佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018… 佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018年11月15日)は、熊本県出身の日本銀行理事、福岡銀行頭取などを務めた銀行家、実業家。 旧満洲生まれ。父は南満洲鉄道の駅長。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。引揚者として父の実家の熊本県玉名市に移り住み、熊本県立玉名高等学校から東京大学法学部に進む。1955年日本銀行入行、新潟、名古屋の支店長、営業局長、理事を務めた。新潟支店長時代の部下が拉致被害者横田めぐみの父横田滋。営業局長時代は三重野康の腹心として、高目放置を主導した。 1989年福岡銀行副頭取に転じ、1991年頭取就任。1996年有価証券を売却し黒字化することもできたが、不良債権を一括処理し福銀市場初の赤字を計上した。
日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日… 日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日 - 2026年(令和8年)5月15日)は、日本の銀行家。仙台銀行頭取を務めた。 宮城県白石市出身。1955年、東北学院大学卒業後、振興相互銀行に入行。企画部次長、平、石巻支店長を歴任。 1982年2月、普通銀行に転換し仙台銀行に改称。1983年6月、取締役に選任され、本店営業部長委嘱。 1989年6月、常務取締役・推進部長委嘱。1990年8月、取締役副頭取・業務本部副本部長委嘱。1993年5月、取締役頭取・業務本部長委嘱。 頭取時代には、多額の不良債権を抱える同じ仙台市に本店を置く徳陽シティ銀行が経営破綻。日下は仙台銀行が営業譲渡で受け皿金融機関の中核となる決断をし、宮城県内55店(うち19店は建物も)分の営業権や預金、行員152人を引き受けた。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 20… 横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 2001年11月15日)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年4月に協和銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務、1985年6月に副頭取を経て、1986年6月に頭取に就任。1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年4月には特別顧問に就任。 2001年11月15日肝不全のために死去。70歳没。
綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - … 綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1953年に香川大学経済学部を卒業し、1955年にアメリカのマサチューセッツ州クラーク大学経済大学院での留学を経て、同年11月に年に百十四銀行に入行した。1977年12月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1993年4月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2004年6月に会長に就任し、2009年6月には相談役に就任。 2007年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
木村 太郎(きむら たろう、1931年(昭和6年)- )は、… 木村 太郎(きむら たろう、1931年(昭和6年)- )は、日本の銀行家。戦後A級戦犯として絞首刑に処された陸軍大将木村兵太郎の長男。日本銀行監事などを歴任した。 東京市出身。永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)卒業。新制の東京大学法学部を卒業。卒業後、日本銀行に入行し、以来平成5年(1993年)に退行するまで、監事などの職を歴任した。退行後は、父・木村兵太郎が合祀されている靖国神社をめぐるA級戦犯の分祀を神社側主導で実現させようと働きかけていた。
吉野 重彦(よしの しけひこ、1930年11月16日 - … 吉野 重彦(よしの しけひこ、1930年11月16日 - )は、日本の経営者、銀行家。あさひ銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に埼玉銀行に入行した。1984年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月に副頭取に就任し、1991年5月には協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)頭取に昇格。1997年5月に相談役に就任し、1998年4月に特別顧問を経て、2001年10月から特別参与を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松岡 誠司(まつおか せいじ、1930年11月7日 - )は… 松岡 誠司(まつおか せいじ、1930年11月7日 - )は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。1953年に東京大学農学部を経て、1956年に東京大学経済学部を卒業し、1957年4月に日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に入行。1973年11月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1982年11月に専務、1984年6月に副頭取を経て、1987年12月には頭取に就任。当行では、初めての生え抜き頭取であった。1993年6月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 2001年9月に粉飾事件で頴川史郎元会長らと共に損害賠償を受けて、提訴された。
梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - … 梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - )は、日本の銀行家。青森銀行頭取を務めた。 青森県青森市出身。1953年に東北大学経済学部を卒業し、同年4月に青森銀行に入行。1977年に取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に副頭取に就任し、1995年4月には頭取に昇格。1997年5月に会長を経て、2002年6月には相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年>… 斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年> 8月27日 - 2011年 <平成23年> 5月14日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1954年に東北大学法学部を卒業し、同年に岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。人事部長を経て1979年4月1日に仙台支店長に就任。1981年4月1日に本店営業部長となり、同年6月26日には取締役に就任。1985年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1996年6月には頭取に上り詰める。2001年には佐藤光の後任として、2月に盛岡商工会議所の会頭、6月には岩手銀行の会長に就いた。 2004年5月には、岩手の経済発展・産業振興に貢献したとして、岩手県より平成16年度県勢功労者に選ばれた。
丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日… 丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取。 山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。 1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。 2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
西野 虎之介(にしの とらのすけ、1930年5月16日 - … 西野 虎之介(にしの とらのすけ、1930年5月16日 - 2022年11月29日)は、日本の経営者、銀行家。常陽銀行頭取を務めた。 茨城県出身。1953年に東京教育大学農学部農村経済科を卒業し、同年に常陽銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年6月には会長に就任。 2011年11月に旭日中綬章を受章。 2022年11月29日、老衰のために死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - … 岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - 2019年(令和元年)11月15日)は、日本の銀行家。東京三菱銀行頭取、全国銀行協会連合会会長、成蹊学園理事長等を歴任した。 群馬県出身。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行に入行。柏支店長、支店、調査各部副部長、八重洲通り支店長、支店部副部長、業務第一、業務企画、総合企画各部長を歴任。 1983年6月取締役に選任。常務、専務を経て、副頭取時代には東京銀行との合併にあっては統合作業を主導し、1996年4月に東京三菱銀行を発足させた。 1998年に頭取に就任。同年に発覚した大手銀行等による大蔵官僚らに対する過剰接待汚職事件では、全銀協会長として、銀行業界が厳しい批判にさらされる矢面に立った。
高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は… 高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1953年に新潟大学人文学部を卒業し、同年3月に北越銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1986年4月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年4月には相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15… 宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15日 - 1997年(平成9年)6月29日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取・会長、全国銀行協会連合会会長、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。 1997年に発覚した第一勧業銀行が関連した総会屋利益供与事件(小池隆一事件)で取り調べを受けていた最中、自宅で首吊り自殺した。 佐賀県佐賀市出身。父の宮崎林三郎(2代目)は、失明と貧困の中で画期的な縄ない機を発明し成功を収めた林三郎(初代)から見込まれ、養子に入り農機具販売店を営み、両親共に篤志家()として知られていた。 宮崎は7人兄弟の下から2番めの4男として生まれ、長兄の宮崎善吾は佐賀県副知事を経てエフエム佐賀社長等を歴任、次兄は家業を継ぎ、三兄の宮崎幸造は西日本新聞社で編集局次長を務めた。
