小西 正捷(こにし まさとし、1938年〈昭和13年〉12月… 小西 正捷(こにし まさとし、1938年〈昭和13年〉12月16日 - 2020年〈令和2年〉9月28日)は、日本の民俗学者、考古学者。立教大学名誉教授。専攻は南インドの民俗学、考古学。古代インダス文明および民間信仰、儀礼、造形、芸能を研究。 1938年、東京都生まれ。1961年、国際基督教大学教養学部人文学科を卒業し、その後インドに留学し、カルカッタ大学大学院修士課程にて考古学を学んだ。東京大学大学院文学研究科に進み、1970年に博士後期課程(社会学研究文化人類学専攻)を単位取得退学。 1971年、法政大学助教授に就いた。1983年、教授昇格。1984年より立教大学教授。2003年に立教大学を定年退職し、名誉教授となった。
渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月1… 渡辺 誠(わたなべ まこと、1938年〈昭和13年〉11月18日 - 2021年〈令和3年〉9月14日)は、日本の考古学者。名古屋大学名誉教授。 福島県平市(現・いわき市)生まれ。福島県立磐城高等学校卒業、慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程満期退学、1995年「日韓交流の民族考古学」で慶應義塾大学より博士(史学)の学位を取得。古代学協会研究員、平安博物館、名古屋大学文学部助教授、教授。2002年定年退官、名誉教授、山梨県立考古博物館館長・山梨県埋蔵文化財センター所長。
白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 … 白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 - )は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長。 1938年、大阪府大阪市に生まれた。大阪星光学院高等学校を経て、1961年同志社大学文学部文化学科文化史専攻を卒業。同大学院文学研究科文化史専攻に進み、1964年に修士課程修了、1968年に同博士課程を単位取得満期退学した。 1986年4月より古代学協会研究員に就いた。翌1969年8月より奈良県立橿原考古学研究所に勤務。1978年に文化庁国立歴史民俗博物館設立準備室調査官となり、国立歴史民俗博物館の設立準備にあたった。1981年に同館が開館すると、同館助教授に就いた。
西谷 正(にしたに ただし、1938年(昭和13年)11月1… 西谷 正(にしたに ただし、1938年(昭和13年)11月11日 - )は、日本の考古学者。九州大学名誉教授。九州歴史資料館名誉館長、海の道むなかた館長、糸島市立伊都国歴史博物館名誉館長、名誉文学博士。 1938年、大阪生まれ。奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を卒業し、京都大学大学院文学研究科へ進学した。1966年に修士課程を修了した後、奈良国立文化財研究所研究員となった。 その後福岡県教育委員会に勤務。九州大学文学部助教授に転じ、1987年に教授昇格。1993年から1996年まで、佐賀県立名護屋城博物館初代館長を兼任した。2002年、九州大学を定年退官し、名誉教授となった。2004年、伊都国歴史博物館館長に就任。
桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )… 桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )は、東洋学・考古学者、京都大学人文科学研究所名誉教授。 1938年、東京市(現港区)で生まれた。1963年、京都大学文学部考古学科を卒業し、同大学大学院に進んだ。博士課程満期退学。 1986年、学位論文『カーピシー=ガンダーラ史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。京都大学人文科学研究所教授。1999年9月から2001年10月まで第20代所長を務めた。2002年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
鈴木 公雄(すずき きみお、1938年4月28日 - 200… 鈴木 公雄(すずき きみお、1938年4月28日 - 2004年10月22日)は、日本の歴史学者・考古学者。専門は縄文時代および日本中世・近世考古学(特に貨幣史)。慶應義塾大学名誉教授。 東京都出身。慶應義塾大学文学部史学科を卒業した後、1966年に慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。1971~72年、アメリカ合衆国イェール大学人類学部訪問研究員を経て慶應義塾大学文学部教授を務めた。また、1982年に済海寺旧越後長岡藩主家牧野家墓所の悠久山への改葬に伴う緊急遺骨調査が行われるが、鈴木は済海寺遺跡調査団団長となっている。2004年、前立腺癌のため66歳で死去。 『貨幣の地域史』は既に鈴木が死去している2007年11月に出版されたにも関わらず編者が鈴木になっているが、これは鈴木が日本銀行金融研究所において主催した研究会が母体となり、鈴木の生前に企画が始まった論集だからである。
