田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月… 田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2000年〈平成12年〉2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。直木賞・谷崎潤一郎賞受賞。 東京市千駄ヶ谷生まれ。父・田中種助はバプテストの神学校を出た東京市民教会の牧師。40歳の種助と46歳の母・マサ子の長男として生まれる。父の転勤で4歳から広島県呉市東三津田町で育つ。7歳のとき、父が呉三津田の山に「アサ会」という十字架のない独自のキリスト教教会を創立。 実家近くの広島県立呉第一中学(現・呉三津田高校)を受験するが失敗し、旧制西南学院中学に入学。母親の意向で一年後に呉第一中学の編入試験を受け2年から転校した。同級に井上忠。
胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - … 胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - 1994年3月22日)は、日本の作家。本名は清水 正二郎。海外を舞台にした冒険小説や、ユーモア推理小説で人気を博した。 東京府南葛飾郡(現在の東京都墨田区)生まれ。代表作に冒険小説『天山を越えて』、『翔んでる警視』シリーズ、直木賞受賞作『黒パン俘虜記』などがある。 東京府立第六中学校(現在の東京都立新宿高等学校)から拓殖大学商学部卒業。少年時代から直木三十五や牧逸馬のような流行作家に憧れて、作家を志す。また漫談家への憧れもあり、中学時代に内務省保安局から鑑札をもらって談譚協会に所属して、大都映画の弁士をしたり、劇場で淡谷のり子や笠置シヅ子などの歌手の司会をしたこともある。
永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31… 永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31日 - 2023年〈令和5年〉1月27日)は、日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいた ひろこ)。茨城県古河市および神奈川県鎌倉市の名誉市民。 東京府東京市本郷区に生まれる。実父は来島清徳、実母は声楽家の永井智子。実父は生後数年で死去している。 母が一人娘だったため、母の実家を継ぐ目的で、血縁的には大叔父に当たる永井八郎治の長女として入籍。3歳で茨城県古河町(現:古河市)に転居して、当地で育つ。茨城県立古河高等女学校(現:茨城県立古河第二高等学校)卒業。1944年、東京女子大学国語専攻部を卒業。戦後は東京大学で経済史を学んだ。 1949年、歴史学者の黒板勝美の甥で同じく歴史学者となる黒板伸夫と結婚し、東京・中野に転居。
井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日… 井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉5月12日)は、日本の図書館司書・評論家・著作家・歌人。 国立科学博物館附属自然教育園園長等を歴任。 東京大学文学部卒業。1946年、愛知県公立高校の教諭となり、1958年専任司書教諭。1961年文部省初等中等教育局勤務、1977年国立淡路青年の家、1981年国立沖縄青年の家所長を務めた後、国立科学博物館附属自然教育園園長となる。道徳教育・図書館学についての著作のほか、小説・短歌をものした。 1995年、勲三等瑞宝章受章。1996年5月12日、心不全のため死去。
田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 20… 田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 2011年7月20日)は、日本のベンガル語翻訳家、著作家。女性。「田中かん玉」とも表記。 1925年(大正14年)、北海道旭川市生まれ。北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)、日本女子大学家政科に進学。1945年(昭和20年)に戦争が終わると、中退して帰郷し、結婚して男の子2人を育てる。1954年(昭和29年)に東京都新宿区に引っ越した。1959年(昭和34年)、目白ロゴス英語学校を卒業。1969年(昭和44年)に仏教学者の渡辺照宏、東京外国語大学教授の奈良毅もとでベンガル語のラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』の翻訳を始め、5年後の1974年(昭和49年)に抄訳本を奈良毅と共訳で自費出版。
大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-19… 大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-1986年6月26日)は、日本の作家、刀剣研究家。 本名・山田常平(じょうへい)。東京生まれ。 敗戦後、日本大学芸術学部に進学し卒業後、進駐軍に勤めるかたわら推理小説を書き、「地獄からの使者」が『別冊宝石』の懸賞に入選。以後多くの小説を書くが、70年代に筆を折り、刀剣研究と軍装コレクションに熱中した。
夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1… 夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1999年1月4日)は、日本の小説家。 1925年、北海道小樽市において、小樽地方裁判所の判事を務めていた夏堀悌二郎(のちに北海道会議員、公選初代の八戸市長)の子として生まれる。1939年に父の郷里青森県に移る。1941年に中央大学予科に入学、1944年に旧制早稲田大学国文科に入学する。学徒出陣し、戦後大学に戻るが、1950年に中退する。北海道新聞社に入社、1954年に退社し、1956年に「呪文脱出」を『新潮』に発表し、作家として立つ。1960年に下山事件に取材した長編小説『罠』を刊行、評価される。1965年より同人誌『層』を5年間運営、黒井千次、井出孫六、色川武大などが加わった。