常見 英夫(つねみ ひでお、1929年11月10日 - 2… 常見 英夫(つねみ ひでお、1929年11月10日 - 2003年2月2日)は、日本の経営者、銀行家。足利銀行頭取を務めた。 群馬県出身。1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に足利銀行に入行した。1980年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1987年6月に専務、1989年12月に副頭取を経て、1992年6月には頭取に昇格。1997年2月から同年12月までに相談役を務めた。 2003年2月2日、心不全のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 治輔(すずき じすけ、1929年9月16日 - )は、… 鈴木 治輔(すずき じすけ、1929年9月16日 - )は、日本の銀行家。 新潟県出身。1952年に東北大学経済学部を卒業し、同年に第四銀行に入行。1976年12月に取締役に就任し、1980年12月に常務、1983年5月に専務を経て、1988年6月に副頭取に就任し、1990年5月には頭取に昇格。1998年6月に会長に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章し、2001年11月に勲三等瑞宝章を受章。
槙田 家和(まきた いえかず、1929年8月12日 - 20… 槙田 家和(まきた いえかず、1929年8月12日 - 2014年4月30日)は、日本の経営者、銀行家。八千代銀行頭取を務めた。 東京都出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入社。1977年5月に理事に就任し、1978年5月に常務、1988年5月に専務、1991年に副頭取を経て、1994年4月には頭取に就任。1999年6月には相談役に退いた。 2014年4月30日、死去。84歳没。
稲垣 精一(いながき せいいち、1928年(昭和3年)11月… 稲垣 精一(いながき せいいち、1928年(昭和3年)11月25日 - 2017年(平成29年)10月29日)は、日本の銀行家。富士銀行常務を経て肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事等を歴任した。 東京商大卒業後、富士銀行入行。35年間の同行時代の内、20年間は資金証券部門に従事した。そして、肥後銀からの招聘の申し入れを受諾。同行に入行した。 8年6ヶ月の頭取在任時は、国内外の格付機関よりすべてAレベルの評価を得て、健全経営の伝統を堅持したほか、基幹システムの共同化や新人事制度の導入を果たした。また、経営基盤の強化や体制の整備に取り組んだほか株主や投資家に対するIR活動も開始した。 2001年(平成13年)には頭取を勇退し、顧問に退いた。
池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月… 池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月2日 - 2020年(令和2年)9月18日)は、日本の銀行家。ジェーシービー (JCB) 元社長。広島県出身。 1952年京都大学法学部卒業。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。1976年取締役、1978年常務を経て1982年、谷村隆に引き抜かれ株式会社ジェーシービー (JCB) 専務に転じる。国際化に打って出た同社は、谷村-池内の師弟コンビで、日本初唯一のクレジットカード国際ブランドを確立した。1984年副社長、1990年社長。東京ディズニーランドオフィシャルカードやアッパープレミアムカード「ザ・クラス」、若年層向けゴールドカード「ネクサス」発行や「JCBプラザ」設立に尽力、北海道拓殖銀行の経営破綻時には、同行直系のカード会社エイチ・シー・ビー(HCB)を俊敏に子会社化した。
野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月2… 野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月21日 - 2023年 <令和5年> 5月20日)は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1948年に第五高等学校を経て、1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1978年2月に大臣官房審議官、同年8月にアジア開発銀行理事、1982年9月に東洋信託銀行常勤顧問、1986年9月に西宮酒造副社長を歴任し、1989年6月に十八銀行副頭取に就任し、1990年2月には頭取に昇格。2000年6月には会長に就任。 2023年5月20日、老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
高垣 佑(たかがき たすく、1928年(昭和3年)3月7日 … 高垣 佑(たかがき たすく、1928年(昭和3年)3月7日 - 2009年(平成21年)5月24日 )は、日本の銀行家。東京銀行頭取、東京三菱銀行初代頭取を務めた。 東京出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ハーバード大学への留学、アジア開発銀行出向を経て、国際投資部次長、同副部長、同部長、企画部長を歴任。 1979年6月に取締役に選任。取締役欧州駐在兼ロンドン支店長委嘱、常務、専務、副頭取を経て、1990年6月には頭取に就任した。 1996年4月に三菱銀行との合併に伴い、東京三菱銀行初代頭取となり、1998年1月に会長、2000年6月に相談役、2006年7月からは特別顧問を務めた。
石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )… 石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )は、日本の銀行家。常陽銀行頭取を務めた。 茨城県水戸市出身。1953年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入行。1982年6月に造幣局長、1983年7月に国土庁長官官房長を経て、1984年7月から1985年7月までに国土事務次官を務めた。1985年9月に常陽銀行顧問に就任し、1986年6月に取締役、同年7月に副頭取を経て、1988年7月には頭取に就任。1993年6月に会長を経て、1999年6月には取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
