岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月2… 岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月29日 - 2006年〈平成18年〉12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。本名同じ。身長156 cm。血液型はA型。 自由学園高校卒業。父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、俳優の岸田森とは従弟にあたる。元夫は俳優の仲谷昇。 東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に劇作家の岸田國士・秋子夫妻の次女として生まれる。 10代の頃戦争により姉妹で長野県に疎開した後、1946年に東京に戻り自由学園高校に入学。在学時に彫刻家・本郷新の美術の講義に触発され、同時に父の蔵書で戯曲に親しんだ。舞台美術に興味を抱いて舞台美術家を志し、高校卒業と同時に裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となる。
桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみ… 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の一人娘として生れる。四谷第三国民学校出身。1946年、東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)[要出典]に在学中、母親の急逝に伴い中退して、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する(卒業と同時に入団とも)。初舞台は同年11月浅草松竹座公演の「秋の踊り」。同期に千草かほる、小柳久子(小柳ひさ子)などがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中、『女』のロケで国際劇場を訪れた木下惠介監督の目に留まり、その次作となる『肖像』で映画デビューする。
京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月1… 京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 1994年〈平成6年〉9月23日)は、日本の女優。第10回芸術祭賞奨励賞受賞。 東京都出身。1946年、疎開先の栃木県立佐野高等女学校(現・栃木県立佐野東高等学校)卒業。高校卒業後、新派へ入団して研究生となる。 川口松太郎に認められて、1955年「月夜鴉」で初めて主役を演じ、同年「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。 1959年(昭和34年)8月23日から1972年(昭和47年)2月6日まで放映されたTBSテレビ系列の東芝日曜劇場人気シリーズ『カミさんと私』で伊志井寛の相手役として人気を博す。 1963年には東宝演劇部入りして、舞台「マイ・フェア・レディ」などに出演。
北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2… 北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2018年9月6日)は、日本の元女優、元声優。新字体で北条 美智留と表記されることもある。六芸社に所属していた。父は劇作家、著述家の北條秀司。 神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。1939年4月、父秀司が劇作家の専業になるために箱根登山鉄道を退社し東京市麻布笄町(現:港区西麻布4丁目)に転居した後、戦火が激しくなってきた1945年4月に足柄下郡箱根町強羅に疎開して3年間を過ごす。終戦後の1948年4月に鎌倉郡大船町山崎(現:鎌倉市)に転居した後、1952年3月に同じ鎌倉市内の現自宅に転居し、2018年に亡くなるまでの66年間をこの家で過ごした。
関 千恵子(せき ちえこ、1930年2月8日 - )は、日本… 関 千恵子(せき ちえこ、1930年2月8日 - )は、日本の女優。東京府荏原郡目黒町(現・東京都目黒区)出身。夫はプロデューサーの市川喜一。本名・市川 千恵子(いちかわ ちえこ)。 日本女子大学附属高等女学校(現・日本女子大学附属中学校・高等学校)卒業後、大映第2期ニューフェイスに合格して、1948年大映に入社。1947年の『看護婦の日記』に主役としてデビューする。 1951年にフリーランスとなる。
南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひ… 南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝に所属していた。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督・演出家の若杉光夫。娘は女優の若杉民。
阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、… 阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、京都府京都市上京区出身の日本の女優。宝塚歌劇団出身。旧芸名は百 ちとせ(もも ちとせ)、阿井 三千子(あい みちこ)。本名は渡辺 千歳。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月… 奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の代表を務めた。父は洋画家の奈良岡正夫。 東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)で生まれる。父・正夫の影響で、子供の頃から絵を描いていた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校・附属中学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校を卒業。 1951年、女子美術大学洋画科を卒業する。「女優にならなければ医者になろう、と学生時代は考えていた」と『人生は三百六十五歩のマーチ』(BSフジ、2020年3月7日放送)のゲストトーク内で話している[出典無効]。
木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10… 木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10月17日 - 没年不明)は女優。東京市出身。本名・旧芸名は木匠久美子。 東京都立大森高等家政女学校(現・東京都立雪谷高等学校)卒業後、第1期東宝ニューフェイスに合格。『地下街二十四時間』(1947年、配給:東宝)で銀幕デビューを果たす。1952年木匠マユリに改名する。1955年、在日米軍の中尉と結婚して渡米したが、離婚して帰国した。
園 佳也子(その かやこ、1929年〈昭和4年〉10月7日 … 園 佳也子(その かやこ、1929年〈昭和4年〉10月7日 - 2010年〈平成22年〉7月27日)は、日本の女優。東京府(現・東京都)生まれ、大阪府大阪市天王寺区育ち。神戸女学院中学部・高等学部、神戸女学院大学文学部卒業。 1953年、NHKの大阪放送劇団の聴講生になり、同局の『ボーナス』に出演し、テレビ草創期から活動。 芸名は、ジャズ喫茶やクラブ歌手として活動していた当時、同時期に活動していた歌手が「花園」「田園」など園の付く字の芸名を名乗っていた人が多かったことから「園」、佳也子はちょうどその当時読んでいた本の主人公の名から採った。 1960年には『水戸黄門 天下の大騒動』で映画デビュー。
市川 千恵子(いちかわ ちえこ〔本名:市川 千江[要出典]、… 市川 千恵子(いちかわ ちえこ〔本名:市川 千江[要出典]、別名義:市川 千英子〕、1929年10月2日 - 没年不明)は、大阪府出身の日本の女優、声優。 日本女子大学中退[要出典]後、文学座附属演劇研究所を経て、1955年に『どんぐり日記』にて小鳩くるみの母役でデビュー。 かつては北の会、劇団東芸、劇団東宝現代劇、東京俳優生活協同組合、村上事務所[要出典]、希楽星に所属していた。 特技は日本舞踊、藤間流、大阪弁、京言葉、声楽(クラシック・ラテン)。 長所は大らかなところ、人にやさしいところ。短所は曲がったことが大きらいなところ。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
若山 セツ子(、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 1985… 若山 セツ子(、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 1985年〈昭和60年〉5月9日)は、日本の女優。東宝の清純派スターの一人として知られている。映画監督の谷口千吉の元妻。本名は坂爪 セツ子、旧芸名は若山 セツコ。 東京府目黒町中目黒出身。実践高等女学校卒業。 1946年、東宝ニューフェイス第1期生として東宝へ入社。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)。 1949年、『青い山脈』での丸メガネの女学生・笹井和子役で人気を獲得し、同年に東宝の映画監督であった谷口千吉と結婚。 1952年、『次郎長三国志』シリーズでは次郎長の女房・お蝶を演じた。 1956年に夫の谷口によるスキャンダルのため離婚。
明石 照子(あかし てるこ、1929年2月25日 - 198… 明石 照子(あかし てるこ、1929年2月25日 - 1985年12月31日)は、日本の女優で、元宝塚歌劇団雪組男役トップスター。本名は松見 孝子(まつみ たかこ)、旧姓:村上。愛称はテーリー。兵庫県神戸市出身。出身校は大阪桜蘭女学校、宝塚歌劇団時代の公称身長162センチ。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
