神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日… 神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日本の政治家。元北見市長(旧北見市2期・新北見市1期の通算3期)。北海道釧路市出身。 衆議院北海道第12区(宗谷・網走管内)の武部勤衆院議員と関係が深く、事実上自民党の支援を受けている。 自民党会派を与党として市政を運営していたが、市役所移転等が絡む駅周辺地区の基本計画議案が否決されたことに伴い、「市民の信任を問う」として、2008年11月13日付で北見市長を辞職。市長選は民主党・新党大地推薦の小谷毎彦と一騎討ちとなり、衆院選の前哨戦の代理戦争と報道された。12月21日即日開票により落選。北見市長としての在任期間は旧北見市・新北見市の通算で3期約9年半であった。
髙橋 雄一(たかはし ゆういち、1951年8月12日 - )… 髙橋 雄一(たかはし ゆういち、1951年8月12日 - )は、東京都出身の日本のジャーナリスト、実業家。テレビ東京並びにテレビ東京ホールディングス元代表取締役会長。 1975年に早稲田大学第一文学部卒業と同時に日本経済新聞社へ入社、新聞記者としては産業部を中心に歩み、外国特派員としてロンドン、ジュネーブ、ミラノに勤務する。ニューヨークの日本経済新聞社米州総局では1993年 - 1997年に次長、2000年 - 2003年に総局長を務めた。 2006年に日本経済新聞社編集局長に昇格、2007年に取締役に昇進する。2008年には子会社の日本経済新聞デジタルメディアに転じて常務取締役に就任、2009年1月に社長に就任した。
山本 正治(やまもと まさはる、1950年8月12日 - )… 山本 正治(やまもと まさはる、1950年8月12日 - )は、日本のクラリネット奏者。東京都生まれ。 父は東京芸術大学名誉教授の山本正人、母も音楽家で兄はNHK交響楽団のホルン奏者・山本真という音楽一家に生まれ、幼少より英才教育を施された。 東京芸術大学附属音楽高校、東京芸術大学を卒業。クラリネットを三島勝輔に師事。 1972年、第41回日本音楽コンクール・クラリネット部門第1位受賞。1973年、北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト(現デトモルト音楽大学)に留学。J.ミヒャエルスに師事。1976年、フランス・コルマール国際室内楽コンクール 木管トリオ部門第2位受賞。1979年、北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト、ソリスト試験を終了した。
石黒 一憲(いしぐろ かずのり、1950年8月12日 - )… 石黒 一憲(いしぐろ かずのり、1950年8月12日 - )は、日本の法学者。専門は、国際私法・国際経済法。弁護士。東京大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。1969年、東京都立日比谷高等学校卒業。東大紛争による東大入試中止のあおりを受け、京都大学に入学。翌年に東大を再受験して合格し、京大より転学する形で入学。1974年、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、東京大学法学部助手となる。池原季雄に師事。1977年、同助教授。1991年、同教授。 2010年、経済産業省の産業構造審議会通商政策部会委員。 2016年3月に東京大学を定年退職し、同年4月1日、弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。 専門は、国際私法・国際経済法。
姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang… 姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang Sang-jung, 1950年〈昭和25年〉8月12日 - )は、在日韓国人の政治学者、思想家、エッセイスト。東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事。鎮西学院大学の初代学長。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。所属事務所は三桂。 熊本県熊本市出身。在日韓国人二世。通名は永野 鉄男(ながの てつお)。姜尚中の日本式の音読みは「キョウ ショウチュウ」。メディアで論客として活躍。日本の偏狭なナショナリズムを否定し、韓国・朝鮮に対する歴史的な偏見を指摘する。
篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月… 篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1972年ミュンヘンオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、ベスト8入りした。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
岩崎 貞二(いわさき ていじ、1949年8月12日 - )は… 岩崎 貞二(いわさき ていじ、1949年8月12日 - )は、日本の国土交通官僚。海上保安庁長官を務めた。滋賀県大津市出身。 1974年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。2001年に大臣官房審議官、2002年に航空局長、2006年に自動車交通局長を歴任し、2007年6月から2009年7月までに海上保安庁長官を務めた。2018年6月から全国レンタカー協会会長を務めている。
皆木 敏夫(みなき としお、1949年8月12日 - )は、… 皆木 敏夫(みなき としお、1949年8月12日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 日大櫻丘高では、1年からエースで4番。1967年夏の都大会で大成高、関東高を連続完封。1966年春の都大会決勝では桜井憲と投げ合い敗れている。オーバーハンドの本格派で、武器の速球と定評のあるキレの鋭いカーブを駆使し、高校3年間で通算成績は30勝20敗、打率3割2分。 1967年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受けるも交渉権放棄により、同年ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。 一軍出場がないまま、1971年に現役引退。 引退後は、プロゴルファーを目指す。現在は株式会社美和ゴルフの総支配人。
中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )… 中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工商では3年次の1966年、夏の甲子園千葉大会で東金商をノーヒットノーランに抑え、続く東邦大付も7回コールドながらノーヒットノーランで降す。その後も2試合連続で完封勝利、習志野戦で失点するも41回連続無失点記録を達成。続く東関東大会準決勝で竜ヶ崎一高に敗退し、甲子園出場はならなかった。同年の一次ドラフト6位で阪神タイガースに指名されるも入団せず、卒業後の1967年にサッポロビールへ入社。1969年の都市対抗に出場し、同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。 入団後は速球投手として期待され、1年目の1970年から先発として起用されるが、同年は1勝に終わる。
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )… 桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。 國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。 1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。
石渡 茂(いしわた しげる、1948年8月12日 - )は、… 石渡 茂(いしわた しげる、1948年8月12日 - )は、神奈川県川崎市中原区出身の元プロ野球選手(内野手)。
宮島 壽男(みやじま としお、1948年〈昭和23年〉8月1… 宮島 壽男(みやじま としお、1948年〈昭和23年〉8月12日 - )は、日本の政治家。元愛知県知多市長(3期)。 高校卒業後、1967年(昭和42年)4月、愛知県庁に入庁。その後、愛知大学法経学部を卒業している。2009年(平成21年)3月、愛知県庁を退職。同年6月、愛知県代表監査委員に就任。 2013年(平成25年)6月7日、知多市長選挙への出馬を表明する。同月、愛知県代表監査委員を退任。 同年9月29日に行われた知多市長選挙に、自由民主党、民主党、公明党の推薦を得て無所属で出馬。2候補を相手に戦い、初当選。投票率は42.71%であった。10月4日、市長就任。 2017年(平成29年)、9月24日投開票の市長選挙で日本共産党推薦の元知多市議を破り再選。
