吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25… 吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25日 - 1987年(昭和62年)9月17日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員、陸軍司政長官。 福岡県出身。吉松民次郎、友子の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、鉄道省に入省して直方駅助役に就任。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大臣官房文書課勤務、大鉄運輸課旅客掛長、大阪運輸事務所長、広鉄庶務課長、運輸局配車課長、鉄道調査部第一課長、札幌鉄道局長、東京鉄道局長などを務め、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政長官に発令された。1945年(昭和20年)に退官した。
湯河元威(ゆかわ もとたけ、1897年5月18日 - 195… 湯河元威(ゆかわ もとたけ、1897年5月18日 - 1958年8月8日)は、日本の農商務官僚、教育者である。
辻山 治平(つじやま じへい、1897年5月16日 - 19… 辻山 治平(つじやま じへい、1897年5月16日 - 1974年7月29日)は、日本の内務官僚。官選県知事、茨城県教育委員長。 岩手県胆沢郡水沢町(現在の奥州市)出身。盛岡中学、第一高等学校を経て、1922年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年、内務省に入り福岡県属となる。 以後、福岡県朝倉郡長、同県糟屋郡長、同県社寺兵事課長、栃木県書記官・経済部長、山形県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、神奈川書記官・警察部長などを歴任。 1941年5月、徳島県知事に就任。1942年10月、茨城県知事に転じた。1943年7月、茨城県知事を退任。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日… 柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日 - 1991年(平成3年)12月29日)は、日本の鉄道・内務官僚、弁護士。官選鹿児島県知事。 愛知県出身。柴山重幸の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。鉄道省に入り鉄道局副参事となる。1924年、内務省に転じ復興局勤務となる。 以後、宮崎県事務官、埼玉県事務官、新潟県書記官・学務部長、茨城県書記官・経済部長、徳島県書記官・警察部長、山梨県書記官・総務部長、神奈川県書記官・総務部長、内務省勅任監査官などを歴任。 1943年4月、鹿児島県知事に就任。
宇都宮 孝平(うつのみや こうへい、1897年(明治30年)… 宇都宮 孝平(うつのみや こうへい、1897年(明治30年)5月6日 - 1988年(昭和63年)5月18日)は、日本の内務官僚、政治家。青森県知事、松山市長を歴任した。 1897年5月6日、愛媛県喜多郡内子町に生まれる。1917年、旧制松山中学(のち愛媛県立松山東高等学校)を卒業。1920年に旧制第七高等学校を卒業後、東京帝国大学法学部に入学する。 1923年に東京帝国大学を卒業すると内務省へ就職し、内閣東北局長などとして東北地方の地域開発に尽力した。第二次世界大戦(太平洋戦争)下の1943年には 官選で青森県知事に着任するが、翌1944年8月1日に依願免本官となり退官。戦後、公職追放を受けたため松山に戻り、井関農機株式会社顧問となった。
砥上 坦(とがみ ひろし、1897年(明治30年)5月2日 … 砥上 坦(とがみ ひろし、1897年(明治30年)5月2日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。 福岡県山門郡に生まれる。1925年(大正14年)3月、日本大学専門部政治科を卒業し、福岡県社会部に勤務。 1929年(昭和4年)6月、拓務局に転じ、1939年(昭和14年)拓務理事官に進み、拓務局南洋課勤務を発令される。1941年(昭和16年)1月、台湾総督府地方理事官に進み、高雄州屏東郡守に就任した。
伊藤 完二(いとう かんじ、1897年〈明治30年〉4月16… 伊藤 完二(いとう かんじ、1897年〈明治30年〉4月16日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。屏東市尹。 伊藤和一郎の次男として大分県速見郡杵築町(現:杵築市)に生まれる。1925年(大正14年)京都帝国大学法科大学を卒業し、翌年6月、台湾総督府に出仕する。同府法務課課員、秘書課課員を経て、1928年(昭和3年)9月に高雄州警務課長に就任。 ついで、台湾警察官司、同獄司、練習所主席教官を経て、1931年(昭和6年)5月に地方理事官に進み、台北州に赴任する。同州内務部地方課長兼官房文書課長を経て、1932年(昭和7年)4月に新竹州新竹郡守に転じ、翌年の1933年(昭和8年)12月、屏東市尹に就任した。
