折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年… 折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年9月27日)は、映画監督、演出家、テレビプロデューサー、UFO研究家、発明家。アイデア開発研究所代表、発明協会会員。鹿児島県鹿児島市出身。千葉大学工学部工業化学科(写真映画専攻)卒業。 1958年に東映に入社し、助監督として配属された東映京都撮影所を経て、1965年より東映東京制作所に所属する。『丸出だめ夫』・『悪魔くん』・仮面ライダーシリーズなど、特撮テレビドラマの監督として活躍した後、1978年には東映テレビ事業部プロデューサーに昇進し、スーパー戦隊シリーズの『バトルフィーバーJ』からはプロデューサーとして東映キャラクター路線を支える。
内田 能嗣(うちだ よしつぐ、1934年1月3日 - 202… 内田 能嗣(うちだ よしつぐ、1934年1月3日 - 2024年11月7日)は、日本の英文学者。帝塚山学院大学名誉教授。医師内田千秋は息子。 1962年大阪大学文学部仏文科卒業。1971年大阪市立大学大学院文学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得満期退学。 帝塚山学院大学助教授、教授、文学部長、副学長、2005年定年退任、名誉教授、関西外国語大学教授、2009年退職。日本ブロンテ協会顧問。 ジョージ・エリオット、ブロンテ姉妹など19世紀英国女性作家が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022… 和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022年3月13日)は、日本の実業家。元トヨタ自動車副社長。元アイシン精機代表取締役会長。第76期日本機械学会会長。藍綬褒章受章。愛知県名古屋市出身。 1956年、名古屋大学工学部卒業。同年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。主にボディー設計のエンジニアとしてコロナ、セリカなどの車種開発に従事。1986年トヨタ自動車取締役、1994年同社副社長に就任。トヨタ自動車副社長の時には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発を指揮した。その後、1999年アイシン精機代表取締役会長に就任。2005年からは相談役に就任している。
紺野 仁(こんの ひとし、1934年(昭和9年)1月3日 -… 紺野 仁(こんの ひとし、1934年(昭和9年)1月3日 - )は、日本のバスケットボール選手。 立教大学出身。1956年メルボルンオリンピックに出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
木村 利人(きむら りひと、1934年1月3日 - )は、国… 木村 利人(きむら りひと、1934年1月3日 - )は、国際的なバイオエシックス(生命倫理学)研究者。早稲田大学名誉教授で、恵泉女学園大学元学長。博士(人間科学)。 バイオエシックス(生命倫理学者)のパイオニアとして、約40年以上にわたり、研究と教育に従事している。国際バイオエシックス学会(IAB)設立理事、日本生命倫理学会元代表理事・会長。現在、ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所 Faculty Affiliate、早稲田大学ライフサポートイノベーション研究所招聘研究員。作詞・作曲者としても知られ、「幸せなら手をたたこう」の作詞者である。 東京・青山に生まれる。早稲田大学第一法学部を卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程を経て、1965-69年:チュラーロンコーン大学 (タイ)、1970-72年:サイゴン大学 (ベトナム)、1972-75年:ジュネーブ大学大学院等教授 (スイス)、世界教会協議会 (WCC) エキュメニカル研究所副所長、1978年:ハーバード大学研究員等。
田坂 啓(たさか けい、1934年1月3日 - 2015年4… 田坂 啓(たさか けい、1934年1月3日 - 2015年4月10日)は、日本の脚本家。 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、石堂淑朗の家も近所だった。早稲田大学仏文科卒。大映株式会社脚本家養成所を1956年了。1960年『襲われた手術』の共同脚本でデビュー1963年、橋幸夫と吉永小百合主演で主題歌が大ヒットした『いつでも夢を』も共作した。東映と契約した1962年『恐喝』で一本立ち。『第三の忍者』『花と龍』、大川橋蔵の映画版『銭形平次』、『十一人の侍』など、時代劇の脚本を主に書いた。その後フリーの脚本家となり、1960年代後半から主に松竹の渡辺祐介監督とのコンビで「ザ・ドリフターズ全員集合!!シリーズ」など多数の喜劇脚本を手がけた。
和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022… 和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022年7月25日)は、日本の実業家。 強いリーダーシップと強固な決断力で改革を断行する荒療治的な経営再建を得意とし、西武グループ関連などの百貨店業態改革に一貫して取り組み、危機になると救世主として現れる事から「百貨店の再建請負人」と評された。 東京本郷の商家に生まれる。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部を卒業。大学在学中は早大弁論部に所属した。 卒業後の就職先としてマスコミ業界入りを志向、在京放送局のアナウンサー試験を受験するも全敗となる。次に新聞社を狙うもこれまた不採用となる。そこで方針を変え学生時代のアルバイト経験を活かそうと百貨店入りを目指し松坂屋を受験。
黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )… 黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )は、埼玉県川口市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部に所属。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)創設以前に競輪選手登録された期前選手で、登録番号は2832。実子の黄金井憲は競輪学校第54期生の競輪選手。憲の実子で、当人の孫にあたる黄金井力良は競艇選手。 1950年4月8日、大宮競輪場でデビューし7着。初勝利は同年同月10日の同場。 デビュー当時から追い込みを主体とした競走スタイルを貫き、大阪中央競輪場で開催された1953年の第8回全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)では、優勝の中井光雄、2位の山崎勲に次いで3位。また、川崎競輪場で開催された1960年の全国オールスター争覇競輪(現在のオールスター競輪)でも決勝戦で3着(優勝は吉田実)に入った。
半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日… 半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日本の法学者(知的財産法・民法)。元学校法人青山学院理事長、元青山学院大学学長。法学博士(北海道大学、1967年)(学位論文「著作権の一元的構成について」)。弁護士(第二東京弁護士会)。北海道札幌市出身。
加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年… 加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年3月20日)は、日本のバレーボール選手、バレーボール全日本選手、バレーボールペルー女子代表監督。 無名であったペルーのバレーボールチームを世界のトップレベルまで引き上げて、わずか3年で1968年のメキシコ五輪ではチームを4位入賞へと導いた。 神奈川県小田原市出身。慶應義塾大学法学部在学時からバレーボールの選手として活躍する。1955年に八幡製鉄に入社し、1960年に主将を務めた。1960年世界選手権に出場した後、現役を引退した。 1961年、加藤の大学の先輩で母校の監督をしていた松平康隆から加藤に「後任として監督をしないか」という誘いがあり、加藤はこれを引き受けた。
村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年… 村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年1月16日 )は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。関西国際大学初代学長・名誉教授。瑞宝中綬章受章。 神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て神戸大学経済学部を1955年に卒業。1957年、同大学院経済学研究科修士課程を修了し、神戸大学経済学部助手となる。1960年に講師、1963年助教授を経て、1971年に教授に就任した。 1972年、論文「低開発国の経済発展と貿易政策」で経済学博士号を取得。1996年、神戸大学を定年退官し、名誉教授となる。同年より、関西女学院短期大学教授。関西国際大学の初代学長及び同大学の名誉教授を歴任した。
西村 肇(にしむら はじめ、1933年1月3日 - 2024… 西村 肇(にしむら はじめ、1933年1月3日 - 2024年11月17日)は、日本の化学者、東京大学名誉教授。研究工房シンセシス主宰。 東京生まれ、満洲育ち。1946年引き揚げ。1957年東京大学工学部機械工学科卒業。1959年同大学院化学工学科修士課程修了。航空宇宙技術研究所勤務。1965年工学博士。1966年東大工学部化学工学科助教授、1980年教授。1993年定年退官、名誉教授。 2001年『水俣病の科学』で毎日出版文化賞受賞。業界の圧力で公害研究をやめさせられ、遺伝子工学を研究していた時期があると言っている。
磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3… 磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉8月25日)は、日本の実業家。東京放送社長。茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)出身。愛称は「イソさん」。 早稲田大学第一商学部卒業後、1956年(昭和31年)TBSの前身であるラジオ東京に入社。プロデューサー・制作局長を務めた居作昌果は入社同期。 『ザ・ガードマン』や山口百恵の『赤いシリーズ』を手掛け、テレビ本部編成局編成部長、第二制作局次長、スポーツ部長、第二制作局長、社会情報局長、テレビ本部編成局長、常務を歴任する。 1991年(平成3年)7月、TBSが野村證券と日興証券から6億5千万円の損失補填を受けていた問題では、筑紫哲也 NEWS23キャスターの筑紫哲也が田中和泉社長と面談して意見を言う際、重役としてただ一人、その場に立ち会い、田中の辞任表明を受け、10月9日、第8代社長に就任した。
波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日… 波多野 敬雄(はたの よしお、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の外交官。第25代学習院長。元国連大使。 学習院幼稚園から戦後の学制改革を経て新制学習院高等科まで一貫して学習院で過ごした。伏見宮博明王の学友。東大法学部3回生在学中に外交官試験に合格し、1953年外務省入省。1990年代の在国際連合日本政府代表部大使在任中、日本が国連安保理常任理事国入りを目指す外交方針のなかで現場にいた事務方の代表者。 第25代学習院長。学習院長田島義博の急逝に伴い選出された。任期は田島義博の残任期間となる2006年(平成18年)6月1日から2008年(平成20年)9月30日までであったが、2008年8月6日に再選され、2014年(平成26年)9月30日退任。
