村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 20… 村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 2013年6月29日)は、日本の文芸評論家、俳人。
職業が俳人・歌人:1,326人
村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 20… 村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 2013年6月29日)は、日本の文芸評論家、俳人。
甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 202… 甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 2025年1月4日)は、日本の歌人。 愛知県出身。國學院大學文学部日本文学科卒業、同大学院日本文学研究科修士課程修了。 大学入学前から作歌を始め、大脇月甫主宰の歌誌「青虹」に入会。香川進、岡野弘彦に師事。前田夕暮の流れを汲み、「地中海」を経て、「ナイル短歌工房」代表を務めた。その後2021年に、釈迢空系隔月刊同人誌「ぱとす」(1978年創刊)を復刊し、「ぱとす短歌会」に活動の場を移した。 日本文藝家協会会員、現代歌人協会会員、國學院大學国文学会会員、日本短歌協会理事長。テレビ朝日のドラマ『相棒』2011年11月2日放送の「晩夏」では短歌監修を担当した。
大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、… 大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、日本の俳人。本名は吉本章栄(ふみえ)。 東京府東京市豊島区目白に生まれる。詩人の大木惇夫の三女で、姉は藤井康栄(北九州市立松本清張記念館館長)と宮田毬栄(編集者・エッセイスト)。頌栄女子学院高等学校、武蔵野美術大学洋画科卒業。 1971年、母の勧めで俳誌「河」に入会、角川源義の指導を受ける。源義逝去ののち、1979年、進藤一考主宰の「人」に参加、同人。1983年、「人」を退会。「泉」の「雲の会」に時おり参加し、石田勝彦、綾部仁喜の指導を受ける。1990年、長谷川櫂、千葉皓史と「夏至」を創刊、同人。1994年、長谷川櫂主宰の「古志」に入会。
土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 200… 土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 2008年11月1日)は、日本の歌人。 長野県佐久市出身。1973年(昭和48年)3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治に師事。その後同人となり、歌誌編集と後進の指導に携わった。1985年(昭和60年)12月、第一歌集「風花」を出版。2007年(平成19年)6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。元シンガーソングライターの土屋竜一は長男。2008年(平成20年)11月1日没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - … 藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - 2013年10月30日)は、日本の歌人。 折口信夫門下の歴史学者・藤井貞文の娘として東京都に生まれる。弟は藤井貞和。「常世」は本名で、折口が名付け親。國學院大學文学部文学科卒業。香川進の歌誌『地中海』を経て、1972年岡野弘彦の歌誌『人』創刊に参加。1993年『笛の会』を結成、代表となる。現代歌人協会会員。2002年「NHK歌壇」選者。2013年10月30日、急性心不全のため死去。72歳没。
菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、… 菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、俳人。 宮城県仙台市生まれ。東北学院大学卒。俳誌「滝」主宰。1974年、藤田湘子の「鷹」入会、76年「鷹」同人。91年「槐」創刊同人。92年「滝」創刊主宰。93年「鷹」同人辞退。1981年、宮城県芸術選奨新人賞、1980年、角川俳句賞。現代俳句協会員。宮城地区現代俳句協会副会長。
高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 20… 高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 2000年7月4日)は、日本の評論家、俳人。 旧満州生まれ。1965年早稲田大学商学部卒業後、山形新聞記者、潮出版社編集者、『潮』編集長、論風社取締役、大学非常勤講師、1997年札幌大学文化学部教授、1999年学部長。
竹中 宏(たけなか ひろし、1940年9月6日 - )は、京… 竹中 宏(たけなか ひろし、1940年9月6日 - )は、京都府京都市伏見区出身の俳人。 1940年9月京都府に生まれる。京都大学文学部卒業。京都大学では第三次京大俳句会の復興に尽力した。京都大学卒業後、倉敷レイヨンに勤務。その後、大阪府立高等学校の教員となる。1958年、中村草田男に師事し、「萬緑」同人。1987年、「萬緑」を退会。1988年、「翔臨」を創刊・主宰。言語そのものをオブジェとする造型を基盤に多様な作品を展開(『現代俳句集成』紹介文より)。中田剛は「伝統を踏まえながら雅にも俗にもつかぬ複眼のダイナミズムと永遠の未完結性のうちに独自の俳諧をさぐる」と評している(『現代俳句大事典』「竹中宏」)。
玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は… 玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会。香川県高松市在住。令和6年6月3日現在。 愛媛県西条市生まれ。國學院大学文学部日本文学科卒業。元香川県立高等学校教諭。 1965年、窪田章一郎の「まひる野」に入会。1982年、武川忠一の「音」に参加。四国を拠点とし、自らの住む所を詠み続ける地方歌人の代表的存在である。四国新聞、愛媛新聞、朝日新聞四国版の歌壇選者。
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は… 岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 東京府生まれ。長野県茅野市育ち。1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。信越放送テレビアナウンサー第一期公募試験に合格し入社。アナウンサーとしてテレビ草創期のテレビ・ラジオ番組(「日曜教室」、「暮らしのターミナル」等)担当。1981年上田放送局に転勤し、ディレクター・プロデューサーとして「カクテルトークかるいさわいろ」、「ヒーリングラジオ木の子守唄」、「ぷらっとほーむ小海線」、「里枝子の窓」等の番組を手がける。1994年俳句結社「梟」入会、矢島渚男に師事。2000年信越放送定年退職。
本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)… 本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)2月26日 - )は、日本の政治家、俳人。元宮城県中新田町長、元宮城県知事。 政治家である本間俊一の長男として、宮城県加美郡中新田町(現在の加美町)に生まれ、中新田小学校、中新田中学校に学んだ。1954年(昭和29年)、東京都に移り、千代田区立一橋中学校(現在の千代田区立神田一橋中学校)、東京都立九段高等学校を経て、中央大学法学部を卒業。中央大学ペンクラブの友人に平井和正がいる。大学在学中に父が急死し、俊太郎ら兄弟の学業は、母・さよが本間薬局を開業したことに助けられた。 大学卒業後の1962年(昭和37年)4月、読売新聞社に入社、同社東北総局(仙台市)を経て、1965年(昭和40年)からは本社編集局(東京)記者として勤務した。
倉田 紘文(くらた こうぶん、本名:ひろふみ、1940年1月… 倉田 紘文(くらた こうぶん、本名:ひろふみ、1940年1月5日 - 2014年6月11日)は、日本の俳人。別府大学名誉教授。専門は国文学。大分県出身。 杵築市山香町生、大分大学学芸学部技術科卒。父が中塚一碧楼に師事した俳人であったため、幼少期から俳句に親しむ。1959年、19歳のときに、耶馬渓で行われた「芹」九州俳句大会にて高野素十に出会い師事、「芹」に入会。1972年、素十の勧めにより32歳で「蕗」を創刊、主宰。1983年、別府大学教授(国文学)に就任。のちに名誉教授。1978年より『大分合同新聞』俳壇選者。1992年より『山陽新聞』俳壇選者。1998年よりNHK俳壇主宰・選者、およびBS俳句王国主宰。
大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人… 大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人、紀行作家、俳人。 埼玉県戸田市生まれ。1963年東京大学文学部仏文科卒、朝日新聞社入社。出版部門を長く経験する。1995年『俳句朝日』編集長。1996年『短歌朝日』創刊編集長となり、『俳句朝日』と編集長を兼任する。1999年退社、顧問となる。2000年「ウェップ俳句通信」編集長。2001年結社「やぶれ傘」を創刊、主宰。釣りに関する著作も多い。
内野光子(うちの みつこ、1940年 - )は、日本の歌人。… 内野光子(うちの みつこ、1940年 - )は、日本の歌人。 歌誌「ポトナム」所属。阿部静枝に師事。夫は東京大学名誉教授、醍醐聰。 東京都池袋生まれ。1963年東京教育大学文学部法律政治学専攻卒業。学習院大学勤務を経て、1965年国立国会図書館勤務。 1976年名古屋に転居、東海学園女子短期大学図書館勤務、1988年千葉県に転居、八千代国際大学図書館勤務。1994年退職、立教大学社会学部大学院修士課程(マス・メディア論専攻)入学、1998年修了(修士論文「日本統治下の台湾におけるマス・メディアの形成と天皇制」)。地域ミニコミ誌『すてきなあなたへ』編集発行。 戦後短歌と天皇制の関係を問い続けている。
根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 202… 根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 2022年1月16日)は、日本の俳人。 埼玉県羽生市出身。早稲田大学大学院商学研究科修士課程中退[要出典]。水原秋桜子に師事。1973年「馬酔木」同人[要出典]。公益社団法人俳人協会名誉会員[要出典]。