横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月… 横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月12日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の内務官僚・弁護士。内閣情報部長、官選県知事。 神奈川県出身。商業・横溝豊吉の四男として生まれる。横浜一中、第一高等学校を経て、1921年6月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年2月、内務省に入り、東京府属として内務部庶務課に配属された。 1923年2月、広島県警視・警察部警務課長に就任。以後、同警察部保安課長、福岡県警察部特別高等警察課長、復興局長官官房計画課勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、内閣書記官、内閣官房総務課長、兼法制局参事官、兼内閣調査局調査官、情報委員会事務官、内閣情報部長などを歴任。
高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月… 高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月12日 – 1949年(昭和24年)12月25日)は、大正から昭和前期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 山口県玖珂郡麻里布村(麻里布町を経て現岩国市)で、高橋亀助の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に任官され東京鉄道局庶務課に配属された。1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格。以後、国府津駅助役、鉄道局副参事・水戸運輸事務所営業主任、新橋運輸事務所営業主任、千葉運輸事務所長、東京鉄道局運輸課庶務掛長、同局運輸課旅客掛長などを経て鉄道省運輸局自動車課長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。
永田 年(ながた すすむ、1897年(明治30年)4月5日 … 永田 年(ながた すすむ、1897年(明治30年)4月5日 - 1981年(昭和56年)12月31日)は、昭和時代の土木工学者、台湾総督府官僚、内務官僚、実業家。 福岡県出身。1922年(大正11年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業。台湾総督府、内務省土木局、満州国交通部を経て、電力界へ転じ東北振興電力および日本発送電にて勤務する。1951年(昭和26年)北海道電力副社長、1952年(昭和27年)電源開発理事を経て、1953年(昭和28年)佐久間発電所建設所長を兼務する。ついで、1957年(昭和32年)土木部長、1960年(昭和35年)電源開発顧問を経て、東京電力技術最高顧問に就任した。 ほか、国際大ダム会議副総裁、日本大ダム会議会長、日本ACI会長などの要職を歴任した。
長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月 … 長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月 - 1977年(昭和52年)6月13日)は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。 京都府出身。長谷川吟之助の二男として生まれる。第三高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。農商務省に入り工務局属となる。その後、内務省に転じた。 以後、福井県理事官、愛媛県理事官、内務省社会局事務官兼内務事務官、同社会局書記官・社会部職業課長、同大臣官房文書課長などを経て、1937年6月、大阪府書記官・総務部長に就任。 1939年9月、宮崎県知事に就任。1941年1月に退官し、大日本産業報国会労務局長に就任。
大野 謙一(おおの けんいち、1897年(明治30年)4月 … 大野 謙一(おおの けんいち、1897年(明治30年)4月 - 1968年〈昭和43年〉5月2日)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡北道知事。朝鮮総督府学務局長。 大野謙弼の長男として山口県大島郡蒲野村(大島町を経て現周防大島町)に生まれ、1901年(明治34年)家督を相続した。1897年(明治45年)高等小学校を卒業。1921年(大正10年)高等試験に合格し、朝鮮総督府に奉職する。江原道学務課長、江原道地方課長、平安南道地方課長、朝鮮総督府殖産局水利課長、黄海道財務部長、忠清北道警察部長、慶尚北道警察部長、朝鮮総督府学務局学務課長、慶尚南道内務部長、朝鮮総督府北京出張所長、朝鮮総督官房外務部長を経て、咸鏡北道知事に就任した。
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 19… 坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)。農林大臣(第35代)。自民党佐藤派所属。 石川県加賀市生まれ。第四高等学校を経て、1920年、東京帝国大学農学部卒業後、農商務省入省。1938年、農林省特産課長(1946年まで)。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補し初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・岡崎勝男・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
