矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、… ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、恐竜研究家。本名、久 邦彦(読み同じ)。東京都出身。神奈川県横浜市在住。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。息子は漫画家の久正人、義弟(妹の夫)はイラストレーターの小林弘隆。 1972年に『戦争 漫画太平洋戦史』で第18回文藝春秋漫画賞受賞。2018年に『世界恐竜発見地図』で第65回産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞。 恐竜研究家としても有名で、恐竜関係の本を多数執筆している他、博物館等での講演会講師として活動している。過去には、鉄道関連の書物も著している。趣味でプラモデルを多数所持しており、タミヤのプラモデル「恐竜世界シリーズ」の監修を手がけ、同シリーズには恐竜と同スケール(1/35)のヒサのフィギュアが付属する。
辻村 哲夫(つじむら てつお、1944年2月3日 - )は、… 辻村 哲夫(つじむら てつお、1944年2月3日 - )は、日本の元文部官僚。文部科学省初等中等教育局長、東京国立近代美術館館長、独立行政法人国立美術館理事長、近大姫路大学教育学部長を歴任した。 愛知県出身。1967年名古屋大学教育学部卒業。同年文部省入省。初等中等教育局中学校課長、高等学校課長、官房総務課長、初等中等局審議官、総務審議官、初等中等教育局長等を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、… 大野 勝彦(おおの かつひこ、1944年2月3日 - )は、日本の詩人・画家。熊本県菊池郡菊陽町出身。 1989年、不慮の事故により両手を切断、それより詩人・画家となる。 普段の大野は、朝から絵画をスタートするときに両腕に義手をつけ、義手で絵画を行う。 絵画の内容は、地蔵、阿蘇山の自然、動植物など。 大野が主宰する「やまびこ塾」でははがきに絵を書く「はがき絵」の教室を行っている。 ※大野勝彦美術館は平成28年熊本地震で壊滅的な被害を受けるも、翌29年4月14日に復興し再オープンしている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
内井 惣七(うちい そうしち、1943年2月3日 - )は、… 内井 惣七(うちい そうしち、1943年2月3日 - )は、京都大学名誉教授。Ph.D.(ミシガン大学、1971年)。 香川県高松市生まれ。1961年、香川県立高松高等学校卒業。1965年 京都大学工学部精密工学科卒業、京都大学文学部哲学科学士入学。1967年、京都大学文学部哲学科卒業、京都大学人文科学研究所助手。 1968年からフルブライト奨学金を得てミシガン大学大学院に留学し、1971年にPh.D.取得。 1979年、大阪市立大学文学部講師。1981年、同助教授。 1990年、京都大学文学部哲学科教授(倫理学講座)。1993年、京都大学文学部文化行動学科教授(科学哲学科科学史講座)。1996年、京都大学大学院文学研究科教授(現代文化学専攻 現代文化学講座)。
田中 聡子(たなか さとこ、現・竹宇治聡子(たけうじ さとこ… 田中 聡子(たなか さとこ、現・竹宇治聡子(たけうじ さとこ)、1942年2月3日 - )は、日本の元競泳選手でのちにコーチ。1960年ローマオリンピック女子100m背泳ぎ銅メダリスト。長崎県佐世保市生まれ、熊本県上益城郡育ち。 嘉島町立嘉島中学校・筑紫女学園高等学校を経て八幡製鐵所に入社。 1959年から1963年までおよそ4年間に渡り女子200m背泳ぎの世界記録を更新し続けたが、当時のオリンピックにおける競泳では女子200m背泳ぎは正式種目ではなかった(正式種目となったのは1968年メキシコシティーオリンピックから)。このため、100m背泳ぎでの出場を余儀なくされたが、ローマ五輪で銅メダルを獲得し、日本では前畑秀子以来二人目の女子競泳メダリストとなった。
杉浦 幸雄(すぎうら ゆきお、1942年2月3日 - )は、… 杉浦 幸雄(すぎうら ゆきお、1942年2月3日 - )は、日本の薬学者。京都大学化学研究所名誉教授。日本薬学会役員。 共著に『いのちと暮しのケミ・ストーリー』(近畿化学協会編、化学同人刊、1989年)などがある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、薬学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:薬学/Portal:医学と医療/Portal:化学)。
白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月… 白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月3日 - )は、日本の体育学者、アマチュアボクシング選手。 青森県青森市出身。青森県立北斗高等学校卒業後、早稲田大学に進学。 接近戦を得意とする選手で、1962年から1964年にかけてライト級の全日本チャンピオン。1962年アジア競技大会(第4回、ジャカルタ)にボクシング種目 (Boxing at the 1962 Asian Games) で出場し、ライト級で銀メダルを獲得した。 早稲田大学在学時、1964年東京オリンピックに日本代表の一人として選ばれ男子ライト級で出場した。メダルへの期待が高かったとされるが、3回戦で敗れた。のちに早稲田大学の授業で「自分がメダルを取れなかった理由」として、外国人選手の態度の大きさに圧倒されたこと(乱痴気騒ぎに辟易して寝不足になったという)、日本のボクシングチームのキャプテンとして試合前日まで奔走したこと(バンタム級の桜井孝雄が行方不明になったとして大騒ぎになったが、桜井は渋谷のバーで一人で飲んでいたという。