佐々木 ヨーコ(ささき ヨーコ、1948年8月12日 - )… 佐々木 ヨーコ(ささき ヨーコ、1948年8月12日 - )は、日本の元ローラーゲームの選手。試合は男女混合で編成されたチーム同士で行われ、日本の唯一のチーム、東京ボンバーズの女性側のキャプテンを務めた。その長い黒髪と美貌でアイドル的人気を誇りローラーゲームの女王と呼ばれた。旧姓、佐々木陽子で現在は鈴木陽子。 1948年8月12日、東京都足立区で二人姉妹の次女として生まれる。実家は美容院で、成女学園中学校・成女高等学校を卒業後、本人も美容師になるべく中野の美容学校へ進む。ここで資格を取り、実家の手伝いをする。 1968年の秋、20歳の頃、友人と後楽園ホールに遊びに行った時、アイスパレスでアメリカのローラーゲームを統括するナショナル・スケーティング・ダービー社が行った、プロスケーターの試験を受けるようにと関係者から声を掛けられ、気楽な気持ちで受けたところ合格する。
塚原 千恵子(つかはら ちえこ、1947年8月12日 - 2… 塚原 千恵子(つかはら ちえこ、1947年8月12日 - 2024年9月1日)は、長崎県出身の元オリンピック女子体操選手・指導者。旧姓は小田。長崎県立長崎西高等学校-日本体育大学。夫は1968年メキシコシティーオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピック・1976年モントリオールオリンピックで金メダルを取った元体操選手の塚原光男、息子に2004年アテネオリンピックの体操団体で金メダルを取った体操選手の塚原直也がいる。血液型はB型。 1967年の全日本学生体操競技選手権大会で個人総合優勝し、全日本選手権でも5位に入賞した。同年の1967年夏季ユニバーシアード(東京)女子団体で金メダルを獲得した。
鎌野 裕(かまの ひろし、1947年8月12日 - )は、神… 鎌野 裕(かまの ひろし、1947年8月12日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小川 矩良(おがわ のりよし、1947年8月12日 - )は… 小川 矩良(おがわ のりよし、1947年8月12日 - )は、日本の実業家。ホテルオークラ東京代表取締役社長総支配人や、同社代表取締役会長、日本ホテル協会会長等を歴任した。 1970年武蔵工業大学工学部卒業。1973年大成観光(現ホテルオークラ)入社。オークラガーデンホテル上海副総経理、フォレスト・イン昭和館総支配人、オークラアクトシティホテル浜松総支配人、ホテルオークラ東京ベイ取締役総支配人、ホテルオークラ東京ベイ常務取締役総支配人等を経て、2004年ホテルオークラ東京代表取締役社長総支配人。2009年ホテルオークラ東京代表取締役会長。2010年鹿島東京開発ホテル事業部長総支配人、日本ホテル協会会長。
水尾 順一(みずお じゅんいち、1947年8月12日 - )… 水尾 順一(みずお じゅんいち、1947年8月12日 - )は、日本の経営学者。駿河台大学名誉教授。専攻はCSR、経営倫理、コーポレート・ガバナンス、ブランド論など。 香川県善通寺市出身。1970年に神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部卒業後、同年4月に資生堂に入社し、同社でコーポレート・デザイン室課長、経営企画部課長、ビューティーサイエンス研究所課長、企業倫理委員会事務局リーダ等を歴任した。 1999年3月に同社を退職し(資生堂社友となる)、駿河台大学経済学部助教授に就任する。2000年に同大学教授に昇格後、2001年から大学院経済学研究科(現・大学院総合政策研究科)教授を務める。2002年~2008年は全学企画広報委員長、2006年~2010年に駿河台大学経済研究所長を兼任した。
乗木新一郎(のりき しんいちろう、1946年8月12日 - … 乗木新一郎(のりき しんいちろう、1946年8月12日 - )は、日本の環境学者・水産学者。水産学博士(北海道大学)。専門は分析化学・地球化学。特に、海洋からの化学物質の除去過程。北海道大学名誉教授。藤女子大学元教授。北海道上磯郡木古内町出身
遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1… 遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1972年1月7日)は、日本の新左翼活動家、共産主義者同盟赤軍派メンバー。赤軍派最高幹部高原浩之は夫。 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒。明治大学法学部卒。 幼くして父を亡くした貧困から、高校卒業とともにキリンビールに勤めながら明大の夜間に通う。大学在学中に赤軍派に参加。明治大学現代思想研究会で重信房子や上原敦男らと活動した。赤軍派では主にプロパガンダ映画の上映会などの後方支援を行っていた。 1971年2月には「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作るために日本を出国する重信を羽田空港で見送る。 1972年1月7日、連合赤軍幹部の永田洋子らによって山岳ベース事件により死亡。
浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )… 浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )は、日本の外科医、広島大学名誉教授。第11代広島大学学長(2007年5月21日~2015年)。広島県双三郡作木村(現 三次市作木町)出身。
前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )… 前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )は、日本の考古学者、奈良芸術短期大学教授。公益財団法人愛媛県埋蔵文化財センター理事長、橿原考古学研究所特別指導研究員、真言宗豊山派法蓮寺住職。 愛媛県生まれ。愛媛県立松山東高等学校、同志社大学文学部卒業。1969年奈良県立橿原考古学研究所勤務。太安萬侶墓、藤ノ木古墳、法隆寺、唐招提寺など多くの発掘調査をおこなう。1981~1983年の二年間、中国へ留学。98年同研究所資料室長を経て、奈良芸術短期大学教授、橿原考古学研究所指導研究員。
縄田 洋海(なわだ ひろうみ、1946年8月12日 - )は… 縄田 洋海(なわだ ひろうみ、1946年8月12日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
北原 喜一(きたはら きいち、1946年8月12日 - )は… 北原 喜一(きたはら きいち、1946年8月12日 - )は、日本の歯科医師。医療法人社団交心会北原学院歯科衛生専門学校の設立者で、名誉理事長。 北海道出身。1971年に日本大学歯学部を卒業後、日本大学松戸歯学部放射線学教室に勤務した。その後、北原歯科医院を開設する。 1981年、千葉県松戸市に北原学院歯科衛生専門学校を設立した。1989年に歯学博士号を日本大学より取得した。 2008年、千葉市に北原学院千葉歯科衛生専門学校を設立した。 2021年、瑞宝双光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鏡味 仙三郎(かがみ せんざぶろう、1946年8月12日 -… 鏡味 仙三郎(かがみ せんざぶろう、1946年8月12日 - 2021年1月30日)は、太神楽曲芸協会、落語協会に所属していた太神楽曲芸師。本名∶大木 盛夫。鏡味仙三郎社中の所属。 1955年、二代目鏡味小仙に入門。前座名は「盛之助」。 1960年に「仙三郎」と改名。 1973年に鏡味仙之助とコンビを結成。 1978年に江戸の太神楽が東京都無形民俗文化財に指定された。 2002年、鏡味仙三郎社中を結成。 2012年6月に落語協会理事に就任し、2020年7月に理事を退任。 2020年7月15日にテレビ東京系で放送された『家、ついて行ってイイですか? 激動の2020年夏!人生の夢10連発スペシャル!』にて、食道がんで闘病していることが鏡味仙成によって明かされた。
大谷 光真(おおたに こうしん、1945年8月12日 - )… 大谷 光真(おおたに こうしん、1945年8月12日 - )は、浄土真宗本願寺派第24世(先代)門主。諱は光真。法名は釋即如(しゃくそくにょ)。
境 征勝(さかい まさかつ、1945年8月12日 - )は、… 境 征勝(さかい まさかつ、1945年8月12日 - )は、日本中央競馬会に所属していた元調教師。美浦トレーニングセンターに所属していた。 父は境勝太郎元調教師。義弟(妹の夫)は小島太元騎手・元調教師。京都府出身。 日本大学法学部を卒業後、北海道の牧場での修行を経て、1968年、父の厩舎である境勝太郎厩舎の調教助手となる。 1971年、研修のためニューマーケット、J・ウインター厩舎へ渡英。1972年に帰国し再び境勝太郎厩舎にて調教助手を務め、1983年に調教師免許を取得し厩舎を開業。 1991年、シンボリクリエンスにてJRA賞最優秀障害馬を受賞。1992年には中山大障害の春秋連覇を達成し、2年連続で最優秀障害馬に選出される。