平良 とみ(たいら とみ、1928年11月5日 - 2015… 平良 とみ(たいら とみ、1928年11月5日 - 2015年12月6日)は、沖縄県出身の女優。本名、平良とみ子。旧姓は比嘉。愛称は「おばぁ」。ACO沖縄所属。 那覇市松山町出身。13歳の時に国民学校高等科の学費を稼ぐために、石垣島で「翁長小次郎一座」に入団し、子役として活躍する。1950年に同じ劇団に所属する俳優の平良進と結婚し、4子をもうける。劇団「ときわ座」や劇団「潮」に参加し、1982年に夫の平良進と共に劇団「綾船」を創設した。 1999年に『ナビィの恋』のナビィ役として一躍有名になると、2001年にNHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』で、ヒロイン古波蔵恵里(国仲涼子)の祖母、ハナ役を演じて大ブレイクする。
三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25… 三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25日 - 2015年〈平成27年〉4月9日)は、日本の女優。本名:佐藤 幹子(さとう みきこ)。旧芸名は三条 美紀。京都府京都市右京区出身。血液型A型。父は俳優で大映の部長も務めた佐藤圓治。娘は元女優の紀比呂子。オフィスまとば所属。 京都で生まれ、日活に所属していた父が日活多摩川撮影所へ移るのを機に上京。東京都立桜水女子商業学校(現在の東京都立杉並総合高等学校)卒業。戦時中は、学徒動員により東芝府中工場の経理課で勤務していた。 戦後、大映東京撮影所経理課に勤務していたが、戦後になり大映がスターを発掘する中、永田雅一ら社内上層部の目に留まり演技課へ異動。
谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4… 谷 洋子(たに ようこ、1928年8月2日 - 1999年4月19日)は、日本の女優。国際映画俳優の草分けとして知られる。『風は知らない』『バレン』などに出演。 父は経済学者の猪谷善一、母・妙子は儒学者江木鰐水の曾孫である。 江木鰐水の長男保男は明治時代に江木写真館を開業する。妙子の父となる定男は、保男の後妻である悦子に育てられる。悦子の父は愛媛県令などを歴任した関新平である。また、悦子の妹にませ子(aka万世子)が、異母姉妹に大正三美人の一人江木欣々がいる。ませ子は鏑木清方の美人画「築地明石町」のモデルとなった女性である。 定男は悦子の妹・ませ子と結婚し、妙子と二人の妹を儲ける。作家の中勘助は、定男と一高で知り合い江木家にも出入りするようになるが、妙子を幼女のころから熱愛し、作品にも描いた。
佐々木 すみ江(ささき すみえ、1928年〈昭和3年〉6月2… 佐々木 すみ江(ささき すみえ、1928年〈昭和3年〉6月22日 - 2019年〈平成31年〉2月17日)は、日本の女優、声優。本名:青木すみ江(旧姓:佐々木)。所属事務所はアルファエージェンシー。 東京府出身(出生地は台北市)。東京府立第五高等女学校、日本女子大学家政学科卒業。劇団民藝(当初は東京民衆芸術劇場)養成所1期生(同期は大滝秀治・奈良岡朋子)。 大学卒業後の1951年、劇団民藝の結成に参加。『その妹』で初舞台を踏んで以降、多くの作品に出演。同年、ジャーナリストで産経新聞編集局長、筑波大学名誉教授の青木彰と結婚。 1971年に内部で起きた対立により、下條正巳や鈴木瑞穂、佐野浅夫らと共に劇団を退団。
伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、… 伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、日本の女優。東京市牛込区(現東京都新宿区神楽坂)出身。東京女子専門学校卒業。 雑誌『ラッキー』のミス・ラッキー賞受賞。 舞台芸術学院本科の第2期生として卒業。東映の女優として1952年に同社の映画『ギラム』に出演しデビュー。 東映の特撮作品などで母親役を演じることが多い。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年… 塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年〈平成19年〉5月17日)は、日本の女優。本名及び旧芸名は塩沢 登代路()。 東京市牛込区中里町出身。実践高等女学校卒。亡くなるまで東宝芸能に所属。 1947年、越後憲や杉葉子らと東宝ニューフェイス第2期に合格。芸能界入りからしばらくは、三越のファッションショーにモデルとしてたびたび出演した。1950年に端役で『女三四郎』で映画初出演。以降、1950年代の東宝作品に出演し、デビューからしばらくは本名の塩沢登代路で活動した。 1958年、舌癌を病み、手術の際に総入れ歯となったが、幸運にも担当医が舌癌の最新療法(当時)を学んでいたことで、寛解する。
