長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )… 長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )は日本の建築家。菊竹清訓事務所出身。静岡県焼津市出身。関東学院大学工学部建築学科卒業。東京工業大学研究生を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房設立。関東学院大学客員教授。 伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)。1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞や1986年に槇文彦や磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センターの公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長などを歴任。 1941年(昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた。
重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 20… 重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 2021年4月9日)は、日本の政治家。従四位。衆議院議員(3期)、大分県議会議員(7期)、社会民主党幹事長(第6代)、同国会対策委員長(第6代)を歴任。 1962年、農業改良普及員として大分県庁に入庁。その後、労働組合活動に没頭するようになり政治に目覚めた。自治労大分県職員連合労働組合の加盟労組である大分県職員労働組合(大分県職労)から大分県議会議員に転身。2000年、大分2区から衆議院議員に立候補し比例復活で初当選。 国政では、社会民主党の国会対策委員長を経て幹事長に就任した。民社国連立政権下でも引き続き幹事長を務め、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した党首の福島瑞穂に代わり党務全般を指揮した。
亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、… 亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、能楽師(葛野流大鼓方)。人間国宝(重要無形文化財保持者各個認定)。配偶者は歌舞伎囃子方九代目田中佐太郎。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。
金田 星雄(かねだ ほしお、1941年12月1日 - )は、… 金田 星雄(かねだ ほしお、1941年12月1日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手・歌手。ポジションは投手。右投げ右打ち。
古川 純(ふるかわ あつし、1941年12月1日 - 202… 古川 純(ふるかわ あつし、1941年12月1日 - 2024年12月7日)は、日本の法学者。専修大学名誉教授。専門は憲法。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
伊藤 英成(いとう えいせい、1941年〈昭和16年〉12月… 伊藤 英成(いとう えいせい、1941年〈昭和16年〉12月1日 - 2021年〈令和3年〉1月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(6期)。建設政務次官、衆議院安全保障委員長、民主党「次の内閣」の外務大臣などを歴任した。 愛知県渥美郡渥美町(現・田原市)出身。1964年(昭和39年)、名古屋大学経済学部卒業。同年、トヨタ自動車工業株式会社に入社。 1974年(昭和49年)9月から1976年(昭和51年)8月までトヨタ自工労働組合の副委員長を務めた(非専従)。 1981年(昭和56年)12月24日、トヨタ自工労組は評議会を開き、衆議院・旧愛知4区につき渡辺武三に代わる新人を擁立する方針案を明らかにした。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
竜田 邦明(たつた くにあき、1940年12月1日 - )は… 竜田 邦明(たつた くにあき、1940年12月1日 - )は、日本の有機化学者。大阪府大阪市出身。早稲田大学名誉教授。日本化学会副会長。 四大抗生物質群を含む102種の天然生理活性物質(天然物)の全合成を達成し、有機化学の重要な分野の一つである天然物合成において先導的役割を果たしてきた。それらのうち90種は世界最初の全合成であり、世界的にも極めて顕著な完成数であることから、国際的に「Dr. Total Synthesis」と呼ばれる天然物合成の世界的第一人者である。なかでも特異な構造とその生理活性により四大抗生物質群と称されるマクロライド、アミノグリコシド、ペニシリンおよびテトラサイクリン系抗生物質のすべての代表物質の全合成に世界で初めて成功した。
樽本 庄一(たるもと しょういち、1940年(昭和15年)1… 樽本 庄一(たるもと しょういち、1940年(昭和15年)12月1日 - 2019年(平成31年)3月15日)は、日本の政治家。兵庫県加古川市長(3期)。位階は従五位。 1963年、関西大学商学部卒業後、加古川市役所に入所。総務部長、助役などを経て、2002年の加古川市長選挙に出馬し、初当選。同年7月1日に市長就任。 2006年7月、2010年6月の選挙はいずれも無投票で当選し、3選した。 2013年12月10日、翌年実施予定の市長選挙に立候補しないことを正式表明した。 2014年6月30日、加古川市長を退任。同年7月8日に退任式が行われた。 2018年4月、旭日小綬章受章。 2019年3月15日、インフルエンザ脳症のため死去。
