山本 孝治(やまもと こうじ、1885年(明治18年)6月1… 山本 孝治(やまもと こうじ、1885年(明治18年)6月18日 ‐ 1934年(昭和9年)7月27日)は日本の検察官(海軍法務官)、海軍軍属。五・一五事件を検察官として担当した。 新潟県三島郡来迎寺村(現・長岡市)に生まれる[要出典]。新潟県立長岡中学校から旧制第三高等学校に進学した。長岡中学校では山本五十六の1学年下だったという。1911年に東京帝国大学法科大学を卒業した。 1912年4月に新潟県属として出仕の後、1915年10月に高等文官試験に合格した。1917年3月に海軍省主理試補・舞鶴鎮守府軍法会議付となる。1932年2月、東京軍法会議検察官となり、五・一五事件を担当する。 五・一五事件においては、当時、政府の汚職から犯行に至った海軍将校に対する寛大な措置をもとめる世論が起こっていた。
今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治… 今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治17年)10月11日 - 1945年(昭和20年)2月22日)は、日本の検察官、内務・警察官僚、弁護士。官選滋賀県知事。 香川県丸亀市出身。今村信美の二男として出生。明治大学、日本大学の各法科を卒業。1905年11月、判事検事登用第1回試験に合格。1906年7月、司法官試補・和歌山区裁判所及同検事局事務修習となる。以後、大阪、岡山地方の各検事、山口県理事官、富山県警察部長、北海道庁警察部長、高知県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長などを歴任。1927年5月、熊本県内務部長から滋賀県知事に就任(在任期間:昭和2年5月17日~昭和3年6月29日)。
村上 常太郎(むらかみ じょうたろう、1884年〈明治17年… 村上 常太郎(むらかみ じょうたろう、1884年〈明治17年〉9月15日 - 1975年〈昭和50年〉3月)は日本の検察官、弁護士。元東京控訴院次席検事。政治家村上誠一郎の祖父。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
西村 卯(にしむら う(しげる)、明治16年(1883年)6… 西村 卯(にしむら う(しげる)、明治16年(1883年)6月27日 - 昭和46年(1971年)5月17日)は、日本の検察官、弁護士。勲二等。鳥取県士族。鳥取県米子市内町出身。 外科医中村徳吉の実兄。鳥取県士族西村佐司衛の長男 趣味は弓道、謡曲、和歌 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
田口 易之(たぐち やすゆき / えきし、1883年(明治1… 田口 易之(たぐち やすゆき / えきし、1883年(明治16年)2月24日 - 1965年(昭和40年)2月13日)は、日本の検察官、内務・警察官僚、政治家。官選大分県知事、和歌山市長。 岡山県西北条郡上田邑村(田邑村を経て現津山市上田邑)出身。田口徳一郎の二男として生まれた。1912年10月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年12月、司法官試補に任じられ静岡地方裁判所検事局事務修習となる。 1913年10月、静岡区裁判所検事代理に就任。同年7月、検事に昇格し名古屋地方裁判所検事局勤務となる。以後、富山区裁判所検事、輪島区裁判所検事、金沢区裁判所検事などを歴任。1920年6月、内務省に転じ、大阪府警視・刑事課長に就任。
南波 杢三郎(なんば もくさぶろう 1883年1月4日 - … 南波 杢三郎(なんば もくさぶろう 1883年1月4日 - 1967年12月17日)は、日本の検察官。 東京中学、三高を経て、1908年10月に東京帝国大学法学部法律学科独法科卒業。同年11月に司法官試補。石巻区裁判所・古川区裁判所各判事、前橋区裁判所検事などを経て、1916年に東京区裁判所兼東京地方裁判所検事に就任。以後、栃木県警察部長、福井県内務部長を経て、1924年12月に退官。1927年、時の内相・鈴木喜三郎により、内務省警保局長・山岡萬之助(のちの日本大学総長)とともに、警保局保安課長に任ぜられる。またこの件にて保安課長は奏任官から勅任官となる。特別高等警察の拡充、治安維持法の強化を図り、内務省の権限と影響力を強化した。
中野 並助(なかの なみすけ、1883年(明治16年) - … 中野 並助(なかの なみすけ、1883年(明治16年) - 1955年(昭和30年)5月23日)は、日本の検察官。日本の検事総長。弁護士。群馬県南甘楽郡神川村(現神流町)出身。