大 佳央(だい かおう、本名:小西 幸男(こにし ゆきお)、… 大 佳央(だい かおう、本名:小西 幸男(こにし ゆきお)、1943年8月12日 - )は、日本の俳優。兵庫県尼崎市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 初代:砂川啓介(1961年4月3日 - 1969年10月1日)2代目:佐久間俊直(1963年10月2日 - 1967年4月1日)3代目:岡田祥造(1967年4月6日 - 1969年10月4日)4代目:向井忠義(1969年10月6日 - 1973年3月30日)5代目:小西幸男(1969年10月7日 - 1971年4月3日)6代目:輪島直幸(1971年4月5日 - 1978年3月23日)7代目:川原洋一郎(1973年4月2日 - 1974年3月29日)8代目:瀬戸口清文(1974年4月2日 - 1987年4月4日)9代目:天野勝弘(1987年4月6日 - 1993年4月5日)10代目:佐藤弘道(1993年4月5日 - 2005年4月2日)11代目:小林よしひさ(2005年4月4日 - 2019年3月30日)12代目:福尾誠(2019年4月1日 - 2023年4月1日)13代目:佐久本和夢(2023年4月3日 - )
船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は… 船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は、広島県広島市草津出身の元サッカー日本代表選手(GK)・指導者。 広大付属高校2年の時、ゴールキーパーとして桑田隆幸や野村尊敬、同級の小城得達、桑原楽之、溝手顕正らと全国高校サッカー選手権大会に出場して準優勝、国体も準優勝、3年時はベスト8。 高校を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)へ入団。同チームの監督となった下村幸男の後を受け正ゴールキーパーとなる。石井義信、小沢通宏、今西和男、丹羽洋介、桑原弘之、大野毅、川野淳次、国枝強らとゴールを守り、日本サッカーリーグ(JSL)4連覇と3度の天皇杯制覇に貢献した。
増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月… 増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月12日 - )は、日本の政治家、地方公務員。1995年から2007年までの3期12年にわたり高松市長を務めた。 香川県高松市出身。1965年早稲田大学法学部卒。在学中は港区三田にある香川県の県人寮・香川育英会東京学生寮から通学した。同年高松市役所に入る。市図書館長、市教育委員会文化部長などを歴任。1992年に市助役に就任。 1995年の市長選挙では高松市長脇信男の後継者として全国では異例の自民・共産2党の推薦で立候補して、新進・社会・さきがけの3党が推薦する元県議の候補らを破って初当選した。1999年(無投票)と2003年の選挙でも再選した。
谷川 弥一(谷川 彌一、たにがわ やいち、1941年〈昭和1… 谷川 弥一(谷川 彌一、たにがわ やいち、1941年〈昭和16年〉8月12日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(7期)、文部科学副大臣(第2次安倍内閣)、長崎県議会議員(5期)、自由民主党長崎県支部連合会長、自由民主党総務副会長を歴任した。 長崎県南松浦郡岐宿町(現・五島市)出身。親元を離れ、五島から長崎市の長崎県立長崎東高等学校に進学し、下宿生活を送る。 1971年に株式会社谷川建設を設立。同社社長、会長を務めた。 1987年、長崎県議会議員選挙に立候補し、初当選する。以後、県議を5期17年にわたって務め、2003年に長崎県議会議長に就任。 2003年、第43回衆議院議員総選挙に、長崎3区から自由民主党公認で立候補。
藤井 一二(ふじい かずつぐ、1941年8月12日[要出典]… 藤井 一二(ふじい かずつぐ、1941年8月12日[要出典] - )は、日本の歴史学者(博士 (文学)、大谷大学)。金沢星稜大学名誉教授、城西国際大学教授、松蔭大学特任教授を歴任。専門は日本古代史、貨幣経済史、文化交流史。 1941年8月12日、東京都に生まれ、その後富山県立山町に移る。1964年、富山大学文理学部文学科(史学専攻)卒業。2004年、『東大寺開田図と古代村落の研究』で大谷大学で博士(文学)(乙種)。 1980年に、金沢経済大学(現、金沢星稜大学)助教授となり、1985年に教授に昇任。2010年に同特任教授となる。2011年より富山国際大学客員教授を、2012年より 城西国際大学客員教授のち教授、松蔭大学特任教授、大連大学・大連工業大学・遼寧師範大学・黒河学院の各客員教授を務めた。