小山周三(こやま しゅうぞう、1940年12月1日- )は、… 小山周三(こやま しゅうぞう、1940年12月1日- )は、日本の経営学者、西武文理大学名誉教授。 東京生まれ。1964年早稲田大学法学部卒。西武百貨店勤務を経て1970年セゾン総合研究所・流通産業研究所入所。理事、所長となり、フードシステム総合研究所長を兼務。2000年西武文理大学教授となり、のち名誉教授。
小野木 孝(おのき たかし、1939年12月1日 - )は、… 小野木 孝(おのき たかし、1939年12月1日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 仙台工から1958年に国鉄スワローズへ入団。2年目に1軍初登板し、11試合に登板した。翌年は、3試合しか登板できず同年に引退。引退後は東北ベースボールアカデミーリーグの代表、日本プロ野球OBクラブ宮城県代表幹事を務めている。
寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は… 寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は、日本の神学者、九州大学名誉教授、日本バプテスト福岡城西キリスト教会協力牧師。 鹿児島県鹿児島市生まれ。ラ・サール高等学校在学中に受洗。西南学院大学神学部卒、九州大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程満期退学。ボン大学大学院博士課程修了。1972年九州大学助手、75年教養部助教授、85年教授、94年大学院比較社会文化研究科教授、98年定年退官、名誉教授、西南学院大学神学部教授。西南学院院長、2010年退職。2012年西南学院理事長を退職。
古田 隆彦(ふるた たかひこ、1939年12月1日 - )は… 古田 隆彦(ふるた たかひこ、1939年12月1日 - )は、日本の社会学者。研究領域は広く、応用社会学、人口社会学、未来社会学、消費社会学、マーケティング論、生活学、消費者行動論、文明論など多岐にわたる。 1939年、岐阜県恵那市に生まれる。1958年、愛知県立旭丘高等学校卒業。1963年、名古屋大学法学部卒業。八幡製鐵株式会社(現・日本製鉄株式会社)に入社。1971年、株式会社社会工学研究所(黒川紀章、香山健一、佐藤誠三郎、公文俊平が立ち上げ、牛尾治朗がバックアップしたシンクタンク)に入社、1975~1984年、取締役・研究部長。1984年、現代社会研究所を設立、所長に就任。同年より青森大学社会学部助教授、教授を兼任(2010年まで)。
萩原 千秋(はぎわら ちあき、1938年12月1日 - 20… 萩原 千秋(はぎわら ちあき、1938年12月1日 - 2018年10月5日)は、山梨県出身のプロ野球選手、(外野手)。 日川高校から駒澤大学へ進学。当時の東都大学野球リーグは、専大、日大の二強時代で、在学中の優勝はならず、2位2回にとどまる。1959年春季リーグ、1960年春季リーグでベストナイン(外野手)に選出された。 1961年に東映本社入社と同時に東映フライヤーズへ入団。右足骨折で2年間を棒に振るが、1963年には一軍に定着。同年は毒島章一の長期欠場もあり、7月以降は右翼手として40試合に先発出場を果たす。東映には張本勲、白仁天、毒島といった実力者がおり、その後もレギュラーには届かなかったが、控え外野手や代打要員として長く活躍した。
三留 理男(みとめ ただお、1938年12月1日 - 202… 三留 理男(みとめ ただお、1938年12月1日 - 2022年3月22日)は、日本の報道写真家。国連から恒久IDカードを発行された世界でも数少ないジャーナリストの一人。 1938年、日本統治下の朝鮮北部・沙里院(現在は北朝鮮・黄海北道沙里院市)に生まれる。1948年に長崎県佐世保市に引き揚げる。山口県立萩高等学校在学中に、元朝日新聞のカメラマンであった角川政治に師事、写真を学ぶ。 1958年に日本大学藝術学部写真学科に入学。在学中の1961年には写真集「Document 小児マヒの記録」(法政大学出版局)を出版した。同年には初の個展「どんづまり―筑豊の女たち」を開催し、各方面より高い評価を得る。
金田 高義(かねだ たかよし、1938年12月1日 - )は… 金田 高義(かねだ たかよし、1938年12月1日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
長谷部 真道(はせべ しんどう、1938年(昭和13年)12… 長谷部 真道(はせべ しんどう、1938年(昭和13年)12月1日 - )は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺415世座主。学習院大学法学部卒業。高野山専修学院卒業。兵庫県美方郡香美町出身。 旧兵庫県美方町(現在の香美町)の大乗寺に生まれた。1963年(昭和38年)に学習院大学法学部を卒業後、実家の大乗寺を継ぐために高野山専修学院に入る。 1967年(昭和42年)3月に実家である大乗寺の住職に就任。その後、金剛峯寺の執行総務部長・責任役員など経て、2022年(令和4年)に金剛峯寺415世座主に就任した。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - … 天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - 2013年4月30日)は、石川県鳳至郡門前町(現・同県輪島市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は宮永 征夫(みやなが ゆきお)。最高位は西前頭3枚目(1962年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、124kg。 輪島高校定時制課程門前分校(現・門前高校)では、相撲部に所属し、2年生の時には県大会で個人優勝という実績を残した。この年(1954年)には、国民体育大会や全国高等学校総合体育大会相撲競技大会にも出場している。 1955年、時津風部屋の関係者からの勧誘を受けた。間も無く、高校を中退して同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵を踏んだ。