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10… 岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。
森田 孟(もりた たけし、1939年9月30日 - )は、日… 森田 孟(もりた たけし、1939年9月30日 - )は、日本の英文学者、歌人、筑波大学名誉教授。 専攻はアメリカ文学。ウィリアム・フォークナー、ナサニエル・ホーソーン、ハーマン・メルヴィル、マーク・トウェインなど。マリアン・ムーア、フレデリック・ゴダード・タッカーマンの詩業を全訳。また、近藤芳美に師事する歌人でもあり、「未来」同人、「双峰会」主宰。 日本統治時代の台湾台北市生まれ。1962年東京教育大学英文科卒、1966年同大学院博士課程中退、大東文化大学講師、名古屋大学教養部助教授、1976年筑波大学助教授、教授、2003年定年退官、名誉教授、成城大学教授。2010年退職。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆ… 辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年(昭和14年)7月26日 - 2011年(平成23年)9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。二人の娘がいる。 私小説風から童話・詩歌まで幅広い作品を手がける。ノンフィクションにおいては、丹念な聞き取りを元に構成されているとして評価が高い。私小説風作品においては、複雑な家庭環境を元に冷静で批判的に家族を捉える反面、親子の愛情について細やかに描写されている。 父の友人曰く伯父をモデルとした安一は5回離婚したが伯父が離婚したのは4回とコメントしている。 実母・富美子は花冷えの作中の母親が不倫をするくだりと夫婦喧嘩をしてヒステリーをおこす場面を読み「なぜ、実の娘がこんな見てきたような嘘を書くのか、私には分かりません。
小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は… 小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は、日本の俳人、茶人。 東京府生まれ。1961年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒。博報堂などでコピーライターとして活躍後、(株)レマンに入社。コピーライター時代の代表作は1970年の森永製菓、エールチョコレートの『大きいことはいいことだ』。 1977年、同好の士と俳句同人「九九の会」を結成(現:未名句会)し、世話役として今日に至る。俳号は麦人(ばくと)。著書に『俳諧無辺』『俳句のことばたち』『花あびて』などがある。 また茶人として遠州流茶道を嗜み、茶道遠州会東京支部副部長を務める。茶名は有節庵宗生。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 20… 茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 2025年12月23日)は、奈良県出身の俳人。本名は和男。 奈良県生駒郡郡山町(現・大和郡山市)生まれ。奈良県立郡山高等学校、大阪市立大学文学部卒業後、高槻中学校・高等学校教諭(古文担当)を長く勤めた。 高校時代の1956年、創刊したばかりの「運河」に入会し右城暮石に師事。また暮石の紹介で「天狼」に入会し山口誓子にも師事、天狼青年句会で指導を受ける。1986年、「運河」の「運河集」選者。1991年、暮石から継承し「運河」主宰。1997年、『西の季語物語』により第11回俳人協会評論賞、2002年、句集『往馬』により第41回俳人協会賞、2014年、句集『薬喰』により第13回俳句四季大賞を受賞。
春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 20… 春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 2004年5月22日)は、昭和・平成期の歌人。 初期は幻想・耽美的かつ背徳的な作風で知られるが、次第に肉体と精神の観念を中心とした美学に移り、死病を得た晩年は、病と対峙する劇化された自己および現実に近い場面を均整のとれた文語体で詠んだ。前衛短歌運動の一人とされることもある。 愛知県丹羽郡(現江南市)生まれ。父・春日井瀇、母・春日井政子はともに太田水穂に師事した歌人であり、建も実質「潮音」系と云える。作家・ゲームデザイナーの小太刀右京は大甥にあたる。 12歳から名古屋市昭和区に住み、以後生涯を名古屋で過ごした。名古屋市立北山中学校、名古屋市立向陽高等学校に通う。
雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は… 雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、日本の歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メートル峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌として吉村睦人らと「新アララギ」を創刊し、編集委員、選者を務める。
