林 晴比古(はやし はるひこ、1948年 - )は、コンピュ… 林 晴比古(はやし はるひこ、1948年 - )は、コンピューティングのコンサルタント。本名、若林茂雄。プログラミング言語の著書を多く出版している。 芝浦工業大学電気工学科卒業。沖電気工業を経て、ハリーシンク社代表取締役。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、コンピュータに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:コンピュータ)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営… 堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営コンサルタント。ベインキャピタル・ジャパン会長。UCC上島珈琲株式会社監査役。東京都渋谷区松濤在住。
船曳 鴻紅(ふなびき こうこ、1947年10月3日 - )は… 船曳 鴻紅(ふなびき こうこ、1947年10月3日 - )は、デザイン・コンサルタント。日本デザインコンサルタント協会代表。 文化人類学者で東京大学大学院総合文化研究科名誉教授の船曳建夫は夫。建築家の船曳桜子、映画監督の船曳真珠は娘。
大坪 正則(おおつぼ まさのり、1947年9月6日 - 20… 大坪 正則(おおつぼ まさのり、1947年9月6日 - 2014年3月4日)は、帝京大学教授、経営コンサルタント、スポーツ経営学者。佐賀県唐津市出身。西南学院大学商学部卒業。 1970年大学卒業後、伊藤忠商事に入社する。入社後、米国駐在員、NBA担当責任者などを経て、1986年にNBAとのライセンス契約を結び責任者に就任。1990年には、NBA公式戦開幕試合を実施した。この試合は史上初の北米大陸以外での公式戦開催であり、このNBAのマネジメントを通して米国のプロスポーツリーグ経営を学ぶ。 1998年に伊藤忠商事退社後、1999年に株式会社ニッポンスポーツマネジメントを設立し、代表に就任。その後、大広顧問(1999年4月 - 2004年3月)、ニッポン放送スポーツ部の経営コンサルタント(2000年10月 - 2001年9月)、ヤクルト球団の経営コンサルタント(2000年11月 - 2001年3月)などを歴任。
小山 政彦(こやま まさひこ、1947年7月6日 - )は、… 小山 政彦(こやま まさひこ、1947年7月6日 - )は、東京都出身の経営コンサルタント。株式会社船井総合研究所元代表取締役会長。株式会社風土代表取締役会長。 東京都生まれ。開成高等学校、早稲田大学理工学部数学科卒業。1984年6月、日本マーケティングセンター(現船井総合研究所)に入社。入社3年目には1億円の売上を上げ、7年目には3億円以上を稼ぐコンサルタントとなった。コンサルタントになってからは、自身の数理マーケティング理論として『船井流マーケティングの真髄』を著した。船井総研創業者の船井幸雄は「10年に一人の天才コンサルタント」と言った。 副社長を経て、2000年、同社代表取締役社長に就任。
椎野 秀聰(しいの ひでさと、1947年5月20日 - 20… 椎野 秀聰(しいの ひでさと、1947年5月20日 - 2025年11月 )は、茨城県生まれで東京出身の実業家、楽器設計コンサルタント。ヤマハ、フジゲンなどで楽器ブランドを興し、ベスタクス株式会社を創業した。椎野正兵衛商店店主。 出生地は茨城県と紹介されているが、東京都である(本人談)。茨城県は、氏の祖父である椎野正兵衛氏の出身地である。祖父の正兵衛氏は、明治時代、横浜を拠点に絹の取引を手広く行っていたようで、後に横浜で氏が復活した「椎野正兵衛商店」の由来となっている。 日本のギターの草創期における名プロデューサー。数多くの素晴らしい楽器を送り出している。 1947年に茨城県真壁郡新治村で生まれる。
浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は… 浜田 義史(はまだ よしふみ、1947年5月14日 - )は、日本のマーケティングエンジニア、クリエーター、ビジネスマン、特許保有ビジネス、服飾コンサルタント、食ガイド。 日本のパーソナルコンピューター黎明期に活躍した企業「アスキー」の創業者・西和彦の右腕として知られる。 東京都目黒区生まれ。サレジオ高等学院卒業。獨協大学法学部中退。青年期には学生運動に参加し、逮捕・投獄を経験。さらに重い病を患い、精神的にも過酷な青春時代を送った。 1982年2月、アスキーの関連会社「ASCII Consumer Products(ACP)」に入社。当時アスキーマイクロソフト部門事業部長だった古川享(のちのMicrosoft日本法人初代社長)は、浜田の会社でアルバイトをしていた縁があり、京都セラミック(現・京セラ)社長稲盛和夫からの支援を受ける。
