マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 200… マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 2001年1月22日)は、大阪府出身のパントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家。 在日朝鮮人二世として大阪市生野区猪飼野(現在の生野区中川)に生まれる。本名、金原 正周(きんばら まさのり)/金均洚(キム・キュンホン、김균홍)。大阪府立高津高等学校卒業後、1954年に上京した。もともと新劇俳優志望だったが、俳優座養成所の試験に落ちる。失意とヒロポン中毒の中、映画『天井桟敷の人々』を見てパントマイムを知り、マルセル・マルソーの舞台演技に影響を受けた。マルセル・マルソーにちなんだ芸名でパントマイム芸人としての活動を始めた。 高校の同級生に関西で活躍するジャズ・ピアニストの大塚善章がいた。
芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日… 芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日)は、日本の喜劇俳優。本名は西部 秀郎()。所属事務所は小雁倶楽部、さち子プロ。 京都府京都市出身。生家は友禅染工場であったという。兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。雁之助の娘の西部里菜は姪。父親も芸界が好きで、漫才師になり、雁之助と地方巡業していたことがあった。芸人にならなかった長兄は、京都の交通局に勤務したが、職場の劇団でプロレタリア演劇にかかわっていた。 旧制中学中退後、さまざまな職業についた後、絵が好きだったことから、商業美術の世界に入り、映画看板などを描く。 やがて、雁之助と漫才コンビ「若松ただし・きよし」を結成して活動する。
水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2… 水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2025年9月29日)は、日本の俳優。劇団民藝所属。神奈川県横浜市出身。 1953年早稲田大学法学部入学。 大学在学中の1956年に劇団民藝水品演劇研究所に入門。 1962年に劇団民藝所属となる。 2019年上演の『新・正午浅草』永井荷風役で読売演劇大賞優秀男優賞受賞。 2025年9月29日、心不全のため東京都町田市内の病院で死去した。91歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月2… 平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月21日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の俳優・演出家。ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大。 主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。 平幹二朗は1933年11月21日、広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。生後9か月の時に父・文雄が病死。家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった。
藤岡 重慶(ふじおか じゅうけい、1933年11月19日 -… 藤岡 重慶(ふじおか じゅうけい、1933年11月19日 - 1991年7月23日)は、日本の俳優、声優。兵庫県神戸市出身。本名は読みが「ふじおか しげよし(漢字表記同じ)」。 父親は警察官だったが、小学校しか出てなかったためエリートコースに乗れず、晩年は資格を取って弁護士になった。重慶は旧制姫路中学(現 兵庫県立姫路西高等学校)を経て、父と同様弁護士を目指し、早稲田大学法学部に進む。在学中の1955年、第七期生として、劇団俳優座の養成所に入る。同期には田中邦衛、露口茂、山本學、井川比佐志らがいた。 1958年に劇団青年座に参加。創作演劇の舞台に立ちながら、同年NHKで、放送をスタートした長寿ドラマ『事件記者』に遠藤刑事役で出演。
原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 201… 原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 2019年7月24日)は、群馬県出身の競馬ジャーナリスト、元俳優。 本名・荻原 昻(おぎはら たかし)。 東京都立北園高等学校卒業。慶應義塾大学中退後、俳優座に6期生として入所。同期には山本學、市原悦子、大山のぶ代がいる。NHK連続ドラマ『バス通り裏』などに出演。退所後は宗教雑誌発行の出版社勤務やフリーのルポライターを経て、読売新聞東京本社に、当時発行していた週刊読売記者として入社。 1969年にスピードシンボリが勝った有馬記念の特集記事を書いたことがきっかけで競馬ジャーナリストを志すようになり、1970年にデイリースポーツ東京本社へ入社。原がデイリーに入社した当時のスポーツ紙の競馬記者は調教時計を計って予想するだけのスタイルであったが、原はトラックマンデビューが38歳と他の記者よりも遅れていたため、他の記者とは違うことをやろうと主に厩舎取材に専念した。
橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20… 橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20日 - 2017年〈平成29年〉10月11日)は、北海道出身のプロ野球選手、俳優。ポジションは外野手。OKエンターテイメント所属。 1952年(昭和27年)、函館西高校3年生時に第24回選抜高校野球大会へ出場。初戦でこの大会の優勝校となる静岡商業高校に1-0で敗れる。 1952年(昭和27年)、第34回高校野球選手権に出場。準々決勝で成田高校に延長15回の末4-1で敗れた。 1953年(昭和28年)、プロ野球国鉄スワローズへ入団予定だったが、恩人と敬愛する沼澤康一郎から囲い込みを受け、毎日オリオンズへ入団。 1957年(昭和32年)、外野手レギュラーを獲得。
稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )… 稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )は、日本の俳優。旧芸名:稲吉 靖(読みは同じ)。 東京市(現:東京都)中野区野方出身。 明治大学商学部卒業。東京コドモサークル、劇団こけし座、劇団山王、衣笠プロ、東映、三木事務所、天知プロダクション を経て、エヌ・エー・シー、中里事務所 に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は… 大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は、日本の元俳優。 東京都出身。中央大学卒。山崎企画に所属していた。 身長165cm。体重60kg。 2011年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
可知 靖之(かち やすゆき、1933年9月17日 - 202… 可知 靖之(かち やすゆき、1933年9月17日 - 2025年7月10日)は、日本の俳優、声優。東京都出身。生前は劇団俳優座所属していた。 早稲田大学政治経済学部卒。 1960年、俳優座養成所9期生となる。同期は二階堂有希子、荒砂ゆき、富士真奈美、鎗田順吉、菅貫太郎など。 身長173cm。体重60kg。 趣味はビリヤード、酒、将棋、マージャン、碁、カラオケ。特技は芝居、ベース、ギター。 2025年7月10日に老衰のため死去。91歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松本 錦四郎(まつもと きんしろう、1933年〈昭和8年〉8… 松本 錦四郎(まつもと きんしろう、1933年〈昭和8年〉8月24日 - 1973年〈昭和48年〉1月20日)は、日本の俳優。本名:植田 浩安(うえだ ひろやす)。大阪府出身。 1950年代後半から1960年代半ばにかけ、時代劇俳優として映画・テレビで活躍した。代表作は『琴姫七変化』『噂の錦四郎』(ともによみうりテレビ / 日本電波映画、日本テレビ系)。 幼少時から地唄舞を習う。関西大学文学部卒業後、1956年、日活ニューフェース三期生・穂高 渓介としてデビュー(同期は小林旭、二谷英明など)したが、1958年には歌舞伎役者を志し八代目・松本幸四郎(のちの初代・松本白鸚)門下となり、まもなく松竹社長・大谷竹次郎に認められて松竹入りとなる。
菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16… 菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優・声優・ラジオパーソナリティ・農業従事者である。 キャリアを始めた時は、その身長(178cm)を活かしファッションモデルとして活躍。その後の俳優としての出演作品は非常に多く(#出演作品)、映画のシリーズものとしては具体的には「現代やくざシリーズ」、『関東テキヤ一家』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズなどがある。俳優としていわゆる「下積み」の時代が長かったが、39歳の時に公開された映画『仁義なき戦い』の大ヒットで有名になり、俳優としての地位を確立した。
笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7… 笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7月26日 - )は、日本の俳優・演出家。旧芸名は笈田 勝弘。兵庫県神戸市出身。パリ在住。内外の舞台で活躍。 甲南中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。慶應義塾大学在学中、文学座に入団。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出の実験劇『テンペスト』に出演。 1970年にブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。以後パリを拠点に、主に各国の劇場で活躍。著書に『俳優漂流』『見えない俳優』(五柳書院)がある。他に数カ国語の翻訳がある。 1990年代に笈田 ヨシ、あるいはヨシ 笈田に改名。 1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。
金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17… 金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17日 - 1992年〈平成4年〉8月7日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。青二プロダクション所属。東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)巣鴨出身。 1956年、明治大学文学部卒業後、1957年5月、劇団ぶどうの会に入団し、1965年2月からフリーランスで活動。 土の会、赤坂プロを経て、青二プロダクションに所属していた。 大河ドラマに多数出演したほか、アニメ・洋画の吹替を行うなど、幅広く活動。 1992年8月7日、収縮性心膜炎のため、東京都新宿区の病院で死去。59歳没。 声種は「甘く説得力のあるバリトン」。 趣味・特技はヨット、スキー、ゴルフ。
梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14… 梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14日 - 2020年〈令和2年〉8月25日)は、日本の俳優。本名同じ。 東京市(現東京都千代田区)神田出身。明治大学中退。劇団民藝に所属。 新児童劇団(現・劇団新児童)への在籍を経て、1951年、民藝少年劇の『山びこ学校』で主役デビュー。 大学中退後の1954年、劇団民藝へ入団。 第14回紀伊國屋演劇賞受賞。 たびたび三谷幸喜作品に起用されていた。 「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた。 2020年8月25日午前8時50分、老衰のため死去。87歳没。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
林 功(はやし いさお、1933年5月28日 - 没年不明)… 林 功(はやし いさお、1933年5月28日 - 没年不明)は日本の映画監督、映画プロデューサー、俳優。 東京都出身。1956年、早稲田大学教育学部卒業。大仁東映と日活で働いている間、多くのコメディ、犯罪、冒険と歴史を題材とした作品を撮った。また、各映画に出演し、中平康、鈴木清順、舛田利雄、鍛冶昇などの他の監督と協力した。 時期は不明だが会員である日本映画監督協会公式サイトでは物故者となっている。
伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1… 伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。雑誌編集長・商業デザイナー・イラストレーター・CMプランナー・ドキュメンタリー映像作家としても活動し、料理通としても知られた。 監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなった。 1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びた。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録した。
山崎 満(やまざき みつる、1933年5月14日 - )は、… 山崎 満(やまざき みつる、1933年5月14日 - )は、北海道出身の日本の俳優。身長170 cm。体重73 kg。希楽星所属。本名同じ[要出典]。 明治大学大学院文学研究科・文学部卒業[要出典]。俳優座養成所に入団したことがきっかけでデビュー。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )… 品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )は、日本の俳優、作詞家、ナレーターである。山梨県出身。 1933年4月11日(火曜日)、山梨県南都留郡宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親の援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。
野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月… 野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。 俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。 邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日… 川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日本の元俳優。三重県出身。 東宝の専属俳優。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「新東宝でなら二枚目もつとまるのではないかというような、なかなかの好男子」と評している。 1951年、明治大学在学中に帝国劇場の研究生となり、初舞台を踏む。その後、東宝に入社し、短期間ではあるが、ジャンルを問わず多くの作品に脇役として出演した。 後に川村は、映画俳優に転向したきっかけについて「社長が東宝の森岩雄さんに「帝劇の連中の面倒を見てくれ」と。それで僕は契約するんです」[要追加記述]と回想している。 1964年に芸能界を引退した。 全て製作・配給は東宝である。
平 凡太郎(たいら ぼんたろう、1933年3月10日 - 2… 平 凡太郎(たいら ぼんたろう、1933年3月10日 - 2002年10月4日)は、東京市(現:東京都)中野区出身の俳優、コメディアン。本名平正美。 東洋工業学校(現:東洋高等学校)卒。 15歳の時に九州地方で「コミック一座」を立ち上げ、全国を巡業。その後は喜劇俳優の柳家金語楼に弟子入りし、「メリケン小僧」の名でデビュー。 映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活動。森川信、由利徹、谷村昌彦らと喜劇の一時代を築いた。 1950年、東宝の専属女優であった持田和代(柏まゆみ)と結婚(1985年、死別)。1988年、桂子と再婚。 2002年10月4日、肺炎のため死去。69歳没。 弟子は俳優・司会者の仲良太郎。
