畑中 浩一(はたなか こういち、1944年1月15日 - 2… 畑中 浩一(はたなか こういち、1944年1月15日 - 2012年9月23日)は、日本の経営者。パナソニック電工社長、会長を務めた。 福井県出身。1967年に京都大学経済学部経済学科を卒業し、同年に松下電工に入社。 1998年2月に取締役に就任し、2002年2月に常務を経て、2003年12月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2012年9月23日悪性リンパ腫のために死去。68歳没。
木下 敬之助(きのした けいのすけ、1944年(昭和19年)… 木下 敬之助(きのした けいのすけ、1944年(昭和19年)1月15日 - )は、日本の政治家。元大分市長、元衆議院議員。 1944年1月15日、大分県大分市で、政治家木下哲の長男として生まれる。1967年(昭和42年)、慶應義塾大学経済学部経営学科卒。 1979年(昭和54年)10月7日投票の第35回衆議院議員総選挙において大分1区(定数4)に民社党から出馬して初当選。以後、4期にわたり衆議院議員を務めるが、1990年(平成2年)2月18日投票の第39回衆議院議員総選挙では次点に敗れた。 その後、自民党などの支援を受け、1991年(平成3年)に大分市長に当選。2003年(平成15年)に引退するまで3期12年にわたって大分市長を務めた。
安田 智彦(やすだ ともひこ、1944年1月15日 - )は… 安田 智彦(やすだ ともひこ、1944年1月15日 - )は、日本の経営者。フジパン社長、会長を務めた。岐阜県出身。 1966年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に十六銀行に入行。1978年1月にフジパンに転じ、1984年9月に取締役に就任し、1990年9月に常務、1998年9月に副社長を経て、2000年9月に社長に就任。2009年9月には会長に就任し、2011年9月にはフジパングループ本社社長に就任。
郷路 征記(ごうろ まさき、1943年1月15日 - )は、… 郷路 征記(ごうろ まさき、1943年1月15日 - )は、日本の弁護士。札幌弁護士会所属。札幌弁護士会副会長、同会子どもの権利委員会委員長などを歴任。北海道虻田郡喜茂別町出身(札幌市生まれ)。北海道釧路湖陵高等学校、東北大学経済学部卒業。 霊感商法が社会問題化した1980年代から、青春を返せ訴訟などの関連事件に携わり、旧統一教会の元信者らの話を聞くなどして、その反社会的な手法を研究してきた。 2022年8月現在も、旧統一教会を巡る3件の訴訟を担当している。
高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2… 高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2024年1月6日)は、日本の著作家、文芸評論家。男性。日本ペンクラブ副会長。 東京生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業、立教大学文学部日本文学科卒業。人物往来社に勤務し、『歴史読本』編集長、取締役、編集局長等を経て、1996年退社。日本ペンクラブ常務理事、大衆文学研究会幹事長。 尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』にも共同編集者として参加している(『ゾルゲ事件研究』は監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才益夫、田辺貞夫)。 2024年1月6日、腎がんのため埼玉県さいたま市の自宅で死去。80歳没。
樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日… 樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉9月15日)は、日本の女優。戸籍名:内田 啓子(うちだ けいこ)、旧姓:中谷(なかたに)。旧芸名は悠木 千帆(ゆうき ちほ、初代)。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。2番目の夫は内田裕也。間に娘・内田也哉子がいる。夫とは長く別居を続けていた。 父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水(辰治)(1917年 - 1989年)。妹も薩摩琵琶奏者の荒井姿水(昌子)。その息子も薩摩琵琶奏者の荒井靖水。 父辰治は若い頃警察官だったが、希林が幼稚園の頃は会社勤めをしており、趣味で薩摩琵琶奏者をしていた。警察官時代は神田界隈を管轄としていて、神田神保町でカフェ「東宝」を経営していた母と知り合い結婚する。
望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は… 望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
富樫 練三(とがし れんぞう、1943年1月15日 - )は… 富樫 練三(とがし れんぞう、1943年1月15日 - )は、日本の政治家。元・浦和市議会議員、元・参議院議員。 日本社会事業大学 社会福祉学部を卒業後、旧・浦和市職員組合役員となる。 1971年(昭和46年)、浦和市議会議員選挙に日本共産党から立候補し初当選。6期務めた。 1995年(平成7年)、浦和市長選挙に日本共産党から立候補したが落選。 1996年(平成8年)、衆議院議員総選挙に埼玉県第1区から共産党公認で立候補するが落選。 1998年(平成10年)、参議院議員選挙(埼玉県選挙区)に日本共産党から立候補し初当選。1期務めた。 狭心症のため、2004年(平成16年)に引退。 議員在職中は、BSE対策の国産牛肉買い上げ事業に関して、ハンナングループに対する不透明な助成金の流れを国会で質したことから、同グループによる牛肉偽装事件解明の端緒を開く。
岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2… 岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2015年11月30日)は、日本の作詞家。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、日本大学卒業。兄は浅見光彦ミステリーなどを手掛けた脚本家の岡本克己。 放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期に活躍した。作曲者としての吉田拓郎とのコンビで知られ、森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。 1980年にリリースされた吉田拓郎のアルバム『アジアの片隅で』では、岡本らしいメッセージ性の濃い歌詞を提供している。強烈なメッセージ性を有した表題曲「アジアの片隅で」は12分を超える大作である。 SIONとはデビュー前から交流があり、音楽雑誌の新譜ジャーナルで連載していた『うたのことばが聴こえてくる』でデビュー前のシオンや共同作業中の詞を紹介している。
吉田 國雄(よしだ くにお、1942年1月15日 - )は、… 吉田 國雄(よしだ くにお、1942年1月15日 - )は、日本の電気・電子工学者。元東京工業大学および大阪工業大学教授。工学博士(大阪大学)。大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)元研究員。 専門は、光工学・光量子科学・薄膜光学、レーザー工学(特に高出力レーザーシステム/レーザー核融合プラズマ)・光エレクトロニクス、超精密加工。 1973年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。のちに、工学博士(大阪大学)。名古屋大学プラズマ研究所出向研究員(大出力レーザ機の激光I号機開発担当)などを経て、大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)にて、高出力レーザーシステム/レーザ核融合プラズマ・薄膜光学・超精密加工の研究開発に従事(レーザ核融合研究の第一人者である大阪大学レーザー核融合研究センター創設者・名誉教授の山中千代衛に師事)。
江口 一久(えぐち かずひさ、1942年1月15日 - 20… 江口 一久(えぐち かずひさ、1942年1月15日 - 2008年6月13日)は、日本の民族学者・言語学者。専攻は言語民族学。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。 京都府京都市出身。1965年京都大学文学部言語学科卒業。 1967年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1971年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1974年より国立民族学博物館に勤務し始める。同助手、同助教授、同教授を務め、西アフリカ(主にカメルーン)やフルベ族を中心に研究活動を進めるかたわら、江口自らが村長務める「地球おはなし村」という朗読・音楽活動も行った。2005年3月末をもって国立民族学博物館を定年退職し、同名誉教授。
根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は… 根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は、ドイツ文学者、文芸評論家。横浜国立大学名誉教授。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒、東京大学文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、ボン大学に学ぶ、フンボルト大学、マールブルク大学研究員。東海大学外国語教育センター助教授、文学部助教授、横浜国立大学教育学部助教授、教育学部教授、教育人間科学部教授、2006年定年退職、名誉教授、帝京大学教授、2011年退職。
高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 -… 高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 - )は、俳優、歌手、陶芸家。東京都出身。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。本名は風間 元太郎、旧芸名は高橋 わたる(ワゴンスターズ時代)。 小学校在学中に上高田少年合唱団に参加する。私立育英学院育英中学校を経て、東京都立松原高等学校を卒業し、証券会社に就職するが、約1年で退社。ジャズ喫茶「銀座テネシー」のオーディションで合格しウエスタンバンド「ワゴンスターズ」の専属となった。その後、「スリーファンキーズ」のメンバーとして1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』が発売される。