三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリ… 三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリスト、スポーツコンサルタント、プロデューサー。元産経新聞社記者、元法政大学教授、元株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役、女性スポーツ財団日本支部設立者、元公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事。専門はスポーツビジネス、スポーツジャーナリズム、女性とスポーツ、スポーツとまちづくり。 1947年:東京都で生まれる。 1970年:慶應義塾大学法学部政治学科卒業 1970年:産経新聞社入社、社会部記者を経て、サンケイスポーツ運動部記者となる。 1973年:同社退社後、フリーランスのスポーツジャーナリストとして、オリンピックなどの国内外のスポーツ事情を取材し、原稿執筆などを開始する。
岡本 正耿(おかもと まさあき、1947年 - )は、経営コ… 岡本 正耿(おかもと まさあき、1947年 - )は、経営コンサルタント。東京都出身。(株)マーケティングプロモーションセンター代表取締役。 心理学、精神分析をベースにしたコンサルティング業務が専門分野。マーケティング、経営品質、CS(顧客満足)の分野における第一人者として、講演、公的機関の委員、大学講師など幅広く活躍している。 近年は自治体、学校など、公的部門における利用者満足、経営改善の問題にも取り組んでおり、元三重県知事・北川正恭との共著も出版している。
関沢 英彦(せきざわ ひでひこ、1946年7月27日 - )… 関沢 英彦(せきざわ ひでひこ、1946年7月27日 - )は、発想コンサルタント、コピーライター、生活・広告・コミュニケーション戦略・創造性の研究者。東京経済大学名誉教授。 東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業。博報堂入社後、コピーライター。博報堂生活総合研究所設立と同時に、同所。主席研究員を経て、所長(1996年-2004年)。後に顧問(2004年-2015年)。現在、博報堂DYMPメディア環境研究所顧問。公益財団法人博報堂教育財団評議員。 2003年、東京経済大学コミュニケーション学部教授(2017年まで)。広告論・コミュニケーション戦略論・コンセプトと表現・日本語ワーショップなどを担当。
一柳 良雄(いちりゅう よしお 1946年1月3日 - )は… 一柳 良雄(いちりゅう よしお 1946年1月3日 - )は、日本の経営コンサルタント・元通産官僚。 ”志・情熱・信頼”をモットーに、志を共有する仲間と日本(社会)をよくすることを究極の目標として、 経営戦略コンサル、行政・政治との橋渡しをする政策規制コンサル、若者の夢を育てるベンチャー支援を行う。 さらには人材育成にも注力し、 次世代を牽引せんとする情熱と志を持ったリーダーたちを育成する経営塾・一流塾を主宰。 テレビキャスターも務める。 若者が夢を持って頑張る活力ある社会と世界から尊敬される日本の実現を目指して、 自由闊達なコミュニケーション及び進取の気性とチャレンジ精神とを根幹において 三方良しの考えで、次の事業を行う。
秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は… 秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は、日本の旅行・航空評論家、サービスコンサルタント。
丸山 弘昭(まるやま ひろあき、1946年 - )は、日本の… 丸山 弘昭(まるやま ひろあき、1946年 - )は、日本の公認会計士、税理士、経営コンサルタント。アタックス創業者・元代表取締役社長。アタックスグループ代表パートナー、トヨタ車体監査役、フジパングループ本社監査役、ブラザー工業監査役、丸八証券取締役等を歴任。 岐阜県生まれ。東海高等学校を経て、1968年一橋大学経済学部卒業。銀行に内定するも公認会計士を志し、1970年一橋大学商学部卒業、日本合成ゴム株式会社入社。 株式会社第一会計計算センター(現株式会社ダイテック)、監査法人伊東会計事務所(のちのみすず監査法人)を経て、1974年公認会計士丸山弘昭事務所設立。1981年、西浦道明と熱田コンピューターサービス株式会社(現株式会社アタックス)を設立。
齊藤 博(さいとう ひろし、1946年 - )は、東京都出身… 齊藤 博(さいとう ひろし、1946年 - )は、東京都出身の建築家・都市プランナー・都市計画コンサルタント・まちづくりコンサルタント。