中村 雅知(なかむら まさとも、1941年2月3日 - )は… 中村 雅知(なかむら まさとも、1941年2月3日 - )は、日本の実業家。日本製紙グループ本社代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 北海道出身。1963年北海道大学工学部卒業、十條製紙(現日本製紙)入社。1993年日本製紙技術本部技術企画部長。1995年日本製紙石巻工場長代理。1996年小松島工場長。1998年取締役旭川工場長。2000年取締役旭川工場長兼勇払工場長。2001年常務取締役旭川工場長兼勇払工場長。2002年常務取締役企画本部長。2003年専務取締役企画本部長兼日本ユニパックホールディング取締役企画・IR担当。2005年から日本製紙グループ本社代表取締役社長兼日本製紙代表取締役社長を務め、王子製紙による北越製紙株式公開買付けに対抗し、北越製紙株式の8.5%の取得を行うなどした。
城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - … 城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - )は、千葉県佐原市(現:香取市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 小学校時代は陸上部に所属し、中学校入学と同時に野球を始めるが、中学時代は控え一塁手で3年春には野球部を退部。進学した佐原一高では入学時にバレーボール部へ入部したが、部員不足の野球部から勧誘を受けて同年6月に移る。入学当初は一塁手であったが、秋から肩の強さを見込まれて投手となる。最初はオーバースローで投げていたが、高校に野球を教えに来ていた明治大学の選手から勧められて2年生の6月頃からサイドスローに転向した。同年秋からエースになると一念発起し、毎朝10キロのランニング、ハンドグリッパーを握り続けながら登校などの努力を続ける。
滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の… 滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の実業家。株式会社エヌケービー取締役会長、株式会社ぐるなび取締役会長、公益財団法人日本交通文化協会理事長、文化功労者。 三菱金属鉱業株式会社、交通文化事業株式会社での勤務を経て、財団法人日本交通文化協会専務、株式会社エヌケービー社長、株式会社ぐるなび社長などを歴任した。 東京府出身の実業家である。ぐるなび創業者で同社代表取締役会長兼社長、ぐるなびの母体であるエヌケービー取締役会長、日本交通文化協会理事長などを務めた。文化功労者。ペア碁考案者。1パーセントフォーアートを提唱し、パブリックアートの振興なども行った。 東京府東京市渋谷区神泉町生まれ。
原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、… 原島 文雄(はらしま ふみお、1940年2月3日 - )は、電気工学、制御工学、ロボット工学を専門とする日本の教育研究者。東京大学工学博士。東京大学生産技術研究所で所長を務め、東京都立科学技術大学、東京電機大学、首都大学東京では学長を務めた。学会活動では多くの国際会議を主導し、IEEE総務副会長、電気学会会長なども歴任。複数の「Harashima Award」に名を残す。 東京大学、東京都立科学技術大学、東京電機大学の名誉教授、2015年瑞宝重光章受勲。 原島は1967年頃からパワーエレクトロニクスや制御工学、メカトロニクスに関する研究を実施、学生の興味から1980年頃よりロボット工学にも発展する。
菅野 道夫(すげの みちお、1940年〈昭和15年〉2月3日… 菅野 道夫(すげの みちお、1940年〈昭和15年〉2月3日 - 2023年〈令和5年〉8月9日)は、日本のファジィ理論研究者、数学者、人工知能学者、言語学者。工学博士。東京工業大学名誉教授。マドリード工科大学名誉博士。国際ファジィ工学研究所 顧問、日本ファジィ学会 会長、International Fuzzy Systems Association(国際ファジィシステム学会)会長などを歴任した。
曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日… 曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日 - 2016年(平成28年)6月19日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。日本近代文学館常務理事などを務めた。日本近代文学者として、伊藤整や井上靖、福永武彦らを研究、全集編集などを担当した。静岡県出身。 1958年(昭和33年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学経済学部卒業。二年間サラリーマンをした後、1966年(昭和41年)に『伊藤整の方法』が群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。以後『群像』などに文藝評論を書き、日本大学芸術学部非常勤講師を経て、1972年(昭和47年)より、同文理学部専任講師などを経て日本大学文理学部国文学科教授。
足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日… 足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日本の実業家。凸版印刷代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 1939年2月23日生まれ、静岡県袋井市出身。1958年3月、静岡県立磐田南高等学校卒業。1962年3月、中央大学法学部法律学科卒業。1962年4月、凸版印刷株式会社入社。2000年6月、常務取締役、専務取締役、代表副社長などを歴任した後、凸版印刷株式会社代表取締役社長に就任。2010年6月、社長を金子眞吾に譲り、凸版印刷株式会社代表取締役会長に就任。2012年5月、印刷工業会会長に就任。2012年6月、日本印刷産業連合会会長に就任。2019年6月、凸版印刷特別相談役に就任。
賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本… 賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本の外交官・評論家。ウィニペグ総領事、チェンナイ総領事、ムンバイ総領事を歴任した。 愛知県生まれ。1960年名古屋大学法学部在学中に外交官上級試験に合格。1961年外務省入省、オックスフォード大学修士課程に留学(国際関係論、国際法、EC法専攻)。 在英国日本国大使館、在ジュネーブ政府代表部、在ブラジル日本国大使館、在ニューヨーク日本国総領事館勤務を経て、外務省経済局国際経済第一課長、在デンマーク日本国大使館参事官、防衛庁防衛研究所、在イタリア日本国大使館公使、国際農業開発基金(IFAD)日本政府代表理事、在ブラジル日本国大使館公使、在ウィニペグ総領事、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1992-1994年東西センター(米議会設置シンクタンク)客員上席研究員兼所長特別顧問、在マドラス総領事、ボンベイ総領事。
石井 寛治(いしい かんじ、1938年2月3日 - )は、日… 石井 寛治(いしい かんじ、1938年2月3日 - )は、日本の経済学者、歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本経済史。経済学博士(東京大学、1974年)。東京府出身。妻は元恵泉女学園大学学長の石井摩耶子。
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日… 萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。元赤旗記者。本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。 北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。 高知県高知市出身。立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。 17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は… 奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。兵庫県出身。 1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1980年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1994年6月に阪急バス社長に就任し、1998年6月には神戸電鉄社長に就任。2003年6月に会長を経て、2006年6月に相談役に就任。 2010年4月に旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日… 松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日 - 2010年〈平成22年〉12月9日)は、日本の労働運動家。革マル派副議長。鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長を務め、JR東労組会長、顧問を務め、事実上JR東労組のトップだった。 埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。 国鉄動力車労働組合(動労)元委員長を務め、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)・東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)顧問を務めていた。 なお、元革命的労働者協会活動家の松崎重利は実父が同様に日本国有鉄道(国鉄)職員で姓が同じであるが、縁戚関係はなく政治活動面においても無関係である。
小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、… 小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、漫画家。埼玉県川口市出身。北海道函館市在住。本名:小沢暁。別名:小沢さとる・北沢力。代表作に潜水艦漫画『サブマリン707』、アニメ化された『青の6号』など。名義に「小澤さとる」と「小沢さとる」があるが意図して少年向けには「小沢さとる」を、青年向けには「小澤さとる」を使用している。海洋SF漫画の先駆者で、多くの漫画家・アニメーターに影響を与えている。ヒット商品となった「ロボダッチ」や「チョロQ」の開発にも携わり、生みの親として知られる。 1950年代半ば、高校在学中にアルバイトを探していた際、知り合いの編集者に「君、器用だから やってみないか」と手塚治虫のアシスタント業務を紹介され、「製図ができるならベタも塗れるだろう」とアシスタントを務める。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、… 栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、日本の国文学者。専門は日本中世文学、特に軍記物語。千葉大学名誉教授。 東京府下谷区生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、1959年東京大学文学部国文科卒業、1966年、同大学院博士課程単位取得満期退学。1968年千葉大学講師、1970年同助教授、1980年同教授。1998年、定年の1年前に退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2005年、清泉女子大学を退職。
飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は… 飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は、埼玉県南埼玉郡春日部町(現:春日部市)出身の元プロ野球選手。 春日部高校から1954年に毎日オリオンズへ入団。 1956年に高橋ユニオンズへ移籍し、1957年は合併した大映ユニオンズに在籍し同年引退。
谷川 秀善(たにがわ しゅうぜん、1934年2月3日 - )… 谷川 秀善(たにがわ しゅうぜん、1934年2月3日 - )は、日本の政治家。
秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000… 秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000年8月12日)は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
田崎 明(たさき あきら、1934年2月3日 - 2015年… 田崎 明(たさき あきら、1934年2月3日 - 2015年3月16日)は、日本の物性物理学者。筑波大学名誉教授。東京都出身。 父は生理学者の田崎一二。子息に物理学者の田崎晴明。植物学者の鳥居啓子は従姪(従兄弟の子)。
伊藤 隆二(いとう りゅうじ、1934年2月3日 - )は、… 伊藤 隆二(いとう りゅうじ、1934年2月3日 - )は、日本の教育心理学者、横浜市立大学名誉教授。神戸大学教授などを歴任。 秋田県秋田市土崎港出身。1958年東京大学教育学部教育心理学科卒、1963年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学、1971年「病巣局在の異なる脳損傷者の知能構造に関する神経心理学的研究」で東京大学より教育学博士の学位を取得。 1966年神戸大学助教授、1974年教授、1982年横浜市立大学文理学部教授。1994年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、2001年帝京大学教授。2004年退職。 1969年日本総合医学賞受賞。1997年井上円了賞受賞。2012年瑞宝中綬章受章。
生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 … 生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 1966年〈昭和41年〉3月23日)は、日本の社会主義運動家。共産主義者同盟(共産同・ブント)創立者。 静岡県静岡市出身。静岡城内高校2年の時、共産党に入党。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。同年東京大学入学。教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した1955年(昭和30年)の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。1956年(昭和31年)、経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。1958年(昭和33年)、東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、1959年(昭和34年)8月事務局長。
濱田 隆士(はまだ たかし、1933年2月3日 - 2011… 濱田 隆士(はまだ たかし、1933年2月3日 - 2011年1月19日)は、日本の地球科学者。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。
大丸 弘(だいまる ひろし、1933年2月3日 - 2017… 大丸 弘(だいまる ひろし、1933年2月3日 - 2017年3月17日 )は、日本の民族学者。専攻は衣生活とその周辺の比較生活史。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。1979年から1995年まで国立民族学博物館大丸研究室にて、現《服装・身装文化資料デジタルアーカイブ》をMCDプロジェクト代表として構築・公開。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 201… 天野 利彦(あまの としひこ、1933年2月3日 - 2019年4月18日)は、日本の演出家。 愛知県出身。日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。『特別機動捜査隊』などの東映テレビプロ作品に助監督として参加し、1967年12月20日放送の第321話『八人の女』で監督デビューを果たし、番組終了まで86本以上を演出。続く『特捜最前線』ではメイン監督として132本演出した。 『特捜』終了後は約1年ブランクを置いたあとに『ベイシティ刑事』(2本担当)で同枠に復帰、後続の『はぐれ刑事純情派』(87本担当)、『さすらい刑事旅情編』(50本担当)、『風の刑事・東京発!』(8本担当)といった刑事ドラマシリーズに長期に携わった。