石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月1… 石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月15日 - 2016年〈平成28年〉11月9日)は、平成時代の政治家。岡山県新見市長。新見市名誉市民。 岡山県新見市出身。1959年(昭和34年)岡山県立新見農業高等学校卒業。1971年(昭和46年)旧・新見市役所に入る。建設課長などを経て、1994年(平成6年)に旧・新見市の市長に就任。3期務めた。 2005年(平成17年)市町合併後、初代の新見市長に就任。 3期目在任中の2016年(平成28年)11月9日、山林での作業中の事故による脳挫傷や外傷性脳内出血などにより、倉敷市内の病院で死去した。叙従四位、旭日中綬章追贈。 市長在任中は地域情報化の推進や子育て支援施策の充実、社会資本施設の整備等に貢献した。
木原 征治(きはら せいじ、1941年1月15日 - 201… 木原 征治(きはら せいじ、1941年1月15日 - 2018年12月4日)は、広島県広島市堀越(現・南区)出身のフィールドホッケー選手・指導者。現役時代のポジションはセンターフォワード(FW)。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック日本代表。元男子代表監督で、2007年9月から男子強化本部長に就任。元日本ホッケー協会副専務理事、常任理事。 昭和30年代に黄金期を築いたホッケーの名門・広島山陽高校の中心フォワードとして在学中、高校選手権、国体の二冠を各1度制覇、進学した早稲田大学でも主力選手として活躍した。早稲田在学中、19歳で1960年ローマオリンピックの日本代表となるがチームは予選リーグで敗退。
田中 二郎(たなか じろう、1941年1月15日 - )は、… 田中 二郎(たなか じろう、1941年1月15日 - )は、日本の生態人類学者、京都大学名誉教授。 京都府出身。1964年、京都大学理学部動物学科卒。1970年、東京大学大学院文化人類学専攻修士課程修了。1974年、「セントラル・カラハリ・ブッシュマン 生態人類学的研究」で京都大学より理学博士の学位を取得。1976年、京都大学霊長類研究所助教授。1981年、弘前大学人文学部教授。1986年、京都大学アフリカ地域研究センター教授。2004年、定年退官、名誉教授。
海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )… 海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )は、フランス文学者、作家。本名は斎藤昌三。法政大学教授を務めた。 富山県高岡市出身。東京大学仏文科卒、同大学院中退。 1968年に本名の斎藤昌三で「拘禁」により文学界新人賞受賞、芥川賞候補、同年「夜への落下」で同候補、1970年海堂昌之名義で「背後の時間」により太宰治賞受賞。 フロベールを専門とし、著作はほぼ本名の斎藤昌三名義で行っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
境 政郎(さかい まさお、1940年(昭和15年)1月15日… 境 政郎(さかい まさお、1940年(昭和15年)1月15日 - )は、日本の実業家。フジテレビ常務取締役、エフシージー総合研究所社長を務めた。 中国大連で生まれ、引き揚げ後は熊本県に移る。 栄光学園中学校・高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)4月フジテレビに入社。最初は『ビジョン討論会』などのディレクター職も経験し、1972年(昭和47年)から80年までは『リビング11』で商品リポーターを務めた。同年編成局調査部に異動となる。 1995年(平成7年)7月経営企画局長、1997年6月取締役に選任され、経営管理本部経営企画室長、1999年6月取締役経営企画・秘書室・法務室担当、法務室長、2000年6月取締役新規事業・IR担当。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
西野 陽(にしの あきら、1940年1月15日 - )は、日… 西野 陽(にしの あきら、1940年1月15日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、経済産業副大臣(第3次小泉改造内閣)、大阪府議会議員(5期)等を歴任。 大阪府出身。大阪府立布施高等学校、関西大学法学部卒業。 1975年4月14日の議員選挙に自由民主党公認で東大阪市選挙区から立候補し、初当選。5期連続で当選し、大阪府議会議長も務めた。 1993年、5期目の任期途中で府議を辞職し、7月18日の第40回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧大阪4区から立候補したが、落選した。のちに自民党を離党し、新進党に入党。 1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙では、大阪13区で11期目の当選をめざす自由民主党総務会長の塩川正十郎を破り、当選した(塩川は比例近畿ブロックとの重複立候補を辞退していたため落選)。
武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15… 武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15日 - 2024年(令和6年)6月8日)は、日本の実業家。武田薬品工業代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を務めた。 父・武田鋭太郎(後に六代目武田長兵衛を襲名)、母・繁子(十代目國分勘兵衛の娘)の三男として兵庫県住吉村(現:神戸市)に生まれる。長兄・彰郎(34年生)、次兄・誠郎(35生)の三兄弟で武田家住吉別邸(銜艸居、現:武田資料館)で育つ(長男は大阪・道修町本邸に住まい後継者として教育を受ける)。1944年甲南幼稚園に入園するが、母と2人で丹波大山に疎開。戦後は、住吉別邸がアメリカ軍によって自宅の3分の2が接収され、同居生活を送る。