反町 勝夫(そりまち かつお、1940年8月12日 - )は… 反町 勝夫(そりまち かつお、1940年8月12日 - )は、日本の実業家。弁護士(弁護士法人LEC社員)・弁理士(反町特許事務所)・税理士(税理士法人LEC)・会計士補(会計士補反町会計事務所)・社会保険労務士(社会保険労務士法人LEC代表社員)の資格を持つ。東京リーガルマインド(LEC)創立者で代表取締役会長。LEC東京リーガルマインド大学院大学(LEC会計大学院)元学長。「日本教育再生機構」代表委員。雑誌「法律文化」の出版者。LECの全株式を保有する。
伊藤 アキラ(いとう アキラ、本名:伊藤皓(いとう あきら)… 伊藤 アキラ(いとう アキラ、本名:伊藤皓(いとう あきら)、1940年8月12日 - )は千葉県出身の作詞家。
清水 眞澄(しみず まずみ、1939年8月12日 - )は、… 清水 眞澄(しみず まずみ、1939年8月12日 - )は、日本の仏像研究者(院派仏師)、成城大学名誉教授。成城大学学長を経て、三井記念美術館館長。 横浜市鶴見区生まれ。芝中学校・高等学校卒、1962年東北大学文学部東洋芸術史科卒業、 黒沢通信工業勤務、1967年神奈川県立博物館研究員、1982年成城短期大学助教授、1985年教授。1989年から1994年同短期大学学長を務め、2002年成城大学教授、2007年成城大学学長、2010年退任、名誉教授。三井記念美術館館長をはじめ、美術・文化財関連の委員を歴任した。
石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、… 石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家、社会福祉学者。民主党所属の元衆議院議員(4期)。元民主党副代表。『季刊福祉労働』編集長。NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事。 政治活動においては石毛 えい子の表記を主に用いている。 千葉県銚子市生まれ。 千葉県立銚子高等学校、日本女子大学文学部卒業。 大学卒業後は社会福祉団体の代表や飯田女子短期大学教授を務めるかたわら、市民運動に取り組む。専門は社会福祉学。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で比例東京ブロック単独2位で出馬し、初当選。1999年(平成11年)-7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。
島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月1… 島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒業。オフィス斉藤、ジェイ・クリップに所属していた。 関西新劇界の名門劇団である関西芸術座演劇研究所を卒業後、正式座員になった後に退座して上京。東京芸術座に所属。 1965年、NET(現・テレビ朝日)のテレビ時代劇『新選組血風録』の沖田総司役で本格デビュー。同ドラマのヒットにより、栗塚旭演じる土方歳三とともに人気を博した。『新選組血風録』終了後も、『俺は用心棒』(1967年)、『燃えよ剣』(1970年)でも沖田を演じるなど時代劇を中心に活躍。 1988年から『はぐれ刑事純情派』 (テレビ朝日)で、藤田まこと演じる安浦刑事が所属する警視庁山手中央警察署の刑事課長・川辺精一役で、シリーズ18年間の全作品にレギュラー出演。
石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12… 石川 明(いしかわ あきら、1937年(昭和12年)8月12日 - 2004年(平成16年)3月30日)は日本の実業家。 1937年(昭和12年)8月12日千葉県野田市に生まれる。1960年3月に東京電機大学工学部電気通信工学科(現・情報通信工学科)を卒業後、同年4月チッソに入社、半導体向けシリコン材料の生産・検査などを4年ほど担当する。 しかし集積回路の考案者であるジャック・キルビーがいたテキサス・インスツルメンツにあこがれ、日本テキサス・インスツルメンツに転職し、生産技術の革新、工場の立ち上げ、組合運動への対応等の実績を残す。 その後本社副社長兼日本テキサス・インスツルメンツの社長として国際提携を担当、売上高にして年間1000億から1500億円の事業を毎年一つずつ立ち上げた。