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )… 佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。日本芸術院会員。『心の花』主宰・編集長。現代歌人協会前理事長。 曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 祖父信綱が主宰した「竹柏会」とその機関誌「心の花」を継承。骨格の太い男性的な歌風を特色とする。俵万智の師。歌集に『群黎』(1970年)、『反歌』(1989年)、『金色の獅子』(1989年)、『天馬』(2001年)、『ほろほろとろとろ』(2014年)など。
松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は… 松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は、俳人。本名は英孝(ひでたか)。第28回現代俳句評論賞、第9回新俳句人連盟賞、第1回雑草賞受賞。古沢太穂師系「鴎座」代表、現代俳句協会参与、新俳句人連盟永年会員。 1938年8月25日、高知県高知市小津町に生まれる。高知市立城北中学校・高知県立高知工業高等学校機械科卒業。高校時代、秋元不死男の「氷海」に入会。高校卒業後、東京電力に入社。鶴見火力発電所、千曲川電力所、新東京火力発電所、大井火力発電所に勤務。1972年「沙羅」と合併し古沢太穂主宰となった「道標」に同人として参加。1974年藤田湘子の「鷹」に入会、のち同人となるも1979年退会。
黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 202… 黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 2023年3月13日)は、日本の俳人。 東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学。大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。
浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 20… 浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 2025年11月16日)は、日本の歌人。短歌結社には無所属。日常の閉塞感・倦怠感を、皮肉とユーモアを交えて詠み上げた作品は、塚本邦雄らに高く評価されている。 北海道釧路市にて、真言宗の僧侶の次男として生まれる。6歳で母と死別し、父は気落ちして郷里の高知県に帰り、48歳の若さで死去。兄とともに神奈川県の母の実家に引き取られた。姉の影響で作歌を始め、相模原市の印刷所の文選工として働きながら、「童牛」「相模野」などの結社に所属した。神奈川県立湘南高等学校定時制に通っていたとき、昼間部の教師が「心の花」会員であり、学校新聞の投稿作を見ていたその教師の勧めで、1961年度の角川短歌賞に応募。
須原 和男(すはら かずお、1938年4月13日- )は、日… 須原 和男(すはら かずお、1938年4月13日- )は、日本の英文学者、俳人、國學院大學名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。茨城大学教養部講師、國學院大學文学部助教授、教授、2009年定年、名誉教授。川崎展宏に師事。俳誌『貂』同人。
大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3… 大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3日 - 2023年(令和5年) 4月28日)は、日本の俳人。京都府出身。 舞鶴町(現舞鶴市)生まれ。1954年、府立西舞鶴高校に入学、「鶴」門の工藤雄仙が主宰する「飛翔」に誘われ句作を開始。1956年ごろ「鶴」に入会。石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。1957年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、1981年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。 1984年、「遊ぶ子の」50句により第30回角川俳句賞を受賞。1986年、句集『群萌』により第10回俳人協会新人賞を受賞。
佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5… 佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5月22日)は、日本の歌人・登山家。 大分県南海部郡上野町生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒、1960年広島大学教育学部国語科卒、萩原朔太郎で卒論を書く。在学中から登山を始める、1960年10月、増永迪男と結婚し、福井市に住む。短歌を作る。登山中に転落し死亡。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
草壁 焔太(くさかべ えんた、1938年3月13日 - )は… 草壁 焔太(くさかべ えんた、1938年3月13日 - )は五行歌人、詩人。本名、三好清明。関東州大連市生まれ。五行歌の創始者として知られている[4]。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )… 柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )は、東京出身の生命科学者、サイエンスライター、エッセイスト、歌人。夫は柳沢嘉一郎。