緒方 四十郎(おがた しじゅうろう、1927年(昭和2年)1… 緒方 四十郎(おがた しじゅうろう、1927年(昭和2年)11月16日 - 2014年(平成26年)4月14日)は、日本の銀行家。 日本銀行理事、日本開発銀行副総裁などを歴任した。 1927年、東京府にて緒方竹虎の三男として生まれた。 東京女子高等師範学校付属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)、成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科乙類)を経て、1950年に東京大学法学部を卒業した。同年、日本銀行に入行した。 日本銀行においては、アメリカ合衆国研修にて1954年にフレッチャー法律外交大学院の修士課程を修了し、ロンドン駐在などを経て、1971年に岡山支店の支店長に就任した。同年8月のニクソン・ショックの際には、外国局の総務課にて課長を務めており、混乱する市場への対処にあたった。
玉置 孝(たまき たかし、1927年10月24日 - 200… 玉置 孝(たまき たかし、1927年10月24日 - 2000年10月19日)は、日本の銀行家。 東京都出身。1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本銀行に入行し、1984年3月には理事に就任。 1986年12月に千葉銀行顧問に就任し、1987年6月には頭取に就任。1997年6月に会長に就任。 1994年から1997年までに全国地方銀行協会会長を務めた。 2000年10月19日肺癌のために死去。72歳没。
5代 頴川 徳助(えがわ とくすけ、1927年10月8日 -… 5代 頴川 徳助(えがわ とくすけ、1927年10月8日 - 没年不明)は日本の実業家、銀行家。幸福銀行社長。 大阪府出身。4代頴川徳助の長男、頴川徳男として生まれる。1951年、東京大学農学部林学科卒業、熊本営林局に入局するも、1953年6月大一商社に入社、同年7月同取締役、1957年同社長となる。1958年6月御殿山土地取締役、1964年幸福銀行取締役。1968年5月大阪商工会議所議員、1970年園田学園理事、1973年4月大一商社社長を辞任して幸福銀行副社長、1975年4月同社長となる。1976年5月から1980年5月まで全国相互銀行協会理事を務めた。 1990年10月31日、紺綬褒章受章。
風間 眞一(かざま しんいち、1927年(昭和2年)10月5… 風間 眞一(かざま しんいち、1927年(昭和2年)10月5日 - 2010年(平成22年)11月21日)は、日本の実業家、銀行家。金屋会長、克念社、鶴岡学園各理事長、荘内銀行相談役等を歴任した。 庄内地方においては本間家に次ぎ、鶴岡においては最大の地主であった風間家に生まれ、荘内銀行第三代頭取を務めた父である幸右衛門(嘉一郎)が急逝したことに伴い家督を継いだ。 東大法学部を卒業後荘銀に入行。以降、常務取締役総務部長等を歴任。1986年(昭和61年)には常勤役員を退任し、家業経営に専念した。 退任後には、風間グループ企業の経営指導に取り組んだほか、6年間にわたり鶴岡商工会議所会頭を務め鶴岡市や、庄内地方の振興と発展にも力を尽した。
秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 201… 秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 2019年1月5日)は、日本の銀行家。 滋賀県出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、翌年に京都銀行に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年7月に常務、1984年6月に専務、1992年6月に副頭取を経て、1994年4月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月から2006年6月までに相談役を務めた。 京都銀行協会会長、京都経済同友会副代表幹事、京都商工会議所副会頭、京セラ・日本電産各監査役などを歴任した。 2002年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2019年1月5日、老衰のために死去。91歳没。
神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )… 神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )は、日本の銀行家、経営者。近畿銀行社長を務めた。 奈良県出身。1947年に法政大学専門部政経科を卒業し、1950年に近畿相互銀行に入行。1968年に取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に副社長を経て、1983年6月には社長に就任。1993年6月からは会長を務めた。
阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2… 阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2017年4月19日)は、日本の銀行家。元南都銀行頭取。元奈良商工会議所会頭。奈良県橿原市出身。 1953年名古屋大学経済学部卒業後、南都銀行入行。支店長、人事部長等の要職を経験した後、常務取締役、専務取締役を経て、頭取及び会長を歴任。銀行業務を通じ地域の発展に寄与した。また、数多くの公職を務め、2003年には旭日中綬章を受章。
山内 宏(やまうち ひろし、1927年5月7日 - 2011… 山内 宏(やまうち ひろし、1927年5月7日 - 2011年11月22日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行頭取を務めた。樺太出身。 1952年に北海道大学法経済学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1985年7月に専務を経て、1986年4月に副頭取に就任し、1989年4月に頭取に昇格。1994年4月に退任した。 その後、北海道拓殖銀行の経営破綻に伴い、後任の同行頭取である河谷禎昌と融資先のソフィアグループ社長とともに商法上の特別背任で逮捕・起訴された。2003年(平成15年)2月27日、札幌地方裁判所(小池勝雅裁判長)は山内を含む全員を無罪とする一審判決を言い渡したが、その後の控訴審となる札幌高等裁判所(長島孝太郎裁判長)は、2006年(平成18年)8月31日、全員に対して一転して一審判決を破棄し有罪とし、山内に懲役2年6月の実刑を言い渡した。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