山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2… 山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2023年4月21日)は日本の医学者、精神科医。医学博士。専門は児童青年精神医学、特に自閉症問題。北海道出身。 北海道後志支庁管内虻田郡倶知安町に生まれる。1962年、北海道大学医学部医学科卒業。1967年、北海道大学大学院医学研究科神経内分泌専攻博士課程修了。 北海道大学医学部精神科助手を経て、1974年、市立札幌病院附属静療院児童部長。のぞみ学園副医長。 1982年から東海大学医学部精神科学教室教授。2003年から2005年まで東海大学教育研究所教授、東海大学付属相模中学校・高等学校校長を兼任。2005年から臨床児童精神医学研究所所長、目白大学客員教授。
久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日… 久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日本の俳優。本名は山内 康儀()。東京都江東区出身。立教大学文学部卒業。俳優・歌手の山内賢は実弟。 通っていた小学校で演劇が盛んだったことから、教師の勧めで舞台のオーディションを受けて合格。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の舞台版に子役として出演。中学時代も映画撮影所が近所に多かったことから、教育映画などにも出演。 劇団創作座、劇団薔薇座を経て、1948年に松竹と契約。『鐘の鳴る丘』の映画版でスクリーンデビュー。 1952年、東宝専属となり、『思春期』で本格的に映画俳優の活動を開始。本名での出演だったが、その後は同作品で演じた役名にちなんで「久保明」と改名。
喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )… 喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽評論家。中央大学名誉教授。 和歌山県出身。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学文理学部独文科卒業。1962年、東京大学大学院修士課程修了。静岡大学講師、助教授、東京教育大学助教授、中央大学経済学部助教授、教授。2007年、定年退職。中央大学名誉教授。1990年ごろから『レコード芸術』などに音楽評論を執筆。クラシック音楽関係の翻訳多数。
仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - … 仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - 2022年1月21日)は、日本の政治家。元沖縄県沖縄市長(2期)。 沖縄県中頭郡越来村(のちコザ市、現・沖縄市)胡屋出身。沖縄国際大学卒。コザ市役所に入り、沖縄市財政課長、企画部参事、総務、福祉、企画、建設の各部長、東部海浜開発局長を経て、1998年の沖縄市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。2002年に再選。沖縄市長を2期務め、2006年に退任した。2022年1月21日、老衰のため、うるま市内の施設で死去した。85歳没。死没日を持て正六位に叙された。
長友 貫太郎(ながとも かんたろう、1936年12月1日 -… 長友 貫太郎(ながとも かんたろう、1936年12月1日 - )は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。 宮崎県出身。1959年に中央大学法学部政治学科を卒業し、同年に日向日日新聞社(のちの宮崎日日新聞)に入社した。1982年7月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1998年6月には社長に就任。2006年6月には会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )… 橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )は、日本の元編集者・文筆家。 朝日ソノラマ時代は『鉄腕アトム』『オバケのQ太郎』『エイトマン』『鉄人28号』等、多くのソノシートを企画しヒットさせた。また「サンコミックス」を立ち上げ、水木しげる、石森章太郎、桑田次郎、永島慎二、水野英子などのヒット作を多く手掛けた。 福島県郡山市出身。祖父は郡山市内に縫製工場を構え一代で財を成した。 橋本自身は同志社大学文学部に進み、1959年に卒業した。就職浪人を経て1961年、朝日ソノラマに入社する。 当時の「月刊朝日ソノラマ」は時事色が強く売り上げが低迷していた。企画を模索していた橋本はジョン・F・ケネディ(アメリカ合衆国大統領)の演説に目をつけ音盤化。
玉堀 為彦(たまほり ためひこ、1936年 <昭和11年> … 玉堀 為彦(たまほり ためひこ、1936年 <昭和11年> 12月1日 - )は、日本の経営者。東燃ゼネラル石油社長を務めた。 北海道出身。1959年に北海道大学工学部応用化学学科を経て、1961年に北海道大学大学院工学部修士課程を修了し、同年4月に東亜燃料工業に入社。1986年4月に取締役に就任し、1989年3月に常務を経て、1994年3月には社長に就任。2000年7月から2001年3月までに東燃ゼネラル石油社長を務めた。