井田 完二(いだ かんじ、1897年〈明治30年〉3月23日… 井田 完二(いだ かんじ、1897年〈明治30年〉3月23日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の内務官僚。従六位。井田特許事務所長。 福井県遠敷郡雲浜村(現:小浜市)生まれ。井田謙治の二男。日本加除出版取締役・井田勝久(井田耕治)の弟。1922年、高等試験行政科に合格する。1923年、京都帝国大学法学部独法科を卒業する。 内務省に入り、石川県警視、地方事務官、奈良、埼玉、愛媛、広島各県勤務。本省地方局地方債課長、財務課長、宮城、広島各県警察部長を歴任。1934年3月18日から1935年1月19日まで広島市長職務管掌。1945年に住宅営団理事となり、大阪支所長を兼ね、1949年に大阪府立大学学生部長となり、後に退職、京都市内に特許事務所を開く。
重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 19… 重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家。元衆議院議員。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。 広島県深安郡神辺町(現福山市)に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。小磯内閣の農商次官、農業報国会理事、東久邇宮内閣の農林次官を歴任、商工省の岸信介とともに官僚の双璧と言われた。戦後は占領軍に公職追放された。1948年9月10日には昭和電工疑獄事件で嫌疑がかけられ逮捕され、一部無罪となるものの懲役1年・執行猶予1年が確定した。
明知 延佳(あけち のぶよし、1897年〈明治30年〉3月1… 明知 延佳(あけち のぶよし、1897年〈明治30年〉3月10日 - 1979年〈昭和54年〉11月16日)は、昭和時代前期の内務官僚、台湾総督府官僚。旧名は俊雄。 東京市蒲田区萩中(現・大田区萩中)に生まれる。荏原中学校、国勢院統計講習所を経て、1922年(大正11年)4月、中央大学法律科正科を卒業する。社会局、復興局、社会局保健部管理課を経て、1931年(昭和6年)7月、地方理事官に進み、福島県、三重県と転々とする。ついで1935年(昭和10年)4月、沖縄県宮古支庁長に就任した。 のち渡台し、1939年(昭和14年)4月、台湾総督府地方理事官に任ぜられ、台中州竹山郡守となり、ついで台東庁総務課長を経て、1942年(昭和17年)4月、宜蘭市長に就任した。
川嶋 孝彦(かわしま たかひこ、1897年〈明治30年〉2月… 川嶋 孝彦(かわしま たかひこ、1897年〈明治30年〉2月23日 - 1958年〈昭和33年〉2月23日)は、日本の官僚。内閣統計局長。位階勲等は従三位勲二等旭日重光章。 太平洋戦争前から戦中にかけて政府上層部に統計制度の刷新を建議した。戦後の1945年11月には人口調査を実施するほか、統計制度改革案を政府および連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に提出し、戦後の統計制度改革の端緒を開いた。 1897年(明治30年)2月23日、当時富山県師範学校訓導であった父・川嶋庄一郎と母・志まの長男として富山市に生まれる。本籍地は和歌山市。 旧制佐賀中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に進み、在学中の1922年(大正11年)に文官高等試験に合格。
水田 直昌(みずた なおまさ、1897年(明治30年)2月1… 水田 直昌(みずた なおまさ、1897年(明治30年)2月14日 - 1985年)は、大正から昭和にかけての大蔵・朝鮮総督府官僚。 愛知県愛知郡鳴海町で水田直温の長男として生まれ、1921年に東京帝国大学卒業。大蔵省に入り、理財局に勤めたのち、1922年7月司税官に任じられて福岡税務署長、大阪南税務署長を歴任した。これまでに、高等文官試験行政科に合格している。1925年、朝鮮総督府に移って朝鮮総督府事務官に任じられた。1928年4月に朝鮮総督府財務局司計課長、1937年10月30日に朝鮮総督府財務局長に就任。1945年9月の日本による朝鮮統治終了まで務めた。 敗戦直後から、京城にあった日本資本の民間銀行で日本人預金者による取り付け騒ぎが発生したが、8月16日から月末までに朝鮮書籍株式会社の印刷工場で千円札高額紙幣70億円分、近澤印刷株式会社で百円札紙幣21億円分の朝鮮銀行券を発行し、また同月17日には「朝鮮内通帳を日本にもっていけば、毎月500円の限度内で預金を引き出すことができ、日本に本店がある銀行の送金小切手は日本でも有効」とする談話を発表することで、金融モラトリアム発生に備えた。