髙梨 智弘(たかなしともひろ、1945年8月16日 - 20… 髙梨 智弘(たかなしともひろ、1945年8月16日 - 2021年8月16日)は、日本の公認会計士、経営コンサルタント。T&Tパートナーズ会長、医業経営コンサルタント((公社)日本医業経営コンサルタント協会認定)、ITコーディネータ(NPO法人ITコーディネータ協会認定)、株式会社日本総合研究所フェロー、文部科学省『政策評価に関する有識者会議』日本学術振興会ワーキングチーム委員、NPO法人内部統制評価機構(内部組織に医療経営総合研究所)理事長、NPO日本ナレッジ・マネジメント協会理事、NPO法人ITコーディネータ協会評議員、日本イノベーション融合学会理事長、株式会社経済産業新報社取締役会長、株式会社I.G.Mホールディングス監査役、株式会社クレデンス監査役を歴任した。
山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作… 山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作家・広報コンサルタント。石川県加賀市出身。 東京外語大学卒業後、NHKに入局、帯広局、札幌局などでローカル番組を制作。外資系広報企業で広報業務に携わった後、1978年に「岑亜紀良」(みね あきら)のペンネームで執筆した『ハリウッドを旅するブルース』が第31回小説現代新人賞を受賞。その後も『俺のブルースを聞け』などの小説を執筆し、作品の一つ『BEST GUY』は織田裕二主演で映画化され、本人も原作家としてのみならず同映画のプロデューサーとして関わる。執筆業と平行して行っている広報業(PR)では、国内外の企業に広報サービスを行い、95年頃から行っているメディアトレーニング講師としても知られる。
織田 進(おだ すすむ、1945年6月19日 - )は、日本… 織田 進(おだ すすむ、1945年6月19日 - )は、日本の医師・内科医・産業医・産業保健アドバイザー・労働衛生コンサルタント。一般社団法人PHR協会理事。医学博士。 昭和20年6月19日 福岡県築上郡椎田町にて6人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時、福岡県門司市(現在の北九州市門司区)へ転居。中学の頃は兄弟の子供の世話をよくしていた。将来は、教師になりたいと考えていたが、内科医であった伯父の姿をみて医者を目指そうと決心する。1964年 東京オリンピックの年に山口大学へ入学。1970年に同校を卒業し内科医となる。1975年には米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学。アメリカでは子供と間違えられ、服を買いにいくと子供服売り場へ案内されたことがあった。
堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵… 堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵庫県出身の日本の経営コンサルタント、馬主。ドリームインキュベータ(DI)代表取締役会長。父親は駐イタリア大使、プロ野球パ・リーグ会長などを務めた堀新助。
金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月… 金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月5日 - )は、日本の経営コンサルタント、警察官僚。元警察庁警備局長。日本における危機管理の第一人者。 1945年4月5日、熊本県山鹿市生まれ。1964年3月福岡県立小倉高等学校卒業。1969年3月京都大学法学部卒業。1975年6月ジョンズ・ホプキンズ大学SAIS修了、国際関係学修士。 1969年4月、警察庁に入庁。入庁同期に漆間巌、林則清、中田好昭(関東管区警察局長)黒澤正和など。京都府警察本部、大阪府警察本部の課長を経て、警視庁に勤務。教育訓練、警備関連の課長職を経て、1988年3月より警視庁第一方面本部長。その後、人事・監察・制度調査関連の課長・参事官、警備部長、静岡県警察本部長を経て、1997年4月より警察庁長官官房総務審議官(現:総括審議官)。
植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日… 植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日 - )は、日本の経営コンサルタント。ヴァージン・グループ顧問を歴任。マーガレット・サッチャーとのインタビユーを実現した個人として有名で、その後、1991年から2000年までマーガレット・サッチャー日本代理人を務めた。株式会社植山事務所代表取締役社長、一橋大学、元非常勤講師。東洋大学、元客員教授。 静岡県富士宮市で本州製紙社員の家に生まれる。AFSでアメリカ合衆国イリノイ州サンドウィッチに留学後、東京都立西高等学校を経て、一橋大学商学部卒業。一橋大在学中に1年休学し西ドイツで出版社に勤務。その後、1987年にスタンフォード大学経営大学院S.E.P.修了。