牧 岩男(まき いわお、1935年12月1日 - 2009年… 牧 岩男(まき いわお、1935年12月1日 - 2009年5月30日)は、日本の生物学者。専攻分野は淡水魚。和歌山大学名誉教授。 長野県出身。1961年に京都大学理学部動物学科を卒業後、同大学院に進み、1966年3月同大学院単位取得退学。同年4月和歌山大学助手となる。以後、講師・准教授を経て、1977年4月に和歌山大学教授に就任する。 この間、1968年3月に京都大学より理学博士号を取得した。 1987年4月から1989年3月まで教育学部長を務める。1991年4月 - 1993年3月には図書館長も務めた。 1996年4月に大阪教育大学教授に転じ、2001年3月に退官した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1… 平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長などを務めた。 高知県土佐清水市出身。父は医師。1958年、法政大学法学部法律学科卒業。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に入局し、園田直の下で副議長秘書、前尾繁三郎の下で議長秘書を務めた後、委員部総務課長、委員部長を経て退職。 1992年7月26日投開票の第16回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から無所属(自由民主党、公明党推薦、民社党支援)で立候補し、初当選。国会議員選挙ではそれまでに例のない与党自民党と野党公明党(当時)・民社党(当時)支援の相乗り候補として注目され、小沢一郎と市川雄一によるいわゆる「一・一ライン」の存在が広く知られる契機となる。
今成 守雄(いまなり もりお、1934年〈昭和9年〉12月1… 今成 守雄(いまなり もりお、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 2006年〈平成18年〉5月1日)は、平成時代の政治家。埼玉県羽生市長。 羽生市出身。埼玉県立不動岡高等学校卒。 羽生市監査委員事務局長、同総務部長を経て、1994年(平成6年)羽生市長に当選した。3期目の任期途中に死去した。
大谷 禎之介(おおたに ていのすけ、1934年12月1日 -… 大谷 禎之介(おおたに ていのすけ、1934年12月1日 - 2019年4月29日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。経済理論・金融理論専攻。 東京都生まれ。父は東京農工大学名誉教授で農業経済学者の大谷省三(おおたに せいぞう、1909年-1994年)。 1953年、東京都立西高等学校卒業。1957年、立教大学経済学部卒業。1962年、立教大学大学院博士課程単位取得退学。 1994年、学位論文「利子生み資本と信用制度」によって、博士(経済学)(立教大学)の学位を取得。 1962年、東洋大学経済学部助手。63年専任講師、70年助教授を経て、1974年、法政大学経済学部教授。2005年-2019年、法政大学名誉教授。
鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 … 鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 - )は岐阜県土岐市出身の日本の陶芸家。重要無形文化財保持者。 1934年、美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐市駄知町にて、釉薬の研究者であり岐阜県の陶磁器試験場の技師でもある鈴木通雄の長男として生まれる。1953年(昭和28年)、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科を卒業後、父・通雄が技術部長を任されていた丸幸陶苑試験室(幸兵衛窯関連会社の一般生活陶器製造会社)に入社。窯業開発研究室の助手として働きながら陶土や釉薬などについて学び、陶芸の基礎的な知識を本格的に身につける。さらに、五代目加藤幸兵衛(加藤卓男の父)から作陶の教え受け、荒川豊蔵や加藤土師萌などに師事するなど制作にも励んだ。
塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月… 塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 2008年〈平成20年〉6月8日 )は、日本の作曲家。満州国・奉天市に生まれ四平市で育つ。 戦後、静岡の榛原町(現:牧之原市)に引揚げる。
南部 敦子(なんぶ あつこ、本名:糠澤 敦子、1934年〈昭… 南部 敦子(なんぶ あつこ、本名:糠澤 敦子、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 1970年〈昭和45年〉10月5日)は、日本の陸上競技選手。アジア大会陸上女子100m金メダリスト。1950年代を代表する選手として活躍した。大阪府吹田市千里山出身。光華高等学校卒業、光華女子大学短期大学卒業。短大卒業後は松下電器に所属。南部忠平の長女。 1953年、インターハイ5種競技において2944点の日本新記録を樹立して優勝。高校卒業後は光華陸上クラブに所属。1954年、マニラでのアジア競技大会において100mを12”5で走り優勝。太平洋戦争以来冷え切っていたフィリピン国民の対日感情改善に寄与した。日本選手権では400MRに光華陸上クラブチームの一員として参加し、優勝。
田中 守(たなか まもる、1934年12月1日 - 2004… 田中 守(たなか まもる、1934年12月1日 - 2004年5月18日)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。1956年から1958年の登録名は岸上 守。野球選手の田中力は息子。
