神保 なおみ(じんぼ なおみ、1953年2月11日 - )は… 神保 なおみ(じんぼ なおみ、1953年2月11日 - )は、日本の元女優・元声優。神奈川県小田原市出身。 桜美林高等学校卒業後、国語の教師になるつもりで桜美林大学文学部中国文学科に進学。 大学1年生の時に劇団ノルテの会(現:劇団ノルテ)に入団し、朗読の勉強を始める。 大学2年生の時に高垣葵にプロダクションエム・スリーを紹介されてタレントとしてデビュー。 マスコミの仕事は当初はテレビの顔出し出演が中心だったが、その後、声優に転身。 特技は中国語。趣味はスキューバダイビング、茶道。 好きな作家は高校時代からのファンである平井和正。好きな女優は浜木綿子。好きな男優は西田敏行。 ※太字はメインキャラクター この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
木曽 功(きそ いさお、1952年〈昭和27年〉2月11日 … 木曽 功(きそ いさお、1952年〈昭和27年〉2月11日 - )は、日本の文部官僚。学位はMaster of Business Administration(イェール大学・1979年)。2016年(平成28年)4月に千葉科学大学学長と学校法人加計学園理事に就任。 文部省初等中等教育局職業教育課課長、文部省高等教育局医学教育課課長、広島県教育委員会教育長、文部科学省大臣官房国際課課長、文化庁文化財部部長、独立行政法人日本学術振興会理事、文部科学省国際統括官、国際連合教育科学文化機関政府代表部特命全権大使、東日本旅客鉄道株式会社顧問、内閣官房参与などを歴任した。 文化庁文化財部の部長や文部科学省の国際統括官などの要職を歴任し、2010年より国際連合教育科学文化機関政府代表部に特命全権大使として赴任した。
大嶋 英一(おおしま えいいち、1951年2月11日 - )… 大嶋 英一(おおしま えいいち、1951年2月11日 - )は、日本の外交官。勲等は旭日中綬章。2012年(平成24年)1月17日から2014年(平成26年)まで、フィジー駐箚特命全権大使。 千葉県出身。東京都立日比谷高等学校を経て東京大学理学部物理学科卒業後、1978年(昭和53年)東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程を修了して、外務省に入省した。東京大学理学修士。1979年在香港日本国総領事館領事官補。中国語研修を受けたチャイナ・スクール。 1990年(平成2年)在香港日本国総領事館領事。1996年(平成8年)東宮侍従、1998年(平成10年)外務省大臣官房国内広報課長。 国際連合日本政府代表部公使、在フィリピン日本国大使館首席公使兼マニラ総領事、在大韓民国日本国大使館公使、神戸大学大学院国際協力研究科国際協力政策専攻教授、2010年(平成22年)4月、香港領事などを経て、2012年(平成24年)1月17日から2014年(平成26年)3月まで、フィジー駐箚特命全権大使。
松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プ… 松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プロ野球・広島東洋カープオーナー・代表取締役社長。広島県広島市、現在の中区出身。 曾祖父はマツダの実質的な創業者で2代目社長の松田重次郎、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次、父はマツダ4代目社長の松田耕平。弟はアンフィニ広島・広島エフエム放送社長の松田弘、弘の子はオーナー代行の松田一宏。広島マツダ会長の松田哲也ははとこに当たる。 祖父から3代続けてカープオーナーである。 松田耕平の長男として広島で生まれる。広島大学附属高校卒業後、慶應義塾大学へ入学。1973年に大学卒業、その後アメリカ留学を経て1977年に東洋工業(現・マツダ)に入社した。
荻原 雄一(おぎはら ゆういち、1951年2月11日 - )… 荻原 雄一(おぎはら ゆういち、1951年2月11日 - )は、日本の文芸評論家・小説家・写真家・翻訳家。専門は日本近代現代文学。名古屋芸術大学教授。 東京都港区芝出身。学習院大学文学部国文学科卒業、埼玉大学教養学部教養学科アメリカ研究コース卒業、1977年学習院大学大学院人文科学研究科国文学専攻修士課程修了。名古屋自由学院短期大学(現名古屋芸術大学短期大学部)助教授、名古屋芸術大学助教授を経て、同大学デザイン学部教授。俳優座特別研究員。 森鷗外「舞姫」のエリスのモデルがユダヤ人だったとする説を唱える。