上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - … 上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - 2023年1月22日)は、日本の俳優。本名は、上野山 貢之介(こうのすけ)。 東京市中野区沼袋出身。日本大学藝術学部映画学科中退。グループ71、オールスタッフ、小市事務所を経て、ダテ企画所属。 父は日本画壇の鬼才と呼ばれた洋画家の上野山清貢。戦時中は福島県三春町に疎開する。 劇団手織座を経て、1958年に日活入社。その時に鈴木清順監督から「君はワルに向いている」と言われたことがきっかけで悪役俳優の道へ進む。1959年に映画『昼下がりの暴力』で正式デビュー。『刑事物語 知り過ぎた奴は殺す』『刑事物語 犯行七分前』(ともに1960年)の犯人として準主役を演じ、1965年に日活を離れるまで『流れ者』シリーズなどの日活暗黒街の常連悪役として定着。
戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 198… 戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 1981年9月1日)は、日本の俳優、声優。神奈川県鎌倉市出身。東京演劇アンサンブルに所属していた。 1951年に日本大学第三高校を卒業し、俳優座養成所三期生となる。同期には、小山田宗徳や穂積隆信、楠侑子などがいる。 翌1954年、卒業と同時に同期生の本郷淳らと劇団三期会を結成。演劇活動に乗り出す一方、劇団ユニットで『スーパーマン』など多くの吹き替えに出演し声優としても活動。その後はテレビドラマにも出演するようになる。 1967年、劇団三期会を東京演劇アンサンブルと改称し舞台公演を行う一方で声優、俳優としての活動も続け、主に味のある脇役、悪役として助演した。
綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )… 綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )は、日本の俳優。本名は松原 保夫。旧芸名は綾川 香。 香川県出身。香川県立主基高等学校卒。新協劇団、さち子プロ、ぷろだくしょん森に所属していた。 劇団俳優座第3期生。同期は塚本信夫、中台祥浩、穂積隆信、本郷淳、楠侑子など。
山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日… 山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日 - 2012年〈平成24年〉10月13日)は、日本の俳優・声優。 北海道瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)出身。北海道深川西高等学校卒業。 高等学校時代に演劇部で活動し、1951年、卒業後に会社員となるも、演劇への夢を捨てきれず、1952年上京。舞台芸術学院本科に入る。卒業後、劇団四季・劇団中芸に所属。 1958年には『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演。猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、これが生涯の当たり役となり、後の劇場版にも同役で出演した。テレビドラマや映画の脇役で活動し、1973年の『仁義なき戦い 完結篇』では大友勝利(宍戸錠)大友組組長から松村保(北大路欣也)天政会会長代行に寝返るヤクザを演じ、1974年の『激突! 殺人拳』では千葉真一が扮する主人公の相棒である中国人を演じている。
岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、… 岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、日本の俳優。東京都墨田区両国出身。 旧制都立第三中学(現;両国高校)、早稲田大学文学部仏文科卒業。 1955年、俳優として東映へ入社。 1967年、劇団青俳に入団。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
牧田 正嗣(まきた まさつぐ、1933年1月1日 - 199… 牧田 正嗣(まきた まさつぐ、1933年1月1日 - 1991年)は日本の俳優。北海道出身。 北海道北見北斗高等学校卒。舞台芸術学院卒。 NHK北見放送劇団入団後に上京し、1955年5月に劇団中芸に入団。1959年、劇団統合により東京芸術座の所属となる。東映、東京俳優生活協同組合、独立企画に所属していた。
渥美 国泰(あつみ くにやす、1933年1月1日 - 200… 渥美 国泰(あつみ くにやす、1933年1月1日 - 2009年2月5日)は、日本の俳優。本名は渥美 國泰。 東京府東京市四谷区三光町(現・東京都新宿区)出身。東京都立九段高等学校卒業。劇団新人会、劇団雲を経て、演劇集団 円、小橋事務所に所属していた。 1951年に高校を卒業後、劇団俳優座附属養成所に第3期生として入学、同期には愛川欽也、塚本信夫、穂積隆信、江幡高志、楠侑子らがいる。卒業後、劇団新人会の創立に参加。その後いくつかの劇団を転々とし、1965年に劇団雲に入団する。1975年、雲を脱退して演劇集団 円の創立に参加。 1979年に円を退団し、アクト青山ドラマティック・スクールを主宰して後進の育成に励む。
勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身… 勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身の元俳優。本名は長内章蔵。昭和30年代に放送されて人気を博した連続テレビドラマ『快傑ハリマオ』のハリマオ役として知られる。 1933年、青森市に生まれる。 1952年、青森県立青森工業高等学校電気科を卒業後、日本大学芸術学部映画学科に進学。 1956年、劇団俳優座の演劇研究所付属俳優養成所の第8期生となる。同期には山﨑努・水野久美・山本耕一・河内桃子・柳川慶子などがいる。 1960年から1961年まで日本テレビ系列で放送された宣弘社製作のテレビドラマ『快傑ハリマオ』では、一般公募による200人の中から主役に選ばれてハリマオを演じた。芸名は、LP「なつかしの少年映画名作劇場 快傑ハリマオ」に寄せた安井ひさしの紹介によると、宣弘社社長の小林利雄が自分の名前の「利」を「敏」に変えて命名したと言う。
柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12… 柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12月19日 - 2022年〈令和4年〉3月24日)は、東京府東京市(現:東京都)出身のジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家である。エム・スリー所属。NPO法人日本アビリティーズ協会会長顧問。有料老人ホーム気まま館東大和名誉館長。 旧芸名は柳沢 真一、柳澤 真一。 江上トミから「在野の料理名人」と呼ばれた柳澤愛子の息子。戦時中、東京で空襲に遭って祖父母の住む新潟県長岡市に疎開するが、長岡でも空襲に遭って東京に戻る。東京都立豊多摩高等学校在学中、日本共産党の下部組織に参加するも、男女交際の乱れを嫌い、青山学院高等部に転校。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、… 桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、日本の俳優。愛媛県松山市出身。本名同じ。 ポンジュースの生みの親として知られる桐野忠兵衛の一族であったとされ、父親は愛媛の県会議員を務めていた。 早稲田大学文学部演劇科在学中の1952年、俳優座養成所に四期生として入所し(同期に仲代達矢、中谷一郎、佐藤慶、佐藤允ら)、劇団三期会を経て、1958年に東宝と専属契約。東宝の同期には夏木陽介がおり、契約も2人で同時に行ったという。 社長シリーズやクレージーキャッツの映画の常連であったほか、アクション映画の悪役から、特撮映画の自衛官まで、さまざまなジャンルの作品に個性派の脇役として多数出演。代表作に、『若い娘たち』の学生・橋本、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の精悍な防衛隊員、『100発100中 黄金の眼』のハッサン兄弟(一人二役)などがあり、テレビドラマ『ウルトラマン』の第31話「来たのは誰だ」でゴトウ隊員(正体は吸血植物ケロニア)を演じている。
田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は… 田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は、日本の俳優。現代劇・時代劇・コメディーを問わず、幅広いジャンルで映画・テレビドラマに数多く出演した。位階勲章は旭日小綬章。岐阜県土岐郡土岐津町出身。麗澤高等学校、麗澤短期大学英語科卒。
谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 200… 谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 2007年6月25日)は、日本の俳優・コメディアン。東京都出身。本名は西村 昌明(にしむら まさあき)。「タニカン」の愛称で親しまれた。 1950年に都立農芸高校を中退後、新宿のムーランルージュ新宿座に最後の研究生として入る。 ムーランルージュ解散後は、劇団東京喜劇での地方巡演の後、浅草フランス座で渥美清、関敬六と出会い、下積み時代を共に送った。葛飾区青戸の自宅には渥美や関が頻繁に訪問し、谷の義母が振る舞うカレーライスを好んで食べていた。後年、渥美は「あの味だけは忘れられない。もう一度食いたいねえ」と懐かしがったという。 戦前の役者谷幹一に似ていると言われたことから芸名を谷昌明から谷幹一に改める。
轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は… 轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は、日本の俳優。本名は佐戸正男、現芸名は轟謙司。 広島県大竹市出身。広島県立大竹高校から広島大学に進むが中退。 1952年、市川右太衛門に弟子入りし、轟謙二の芸名をもらう。同年、東映京都に入り、1954年の『旗本退屈男 謎の百萬両』でデビュー。その後、多数の時代劇に端役で出演。 1957年には東映東京に移り、『月光仮面 魔人(サタン)の爪』(1958年)を皮切りに、現代劇映画に多数出演した。テレビドラマは、1959年の『七色仮面』第二部(毎日放送)に初出演。1961年11月にスタートした『特別機動捜査隊』(NET)では桃井刑事役で11年間レギュラーを務め、これをきっかけにテレビドラマに専念するようになった。
葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 19… 葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 1993年1月3日)は、日本の俳優。千葉県鴨川市出身。本名は山口 良一郎。妻は浜田ゆう子。 日本大学経済学部在学中に1953年度ミスター平凡グランプリの栄冠に輝いたのが縁で、日活第2期ニューフェイスとなる。日活スターの一人として数々の映画に出演した。 映画産業の斜陽化後はテレビに活動の場を移し『非情のライセンス』の四方刑事、『特別機動捜査隊』の日高主任などを演じる一方、重厚な悪役としても活躍。時代劇の黒幕役などで憎々しい演技を見せた。また事業経営にも乗り出し、1977年に名古屋で舶来雑貨店、1980年に東京・銀座で宝石店を開くが、1985年に手形詐欺に遭い両店共に倒産した。
本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日… 本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2000年〈平成12年〉8月15日)は、日本の俳優。東京都世田谷区梅丘出身。 自由学園高等科卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。1993年には東京演劇アンサンブルによるチェーホフの『かもめ』のロシア公演にて、シャムラーエフ役でモスクワ芸術座の舞台に立った。父は彫刻家の本郷新。妻は女優の柳川慶子。息子は俳優の本郷弦(無名塾所属) 趣味は水泳、スキューバダイビング、スキーで、日本環境潜水協会を設立し、その代表も務めていた。 2000年8月15日、鹿児島県川辺郡笠沙町(現・南さつま市)の宇治群島近海でスキューバダイビング中に事故死。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - … 椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - )は、日本の男性俳優、声優。鹿児島県出身。 1951年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校演劇コンクールで優勝し演出賞と演技賞を受けたことをきっかけに新劇入りを決意。1954年、俳優座演劇研究所3期卒業後、三期会(のちの東京演劇アンサンブル)を結成。地方にも巡演して、新劇運動を続けた。 1964年9月、劇団新劇場に加盟し、創作活動に入る。映画やテレビドラマにも出演。その後は劇団歴史座に所属していた 劇団外のマネジメントはグループ・てえぶらを経て、1959年、太平洋テレビジョン芸能部、1960年から東京俳優生活協同組合に所属。
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )… 若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性俳優、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優、フリー。
安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 -… 安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 1996年〈平成8年〉11月5日)は、日本のサックス奏者、コメディアン、元ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバー、俳優、作曲家。本名は安田 秀峰(やすだ ひでみね)。愛称はヤッさん。 現在の東京都中野区江原町生まれ。父は佐賀県出身で、右翼活動や満州の諜報活動をしていたが、やがて毛皮と皮革の商売を始めた。生後まもなく川崎市の溝の口の大山街道沿いに移り、川崎市立高津小学校6年生のとき旧町役場の延焼を防ぐために強制疎開となる。母の実家がある川崎市柿生を経て厚木市に移り、旧制厚木中学校(現在の神奈川県立厚木高等学校)1年生のとき敗戦を迎える。軍人志望で陸軍幼年学校に願書を出していたが敗戦によって音楽の道に志望を変更し、コルネットを独学で学ぶ。
二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 200… 二瓶 秀雄(にへい ひでお、1932年9月12日 - 2001年10月9日)は、日本の俳優、声優。福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、早稲田大学卒業。 1956年、演出劇場に入団。1959年にフリーとなり、1964年の時点では文芸ぷろに所属。その後、ぷろだくしょん森、クレオ、サヴァーグループを経て、再びフリーとなる。 東映演技研修所などで講師の仕事も行っていた。
水島 弘(みずしま ひろし、1932年9月11日 - 200… 水島 弘(みずしま ひろし、1932年9月11日 - 2005年6月19日)は、日本の俳優。劇団四季創設期のメンバーのひとり。宮城県仙台市生まれ。東京都出身。本名は水島 弘道(みずしま ひろみち)。 東京都立石神井高等学校、東京大学文学部仏文科卒業。 大学在学中にフランス演劇に魅せられたことから、劇団四季の結成に参加。 声優として参加した『大鉄人17』では、感情の無い巨大コンピューターであるブレインを、気品のあるバリトンで演じきった。 1993年の『オペラ座の怪人』を最後に病気療養に入り、2005年6月19日に肺炎のため、死去。 父親の岡本一(まこと)は、山口県出身で東京帝国大学卒業後、鉄道省入省、のちに西武鉄道の幹部となり堤康次郎に仕えたが、1950年に妻と8人の子を残して脳出血で54歳で死去。
山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日… 山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日 - 1995年3月19日)は、日本の俳優、声優、司会者、ナレーターである。テアトル・エコーに所属していた。