後藤 多喜蔵(ごとう たきぞう、1882年(明治15年)11… 後藤 多喜蔵(ごとう たきぞう、1882年(明治15年)11月15日 - 没年不詳)は、日本の検察官、裁判官、内務・警察官僚、政治家。官選県知事、門司市長、久留米市長。 福岡県出身。後藤増蔵の四男として生まれる。1910年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年8月2日、司法省に入省。司法官試補となり東京地方裁判所及同検事局並東京区裁判所及同検事局で事務修習を命じられた。 1912年12月10日、検事に任官し、予備検事・東京地方裁判所検事局兼東京区裁判所検事局詰となる。以後、東京地方裁判所兼東京区裁判所検事、大阪地方裁判所兼大阪区裁判所検事を務めた。1916年1月11日、判事となり、横浜区裁判所判事に就任。
児玉 実良(兒玉 實良、こだま さねよし、1882年(明治1… 児玉 実良(兒玉 實良、こだま さねよし、1882年(明治15年)11月5日 - 1956年(昭和31年)3月20日 )は、明治末から昭和期の裁判官、検察官、弁護士。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡樋脇郷麓(樋脇村、樋脇町を経て現薩摩川内市)で、児玉善輔の長男として生まれた。1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。司法官試補に任じられ、徳島地方裁判所判事、千葉地方裁判所判事、名古屋地方裁判所・名古屋区裁判所検事、七尾区裁判所検事、小倉区裁判所検事、高松地方裁判所・高松区裁判所検事、京都地方裁判所・京都区裁判所検事、鹿児島区裁判所検事などを歴任した。退官後は鹿児島市で弁護士を開業した。
伴野 喜四郎(ともの きしろう、1882年(明治15年)2月… 伴野 喜四郎(ともの きしろう、1882年(明治15年)2月15日 - 1953年(昭和28年)3月30日[要出典])は、日本の裁判官、検察官。 長野県南佐久郡野沢町(現在の佐久市)出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となる。東京区裁判所予備検事、水戸区裁判所検事、土浦区裁判所検事、水戸区裁判所検事、東京地方裁判所検事、甲府地方裁判所検事、台湾総督府法院覆審部長、同上告部判官、台北地方法院院長、高等法院検察官長を経て、1937年(昭和12年)からは高等法院長を務めた。
小幡 豊治(おばた とよじ、1880年1月4日 - 1961… 小幡 豊治(おばた とよじ、1880年1月4日 - 1961年7月30日)は、日本の内務官僚、検察官、弁護士。政友会系県知事。 千葉県出身。小幡締次郎の三男として生まれる。1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法省に入り、千葉地方裁判所・津地方裁判所・名古屋地方裁判所・浦和地方裁判所・東京地方裁判所などの検事を歴任。 1917年(大正6年)1月、内務省に転じ警視庁保安部長に就任。以後、愛知県・大阪府の各内務部長などを歴任。 1922年(大正11年)10月、高知県知事に就任し、郡道の県立移管問題や発電所の増設に尽力。さらに、鹿児島県知事、徳島県知事を務める。1926年(大正15年)9月28日に知事を休職。
木村 尚達(きむら しょうたつ、明治12年(1879年)5月… 木村 尚達(きむら しょうたつ、明治12年(1879年)5月27日 - 昭和22年(1947年)11月1日)は、日本の裁判官、検察官、政治家。検事総長、司法大臣、貴族院議員。 熊本県出身。東秀則の二男として生まれ、木村成苗の養子となる。中学済々黌、第五高等学校を経て、1906年7月、京都帝国大学法科大学を卒業。司法官試補となり奈良地方裁判所詰となる。 1908年4月、検事に任官し東京地方裁判所予備検事に着任。以後、岡崎区裁判所検事、千葉地方裁判所検事を歴任し、1911年4月に退職。翌月、ドイツに留学し、チュービンゲン大学、ミュンヘン大学で学んだ。 1914年に帰国し、同年4月、東京地裁判事に復帰した。
朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - … 朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - 1943年〈民国31年〉7月2日)は、中華民国の政治家・検察官・法務官僚・実業家。字は博淵。北京政府では安徽派に属し、後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。 清末に日本へ留学する。1912年(民国元年・明治45年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(ドイツ法兼修)を卒業し、併せて法学士の称号を取得した。 帰国後の1912年7月26日に北京政府で法典編纂会纂修となり、翌1913年(民国2年)8月24日には総検察庁検察官に任命された。さらに京師地方検察庁検察長署理や京師高等検察庁検察長署理も務めている。1915年(民国4年)1 月27日、中大夫の位階を授与され、上大夫銜を加えられた。
宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年〈明治11年〉… 宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年〈明治11年〉9月5日 - 1942年〈昭和17年〉6月25日)は、明治から昭和にかけての裁判官、検察官、政治家。司法大臣、貴族院議員。旧少年法および矯正院法(少年院法の前身)の成立に尽力した人物として名高い。 埼玉県出身。農業・宮城藤次郎の二男として生まれる。郁文館中学、第一高等学校を経て、1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法官試補となり千葉地方裁判所詰となる。 1908年(明治41年)4月、判事に任官し東京地方裁判所に着任。以後、八王子区裁判所予審判事、東京地裁判事を歴任。1913年(大正2年)5月、東京区裁判所検事に異動し、同年9月、司法省参事官となり法務局に勤務。
小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日… 小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日 - 1967年(昭和42年)9月8日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。岡田内閣、阿部内閣、第5次吉田内閣で司法大臣・法務大臣などの閣僚を務める。新潟県長岡市出身。 新潟県古志郡長岡弓町(長岡本町、長岡町を経て現:長岡市)に、旧長岡藩士田中敬次郎の三男として生まれる。その後、長岡裁判所検事・元会津藩士小原朝忠の養子となり「小原」姓を名乗る。新潟県第七中学区公立第一番小学校(現:長岡市立阪之上小学校)、旧制:新潟県立長岡中学校(現:新潟県立長岡高等学校)から、麹町区永田町の橋本圭三郎宅の書生となり共立学校四年級に編入。旧制第一高等学校では松平恒雄(宮内大臣、初代参議院議長)、長島隆二(大蔵省理財局長心得、政友会代議士、桂太郎総理の娘婿)らと同級であった。
飯尾 藤次郎(いいお とうじろう、1875年(明治8年)2月… 飯尾 藤次郎(いいお とうじろう、1875年(明治8年)2月27日 - 1943年(昭和18年)9月9日)は、日本の検察官、内務・警察官僚。政友会系官選県知事。 愛媛県出身。飯尾東平の三男として生まれた。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。司法省に入省。岐阜地方兼同区裁判所検事を務めた。 1907年8月28日、内務省に転じ大阪府警視に就任。以後、高知県事務官・警察部長、新潟県事務官・警察部長、富山県内務部長、宮城県内務部長、熊本県内務部長、平安北道知事、黄海道知事などを歴任。 1927年5月7日、沖縄県知事に就任。経済の振興、中等教育の振興、政友会の党勢拡張に尽力。1928年12月26日、岩手県に転任。
青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 … 青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 - 1930年(昭和5年)10月12日)は、明治期の検察官、弁護士、法学者。 岐阜県生まれ。岐阜中学校を中退し、1891年(明治24年)慶應義塾に入学。1897年(明治30年)に慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ。1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた。1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。
