加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - … 加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - 2009年9月8日)は、臨済宗の僧、仏教学者。京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)出身。臨済学院中学部を経て、1954年花園大学仏教学部卒。その後、臨済宗妙心寺派円福僧堂に掛搭。1956年(昭和31年)より天龍寺塔頭の慈済院の稲葉心田に師事した。そして1972年には立命館大学大学院日本史学修士課程修了。1964年禅文化研究所研究員、花園大学文学部教授。2000年名誉教授。天龍寺塔頭金剛院住職。2009年9月、京都市内の病院で遷化。。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
山崎 泰廣(やまさき たいこう、1929年8月23日 - 2… 山崎 泰廣(やまさき たいこう、1929年8月23日 - 2025年3月11日)は、真言宗僧侶・密教学者・種智院大学名誉教授。常光院住職。 神戸市生まれ。1954年高野山大学大学院密教学科修了。1955年宮島の弥山にて虚空蔵求聞持法成満。1966年種智院大学助教授、72年教授。高野山大学教授を兼ねる。1974年伝燈大阿闍梨位。1990年密教学芸賞受賞。1999年高野山真言宗大僧正。2000年種智院大学・高野山大学定年退職。種智院大学名誉教授。1968年より、密教の源流と瞑想に関する研究・修行・講義のためインド・ネパール・タイ・カンボジア・スリランカ・中国・アメリカ・イタリアなどを踏査。 2025年3月11日に死去。
松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月2… 松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月21日 - 2023年〈令和5年〉4月16日)は、高野山真言宗の僧侶。仏教学者。補陀落院住職。金剛峯寺第412世座主。同宗管長(2006-2014年)。 全日本仏教会会長(2008-2010年)。高野山大学名誉教授。元同大学長。21世紀高野山医療フォーラム名誉会長。和歌山県高野町出身。 1929年(昭和4年)、和歌山県高野町の高野山南院住職で高野山大学教授・松長有見の長男として誕生。1941年(昭和16年)、高野山南院道場において藤村密憧を戒師として得度。1951年(昭和26年)、高野山大学密教学科を卒業。1959年(昭和34年)、東北大学大学院文学研究科博士課程を修了。
大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018… 大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018年1月30日)は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯 あきら。 奈良県吉野郡大淀町出身。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年、京都大学文学部助手。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。
大谷 暢順(おおたに ちょうじゅん、1929年3月19日 -… 大谷 暢順(おおたに ちょうじゅん、1929年3月19日 - )は、浄土真宗僧侶、浄土真宗大谷本願寺派本山本願寺第25世法主留守職、フランス文学者。一般財団法人本願寺文化興隆財団理事長。明仁上皇の従兄弟。長男に大谷光輪。蓮如・ジャンヌ・ダルクの研究者。日仏での著書多数。 1929年東本願寺法主・大谷光暢の次男として京都に生まれる。 1952年東京大学印度哲学梵文学科卒、同大学院仏文科修了。 1955年パリー大学文学部入学。 1967年ソルボンヌ高等学院卒業。 1986年パリー第七大学文学博士号取得。 1988年フランスより、パルム・アカデミック勲章叙勲。 1996年に長男・次男とともに大谷派を離脱、本願寺法主・留守職となる。
北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )… 北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )は、真言宗の僧、大正大学名誉教授。 東京府(現中野区)出身。東京外国語大学卒、1965年東北大学大学院印度哲学博士課程満期退学。1990年「インド神秘言語思想の研究」で東北大学文学博士。大正大学文学部助教授、教授、99年定年退任、名誉教授。ひかり幼稚園園長、中野区東光寺住職。インド仏教・インド思想を専門とした。