田谷 廣明(たや ひろあき、1944年(昭和19年)12月2… 田谷 廣明(たや ひろあき、1944年(昭和19年)12月27日 - )は、投資家、経営コンサルタント。東京都出身の元大蔵官僚。二信組事件関連で、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則のプライベートジェットで香港旅行したことなどの過剰接待により辞任した。また主計官時代に整備新幹線着工問題に関して、昭和三大馬鹿査定発言を行い、物議を醸した。 1944年、東京神田に生まれる。中学から東京学芸大学附属、一浪の後に東京大学文科一類に入学。国家公務員上級試験の成績は一位。司法試験も現役で合格。 主税局で課長補佐ののち、1978年~1983年まで主計局で公共事業や防衛の予算編成を担当する。その後1987年~1992年まで主計官として運輸、通産、公共事業の予算を担当し、主計局総務課長を務め、事務次官候補であった。
中村 ひとし(Hitoshi Nakamura、ヒトシ・ナカ… 中村 ひとし(Hitoshi Nakamura、ヒトシ・ナカムラ、ひとしの漢字表記は「矗」、1944年10月22日 - )は、日系ブラジル人一世の都市環境政策者・造園家・環境コンサルタント。環境教育者。 ブラジルのクリチバ市で都市開発にかかわっている。同国の環境政策の実行に貢献している。 これまでの環境政策への取り組みが評価され、クリチバ市をはじめ、ブラジル国内多数の市で名誉市民賞を受賞している。現在も日本とブラジルの文化・経済交流で活躍。パラナ日伯商工会議所 (CCIBJ do Parana) 環境事務部長。2009年からブラジリア首都開発公社総裁補佐。兵庫県明石市出身。 1944年10月22日、疎開先である母親の実家の千葉県木更津市で生まれる。
上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は… 上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は日本の料理研究家、フードコンサルタント。鹿児島県出身。フード・アイ社長。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身… 猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身の記者、ジャーナリスト、経営コンサルタント。専門はメディア論、コンテンツ産業論、学校教育。 1944年に東京都で出生。東京都立大学附属高等学校を卒業後、早稲田大学政経学部政治学科を中途退学し、京都大学農学部農林経済学科に転学した。 大学を卒業後、1970年に毎日新聞社に入社して記者となる。主に経済分野を歩み、仙台支局を経て、1974年に東京本社経済部記者として大蔵省、農林水産省、日本銀行などの官公庁、民間業界の取材を担当した。1988年に東京本社経済部副部長(デスク)に就任。 1990年に毎日新聞を退職後、船井総合研究所に入所し、経営コンサルタントとなる。
許斐 義信(このみ よしのぶ、1944年 - )は、日本の経… 許斐 義信(このみ よしのぶ、1944年 - )は、日本の経営コンサルタント。 1967年慶應義塾大学工学部機械工学科卒業。三菱商事勤務を経て、1971年同大学院工学研究科管理工学専攻修士課程修了。1976年同博士課程満期退学。 1972年慶應義塾大学大学院経営管理研究科講師、1999年教授、2011年定年退職。
大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )… 大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、起業家。 マサチューセッツ工科大学博士。マッキンゼー日本支社長を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策大学院教授やスタンフォード大学経営大学院客員教授を歴任。 現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長、韓国梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長等を務める。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 福岡県若松市(現北九州市若松区)出身、ただし幼少期。父・忠男は長崎県対馬の漁師の家に生まれた三男で、博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集された陸軍大尉。