光行 次郎(みつゆき じろう、明治6年(1873年)1月20… 光行 次郎(みつゆき じろう、明治6年(1873年)1月20日 - 昭和20年(1945年)8月6日)は、日本の検察官、政治家。検事総長、貴族院議員。 佐賀県出身。1902年、東京帝国大学法学部英法科を卒業し司法省に入る。司法省人事局長、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長等を歴任し、1935年検事総長となる。1936年に(佐賀人が複数関与した)二・二六事件が起こった日に登庁せずに待合「梅乃井」に身を潜めたことについて東京区検・地検検事が検事総長弾劾に立ち上がり、少壮検事約50人が総長辞職を求める連判状が取りまとめられた。この影響もあり同年12月に退官した。 1939年貴族院議員。 1945年死去。
田中 昌太郎(たなか しょうたろう、1872年11月20日(… 田中 昌太郎(たなか しょうたろう、1872年11月20日(明治5年10月20日) - 1964年2月25日)は、日本の法曹(検察官、弁護士)。立命館大学元学長。立命館中学校父兄会会長。京都府船井郡園部村(のち園部町、現・南丹市)生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木村 英俊(きむら ひでとし、1872年10月17日(明治5… 木村 英俊(きむら ひでとし、1872年10月17日(明治5年9月15日) - 1940年(昭和15年)10月1日)は、日本の検察官、宮内・台湾総督府官僚。高雄州知事、官選函館市長。 福島県出身。木村宗順の長男として生まれる。1899年7月10日、東京帝国大学法科大学を卒業。同年7月29日、司法官試補となり検事代理として神戸区裁判所詰を命ぜられた。 以後、神戸地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、徳島地方裁判所検事を歴任。1914年7月、宮内省に転じ同事務官に就任。以後、調度寮勤務、大礼準備委員、大礼使事務官、調度部勤務、大礼記録編纂委員会委員、久邇宮附、帝室林野管理局事務官などを務めた。 1923年6月、台湾総督府に転じ参事官に就任し、同年8月13日、同府税関長に任じられた。
後藤 祐明(ごとう ひろあき / すけあき、1872年8月4… 後藤 祐明(ごとう ひろあき / すけあき、1872年8月4日(明治5年7月1日) - 1940年(昭和15年)2月26日)は、日本の検察官、台湾総督府・内務官僚。官選県知事、公証人。 佐賀県出身。後藤保明の長男として生まれた。1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法官試補となり、千葉地方裁判所検事局に配属された。 以後、千葉区裁判所検事局、長野区裁判所検事局で勤務。1909年9月、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事に就任。1910年2月、台湾総督府に転じ警視となる。以後、民政部蕃務本署勤務、理蕃課長、保安課長、司獄官練習所教官などを歴任。1917年5月、島根県警察部長に転じた。
堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治… 堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治元年11月1日) - 1935年(昭和10年)8月18日)は、日本の裁判官、検察官、内務官僚、実業家。官選岩手県知事。位階および勲等は従四位・勲四等。 常陸国、後の茨城県真壁郡上野村(現筑西市)出身。堤恵次郎の長男として生まれる。1892年、帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。 以後、東京区裁判所判事、東京地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、宮城控訴院検事、函館地方裁判所検事正、熊本県事務官・警察部長、香川県事務官・内務部長などを歴任。 1913年3月、岩手県知事に就任。1914年6月、知事を休職となる。その後、実業界に転じ、安田保善社理事、五十銀行頭取などを務めた。
手島 兵次郎(てしま へいじろう、1868年10月22日(明… 手島 兵次郎(てしま へいじろう、1868年10月22日(明治元年9月7日) - 1918年(大正7年))は、日本の検察官、官僚。台湾総督府法務部長、覆審法院検察官長を歴任した。また台湾法制起草委員なども務め、台湾の法制度整備に尽くした。