森 郁夫(もり いくお、1938年2月25日 - 2013年… 森 郁夫(もり いくお、1938年2月25日 - 2013年5月30日)は、日本の考古学者、帝塚山大学名誉教授。 國學院大學文学部史学科卒業。帝塚山大学教養学部教授、人文学部教授、1998年「日本古代寺院造営の研究」で國學院大歴史学博士、帝塚山大考古学研究所所長・附属博物館館長。2010年定年退任、名誉教授。 2013年5月30日に胃がんのため死去。75歳没。
三輪 嘉六(みわ かろく、1938年(昭和13年)2月17日… 三輪 嘉六(みわ かろく、1938年(昭和13年)2月17日 - )は、日本の考古学者。独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館元館長。専門は考古学、文化財学。 岐阜県瑞浪市出身。日本大学文学部(現在の文理学部)史学科卒業後、学校教員を経て、奈良国立文化財研究所に勤務。東京国立文化財研究所修復技術部長、文化庁文化財鑑査官、日本大学文理学部史学科教授等を経て、2002年、九州国立博物館設立準備室長、2005年、九州国立博物館の初代館長(2015年まで)。文化財保存修復学会会長、日本考古学会評議員などを歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考… 後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考古学者。別府大学名誉教授。大分県出身。 1961年、九州大学文学部史学科考古学専攻卒。1992年、九州大学において学位論文「東九州歴史考古学的論考-古代豊国の原像とその展開」で文学博士を取得。その後、別府大学文学部の教授に就任。2009年に定年を迎え、名誉教授に就任。1987年、坪井清足賞受賞。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )… 岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )は、日本のジャーナリスト・考古学者。京都府京都市生まれ。 1961年京都大学文学部史学科国史専攻卒、毎日新聞社入社。1962年高松塚古墳発掘で被葬者の推定を行う。京都支局・社会部・学芸部に勤務。学芸部副部長、1982年部長・1985年論説委員兼編集委員、1991年論説副委員長、特別編集委員、1999年客員編集委員。1999年京都学園大学人間文化学部教授。2008年定年退職。1979年“稲荷山鉄剣銘発見”のスクープと一連の解説で日本新聞協会賞グランプリ、1999年長年の公正な文化財報道と啓発的な著作で藤森栄一賞(長野県考古学会賞)。
林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 201… 林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 2010年3月15日)は日本の考古学者。元北海道大学教授。
小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 20… 小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 2025年8月22日)は、日本の考古学者。國學院大學文学部名誉教授。新潟県立歴史博物館名誉館長。 1937年、新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を卒業。その後、國學院大學文学部で学び、國學院大學大学院博士課程満期退学。 東京都教育庁文化課に入り、文化庁文化財調査官に転任。1978年に調査官を退任し、國學院大學文学部助教授に就いた。1985年に教授昇格。1994年、学位論文『縄文土器の研究』を國學院大學に提出して博士号を取得。2008年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。2023年、アメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。
小林 三郎(こばやし さぶろう、1937年(昭和12年)1月… 小林 三郎(こばやし さぶろう、1937年(昭和12年)1月13日 - 2006年(平成18年)11月5日は、日本の考古学者。主として弥生時代と古墳時代を研究領域としている。 1937年(昭和12年)1月13日、東京都に生まれる。1962年(昭和37年)、明治大学大学院文学研究科史学専攻(考古学)修士課程を修了。長く明治大学教授をつとめた。北区飛鳥山博物館名誉館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の… 猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の考古学者。専門は、日本考古学(特に古墳時代より飛鳥時代の墓制)。学位は、文学修士(関西大学)。京都橘大学名誉教授。葵祭行列保存会会長、時代祭考証委員長。所属学会は日本考古学協会、韓国考古学研究会。 京都府京都市に生まれる。猪熊家は代々猪熊通に居住していたが、応仁の乱で焼け出された。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年関西大学文学部史学科卒業。1964年関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士。 奈良国立文化財研究所に就職し、同所埋蔵文化財センター研究指導部長、1997年同所飛鳥藤原宮跡発掘調査部部長となる。1998年京都橘大学文学部教授、のちに同名誉教授。