萩本 喜彦(はぎもと よしひこ、1940年〈昭和15年〉1月… 萩本 喜彦(はぎもと よしひこ、1940年〈昭和15年〉1月15日 - )は、兵庫県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1975年(昭和50年)4月、兵庫県にて失踪した。失踪当時は35歳であった。彼については、朝鮮労働党連絡部幹部工作員だった金東赫が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)平壌市において非常によく似た人物を目撃したとの証言がある。 1940年〈昭和15年〉1月15日 生まれ。失踪当時は妻と子ども2人とともに兵庫県高砂市に居住し、製鉄会社の電気保全係として勤務していた。身長は165センチメートルで右眉に小さな傷跡があった。 失踪したのは1975年(昭和50年)4月4日のことである。
大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - … 大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者で、現在は番組制作会社・グリーンプロモーション の社長。本名は大野薫久(読み方は同じ)。血液型A型。身長170cm、体重68kg。3人兄妹(妹2人)の長男。 長野県松本市出身。中央大学高等学校中退。 バイタリティーあふれるキャラクターが持ち味。『走れ!ケー100』の伊賀山紋太、『がんばれ!!ロボコン』の大山新太郎(お父さん)役、『びっくり日本新記録』の司会などで一世を風靡した。CMでも活躍し、中でもシヤチハタは長年にわたって出演をした。その後芸能プロダクション『グリーンプロモーション』の面倒を見てくれないかという話があったことから、同社の業務に専念、水野美紀、宮澤寿梨(元ねずみっ子クラブ)を育てたが、1995年に事務所をいったん閉鎖し、休眠会社となる。
岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月… 岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月15日 - )は、日本のポルトガル語研究者、ポルトガル文学研究者。東京外国語大学名誉教授。 東京府出身。旧姓は松尾。東京外国語大学ポルトガル・ブラジル学科卒業。2003年まで東京外国語大学教授。ヴェンセスラウ・デ・モラエスを研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
益田 昭雄(ますだ あきお、1938年1月15日 - )は、… 益田 昭雄(ますだ あきお、1938年1月15日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(投手)。 1970年の「黒い霧事件」にて敗退行為に関与したとして、池永正明らと共に永久追放処分とされた。 山口県立久賀高等学校から社会人野球の山陽特殊製鋼へ進み、1962年の第33回都市対抗野球大会に出場すると2回戦(対日本鉱業日立戦)で石戸四六(日立製作所からの補強選手)と投げ合い完封勝利を収めた。チームは準々決勝まで進出するも東洋レーヨンに敗れた。 同年に読売ジャイアンツへ入団し、1963年に初勝利を含む2勝を挙げる。翌年こそ勝ち星を挙げられなかったが1965年と1966年に4勝を挙げ、1966年の日本シリーズ(対南海ホークス戦)では3勝2敗で迎えた第6戦の先発を任され、皆川睦雄と投げ合い完封勝利を収めた。
浜口 允子(はまぐち のぶこ、1938年1月15日 -202… 浜口 允子(はまぐち のぶこ、1938年1月15日 -2023年3月22日 )は、日本の中国学者。放送大学名誉教授。長野県出身。 1960年にお茶の水女子大学文教育学部史学科を卒業。1972年から1975年には二人の男児を連れて中国・北京に滞在。初期の東京第一学習センターから放送大学と関わり、その後東京世田谷センターに10年勤務したのち、東京世田谷学習センター所長・神奈川学習センター所長を務めた。主に中国についての研究を行った。あまり知られていないが、卒業した 東京都立名門の、東京都立富士高等学校の校歌の作詞は同氏(旧姓:鯨井 時)の作品。2025年現在も歌い継がれている。 故 浜口義曠(元 農林水産省事務次官、日本中央競馬会理事長)は夫。
稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15… 稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(第一東京弁護士会、鳥飼総合法律事務所)。 京都大学法学部卒業。名古屋地方裁判所長、広島高等裁判所長官などを歴任。専門は商法で、法務省(出向)時代には商法改正を手がけた。定年退官後は早稲田大学法科大学院客員教授として商法を担当した。2005年商法改正には批判的で、「企業会計」(58巻6号)では、会社法立案担当者であった郡谷大輔と会社法の主要論点について議論の応酬を繰り広げた。 1960年(昭和35年)に京都大学法学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