大芝 惣吉(おおしば そうきち、1868年6月23日(慶応4… 大芝 惣吉(おおしば そうきち、1868年6月23日(慶応4年5月4日)- 1925年(大正14年)10月7日)は、日本の内務官僚、検察官、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。 甲斐国巨摩郡村山西割村(現・山梨県北杜市)で大芝治貫の長男として生まれる。1890年、和仏法律学校(現・法政大学)を卒業。代言人試験に合格。1894年、弘前区裁判所判事に任官。以後、盛岡・秋田・大津・八王子の各区裁判所検事などを歴任。 以後、佐賀県事務官・警察部長、富山県事務官・警察部長、福島県警察部長、同内務部長などを務める。1913年6月、群馬県知事に就任し、1914年4月まで在任。1915年3月、第12回衆議院議員総選挙で福島県郡部区に立憲政友会から出馬し当選。
阪本 三郎(さかもと さぶろう、1867年11月11日(慶応… 阪本 三郎(さかもと さぶろう、1867年11月11日(慶応3年10月16日) - 1931年(昭和6年)4月14日)は、日本の検察官、裁判官、内務官僚、教育者。憲政会系官選県知事、早稲田専門学校長。「坂本」と表記される場合がある。樋口一葉の婚約者(旧姓・渋谷)であったことで知られる。 武蔵国南多摩郡原町田村(後の町田村、現町田市)で旅籠武蔵屋を営む渋谷徳治郎の二男として生まれ、1892年8月、阪本タカの養子となる。祖父・真下専之丞(晩菘)の融貫塾、近在の小野路にある小島韶斎塾、藤沢の耕余塾で学ぶ。1888年7月、東京専門学校法学部を卒業。1890年12月、文官高等試験に合格。1891年1月22日、司法官試補に任じられ新潟地方裁判所詰となる。
山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3… 山香 二郎吉(やまが じろきち、1867年3月31日(慶応3年2月26日)- 1936年(昭和11年)1月21日)は、日本の裁判官、検察官。大審院(現最高裁判所)判事などを務めた。
勝本 勘三郎(かつもと かんざぶろう、1867年1月17日(… 勝本 勘三郎(かつもと かんざぶろう、1867年1月17日(慶応2年12月12日) - 1923年(大正12年)12月17日)は、日本の法学者(刑法)・検察官・弁護士。京都帝国大学などを歴任。財団法人立命館初代協議員。 フランス刑法が通説的地位を支配していた旧刑法時代に、ドイツにおける旧派と新派の学派争いを日本に紹介した人物であり、基本的立場は、新派刑法理論に立つが、その犯罪理論は、不能犯において客観説をとるなどむしろ主観主義的色彩の薄いものであった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
仲小路 廉(なかしょうじ れん、1866年8月12日〈慶応2… 仲小路 廉(なかしょうじ れん、1866年8月12日〈慶応2年7月3日〉- 1924年〈大正13年〉1月17日)は、日本の検察官、司法・逓信・内務官僚、貴族院勅選議員、枢密顧問官。旧名・喜久三。号は靄軒。 周防国徳山藩下士・仲小路休量の二男として生まれる。大阪府立中学を経て、府立開成学校卒業後、1887年(明治20年)に高等文官試験司法科の前身である判事検事登用試験に合格。そののち東京控訴院検事兼司法省参事官などを経て、行政裁判所評定官を務めた。こののち逓信省に転じて大臣官房長を務め、内務省に出向して土木局長、警保局長を歴任した後、1910年(明治43年)には逓信次官となり官僚としての頂点を極めた。
佐藤 友熊(さとう ともくま、1866年1月10日(慶応元年… 佐藤 友熊(さとう ともくま、1866年1月10日(慶応元年11月24日)- 1923年(大正12年)9月1日)は、明治から大正期の検察官、警察官僚。関東都督府警視総長、札幌区長。夏目漱石の友人。 薩摩国給黎郡喜入郷前之浜村(現鹿児島県鹿児島市喜入前之浜町)で、神官・佐藤彦松、比佐夫妻の長男として生まれる。1883年頃に上京し、東京大学予備門受験準備のため成立学舎に入り英語を学び、夏目漱石と交流。牛乳配達、新聞配達などをしながら学費を稼いだ。1884年9月、東京大学予備門予科に入学し、「成立学舎」の出身者らを中心に夏目漱石、中川小十郎、太田達人、中村是公、橋本左五郎らとともに「十人会」を組織した。
尾立 維孝(おだて これたか、1860年1月8日(安政6年1… 尾立 維孝(おだて これたか、1860年1月8日(安政6年12月26日)- 1927年(昭和2年)6月21日)は、明治期の検察官。錦鶏間祗候。 豊前国宇佐郡津房村(現在の大分県宇佐市)出身。中津の白石照山塾で学んだ。広島師範学校、二松學舍を経て、1883年(明治16年)に司法省法学校を卒業。東京地方裁判所判事補、大阪地方裁判所検事、東京地方裁判所検事、宮崎地方裁判所検事正、宇都宮地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正を歴任。1899年(明治32年)に台湾総督府法院覆審法院検察官長に転じた。1910年(明治43年)に退官し、1912年(大正元年)11月18日に錦鶏間祗候となった。 退官後は二松學舍理事を務めた。