本告 正(もとおり ただし、1943年(昭和18年)1月16… 本告 正(もとおり ただし、1943年(昭和18年)1月16日 - )は日本の実業家、経営コンサルタント。元船井総合研究所社長・副会長。 1965年(昭和40年)3月に法政大学経営学部を卒業する。丸忠、シャルム、日本マネジメント協会を経て、1971年(昭和46年)に日本マーケティングセンター(現・船井総合研究所)に入社する。1981年(昭和56年)に取締役社長室長、1984年(昭和59年)に常務取締役東京経営指導本部長、1989年(平成元年)3月に代表取締役専務管理本部・総務本部統括担当、1990年(平成2年)3月に代表取締役社長、2000年(平成12年)3月に代表取締役副会長に就任する。 また、2000年(平成12年)3月にコスモプラン代表取締役社長・船井財産コンサルタンツ代表取締役会長、2000年(平成12年)5月に船井総研ロジ代表取締役会長、2001年(平成13年)11月にビジネス社代表取締役会長、2002年(平成14年)3月に船井総合研究所取締役相談役を歴任する。
横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2… 横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2024年4月4日)は、日本の経営コンサルタント、社会システムデザイナー。県立広島大学大学院経営管理研究科研究科長。オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)企画・推進責任者。広島県出身。 広島大学附属高等学校を経て東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。 前川國男建築設計事務所、デイビス・ブロディアンドアソシエーツを経て、1975年(昭和50年)マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、1987年(昭和62年)同社ディレクター、1989年(平成元年)同社東京支社長を歴任し、2002年(平成14年)6月同社退職。
谷口 正和(たにぐち まさかず、1942年7月29日 - 2… 谷口 正和(たにぐち まさかず、1942年7月29日 - 2022年11月30日)は、京都府出身のマーケティング・コンサルタント。株式会社ジャパンライフデザインシステムズ代表取締役社長、立命館大学大学院経営管理研究科教授(2003年4月〜2013年3月)、東京都市大学都市生活学部客員教授(2009年4月〜2013年3月) 京都学芸大学(現:京都教育大学)付属小・中学校、京都府立鴨沂高等学校、武蔵野美術大学造形学部産業デザイン学科を卒業。1981年 株式会社ジャパンライフデザインシステムズ 設立。1986年 マーケット情報分析誌「Fax Press(現IMAGINAS)」創刊。1994年 超・地域限定マガジン「ウォーキング」創刊。
菅 民郎(かん たみお、1942年6月25日 - )は、日本… 菅 民郎(かん たみお、1942年6月25日 - )は、日本の統計学者、統計解析のコンサルタント、企業家。博士(理学)(中央大学・2009年)。ビジネス・ブレークスルー大学院名誉教授。東京都出身。 株式会社社会情報サービス、株式会社エスミ、株式会社アイスタットを設立。 統計学や解析手法は分析・研究の現場で生かされるべきと考え、統計解析の入門書を数多く執筆・出版している。 1942年、東京都杉並区で誕生。学生時代から東大セツルメントなどの児童文化運動に関わっていた父・菅忠道(児童文学研究家)と貿易商垣内徳三郎が所有する名主の滝亭(現在は東京都北区名主の滝公園)で誕生した母・京子との間に長男として生まれる。
後正武(うしろ まさたけ、1942年3月8日 - )は、日本… 後正武(うしろ まさたけ、1942年3月8日 - )は、日本の経営コンサルタント。東京マネジメントコンサルタンツ代表取締役。 東京大学法学部卒業、ハーバード大学Master of Business Administration。富士製鐵、新日本製鐵、マッキンゼー・アンド・カンパニー、ベイン・アンド・カンパニー取締役副社長/日本支社長を経て、1995年東京マネジメントコンサルタンツを設立し現職。 実父は、緬甸方面軍後方担当参謀であった後勝(陸軍少佐<陸士48期・陸大57期>・戦後東洋紙業副社長・最高顧問を歴任)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
松村 明仁(まつむら あきひと、1941年6月13日 - )… 松村 明仁(まつむら あきひと、1941年6月13日 - )は医師(医学博士)、労働衛生コンサルタント、元厚生技官。満洲国生まれ、山梨県出身。 薬害エイズ事件当時の厚生省生物製剤課長(前任者は、郡司篤晃)。1985年8月、血友病患者ら3人が、危険な非加熱濃縮製剤の市場からの早期回収を製薬会社に指導するよう陳情する為、松村課長を訪れた。これに対し、同氏は、「それは出来ない。非加熱製剤が(HIVに)すべて汚染されているとは限らない。厚生省が指導すれば製薬会社は従わざるを得ず、企業に損害を与えてしまう」と述べたとのことである。また、当時、不凍液入りのワインが市場に出回り大騒ぎとなっており、患者たちが「どうしてワインは回収できて、非加熱製剤はだめなのか」と詰め寄ると、同氏は、「ワインは一般国民が飲むが、凝固因子(血漿製剤のこと)の使用者は限られているから」と答えたという。