平原 四郎(ひらばる しろう、1950年(昭和25年)2月1… 平原 四郎(ひらばる しろう、1950年(昭和25年)2月11日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校を経て、福岡大学経済学部卒。筑紫野市議会議員、筑紫野商工センター顧問などを歴任する。1995年、筑紫野市長選挙に立候補したが落選。2003年、現職の田中範隆を破って筑紫野市長に初当選。2007年に再選。市長を2期務める。2011年の選挙で元福岡県議会議員の藤田陽三に敗れた。落選後は福岡大学客員教授を務めた。
剛 たつひと(ごう たつひと、1949年2月11日 - )は… 剛 たつひと(ごう たつひと、1949年2月11日 - )は、日本の俳優、レポーター。本名:小野 治夫、旧芸名:中沢 治夫(なかざわ はるお)。旧表記:剛 達人(読みは同じ)。 山梨県甲府市出身。関東商工高校卒。六芸社、フリーランス、東京俳優生活協同組合を経て、ケィ・サイド所属。 小学3年まで甲府で祖父母に育てられた後、両親のいる東京へ移り住む。劇団こまどりに所属し、1967年、日本テレビの青春学園シリーズ『これが青春だ』(主演:竜雷太)で中沢治夫名義でゲストの生徒役として出演。同じく竜雷太主演の『でっかい青春』が後半に高校を主な舞台とするに当たり、菊容子、梅田智子、大谷直らと共にレギュラーの生徒役として加入。
冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )… 冨川 元文(とみかわ もとふみ、1949年2月11日 - )は、愛知県出身の脚本家である。
松坂 健(まつざか けん、1949年2月11日 - 2021… 松坂 健(まつざか けん、1949年2月11日 - 2021年10月8日)は、日本のミステリ研究者、元雑誌編集者、ジャーナリスト、サービス産業研究者。筆名に深野 有(ふかの ゆう)。 日本出版学会、日本フードサービス研究学会、日本観光研究者学会、日本国際観光学会、日本観光ホスピタリティ教育学会、日本旅行医学会、日本推理作家協会、各会員。国際推理作家協会副会長。 東京都浅草出身。1971年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1974年、同大学文学部英文学科卒業。在学中は慶應義塾大学推理小説同好会に所属。 1974年、出版社柴田書店入社。「月刊食堂」編集部配属。1978年「月刊食堂」副編集長。1984年「月刊ホテル旅館」編集長。
三枝 紀生(さいぐさ のりお、1949年(昭和24年)2月1… 三枝 紀生(さいぐさ のりお、1949年(昭和24年)2月11日 - )は、日本の実業家。京成電鉄会長。京成電鉄第11代代表取締役社長。かつて関東鉄道監査役、北総鉄道取締役を兼任し、現在は新京成電鉄相談役。千葉県大網白里市在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。
クライ・ムキ(本名:倉井 美由紀、1949年2月11日 - … クライ・ムキ(本名:倉井 美由紀、1949年2月11日 - )は、日本のソーイングデザイナー。岩手県花巻市出身。 女子美術短期大学を卒業後、1971年よりフリーデザイナーとなる。 誰でも簡単にできるソーイングを提唱し、「らくらくパターン」を考案。 子育ての体験を生かして子供服を作り始め、1987年から 1998年まで雑誌『手づくりママ キディー』編集アドバイザーをする。 2001年6月にクライ・ムキ株式会社を発足。アトリエでソーイング教室を開催している。 現在は、単行本、TV、セミナーのほか、ミシンのプロデュースなど各方面で活動中。
桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう、1948年〈昭… 桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう、1948年〈昭和23年〉2月11日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下。お印は桂(かつら)。勲等は大勲位。宮号は桂宮。大正天皇の皇孫(四男の次男)。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2男子(3男2女のうち第3子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞甯子(甯子内親王)、兄に寬仁親王、妹に千容子(容子内親王)、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は政治学士(学習院大学)。現皇室典範の下、独身で宮家を創設した最初の皇族である。住居(正式には「御仮寓」)は東京都千代田区三番町6番地18宮内庁分室。
齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11… 齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11日 - )は、日本の海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長。防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。 父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長(海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校、横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である。
森安 孝夫(もりやす たかお、1948年2月11日 - 20… 森安 孝夫(もりやす たかお、1948年2月11日 - 2024年8月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授、神戸市外国語大学客員教授。財団法人東洋文庫兼任研究員。博士(文学)。 敦煌・トゥルファン出土文書、モンゴル高原の碑文類、並びに漢籍史料を中心にイスラム化以前の中央ユーラシア史を研究している。 福井県坂井郡三国町(現:坂井市の一部)出身。1966年福井県立藤島高等学校、1972年東京大学文学部東洋史学科卒業、1975年同大学院人文科学研究科東洋史専攻修士課程修了、1981年東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程単位修得退学。 1982年金沢大学文学部助教授、1984年大阪大学文学部助教授、1992年7月同大学より「ウイグル=マニ教史の研究」で博士(文学)の学位を取得。
渡海 紀三朗(とかい きさぶろう、1948年2月11日 - … 渡海 紀三朗(とかい きさぶろう、1948年2月11日 - )は、日本の政治家、一級建築士。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。 衆議院国家基本政策委員長、文部科学大臣(第9代)、内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)、自由民主党政務調査会長(第62代)、自由民主党政治改革本部長を歴任した。 渡海元三郎の長男として兵庫県高砂市曽根町に生まれる。兵庫県立姫路西高等学校から早稲田大学理工学部に進学した。大学卒業後は日建設計に入社し、サラリーマン生活を送る。日建設計では、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場の設計やグリーンスタジアム神戸の構想計画などにも参画した。 1985年5月2日、父親の渡海元三郎が死去。
中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月… 中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月11日 - 2011年(平成23年)9月中旬)は、日本の会社役員で北海道旅客鉄道(JR北海道)の元代表取締役社長。 北海道旭川市の旭川鉄道管理局職員の家に生まれる。北海道教育大学附属旭川小学校、北海道教育大学附属旭川中学校、北海道旭川北高等学校(15期)を経て、1969年(昭和44年)に東京大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入社した。同期は20人。石原進、小池明夫、垣内剛は国鉄および東京大学での同期である。 入社後は営業職を中心に勤務。国鉄旅客局営業課時代には商品造成を研究する若手職員中心グループのリーダーをしていた。このグループの議論で『フルムーン夫婦グリーンパス』『ナイスミディパス』が発案された。
鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお、1947年〈昭和22年〉2月… 鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお、1947年〈昭和22年〉2月11日 - )は、日本の政治家、経営工学者。共和党棟梁。公益財団法人友愛理事長、一般財団法人東アジア共同体研究所理事長、アジアインフラ投資銀行国際諮問委員会委員。学位はPh.D.(スタンフォード大学・1976年)で、西安交通大学名誉教授。 内閣総理大臣(第93代)、内閣官房副長官(細川内閣)、衆議院議員(8期)、民主党代表(第2・7代)、民主党幹事長(第7代)、旧民主党代表(初代)、旧民主党幹事長(初代)、新党さきがけ代表幹事(第2代)、共和党棟梁(代表)を歴任した。 2013年から「鳩山 友紀夫」(読み同じ)をメディア出演時に「ペンネーム」として使用している。