安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7… 安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7年1月1日)- 1924年(大正13年)7月30日)は、日本の検察官・官僚・政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員、横浜市長、京都市長。 土佐藩士・安藤常三郎の長男として安芸郡羽根村(現室戸市)に生まれる。1873年に上京し、ニコライ塾に入り、その後、東京外国語学校に移りロシア語を学んだ。中江兆民からフランス語も学んだ。 1876年4月、勝海舟の推薦で外務省に出仕し、ロシア帝国サハリンのコルサコフ領事館書記一等見習となる。1878年、サンクトペテルブルク公使館書記生となり、サンクトペテルブルク大学で法学、行政法などを履修した。1882年から同大学の日本語教官となった。
高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、185… 高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、1854年(安政1年)- 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の武士、検察官。会津藩藩士として戊辰戦争を、別働第二旅団の一員として西南戦争を戦った。姉の高木時尾は照姫附き祐筆で、元新撰組副長助勤斎藤一(藤田五郎)に嫁ぐ。福島県立会津高等学校の創立功労者の一人である。 会津藩高士、家禄300石の高木家に生まれる。高木家は藩大目付を務める家柄であった。会津戦争の当初は伝令を務め、松平容保、定敬兄弟が出陣していた滝沢本陣に危急を報告した。その後年少者で組織された護衛隊に属して篭城戦を戦った。藩降伏後は猪苗代で謹慎生活を送る。この際軍事方水島純の命で同年輩の山川健次郎、赤羽四郎、柴四朗ら五人で謹慎所を脱出し、若松で土佐藩の伴中吉に主君容保、喜徳父子への寛大な措置を嘆願した。
北条 元利(きたじょう もととし、1849年9月21日(嘉永… 北条 元利(きたじょう もととし、1849年9月21日(嘉永2年8月5日)- 1905年(明治38年)7月26日)は、幕末の米沢藩士、明治期の裁判官・検察官。官選岩手県知事。位階は従四位、勲等は勲三等。旧名・河村徳次。 出羽国置賜郡米沢館山口町(現:山形県米沢市)で米沢藩士・河村徳友の二男として生まれ、万延元年(1860年)北条源四郎と「はる」の養子となる。戊辰戦争では、振勇隊士官として板谷峠防禦陣地の構築に従事した。 明治4年(1871年)上京して築地の明治協會学院に入学しドイツ語を学ぶ。明治政府に出仕し、明治5年4月4日(1872年5月10日)東京府権区長に就任。その後、警視庁で権中警部などを務めた。
武内 維積(たけうち いせき、1846年3月22日(弘化3年… 武内 維積(たけうち いせき、1846年3月22日(弘化3年2月25日)- 1903年(明治36年)11月7日)は、明治期の日本の検察官、内務官僚。官選佐賀県知事。位階および勲等は従四位・勲四等。幼名は検一郎。 播磨国揖西郡龍野(現兵庫県たつの市)出身。武内宇三郎の二男として生まれる。林田藩儒・河野鉄兜に学んだ。 1883年12月27日、検事に任官。その後、内務省に転じ、内務権少書記官、大阪府少書記官、同書記官、大分県書記官、愛媛県書記官、宮城県書記官などを歴任。1892年2月、第2回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区から出馬するが落選。 1897年4月、第2次松方内閣により佐賀県知事に任じられた。
堺 徹 は、日本の検察官。最高裁判所判事。
宍戸 充(ししど みつる)は、日本の弁護士、元検察官、元裁判… 宍戸 充(ししど みつる)は、日本の弁護士、元検察官、元裁判官。横浜国立大学卒業。元日本大学大学院法務研究科教授、元西村あさひ法律事務所顧問(カウンセル)。知的財産法を専門とする。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚… 開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚・元検察官。 北海道帯広市生まれ。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。北海道帯広三条高等学校在学中は軟式テニス部に所属。帯広三条高校卒業後、働きながら通信教育で学び司法試験に合格した苦労人。さいたま地方検察庁公判部検事だった2002年(平成14年)、刑事事件での論告中に涙を流したこともある。退官後、LEC大学教授に就任。その後退任。