水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 19… 水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 1986年6月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、愛知県議会議員(5期)などを歴任。 愛知県愛知郡天白村(現在の名古屋市天白区)生まれ。愛知県立明和高等学校卒業。1958年(昭和33年)、名古屋工業大学建築科卒業。日本住宅公団勤務から早稲田柳右衛門の秘書となる。 1959年(昭和34年)、愛知県議会議員(名古屋市昭和区選出)に初当選。1974年(昭和49年)5月、最年少(42歳)にて県議会議長となる。 1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に、定数が3から4に増えた旧愛知6区から無所属で立候補。得票数4位で初当選した。
梅谷 馨(うめたに かおる、1932年(昭和7年)1月3日 … 梅谷 馨(うめたに かおる、1932年(昭和7年)1月3日 - )は、日本の政治家。元兵庫県養父市長(1期)。 兵庫県立豊岡高等学校卒。1991年から兵庫県養父町長を4期務め、2004年合併により、養父市が誕生、市長職務執行者となった。2005年養父市長佐々木憲二の死去による市長選挙に立候補し当選。市長は1期務め、2008年に引退した。
サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko T… サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年〈昭和7年〉1月3日 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。セツコ・サーローの日本語表記がある。 中村節子として、広島市南区で生まれた。中村家はかつて広島藩士だったが、明治時代になると生活が楽ではなくなったという。祖父・弥太郎は広島県令(知事)千田貞暁に賛同し、難事業だった宇品築港計画に奔走した。 父・弁吉はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた。 広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部で暗号解読作業の訓練を受けた。
江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3… 江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県熊本市出身。
沢田 茂生(さわだ しげお、1932年1月3日 - )は日本… 沢田 茂生(さわだ しげお、1932年1月3日 - )は日本の郵政官僚。郵政事務次官、郵便貯金振興会理事長、NTT副社長、同会長などを歴任した。 愛知県出身。京都大学法学部卒業。1954年 郵政省に入省。大臣官房文書課長補佐、貯金局規画課長などを経て、1974年7月 貯金局管理課長。1975年7月 大臣官房文書課長。1976年7月 大臣官房郵政参事官。1977年7月 電波監理局放送部長。1978年7月 中国郵政局長。1980年7月 大臣官房経理部長。1981年7月 大臣官房長。1983年7月 貯金局長。1984年7月 大臣官房付。同年8月 電気通信局長。1986年6月17日 郵政事務次官。1988年6月3日 退官。
岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998… 岩野 貞雄(いわの さだお、1932年1月3日 - 1998年9月13日)は、日本のワイン醸造家・ワイン研究家。 東京市出身。東京農業大学農学部農芸化学科卒業。東京大学大学院応用微生物研究所で学び、1955年にイタリアのトリノ大学に留学し、ブドウ栽培とワイン醸造学を学ぶ。 帰国後、大黒葡萄酒、名城大学を経て、1964年に北海道池田町のブドウ・ブドウ酒研究所の初代所長に就任し、十勝ワインを開発。 その後、北海道富良野市、新潟県大和町、神戸市で地場のワイン作りに携わる。中国の新疆ウイグル自治区でのブドウ栽培を指導したこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1… 山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1932年1月3日(94歳)- )は、日本の宗教人類学者、宮城学院女子大学名誉教授。 宮城県仙台市に生まれる。東北大学文学部宗教学科卒業。同大学院博士課程修了。東北大学講師、宮城学院女子大学教授、学長。1988年『砂漠の修道院』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年… 岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年2月11日)は、日本の歌手、実業家、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 19… 田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 1996年11月18日)は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授。 専攻はマーケティング論で、田島義博らと日本マーケティング学会の期成に関与したが発足時には早世、故人となった。 満洲国奉天市出身。桐朋高等学校を経て、1954年一橋大学商学部卒業、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。