松岡 きっこ(まつおか きっこ、1947年〈昭和22年〉2月… 松岡 きっこ(まつおか きっこ、1947年〈昭和22年〉2月11日 - )は、日本の女優、タレント、司会者。本名は岩谷 紀公子(いわたに きくこ)、旧姓は松岡。 東京都出身。池坊短期大学卒業。テアトル・ド・ポッシュ、ノンプロを経て、グッドフェローズに所属。 夫は俳優の谷隼人。3人姉弟の長女(妹1人、弟1人)。身長158cm。B85cm、W58cm、H87cm(1968年8月)(1969年7月)。 兵庫県に生まれ、その後東京に移り、東京と神奈川県川崎市で育った。幼少の頃より劇団若草に在籍、子役として活躍。1958年、東映児童演技研修所に入所。風間杜夫や本間千代子らが同期。 1963年、和光学園高等部1年在学中に東映大作『武士道残酷物語』のさと役を探していた今井正監督に見出され初めて大役をつかんだ。
八木 紀一郎(やぎ きいちろう、1947年2月11日 - )… 八木 紀一郎(やぎ きいちろう、1947年2月11日 - )は、日本のマルクス経済学者。専門は、進化経済学・制度経済学・オーストリア学派。学位は、経済学博士(京都大学・論文博士・1989年)。京都大学名誉教授。元摂南大学学長。元経済理論学会代表幹事。 オーストリア学派研究の日本における第一人者であり、カール・メンガー、オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク、ヨーゼフ・シュンペーターなどを論じている。フリードリヒ・ハイエク全集(春秋社)の編集委員である。 2001年から2004年まで経済理論学会幹事、2010年から経済理論学会第12代代表幹事、2003年から2005年まで経済学史学会代表幹事、2003年から2006年まで進化経済学会副会長をそれぞれ務める。
布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左… 布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左記と同一)、1947年2月11日 - 2022年12月25日)は、日本のアニメーター、アニメ演出家、アニメーションプロデューサー、実業家。株式会社スタジオぴえろ創業者・取締役最高顧問、元東北芸術工科大学大学院仙台スクール教授、元日本動画協会理事長。ペンネームに坂田ゆう。 山形県酒田市で生まれ、実家は紳士服の仕立て屋だった。子供の頃から絵を描くこと、芝居・映画を鑑賞することが好きで、高校時代に所属していた美術部の顧問の推薦で宣伝美術を経験し、デザインの仕事に就くことを志望し上京する。昼間にアルバイトをしながら、夜間に日本デザインスクールで学び1967年に卒業。
前田 忠昭(まえだ ただあき、1946年2月11日 - )は… 前田 忠昭(まえだ ただあき、1946年2月11日 - )は、日本の実業家。
室谷 信雄(むろや のぶお、1946年〈昭和21年〉2月11… 室谷 信雄(むろや のぶお、1946年〈昭和21年〉2月11日 - 2018年〈平成30年〉12月5日)は、日本の喜劇役者、タレント。 大阪府泉佐野市出身。吉本興業に所属し、1970年代から1984年まで活躍。吉本新喜劇の座長として間寛平や木村進、帯谷孝史ら座員はもちろん、多くの芸人から、先輩後輩問わず尊敬され慕われた。1984年11月、喉頭癌で声を失い、惜しまれつつ引退した。 泉佐野市立長南中学校、浪速高等学校卒業後、1964年6月に吉本興業に入り。白木みのる、ルーキー新一に師事する。付き人生活を終えて吉本新喜劇に入団。やがて木村進、間寛平らが新喜劇に入団し、若手の活躍が増えると共に室谷も、次第に薄くなってきた髪の毛のネタで脚光を浴びる。
井脇 ノブ子(いわき ノブこ、1946年2月11日 ‐ )は… 井脇 ノブ子(いわき ノブこ、1946年2月11日 ‐ )は、日本の教育者、政治家。 衆議院議員(1期)、自由民主党女性局次長、学校法人理事長、国民の祝日を祝う会理事、志帥会参与などを歴任。 愛称はノブ姉。著名な親族として政治家の大江康弘(井脇の甥の嫁が大江の親戚)、競泳選手の谷川禎次郎、ダイノジの大谷ノブ彦がいる。 漁師の9人兄妹の末っ子として、大分県南海部郡東中浦村梶寄(現佐伯市鶴見梶寄浦)で誕生。男勝りな性格から金太郎というあだ名が付けられた。 家は決して裕福ではなく、毎日朝4時から海に潜り、アワビやサザエを採取して市場で売り家計を助けていた。水泳の上達はその賜物である。小学校のときには厚生大臣になるという夢を持つ。
桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - … 桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - )は大阪府出身の落語家。本名は小田 幸吉(おだ こうきち)。大阪高等学校出身。独身。愛称は「朝(ちょう)さん」。
田中 眞澄(たなか まさすみ、1946年2月11日 - 20… 田中 眞澄(たなか まさすみ、1946年2月11日 - 2011年12月30日)は、日本の映画史家、文化史家。 1946年2月11日、北海道釧路市に生まれる。慶應義塾大学文学研究科修士課程修了(国文学専攻)。「小津安二郎研究の第一人者」として知られる。2011年12月30日、死去。65歳没。
植木 武(うえき たけし、1946年2月11日 - )は、日… 植木 武(うえき たけし、1946年2月11日 - )は、日本の考古学者、共立女子学園名誉教授。 東京都出身。1968年明治大学文学部考古学専攻卒、1971年ハワイ大学大学院人類学修士課程修了、1984年ブラウン大学大学院人類学博士課程修了、Ph.D.。共立女子短期大学助教授、教授を務め、2016年退職し共立女子学園名誉教授。『太平洋 東南アジアとオセアニアの人類史』で日本翻訳文化賞 (平松)受賞。
村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日… 村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日本の近代思想の研究者、評論家、前和光大学表現学部教授。
大下眞二郎(おおした しんじろう、1945年2月11日 - … 大下眞二郎(おおした しんじろう、1945年2月11日 - 2026年6月18日)は、日本の電気工学者。信州大学名誉教授。電気回路・デジタル通信を専門とする。 兵庫県神戸市出身。尼崎市で育つ。著書は大学編入・大学院入試の定番参考書として広く知られる。
増井武士(ますい たけし、1945年2月11日 - )は、日… 増井武士(ますい たけし、1945年2月11日 - )は、日本の精神療法家。 和歌山県和歌山市生まれ。1967年神戸大学教育学部教育心理学科卒、1967年京都大学大学院修士課程特別研究生を経て、1973年九州大学大学院教育学研究科博士課程修了。93年「症状への「間」の努力を中心とした治療方法論の展開 患者体験に視座を据えた治療論」で教育学博士。1977年産業医科大学医学部助教授、教授、同大学病院精神・神経科および産業医実務研修センターを併任。2007年退官後、九州産業大学国際研究学部臨床心理学専攻教授。東亜大学客員教授。専門は精神療法学、治療面接学、メンタルヘルス論及びメンタルヘルスマネージメント。
佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月1… 佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月11日 - )は、日本の銀行家。北日本銀行代表取締役会長。2008年藍綬褒章受章。 岩手県盛岡市出身。元主計大尉にして質屋を営む父のもとで育つ。小学4年で番台に上がり高校入学までそれを続けた。また、その場で金利の計算から、人物の見極目まで行い審査と担保の清算を肌で学んだという。 学生時代は東京で過ごし、都内の百貨店への就職も内定していたが、父から帰郷を促されたため、入社試験の間に合った北日本相互銀行を受験。同行に入行した。 1994年の「平成銀行」騒動の際には、仙台支店長として大蔵省と接触し、德陽シティ銀行の財務内容の悪さを熟知していたため、北日本相銀役員や労働組合に対し、財務内容を独自に分析した資料を配布。
剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は… 剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は日本の大蔵官僚。 東京都港区出身(父は群馬県、母は福島県)。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1966年 大蔵省入省(主計局総務課)。1967年4月 国際金融局国際機構課。1968年4月 国際金融局付(留学)。1970年7月 国際金融局総務課企画調整係長。1971年7月 高山税務署長。1988年6月 造幣局東京支局長。1989年6月 派遣職員(国際復興開発銀行)。1992年6月 国税不服審判所次長。1993年9月 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