上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年… 上村映雄(うえむら てるお、1929年2月22日–2012年10月11日)は、曹洞宗の僧侶、児童教育者。東京府(現東京都中野区)曹洞宗保善寺に生まれる。1951年駒澤大学文学部仏教学科卒、中野区立桃丘小学校教諭等をへて鶴見大学女子短期大学部教授、同附属三松幼稚園園長。1985年退職。保善寺住職、学校法人保善寺学園理事長、ほぜんじ幼稚園園長、社団法人日本仏教保育協会理事長、仏教文化講座主宰。
高山 泰巖(たかやま たいがん、1929年〈昭和4年〉2月8… 高山 泰巖(たかやま たいがん、1929年〈昭和4年〉2月8日 - 1998年〈平成10年〉4月17日)は臨済宗の僧。 道号は圭明(けいみん)、法諱は泰巖。室号は古清軒(こせいけん)。俗姓は高山。洞春寺住職を経て1984年(昭和59年)から南禅僧堂師家を歴任。 山口県阿武郡福栄村(現・萩市紫福)にある長久寺(建仁寺派)に、長男(5歳違いの姉あり)として出生する。子どもの時から、「後でどうせ修行せんとあかんから」と母から厳しく躾けられる。だが母親は泰巖が7歳の時に死去し、小学校5年の時に小僧として洞春寺(山口市)へ行くこととなる。[要出典] 洞春寺では、半年ほど前から中村文峰(前・南禅寺派管長)に弟子入りしていた。
青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 -… 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶、画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主。 現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の… 小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の僧侶、口演童話家。曹洞宗永源寺住職。 静岡県富士市生まれ。駒澤大学文学部仏教学科卒業。大本山總持寺、永平寺に安居。 童話研究を進める傍ら、真の人づくりは仏教的情操教育以外にはないとの考えから、1948年「子ども会」を開設。1954年「永源寺日曜学校」を開設。1968年から、全国に先駆けて2泊3日の「子ども禅の集い」を開設。坐禅を中心に多彩なプログラムによる教化活動を行う。また、自坊だけでなく全国各地で、口演童話や紙芝居、人形劇、手品、絵話し、ゲームなどの児童文化財を駆使し、バラエティに富む児童教化活動を長年にわたって展開。 1986年に正力松太郎賞奨励賞、2005年同賞本賞を受賞。
川勝 承哲(かわかつ じょうてつ、1929年 - )は、京都… 川勝 承哲(かわかつ じょうてつ、1929年 - )は、京都府生まれの臨済宗の僧侶。等持院の副住職。 1929年、京都府に生まれた。1959年、立命館大学大学院文学研究科哲学専攻修了し、聖家族女子高等学校(現・京都聖カタリナ高等学校)の教諭となった。1964年、聖家族女子高等学校の教頭に就任した。1967年には煎茶松涛流師範となった。1975年、得度。1989年から等持院の副住職を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
須田 道輝(すだ どうき、1929年 - 2008年4月24… 須田 道輝(すだ どうき、1929年 - 2008年4月24日)は、日本の僧侶、文筆家。曹洞宗天祐寺住職。 茨城県久慈町生まれ。1949年澤木興道老師に就いて得度。1956年駒澤大学仏教学部卒業。1958年曹洞宗教化研修所に入所し、3年間「仏教と教化」について研修。1964年パーリ仏教学の権威水野弘元博士に就いて転衣嗣法。1967年に水野弘元が住職をつとめた長崎県諫早市天祐寺に入り副住職、1983年同寺住職。寺門の復興に尽力し、導きにより虚空蔵堂を建立。講演、著述を通して衆生教化につとめた。2008年4月24日心不全のため遷化、世寿78。 著書に「禅僧が贈る言葉」「禅からの出発」「ブッダの瞑想」「因縁 - 人生をひらく道」「法華経にしたしむ」など。
松尾 心空(まつお しんくう、1928年11月29日 - 2… 松尾 心空(まつお しんくう、1928年11月29日 - 2021年7月17日)は、真言宗の僧侶。西国三十三所観音霊場29番札所・真言宗醍醐派に属する青葉山松尾寺の名誉住職。舞鶴文化教育財団理事。 放送界、種々講演会、出版で活躍。徒歩巡礼の会「アリの会」主宰で西国三十三所の古道巡礼道を徒歩で何度も巡っている。「徒歩で札所を巡ることは、『心の田を耕すことだ』」という。 特定非営利活動法人西国古道ウォーキングサポート顧問も務めた。大阪府堺市生まれ。 現代に生きる CD全12巻の第11巻『人生往来手形』ユーキャン 「『苦』とは、はなはだしいこと 縁あって得た人生の往来手形 この世の間借り人として」ほか全9話 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。