久保田 照雄(くぼた てるお、1927年2月10日 - 20… 久保田 照雄(くぼた てるお、1927年2月10日 - 2010年5月10日)は、日本の銀行家。 富山県出身。1951年に東京大学経済学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行。1972年5月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1977年11月に専務を経て、1980年6月に頭取に就任。1992年6月に会長に就任し、1994年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に退いた。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2010年5月10日に肺炎のために死去。83歳没。
黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000… 黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000年1月2日)は、日本の銀行家。日本興業銀行(現・みずほ銀行)頭取、同会長を歴任。 1944年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、児玉進(映画監督)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。 一高を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、日本興業銀行に入行。入社11年目にドイツ銀行に出向して以来、長年にわたり国際畑を歩み、日本で数少ない世界に名の通った国際派バンカーだった。 1990年、第6代頭取に就任。
若井 恒雄(わかい つねお、1926年(大正15年)5月15… 若井 恒雄(わかい つねお、1926年(大正15年)5月15日- 2021年(令和3年)2月28日 )は、日本の銀行家。三菱銀行頭取を務めた。 東京出身。府立第八中、一高を経て、東京大学法学部政治学科入学後、終戦直前、学徒動員で陸軍松本連隊に入隊したが、復学。1948年に東大を卒業。三菱銀行に入行した。しかし、入行後3ヶ月で胸を患い、1年半の療養を余儀なくされた。一時は、退職を覚悟したこともあったというが、職場復帰を果たした。 昇格、昇進は随分長く同期生よりは遅れていたが、実力と実績で補って、結局は頭角を現し、世田谷支店長、業務第一部副部長兼企画・法人・個人各課長、本店営業第二部次長、京橋支店長、総合企画部長を歴任。
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 199… 松岡 修(まつおか おさむ、1926年1月25日 - 1996年10月17日 )は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。 山形県出身。1949年に東北大学法文学部を卒業し、同年に富士銀行に入行した。1974年11月に取締役に就任し、1975年5月に千葉興業銀行専務を経て、同年12月に副頭取に就任し、1986年6月には頭取に昇格し、1991年6月までに務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 1996年10月17日、循環器系疾患のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日… 村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日 - 2010年(平成22年)3月11日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取。 宮城県亘理町出身。東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行。 総務、人事、融資部門を長く担当した実務派で、銀行業務全般に通じた手腕が買われ、1991年に頭取に就任した。 頭取在任時においては、ATMの日曜稼動、7ヶ店の支店出張所の新設など営業基盤の拡充に取り組んだ。 仙台商工会議所会頭時代は、大手の圧力に対して仙台市の伝統である1月2日初売りを堅持する方針を崩さず、元日営業の店舗でも基本的に通常営業にとどめさせ、いわゆる「初売り」は2日に行わせるという方針を徹底させた。
武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月… 武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月10日 - 2012年(平成24年)2月3日)は、日本の銀行家。日本銀行考査局次長および北洋銀行頭取などを歴任した。 山梨県に生まれる。陸軍予科士官学校卒業後、満州国に赴任する。戦後の一時期は鳥取県で農協に就職するがやがて慶應義塾大学法学部に進学し、1950年に卒業する。 大学卒業後は日本銀行に就職し、市中銀行の経営状態を調べる部門である考査局に通算17年勤め、考査局次長にまで昇進した。 1978年6月、北洋相互銀行専務に就き、1980年の同社副社長就任を経て、1982年6月に社長となる。1989年2月には、北洋相互銀行が普通銀行の「北洋銀行」となるのに伴い、初代頭取となる。