落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月2… 落合 莞爾(おちあい かんじ、1941年〈昭和16年〉4月26日 - )は、日本の投資家、経営コンサルタント、歴史研究家。 一色 崇美(いっしき たかよし)・成行庵主人の筆名がある。 和歌山県和歌山市生まれ。 和歌山県立桐蔭高等学校を経て東京大学法学部卒業後、住友軽金属を経て経済企画庁調査局へ出向、住宅経済と社会資本の分析に従事し、1968-69年の『経済白書』の作成に携わる。その後、中途入社第1号として野村證券に入社、商法および証券取引法に精通し事業法人部業務課長に就任。債務超過に陥った日活の第三者割当増資や、流通卸センターによる横浜メリヤスへのM&Aで仕掛人として動いたと言われている。1978年に野村證券を退社し、株式会社新事業開発本部(現・落合莞爾事務所)を設立。
窪田 靖彦(くぼた やすひこ、1941年4月24日 - )は… 窪田 靖彦(くぼた やすひこ、1941年4月24日 - )は、日本の経営学者、中小企業診断士、コンサルタント、実業家。学校法人産業能率大学チューター、K・コンサルティング代表、特定非営利活動法人東京城南中小企業診断士会コンサルティング部所属。 株式会社産能コンサルティング取締役総務部部長、株式会社産能コンサルティング取締役コンサルタントなどを歴任した。 1964年、早稲田大学の第一商学部を卒業した。同年、テルモに入社し、主として原価計算の制度の構築に従事するとともに、株式上場を目指したり、さらには、日本国外に設けられた拠点の管理に携わった。その後、1989年に産能コンサルティングに入社した。同社では取締役に就任するとともに総務部の部長を兼任した。
本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 20… 本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 2024年10月9日)は、日本の著述家、コンサルタント(中小企業診断士)。 1941年東京都生まれ、杉並区阿佐ヶ谷育ち。私立城北高等学校を経て、1965年中央大学法学部を卒業する。時事通信社を経て、1971年に現代職業研究所を設立する。そこで「内向型人間のお仲間」のため「個人のための無料職業&人生相談業」を行い、これを天職と考えているが、2013年時点で体調不良により相談は休業している。
久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10… 久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10月10日 - )は、群馬県太田市出身の医療機器開発コンサルタント、サイエンスライターである。生体情報モニタの創始を手始めとして、心電図モニタ、パルスオキシメーターなどのワイヤレス化、小型・省エネ化、ポータブル化などによる関連機器群の普及活動に尽力している。 1963年、群馬大学工学部電気工学科を卒業後、日本光電工業株式会社に入社し医療機器の研究開発に従事した。1965年に生体情報モニタ、1975年にワイヤレス式の生体情報モニタを商品化し、ともに世界初の開発だったことから「ミスタモニタ」や「生体モニタの父」と呼ばれる。このとき開発された初号機「MBM-40」は現在麻酔博物館に展示されている。
狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の… 狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の教育者、著述家、コンサルタント(品質管理分野)である。東京理科大学名誉教授。 顧客にとっての品質を左右する、製品に「不可欠な」(当たり前)要素と「他の製品と差別化する」(魅力的)要素とを峻別したシンプルなランキングによる顧客満足モデル(「狩野モデル」として知られる)を開発した。 2010年度にはローマ大学の客員教授を務めた。 1970年代後半から1980年代前半に、狩野とその門下生は、顧客満足モデルについての新たなアプローチの基礎を築いた。狩野は、企業の製品やサービスのあらゆる要素を改善することが顧客満足度の向上につながるという従来の通説に異を唱えた。