伊藤 治夫(いとう はるお、1938年1月15日 - )は日… 伊藤 治夫(いとう はるお、1938年1月15日 - )は日本の国際経済学者。専門は中東経済。 横浜国立大学経済学部卒業後、東洋大学大学院経済学研究科修士課程修了。東急百貨店勤務を経て、日本貿易振興会(JETRO)に勤務し、ベイルート・ジャパン・トレード・センター駐在、海外調査部など主として海外経済の調査活動に従事した。神奈川大学経済学部、横浜国立大学経済学部の非常勤講師を経て、西南学院大学経済学部教授。2009年3月退職。著書に「アラブ経済の旅」「バグダードからアデンまで」「OPEC危機の構造」「中東産油国の工業開発」「中東政治経済論」など この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、… 大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、日本の作家、美術評論家、研究者。 1938年(昭和13年)、日本画家大矢黄鶴の次男として東京に生まれる。7人兄弟の次男で、2歳年長の兄大矢紀、2歳下の弟大矢十四彦も後に日本画家となる。1962年(昭和37年)、早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。在学中から『萌春』など美術雑誌の展覧会評を執筆し、河北倫明らの知遇を得る。日本放送出版協会(NHK出版)に入社。同社で『趣味の園芸』編集長などを経て、美術書の企画・編集にも携わり、取締役美術部長。1977年(昭和52年)の『杉山寧:エジプト幻想行』・『平山郁夫:わが心のシルクロード』を皮切りに河北倫明を監修に刊行を始めた「現代日本画家素描集」シリーズ全20巻は当時、こうした美術書としては空前のヒットとなった。
市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 199… 市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 1997年2月10日)は、舞踊評論家。 東京出身。本名・雅章。東京都立駒場高等学校卒、1960年早稲田大学第一法学部卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学。 この間渡米、1980年には大野一雄の欧米公演に同行、日本の現代舞踊などを海外に紹介する。アジア国際舞踊フェスティバルなどの開催にも尽した。ヴァーツラフ・ニジンスキーについての訳業がある。 93年早大客員教授。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
河野 洋平(こうの ようへい、1937年〈昭和12年〉1月1… 河野 洋平(こうの ようへい、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本の政治家。 衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第118・123-125代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、原子力委員会委員長(第39代)、衆議院議員(14期)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(初代・第3代)を歴任。 2003年(平成15年)から2009年(平成21年)まで日本憲政史上最長(当時)の期間にわたって衆議院議長を務めた。 自由民主党では初となる、総裁に就任したものの内閣総理大臣(首相)を経験できなかった人物である。結党から2026年(令和8年)4月8日(水)現在にいたるまでこの事例となった人物は河野と谷垣禎一の2名のみである。
星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月1… 星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月15日 - 2019年〈令和元年〉9月10日)は、日本の機械工学者、精密工学者。工学博士。豊橋技術科学大学名誉教授、精密工学会名誉会員。 新潟県新潟市の新潟鐵工所新潟工場技師・星光一の長男として出生。 1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1959年(昭和34年)3月に京都大学工学部機械工学科を卒業、1961年(昭和36年)3月に京都大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程を修了。 1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部精密工学科助手に就任、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)までアメリカのペンシルヴァニア州立大学大学院に留学、1965年(昭和40年)4月に京都大学工学部精密工学科助教授に就任、1966年(昭和41年)3月に京都大学から工学博士の学位を取得、1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)までアメリカのカーネギーメロン大学客員准教授、1979年(昭和54年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系教授に就任、1986年(昭和61年)4月に豊橋技術科学大学国際交流会館長に就任、1990年(平成2年)4月に豊橋技術科学大学情報処理センター長に就任、1992年(平成4年)4月に国際協力機構の高等教育開発計画でインドネシアに赴任、1995年(平成7年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系長に就任、1998年(平成10年)4月に豊橋技術科学大学工作センター長に就任、2002年(平成14年)3月に豊橋技術科学大学を定年退官、4月に自宅に星技術研究所を開業、同月に豊橋技術科学大学名誉教授の称号を受称。