藤本 強(ふじもと つよし、1936年5月20日 - 201… 藤本 強(ふじもと つよし、1936年5月20日 - 2010年9月10日)は、日本の考古学者。東京大学名誉教授。 東京生まれ。1959年東京大学文学部考古学科卒業、同大学院博士課程単位取得満期退学、1973年東大文学部附属北海文化研究常呂実習施設助教授、1985年東大文学部教授、1994年から1996年まで文学部長・人文社会系研究科長、1997年定年退官、名誉教授、新潟大学人文学部教授、2002年國學院大学文学部教授、2007年退職。2001年福島県文化財センター白河館館長、2006年文化審議会世界文化遺産特別委員会委員長。先史考古学が専門で多数の著作がある。 2010年9月10日、ドイツに滞在していた際に74歳で病死。
坂誥 秀一(さかづめ ひでいち、1936年(昭和11年)1月… 坂誥 秀一(さかづめ ひでいち、1936年(昭和11年)1月26日 - )は、日本の考古学者。立正大学名誉教授・同特別栄誉教授。同大学元学長(第27代)、品川区立品川歴史館館長を歴任。武蔵野文化協会会長。2012瑞宝中綬章受章。 東京都出身。立正大学付属立正中学校・高等学校を経て1958年(昭和33年)、立正大学文学部史学科卒業。1960年(昭和35年)、同大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。同大学助手・助教授・教授。1998年(平成10年)から2001年(平成13年)まで第27代学長。2006年(平成18年)定年退任、名誉教授。2012年(平成24年)春瑞宝中綬章叙勲。2020年(令和2年)特別栄誉教授。
吉田 信啓(よしだ のぶひろ、1936年 - 2016年)は… 吉田 信啓(よしだ のぶひろ、1936年 - 2016年)は、日本の考古学者、教員、コラムニスト。 ペトログラフ(岩石文字)研究の第一人者であり、日本ペトログラフ協会の会長。 1936年(昭和11年)、福岡県行橋市で生まれる。 1960年(昭和35年)に広島大学文学部文学科言語学専攻を卒業後、同大学院の英語学英文学専攻を修了した。大学院時代には中国放送のラジオ番組の契約構成作家として学校放送を担当した。 その後、教員免許を取得し、地方公務員の教員となり、広島県立庄原格致高等学校、福岡県立小倉高等学校、福岡県立修猷館高等学校などで英語教諭として37年間勤務し、1997年(平成9年)に定年退職した。
水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14… 水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14日 - 2015年〈平成27年〉1月27日)は、日本の考古学者。奈良大学名誉教授、元学長 。元元興寺文化財研究所長。専門は考古学、古代史・文化史(宗教考古学、まじない) 。大阪府大阪市出身 。 大阪府大阪市生まれ。奈良県田原本町立田原本小学校、大阪市立東中学校を経て、1953年(昭和28年)に大阪府立今宮高等学校卒業。 1957年、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)学芸学部中学4年課程を卒業。1962年から滋賀県教育委員会に勤務し、日本初の技師に[要説明]。1969年から大阪府教育委員会、1974年から文化庁文化財保護部記念物課に勤めて主任調査官となる。
吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )… 吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )は、日本の考古学者、文学博士(明治大学)。国立歴史民俗博物館名誉教授・元石川県立歴史博物館館長。 石川県金沢市生まれ。古代~中世にかけての日本海域における土器・陶磁器研究の先駆者である。第5回小山富士夫記念賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 202… 田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 2022年9月16日)は、日本の考古学者。 1933年、滋賀県で生まれた。京都大学文学部を卒業し、同大学大学院修士課程を修了。 1959年、奈良国立文化財研究所所員となった。のち同埋蔵文化財センター所長。文化庁文化財鑑査官をへて、1994年からは奈良国立文化財研究所長をつとめた。1999年に退官。2022年9月16日、死去。 「田中琢」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。https://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%90%A2。コトバンクより2022年9月26日閲覧。