川勝 良昭(かわかつ よしあき、1940年 - )は、日本の… 川勝 良昭(かわかつ よしあき、1940年 - )は、日本のプロジェクトマネジメント研究家、コンサルタント。元法政大学情報技術研究センター教授。新潟県参与。京都府出身。 京都府出身。1962年、早稲田大学法学部卒業。 新日本製鐵に入社して、ニューヨーク駐在員となった。帰国後、本社の技術協力開発部長、テーマパーク開発部長を歴任。北九州市のスペースワールドのプロジェクトリーダーとなった。 1980年、再びニューヨーク駐在員となり、ニューヨーク州立大学の客員講師を務めた。 1992年、セガ・エンタープライゼスに転職して、テーマパーク事業部長に就任。ジョイポリス第1号店の開発事業を手掛けた。1995年、岐阜県理事となり、梶原拓知事の「県起こし」事業を推進。
山田 日登志(やまだ ひとし、1939年 - )は、日本のコ… 山田 日登志(やまだ ひとし、1939年 - )は、日本のコンサルタント。専門は生産管理。PEC産業教育センター所長。セル生産方式の発案者。生産現場のムダを排除する「ムダとり」の生みの親とされる。 1939年、岐阜県羽島市生まれ。南山大学文学部を卒業後、1963年中部経済新聞入社。1965年、岐阜県生産性本部に転職。工場改革に行き詰っていたとき、トヨタ自動車の大野耐一と出会い、弟子入りする。トヨタ流工場運営のノウハウを学んだ後、1978年にPEC産業教育センターを設立し、現職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の… 長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の経営者、実業家、経営コンサルタント、ノンフィクション作家。現在、会社力研究所代表。 千葉県生まれ。千葉県立佐倉高等学校を経て、中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックス・ジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。2000年、株式会社ニコンの眼鏡事業部、及び子会社ニコンオプチカル社と、仏エシロールの日本法人バリラックス・ジャパンとの合弁会社ニコン・エシロール社の副社長、後に代表取締役。
三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 20… 三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 2007年4月7日)は日本出身のアメリカ合衆国の作家、軍事評論家、安全保障/危機管理コンサルタント、元アメリカ陸軍特殊部隊群曹長。ベトナム戦争従軍者。鹿児島県奄美大島(現大島郡瀬戸内町)生まれ。既婚で一人娘がいる。アメリカ名はMizuho Mishima Bobroskie、ニックネームは"Bo"。 米陸軍勤務歴21年で約950回の落下傘降下経験を持つ。Special Forces Association(特殊部隊協会。グリーンベレー関係者の交流団体)の終身会員で、"D-446"のIDを持つ(D-###のIDが与えられるのはグリーンベレー在隊10年以上の者のみで、三島はその446人目ということになる)。
藤原 肇(ふじわら はじめ、1938年 - )は、石油開発コ… 藤原 肇(ふじわら はじめ、1938年 - )は、石油開発コンサルタント、評論家。 東京市神田区生まれ。埼玉大学卒、フランス・グルノーブル大学構造地質学専攻理学部博士課程修了、理学博士。アフリカ、中東、ヨーロッパ、北米などで多国籍石油会社の開発担当ジェオロジストとして活躍。米国カンザス州とテキサス州で石油開発会社を経営、ペパーダイン大学総長顧問となり、のち名誉総長顧問。
宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のア… 宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のアナウンサー、ボイスコンサルタント、ボイストレーナー。 東京都出身。東京女子大学文学部卒業。 1961年、中部日本放送へ入社。1964年に開局時の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ移籍。1998年、テレビ東京を定年退職、フリーに。 東京女子大学文学部卒業後、1961年にCBCへ入社。1964年開局の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ、同じくCBCから島田良夫アナとともに移籍。パーソナリティー室所属アナウンサーとして、報道番組を中心に、教養番組、経済番組等多数を担当。女性ニュースキャスターの草分け。その後、報道局部長兼プロデューサーとして、報道番組、気象情報番組等を担当。