深見義一ゼミ出身。経営学者の田島義博第24代学習院院長は大学時代からの友人。 1959年文部教官に採用され一橋大学商学部助手に就任。1960年一橋大学商学部専任講師。シカゴ大学経済学部留学を経て、1965年一橋大学商学部助教授、1971年同教授。1984年文部省短期在外研究員としてミラノ大学でファッション産業研究に従事。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 19… 塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 1993年9月15日)は、福岡県大牟田市出身の元体操選手。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。 三池中学校、福岡県立三池高等学校を経て、1953年東京教育大学体育学部卒業。東京都立新宿高等学校教諭、早稲田大学教育学部・人間科学部教授を歴任。 1956年(昭和31年)のメルボルンオリンピックに出場、団体で銀メダルを獲得、個人総合で12位、吊り輪7位、平行棒8位だった。1958年(昭和33年)の世界選手権団体で銀メダル、個人総合9位。全日本選手権で個人総合2位。1962年(昭和37年)欧州遠征監督、日ソ対抗コーチ、1963年(昭和38年)欧州遠征監督、1964年(昭和39年)欧州遠征コーチ、同年の東京オリンピック、1968年(昭和43年)のメキシコシティーオリンピック、1966年(昭和41年)世界選手権各チームリーダー、1970年(昭和45年)世界選手権、1972年(昭和47年)ミュンヘンオリンピック各審判員、1974年(昭和49年)世界選手権コーチ、1978年(昭和53年)アジア大会本部役員を務める。
石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、… 石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、日本の昆虫学者、東京都立大学名誉教授。初期には膜翅目の系統分類学の研究に携わり、やがてオサムシの種分化の研究を開拓した。 京都府生まれ。横浜国立大学理学部生物学科卒業。九州大学大学院農学研究科昆虫学専攻博士課程満期退学。1971年「日本産コツチバチ属の検討」で、理学博士(北海道大学)。国立科学博物館研究員、東京都立大学理学部教授、95年定年退官、名誉教授。
平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年… 平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年9月14日)は、日本の美術史学者、九州大学名誉教授 1931年、佐賀県で生まれた。九州大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 修了後は九州大学文学部助手に採用され、その後奈良国立文化財研究所所員となった。1971年、九州大学文学部助教授に就いた。1978年に教授昇格。1995年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は長崎純心大学教授として教鞭をとった。1996年、学位論文『絵仏師の時代』を九州大学に提出して文学博士号を取得。2004年1月、講書始で「絵仏師」を御進講。 2013年9月、膀胱癌のため、自宅で死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018… 磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018年11月10日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児… 原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児童文学研究者、翻訳家、中京大学名誉教授。 名古屋市生まれ。本名・昌一。南山大学文学部英文科卒、市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)教授、1980年中京大学文学部教授、2002年名誉教授。台湾国立成功大学客員教授。日本イギリス児童文学会会長、日本児童文学学会会長を務めた。1974年新美南吉文学賞を『児童文学の笑い』で受賞。2004年児童文化功労者褒章。
道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1… 道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1月3日 - )は、日本料理の料理人。勲等は旭日小綬章。 赤坂常盤家チーフ、銀座ろくさん亭店主、懐食みちば店主などを歴任した。 石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身の日本料理の料理人である。「赤坂常盤家」のチーフなどを経て「銀座ろくさん亭」の主人となる。その後、銀座に「懐食みちば」も新たに出店した。身長168cm。 1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。
石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月… 石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月3日 - 昭和57年(1982年)10月28日)は日本の実業家。元・丸神海産取締役社長、キング食品工業代表取締役、神和工業取締役、神港商事取締役。 妻春子は弁護士、公証人雑賀愛造の次女。なお日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。 鳥取県境港市生まれ。 昭和22年(1947年)丸神海産入社、昭和28年(1953年)社長に就任。大篠津食品工業(株)、神和工業(株)各代表取締役のほか、日本輸出水産缶詰組合理事も務めた。 趣味は読書。住所は境港市明治町。