角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年… 角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年10月12日)は、日本の女優。 本名は角 泰枝(すみ やすえ)。広島県広島市翠町(現・南区)出身。父親は広島文理科大学数学教授だった。五人姉妹の末女。広島文理科大学付属小学校ー広島第一高女(現・広島皆実高校)を経て、1945年、神戸女学院音楽部に進学したが、同年8月帰郷したおり被爆したため中退。1947年大阪音楽大学進学。翌1948年、初代・ミスヒロシマに選定され、東宝からスカウトされて映画界入り。豊田四郎監督の『エデンの海』の主役に抜擢されるが、東宝争議により製作中止された。 同郷の杉村春子と親交があり、演技力をつけるため文学座の研究生として1年在籍。
浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日… 浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉12月13日)は、日本の剣劇女優。東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。血液型はB型。本名は北岡 昭子(きたおか しょうこ)。愛称は「ミッチー」。内縁の夫はコメディアンの世志凡太。マスメディアからは「ストリップ剣劇と第一人者」と称された。 10歳ぐらいの頃、浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」に入団、森静子の森をとって芸名「小森昭子」をもらう。1944年(昭和19年)、座長の浅香新八郎が急逝し新生国民座は解散する。1945年(昭和20年)、阪東鶴蔵一座に入り「富士龍子」の芸名をもらう。その後「浅香光代」と名乗り自分の一座を結成する。
新村 礼子(にいむら れいこ、1928年〈昭和3年〉2月17… 新村 礼子(にいむら れいこ、1928年〈昭和3年〉2月17日 - 2011年〈平成23年〉3月23日)は、日本の女優、声優。劇団昴に所属していた。 東京都出身。共立女子専門学校(現:共立女子大学)卒業。文学座、劇団雲を経て、1976年から劇団昴に所属。舞台を中心に活動。夫は、文学座以来行動を共にしている劇団昴所属の俳優・内田稔。 1992年、『セールスマンの死』で、第27回紀伊國屋演劇賞を受賞。 2011年3月23日、慢性閉塞性肺疾患により死去。83歳没。
市川 寿美礼(いちかわ すみれ〈旧芸名:市川 すみれ(読み同… 市川 寿美礼(いちかわ すみれ〈旧芸名:市川 すみれ(読み同じ)〉、1928年1月5日 - 1972年8月5日)は、日本の女優、声優。 北海道札幌市生まれ。札幌実践女学校卒業。実家は洋裁屋を営んでいた。 1943年、市川三升の門下に入り、東京劇場で初舞台。1945年に劇団新派に入団し、市川紅梅に師事。明るい下町娘役など2枚目半的な役柄で活躍し、特に女中役には定評があった。1953年5月の「女中の青春」で初主演。1955年にはラジオドラマ「サザエさん」でタイトルロールを演じ、同年の新派の舞台でも同役を演じた。京塚昌子・近松芳江らともに若手のホープと目されたが、1956年に退団。1957年にフリーランスとなり、プレーヤーズセンター(ラジオ・テレビ出演者団体)に所属。
荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - … 荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - 没年不明)は、日本の女優。本名は吉田 五月。 熊本県出身。東京川村女学院(現・川村高等学校)を経て実践専門学校中退。鎌倉在住の文士たちが中心になって開催した鎌倉カーニバルにおいてミス鎌倉に選ばれ、久米正雄の推薦により、1949年に大映に入社。1950年、映画「私は狙われている」(監督:森一生)で主役に抜擢される。1952年に新東宝に移籍。1959年に東映入社。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属 。 1956年、関東女子ゴルフ選手権で優勝。当時、大きな話題となる。
若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927… 若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927年10月8日 - 1973年5月28日)は、日本の女優、コメディアン。東北弁(いわゆるズーズー弁)訛りを売り物にした女性コメディアンの第一人者である。「おヤエ」の愛称で知られ、天性とも言える抜群の歌唱力と演劇センスから「女エノケン」の異名も持っていた。 千葉県船橋市で生まれる。父親は国鉄の職員(両国駅の助役)であり、厳格な性格だった。そのため、若水は大変堅い家庭で育ったと言う。 1943年(昭和18年)、船橋市にある船橋高等女学校に入学するも、当時新劇や新派の大スターだった女優の水谷八重子に憧れて演劇への道を志すため、進学を希望していた両親の反対を押し切って中退した。