徳川 文武(とくがわ ふみたけ、1937年(昭和12年)3月… 徳川 文武(とくがわ ふみたけ、1937年(昭和12年)3月3日 - )は、千葉県出身の通信技術コンサルタント・執筆家。松戸徳川家3代当主。 千葉県松戸市の戸定邸で生まれる。父の徳川博武(旧姓:藤岡)は国立大蔵病院医長で、婿養子であるが母方で水戸斉昭の曾孫でもある。母の宗子は松戸徳川家の初代当主徳川武定の娘であり、母方で徳川慶喜の曾孫でもある。 自由学園幼児生活団から成蹊小学校・成蹊中学校・成蹊高等学校を経て、1962年(昭和37年)に早稲田大学理工学部応用物理学科物理専攻卒業。三菱電機勤務を経て、米国に留学、1981年(昭和56年)にスタンフォード大学電気工学科情報通信専攻修士課程修了。1982年(昭和57年)から米国ハリス社ファリノンマイクロ波通信機器開発部門に勤務する。
西尾 清光(にしお きよみつ、1937年1月2日 - )は、… 西尾 清光(にしお きよみつ、1937年1月2日 - )は、日本のプロジェクトマネージャ、プロジェクトマネジメントコンサルタント。千代田化工建設代表取締役社長や、日本プロジェクトマネジメント協会会長を務めた。 渋谷区立大和田小学校、海城中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1959年東京工業大学化学工学課程卒業、千代田化工建設入社、プロジェクト部配属。プロジェクトマネージャとしてプラント建設事業に携わり、1983年取締役に昇格。1999年から代表取締役社長を務め、KBRの資本参画を得て経営再建にあたった。2001年特別顧問に退いた。2004年プロジェクトマネジメント・コンサルタントを開業。2011年日本プロジェクトマネジメント協会会長、西尾コンサルタント代表取締役社長。
阪本 亮一(さかもと りょういち、1937年 - 2020年… 阪本 亮一(さかもと りょういち、1937年 - 2020年)は、日本の営業コンサルタントである。 1937年大阪府大阪市生まれ、近畿大学理工学部卒業。地方公務員を経て、26歳で独立し、GEエアコン販売会社を設立し社長となる。1971年明治生命入社、連続20年優秀成績表彰受賞。現在は、営業コンサルタントとして利脳深耕研究所を主宰。またコミュニケーション力教育の専門家として、早稲田大学エクステンションセンターの社会人講座をはじめ多数の講師をつとめている。日本実戦話力検定協会理事長。 近年は、セミナーなどを通じた人材能力開発や東大阪市における画期的な製品開発に関するアドバイザーとして活躍をしていたが、2020年に亡くなったことが親族により発表された。
若松 茂美(わかまつ しげみ、1937年 - )は、日本の経… 若松 茂美(わかまつ しげみ、1937年 - )は、日本の経営コンサルタント、椅子職人。マッキンゼー・アンド・カンパニー・ディレクターや同日本支社副社長、一橋大学教授を務めた。 一橋大学商学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修了、Master of Business Administration。三菱重工業を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーのサンフランシスコ事務所に入る。大前研一とともに東京事務所開設にあたり、マッキンゼー・アンド・カンパニー・ディレクターや、日本支社副社長を務めた。定年退職後は、55歳から職業訓練施設に通って、椅子作家となり、個展の開催なども行った。元一橋大学教授。
安土敏(あづち さとし、1937年 - )は日本の小説家、実… 安土敏(あづち さとし、1937年 - )は日本の小説家、実業家、経営コンサルタント。本名は荒井伸也(あらい しんや)。東京都出身。 1960年に住友商事入社後、1970年に食品スーパーマーケットチェーン「サミットストア」(後のサミット)に出向した。その後、同社社長、会長、最高顧問を経て2004年に同社を退社した。2001年にオール日本スーパーマーケット協会(AJS)第3代会長に就任、2015年に退任し、名誉会長となる。日本チェーンストア協会特別顧問。 会社務めの傍らで、1981年から経済小説、コラム、エッセー、評論等を発表してきた。「社畜」という言葉を考案した人物とされる。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本… 山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家、翻訳家、通訳、ラジオ時事解説者、コンサルタント、国際政治学者。東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1962年国際基督教大学卒業。 共同通信記者、米国務省通訳官、ワシントン・ポスト記者(東京支局)を経てフリーとなり、評論、翻訳、通訳、ラジオ時事解説、コンサルティングのほかに、衆議院国際会議課顧問、文部省教科書審議会委員(外国語部会長)、『ニューズウィーク日本版』編集顧問など。 1988年東洋英和女学院短期大学国際教養科教授、2001年東洋英和女学院大学・国際社会学部教授。2007年定年退任、名誉教授。