伊藤 則旦(いとう のりただ、1937年1月15日 - )は… 伊藤 則旦(いとう のりただ、1937年1月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 愛知県立津島高等学校から1955年に毎日オリオンズに入団。入団した1955年から1958年までの4年間在籍した。
本田 忠彦(ほんだ ただひこ、1937年(昭和12年)1月1… 本田 忠彦(ほんだ ただひこ、1937年(昭和12年)1月15日 - )は、日本の政治家、実業家。元愛知県西尾市長(4期)、元西尾市議会議員(3期)。 愛知県西尾町(現・西尾市上町)生まれ。生家は大正初期創業の春香園製茶工場。父親の本田明治は春香園の経営のかたわら、愛知県議会議員を3期(1951年~1963年)務めた。 1955年(昭和30年)に愛知県立西尾実業高等学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)を卒業したのち、京都府宇治市で修業を積む。 抹茶は飲むだけでなく食用の時代が来ると感じた本田は3代目を継ぐと、製造主体体制から卸販売への転換を図る。1966年(昭和41年)3月に葵製茶有限会社を設立。
コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭… コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。大阪府岸和田市五軒屋町出身。関西大学客員教授、神戸芸術工科大学客員教授、神戸松蔭女子学院大学客員教授。血液型A型。 父は小篠家に婿入りした紳士服職人の川崎武一(かわさき たけいち)(1912 - 1945)。母は同じくファッションデザイナーの小篠綾子。同じくファッションデザイナーの妹コシノジュンコ(小篠順子)、コシノミチコ(小篠美智子)とともに「コシノ三姉妹」として知られる。娘(次女)の小篠ゆまもファッションデザイナーである。長女の小篠由佳は株式会社ヒロココシノの代表取締役社長。
石川 実(いしかわ みのる、1937年1月15日 - 202… 石川 実(いしかわ みのる、1937年1月15日 - 2021年5月20日)は、日本の社会学者。奈良女子大学名誉教授。専門は理論社会学、社会心理学、家族社会学。 島根県益田市出身。島根県立益田高等学校を経て、1965年京都大学文学部哲学科(社会学専攻)卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程(社会学専攻)中退。九州工業大学専任講師・助教授を経て、奈良女子大学助教授。フランス国立科学研究センター(CNRS)社会学研究センター共同研究員(1978年)、スタンフォード大学フーヴァー研究所及び社会学科客員研究員(1978年8月〜1979年3月)。その後、奈良女子大学教授(1986年〜)。2000年に停年退官して名誉教授となり、ノートルダム清心女子大学大学院教授。
片山 襄一(かたやま じょういち、1937年1月15日 - … 片山 襄一(かたやま じょういち、1937年1月15日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学工学部機械工学科元教授。工学博士(東京大学)。 専門は、自動車工学(特に、溶接工学・金属工学・接合工学)。 東京大学大学院工学系研究科にて工学博士。1963年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。機械工学研究室の佐藤次彦・阿部博司らと共に自動車工学におけるボディ薄板構造物の溶接/接合技術・解析に関する研究に従事。助教授などを経て、1991年同学部機械工学科教授。1994年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部機械工学科にて30年以上の長期に渡り教鞭を執り、特に初期の機械工学における自動車産業との共同研究の育成に貢献した。
大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月1… 大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、埼玉県議会議員(2期)、狭山市長(3代)を歴任。狭山市名誉市民。現在は西武文理大学の特命教授である。 埼玉県入間郡入間川町(現・狭山市)に生まれる。大野家は、慶長年間から続く精農家。古くから「花屋」の屋号で知られ、地域からの信頼の厚い旧家であった。1954年3月、埼玉県立川越農業高等学校(現・埼玉県立川越総合高等学校)卒業。以後、家業の農業と資産管理業に従事し、地元の青年団活動にも参加した、1974年1月、狭山市立中央公民館館長。1979年4月、第9回統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に無所属(新自由クラブ推薦)で出馬し初当選。
斎藤 次郎(さいとう じろう 、1936年〈昭和11年〉1月… 斎藤 次郎(さいとう じろう 、1936年〈昭和11年〉1月15日 - )は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵事務次官、東京金融取引所代表取締役社長、日本郵政代表執行役社長を歴任。血液型はA型。 関東州・大連市出身。父親は満鉄調査部に勤務していた。第二次世界大戦終結後の1948年に内地に引揚げ、成城中学校(新宿区)から東京都立新宿高等学校に進学。新宿高校3年次に東京大学旧文科一類(現在の文科一類と文科二類の前身)を受けるも不合格となる。その後は浪人。予備校に通わなかったが、模試では常に5番目になっていた。東京大学法学部第1類(私法コース)時代は3Bという教室に在籍しており、大蔵省同期となる日吉章らがいた。