入江 杏子(いりえ きょうこ、1927年7月14日 - 20… 入江 杏子(いりえ きょうこ、1927年7月14日 - 2025年4月24日)は、日本の女優。檀一雄『火宅の人』の恵子のモデル。 福岡県出身。父は大阪毎日新聞の記者・入江邦太郎。本名・久恵。福岡高等女学校卒。 1947年、檀一雄が福岡で設立した劇団・珊瑚座で檀と知り合う。舞台芸術学院をへて、1951年劇団民芸附属演技研究所に入り、1956年同劇団入団。1956年8月、青森県蔦温泉に檀とともに行き、帰京後同棲する。1957年2月、檀と浅草千束町のマッサージ屋の二階に転居。1976年1月、檀と死別。 2025年4月24日午前9時15分、東京都内で老衰のため死去。97歳没。生涯独身だった。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。4兄妹の末子で次女である。 2012年11月16日、腎不全のため、死去。85歳没。死去は近親者による葬儀が行われた後の11月28日、劇団民藝によって発表された。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。
小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 -… 小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 - )は、日本の女優。広島県出身。身長146cm、体重43.5kg。本名は松本 敦子(旧姓、小野)。東京女子厚生専門学校卒業。 広島県賀茂郡(後の安芸津町。現在の東広島市)で生まれる。 1943年、新生新派に入り、舞台で活動。退団後はラジオでの活動も開始する。1949年に木の実座を結成。グループ・てえぶら、東京俳優生活協同組合、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
星 美智子(ほし みちこ、1927年1月20日 - )は、日… 星 美智子(ほし みちこ、1927年1月20日 - )は、日本の女優である。本名は庄野 礼子(しょうの れいこ)、旧芸名は星 美千子(読み同)。元子役である。 1927年(昭和2年)1月20日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 1935年(昭和10年)、8歳の時に、戦前の日活のスターだった叔母・星玲子のいる撮影所に遊びに行ったところ、親戚に当たるマキノ雅弘監督に「チビ、映画に出てみろ」と言われ、これをきっかけに映画『少年靴屋』で子役デビューする。しばらく子役として活躍した後、学業に専念し、立教高等女学校(現在の立教女学院中学校・高等学校)に入学した。 1945年(昭和20年)、東京女子医大か、日本女子大の英文科への入学を志し、両校を受験するが失敗する。
野村 昭子(のむら あきこ、1927年〈昭和2年〉1月2日 … 野村 昭子(のむら あきこ、1927年〈昭和2年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉6月29日)は、日本の女優。本名:増見 昭子(ますみ あきこ)。 身長157cm、体重64kg。血液型はA型。夫は、演出家の増見利清(2001年死去)。特技は、常磐津。薬剤師免許所持者。 東京市神田区(現:東京都千代田区)生まれ。「昭子(あきこ)」の名は神田明神に付けてもらったという。実家は医療器具の卸業を営み、裕福な家庭であった。 桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)、1946年に東京薬学専門学校(現:東京薬科大学)卒業。薬剤師として東京大学医学部附属病院に勤務していたが、演劇に魅せられる。父からは「鏡に自分の顔を10分間映すように」と諭されるも、10分間眺めたのちに「女優になります」と答え、1949年に劇団俳優座養成所の第1期生となる(同期は岩崎加根子)。
飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 19… 飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 1991年8月12日)は、日本の女優。鹿児島県鹿児島市出身。1950年、綜芸プロダクション所属。1956年、東京映画入社。1960年、東京俳優生活協同組合所属。本名同じ。旧芸名は飯田 てる子。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
目黒 幸子(めぐろ さちこ、1926年8月26日 - 201… 目黒 幸子(めぐろ さちこ、1926年8月26日 - 2015年10月8日)は、日本の女優。本名は井上幸子(旧姓目黒)。東京都出身。共立女子大学卒。 1948年大映第4期ニューフェイスに合格、大映東京撮影所に入社。同期に中条静夫、早川雄三。1949年、「愛染草」でデビュー。1971年の倒産まで在籍する。大映在籍中、三島由紀夫主宰の浪曼劇場に加わるが三島の自死により劇団は解散。1984年賀原夏子に誘われて劇団NLTに入団、以後舞台活動を中心とする。 1955年、大映助監督(後に監督)の井上芳夫と結婚するも、1989年に離婚。1981年から1983年にかけては井上幸子名で活動。特技は太極拳。 2015年10月8日午前3時23分、骨髄腫および老衰のため東京都荒川区の自宅で逝去。
杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、… 杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、1926年〈大正15年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月28日)は、日本の女優。東京府(現東京都)出身、血液型はB型。代表作は映画『キューポラのある街』、テレビドラマ『男はつらいよ』、『渡る世間は鬼ばかりシリーズ』。 実践女子学園第二高等女学校卒業後、保母や千葉新聞社の広告部員として働く。 東宝のニューフェイスに応募し、1946年に舞台芸術アカデミーへ。 2年の養成期間を経て、1948年、俳優座に入り、同年に『遠くへの羊飼い』で舞台デビュー。 1949年、『白鳥は悲しからずや』で映画初出演。長らく中堅女優として活動した。 『男はつらいよ』(テレビドラマ版)で車つね役を務め、映画版シリーズにも別役で複数回出演。
市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年… 市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年不詳)は、日本の元子役、女優である。本名は松田 光子(まつだ みつこ)。 1926年(大正15年)5月5日、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)出身。1930年(昭和5年)3月、3歳で松竹蒲田撮影所に入社、小津安二郎監督の『その夜の妻』でデビューする。1931年(昭和6年)の『マダムと女房』に渡辺篤と田中絹代の娘役で出演し注目を集める。1932年(昭和7年)の『残されたお菊ちゃん』では主演を務めるなど、数々の作品で活躍。蒲田名子役の一人となる。 1938年以降は出演記録が無く、1940年(昭和15年)に退社。1943年(昭和18年)の『愛機南へ飛ぶ』に端役で出演しているが、その後の消息は不明である。
若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没… 若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名勝田 英津子(かつた えつこ)。女優時代の初期には、若杉 須美子(わかすぎ すみこ)、若杉 紀英子(わかすぎ きえこ)の芸名を使っていた。 1926年(大正15年)3月23日、山形県南陽市に生まれる。誕生の日に母を亡くし、1928年(昭和3年)、2歳で東京市大塚の勝田家に養子に出された。幼時の記憶をなくしていたために長らく勝田家の実子と思い込んでいたが、女学校時代に戸籍謄本を偶然目にして養子であることが判明する。出生時の真実については、2000年(平成12年)のインタビューで初めて明らかにしたため、それ以前に出版されたキネマ旬報社・刊『日本映画人名事典』(1995年)の若杉嘉津子の項目などでは「1928年東京市出身」となっている。
菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日… 菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日 - 2018年〈平成30年〉8月10日)は、日本の女優。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事に所属していた。本名は佐藤 キミ子。旧芸名及び旧姓名は須斎 キミ子。 東京府東京市牛込区早稲田町出身。 本村小学校、頌栄高等女学校卒業。 1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、男性職員出征のため、文部省総務課調査課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。1946年3月、有楽座で東京芸術劇場の第1回公演『人形の家』を鑑賞したことがきっかけで同劇団の研究生に応募し、補欠合格となる。両親はともに芝居好きであったが、劇団研究生に応募することを相談した際、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたが、義理の兄が理解者となり両親も渋々ながら認めたとされる。
津島 恵子(つしま けいこ、1926年〈大正15年〉2月7日… 津島 恵子(つしま けいこ、1926年〈大正15年〉2月7日 - 2012年〈平成24年〉8月1日、正字では惠子)は、日本の女優、舞踊家。本名:森(旧姓:倉成)直子。 長崎県下県郡厳原町(現:対馬市)出身。三人姉妹の二女。4歳のころ一家で東京に転居。自由ヶ丘学園幼稚園、トモエ学園小学校、新宿區立四谷第三小学校を経て、東洋音楽学校普通科卒業後、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)本科中退。交易営団の秘書課に勤務ののち、飛騨高山に疎開し、現地で終戦を迎える。戦後は、弦巻町で自給自足の生活を開始。一方、6歳、自由ヶ丘幼稚園の時から舞踊を始め、同園および自由ヶ丘小学校にて宮操子から舞踊を学ぶ。のち、宮が四谷に研究所を設けたため、四谷第三小学校に転校して、同所に通う。