平山 孝(ひらやま たかし、1897年2月6日 - 1979… 平山 孝(ひらやま たかし、1897年2月6日 - 1979年7月8日)は、日本の鉄道官僚。東京急行電鉄社長。 東京府出身。1920年高等文官試験に合格。翌年東京帝国大学法学部独法科を卒業する。卒業後は鉄道省に入り、欧米に出張、帰国後は仙台鉄道局経理、庶務の各課長、鉄道書記官、監督局業務課長、鉄道大臣書記官、文書課長、名古屋鉄道局長、東京鉄道局長、鉄道局経理局長を経て、1945年東京急行電鉄社長に就任する。同年、運輸次官となる。運輸次官は1947年まで務め、その後は「東京急行社長」のため公職追放となった。 追放解除後は交通道徳協会会長に就任した。戦後は観光事業に注力して、1951年(昭和26年)6月に株式会社国際観光会館を設立、1954年(昭和29年)に東京駅八重洲口に「国際観光会館」を建設した。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月… 山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月8日 - 1973年(昭和48年)12月26日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選山形県知事、陸軍司政長官、初代勝山市長。 福井県大野郡荒土村(現:勝山市荒土町境)で、山内喜一郎の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し青森県属となる。 1923年、警視庁警視となる。以後、板橋警察署長、大塚警察署長、本富士警察署長、警視庁監察官、台湾総督府事務官、青森県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任。
松田 享爾(まつだ きょうじ、1897年(明治30年)- 1… 松田 享爾(まつだ きょうじ、1897年(明治30年)- 1927年(昭和2年)3月)は日本の内務官僚でありキリスト教伝道者。内村鑑三に影響を受け、その配下である黒崎幸吉に師事した。岡山県真庭市出身。 1897年(明治30年)岡山県真庭郡美川村(現:真庭市)に生まれる。兄に松田壽比古がいる。地元に近い旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学する。同期に、明治大学学長を務めた小出廉二、東京帝国大学教授で経済学の宇野学派を率いた宇野弘蔵、第一次日本共産党の西雅雄、関西大学法学部教授になる高木益郎がいた。彼らはお互いに、影響を与えあった。特に、社会評論誌『第三帝国』を定期購読し、校内で宇野と熱心に政治論を戦わせた。
根岸 情治(ねぎし じょうじ、1897年 - 1971年)は… 根岸 情治(ねぎし じょうじ、1897年 - 1971年)は、日本の内務官僚、都市計画家。著述業。東京都出身。都市工学者・石川栄耀の事務方として長年多くの都市計画に携わり、根岸自身は区画整理実務家と称した。 青森県尻内で滋賀県出身の鉄道技師の子として生まれたが、実父の同僚だった根岸鉄三郎に養子に出され、東京に転居。石川栄耀は養父の甥に当たり、東京目白では隣家同士。目白中学から明治大学予科に進み、卒業後日本橋三越に就職。病気療養を経て、石川の斡旋で内務省都市計画愛知地方委員会から名古屋市内各地の土地区画整理組合で事務担当。27歳で退職し、雑誌編集や記者、劇団主宰などに携わったがうまくいかず、再び石川らの紹介で名古屋で土地区画整理事業に携わる。
文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または… 文 時煥(ムン・シファン、朝鮮語: 문시환、1897年または1899年 - 1973年11月11日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、官僚、政治家。東萊郡郡守、制憲韓国国会議員、慶尚南道知事。本貫は南平文氏(朝鮮語版)。 釜山蓮山洞(現・釜山広域市蓮堤区蓮山洞)または福泉洞出身。私立東萊東明学校、東京正則英語学校、モスクワ東方共産大学卒。満洲の安東で中国人貿易商会の書記を務めながら、秘密政治結社の花郎徒に参加した後、1920年に朝鮮共産党に入党した。1922年10月、ベルフネウジンスクで開催された高麗共産党連合大会に出席し、党中央委員会第3書記部(国内)委員となった。
手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10… 手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10日 - 昭和38年(1963年)4月18日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位。郵政大臣(第18代)、参議院議員(2期)。 鳥取県西伯郡富益村(現米子市富益町)の農家に生まれた。手島菊松の二男。 旧制米子中学校(現米子東高等学校)、第四高等学校を経て、大正11年(1922年)3月東京帝国大学法学部卒業。逓信省に入る。 昭和12年(1937年)経理局長、昭和15年(1940年)管理局長、昭和16年(1941年)航空局長官、同年10月逓信次官に任ぜられ航空局長官事務取扱を命ぜられる。昭和18年(1943年)10月退官。 戦後は実業界に入り、昭和20年(1945年)国際電気通信社長、日本郵便逓送顧問などを歴任した。
藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月… 藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年(明治29年)11月20日 - 1983年(昭和58年)5月8日)は、日本の内務官僚。官選山梨・千葉・神奈川県知事。 岡山県岡山市西古松に藤原祐三郎の長男として生まれる。岡山中学、第六高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入り山口県属となり内務部農務課に配属。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、1922年(大正11年)6月富山県理事官・内務部学務課長、同県視学官、1925年(大正14年)5月京都府内務部地方課長、岐阜県学務部長などを歴任し、1931年12月、復興事務局書記官・経理課長に就任した。1932年4月、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務となり、さらに、衛生局保健課長、大臣官房会計課長を務めた。