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日… 田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日 - 2006年(平成18年)2月20日)は、日本の考古学者。須恵器の研究や、日本における水中考古学の研究に先鞭をつけたことで知られる[要出典]。奈良大学助教授となり、後に同教授に昇格。京都市埋蔵文化財研究所調査部長、京都芸術短期大学教授・京都造形芸術大学教授、神戸山手大学教授。 1933年、静岡県小笠郡菊川町(現菊川市)で生まれた。中学生だった1948年、登呂遺跡の発掘調査に参加。同年、菊川市の白岩遺跡の発掘調査も手伝った。この際東洋大学教授の和島誠一に出会い、強い影響を受けた。これらの経験を通して、早くから考古学に傾倒していった。1952年、静岡県立掛川西高等学校を卒業。
石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考… 石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考古学者。奈良県立橿原考古学研究所研究嘱託、兵庫県立考古博物館名誉館長。主として古墳時代を研究領域としており、とくに纒向遺跡の発掘調査に携わったことで知られる。 1933年、宮城県牡鹿郡渡波町(現・石巻市)で生まれた。宮城県石巻高等学校を経て、関西学院大学文学部に入学し、考古学を専攻。関西大学大学院に進み、修了。 大学院修了後、兵庫県教育委員会に勤務して文化財の調査と研究にあたった。のち、奈良県立橿原考古学研究所所員に転じた。同研究所では、1971年より関川尚功とともに奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘調査に携わった。纒向遺跡出土土師器の分類によって纒向編年を行い、また、外部からもたらされた大量の土器の存在から纒向遺跡を3世紀の都市的な遺跡であることを明らかにした。
戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2… 戸沢 充則(とざわ みつのり、1932年10月19日 - 2012年4月9日)は、日本の考古学者である。明治大学名誉教授。元明治大学学長。長野県茅野市尖石縄文考古館名誉館長。 長野県岡谷市出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、明治大学文学部卒業。藤森栄一に師事した。旧制中学在学中、土器と出会ったことが考古学研究の始まりとなった。1961年明治大学講師。1967年「先土器時代文化の構造」により明治大学から文学博士の学位を授与される。1968年同教授。のちに考古学博物館長、文学部長、学長を歴任した。 豊富な発掘現場歴を持ち、遺跡調査や保護に大きく貢献している。2000年 - 2002年、日本考古学協会「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」委員長として旧石器捏造事件の検証調査にあたった。
田村 晃一(たむらこういち、Koichi TAMURA、19… 田村 晃一(たむらこういち、Koichi TAMURA、1932年(昭和7年)8月11日 - 2014年(平成26年)12月20日)は、日本の考古学者。青山学院大学文学部名誉教授。元日本考古学協会会長。
佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002… 佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授。 1932年、大阪府大阪市上本町で佐原忠雄・香代の次男として生まれた。父方の祖父は備後福山藩(広島県福山市)の家老のいえであったという。 幼稚園児のときに公園で拾った土器片に興味を持ったことが考古学を志す契機となった。国民学校初等科4年生の時の担任教師の影響で、浜田青陵『博物誌』を読んだ。国民学校初等科5年生の時、東京へ転居。1947年、日本人類学会が主催した「中学生の為の人類学講座」へ参加して、縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入するようになった。山内から個人指導を受け、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。
塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の… 塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の元教員で、考古学者である。 1932年(昭和7年)、栃木県芳賀郡に生まれる。1955年(昭和32年)宇都宮大学学芸学部文学科を卒業後、作新学院高等学校で教職に就く。その間、下総国府跡をはじめとする栃木県内の多くの調査発掘に携わった。栃木県考古学会会長も務める。 2000年(平成12年)10月 栃木県文化功労者に選ばれた。