村田 紀敏(むらた のりとし、1944年(昭和19年)2月1… 村田 紀敏(むらた のりとし、1944年(昭和19年)2月11日-)は日本の実業家。初代株式会社セブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長。 東京都に生まれる。法政大学第一高等学校(現・法政大学高等学校)卒業を経て、法政大学経済学部へと進学。大学卒業後の1966年、大径鋼管株式会社に入社。経理部門を担う。 その後会社再編を受け、1971年、上場を控えたイトーヨーカ堂に転職する。1990年5月に取締役、1996年5月に常務取締役、2003年(平成15年)5月に専務取締役・専務執行役員を経て、2005年(平成17年)9月にセブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長・COOに就任。鈴木敏文同社会長兼最高経営責任者の側近として鈴木体制を支えてきた。
井波 律子(いなみ りつこ、1944年2月11日 - 202… 井波 律子(いなみ りつこ、1944年2月11日 - 2020年5月13日)は、日本の中国文学者。『三国志』、『三国志演義』の著述・翻訳などで知られる。国際日本文化研究センター名誉教授。 1944年、富山県高岡市に生まれる。小学生の時、京都市に転居。京都市立紫野高等学校卒業。1966年京都大学文学部卒業。1972年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1974年、京都大学助手。1976年、金沢大学助教授、1990年教授。1995年に国際日本文化研究センター教授となる。2009年定年退任。朝日新聞書評委員(1998年~2001年)、大佛次郎賞選考委員(2010~2013年)も務めた。紫式部文学賞選考委員でもあった。
清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11… 清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11日 - )は、日本の俳優。京都府京都市左京区出身。活動屋所属。元妻は女優の大谷直子。娘は女優の華子。 実家は東映の京都撮影所や松竹の京都撮影所のある太秦、父は映画プロデューサーという環境で育ち、少年時代から映画などに出演。 京都府立嵯峨野高等学校を卒業後、俳優座養成所の第14期生となる。同期は串田和美、吉田日出子、佐藤信、樋浦勉、原田芳雄、新橋耐子、有川博、辻萬長など。 文学座の研究生を経て1966年夏に「劇団自由劇場」を串田、吉田、佐藤ら14名と共に旗揚げ。その後、佐藤と黒色テント68/71(現・黒テント)の設立にも関わるなど、いわゆるアングラ演劇で活躍。
聖川 湧(ひじりかわ ゆう、1944年2月11日 - )は、… 聖川 湧(ひじりかわ ゆう、1944年2月11日 - )は、日本の作曲家。本名・岩井実。日本作曲家協会理事。 富山県新湊市(現・射水市)出身。小学5年の時に両親が離婚。新湊市内に間借りし父親との二人暮らしが始まったが、ふた間しかない部屋に叔父一家が転がり込み、中学3年の時に追い出された。新湊を離れ、金沢の父親の知人の下宿に預けられたが、父親が莫大な借金を残して失踪。天涯孤独の身となった。1962年、下宿の隣にいた歌手の新川二朗と金沢ヘルスセンターの専属バンドで活動し、アルトサックス奏者として食いつないだ。 1963年に上京し、多田敏夫とスイングナインに加入。スカウトされ、1965年にビクターから本名の岩井実で「赤いエレキ」で歌手デビュー。
佐藤 紀子(さとう のりこ、1943年2月11日 - )は、… 佐藤 紀子(さとう のりこ、1943年2月11日 - )は、日本のモンゴル研究者。現特定非営利活動法人日本モンゴル文化経済協会会長。1990年7月、モンゴル初訪問以降日本モンゴルの架け橋として30年、モンゴル訪問回数は200回を超える。大阪府堺市在住。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山岸 紀郎(やまぎし のりお、1943年2月11日 - 20… 山岸 紀郎(やまぎし のりお、1943年2月11日 - 2011年7月15日)は、日本の元バレーボール審判員、日本バレーボール協会専務理事、初代Vリーグ機構代表理事(会長)。 日本体育大学出身。日本人として初めて国際バレーボール連盟のFIVB公認レフリーとなり、1986年の世界選手権の男子決勝の主審を務めたほか、1988年と1992年のオリンピックでも国際審判団の一員として参加した。 一方日本国内では、1995年4月より日本バレーボール協会の理事、専務理事や日本バレーボールリーグ機構の代表理事(会長)などを歴任した。また日本におけるビーチバレー生みの親とも言われ、1996年のアトランタオリンピックではビーチバレー日本男子代表監督を務めた。