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13… 岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、農商務・商工官僚。1957年から1960年まで内閣総理大臣(第56・57代)を務めた。位階勲等は正二位大勲位。出生名は佐藤 信介(さとう のぶすけ)。 他満洲国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(10期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、皇學館大学総長(第2代)を歴任した。東洋パルプ、日本再建連盟の会長も務めた。A級戦犯被疑者として収監されるが、不起訴となったのち米国CIA(中央情報局)の協力者として活動し、戦後にも権力を得た。
手島 伝(てじま つたえ、1896年(明治29年)11月2日… 手島 伝(てじま つたえ、1896年(明治29年)11月2日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。福岡県門司市助役。 福岡県浮羽郡田主丸町(現在の久留米市)出身。1920年(大正9年)、早稲田大学専門部政治経済科を卒業し、1922年(大正11年)11月に高等試験に合格した。1923年(大正12年)宮城県属となり、以後、同柴田郡長、青森県商工水産課長を歴任。1928年(昭和3年)に退官するが、1930年(昭和5年)に宮崎県学務課長・社会課長として復帰。その後、香川県農林課長・官房主事、茨城県農林課長、静岡県農務課長、同教育課長・社会課長、青森県書記官・経済部長を経て、1939年(昭和14年)に愛媛県経済部長に就任した。
石丸 敬次(いしまる けいじ、1896年〈明治29年〉10月… 石丸 敬次(いしまる けいじ、1896年〈明治29年〉10月30日 - 1980年〈昭和55年〉3月27日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選第34代富山県知事。 福岡県出身。1916年3月、小倉師範学校本科第一部を卒業し、福岡県遠賀郡内平小学校訓導、小倉師範学校訓導、東京市小石川高等小学校訓導を歴任。1925年3月、日本大学法文学部政治学科英語部を卒業。愛媛県吉田町立吉田中学校教諭となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1926年、内務省に入省し長崎県属となる。 以後、長崎県学務部社会課長、沖縄県課長、長野県農商課長、大阪府地方課長、同議事課長、文部省普通学務局庶務課長、同国民教育局中等教育課長、岐阜県経済部長、宮崎県警察部長、同内政部長、内閣参事官などを経て、東北地方行政事務局長となる。
木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月1… 木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月12日 - 1980年〈昭和55年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚、弁護士。官選福井県知事。 新潟県出身。長岡市長・木村清三郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し工務局属となる。 以後、工場監督官、鉱務監督官、国際労働会議政府代表顧問(1926年)、秋田県書記官・総務部長、内務省地方局財務課長などを歴任。 1939年4月、福井県知事に就任。戦時体制の整備に尽力。1940年12月、厚生省保険院社会保険局長に転任し、1942年4月まで在任。
山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1… 山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1961年9月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。第32代京都府知事(最後の官選知事)、陸軍司政長官。 鳥取県鳥取市出身。山本吉太郎の長男。東京帝国大学法科卒業。 大阪市警察署長、北海道庁・兵庫県・警視庁各特高課長、大阪府工場課長、長野県書記官・警察部長、千葉県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、熊本県経済部長、秋田県書記官・総務部長、ジャカルタ州長官、京都府知事を歴任。その後、公職追放となる。 1946年弁護士を開業。追放解除後の1953年の第3回参議院議員通常選挙において出身地の鳥取地方区から緑風会公認で立候補したが落選した。
