洋楽の訳詞をはじめ、並行して音楽評論家としても活動。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日… 浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日本の美術評論家、美術史研究者。 大連生まれ。1951年東京大学文学部美学美術史卒。1953年奈良国立文化財研究所勤務、1959年文化財保護委員会美術工芸課勤務、のち課長。東京国立博物館次長、1983年奈良国立博物館館長、1988年東京国立文化財研究所所長。1991年山梨県立美術館館長。
島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 20… 島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 2001年8月10日)は、日本のジャーナリスト・評論家。 埼玉県出身。東京文理科大学英文科卒。朝日新聞記者を経て、東海大学外国語教育センター(英語)教授。1992年退職、名誉客員教授。女性・老人問題について発言した。 2001年8月10日、くも膜下出血のため死去。
山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 20… 山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 2000年2月12日)は、日本の政治評論家である。本名は山田昭。 1927年生まれ。福岡県出身。 1945年の浪速高校民主化運動に参加し、共産青年同盟に加盟する。1948年、東京大学経済学部に入学する。その年10月には、日本共産党本部の青年学生担当部員となっている。1960年代後半には、日本共産党の党員評論家の「川端治」として活躍し安保沖縄問題を論じている。ジャパンプレスサービスに従事するが、新日和見主義事件で日本共産党を離党する。 1974年に、「MAPP」(Military & Politics Perspective)という不定期雑誌を出版する。
菅井 幸雄(すがい ゆきお、1927年2月13日 - 201… 菅井 幸雄(すがい ゆきお、1927年2月13日 - 2011年9月20日)は、日本の演劇評論家。明治大学名誉教授。専門は、演劇評論・日本演劇史。 東京府生まれ。東京物理学校(現・東京理科大学)を経て、1951年明治大学文学部演劇学専攻卒業。明治大学在学中から木下順二に師事。 1954年明治大学助手、講師、助教授、1970年教授。1997年定年、名誉教授。1984年『演劇創造の系譜』で日本演劇学会河竹賞受賞。2006年4月瑞宝中綬章受章。 2011年9月20日、前立腺癌のため静岡県熱海市の病院で死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日… 青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日 - 1988年〈昭和63年〉6月8日)は、日本の航空自衛官、航空・軍事評論家。 航士59期。北海道旭川市出身。 陸軍航空士官学校59期生。戦後、札幌文科専門学院(現札幌学院大学)、札幌短期大学卒業。国家公務員6級職試験に合格し、電気通信省、日本電信電話公社を経て、1956年(昭和31年)に航空自衛隊入隊。第2航空団(千歳基地)防衛班長を最後に退職した。 以後は航空・防衛問題の専門家としてジャーナリズムの世界で活躍する。1984年の東宝映画『ゴジラ』では特別スタッフとして参加し、原子力潜水艦や核衛星の考証などを行った。 退官後当初は『航空情報』嘱託として航空記事を執筆していた。
石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 201… 石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 2014年9月29日)は、日本の編集者、船舶評論家。 千葉県の現木更津市で網元の家に生まれる。 1951年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、三井銀行(現在三井住友銀行)に入行。1年で退社し、河出書房勤務。 軍艦や商船に強い興味を持っていたが、自身が満足するような趣味雑誌が存在していなかったため、1957年株式会社海人社を創立し、月刊誌『世界の艦船』を創刊。1989年まで同誌編集長。海人社代表取締役、出版協同社代表取締役などを務めた。
武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 201… 武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月2日)は、日本の文芸評論家、全学連初代委員長。 神奈川県横浜市出身。横浜第二中学校、府立高等学校を経て東京大学文学部西洋史学科中退。東京大学在学中の1948年に全日本学生自治会総連合(全学連)結成に参画し、初代委員長に就任した。層としての学生運動論を唱え、学生は労働者階級の指導を受けなくとも、階級闘争の主体たり得ると主張[要出典]。1950年、日本共産党の50年分裂の際、同党統一委員会に属して除名される。1952年、新日本文学会(中野重治書記長、花田清輝編集長)に加入し、常勤編集部員となり、文芸評論活動を始める。戦争責任などで古い世代を批判する急先鋒にたつ。
篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日… 篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の文学研究者・文芸評論家・英文学者。 岐阜県出身。旧制岐阜中学から旧制松江高等学校へ進み、1948年、東京帝国大学文学部英文科入学。1951年、東京大学英文科を卒業。高校教諭を経て、1955年、東京都立商科短期大学専任講師。1957年、旧・東京都立大学英文科専任講師。1960年、助教授。1973年、教授。 松江高校時代に駒田信二から新しい文学状況に関しての知見を得て、当時刊行され間もないマチネ・ポエティク運動の加藤周一・中村真一郎・福永武彦共著『1946・文学的考察』(後年に冨山房百科文庫版で解説を担当)に出会い、近代日本の私小説的風土を克服する、国際的な文学のありかたに関心をもつ。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
中山 公男(なかやま きみお、1927年1月3日 - 200… 中山 公男(なかやま きみお、1927年1月3日 - 2008年2月21日)は、日本の西洋美術史家、美術評論家。 大阪府大阪市船場に生まれる。旧制新潟高等学校では丸谷才一の友人だった。1950年東京大学文学部美学美術史学科卒業、1953年まで大学院特別研究生。 女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て1959年国立西洋美術館主任研究官。1963年より文部省在外研修員としてヨーロッパに滞在し、1968年万国博覧会参事、西洋美術館学芸課長を務め、1971年退官。1986年より群馬県立近代美術館館長(2005年まで)、1987年筑波大学教授、1990年に退任し、1991年明治学院大学教授、1997年退職。
栗原 幸夫(くりはら ゆきお、1927年 - )は、日本の文… 栗原 幸夫(くりはら ゆきお、1927年 - )は、日本の文芸評論家、新左翼運動家。 東京生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒業。青木書店、『週刊読書人』、『日本読書新聞』の編集部に勤務のかたわら、小田切秀雄、埴谷雄高に師事。1946年頃日本共産党に入党、50年問題で除名される。六全協後に復党するも、1961年に党中央批判の文書を公開して再び除名される。1960年代後半、共産主義労働者党員とベ平連の一員として過ごす。池田浩士、天野恵一らと連動して新左翼運動に関わり、反日本共産党の立場から社会主義運動史、プロレタリア文学史を研究。共産党系を排除したあとの新日本文学会の中心的な人物として活躍した。
田辺 員人(たなべ かずと、1927年 - 2025年)は、… 田辺 員人(たなべ かずと、1927年 - 2025年)は、日本の建築評論家。都市プランナー。観光コンサルタント。建築ジャーナリスト。大阪府生まれ。 旧制第三高校を経て、1945 年、東京帝国大学工学部航空学科機体専攻入学。1946年、東京帝国大学第一工学部建築学科に転科。帝国大学新聞編集員。1949年卒業。 1950年、小山正和主宰の《国際建築》編集員。1960年 世界デザイン会議事務局次長。 1962年 前野淳一郎とスペースコンサルタンツ設立。観光地コンサルティングを開始。1964年 日本造園設計事務所連合(現・ランドスケープコンサルタンツ協会)設立に参加。 1969 年 九州芸術工科大学教授。
崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国… 崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国出身、日本で活動した作家、翻訳家、評論家。 韓国慶尚南道泗川生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。その後、在日朝鮮人運動(朝鮮新報社)の活動にたずさわる。1980年から朝鮮近世文学史を専攻し、執筆活動を始める。在日朝鮮人運動史研究会会員。娘は山下英愛。
伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日… 伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日本の写真評論家。カメラ雑誌の草分け「CAMERA」(アルス社)編集長、東京綜合写真専門学校、東京造形大学、現代写真研究所、桑沢デザイン研究所などの教員を歴任。土門拳の甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