村山 紀昭(むらやま のりあき、1943年(昭和18年)2月… 村山 紀昭(むらやま のりあき、1943年(昭和18年)2月11日 - )は、日本の哲学者。専門は、哲学及び近代日本思想史。北海道教育大学元学長。札幌国際大学・札幌国際大学短期大学部前学長。北海道中川郡美深町出身。 北海道大学文学部卒業。同大学院文学研究科修了。北海道教育大学札幌校助教授。同教授。1998年同札幌分校主事。1999年(平成11年)北海道教育大学11代学長。2007年(平成19年)北海道教育大学退官。同名誉教授。札幌国際大学人文学部教授。2008年札幌国際大学・札幌国際大学短期大学部学長。2010年病気を理由に学長退任。札幌国際大学短期大学部総合生活学科教授。2012年札幌国際大学退職。
那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、… 那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事(2006年5月25日 - 2012年2月10日)。あさひ法律事務所顧問。 また、伊那市ふるさと大使も務める。
涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 200… 涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 2009年12月17日)は、日本の元裁判官。最高裁判所判事を務めた。 六甲高等学校、京都大学法学部卒業後は1964年(昭和39年)4月に第18期司法修習生、1966年(昭和41年)4月8日に東京地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2009年(平成21年)8月30日に行われた最高裁裁判官国民審査において、罷免すべきという投票が有効投票の7.73パーセント、517万6090票となり審査対象9人の中で罷免票が最も多い判事となった。ただし、有効投票の半数以上でないと罷免されないため、結果として信任された。
伊藤 博文(いとう ひろふみ、1942年2月11日 - )は… 伊藤 博文(いとう ひろふみ、1942年2月11日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 大分高校から1960年に近鉄バファローへ入団。1961年・1962年に1軍出場を果たすも、結果が残せず1962年に引退。
鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日… 鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日本の実業家。ツルハ創業家3代目で、ツルハホールディングス代表取締役社長を経て、同社取締役会長。北海道旭川市出身。ツルハ代表取締役社長の鶴羽順は次男。 1960年大阪商業大学商経学部入学。1964年に卒業し、電子部品商社の大都商事(現・ダイトロン)入社。1976年クスリのツルハコントロールセンター(現・ツルハ)入社。1978年取締役に昇格。1994年専務取締役。1996年代表取締役専務。1997年から代表取締役社長を務め、2005年には持株会社として改組したツルハホールディングスの代表取締役社長に就任。積極的なM&Aを進め、売上高5000億円が軌道に乗った2014年に、ツルハホールディングス代表取締役会長及びツルハ代表取締役会長に退いた。
澤 光代(さわ みつよ、1941年2月11日 - )は、日本… 澤 光代(さわ みつよ、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元神奈川県逗子市長(1期)。 現在の東京都新宿区出身。1963年、聖心女子大学文学部英文学科卒。貿易会社に勤務し、その後、結婚し、逗子市に住む。1982年、在日米軍施設である池子弾薬庫跡地への住宅建設計画が公表され、2年後の1984年、計画受け入れを表明した逗子市長三島虎好に対するリコール運動に参加、市民団体の運営委員長となった。その後、逗子市議会議員となる。 1992年、逗子市長富野暉一郎が10月の市長選挙に不出馬を表明、池子弾薬庫跡地への米軍住宅建設反対派から逗子市議だった澤が推される形で立候補し、当選し、芦屋市長北村春江に次ぐ全国で二人目の女性市長となった。