福永 耕二(ふくなが こうじ、1938年1月4日 - 198… 福永 耕二(ふくなが こうじ、1938年1月4日 - 1980年12月4日)は、日本の俳人。鹿児島県出身。 川辺町生まれ。ラ・サール高等学校在学中より「馬酔木」に投句。1956年、鹿児島大学入学、俳誌「ざぼん」に参加、編集を手がける。1960年、同大学文理学部国文科を卒業、純心女子高等学校に教師として奉職。1965年、能村登四郎の推薦により上京、登四郎の勤める千葉県の私立市川高等学校に勤務する。1969年、「馬酔木」同人。1970年、登四郎の「沖」創刊に参加。同年「馬酔木」編集長。1972年、馬酔木賞、沖賞受賞。代表句に「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」などがあり、青春性、叙情性を湛えた句風であった。
田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は… 田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は、日本の俳人。大学時代より俳誌「風」に所属し沢木欣一に師事。2008年に林徹より俳誌「雉」を主宰継承。 石川県加賀市に生まれる。小学5年時、国語教諭に作品を褒められた、という理由で俳句を始める。高校3年時、旺文社主催の高校文芸誌コンクール俳句の部にて山口青邨の入選を受ける。金沢大学文学部哲学科入学後、沢木欣一の俳誌「風」に入会、師事する。楠本憲吉の特選となる。大学卒業後、新聞社に入社。愛媛県にて勤務時、「えひめ歳時記」を2年間連載する。のちに「えひめ俳句歳時記」として出版。1985年、林徹主宰の俳誌「雉」の創刊同人となる。2002年より大峯あきら代表の超結社同人誌「晨」の同人となる。
高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )… 高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人・歌人・俳人。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる。大学卒業後、1962年上京し、日本デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。
関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )… 関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )は、日本の俳人、文学者(日本文学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡女子大学文学部教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長、浜松学院大学短期大学部幼児教育科教授などを歴任した。 1937年、神奈川県横浜市にて生まれた。早稲田大学の大学院に進学し、文学研究科の日本文学専攻にて学んだ。1966年に早稲田大学の大学院を修了する。 大野林火に師事し、俳句の創作を続ける。また、俳句雑誌である『蜻蛉』の主宰を務めている。 俳句の創作だけでなく、俳句の研究や評論にも取り組んでおり、教育機関で教鞭も執った。1979年4月、静岡女子大学の文学部に着任した。
大串 章(おおぐし あきら、1937年(昭和12年)11月6… 大串 章(おおぐし あきら、1937年(昭和12年)11月6日 - )は、日本の俳人。佐賀県出身。 嬉野町(現:嬉野市)生まれ。若い頃より文学に関心を持ち、1950年、「毎日中学生新聞」にて俳句等を投稿していた。1958年に京都大学経済学部に入学、俳句同人誌「青炎」や「京大俳句会」に参加。1962年に大学卒業後は日本鋼管(現:JFEスチール)に就職。1959年、大野林火主宰の「濱」に参加。1994年、「百鳥」を創刊し、主宰。 1978年、句集『朝の風』で第2回俳人協会新人賞、1994年、『現代俳句の山河』で第9回俳人協会評論賞、2005年、句集『大地』で第45回俳人協会賞を受賞。2002年より俳人協会理事、2017年より会長。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、… 成井 惠子(なるい しげこ、1937年9月20日 - )は、日本の俳人、図書館学者、文芸評論家。 茨城県生まれ。文部省図書館職員養成所卒。日本原子力研究所技術情報部勤務。1988年茨城女子短期大学助教授、2007年准教授。2008年定年退職。1987年現代俳句評論賞受賞。長塚節文学賞選考委員。
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 20… 小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。