吉崎 昌一(よしざき まさかず、1931年11月23日 - … 吉崎 昌一(よしざき まさかず、1931年11月23日 - 2007年2月20日)は、日本の考古学者。元北海道大学教授、専門分野は、旧石器・植物考古学。 樺太生まれ。鎌倉学園高等学校、明治大学文学部卒業。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。市立函館博物館学芸員、ウィスコンシン州立大学マディソン校研究員、北海道大学理学部助教授を経て、北海道大学文学部教授。国際日本文化研究センター客員教授、札幌国際大学教授。旧石器捏造事件において総進不動坂遺跡の検証発掘の団長を務めた。 豊平川にサケを呼び戻すというカムバックサーモン運動にかかわった。 アイヌ民族出身の参議院議員萱野茂をかこむ学者の会の中心となり、萱野茂・アイヌ文化講座の世話役を務めた。
奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 20… 奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 2020年6月6日)は、日本の考古学者、古代学者。元筑紫古代文化研究所代表。元東アジアの古代文化を考える会会長。元宮崎公立大学教授。 北海道札幌市出生、美唄市出身。炭鉱で働きながら美唄東高等学校定時制を卒業。三井美唄炭鉱などに勤務の傍ら、リアリズム研究会や日本民主主義文学同盟に所属し、雑誌『現実と文学』『民主文学』などに小説を発表。1965年には小説「地底の炎」で第3回リアリズム文学賞を受賞している。後に古代史に関心を向け、1980年に「邪馬台国九州論―鉄と鏡による検証」で『邪馬台国』創刊1周年記念論文最優秀賞受賞。1981年に「三角縁神獣鏡の研究」で第6回郷土史研究賞特別賞受賞。
加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日… 加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日本の考古学者。モンゴル国考古研究所名誉教授。ユーラシア考古学。 東京出身。1954年千葉大学理学部卒、1961年東京大学大学院博士課程満期退学、立教大学博物館学研究室助教授、千葉大学教養部教授、1983年筑波大学教授、95年定年退官、國學院大學教授、札幌学院大学教授を務めた。
目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 201… 目黒吉明(めぐろ よしあき、1931年2月21日 - 2012年6月28日)は、日本の考古学者。福島県の考古学に尽力した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上野 佳也(うえの よしや、1930年12月25日- )は、… 上野 佳也(うえの よしや、1930年12月25日- )は、日本の考古学者、東京大学名誉教授。 東京出身。東京大学文学部考古学科卒、同大学院博士課程満期退学。69年「日本における円筒系縄文土器文化の研究」で文学博士。1974年金沢大学文理学部教授となり、その後東大文学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、大正大学教授を務め、2001年退職した。先史考古学。
井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月1… 井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月10日 - )は、カナダの考古学者、文化人類学者。専門は日本など東アジア先史考古学。マギル大学名誉教授。 1930年、兵庫県神戸市長田村房王寺谷(現・神戸市長田区房王寺町)に生まれる。 1948年、奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業後、1953年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、東京都立大学社会学研究室助手補となる。 1954年に、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程に入学する。1955年からフルブライト奨学生としてハーバード大学に留学した。1958年、ラドクリフ・カレッジで修士号(M.A.)を取得し、ラドクリフ・カレッジ博士課程を修了する。
甘粕健(あまかす けん、1930年8月29日 - 2012年… 甘粕健(あまかす けん、1930年8月29日 - 2012年8月4日)は、日本の考古学者。静岡県出身。 上杉謙信の四天王である甘粕長重(景持)の末裔。甘粕事件の満洲映画協会理事長の甘粕正彦は縁戚に当たる。 東京大学を卒業後、東京大学東洋文化研究所助手を経て、1977年(昭和52年)新潟大学教授に就任。 1978年(昭和53年)文化財保存全国協議会代表委員となる。 2000年(平成12年)日本考古学協会会長に就任(~2004年まで務める)。 2000年(平成12年)宮城県、北海道の遺跡での旧石器発掘捏造問題では特別委員を設立し、対応に当たった。 2012年8月4日肝不全で死去。81歳。
岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997… 岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997年11月16日)は、日本の考古学者。 神奈川県横須賀市生まれ。1952年明治大学文学部史学地理学科卒業、1954年明治大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。1964年立教大学専任講師、1966年助教授、1974年辞職。横浜市立大学、立教大学などで講師を務めた。 1953年から1954年にかけて、八ヶ岳南麓長野県南佐久郡南牧村の矢出川遺跡の発掘調査で日本最初の細石刃を芹沢長介、地元の考古学研究家由井茂也らと共に発見した。 1960年代、横浜市北部埋蔵文化財調査委員会に参加し、開発に呑み込まれる横浜市北部の遺跡(青葉区内の朝光寺原遺跡や稲荷前古墳群など)を数多く発掘調査し保存活動に尽力した。
村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 201… 村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 2011年8月27日)は、日本の考古学者。弘前大学名誉教授。 北海道北見市出身。生後ほどなく横浜市に移る。日本大学文学部史学科卒。在学中の1953年、登呂遺跡の発掘に参加。新潟県立柏崎高等学校教諭、1958年弘前大学教育学部助手、講師、助教授、78年教授、95年定年退官、名誉教授、青森大学考古学研究所長、社会学部教授。1988年砂沢遺跡で弥生前期水田跡を発見。青森県文化財保護審議会会長。青森市史・浪岡町史編集委員長。
岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 201… 岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 2018年2月4日)は、日本の考古学者、筑波大学教授を歴任。 この間、早稲田大学客員教授(1991年~2000年)、国立歴史民俗博物館客員教授 (1992年~1995年)などを併任。文化財保護では、長野県文化財保護審議会委員、更埴市文化財審議会委員、森将軍塚古墳保存整備委員・発掘調査団長、流山市文化財保護審議会委員、史跡埼玉古墳群保存整備協議会委員などを歴任。
尾関 清子(おぜき きよこ、1929年4月28日 - )は、… 尾関 清子(おぜき きよこ、1929年4月28日 - )は、縄文時代の布に関する研究を行う日本の考古学者。東海学園女子短期大学(現・東海学園大学)名誉教授。 縄文時代に編布が存在し、縄文人が毛皮ではなく布の服を着ていたらしいことを明らかにした。 愛知県江南市出身。古知野高等実践女学校を卒業後、大学に進学せず、手芸の学校を出た後に銀行員などをしていたが、手芸好きが高じて銀行を辞めて手芸教室を始め、作品展を開催したところ評判となり、1964年に東海学園女子短大の手芸の講師に採用される。後に東海学園女子短大助教授となり、生活文化史の研究などを行っていた。名古屋工業大学工業化学科に内地留学した。 1987年、縄文土器などを作るときに使われていた、縄文時代の編布(アンギン)に出会ったことがきっかけとなり、手芸の講師から考古学者に転じる。
金井塚 良一(かないづか よしかず、1929年2月14日 -… 金井塚 良一(かないづか よしかず、1929年2月14日 - 2015年6月18日)は日本の考古学者。 埼玉県出身。1952年に東洋大学文学部を卒業。埼玉県立松山高等学校教諭を経て、埼玉県立さきたま資料館(現・埼玉県立さきたま史跡の博物館)や埼玉県立博物館の館長を務める。 吉見百穴横穴墓群、稲荷山古墳などの発掘調査に従事した。 金井塚良一先生の傘寿を祝う会編『常歩無限-考古学研究60年の軌跡』に著作目録がある。
後藤 勝彦(ごとう かつひこ、1929年 - 2016年)は… 後藤 勝彦(ごとう かつひこ、1929年 - 2016年)は日本の考古学者。
森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013… 森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は、日本の考古学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本考古学・日本文化史学。 大阪府大阪市出身。少年時代は堺市近郊に住み、尋常小学校の国史の国定教科書における記紀神話と、堺市の百舌鳥古墳群を通じて、古墳及び陵墓への関心を抱く。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)卒業。1951年に同志社大学文学部英文学科卒業、1957年、同大学院文学研究科文化史学専攻修士課程修了。学生時代から古墳の発掘と報告書作成に取り組む(例:黄金塚古墳)。学生考古学研究会も創設(後に古代学研究会)。 卒業後は府立泉大津高校の教諭を務める傍ら、新沢千塚(奈良県橿原市)など古墳の発掘に従事。