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月1… 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)の出身で、1964年(昭和39年)4月1日にTBSアナウンサー第9期生として入社。1991年2月に50歳でTBSを退社してからは、個人事務所「大沢企画」を拠点に活動している。 ※TBSラジオでのCMをメインに担当している。 第二次世界大戦の最中に浅草で出生すると、4歳の頃まで浅草で暮らした。当時からラジオ番組を聴いていた影響で、ラジオから流れる「東部軍管区情報」(大本営発表)を真似ながら実家の近所を触れ回っていたことから、「大本営」との異名を取ったという。
荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )… 荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )は、日本の数学者。大学評価・学位授与機構特任教授。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒、東京大学理学部卒。元東京都立大学教授・第10代総長、公立大学協会長。元中央教育審議会委員。趣味はテニス、俳句。「国家の品格」の著者である藤原正彦とは非常に親しい。大学セミナーハウス館長も務める。2021年、瑞宝中綬章受章。旧都立大学の廃校が決定された時の総長であり、石原慎太郎都知事ら当時の都幹部と廃校をめぐり対立した。2012年から2016年まで大妻女子大学学長を務めた。
内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - … 内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - )は、日本の詩人、童話作家。 1941年福岡県大牟田市生まれ。父は詩人内田博(本名・弘喜智)。大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、福岡県立大牟田北高等学校卒業。 19歳にて上京。看板職人をしながら詩を書き始める。詩人遠地輝武、秋山清に私淑。『新日本詩人』『潮流詩派』を経て現在『方方』詩友、『騒』同人、『0』同人。詩集に「これでいいへら」潮流詩社、「あかるい黄粉餅」石風社、「なまこ饅頭」無極堂がある。 38歳より児童書を書き始める。 絵本『さかさまライオン』(絵本にっぽん賞)、絵本『うそつきのつき』(小学館児童出版文化賞)、絵本『がたごとがたごと』(日本絵本賞)、絵本『すやすやタヌキがねていたら』(日本絵本賞)、絵本『かあちゃんかいじゅう』(けんぶち絵本の里大賞)、絵本『ともだちできたよ』(日本絵本賞)、絵本『くじらさんのーたーめならえんやこーら』(日本絵本賞)、絵本『ひとのなみだ』(日本絵本賞)を受賞。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11… 唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。位階は従四位、勲章は旭日中綬章。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。日本戦後演劇を再構築。 東京府東京市下谷区下谷万年町(現:東京都台東区)出身。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。作家としても活躍、『佐川君からの手紙』(1981年)で芥川賞を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。2012年4月より明治大学客員教授に就任。戦後現代演劇は「唐以前、唐以後」と言っても過言ではない。
小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11… 小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2012年〈平成24年〉6月28日)は、日本のタレント、コメディアン、俳優、司会者、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称「鳥取が生んだスーパースター」。本名∶小野 泰。 父親の仕事の関係で日本統治下の朝鮮元山市に生まれる。幼少の頃に日本に引き揚げ、鳥取県境港市で育つ。鳥取県立境高等学校卒業、成城大学文芸学部中退。 「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーで、1960年「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」とグループ名を変更後、正式に参加する。 1964年、桜井輝夫の脱退後にリーダーの座を譲られた碇矢長一のワンマン体制に不満を持って、碇矢と対立した。