荒崎良徳(あらざき りょうとく、1928年10月21日- 2… 荒崎良徳(あらざき りょうとく、1928年10月21日- 2014年10月13日)は、曹洞宗の僧、福祉事業家、鉄道模型研究家。 金沢で生まれる。父は荒崎良道。1951年駒澤大学文学部国文科卒業。公立高校教員を務める。1976年実家の雲龍寺住職となる。児童養護施設林鐘園々長。鉄道模型のレイアウトで雲竜寺模型と呼ばれるものを製作。
江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29… 江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2021年〈令和3年〉9月19日)は、日本の曹洞宗の僧侶。總持寺独住第25世貫首。曹洞宗管長、学校法人総持学園主を歴任。 山梨県生まれ。駒澤大学文学部東洋学科卒業。山梨県立の高校に教諭として17年勤めたほか、山梨県清光寺、愛知県宝泉寺、愛知県正栄寺、愛知県吉定寺、石川県芳春院の住職を歴任する。 1996年(平成8年)1月から1999年(平成11年)2月まで、大本山總持寺監院。1999年(平成11年)10月から2003年(平成15年)4月まで、大本山總持寺祖院監院。1999年(平成11年)12月から2003年(平成15年)6月まで、大本山總持寺祖院専門僧堂堂長。
寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 -… 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 - )は、仏教学者、浄土真宗僧侶、大谷大学名誉教授。
平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2… 平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2日 - 2002年〈平成14年〉7月6日)は、臨済宗の僧、仏教学・仏教文学研究者。道号は華翁、法諱は宗浄。室号は素雲軒。 大阪府堺市少林寺町生まれ。17歳で京都真珠庵山田宗憲について得度。花園大学仏教学部卒。1955年(昭和30年)4月、神戸祥福僧堂に掛搭、山田無文老師に参じる。その後、松島瑞巌僧堂にて修行、加藤隆芳老師に嗣法。大津市祥瑞寺住職、禅文化研究所研究員・花園大学文学部教授、1999年同名誉教授。1988年瑞巌僧堂師家に就任。2000年禅文化研究所所長。一休、大燈国師について研究した。
佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2… 佐橋 法龍(さはし ほうりゅう、1928年2月17日 - 2007年4月7日)は、曹洞宗の禅僧、作家。 神奈川県横浜市生まれ。駒澤大学専門部仏教科を経て、1951年東京大学文学部国史学科卒業。長野県松代町にある真田氏の菩提寺・長国寺住職。推理小説も書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
上田 霊城(うえだ れいじょう、1928年〈昭和3年〉2月2… 上田 霊城(うえだ れいじょう、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2020年〈令和2年〉10月8日)は、日本の真言宗僧侶。真言宗御室派の大僧正。1992年(平成4年)度第30回密教学芸賞受賞。 初期 - 中期 - 後期 - インド - チベット - 中国 - 日本 東寺真言宗※ - 高野山真言宗※ - 真言宗善通寺派※ - 真言宗醍醐派※ - 真言宗御室派※ - 真言宗大覚寺派※ - 真言宗泉涌寺派※ - 真言宗山階派※ - 信貴山真言宗※ - 真言宗中山寺派※ - 真言三宝宗※ - 真言宗須磨寺派※ - 真言宗東寺派 新義真言宗※ - 真言宗智山派※ - 真言宗豊山派※ - 真言宗室生寺派 如来 - 菩薩 - 明王 - 天 即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密(古義 - 広沢流 小野流)・新義 『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』・『理趣経』 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - … 片桐 大忍 (かたぎり だいにん、1928年1月19日 - 1990年5月1日)は、日本の曹洞宗の僧侶で、ミネソタ禅センターの開山。 アメリカ中部での日本からの禅の拡大に大きく貢献した。 泰蔵院(福井県)の林ダイチョウの下で出家し、永平寺の橋本恵光の下で3年間修行した。その後、駒澤大学に入学した。 1963年に、曹洞宗務庁よりロサンゼルスの禅宗寺に派遣された。 1965年にサンフランシスコの桑港寺に行き、鈴木俊隆と、後の1969年に分離設立されたサンフランシスコ禅センターの活動を助けた 。 サンフランシスコでの勤務中、彼は自分の坐禅会を作ることを考え始めた。その後ほどなくして鈴木老師が亡くなり、モントレーに坐禅会を結成した。