高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10… 高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日 - 1963年(昭和38年)3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗がいる。 富山県出身。高岡市・高辻喜作の二男。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。山口県属。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月2… 伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月28日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選大分県知事。 山口県出身。伊藤政吉の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し熊本県属となる。 以後、熊本県飽託郡長、1935年9月、秋田県学務部長、1938年1月、埼玉県学務部長、1939年5月、奈良県総務部長、1941年6月、大阪府学務部長などを歴任。 1942年6月、大分県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1943年7月、知事を退任。同年に退官。戦後に公職追放となる。
宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月… 宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月28日 - 1972年(昭和47年)12月6日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。旧姓・須知。 三重県出身。須知左馬太郎の三男として生まれ、宮野富次郎の養子となる。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警保局属となる。 以後、富山県警視、同警察部警務課長、大分県理事官、地方事務官・長崎県勤務、内務事務官、同省警保局警務課長、東京府書記官・総務部長、内務書記官・警保局保安課長などを歴任。 1937年2月、岐阜県知事に就任。河川改修、用水改良事業、林道開設、戦時体制の整備などに尽力。
矢野 兼三(やの けんぞう、1896年(明治29年)9月13… 矢野 兼三(やの けんぞう、1896年(明治29年)9月13日 - 1981年(昭和56年)2月19日)は、日本の内務・警察官僚。官選富山県知事、陸軍司政長官。号は蓬矢。 大阪市出身。矢野治三郎の三男として生まれる。1919年、私立関西大学法律学科を卒業し桜セメントに入社。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年、内務省に入省し社会局嘱託となる。 以後、京都府愛宕郡長、警視庁事務官、青森県書記官・学務部長、千葉県書記官・警察部長、警視庁官房主事、岡山県総務部長などを歴任。 1938年4月、富山県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1941年1月に休職となる。1942年7月7日、陸軍司政長官に発令。
数藤 鉄臣(すどう かねおみ、1896年(明治29年)9月8… 数藤 鉄臣(すどう かねおみ、1896年(明治29年)9月8日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、海軍司政長官。旧姓・村上。 本籍島根県。旧松江藩士・地方行政官、村上寿夫の二男として岡山県に生まれる。松江市北堀尋常小学校、松江中学校を卒業。海軍兵学校を志願したが、試験前の水泳で外耳炎となり身体検査で不合格となる。1915年2月、第一高等学校数学教授・数藤斧三郎の養子となる。第一高等学校第一部甲類を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年4月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年7月、内務省に入省し内務属となり警保局図書課に配属された。
武内 哲夫(たけうち てつお、1896年(明治29年)9月 … 武内 哲夫(たけうち てつお、1896年(明治29年)9月 - 没年不詳)は、日本、満洲国、蒙古の官僚。 秋田恒五郎の三男として福岡県に生まれ、武内謙介の養子となる。1915年(大正4年)福岡県立中学修猷館、1919年(大正8年)7月第五高等学校政治科を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 内務省に入省し、大阪府において警察署長、警視庁において交通課長、長野県において内務部地方課長・農商課長などを務めた後、満洲国に渡り、国務院民生部において警務司司法科長・地方司総務科長、国務院内務局管理處長、錦州省次長、総務庁参事官などを務める。 1941年(成紀(成吉思汗紀元)736年)10月蒙古聯合自治政府内政部次長兼中央警察学校長、中央青年指導員訓練所長を経て、1942年(成紀737年)12月蒙古聯合自治政府総務庁長に就任。