由美 あづさ(ゆみ あづさ、本名:深江淑子、旧名:佐知子、1… 由美 あづさ(ゆみ あづさ、本名:深江淑子、旧名:佐知子、1925年12月3日 - 2002年8月13日)は、元宝塚歌劇団の女優。兵庫県神戸市出身。梅花高等女学校(現・梅花中学校・高等学校)出身。宝塚歌劇団時代の愛称はチヤセン。
河東 けい(かとう けい、1925年11月20日 - 202… 河東 けい(かとう けい、1925年11月20日 - 2024年7月17日)は、日本の女優。 本名は西川 紫洲江(にしかわ しづえ)。兵庫県神戸市出身。日本女子大学卒業。特技はピアノ、狂言。1952年に民衆劇場に入団。1957年に結成された関西芸術座創立メンバーの一人。 晩年までテレビドラマ、舞台などに多数、出演し、活躍していた。関西芸術座では演出もおこなった。関西新劇界を代表する女優の一人である。 2024年7月17日、老衰のため死去。98歳没。
浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )… 浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )は、日本の女優。本名:木全鈴子。大阪府大阪市出身。志母沢事務所に所属していた。 宝塚歌劇団出身(28期生。在団1938年 - 1954年)。同期に1963年から1976年まで月組組長を務めた美山しぐれがいる。宝塚入団時の成績は29人中16位。 宝塚歌劇団在団中の1953年6月13日、ベルリン国際映画祭に出席の為に山口淑子・川喜多長政・稲垣浩監督・五所平之助監督とともに西ドイツへ出発。約1ヶ月半後の同年7月29日に稲垣監督と共に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。日本出発時の飛行機のタラップ(屋根なし)での写真が現存する。
飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月… 飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月4日 - 没年不明)は日本の童謡歌手、女優。本名飯田房江。 1925年(大正14年)、東京市板橋区板橋町に生まれる。父は歌人の飯田莫哀。板橋第二小学校在学中に長谷基孝のもとで童謡を学び、コロムビア専属の童謡歌手となる。千代田高等女学校卒業後は宮川美子に師事、東洋音楽学校に入学するが太平洋戦争により音楽学校が閉鎖となったため1944年(昭和19年)東宝に参加、女優となる。1949年(昭和24年)ごろに第八軍法務部勤務の丸山晴次と結婚する。
睦 千賀(むつみ ちが、本名:中澤智子、1925年9月9日 … 睦 千賀(むつみ ちが、本名:中澤智子、1925年9月9日 - 2011年6月15日)とは元宝塚歌劇団娘役(元雪組組長)の人物である。兵庫県芦屋市出身。芦屋高等女学校出身。芸名の由来はいつまでも人の和を保つように。宝塚歌劇団時代の愛称はサトちゃん。以前の芸名は睦 千世(むつみ ちよ)。 1939年に宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1941年に29期生として、宝塚歌劇団に入団。初舞台公演演目は『大やまとの歌』。宝塚入団時の成績は17人中5位。 在団中に渡辺武男の郷土芸能シリーズ作品振付助手を担当。 1960年?から1963年?まで、月組副組長を務める。 1967年?から1975年?まで、花組副組長を務める。
月丘 千秋(つきおか ちあき、1925年3月20日 - 20… 月丘 千秋(つきおか ちあき、1925年3月20日 - 2015年5月10日)は、日本の女優。本名:旭爪 菊江(ひのつめ きくえ)。実姉は女優の月丘夢路、実妹は月丘昌美(松竹映画「花ある星座」で共演)、義兄は映画監督の井上梅次。 広島県広島市で薬局の娘として生まれる。1942年(昭和17年)に広島県立広島第一高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校)卒業後、姉の月丘夢路と同じ宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学する。1944年 宝塚音楽歌劇学校卒業。4月の初舞台直前に、宝塚大劇場は閉鎖、海軍予科練に接収され、舞台に立てないうちに退団。姉の夢路が、轟夕起子に誘われて、轟の夫のマキノ正博が所長をしていた松竹京都へ移籍すると同時に、月丘千秋として映画界に入る。
黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 20… 黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 2004年〈平成16年〉9月12日)は、日本の女優。本名:北村 真咲。東京市(現:東京都)牛込出身。 宝塚歌劇団26期生。夫は俳優の曽我廼家明蝶。息子は愛媛朝日テレビ代表取締役会長の北村一明。 阿倍野高等女学校(現:大阪府立阿倍野高等学校)中退。 宝塚音楽歌劇学校(現:宝塚音楽学校)を経て1940年に宝塚歌劇団に入団。「アンナ」の愛称で花組の男役で出演。 三菱航空機に勤務後、宝塚歌劇団へ復帰。その後は東宝歌舞伎にも客演。 1969年、『メナムに赤い花が散る』を最後に宝塚歌劇団を退団。同年、俳優の曽我廼家明蝶と結婚。 2004年9月12日、死去。
七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ… 七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ)、1925年〈大正14年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉7月2日)は、日本の女優、声優。 東京市赤坂区(現・東京都港区)に生まれる。 東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)在学中の1942年、子供の頃から好きだった歌や芝居が忘れられず、設立されたばかりのNHK東京放送劇団の試験を受け、一期生として合格。卒業と同時に養成所に入り、2年後に卒業。初めての出演は、全国にある国立病院の傷痍軍人向け慰問放送のドラマの主役だった。 その後、ラジオ漫画『サザエさん』『西遊記』、ラジオドラマ『君の名は』に出演するなど声優の草分けとして活躍。
折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よし… 折原 啓子(おりはら けいこ、本名:三上 芳子〔みかみ よしこ〕、旧姓:折原、1925年〈大正14年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉11月24日)は、日本の女優。映画プロデューサーの三上訓利は夫、元・プロ野球選手の篠塚和典は娘婿(篠塚の妻・嘉津子が実娘)、俳優の三上博史は甥、篠塚宜政は(折原の死去後に誕生した)孫である。 1925年、茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)生まれ。茨城県立取手高等女学校(現・茨城県立取手第二高等学校)卒業後にタイピストを経て見習い看護婦をしていたが、戦後まもない1945年に大映第1期ニューフェースに応募・合格し、翌1946年に『彼と彼女は行く』でデビュー。以後、『花咲く家族』など約60本に主演し、その美貌が多くのファンの心をとらえた。
阿里 道子(あり みちこ、1925年 - )は、日本の女優、… 阿里 道子(あり みちこ、1925年 - )は、日本の女優、声優。実践女子専門学校卒業。 東京都大田区千束出身。東工大の研究室に勤務していたが、1947年、劇団民藝の研究生となり、1948年に「たくみと恋」(民衆芸術劇場)のルイーゼ役で初舞台に上り注目を浴びたのち、東京放送劇団に移る。1949年にNHKラジオドラマの「えり子とともに」に主役のえり子役にオーディションで抜擢され、その甘い声で人気を博した。劇中歌として作られた「雪の降るまちを」を最初に歌ったのは、同番組に出演していた南美江と阿里道子である。1952年「えり子とともに」の終了後も引き続いて、脚本家菊田一夫の脚本によるNHKラジオドラマ「君の名は」で、ヒロイン役の氏家真知子役をつとめ、多大な人気を獲得した。
利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ… 利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ)、1924年〈大正13年〉11月15日 - 2005年〈平成17年〉4月27日)は、日本の元女優。演技派の脇役。利根 はるゑとも表記される。千葉県千葉市出身。 1924年、東京府生まれ。松竹少女歌劇団の松竹少女歌劇学校を1年で中退し、松竹大船入社。芸名は池上鶴代。 丸山定夫の苦楽座を経て、1947年、新宿ムーラン・ルージュに入り、1949年東宝『今日われ恋愛す』でデビュー。 1950年、新東宝入社、『熱泥地』で初主演。 1952年、大映と本数契約。山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた。 1953年、現代俳優協会に参加、『ひめゆりの塔』などに出演。
旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30… 旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30日 - 2001年(平成13年)12月31日)は、日本の女優である。本名、杉 輝子(すぎ てるこ)。東京都台東区浅草出身。1938年(昭和13年)、実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退し松竹少女歌劇学校に入る。翌年、松竹少女歌劇団に入団。1947年(昭和22年)に退団。映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍した。