上野 勝(うえの まさる)は、日本の検察官、弁護士。東京高等… 上野 勝(うえの まさる)は、日本の検察官、弁護士。東京高等検察庁公判部長を最後に退官し、上野法律事務所を設立して弁護士に転じた。 秋田県南秋田郡土崎港町出身。1948年旧制秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)卒業。1960年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。指導教官吉永榮助。1962年東京地方検察庁検事任官。日本航空123便墜落事故などを手掛け、前橋地方検察庁次席検事、静岡地方検察庁次席検事、東京高等検察庁公判部長を経て、1993年退官し、弁護士登録して新宿区に上野法律事務所を設立。2001年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護… 井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護士。東京地方検察庁特捜部長や、最高検察庁刑事部長、横浜地方検察庁検事正、中央大学大学院法務研究科客員教授、日本公証人連合会理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1968年千葉県立長生高等学校卒業。1973年中央大学法学部法律学科卒業。1978年検察官任官、東京地方検察庁検事。東京地方検察庁検事、札幌地方検察庁検事等を経て、1985年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。1986年福岡地方検察庁検事(公安部、刑事部)。1989年千葉地方検察庁検事(公安部、刑事部)。 1992年東京地方検察庁特別捜査部財政経済班検事。1993年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。
林谷 浩二(はやしだに こうじ)は日本の元検察官。大阪地方検… 林谷 浩二(はやしだに こうじ)は日本の元検察官。大阪地方検察庁特別捜査部勤務の際、障害者郵便制度悪用事件の捜査において、容疑者であった村木厚子の関係者の取り調べメモを破棄したとして、國井弘樹、遠藤裕介及び関係する上司等らとともに、三井環から偽証及び証拠隠滅の罪で告発されたが、不起訴となった。その後、東京地方検察庁兼法務省矯正局、東京地方検察庁立川支部を経て、2013年9月10日付けで、検察官を辞職し、弁護士に転身した。 広島県広島市出身。1991年広島城北中学校卒業、1994年広島城北高等学校卒業、1997年司法試験合格、1999年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。大阪地方検察庁検事を経て、2010年4月1日東京地方検察庁検事兼法務省矯正局付法務事務官、2013年7月10日法務事務官併任解除、東京地方検察庁立川支部検事、2013年9月10日付辞職。
北川 信従 は、日本の検察官、政治家。長崎市長、官選県知事。… 北川 信従 は、日本の検察官、政治家。長崎市長、官選県知事。旧名・熊弥。俳号・烏山。
古賀 栄美 (こが えみ) は、日本の検察官。 富山県高岡市… 古賀 栄美 (こが えみ) は、日本の検察官。 富山県高岡市出身。京都大学法学部を卒業後、1993年に検事任官。 金沢地方検察庁次席検事、京都地方検察庁特別刑事部長、大阪地方検察庁総務部長、大阪高等検察庁総務部長、大阪地方検察庁堺支部長、最高検察庁検事、鹿児島地方検察庁検事正を経て、2024年熊本地方検察庁検事正、2025年退官。
佐藤 淳 (さとう あつし) は、日本の検察官。 1992(… 佐藤 淳 (さとう あつし) は、日本の検察官。 1992(平4)年 上智大学法学部卒 1994年 検事任官 東京地検検事 1995年 前橋地検検事 1997年 名古屋地検検事 2000年 東京地検検事 2008年 横浜地検検事 2010年 (併)法務省大臣官房秘書課付 2010年 (併)法務大臣秘書官事務取扱(〜2011年9月) 2010年 法務省矯正局参事官 2011年 東京地検検事 (併) 法務省大臣官房付 2011年4月 法務省刑事局参事官 2012年9月 東京地検検事 2015年4月 東京高検検事 2016年4月 法務省刑事局公安課長 2017年1月 法務省刑事局刑事課長 2017年7月 法務省大臣官房施設課長 2019年4月 出入国在留管理庁審議官(総合調整担当) 2022年1月 富山地検検事正 2023年1月 法務省官房長 2025年7月 法務省刑事局長 宮城県出身。