高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -19… 高田 駒次郎(たかだ こまじろう、1930年1月3日 -1992年9月18日)は、日本の会計学者、西南学院大学教授。福岡県太宰府市に生まれる。 その他、九州六大学野球連盟理事・理事長を歴任。全日本大学野球連盟評議員。
増田 正造(ますだ しょうぞう、1930年1月3日- )は日… 増田 正造(ますだ しょうぞう、1930年1月3日- )は日本の能楽研究者、武蔵野大学名誉教授。
福冨 正実(ふくとみ まさみ、1930年1月3日 - 199… 福冨 正実(ふくとみ まさみ、1930年1月3日 - 1997年8月7日) は、日本のマルクス経済学者。 山口県出身。京都大学経済学部卒、同大学院博士課程満期退学。山口大学助教授をへて、阪南大学経済学部教授を務めた。
高橋 信孝(たかはし のぶたか、1930年1月3日 - 20… 高橋 信孝(たかはし のぶたか、1930年1月3日 - 2016年5月30日)は、日本の植物生理学者、農芸化学者。東京大学名誉教授。ジベレリンをはじめとする植物ホルモンの研究で知られ、特にタケノコからジベレリンA19(GA19)の単離・構造決定などの業績がある。植物の生活環調節という研究概念を提唱し、後進の育成や学会運営にも尽力した。息子は内分泌学者の高橋伸一郎。位階勲等は正四位勲二等瑞宝章。 1930年1月3日生まれ。父は東京医科歯科大学教授の高橋新次郎。 1948年に東京大学農学部に入学、1957年に同大学院を修了後、助手となる。以降、講師(1962年)、助教授(1964年)を経て、1969年に東京大学農学部農薬学研究室教授に就任。
小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1… 小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。 ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍した。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。 甥(長兄の息子)はロックドラマーでハルメンズ、ヒカシュー、ヤプーズのメンバーだった泉水敏郎。 1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。
檜谷 昭彦(ひのたに てるひこ、1929年1月3日 - 19… 檜谷 昭彦(ひのたに てるひこ、1929年1月3日 - 1998年7月10日)は、国文学者。学位は、文学博士(慶應義塾大学・論文博士・1978年)(学位論文「井原西鶴研究」)。慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年慶應義塾大学文学部卒、1959年同大学大学院博士課程中退。慶應義塾大学助教授、教授、1978年「井原西鶴研究」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1993年定年退任、名誉教授。専攻は近世日本文学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990… 内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990年1月5日)は、日本の会計学者。元中央大学商学部長。日本簿記学会発起人。中央大学商学部教授在任中に死去し、死後内山力奨学基金が創設された。 新潟県柏崎市出身。1953年中央大学商学部卒業、1957年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官は飯野利夫。1979年中央大学監査部長。1985年中央大学商学部長、日本簿記学会発起人。指導学生に星野一郎広島大学教授など。中央大学商学部教授在任中の1990年に死去。死後、1991年に内山力奨学基金が設立された。
北川 隆吉(きたがわ たかよし、1929年1月3日 - 20… 北川 隆吉(きたがわ たかよし、1929年1月3日 - 2014年4月7日)は、日本の社会学者。名古屋大学名誉教授。専門は、労働社会学、地域社会学、理論社会学、社会学史、社会運動論、地方自治論、東アジア研究、看護の社会学など多岐にわたる。 日本統治時代の朝鮮半島・京城生まれ。京城にて初等中等教育を修了し京城帝国大学予科に進む。終戦後、第八高等学校文科甲類に転入、戦前からの著名な社会学者井森陸平の薫陶を受ける。 1952年、東京大学文学部社会学科卒業。社会学科教授で『中支江南農村社会制度研究』で知られる林惠海の指導により同大学院に進学するが1年半で退学し、1953年10月、東京大学文学部社会学研究室助手に採用される。
小松 國男(こまつ くにお、1929年1月3日 - )は、日… 小松 國男(こまつ くにお、1929年1月3日 - )は、日本の官僚、経営者。 長野県出身。1952年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に通商産業省に入省。 通商局、重工業局、大臣官房、企業局、内閣法制局、ジェトロニューヨークセンター、機械情報産業局電子政策課長、産業政策局総務課長、中小企業庁計画部長、大臣官房審議官、日銀政策委員(経済企画庁代表)、基礎産業局長などを経て、1981年6月に資源エネルギー庁長官に就任し、1982年10月に通商産業審議官に就任。1984年6月に日本長期信用銀行顧問を経て、1986年6月に日商岩井副会長に就任し、1990年6月には副会長に就任。1991年8月から1998年6月までに石油公団総裁を務めた。
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012… 加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012年5月16日)は、日本の詩人、俳人、俳諧評論家。 東京府に生まれる。父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。 1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。 俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。