森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年… 森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年9月4日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、絵本作家。日本アニメーション所属。森やすじ、もりやすじという表記も使用した。 鳥取県鳥取市出身。台湾で幼少期を過ごす。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 政岡憲三に師事しアニメーションを学ぶ。日本における初期の本格的な商業用アニメーション製作会社・東映動画(現・東映アニメーション)に発足当初から参加し、同社草創期の作画部門において大工原章らとともに指導的な役割を果たす。以後長年にわたり、数々の児童向けアニメーション映画・テレビ番組制作に携わる。 日本アニメーションに所属してからは、アニメーション制作の他に新人、若手アニメーターの教育や指導も行っていた。
川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)… 川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年(大正15年)1月11日 - 2010年(平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年~2010年)。日本アニメーション協会名誉会長。日本を代表する人形アニメ監督。
上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 200… 上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 2009年11月10日)は、日本の小説家。 北海道十勝郡浦幌町生まれ。浦幌高等小学校卒業後、札幌師範学校附設の小学校准訓導養成所に学び、1941年に卒業して西足寄町の平和国民学校で教員生活に入る。小樽市の北海道青年学校水産教員臨時養成所に学び、1945年3月に卒業して塩谷村立青年学校に勤めるも、すぐに召集される。9月に復員後、増毛町の青年学校・中学校、札幌第四中学校、銭函中学校に勤め、その傍ら札幌文科専門学院夜間部に通う。講師の新間進一の影響を受けて文学熱が上がり、大東文化大学文政学部日本文学科に3年次編入し、1953年に卒業。卒論では有島武郎を選び、岩内町の木田金次郎を訪問する。
中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日… 中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。 東大独文科卒。近代化と自己を冷静に分析したエッセイ『ブリューゲルへの旅』(1976年)、自伝小説『麦熟るる日に』(1978年)、愛犬の思い出を綴った『ハラスのいた日々』(1987年)で認められ幅広く活躍する。ほかに『清貧の思想』(1992年)など。 千葉県市川市の大工の子として生まれ、独学で旧制高校に進み、第二次大戦出兵を経て、東京大学独文科を卒業。1952年から28年間、国学院大学で教鞭を執る傍ら、フランツ・カフカ、ギュンター・グラスなど現代ドイツ文学の翻訳紹介に努めた。
十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、… 十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、日本の作家。本名は臺野澄子。 北海道樺戸郡新十津川村(現在の新十津川町)生まれ。庁立滝川高等女学校(現在の北海道滝川高等学校)を戦後に卒業。旭川日赤高等看護学校中退後滝川の職業安定所に勤務ののち上京し慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部)を卒業、看護婦となる。農林省勤務の後日本油脂美唄工場へ転職し執筆活動を本格化させる。 小説を木々高太郎に師事し、1958年『コタンの春』を上梓(序文は木々)。1960年の『胎動期』は、東芝日曜劇場でテレビ放送され、三輪彰監督・新藤兼人脚本によって「胎動期 私たちは天使じゃない」として1961年に映画化された。
秋岡家栄(あきおか いえしげ、1925年(大正14年) - … 秋岡家栄(あきおか いえしげ、1925年(大正14年) - )は、日本の作家、元新聞記者。 元朝日新聞社北京支局長、朝日中国文化学院創設者兼初代院長、日中友好99人委員会創設者兼総代表。中国の文化大革命期に中国政府から国外退去を命じられずに中国に残った9人の外国人記者のうち、ただ1人の日本人記者である。 1943年、上海東亜同文書院に公費留学生として留学。 1967年11月 - 1972年11月、朝日新聞社北京支局駐在。
相見 とし子(あいみ としこ、1925年 - 2005年)は… 相見 とし子(あいみ としこ、1925年 - 2005年)は、日本の小説家。 京都府竹野郡間人町(現・京丹後市)生まれ。二人兄妹であったが、兄は第二次世界大戦で戦死した。 日本女子大学国文学部卒業。 後に同志社大学教授(現・名誉教授)となった相見志郎と結婚し、創作活動に入る。ドイツ文学者・前田敬作が京都大学助教授時代に出していた同人誌『集団55』に発表した初創作の『魔法瓶』で1957年(昭和32年)上半期の芥川賞、直木賞の女性としては初めての同時候補となる。 執筆活動を続けながら、1973年(昭和48年)から平成初め頃まで20年間ほど、左京区の自宅敷地内で文化人の集う居酒屋「木の目会」を実質経営。