佐賀 元明(さが もとあき)は、日本の元検察官。 大阪地方検… 佐賀 元明(さが もとあき)は、日本の元検察官。 大阪地方検察庁特別捜査部副部長、神戸地方検察庁特別刑事部長等を歴任していたが、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件において、大阪地検特捜部当時の上司であった元部長・大坪弘道及び部下であった元検事・前田恒彦とともに逮捕・起訴され、1審、2審ともに有罪判決を言い渡された。また、法務大臣からは懲戒免職の処分を受けた。 専修大学卒業後、1986年、旧司法試験に合格し、司法修習を経て、1989年に検事任官。同期には、元東京地検検事・落合洋司等がいた。検事任官後も、母校専修大学の後輩の司法試験勉強のため、辰巳法律研究所の指導を斡旋していた。 奈良県立医科大学の医師派遣をめぐる汚職事件で贈収賄罪で教授らが有罪となった裁判で、主任検事を務め、検察での名を高めた。
宮地 佐都季 (みやじ さつき) は、日本の検察官。 兵庫県… 宮地 佐都季 (みやじ さつき) は、日本の検察官。 兵庫県神戸市出身。創価大学法学部卒業後、1995年検事任官。 鳥取地方検察庁次席検事、京都地方検察庁公判部長、大阪地方検察庁刑事部長、大阪高等検察庁刑事部長等を経て、2022年女性初となる和歌山地方検察庁検事正に就任し 、犯罪被害者支援等を行った。 2023年最高検察庁検事。2025年辞職。
長谷川充弘(はせがわみつひろ)は、日本の検察官。2016年か… 長谷川充弘(はせがわみつひろ)は、日本の検察官。2016年から証券取引等監視委員会委員長(2019年再任、2022年退任) 。
丸山 嘉代(まるやま かよ)は、日本の検察官。 東京大学法学… 丸山 嘉代(まるやま かよ)は、日本の検察官。 東京大学法学部を卒業後、1997年検察官任官。 東京高等検察庁検事 兼 東京地方検察庁検事、横浜地方検察庁検事、法務省大臣官房司法法制課長、同秘書課長、司法研修所上席教官、東京高等検察庁公判部長等を経て、2025年山口地方検察庁検事正、2026年宇都宮地方検察庁検事正。
森本 加奈 (もりもと かな) は、日本の検察官。大津地方検… 森本 加奈 (もりもと かな) は、日本の検察官。大津地方検察庁検事正、最高検察庁検事、内閣府独立公文書管理監、最高検公判部長等を経て、法務総合研究所所長。 神奈川県出身。東京大学法学部を卒業後、1992年検事任官し、東京地方検察庁検事、東京地方裁判所判事補、司法研修所教官、国税庁国税不服審判所国税審判官、2014年東京高等検察庁検事 兼 法務省人権擁護局総務課長、2016年東京高検検事兼国税庁東京国税不服審判所長 (首席国税審判官) を歴任。 2019年最高検察庁検事、2021年大津地方検察庁検事正、2022年最高検検事 兼 内閣府独立公文書管理監 兼 情報保全監察室長 兼 公文書監察室長、2024年最高検公判部長、同年法務総合研究所所長。
山﨑 耕史(やまさき こうし)は、日本の検察官。長野地方検察… 山﨑 耕史(やまさき こうし)は、日本の検察官。長野地方検察庁検事正、最高検察庁検事などを経て、神戸地方検察庁検事正。 福岡県出身。1983年福岡県立修猷館高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。 1993年に任官。2018年4月仙台地方検察庁次席検事、2019年4月法務総合研究所総務企画部長、2020年9月青森地方検察庁検事正、2021年11月仙台高等検察庁次席検事、2023年4月長野地方検察庁検事正、2024年4月最高検察庁検事などを経て、2024年7月神戸地方検察庁検事正に就任。
伊藤 文規(いとう ふみのり)は、日本の検察官。東京地方検察… 伊藤 文規(いとう ふみのり)は、日本の検察官。東京地方検察庁特別公判部長、同庁特別捜査部長を経て、松山地方検察庁検事正。 愛知県出身で、1994年に旧司法試験第2次試験合格。名古屋大学法学部卒業後、1997年司法修習修了、検察官任官、高松地方検察庁検事。 1998年4月、那覇地方検察庁検事。2000年4月、東京地方検察庁検事。2006年4月、法務省法務総合研究所国際協力部教官(法務教官)、大阪地方検察庁検事、ベトナム民法改正共同研究会委員、ベトナム民事訴訟法改正共同研究会委員、法曹養成共同研究会委員、判決書・判例整備共同研究会委員。 2010年4月1日、ベトナム司法省(英語版)、ベトナム最高人民検察院(英語版)、ベトナム最高人民裁判所(英語版)派遣(ハノイ)、東京地方検察庁検事。