紺野昭(こんの あきら. 1928年1月3日 - 2013年… 紺野昭(こんの あきら. 1928年1月3日 - 2013年10月22日)は日本の都市研究家。豊橋技術科学大学名誉教授。 地域計画プランナーとして、日本の戦後の都市計画、地域開発を推進する担い手として活躍。研究業績は工業立地原単位に代表される明快な理論展開である一方で、地域計画の実践では理論化しきれない部分も多出するために計画のフィロソフィーという言葉で示した。フィロソフィー構築にあたって、2つの視点を強く求めた。第1は、地域の独自性から出発することであり全国分析から始めると研究も顕くことを指導した。第2は、出来ることと出来ないことを区分するということでこれは計画には不測の部分が必ず生じる。だからこそ出来る部分を明確にして、後は時間と共に修正せよということである。
長谷川 弘(、1928年1月3日 - )は、日本の俳優である… 長谷川 弘(、1928年1月3日 - )は、日本の俳優である。本名は長谷川 宇之助。東京市淀橋区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立高輪工業高等学校(現・東京都立六郷工科高等学校)卒業。1962年、東宝の『どぶ鼠作戦』でデビュー。 以降、岡本喜八監督作品の常連となり多数の映画に出演。テレビドラマでは主に小悪党的な悪役(ヤクザ、悪徳商人、悪徳役人など)として活躍した。
島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 20… 島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 2002年6月15日)は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノ創業者の島野庄三郎で、三兄弟の長男(次男が島野敬三、三男が島野喜三)として生まれる。 1944年に旧制堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を卒業し、1946年に島野工業(現在のシマノ)に入社。常務を経て、1958年9月に父・庄三郎の逝去に伴い社長に就任した。当時のシマノは売上高7億円弱の赤字会社で、誰も社長の座に手を挙げなかった中、唯一人「3年で黒字化するから、その間は自分の言う事を聞いてほしい」として社長に就任し、本当に3年で経営を黒字に転換させた。
守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや た… 守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや たかお)、1928年1月3日 - 2022年12月24日)は、華厳宗の大僧正。東大寺第214世別当、華厳宗管長を務めた後、東大寺長老を歴任。 長野県諏訪市に生まれる。幼少期に両親と死別し、祖父のいる東大寺知足院に入寺。僧名を隆英と名乗るが、後に弘斎と改める。 東大寺が境内で運営する旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)を1945年卒業。同期に新藤晋海第216世別当。 奈良県の県花、奈良市の市章になっている奈良八重桜(天然記念物:非公開)や、国の重要文化財である木造地蔵菩薩立像で有名な塔頭、知足院住職。 31回の修二会(お水取り)参籠記録をもち、最も修二会に精通した僧侶の一人。
大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 201… 大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 2014年9月27日)は、日本の物理学者。長らくアメリカ合衆国で活動した。 石川県金沢市に生まれる。旧制石川県立金沢第一中学校4年修了、旧制第四高等学校卒業。1955年に東京大学理学部物理学科を卒業後、アメリカ中西部大学共同研究所に留学。その後、欧州原子核研究機構(CERN)の研究員などを経て、ゼネラル・アトミックス社の研究員になる。 日本原子力研究所の核融合反応装置の開発に参加し、1969年に水素プラズマの閉じ込め実験に成功した原研核融合トーラス第一号(JET-1)装置を完成させる。この装置は、開発に貢献した大河の名を冠して大河トーラスと呼ばれた。
大久保 輝臣(おおくぼ てるおみ、1928年1月3日 - 1… 大久保 輝臣(おおくぼ てるおみ、1928年1月3日 - 1996年6月4日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。元学習院大学教授。 父は大久保偵次。東京出身。1952年東京大学仏文科卒業。学習院大学助教授、教授。在職中に死去。
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
岡上 淑子(おかのうえ としこ、1928年1月3日 - )は… 岡上 淑子(おかのうえ としこ、1928年1月3日 - )は日本の写真家、コラージュ作家。高知県生まれ・在住。 1928年 (昭和3年)、高知県高知市に生まれる。翌年、東京に転居し1945年 (昭和20年) に終戦を挟み高知に疎開した一時期を経て、東洋英和女学院を卒業。恵泉学園に進み、武満浅香(旧姓・若山浅香)と同じクラスになるのは1946年 (昭和21年) である。この人物は、芸術家集団「実験工房」のメンバーだった作曲家の武満徹の後の妻であり、岡上を武満へ繋ぐことになる。 岡上は1950年 (昭和25年)、文化学院カネコデザイン科に入学すると、カラーコーディネートの授業で、雑誌を切り貼りする課題をきっかけにコラージュの面白さに目覚め[要出典]、「ヴォーグ」や「ライフ」などのファッション誌やグラフ誌を切り抜いて貼付けたコラージュ作品の制作を始める。