千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月… 千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月 - 1994年〈平成6年〉7月12日)は、日本のジャーナリスト、作家。筆名には、志摩紀久夫(しまきくお)、青柳淳郎(あつろう)、本間丫閑斎(あかんさい)がある。朝鮮半島の大邱市生まれ、東京市麻布区材木町(現・東京都港区六本木)育ち。本籍は島根県大社町。両親はいとこ婚であり、父方の祖父も母方の祖父も千家尊福。父は尊福の養子・千家尊宣、弟に千家崇彦がいる。母方の伯父は詩人千家元麿。学習院では三島由紀夫と同級生だった。 幼い頃から父親にDVを受け、14歳の時、父親と女中の性行為を目撃してから不良化。1939年、学習院中等科2年生の時に煙草を吸って退寮処分となる。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 20… 庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 2011年2月1日)は、日本の作家、文芸評論家、眼科医。 千葉県生まれ。九州高等医学専門学校卒。眼科医のかたわら小説、評論を書き文芸誌『きゃらばん』を主宰する。 作品に『庄司肇コレクション』『庄司肇作品集』がある。現代作家論が多い。 2011年2月1日、転移性肺腫瘍のため86歳で死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 200… 長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 2002年5月25日)は、日本の小説家。 和歌山県田辺市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社入社。整理部を経て編集委員。整理部時代の先輩に作家の小峰元がいる。1979年(昭和54年)定年退職。 定年退職後江戸川乱歩賞をめざし、昭和55年東海地震をテーマとした「M8以前」で第26回の最終候補作となるも落選。翌昭和56年原子力発電所の建設にまつわる疑惑をテーマとした「原子炉の蟹」で第27回江戸川乱歩賞を受賞。当初は社会派推理小説、後に山岳小説を得意分野とした。 2002年5月25日、脳梗塞のため大阪府吹田市の病院で逝去。享年77。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - … 上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - 1997年9月2日)は、日本の児童文学作家。福島県二本松市出身。本名・美枝子。 1924年11月15日、福島県二本松市に生まれる。6歳の時に一家で上京。青山学院高等女子部(現・青山学院中等部・高等部)を1940年に卒業し、青山学院女子専門部(現・青山学院女子短期大学)に進学(のち1年次修了後に休学、中退)。東京大空襲のため故郷の二本松に疎開。戦後まもなく結核に罹り、国立中野療養所に6年間入所。その間に児童文学を読み耽り、自身も1972年から自作童話を書き始める。1976年「魔法のベンチ」「ちゃぷちゃっぷんの話」で第6回赤い鳥文学賞受賞。
広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972… 広瀬 正(ひろせ ただし、1924年9月30日 - 1972年3月9日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、ジャズ・サックス奏者、クラシックカーモデル製作者。 時間をテーマにしたSF作品を多く残し、「時に憑かれた作家」とも呼ばれる。本名は広瀬 祥吉(ひろせ しょうきち)。 東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれる。 1942年 - 日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築科に入学。1952年 - ジャズバンド「広瀬正とスカイトーンズ」を結成。1960年 - 「広瀬正とスカイトーンズ」、借金のため解散。 1961年 - デビュー作『殺そうとした』が『宝石』臨時増刊号に掲載される。また同年、同人誌『宇宙塵』に参加。
綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9… 綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉4月14日)は、樺太出身の小説家、随筆家。 旧制新潟高校在学中に北海道旭川の第7師団に召集され、1945年(昭和20年)9月に復員。 翌1946年(昭和21年)、東京帝国大学に入学したものの学費が続かず1年経たずに辞め、東京を脱して新潟に赴き、数年間職を転々とした後、1951年(昭和26年)、東大復学。1953年、同大文学部英文学科卒業。中央公論社に入社し、出版部、『中央公論』、『婦人公論』を経て『谷崎潤一郎全集』、『エリオット全集』などの文芸書を手掛け、1971年(昭和46年)、退社。翌年、請われて日本ペンクラブ事務局長に就き、激務の傍ら「斬」を執筆。
坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 -… 坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 - 1999年5月10日)は、日本の小説家、川柳評論家。北海道函館市生まれ。 1942年に函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)卒業後、国鉄入社。無線電信講習所(現:電気通信大学)を卒業して国鉄函館船員区に勤務した。 青函連絡船通信長として勤務していた現役当時、洞爺丸台風(1954年9月26日)の際に同航路を就航していた客載車両渡船『石狩丸』の次席通信士として、洞爺丸の転覆・遭難を発信し続けた第六真盛丸からのSOS通信を受信し、公電として発信した経験を有している。1990年、北海道文化賞奨励賞受賞。川柳の研究評論も手がけていた。 1999年、急性心不全のため死去。