佐藤 晃(さとう あきら、1927年 - 2008年4月16… 佐藤 晃(さとう あきら、1927年 - 2008年4月16日)は日本の歴史評論家。福岡県生まれ、陸軍士官学校61期。大分経済専門学校(現・大分大学経済学部)卒。 終戦後、三井鉱山に入社、三池争議などに従事する。争議終了後は三井化学に移り、営業部門を担当。1987年に定年退職する。 退職後、趣味の軍事史研究を通じて数々の著作を刊行する。比較的早い時期(1995年)から海軍関係者の戦後の著作を批判している。主な版元は光人社など。 戦後の陸軍悪玉論に対し、主に海軍を批判した書籍の著者としては他に三村文男、別宮暖朗、岡文正、福井雄三などがいる。
鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9… 鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、日本の言語社会・社会・環境評論家。慶應義塾大学名誉教授。(財)日本野鳥の会顧問。谷川雁研究会特別顧問。国際文化フォーラム顧問。専攻は言語社会学(社会言語学としばしば同一視されるが、社会学の一分野としての意味合いが強い)。 英語公用語化論、世界環境も積極的に発言した。英語帝国主義批判の主要な論客としても知られた。 1926年東京市青山に生まれる。父親の菫(ただし)は、山脇高等女学校と富士見高等女学校の教頭、校長を歴任した教諭、書道家だった。孝夫は夫婦の4番目の末っ子として生まれた。父親は芸事で弟子を作らなかったが、その点孝夫はその性質を継いでいる。
坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1… 坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1986年9月15日)は、日本の経営学者、評論家。理論の底流にヒューマニズム。 東京市下谷区(現、台東区)生まれ。旧制成蹊高等学校の理科・文科を経て、1951年、東京大学経済学部卒業。同年4月より大学院特別給付研究生。日本の正統派経営学の祖である、馬場敬治教授の唯一の門下生となる。1954年の『経営学における原価理論-序説1』に始まる一連の論文でコスト論を展開し、国民所得からソシアル・コスト(公害等)を控除しなければ、真の意味での国民所得ではないのではないか、と示唆している。1956年、特別給付研究生修了。 1957年、慶應義塾大学商学部の設立に参画し、『経営通論』の講義を担当した。
柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 20… 柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家、SF作家、SF研究家・評論家。 日本初のSFファングループ『宇宙塵』の主宰者として知られ、同名の同人誌の編集長を務めた。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名だった。 石川県金沢市出身。父・柴野為亥知(ためいち)は陸軍軍人にして詩人・画家でもあり、多数の軍歌を作詞・作曲し、満州映画協会の創設にも関わった。小学校時代から山中峯太郎や海野十三に傾倒。東京で青山学院に入学するが、のち金沢に戻り、金沢二中から四修(飛び級)で第四高等学校に進む。 実父が陸軍大佐であった事から「軍」に関しては複雑な心境を持っていた。
三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日… 三和 完児(みわ かんじ、1926年〈大正15年〉10月4日 - )はタレント、作詞・作曲家、音楽評論家。 本名は松岡寿夫(まつおか かずお)。ペンネーム:佃清風(つくだ せいふう)。 神奈川県横浜市出身。 東京府南葛飾郡吾嬬町(のち東京市向島区、現墨田区立花)にて鉄筋業 松岡工業(廃業)を経営していた松岡滋忠の子として、9人兄弟の長男として生まれる。 「司会の神様」の異名を持っていた。 1945年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業。 1946年東邦楽劇団バンドマスターを経て、美空ひばり、江利チエミ、藤山一郎等の専属司会者として活動を始める。 1953年最初の民放テレビ「私も出まショー」のレギュラー司会となる。
遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年… 遠丸 立(とおまる たつ、1926年9月6日 - 2009年12月30日)は日本の詩人、文芸評論家。本名は進 隆(すすむ たかし)。 妻は詩人の貞松瑩子。筆名の呼称は、かつて「とおまる りつ」、「とうまる たつ」、「とおまる たかし」、「とおまる りゅう」の4つの読み(=別名)があった。 福岡県出生。1955年 東京大学経済学部卒。1957年 明治大学大学院文学研究科修士課程了、日本文学専攻。 1961年から1993年まで、『方向感覚』同人、『未知と無知のあいだ』編集人を務めた。 1964年から1967年まで『犀』同人。 2009年、心筋梗塞のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
右遠 俊郎(うどお としお、1926年9月1日 - 2013… 右遠 俊郎(うどお としお、1926年9月1日 - 2013年10月11日)は、日本の作家・文芸評論家。 岡山県生まれ。少年期を大連で過ごし、旅順高等学校に進む。戦後、東京大学国文科卒。『新日本文学』などに小説、評論を発表。1959年「無傷の論理」で芥川賞候補(この時は該当者なしだった)。その後日本民主主義文学会(当時の名称は文学同盟)に加入する。1989年『小説朝日茂』で多喜二・百合子賞受賞。 2013年10月11日に肺炎のため死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 -… 桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 - 2017年12月7日)は、日本の建築史家・建築評論家。東京都立大学名誉教授、工学博士。東京府東京市神田区東神田生まれ。 敗戦後の混乱のなか、一年上級の飯田喜四郎、堀内清治の二先輩とともに西洋建築史研究を志す。当時は海外渡航が不可能であったため、旧敵国の留学生制度を利用し、飯田がフランス(1953-56)へ、桐敷がイギリス(1955-57)へ渡航、次いで堀内が東大イラン・イラク発掘調査隊(1953-56)に参加。当時から、ごく自然に堀内が古代、飯田が中世、桐敷が近世・近代を分担し、研究や出版に万事協力し合う態勢をつくる。
牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 201… 牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 2015年3月26日)は、日本の演劇評論家、チェーホフ研究家、翻訳家。 東京生まれ。本名、島地 純(しまじ じゅん)。東京外国語大学ロシア語学科卒。文化放送でラジオ・ドラマ演出など、放送関連の仕事をし、同局の編成局長や営業局長などを務める。その後チェーホフ関係の翻訳を行う。 2015年3月26日、呼吸不全のため死去。88歳没。
奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25… 奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25日-1997年〈平成9年〉11月26日)は、文芸評論家・化学技術者。多摩美術大学名誉教授。父は最高裁判事の奥野健一。
秋元 秀雄(あきもと ひでお、1926年7月6日 - 200… 秋元 秀雄(あきもと ひでお、1926年7月6日 - 2002年4月4日)は、日本のジャーナリスト、経営評論家。 明治大学商学部卒業。読売新聞経済部記者を経て評論活動を始める。 1977年4月から1979年2月まで放送された日本テレビの朝のニュース番組『NNNおはよう!ニュースワイド』ではメインキャスター、その後継番組『ズームイン!!朝!』のコメンテーターを経て、1983年10月から1989年9月まで放送されたTBSテレビの情報番組『情報デスクToday』ではコメンテーターをそれぞれ務めた。晩年はハワイで暮らしていた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岩島 久夫(いわしま ひさお、1926年(大正15年)5月5… 岩島 久夫(いわしま ひさお、1926年(大正15年)5月5日 - 2018年(平成30年)11月26日)は、日本の軍事評論家である。 岐阜県の生まれ。幼年期に朝鮮に移り、第二次世界大戦中は大日本帝国海軍の少尉となった。終戦直前には特攻艇要員となり、戦後は東京大学に入学しアメリカ合衆国の政治史を学ぶ。卒業後の1966年(昭和41年)防衛庁防衛研修所(現在の防衛研究所)に勤務し、後に戦史部長に就任した。 同研修所退職後の1987年(昭和62年)には岩手大学の教授となり、1992年(平成4年)には南山大学の教授となりそれぞれ軍事に関する学問の教鞭を執る。1998年(平成10年)にはアレン国際短期大学(2007年に廃止)の学長に就任し、2001年まで務めた。
落合 東朗(おちあい はるろう、1926年〈大正15年〉5月… 落合 東朗(おちあい はるろう、1926年〈大正15年〉5月4日 - 生没不詳)は、日本のロシア文学研究者、評論家。 北海道根室郡和田村字落石()(現・根室市落石)生まれ。1945年7月満州ハルビンの関東軍第263部隊に入営。同地で敗戦を迎え、シベリアに抑留。1949年舞鶴に帰還した。1955年早稲田大学第一文学部露文科卒業。早大広報課に勤務、広報課長、早稲田大学出版部(wikidata)代表取締役を務めた。また、早稲田大学総長室調査役のほか同大理工学部講師も務めた。1986年11月退職。ロシア文学などについて著述を行った。