中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 … 中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 - 1972年(昭和47年)12月21日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 東京府出身。中野政方の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し内務属となる。1921年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、奈良県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労務課長、神奈川県総務部長などを歴任。 1939年4月、高知県知事に就任。同年12月、文部省普通学務局長に転任。1942年5月、岐阜県知事となる。満州報国農場の設置、中小商工業再編、授産事業などを推進した。
高 安彦(こう / たか やすひこ、1896年(明治29年)… 高 安彦(こう / たか やすひこ、1896年(明治29年)8月23日 - 1977年(昭和52年)9月2日)は、朝鮮総督府官僚。山口県山口市長、防府市長。 山口県吉敷郡大道村(現在の防府市)出身。1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部仏法科を卒業し、高等試験に合格した。朝鮮総督府属、同警視、同警察官講習所教授、全羅北道警察部長、大邱専売局支局長、平安北道警察部長、京畿道警察部長、平安北道知事、平安南道知事、京畿道知事を歴任した。 1944年(昭和19年)、山口市長に選出された。 1960年(昭和35年)には防府市長に当選した。
佐川 義勇(さがわ ぎゆう、1896年(明治29年)8月21… 佐川 義勇(さがわ ぎゆう、1896年(明治29年)8月21日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 熊本県上益城郡龍野村(現・甲佐町)に生まれる。1915年(大正4年)3月、熊本県立中学済々黌を卒業し、1920年(大正9年)2月、台湾総督府に奉職する。 1940年(昭和15年)7月、地方理事官に進み、嘉義市助役に就任。ついで1942年(昭和17年)4月、高雄州岡山郡守に就任した。
福本 柳一(ふくもと りゅういち、1896年(明治29年)8… 福本 柳一(ふくもと りゅういち、1896年(明治29年)8月10日 - 1991年(平成3年)2月1日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、全日本空輸副社長。位階は正四位。 農業・福本万右衛門の二男として岡山県上房郡川面村(現:高梁市)で生まれる。高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校を経て、1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1922年5月、司法官試補となり横浜地方裁判所に配属され、さらに東京地方裁判所で勤務する。 1923年11月、帝都復興院属に転じ、以後、神奈川県橘樹郡長、同県社会課・社会教育課・工場課・水産課・庶務課の各課長を経験し、福井県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、内務省社会局軍事扶助課長、厚生省書記官、内務省土木局道路課長、同警保局図書課長、情報局第四部長などを歴任した。
渡辺 広(わたなべ ひろし、1896年7月30日 - 196… 渡辺 広(わたなべ ひろし、1896年7月30日 - 1967年11月24日)は、日本の内務官僚。最後の官選神奈川県知事。 熊本県出身。第五高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。台湾総督府に入り総督官房参事官室属となる。1932年、拓務省事務官に転じ、以後、奈良県、高知県、埼玉県の地方官を歴任。 1939年4月、神奈川県経済部長に就任。太平洋戦争を迎え、1942年7月、ジャワ方面陸軍司政官として赴任。バンテン州長官、スラカルタ侯地事務局長官を歴任し、終戦を迎えた。 1946年に帰国し、内務省に復帰。1947年3月、前神奈川県知事・内山岩太郎が公選知事選に出馬のため辞任したのを受け、最後の官選知事に就任。
新貝 肇(しんがい はじめ、1896年(明治29年)7月25… 新貝 肇(しんがい はじめ、1896年(明治29年)7月25日 - 1980年(昭和55年)1月9日)は、朝鮮総督府官僚。大分県副知事。 大分県宇佐郡天津村(現在の宇佐市)出身。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)、第四高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部政治科を卒業した。逓信省に入省したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた。朝鮮総督府逓信局書記、同逓信副事務官、同事務官、逓信吏員養成所長、逓信局庶務課長、同経理課長、黄海道警察部長、江原道内務部長、警務局警務課長、総督官房人事課長を歴任。1937年(昭和12年)、全羅南道知事に就任し、咸鏡南道知事を経て、逓信局長・高等海員審判所長に転じた。