小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8… 小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8月29日)は、医師、作家。 京都市生まれ、愛知県名古屋市育ち。旧制東海中学、名古屋帝国大学附属医学専門部卒業。 名古屋市中川区で産婦人科医院を開業、同人雑誌『作家』を主宰する。1949年上半期、「確証」で戦後復活した最初の芥川賞を受賞する。医師として活動しながら『作家』の刊行を続け、後進を育成した。 小谷の死去後、『作家』は1992年1月号をもって月刊誌としての刊行を終了。後継誌として『季刊作家』が創刊された。
平木 国夫(ひらき くにお、1924年8月6日 - 2012… 平木 国夫(ひらき くにお、1924年8月6日 - 2012年4月5日)は、飛行機、民間航空史に関する作品を専門とする石川県出身のノンフィクション作家。 石川県七尾市若林町生まれ。徳田小学校卒業、玉川学園中等部修了。千葉工業大学予科修了後、1946年3月中退。戦時中は大日本飛行協会横浜飛行訓練所で水上機の操縦訓練を受ける。学生長で学生助教の時に学鷲血盟特攻隊に編入されたが、終戦となり出撃せず。 GHQによる規制時期を経て民間航空の再開後に事業用操縦士免許を取得。伊藤忠航空輸送(伊藤忠商事の航空事業子会社)運航課長、日本航空機輸送の運航部長などを経て作家となる。『人間像』同人、航空大学校講師、航空ジャーナリスト協会副会長。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)… 志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)は、日本の作家。 三重県松阪市出身。本名・坂本實。宇治山田商業学校卒。1959年漫画家としてデビュー。その後、テレビ、演劇などの脚本家を経て、作家となる。バイオレンス、ミステリー、時代小説と幅広い。また時代小説においては、膨大な資料をもとに物語を再構築する特異な才能を発揮している。
川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2… 川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2013年3月14日)は、文芸・相撲評論家、小説家。 岐阜県出身。のち東京府南葛飾郡小岩町(現・東京都江戸川区)に移る。小岩町立下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)に入る。尋常小学校では後の横綱栃錦とは同級生だった。その後横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)を卒業する。数々の職業遍歴を経て、1969年から東京都板橋区の三和化学に勤務した。競馬を好む。
飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月… 飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉3月2日)は、日本の作家。元読売新聞社会部記者。タレントの飯干恵子(現:飯星景子)は娘。映画『仁義なき戦い』シリーズの原作者として知られる。 大阪府出身。旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)卒業後、旧制第七高等学校(現在の鹿児島大学)卒業、1950年京都大学法学部(現在の京都大学大学院法学研究科・法学部)卒業。 読売新聞勤務時は社会部副編集長であったが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞め、『山口組三代目』を執筆し、それまでになかった切り口で広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し反響を得る。
中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1… 中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1999年11月16日)は、日本の児童文学作家・放送作家。 京都市出身。1949年同志社大学文学部卒。長浜市立図書館館長を経て、滋賀文教短期大学教授を務めた。1967年「まめだの三吉」で毎日児童小説入選、1968年『タブーの島』で毎日児童小説入選。ラジオ作品に「山にあるいのち」「日本海」などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003… 宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003年5月7日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。青木定謙の孫。妻は新田義美の娘の公子。 中国の天津に生まれる。自著で、父は外国関係の案件を手がける弁護士だったと記している。 幼少期は兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区)で育つ。この時期、近くに住む造船技師で実業家の笹子謹(ひとし)が開いていたアトリエに通い、伊谷賢蔵やその後任の八島太郎・光(光は笹子謹の娘)夫妻に絵を習った。小学校は師範学校の附属小学校に通い、その後「スパルタ教育で名だかい県立中学校」に進学する。在学中に病気療養のため、通常よりも2年遅れて中学校を卒業する。