龍円 恵喜二(りゅうえん えきじ、1934年12月1日 - … 龍円 恵喜二(りゅうえん えきじ、1934年12月1日 - 2021年)は、日本の政治学者、帝京大学名誉教授、政治学博士。専攻は政治過程論、政治変動論。長女は元テレビ朝日アナウンサーで東京都議会議員の龍円愛梨。 長崎県出身。九州大学を卒業後、東洋工業(現・マツダ)勤務を経てスウェーデン・ウプサラ大学政治学研究科修了(Ph.D、政治学)。オスロ国際平和研究所リサーチ・フェローなど滞欧20年を経て、帝京大学法学部教授に就任。2005年、同大学名誉教授。 政治学者の傍ら、老年学・福祉国家論などにも取り組み、全国シルバー人材センター事業協会・評議員も務めている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
松井 純(まつい じゅん、1934年(昭和9年)12月1日 … 松井 純(まつい じゅん、1934年(昭和9年)12月1日 - 2019年(令和元年)9月15日)は、日本の実業家。静岡新聞社・静岡放送会長。静岡県ラグビーフットボール協会名誉会長。 京都府出身。京都大学法学部卒業。静岡新聞社・静岡放送に入社し、東京支店長、販売局長などを経て2012年に会長就任。1999年藍綬褒章受章、2013年旭日中綬章受章。2019年9月15日死去。著書には『追想 大石益光』がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 秀治(すずき ひではる、1934年12月1日 - )は… 鈴木 秀治(すずき ひではる、1934年12月1日 - )は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。 福井県出身。1958年に中央大学法学部を卒業し、同年に共栄火災海上保険に入社した。1986年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1992年6月には社長に就任。1999年6月から2001年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂井秀寿(さかい ひでひさ、1934年12月1日 - 199… 坂井秀寿(さかい ひでひさ、1934年12月1日 - 1994年1月16日)は、日本の哲学研究者。 東京都出身。東京都立日比谷高等学校卒、1957年東京大学文学部哲学科卒、同大学院修士課程修了、東海大学助教授、東京都立大学助教授、1978年東大教養学部助教授。1988年退職。1994年1月16日、肺炎のため死去。
歌川 令三(うたがわ れいぞう、1934年12月1日 - 2… 歌川 令三(うたがわ れいぞう、1934年12月1日 - 2024年8月5日)は、日本のジャーナリスト。元毎日新聞社取締役編集局長。東京財団理事。多摩大学大学院客員教授。
藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年… 藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒業。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。 数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)と共に藤子不二雄として活動した。 代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。
犬童一男(いんどう かずお、1933年12月1日 - 200… 犬童一男(いんどう かずお、1933年12月1日 - 2007年3月28日)は、日本の政治学者(イギリス政治史)。神戸大学名誉教授(法学部)。 長男は日本経済新聞記者で広報室長、犬童文良。 熊本県生まれ。九州大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修了。神戸大学法学部教授・大阪経済法科大学教授を歴任。 2007年3月28日、食道癌のため死去。
新良 篤(にいら あつし、1933年12月1日 - 2021… 新良 篤(にいら あつし、1933年12月1日 - 2021年5月19日)は、日本の経営者。元住友信託銀行社長。東京都出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。東洋工業(現在のマツダ)へ出向し、常務も務め、1984年6月に取締役に就任、1987年6月に常務、1989年6月に専務、1991年6月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任。1998年6月に取締役相談役に就任。 南海電気鉄道取締役も務めた。 2021年5月19日がん性胸膜炎のために死去。87歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1… 鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の経営者、実業家であり、元セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(現・名誉顧問)。日本では「コンビニの父」と呼ばれている。 セブン-イレブン社長、イトーヨーカ堂会長、トーハン副会長、日本経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長を歴任。 長野県埴科郡坂城町出身。1952年3月、長野県小県蚕業高等学校(現・長野県上田東高等学校)卒業。1956年3月、中央大学経済学部 卒業。 東京出版販売(現・トーハン)に入社 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊に乞われ31歳で同社に転職し、1971年9月に 同社取締役に就任。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は… 脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は、日本の物性物理学者。東北大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。 1932年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年に学習院大学理学部物理学科卒業、1958年に同大学大学院自然科学研究科修士課程を修了。小林理学研究所を経て、1961年東京大学物性研究所助手となり、1965年に「鉄-アルミニウム系合金単結晶の磁場中冷却効果の研究」で理学博士号を取得。グルノーブル大学理学部客員助教授を経て、1967年東北大学助教授、1978年教授。磁気物性工学を専門とし、1977年には「DHCP結晶構造を持つコバルト・鉄合金の発見とその物性に関する研究」で松永賞を受賞。
毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 20… 毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 2016年3月12日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。明治維新史学会顧問。専門は日本近代史(政治史・外交史)。 千葉県千葉市生まれ。1956年九州大学法学部卒業。1969年九州大学大学院法学研究科博士課程修了(日本政治外交史専攻)、「明治維新政治史序説」で法学博士。九州工業大学助教授、大阪市立大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、広島市立大学国際学部長・教授、2003年退職。 維新の十傑の江藤新平は縁戚にあたる。 2016年3月12日に腎不全のため死去。83歳没。 従来の研究では明治六年政変で西郷隆盛や江藤新平が下野したのは征韓論という外交問題での対立が原因という見方が支配的だった。
和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 … 和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の演劇評論家。歌舞伎・日本舞踊の研究でも知られる。日本演劇協会会員、日本演劇学会会員。予備校講師(古文担当)。テクニックを重視した授業は、グリデン古文と呼ばれ、当時の受験生から厚い支持を得ていた。 北海道に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科(日本文学専攻)修了。三宅周太郎、安藤鶴夫、加賀山直三に師事し、1964年より歌舞伎の評論活動に入る。 『創』『朝日ジャーナル』『演劇界』などで評論活動を行う。あわせて1965年から1974年まで、目白学園短期大学(現目白大学短期大学部)講師(芸能史・歌舞伎・演出研究)を務める。 その後、劇団「民芸」の演出家、宮内満也と「劇団ピストールの会」を創り、1965年から2003年まで、俳優座劇場、本多劇場などで「令嬢ジュリー」「かもめ」などを公演する。
千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022… 千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022年2月 )は、日本の時間生物学者、画家、山口大学名誉教授。 朝鮮・平壌生まれ。東北大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、東北大学理学博士。東北大学助手、山口大学理学部助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。1975年『生物時計の話』で毎日出版文化賞受賞。 画家としても活動し、西日本美術展、青木繁記念大賞西日本美術展などで入選した。
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月… 奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の代表を務めた。父は洋画家の奈良岡正夫。 東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)で生まれる。父・正夫の影響で、子供の頃から絵を描いていた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校・附属中学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校を卒業。 1951年、女子美術大学洋画科を卒業する。「女優にならなければ医者になろう、と学生時代は考えていた」と『人生は三百六十五歩のマーチ』(BSフジ、2020年3月7日放送)のゲストトーク内で話している[出典無効]。
花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 … 花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 - 2009年3月15日)は日本のウイルス学者。ロックフェラー大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所名誉所長。兵庫県西宮市生まれ。 ニワトリにがんを起こす「ラウス肉腫ウイルス」を使った研究で、正常な細胞の中にがん遺伝子の原形が存在し、それをウイルスが取り込み、がんを引き起こす遺伝子(がん遺伝子)に作りかえることを実証した。また、複数のがん遺伝子に共通する構造も見つけた。がんは細胞の遺伝子変異で起きるという発がんの基本的な概念を確立した。
夏目 文雄(なつめ ふみお、1929年〈昭和4年〉12月1日… 夏目 文雄(なつめ ふみお、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2018年〈平成30年〉7月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。愛知大学名誉教授。