石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 201… 石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 2016年11月9日)は、日本の男子プロテニス選手。日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手である。次男は俳優の石黒賢。父はタービン設計者の石黒九一、祖父は土木技術者の石黒五十二、曽祖父は加賀藩の国学者の石黒千尋。 長崎県長崎市出身。8歳の時に長崎市で原子爆弾に被爆。午前11時2分には民家に入っていたためかろうじて助かった。戦後は父・九一の仕事の都合で神戸市で育つ。 中学1年生の時にテニスを始める。甲南中学校・高等学校(2年先輩に松岡功)、慶應義塾大学法学部政治学科、三菱電機へ進み、全日本ジュニア、インターハイ、インカレを制する。 1961年にはデビスカップの代表に選ばれ、東洋ゾーン準決勝で奇跡の逆転勝利を演出した。
杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月1… 杉浦 健五(すぎうら けんご、1935年(昭和10年)8月12日 - 2006年(平成18年)5月7日)は、日本の空手家および実業家。静岡県浜松市出身。愛知大学出身。元全日本空手道連盟和道会理事長。政治活動家・田中清玄の秘書だった。
佐藤 隆輔(さとう りゅうすけ、1934年8月12日 - )… 佐藤 隆輔(さとう りゅうすけ、1934年8月12日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都杉並区生まれの宮城県育ち。宮城県仙台第二高等学校→東北学院大学卒業。1958年に日本放送協会(NHK)へ入局。同期には、西田善夫や野際陽子などがいる。入局後、高知、京都、大阪、東京、名古屋、広島などで勤務。主にスポーツを担当していた(後述参照)。 京都に勤務していた1964年、東京オリンピックのホッケー実況担当として抜擢され、その後、プロ・アマの野球を中心とした各種スポーツの実況を担当する。 1974年から1980年にかけての名古屋勤務時に1974年の日本シリーズロッテ対中日の第6戦のテレビ中継の実況を担当し金田正一監督の胴上げに立ち会った。
奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、… 奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、日本の洋画家。勲等は文化勲章。日本芸術院会員、文化功労者。 愛知県立芸術大学美術学部講師、愛知県立芸術大学美術学部助教授、東京芸術大学美術学部客員教授などを歴任した。 高知県出身の洋画家である。独立美術協会に所属し、神奈川県三浦郡葉山町に居住している。愛知県立芸術大学では講師を経て助教授を務め、東京芸術大学では客員教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。1996年には日本芸術院の会員に選出されている。2007年には文化功労者として顕彰された。2017年には文化勲章を受章した。 1934年高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)に生まれる 。
塚田 徹(つかだ とおる、1934年(昭和9年)8月12日 … 塚田 徹(つかだ とおる、1934年(昭和9年)8月12日 - )は、昭和期の政治家。元衆議院議員(3期)。塚田政治経済研究所長。 新潟県出身。1957年、日本大学法学部政治経済科卒業。日産自動車販売勤務を経て光陽商事社長となり、1963年、父の知事転任に伴い衆議院議員総選挙に旧新潟4区から無所属で立候補して、29歳で初当選、以来通算3期。のち自由民主党に入党。 衆院内閣常任委員会理事、日本ユネスコ国内委員、自民党政調内閣部会副部会長等を歴任する。福田赳夫内閣で建設政務次官を務めた。同じ選挙区から白川勝彦が当選してから塚田は落選続きとなり、以後立候補しなかった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 201… 松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 2019年2月25日)は、日本のジャーナリスト。東京都出身。 祖父は、二・二六事件で岡田啓介内閣総理大臣の身代わりとなった岡田の義弟、松尾伝蔵大佐。よって岡田は大伯父にあたる。父は、元陸軍大佐で東京ピアノ工業創業者の松尾新一。伯父に政治家の迫水久常や伊藤忠会長の瀬島龍三がいる。 上皇明仁の学友でもあり、学習院では一年間を清明寮(東京・白金の学習院大学キャンパス内に戦後、高等科に進学した皇太子(上皇)のために造られた学生寮)の二人部屋で暮らしたが、生前に周囲にそのことを明かすことはほとんどなかったという。1956年3月、学習院大学政経学部政治学科卒業。
藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、… 藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、日本の経済史学者、名古屋大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1956年東京大学経済学部卒、1961年同大学院社会科学研究科博士課程満期退学、1964年「プロシャ農業 土地所有の構造的特質 「農民解放」の歴史的地位」で経済学博士。東京大学社会科学研究所助手ののち、名古屋大学経済学部講師となり、助教授を経て、1977年教授。1989年経済学部長。1991年経済構造研究センター長。1997年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授を務めた。 名大生協の理事を務め、1975年名古屋大学出版会の設立に尽くした。 2012年4月瑞宝中綬章受章。
山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1… 山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1997年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。 富山県出身。筆名・大河健太郎。1957年一橋大学経済学部卒、毎日新聞社入社。経済部副部長、編集委員、77年論説委員。定年後、富山国際大学教授を務めた。
金山 良雄(かなやま よしお、朝: 가나야마 요시오, 19… 金山 良雄(かなやま よしお、朝: 가나야마 요시오, 1933年8月12日 - )は、株式会社ムラサキスポーツ代表取締役会長、JTJ宣教神学校理事長。恵友学園理事長。明治学院大学卒業。在日韓国人。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12… 江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12日 - 2003年〈平成15年〉9月26日)は、日本の歴史学者。愛知大学名誉教授。専門は日本近現代史。十五年戦争研究をライフワークとした。 愛知県名古屋市生まれ。1955年京都大学文学部卒業。大学の同期には木坂順一郎(木坂は法学部へ転学部)・戸田芳実・松浦玲らがいる。1958年同大大学院修士課程修了、京都大学人文科学研究所助手。大学院時代に小葉田淳の指示で、『日本近代史辞典』(東洋経済新報社、1958年)の編纂事務を担当した。京大人文研では飛鳥井雅道が助手の同期。渡部徹・井上清の指導を受けた。1966年愛知大学法経学部助教授、1977年同大法経学部教授、1989年同大法学部教授、1994年同大法学部長( - 1997年)、2003年定年退職し、同大名誉教授。
松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2… 松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2006年10月11日)は、日本の映画監督、脚本家、著作家である。
岩崎 力(いわさき つとむ、1931年8月12日 - 201… 岩崎 力(いわさき つとむ、1931年8月12日 - 2015年4月10日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 1931年、山形県生まれ。1954年、東京大学教養学部フランス科を卒業し、同大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程に進んだ。1957年、同大学大学院を修了。 卒業後は、東京外国語大学助教授となり、後に教授昇格。1966年4月28日、映画監督のジャン=リュック・ゴダールが初来日し、日本フィルムライブラリー助成協議会は本国で公開されて間もないゴダールの新作の『男性・女性』の上映会を東京国立近代美術館で開いた。岩崎はその日に行われたインタビューや質疑応答の通訳を務めた。
松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2… 松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2006年10月11日)は、日本の映画監督、脚本家、著作家である。 東京都に生まれる。東京都立日比谷高等学校を経て、1956年に東京大学文学部美学美術史学科を卒業する。 新理研映画、日映科学映画製作所を経て、独立する。 1966年、『鳥獣戯画』がベルガモ映画祭芸術部門大賞を受賞する。1983年には、著書『ドキュメンタリーを創る』が刊行される。『出雲神楽』は2002年度キネマ旬報ベスト・テン「文化映画」部門で1位に選ばれた。 2006年10月11日、転移性肺・肝腫瘍のため死去。75歳没。