栗田 靖(くりた きよし、1937年6月13日 - )は、俳… 栗田 靖(くりた きよし、1937年6月13日 - )は、俳人、俳句研究者。日本大学国際関係学部名誉教授。 満洲・ハイラル生まれ。岐阜大学卒業、立命館大学大学院修了、日本大学大学院博士課程単位取得。東海学園女子短期大学講師、日本大学国際関係学部助教授、教授を経て、2008年より同名誉教授。 実作者としては栗田やすしの俳号を用いる。1958年、「岐大二十才句会」で俳句を始め、1966年「風」に入会、沢木欣一に師事。「風」同人を経て1998年に「伊吹嶺」を創刊・主宰。 著書に『子規と碧梧桐』『山口誓子』『河東碧梧桐の基礎的研究』など多数。句集に『伊吹嶺』『遠方』『霜華』『海光』などがある。2000年『河東碧梧桐の基礎的研究』で第15回俳人協会評論賞、2009年句集『海光』で第49回俳人協会賞受賞。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )… 千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、日本の歌人、詩人。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、明治大学法学部英法科卒業。大学時代は、思想・評論を中心とした雑誌「駿台論潮」編集部に籍を置く。 1956年、作歌を始め、歌誌「香蘭」に入会、村野次郎に師事。1961年、詩誌「沙漠」に入会。1964年、山本哲也と詩誌「砦」を創刊。1965年、第一詩集『恋唄』を刊行。1975年、佃学と詩誌「アポクチファ」を創刊(1978年、「邯鄲」に改組)。1981年、第一歌集『壜と思慕』を刊行。1988年、「現代短歌を評論する会」に参加。 2001年、「香蘭」代表に就任。2010年、横浜歌人会代表委員に就任(2013年退任)。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月… 松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、… 大嶽 青児(おおたけ せいじ、1937年1月1日 - )は、東京出身の俳人。本名・一昭。東京市(現・北区)生。東京都立工芸高校機械科卒。在学中より作句。1965年、「春燈」の木下夕爾追悼号を読んだことで同誌に興味を持ち、1967年入会。安住敦に師事、成瀬櫻桃子に兄事。1975年、春燈賞受賞。1982年、『遠嶺』で第6回俳人協会新人賞受賞。2004年、「春燈」退会し、季刊同人誌「瀝」を創刊、代表同人を務める。2007年、『笙歌』で第47回俳人協会賞受賞。代表句に「笛吹いて了る童話よ遠嶺に雪」などがあり、叙情味のある自然詠が特色。他の句集に『桐の花』がある。
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 197… 小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 1955年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部国文学科に進学、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった石本隆一の紹介により前田夕暮系の短歌結社「地中海」に参加し、香川進に師事。1963年に大学を中退し、角川書店や河出書房新社に編集者として勤務する。 1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。瑞々しさにあふれたやわらかな相聞歌が高く評価された。また、少年期の学童疎開(9歳で長野県に集団疎開し、栄養失調状態で帰京)の経験が作品に濃厚な死の影を落としているとも評される。
佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日… 佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日本の歌人。 東京府(現豊島区)生まれ。実家は真言宗寺院。1960年学習院大学経済学部卒業。伊勢丹百貨店に入社し、定年となる1996年まで勤める。 1959年、加藤克巳の主宰する歌誌「近代』」に入会。1963年、加藤が「近代」を終刊して新たに「個性」を創刊し、佐藤も参加する。1993年、沖ななもと「詞法」を創刊。1998年、脳梗塞で倒れ、闘病生活に入る。2004年、「個性」が終刊する。同時に沖が「詞法」を改名して「熾」を創刊し、佐藤も参加。 作風は超難解とされ、「実験的前衛モダニズム短歌とでもいうべき孤高の姿をしている」と評されている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は… 今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は、日本の俳人。茨城県出身。 1944年、父の生地である茨城県東茨城郡小松村(現在の城里町)に疎開し、以後同地に住む。茨城県立水戸第一高等学校時代にホトトギスの俳人でもあった音楽教師・滝豊(俳号:鼓泉子)の指導のもとで俳句の作成を開始する。茨城大学卒業後、1959年より学校教師として勤める。1961年、「夏草」入会。1970年、「沖」創刊とともに参加し能村登四郎に師事。1975年に沖賞、1979年に茨城文学賞受賞。1986年、「対岸」を創刊・主宰。1997年から東京新聞茨城版「ひたち俳壇」の選者を務める。 2008年、句集『水戸』により第47回俳人協会賞を受賞。
伊藤 宏見(いとう ひろみ、1936年7月31日 - 201… 伊藤 宏見(いとう ひろみ、1936年7月31日 - 2019年2月9日)は、日本の英文学者、詩人、歌人、劇作家、比較文化学者、東洋大学名誉教授。 横浜市生れ。1963年早稲田大学第一文学部英文学科卒業、65年同大学院修士課程修了。東京農業大学講師、助教授、東洋大学教授、2007年定年退任、名誉教授。日本歌人クラブ中央幹事。良寛会会長。沙羅短歌会主宰会長。W・B・イェイツ研究が専門。