守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや た… 守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや たかお)、1928年1月3日 - 2022年12月24日)は、華厳宗の大僧正。東大寺第214世別当、華厳宗管長を務めた後、東大寺長老を歴任。 長野県諏訪市に生まれる。幼少期に両親と死別し、祖父のいる東大寺知足院に入寺。僧名を隆英と名乗るが、後に弘斎と改める。 東大寺が境内で運営する旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)を1945年卒業。同期に新藤晋海第216世別当。 奈良県の県花、奈良市の市章になっている奈良八重桜(天然記念物:非公開)や、国の重要文化財である木造地蔵菩薩立像で有名な塔頭、知足院住職。 31回の修二会(お水取り)参籠記録をもち、最も修二会に精通した僧侶の一人。
八田 憲英(はった けんえい、 1928年〈昭和3年〉 - … 八田 憲英(はった けんえい、 1928年〈昭和3年〉 - 1992年〈平成4年〉)は、浄土真宗本願寺派の僧侶、本派本願寺ハワイ別院の元開教使である。元フォーダム大学講師。元セント・ジョンズ大学講師。真宗大谷派東京教区千葉組萬燈山恵光寺の開基。浄土真宗本願寺派岐阜教区揖斐組光蓮寺の元衆徒。
家田 隆現(いえだ りゅうげん、1927年(昭和2年)11月… 家田 隆現(いえだ りゅうげん、1927年(昭和2年)11月 - 2013年(平成25年)5月13日)は、日本の浄土宗 僧侶、幼児教育者、人形劇団主宰。 長野県東筑摩郡笹賀村(現・松本市)生まれ。1932年京都に転居。1948年旧制佛教専門学校(現・佛教大学)卒、1951年龍谷大学文学部卒。1951年西雲院住職。1954年幼児向人形劇団ゆりかごを設立。1968年むらさき幼稚園を開設、理事長。浄土宗大本山金戒光明寺執事長。1991年人形劇団ゆりかごの活動で正力松太郎賞 (仏教)奨励賞を受賞。1994年、藍綬褒章を受章。2013年5月13日、急性心不全のため死去。
南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月… 南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月14日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗管長。永平寺第80世貫首。駒澤大学卒業。道号法諱・祖苗道人 長野県更級郡桑原村(現在の千曲市大字桑原)の龍洞院という寺の長男として生まれる。長野県屋代中学校(旧制中学)を経て、1945年に海軍兵学校、1948年に駒澤大学専門部仏教科卒業。1949年、大本山永平寺僧堂に安居。 2003年まで長野県龍洞院住職。その間、1982年に大本山永平寺の副寺(ふうす)、副監院、監院、並びに道元禅師七百五十回大遠忌奉修の総監を務める。札幌中央寺住職。 2008年より大本山永平寺副貫首。2020年9月29日、永平寺貫首に就任。
金岡 秀友(かなおか しゅうゆう、1927年7月31日 - … 金岡 秀友(かなおか しゅうゆう、1927年7月31日 - 2009年7月23日)は、日本の仏教学者、真言宗僧侶、東洋大学名誉教授。文学博士。妙楽寺(新義真言宗系、八王子市)住職。 1927年、埼玉県で生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、1952年に卒業。 卒業後は東洋大学文学部助教授となり、在職中にセイロン大学の招聘を受けた。1962年、学位論文『ミーマーンサー・スートラ研究』を東洋大学に提出して文学博士の学位を取得。後に東洋大学文学部教授に昇格。1992年に東洋大学を定年退任し、名誉教授となった。2009年7月23日、肺炎のため遷化。