金関 恕(かなせき ひろし、1927年11月19日 - 20… 金関 恕(かなせき ひろし、1927年11月19日 - 2018年3月13日)は、日本の考古学者。天理大学名誉教授。 1927年、京都市で生まれた。1936年、医学博士で考古学の研究にも大きな業績を残した父親金関丈夫の台北帝国大学教授就任に伴い、一家で台北に転居。石器採集をはじめ、父親の考古学発掘調査を手伝ううちに、その面白さに魅了された。 1945年、終戦に伴い日本に帰国。旧制松江高等学校を経て、1949年に京都大学文学部に入学。考古学専攻で梅原末治、小林行雄に師事した。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。大学院進学と共に、先輩であった坪井清足の勧めで奈良国立文化財研究所臨時筆生となり、奈良県飛鳥寺、大阪市四天王寺の発掘調査に従事。
網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 200… 小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 2009年9月1日 )は、日本の教師、考古学者。 東京に生まれる。1944年京北中学校卒業。同年、東洋大学専門部哲学科に入学。戦後、同大学史学科に転科し、和島誠一のもとで登呂遺跡の発掘調査に加わるなど、考古学を学ぶ。 1950年3月に東洋大学文学部史学科を卒業し、同年4月から1986年3月まで埼玉県立川越高等学校教諭を勤めた。同校では生徒と郷土部の活動を行い、同部の顧問として生徒の指導に当たった。教員の傍ら、水子貝塚などの発掘調査も行い、とりわけ1972年からは河越館の発掘調査にあたり、同遺跡の保存運動に取り組んだ。また、教員在職中から川越市史編纂委員や川越市文化財保護審議会委員の任にもあたり、1998年からは同審議会会長に任じられ、逝去するまで勤めた。
大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11… 大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11月22日 - )は、日本の考古学者。明治大学名誉教授。主として弥生時代と古墳時代を研究領域としている。
相沢 忠洋(あいざわ ただひろ、旧字体: 相澤 忠洋、192… 相沢 忠洋(あいざわ ただひろ、旧字体: 相澤 忠洋、1926年〈大正15年〉6月21日 - 1989年〈平成元年〉5月22日)は、日本の考古学者。東京府東京市蒲田区羽田(現在の東京都大田区羽田)出身。納豆などの行商をしながら独学で考古研究を行っていたが、1949年(昭和24年)に群馬県新田郡笠懸村(現在のみどり市、岩宿遺跡)の関東ローム層から黒曜石で作られた打製石器を発見し、それまで否定されてきた日本列島の旧石器時代の存在を証明した。 1949年(昭和24年)以前、日本における人類の歴史は縄文時代からとされており、旧石器時代の存在は否定されていた。特に火山灰が堆積した関東ローム層の年代は激しい噴火のため人間が生活できる自然環境ではなかったと考えられており直良信夫などによる旧石器の発見が報告されることはあったが、激しい批判にさらされていた。
柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 201… 柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 2011年8月17日)は、日本の考古学者。 大宮市生まれ。1947年埼玉師範学校本科卒業。1951年3月國學院大學文学部史学科を卒業。卒業論文は「武州大宮宿檢地の一考察」。中学校、高等学校の教員を経て、1956年7月、埼玉県教育局社会教育課文化財保護係に異動となり、以後、埼玉県の文化財保護行政に携わる。埼玉県庁で、文化財保護課長、埼玉県立博物館長などを歴任したのち、埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県考古学会長なども務める。2005年秋の叙勲で双光旭日章受章。
横山 浩一(よこやま こういち、大正15年(1926年)2月… 横山 浩一(よこやま こういち、大正15年(1926年)2月18日 - 平成17年(2005年)4月7日)は、日本の考古学者。九州大学名誉教授。 1926年、大阪府に生まれた。京都大学文学部で考古学を専攻し、1948年に卒業。 奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長などを務めた。1977年、九州大学教授に転じた。また、福岡市博物館館長。学界では、1992年から1996年まで、日本考古学協会会長をつとめた。
林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006… 林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006年1月1日)は、日本の考古学者。専門は中国考古学、特に青銅器・玉器を研究した。京都大学名誉教授。日本学士院会員。1995年勲三等旭日中綬章受章。 1925年、神奈川県藤沢市鵠沼に生まれた。父・林達夫は著名な思想家・評論家で、明治大学教授や平凡社『世界大百科事典』編集長を務めていた。その長男で、父を編集者・言論人として認める一方で、自身は父を越えるべく「自ら生み出す者としての学者になろうと思った」と語っていた。京都大学文学部史学科で学び、1950年に卒業。 卒業後は、父の伝手で一時期平凡社編集部に勤務。しかし1957年、京都大学人文科学研究所助手に採用された。