深野 和夫(ふかの かずお、1925年 <大正14年> 10… 深野 和夫(ふかの かずお、1925年 <大正14年> 10月21日 - 2021年 <令和3年> 11月16日)は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。位階は従五位。 神奈川県出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年10月に日本銀行に入行した。1978年7月に監事を経て、1981年6月に山陰合同銀行副頭取に就任し、1983年6月には頭取に昇格。1992年6月に会長に就任し、1995年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 2003年11月に旭日中綬章を受章。 2021年11月16日、死去。96歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - … 岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - 2015年7月29日)は、日本の銀行家。 静岡県沼津市出身。1951年に日本大学農学部を卒業。滝川製紙、駿州製紙での勤務を経て、1960年に駿河銀行に転じ、1964年に取締役に就任し、1966年に常務、1974年に専務、1978年1月に副頭取を経て、1981年3月には頭取に就任。1985年5月に相談役に就任。陸上自衛隊富士学校後援会会長、全国地方銀行協会理事なども歴任した。 2015年7月29日、心不全のために死去。89歳没。
早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 … 早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 - 没年不明)は、日本の銀行家。德陽シティ銀行社長を務めた。 早坂順一郎・ともよの長男として、現在の大崎市古川(旧・古川市)で生まれる。 古川高等学校、東海科学専門学校を卒業。1950年に三徳無尽に入社。翌年の相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「德陽相互銀行」に改称した。入行後、経理、業務各課長、業務部次長を歴任し、1962年4月取締役に選任される。その後、常務、専務、副社長を経て、1980年1月社長に就任した。このほか、東北放送、仙台空港ビル、宮城県開発の各取締役、仙台商工会議所副会頭、仙台経済同友会副代表幹事も務めている。 啓が社長に就任した頃の德陽相互銀行は、東北の相互銀行界ではトップに位置し、全国でも資金量(1986年3月末現在6187億円)では18位で上位グループに属した。
佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月1… 佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月18日 - 2001年 <平成13年> 1月9日 )は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は正五位。 岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身。1947年9月に横浜経済専門学校を卒業し、1949年4月岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年12月に常務、1984年5月に専務を経て、1989年6月に頭取に就任。1996年6月に会長に退いた。 2001年1月9日、盛岡市内の病院で死去。75歳没。膀胱腫瘍につき入院していた最中の訃報となった。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3… 長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3日 - 2016年(平成28年)8月31日)は、日本の銀行家。肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事、九州山口経済連合会副会長等を歴任した。1988年藍綬褒章。 熊本県玉名郡弥富村(現:玉名市)生、熊本市出身。 九州大学経済学部卒業後、肥後銀行入行。各部長等を歴任後、1984年には同行初のプロパーとして、頭取に就任した。 9年間の頭取在任時は、1985年9月には東証、大証1部への上場。新事務センターを建設し第三次オンラインシステム稼動を実現させた。また、業容の拡大に取り組み、1990年には預金残高2兆円、融資残高1兆5000億円の達成も成し遂げた。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
鈴木 忠(すずき ただし、1925年4月21日 - 2018… 鈴木 忠(すずき ただし、1925年4月21日 - 2018年10月25日)は、日本の経営者、銀行家。清水銀行頭取を務めた。静岡県庵原郡富士川町(現在の富士市)出身。 1946年に高岡経済専門学校を卒業し、駿州銀行(現在の清水銀行)に入行した。 1975年に取締役に就任し、1977年に常務、1981年に専務を経て、1985年6月には頭取に就任した。1989年6月、相談役に就任した。 2018年10月25日、老衰のため死去した。93歳没。
速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009… 速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009年5月16日)は日本の銀行家である。称号は名誉法学博士(LLD・聖学院大学)。
四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 … 四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2015年〈平成27年〉2月23日)は、日本の銀行家。位階は正五位。 福岡県福岡市出身。父は福岡無尽(後の福岡相互銀行、福岡シティ銀行、現・西日本シティ銀行)創業者の四島一二三。1949年(昭和24年)に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年(昭和26年)11月に一二三が経営する福岡相互銀行に入行した。 1956年(昭和31年)5月に取締役に就任し、1958年(昭和33年)5月に常務、1967年(昭和42年)5月に専務を経て、1969年(昭和44年)5月に一二三の後任として頭取に就任。2003年(平成15年)6月までに務めた。 1985年(昭和60年)11月に藍綬褒章を受章し、1995年(平成7年)4月に勲二等瑞宝章を受章。