高橋隆天(たかはし りゅうてん、1927年(昭和2年)7月2… 高橋隆天(たかはし りゅうてん、1927年(昭和2年)7月21日 - 2006年(平成18年)9月30日 )は東京都生まれの僧侶、川崎大師平間寺第44世・中興第1世貫首。僧階は大僧正。真言宗智山派宗機顧問。 日本大学法文学部宗教学科卒、大正大学大学院仏教学研究科修了。 1939年、川崎大師第43世隆超に従って得度。 1948年、隆超死去により、平間寺住職となる。 成田山新勝寺での練行の後、1958年に川崎大師に入山、貫首に就任。 2006年、急性白血病により死去。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5… 板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5月20日 - 2020年(令和2年)7月5日)は、日本の曹洞宗の僧侶。大本山總持寺貫首(獨住第二十三世、閑月即眞禅師、雲海興宗大和尚)、曹洞宗管長。總持寺祖院住職。大乗寺七十世。瑞洞院二十六世。御誕生寺三世中興。宮城県多賀城市出身。 1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男に生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住。旧制仙台第一中学校を経て1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。
無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月3… 無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月31日 - 2023年7月21日)は、日本の教育者、禅宗の僧侶。生活綴方の代表的な文集『山びこ学校』を刊行し、『全国こども電話相談室』の回答者を28年間務めた。 山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)沢泉寺に長男として生まれる。山形県立山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)卒業。1948年、山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)卒業し、山形県南村山郡山元村(現在の上山市)立山元中学校(僻地1級校)に赴任した。国語教育として須藤克三からの助言を得て、「生活綴方運動」に取り組む。クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が文部大臣賞を受賞する。
浅井 圓道(浅井 円道、あさい えんどう、1927年2月18… 浅井 圓道(浅井 円道、あさい えんどう、1927年2月18日 - 2004年9月8日)は、日蓮宗僧侶・仏教学者。 東京市(現大田区)に浅井圓照の長男として生まれる。幼名・立治。長崎市に移り、1941年父は長崎市長照山晋山となり、1942年得度し圓道と改名。1945年3月佐賀高等学校卒、7月徴兵検査。長崎で原子爆弾に遭い負傷。1949年東京帝国大学文学部印度哲学科卒。1949-1952年身延山専門学校助教授。1951年東京大学大学院修士課程修了。1952年名古屋中部社会事業短期大学助教授、1954年立正大学仏教学部講師、1958年助教授、1966年立正大学短期大学部助教授、1970年 立正大学文学博士。
釈 伝印(しゃく でんいん、1927年1月30日 - 202… 釈 伝印(しゃく でんいん、1927年1月30日 - 2023年3月11日)は、中国の禅僧。字は月川。名は毓岱。遼寧省荘河県出身で俗姓は呂氏。元中国仏教協会会長。 1927年、遼寧省荘河市に生まれ。仏教の熱心な信者の家庭に生まれる。姓は呂氏。20歳で崇仁の弟子となり戒名を伝印と改める。1954年、江西省雲居山の真如禅寺の虚雲のもとで具足戒を受ける。その後中国仏学院に学ぶも、文化大革命に巻き込まれ、1978年秋、浙江省天台県の国清寺に移住、1981年から1983年には日本に留学し、佛教大学に学ぶ。1994年8月、江西省廬山東林寺の住職となり、1999年2月、北京市仏教協会会長に就任。2010年2月、中国仏教協会会長就任。
新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう … 新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう あきひこ)、1927年 - 2001年3月17日)は華厳宗の僧侶。 第216世東大寺別当(住職)、華厳宗管長。大仏開眼千二百五十年慶讃大法要、奈良国立博物館特別展「東大寺のすべて」などに道筋をつけた。 叔父は第206世東大寺別当の上司海雲。子供がいなかった上司の勧めで東大寺に入寺、東大寺塔頭観音院を継承する。 1945年旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)卒。龍谷大学文学部仏教学科卒。 新制金鐘高等学校(現:東大寺学園高等学校)の教師、主事(事務局長)、学校法人東大寺学園常任理事を経て、1984年同理事長(~1987年)。1986年東大寺学園中高等学校の校長兼任(~1987年)。