福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 … 福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 - 1990年2月10日)は日本の指揮者、編曲家、音楽評論家。兵庫県神戸市生まれ。 関西学院中学部、西南学院中学部、西南学院高等部を経て、東京音楽学校(現:東京藝術大学)ピアノ科に入学したが、1948年1月に中退。東京音楽学校在籍中より、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)にて、近衛秀麿の内弟子となり、指揮法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。1950年、西南学院大学神学部に入学したが、翌年再上京し、藤原歌劇団に入団。マンフレート・グルリットの下でオペラ演奏法を学んだ。 晩年は腎臓病に苦しみ、人工透析に週3回通いながら音楽活動を続けていたが、1990年2月10日に死去。
森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012… 森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012年3月30日)は、国際政治評論家。 神奈川県出身。東京大学経済学部卒。時事通信社に入り、解説委員長、監査役を務めた。日米関係、食料問題の立場から論陣を張った。
山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009… 山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009年6月13日)は東京生まれの文芸評論家、演出家。古本関係の著述活動で著名であった。 法政大学文学部卒業。日劇の舞台監督やNET(現・テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』のプロデューサーとディレクターを務めた。 椎名麟三に師事し、作家活動を行う。また近代文学研究者でも活動。工学院大学を経て、芝浦工業大学に勤務。 父は落語家の柳家金語楼、異母弟はロカビリー歌手として一世を風靡した山下敬二郎、異母妹は女優・声優の有崎由見子。祖父は三遊亭金勝。叔父は先代昔々亭桃太郎。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2… 飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2003年10月3日)は、日本の政治学者、思想評論家。学習院大学名誉教授。 富山県出身。1948年東京帝国大学法学部卒業。1951年同大学大学院特別研究生終了。 学習院大学講師、助教授、1958年教授。図書館長、法学部長、東洋文化研究所所長。1995年定年前に退職し、同大学名誉教授、聖学院大学学長就任。在職中に死去。 世界宗教者平和会議日本委員会評議員、WCRP平和研究所所長、アジア宗教者平和会議事務総長を務めた。
日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 197… 日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 1979年9月11日)は、日本の科学評論家、科学読物作家、翻訳家。 愛知県安城市出身。1947年、東京大学理学部物理学科卒業。朝日新聞社に入り、科学記者、欧米特派員を経て、1969年退社。 日本宇宙飛行協会(副会長)、日本海洋学会などに所属し、科学評論家として活躍。 1961年、『ロケットよ土星をめざせ』で小学館児童文化賞佳作賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡 並木(おか なみき、1926年3月19日 - 2002年… 岡 並木(おか なみき、1926年3月19日 - 2002年12月7日)は、日本のジャーナリスト、交通及び比較都市論を専門とする評論家。 東京都出身。1952年に東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。編集委員などをつとめる。1985年の退社後は、西武百貨店顧問。のち静岡県立大学国際関係学部教授を経て、武蔵野女子大学文学部教授。 父親は、大正から昭和初頭に、民族・民俗学や考古学の専門書、山岳書を出版した「岡書院」店主の岡茂雄。叔父は民族学者の岡正雄。従兄弟(正雄の息子)に文化人類学者の岡千曲。 衣食住に加えて、交通、移動の重要性とこれらが顧みられていない現状を説き、「衣食住交」を提唱した。