志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2… 志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2021年〈令和3年〉7月5日)は、日本の政治家。位階は従三位。環境庁長官(第23代)、内閣官房副長官(第1次海部内閣)、衆議院議員(8期)等を務めた。 岩手県一関市出身。早稲田大学文学部卒業後、南カリフォルニア大学大学院に留学し、国際政治学を専攻した。1963年から、三木武夫が主宰する中央政策研究所に勤務する。父・健次郎の政界引退に伴い、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選した(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・三塚博・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3… 桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - 2025年(令和7年)3月27日)は、日本の文芸評論家。東洋大学名誉教授。 紫綬褒章受章。芸術選奨文部大臣賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、他受賞。 1950年に一橋大学商学部に入学するも、在学時に一橋大学社会学部に転部。同・社会学部を卒業後は、研究社(出版社)に勤務する一方、村上一郎(文芸評論家)とともに同人誌「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。 後に東洋大学文学部教授を務めた。東洋大学退職後は名誉教授の称号を受け、東洋大学兼任研究員を務めた。他に多摩美術大学、大妻女子大学講師、日本近代文学館理事等も務めた。 1990年に毎日出版文化賞を受賞。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 201… 稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 2013年2月23日)は、日本の作家・詩人。 愛知県豊橋出身。東京大学文学部仏文科卒。高校教師となり、東京都立立川高等学校で英語とフランス語を担当。楢信子と職場結婚。1962年創刊の同人誌『ドン』に参加、73年に短編集『残り鮎』を自費出版。74年からは楢信子と二人雑誌『双鷲』を年二回刊行。1984年「曇る時」で作家賞受賞。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 - )は、日本の警察官僚。第12代警察庁長官。チームおてんとうさま特別顧問。 東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部に入庁。同期に、杉原正(交通局長)、池田速雄(交通局長)、金原忍(公安調査庁第一部長)、山崎隆司(近畿管区警察局長)など 警視庁警備課長時代には、ザ・ビートルズ日本公演が熱狂的なファンに埋め尽くされることを知り、日本武道館を下見したときたまたまいた女子中学生に話を聞いたら、「足の1本ぐらい折れてもかまわないから、ステージに飛び乗ってビートルズにキスしたい!」という発言があった。これは本気で警備しないとまずい、と思って、鉄壁の警備につながったと証言している。
真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実… 真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実業家である。倉敷紡績相談役、大阪経済大学理事長。
久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日… 久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日 - 1998年〈平成10年〉12月13日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の日本の初代会長、国際勝共連合の日本の初代会長。そのほか、世界日報社会長、世界平和連合会長、リトルエンジェルス芸術団理事長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長などを歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。「久保木亮光(りょうこう)」と名乗っていたこともある。本名は久保木脩夫。 1931年に中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任。
岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年… 岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年5月22日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。上智大学卒業後、早稲田大学文学部大学院で美学を専攻、さらに東京慈恵会医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学助教授、教授。 森田療法の継承者の一人だが、臨床を行いつつ、芸術家的感性を生かした著作を数多く執筆した。1986年5月、全身をガンに侵され、55歳で死去。その最期のさまは松岡正剛によって記録された。また病苦を押して執筆した『森田療法』で、森田療法を、精神の自由を護るための技法として記述し、理不尽と闘うことをしなければ森田療法を適用してもムダだと説いている。 小心で様々なことに気を遣う性質で、“石橋を叩いても渡らない”傾向にあったが、石橋を叩きその道が確かであることを確かめたなら、不安があっても「あるがまま」にその橋を渡り、目的を果たすことを実践してきた。
澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 … 澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 - 1993年9月20日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・1959年)(学位論文「比較法学における法系の役割」)。元立教大学法学部教授。 東京市(現新宿区)生まれ。1954年東京大学法学部卒、1959年同大学院基礎法学博士課程修了、「比較法学における法系の役割」で法学博士の学位を取得。立教大学法学部助教授、教授、法学部長。在任中に61歳で逝去。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 20… 雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 2019年7月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、文化功労者。 彫刻家雨宮治郎の娘として東京に生まれる。弟は雨宮淳。日本大学芸術学部卒業。1956年日展初入選、1982年長野市野外彫刻賞、1983年中原悌二郎賞優秀賞、1985年日展内閣総理大臣賞受賞、1994年日本芸術院会員。2017年4月、旭日中綬章受章。2017年11月、文化功労者。 主に女性のヌード座像を制作している。『雨宮敬子作品集』(講談社 2005)がある。 2019年7月31日、心不全のため、東京都世田谷区内の病院にて88歳で死去。死没日をもって従四位に叙される この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年… 清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年6月16日)は、日本の実業家。位階は従三位。元東京急行電鉄(現:東急)社長。 1995年、東京急行電鉄(現:東急)社長に就任。東急グループ代表として、五島昇亡き後のグループを率い、バブル崩壊の影響で業績不振に陥っていたグループを再興した。日本民営鉄道協会会長等の公職も務めた。 東京府出身。1953年に一橋大学経済学部を卒業し、東京急行電鉄に入社。同社では長く財務部門、経営管理部門を歩み、入社後に公認会計士試験に合格し会計士補の資格も取得した。 専務等を経て、1週間前に横田二郎社長から後任社長の内示を受け、いったん固辞したのち、横田が取締役相談役として引き続き取締役に留任するなどとの説得を受け、1995年東京急行電鉄代表取締役社長就任。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 201… 品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 2014年12月13日)は、日本の映画評論家。 北海道留萌管内遠別町生まれ。仏文学者で早稲田大学名誉教授の品田三和一良(品田一良)は実兄。北海道札幌西高等学校、北海道大学法文学部国文学科卒業。 北海道大学在学中に『キネマ旬報』編集部の荻昌弘に見出され、同誌の懸賞論文に入選。このことから1953年の大学卒業後にキネマ旬報社に入社して『キネマ旬報』編集部配属となり、1955年まで在籍。後に『映画旬刊』と『映画評論』の編集部に在籍。1965年にフリーとなり映画評論家として活動を始めた。 1989年から多摩美術大学教授、のち名誉教授。 日本芸術文化振興会運営委員・映画部会長、独立行政法人国立美術館運営委員、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭顧問、ゆうばり応援映画祭実行委員長、川喜多記念映画文化財団理事、最北シネマ株式会社特別顧問、日本映画製作者連盟理事を歴任した。
金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 198… 金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 1984年2月13日)は、日本の発生生物学者。 兵庫県生まれ。甲南高等学校 (旧制)を経て東京大学理学部卒業。1961「プラナリアの極性に関する実験的研究 」で東京大学より理学博士の学位を取得。 東京大学海洋研究所助教授、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授を経て、1983年4月、基礎生物学研究所所長に就任。 ヒトデを材料とした研究で新ホルモンの存在を発見したり、生殖の内分泌機構を解明した。1970年、ローマ教皇庁科学アカデミーよりピウス11世メダル受賞。1983年、文化功労者と中日文化賞(多細胞動物の卵成熟機構の研究)を受賞。 1984年2月13日、死去。
徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は… 徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は、日本の経営者。日本衛星放送(現在のWOWOW)社長、会長を務めた。 北海道出身。1953年に北海道大学工学部を卒業し、同年に郵政省に入省し、1984年7月には放送行政局長に就任。1985年6月をもって、退官し、1988年6月には日本衛星放送社長に就任し、1993年6月からは常任理事を務めた。1986年8月には日本ケーブルテレビ連盟理事長に就任。
岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 200… 岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 2002年4月11日)は日本の脚本家。作家。エッセイスト。大学卒業後放送局と契約し、ラジオドラマの脚本や番組の企画に携わる。その後は数多くのテレビドラマの脚本を執筆し、1980年代からは主に2時間サスペンスの脚本を多く手掛けた。作詞家の岡本おさみは実弟。 鳥取県米子市に生まれる。1953年、早稲田大学卒業時に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の戯曲募集で自作「木枯」が入選する。1954年から5年間ニッポン放送と契約し、番組の構成やラジオドラマの脚本を手掛け、1959年にフジテレビ開局前の試験放送ドラマ『億万長者』でテレビドラマの脚本家としてデビューする。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。