前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 20… 前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 2010年10月31日)は、日本の僧侶、仏教学者。文化功労者。真宗大谷派速念寺第15代住職。 1926年、愛知県名古屋市で前田家の長男として生まれた。東京大学文学部哲学科で学び、1951年に卒業。同大学大学院文学研究科に進み、辻直四郎、宮本正尊、中村元、水野弘元などに師事してインド哲学および仏教学を学んだ。1954年、東京大学大学院研究奨学生を修了。 1956年、東京大学文学部助手に採用された。1962年、学位論文『原始仏教聖典成立史的研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。この年の学位取得者は、旧学位制度下での最後の文学博士号取得者であった。
五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年)… 五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年)11月9日 - 平成21年(2009年)5月16日)は、日本の金峯山修験本宗の僧侶、2代管長、金峯山寺28代管領。 1926年(大正15年)、東南院住職、五條覚澄の長男として吉野に生まれる。旧制五條中学校を経て旧制京都第三中学校に転校。出征して復員後に叡山学院に入学。箱崎文応から四度加行を受ける。叡山学院を卒業後に大正大学文学部史学科に編入、書道部部長になる。 1947年(昭和22年)、大峯修験宗として天台宗から独立する。1948年(昭和23年)から大峯奥駈け修行を22年間続ける。 1952年(昭和27年)、大正大学を卒業して吉野に戻り、東南院の副住職に就任。
高崎 直道(たかさき じきどう、1926年(大正15年)9月… 高崎 直道(たかさき じきどう、1926年(大正15年)9月6日 - 2013年(平成25年)5月4日)は、日本の仏教学者・僧侶。東京大学名誉教授、鶴見大学名誉教授。 東京府出身。1950年東京大学文学部印度哲学科卒。大学院に進み、54年インド政府給費留学生としてプーナ大学(英語版)大学院に学び58年「宝性論の研究」で博士の学位を取得。駒澤大学助教授、1969年大阪大学文学部助教授、1976年東京大学文学部助教授、1977年同教授。 1972年「如来蔵思想の形成」で東京大学より文学博士の学位を取得。1975年同研究で日本学士院賞・恩賜賞受賞。85年曹洞宗静勝寺の住職。1987年東京大学を定年退官、名誉教授、鶴見大学教授、1992年学長。
後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2… 後藤 善猛(ごとう ぜんみょう、1926年8月18日 - 2008年10月18日)は、日本の真言宗の僧侶。徳島県阿南市にある真言宗大覚寺派・梅谷寺住職。 徳島県出身。京都大学大学院文学研究科(哲学)修了。鳴門工業高等学校、徳島県立脇町高等学校、徳島県立城南高等学校校長を歴任。その後高野山に登り、大覚寺教学研究室審議委員、洛南高等学校・附属中学校校長。1997年に密教教化賞を受賞。
佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2… 佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2018年10月15日)は、栃木県宇都宮市生まれの日本の仏教学者(密教学、博士(文学))、真言宗智山派の僧侶(智山伝法元院長、円能院元住職)。元大正大学学長・名誉教授。
佐野 丹丘(さの たんきゅう、1926年5月11日 - 20… 佐野 丹丘(さの たんきゅう、1926年5月11日 - 2009年6月13日)は、日本の書道家、僧侶。曹洞宗長光寺住職。本名、常光。東洋書芸院顧問、産経国際書会名誉顧問などを歴任。 静岡県田方郡函南町の長光寺に生まれる。旧制韮山中(現静岡県立韮山高等学校)、静岡第一師範(現静岡大学教育学部)、駒澤大学文学部社会科卒業。小、中、高校で教鞭を執り、沼津では原小、西高、東高で教諭を務めた。また、僧職として3つの寺の住職を務める一方、宗門の要職を歴任した。 書家としては戦中から上田桑鳩に師事。1953年、ニューヨーク近代美術館日本書道展に出品。以降、国内だけでなく、欧米、アジア各国で作品を発表。国際的な書展開催に携わったほか、中国書法家との交流なども行う。
雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12… 雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12月23日)は、日本の曹洞宗の尼僧、作家。愛知県南知多町大宝寺7代目住職。 愛知県大宝寺6代目住職の子として生まれる。愛知専門尼僧堂で修行。1950年、駒澤大学卒業。東京都三鷹市の観音寺尼僧専門道場で修行。愛知県知多郡南知多町の大宝寺住職を務める。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - … 菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - 2018年2月11日)は、日本の仏教学者、早稲田大学名誉教授、天台宗僧侶(勧学・大僧正・日光山輪王寺執綱・妙法院門跡門主)。栃木県日光市生まれ。 天台宗庶務部長・教学部長菅原英信の子に生まれる。昭和26年(1951年)、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒業。同大講師・助教授を経て、昭和47年(1972年)教授。1991年「山王神道の基礎的研究」で大正大学文学博士。早稲田大学仏教青年会第7代会長も務める。 2000年に妙法院門跡に就任し、2001年には坂本・東南寺で戸津説法を務める。 2018年2月11日午前9時25分、転移性肝癌のため栃木県日光市の病院で死去した。
天納 傳中(あまの でんちゅう、1925年8月14日 - 2… 天納 傳中(あまの でんちゅう、1925年8月14日 - 2002年5月3日)は、天台宗の僧、声明研究者。 京都市出身。大正大学予科修了。1949年大谷大学文学部国史学科卒業。中山玄雄・誉田玄昭に天台声明を学ぶ。天台宗京都大原魚山実光院住職、叡山学院声明科教授。欧州・国内各地での声明公演の企画・指導・出演などを行う。 劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」の読経指導担当。
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 202… 禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 2020年2月18日 )は、日本の真宗誠照寺派の僧侶(浄覚寺住職)、仏教学者、教育者(学校法人仁愛学園学園長)・福井県元教育委員長。 1925年に福井県越前市に生まれる。母親の実家の浄覚寺(鯖江市)へ養子に入り、金沢市の第四高等学校を卒業、1951年に長尾雅人に師事し京都大学哲学科仏教学専攻を卒業、1953年に同大学院哲学研究科仏教学専攻を修了。 1965年に仁愛女子高等学校校長に就任、1969年に仁愛女子短期大学学長に就任。2008年に福井県教育委員長に就任(2010年まで)
桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、… 桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、日本の仏教学者、僧侶。米国ライス大学研究員、太平寺住職。 駒澤大学仏教学部卒業。大本山永平寺安居。1956年京都大学大学院修士課程宗教学専攻修了(題目「宗教的真理の問題について-キルケゴールを中心として-」)。同博士課程単位修得退学。 京都大学に新制の大学院ができた年に出願。西谷啓治教授のもとで10年ほど哲学を学ぶ。米国ライス大学研究員を経て、太平寺住職。大阪国際宗教同志会会員。 主な著作に「現代に生きる世界の宗教」A・Jバーン(Archie J Bham)著(翻訳)、「道元とキエルケゴール」など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925… 中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925年〈大正14年〉5月16日 - 2012年〈平成24年〉5月24日)は、日本の生理学者、医史学者、医師、浄土真宗本願寺派僧侶。医学博士。岡山大学名誉教授。名塩御坊教行寺第15世住職。 新潟県新潟市西堀通10番町(現 新潟市中央区西堀通10番町)の浄土真宗本願寺派・蒲原浄光寺の第25世住職・蒲原霊英の次男として出生。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1949年(昭和24年)3月に米子医科大学生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1951年(昭和26年)4月に鳥取大学医学部生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1953年(昭和28年)6月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第一講座(担任:福原武教授)講師に就任、1954年(昭和29年)7月に医学博士号を取得、11月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:西田勇教授)助教授に就任、1957年(昭和32年)1月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:福原武教授)助教授に就任、1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)5月まで文部省在外研究員として西ドイツのゲッティンゲン大学生理学教室に留学、1970年(昭和45年)4月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座第2代教授に就任、1986年(昭和61年)4月に中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)の称号を受称、1991年(平成3年)3月に岡山大学を定年退官、4月に岡山大学名誉教授の称号を受称。
勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1… 勝呂 信静(勝呂 信靜、すぐろ しんじょう、1925年5月1日 - 2012年1月26日)は、日蓮宗の僧侶、仏教学者。 東京都生まれ。父は勝呂智静。1948年東京帝国大学文学部印度哲学科卒。1987年「初期唯識説の研究」で東京大学文学博士。立正大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。1991年東方学術賞受賞。法光山蓮昌寺住職。
麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月2… 麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月28日 - 2012年(平成24年)11月26日)は、広島県因島市生まれ[疑問点 – ノート]の真言宗の僧侶。尾道市の大本山西国寺住職、醍醐寺座主、真言宗醍醐派管長、大本山三宝院門跡。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
梶村 昇(かじむら のぼる、1925年1月1日 - )は、日… 梶村 昇(かじむら のぼる、1925年1月1日 - )は、日本の仏教学者、浄土宗僧侶、亜細亜大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。1950年大正大学文学部仏教学科卒。1953年同研究科修了。1952-1960年ニューヨークのユニオン神学大学に学び、1956年亜細亜大学経済学部講師、1962年助教授、1967年教授。1995年定年退任、客員教授、1997年退任、名誉教授。
平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 20… 平田 精耕(ひらた せいこう、1924年8月26日 - 2008年1月9日)は、禅僧、元臨済宗天龍寺派管長・天龍寺住職、花園大学名誉教授。 京都府生まれ。京都大学文学部哲学科卒。本田義英にインド哲学、久松真一に仏教学を学ぶ。1950年天龍僧堂に掛錫、関牧翁に参じる。71年天龍僧堂師家、花園大学教授、92年退任、名誉教授。89年禅文化研究所理事長・所長。91年2月牧翁老死去により天龍寺派管長・天龍寺住職。平成20(2008)年1月9日死去。83歳。
大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月2… 大樹 孝啓(おおき こうけい、1924年〈大正13年〉6月23日 - )は、日本の天台宗の僧侶。圓教寺第140世長吏。第258世天台座主。比叡山宝珠院の大樹徧謙(幕末から明治期)は、祖父大樹徧誠の師。 1924年(大正13年)、兵庫県飾磨郡曽左村書写(現在の姫路市書写)に生まれる。旧制大正大学予科を終了した。 1943年(昭和18年)、出家し、圓教寺塔頭仙岳院で得度した。 1944年(昭和19年)、滋賀海軍航空隊入隊。 1945年(昭和20年)、置塩山法界寺住職に就任した。 1948年(昭和23年)、姫路市の小学校教師となり、1965年(昭和40年)3月まで17年間務めた。この間、1962年(昭和37年)には得度を受けた仙岳院の住職に就任した。
西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 20… 西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 2013年6月11日)は、医事評論家、浄土真宗の僧、仏教系の電話カウンセラー。新字体で西来 武治とも表記される。 北海道生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。中学、高校教師をへて医事雑誌の編集に携わり、健康雑誌『ホームドクター』編集長、1982年退任。『ぴいぷる』編集長。朝日ホームドクター社取締役。1971年より海老名市の自宅で夫人のみわと「ダイヤルフレンド」を始め電話相談にのる。ヘルスプランニング西来代表取締役。1998-2002年千代田女学園中学校・高等学校長。真宗高田派住職。彰見寺衆徒。2012年仏教伝道文化賞受賞。 2013年6月11日、肺癌のため死去。