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1… 川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月1… 藤城 清治(ふじしろ せいじ、1924年〈大正13年〉4月17日 - )は、日本の影絵作家。キャラクター「ケロヨン」の原作者としても知られる。東京府(東京都)出身・目黒区在住。ホリプロ(同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる。 ※パルナス製菓 CM(1960年代 - 1990年頃)の原画が藤城清治のものであるという情報がネットにあるが、間違いであるとのこと。 ※参考:その他の作品の展示施設[リンク切れ] ※SNSはスタッフが運営 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年… 吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日)は、日本の小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。
角田 光男(かくた みつお、1924年4月11日 - )は、… 角田 光男(かくた みつお、1924年4月11日 - )は、日本の児童文学作家。 新潟県新津市(現:新潟市秋葉区)出身。高等小学校卒。独学で小学校教員となり、1964年上京、文筆生活にはいる。1972年地すべりの町に生きる人々を描いた『よみがえれ大地』(で注目される。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 201… 邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株式会社邱永漢事務所代表取締役。 旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。日本亡命後に筆名「邱永漢」を使うようになり、この筆名は戦前の台湾文学界で活躍した作家の西川満がつけたという説があるが、邱本人が否定している。 1924年3月、婚外子として日本統治時代の台湾台南市に生まれる。10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人。 1937年、13歳のとき台北高校尋常科に入学。
滝口 康彦(たきぐち やすひこ、1924年3月13日 - 2… 滝口 康彦(たきぐち やすひこ、1924年3月13日 - 2004年6月9日)は、日本の時代小説家である。本名︰原口 康彦(はらぐち やすひこ)。生涯のほとんどを佐賀県多久市で過ごし、旧藩時代の九州各地を舞台にした「士道」小説を数多く発表した。 長崎県佐世保市万津町に生まれる。実父の死去、実母の再婚後、佐賀県多久市に移る(1933年)。尋常高等小学校卒業後、いくつかの職(郵便・運送・炭鉱)を経て、1957年(昭和32年)、『高柳父子』で作家デビュー。なお、戦時中に防府海軍通信学校を卒業している。また、戦後、レッドパージをうけて当時勤めていた炭鉱を解雇されている(滝口本人は共産党員ではなかったが、共産党員の親族がいた)。
安部 公房(あべ こうぼう、本名:漢字同じ(あべ きみふさ)… 安部 公房(あべ こうぼう、本名:漢字同じ(あべ きみふさ)、1924年〈大正13年〉3月7日 - 1993年〈平成5年〉1月22日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。東京府北豊島郡(現:東京都北区)出身。昭和中期から平成初期にかけて活躍した現代日本文学を代表する作家の一人。 東京府で生まれ、満洲で少年期を過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、世界30数か国で翻訳出版されている。 主要作品は、小説に『壁 - S・カルマ氏の犯罪』 (芥川賞受賞)、『砂の女』 (読売文学賞受賞)、『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『幽霊はここにいる』『友達』『棒になった男』『緑色のストッキング』などがある。
いぬい とみこ(本名:乾 富子、1924年〈大正13年〉3月… いぬい とみこ(本名:乾 富子、1924年〈大正13年〉3月3日 - 2002年〈平成14年〉1月16日)は、日本の児童文学作家。 静岡県で生まれ、2歳の時に東京府東京市麻布区(現・港区)、4歳の時に大森区(現・大田区)へ移る。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)を卒業。1941年4月11日、日本女子大学校国文学部(現・日本女子大学文学部日本文学科)に42回生として入学するが、父親の転勤に伴い兵庫県伊丹市に引っ越すため翌年6月2日付けで同校を中退。京都の平安女学院専攻部保育科を1944年に卒業し、東京・大森の幼稚園(母園)と京都の幼稚園に勤務した。その後まもなく、父親が富士紡績柳井化学工業の工場長に就任したため1947年まで山口県玖珂郡柳井町(現・柳井市)に在住し、山口県立柳井高等女学校併設の戦時保育園で保母を務めた。
来栖 琴子(くるす きんこ、1924年2月29日 - )は、… 来栖 琴子(くるす きんこ、1924年2月29日 - )は、日本のアナウンサー、著作家、ジャーナリスト。本名、粟屋 琴子(あわや きんこ)。旧姓、来栖(くるす)。 満州安東県(現・丹東市)出身。相模女子大学(帝国女子大学専門学校国文科)卒業。アナウンサーとしてはNHKとTBSで活躍。声質は澄んだアルトからソプラノ。 幼少期から人前で話すのがとても好きで、帝国女子専門学校国文科の上級生にNHKのアナウンサーがいて刺激になり、また当時女性アナウンサーは少数で収入も大変良いと聞いたので自分もアナウンサーになることを決めた。しかし、収入の良さは、就職してから間違っていたことが分かったという。 1942年、NHKの詩の朗読番組に一般出演者に応募し合格。
黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2… 黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2003年3月7日)は、日本の小説家。社会派推理小説、風俗小説、古代史を題材にした歴史小説で活躍した。 大阪市生まれ。父方の祖先は和歌山県新宮市の廻船問屋。父は大同電力の電気技師、母は植村正久の弟子の牧師で名古屋の金城女学校で教頭も務めた池田勤之助の娘で、重吾は安治川発電所の社宅で生まれた。小学生の頃はキリスト教の日曜学校に通わされたが、結局信者にはならなかった。大阪の府立中学受験に失敗し、旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)に入学し、4年で終了して同志社大学の予科に入学。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。 ソ連国境に近い綏芬河の町で終戦を迎え、厳しい逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 -… 長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。 1944年に応召し、陸軍に入営。華北で終戦を迎え、1946年に復員。
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18… 陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。台湾国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。
藤村 正太(ふじむら しょうた、1924年〈大正13年〉1月… 藤村 正太(ふじむら しょうた、1924年〈大正13年〉1月9日 - 1977年〈昭和52年〉3月15日)は、日本の推理作家、小説家、放送作家。社会派推理小説の作家の一人。別筆名に川島 郁夫。 京城府(現在のソウル特別市)生まれ。第一高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1949年、東京大学法学部政治学科を卒業。同年、結核の療養中に本名の川島郁夫名義で投稿した「黄色の輪」が雑誌「宝石」の百万円懸賞に入選。 NHKの犯人当て推理番組「私だけが知っている」の脚本執筆陣に参加。
岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008… 岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008年8月14日[要出典])は、詩人・作家。 群馬県生まれ。東京第一師範学校卒。『歴程』同人。小学校教師をしながら詩や小説、ノンフィクションなどを書いた。
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2… 山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2日 - 2013年〈平成25年〉9月29日)は、日本の小説家。本名は杉本 豊子(すぎもと とよこ)。 大阪府大阪市南区順慶町通(現:中央区南船場)出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本である。1936年(昭和11年)に大阪市芦池尋常小学校を卒業して相愛高等女学校に入学し、1941年(昭和16年)に卒業した。相愛入学後、年一回刊行されていたらしい校友会誌『相愛』に作文を寄稿しており、12歳時の「淡路島」が現存する最初期の文章とみられる。 太平洋戦争下の1944年(昭和19年)、京都女子高等専門学校国文学科卒業。毎日新聞社に入社した。 毎日新聞大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し、当時学芸副部長だった作家井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。
黒木 淳吉(くろき じゅんきち、1924年 - 2009年)… 黒木 淳吉(くろき じゅんきち、1924年 - 2009年)は日本の小説家。宮崎県西都市出身。 1947年、宮崎県工業専門学校 (旧制)土木科を卒業。学校教員を経て宮崎県立博物館、宮崎県立図書館、社会教育課に勤務。県立図書館副館長・県総合博物館館長・県美術館顧問、宮崎県芸術文化協会会長などを歴任。1996年、退職。この間、「龍舌蘭」「群青派」「九州文学」などで創作活動をおこなう。作品集『帯の記憶』で宮日文化賞、『夏草』で宮崎県文化賞、長編『夕映えの村』で九州文学賞を受ける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
橋本 健(はしもと けん、1924年 - 2007年2月22… 橋本 健(はしもと けん、1924年 - 2007年2月22日)は、日本の電気技術者、著作家。 「幸福科学研究所」設立者。日本超科学会を主宰し、超常現象に関する多数の著書を残した。 アルファ波発生装置「アルファコイル」などの発明者としても知られた。 仙台市生まれ。1943年に旧制姫路高等学校、次いで1945年に東京帝国大学に入学した。同年秋、第二次世界大戦終結後に『生命の實相』に触れ、大いに感化される。1948年、東京大学工学部電気工学科を卒業した後、生長の家の活動に入る。 その後、1955年に富士電工に入社して、諸々の発明に従事し、1982年には黄綬褒章を受章した。 1963年に『超心理学入門』を出版したのを皮切りに、超常現象などについての著書を多数刊行し、1973年に日本超科学会を創設した。