加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月… 加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月19日 - 1983年(昭和58年)8月11日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。官選県知事。 岐阜県益田郡下原村(現下呂市)出身。下原郷16ヶ村兼帯名主10代加藤三郎右衛門雅文の甥である加藤市兵衛の五男として生まれる。万延元年遣米使節随行員の加藤素毛と父の市兵衛とは従兄にあたる。 第一高等学校を卒業。1920年11月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し衛生局属となる。 以後、山口県・栃木県・大阪府・京都府・岡山県で勤務、内務省地方局地方債課長、同行政課長、同大臣官房会計課長などを歴任。
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10… 桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 高知県長岡郡国比左村比江36番屋敷で、県会議員・公文伊三郎、亀寿の三男として生まれた。粟島航海学校に進み海軍兵学校を目指したが、近視のため断念。同海員学校長の桃井百太郎(?〜1945年11月14日)の養子となる。 その後、京都府第二中学校に編入し、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属・内務部勤務となる。 その後、福島県警部、岩手県・富山県・三重県各勤務、佐賀県書記官・経済部長、山梨県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、神奈川県書記官・学務部長、愛媛県書記官・総務部長、埼玉県部長・内政部長などを歴任。
西本 計三(にしもと けいぞう、1896年(明治29年)7月… 西本 計三(にしもと けいぞう、1896年(明治29年)7月10日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。弁護士。 香川県綾歌郡宇多津町出身。第一高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。朝鮮銀行に入行したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた。朝鮮総督府属、財務局事務官、慶尚北道地方課長、内務局事務官、専売局事業課長、殖産局水産課長、同商工課長を歴任。1939年(昭和14年)、平安北道知事に就任した。 1940年(昭和15年)に退官した後は朝鮮鉱業振興株式会社理事、朝鮮黒鉛開発株式会社代表、朝鮮燐鉱株式会社取締役、日本蛍石統制株式会社取締役を務めた。
松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年… 松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年)7月9日 - 1978年(昭和53年)12月22日)は、昭和期の官吏、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧小幡藩主家当主、子爵・松平忠恕の八男として生まれる。甥・子爵松平忠相(義兄松平忠禎長男)の死去に伴い家督を継承し、1924年(大正13年)10月15日、子爵を襲爵した。 早稲田大学文科を修了。1926年(大正15年)衆議院兼逓信属に就任。その後、衆議院理事官、昭和食糧顧問などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日… 木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日 - 1988年(昭和63年)8月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。科学技術庁長官(第21、24代)。 長野県下水内郡常盤村(現・飯山市)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。理財局属。主計局決算局長、理財局国債課長、主計局長、専売局長官を経て、1946年(昭和21年)幣原内閣の内閣副書記官長となる。同年6月8日には貴族院勅選議員に勅任される。 1947年(昭和22年)第1回参議院議員通常選挙に民主党公認で長野県選挙区から立候補し当選する。炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている。
長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)… 長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)6月25日 - 昭和37年(1962年)11月7日)は、日本の鉄道官僚、実業家。第3代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1951年-1955年)。日本エアウェイ開発社長(在任1961年-1962年)。 秋田県南秋田郡川尻村(後の秋田市川尻上野町)で村長の長崎惣太郎の長男として生まれる。幼少の頃から成績優秀で長身でもあり、川尻小学校・牛島高等小学校を経て秋田中学校へと入る。中学校ではボート部に所属し、その後第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科を卒業。 1920年鉄道省入省。1926年在外研究員として欧米に派遣され、その後1930年に設置された国際観光局の庶務課長に任命され、1932年経理局会計課長となる。