加藤 法瑛(かとう ほうえい、1936年〈昭和11年〉1月1… 加藤 法瑛(かとう ほうえい、1936年〈昭和11年〉1月15日 - 2009年〈平成21年〉2月8日)は、日本の政治家、真宗大谷派の僧。自由民主党所属。大阪府議会議員、大阪府議会議長 (87代)を歴任。旭日中綬章受章。位階は正五位。 1958年、大谷大学卒業。のちに大阪府茨木市の慈光寺の住職となる。 1991年4月、大阪府議会議員選挙茨木市選挙区 (定数3) で1位で当選。同年5月から1年間、藤井昭三副議長とともに第87代大阪府議会議長を務めた。 1995年4月、大阪府議会議員選挙茨木市選挙区 (定数3) で1位当選し、1999年4月大阪府議会議員選挙 茨木市選挙区 (定数3) で2位当選、2007年12月大阪府選挙管理委員会委員に選挙された。
飯田 隆昭(いいだ たかあき、1936年1月15日 - 20… 飯田 隆昭(いいだ たかあき、1936年1月15日 - 2019年5月12日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はアメリカ文学、特に20世紀の詩。三重大学名誉教授、大東文化大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。三重大学助教授、教授をへて、2001年定年、名誉教授、大東文化大学教授となり、2006年定年退任、名誉教授。 米国20世紀の詩が専門。ウィリアム・S・バロウズ、フィリップ・K・ディックなど、前衛的な文学及びSFの翻訳もした。山形浩生は飯田の翻訳を批判して、飯田訳作品の改訳を行っている。 2019年5月12日、肺がんのため東京都中野区の病院で死去。83歳没。
黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月… 黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月15日 - 2013年〈平成25年〉11月5日[要出典])は、日本のスキー指導者。 群馬県高崎市に生まれる。実家は万座温泉の旅館。群馬県立高崎高等学校を中退。兄の死去により旅館を継ぐために東京・銀座の料亭で修業し四条流庖丁式を身に付け、ふぐ調理師資格を取得した。 1958年(昭和33年)に万座を訪れたオーストリアのルディ・マット(ドイツ語版)のスキー術に感銘を受けスキー指導者を志す。オーストリアに留学し、シュテファン・クルッケンハウザー(ドイツ語版)に師事。1966年(昭和41年)に杉山進に次いで日本人2人目となるオーストリア国家検定スキー教師の資格を得る。
梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高… 梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高裁判所裁判官。弁護士。梶谷綜合法律事務所最高顧問。第一東京弁護士会会長や日弁連副会長を歴任。会社法や破産法に精通。 父は梶谷丈夫(第一東京弁護士会元会長、日弁連元副会長)で、日弁連元会長の梶谷剛は実弟[要検証 – ノート]。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日… 板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日 - 2017年(平成29年)4月28日)は、日本の法学者・弁護士。専門は刑法。学位は、法学博士(東京大学)。日本大学名誉教授。長男の板倉宏昭は、経営学者で東京都公立大学法人東京都立産業技術大学院大学教授。 神奈川県立湘南高等学校(同級生に佐々木信也・西村正雄がいる)を経て、東京大学法学部卒業。同大学院社会科学研究科博士課程(民刑事法学専攻)修了。司法試験第2次試験合格。団藤重光に師事し、1961年(昭和36年)3月、東京大学から『租税刑法の基本問題』により博士号取得。 1970年に日本大学法学部教授に就任、これ以後は法学部法学研究所所長・司法研究所所長・法科大学院教授等を歴任して2009年に日本大学名誉教授。
山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 20… 山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 2001年3月6日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 市川工業高校を卒業後、立教大学に進むも3年で中退し、1953年に毎日オリオンズへ入団。1年目は6試合しか試合に出場できず、1954年に高橋ユニオンズへ1年で移籍となった。 移籍したユニオンズでは131試合に出場し打率は.251と振るわなかったが主力として活躍した。翌年も136試合に出場し打率も.296と翌年よりも成績は上昇した。この年はオールスターゲームにも初選出された。1957年に東映フライヤーズに移籍し、1958年に現役引退した。 2001年3月6日68歳にて白血病により病没。
青山 俊董(あおやま しゅんどう、1933年〈昭和8年〉1月… 青山 俊董(あおやま しゅんどう、1933年〈昭和8年〉1月15日 - )は、曹洞宗の尼僧。澤木興道、内山興正、余語翠巖らに師事した。 大本山總持寺西堂(2022年〜)。愛知専門尼僧堂堂長(1976年〜)。塩尻市の曹洞宗無量寺住職(1975年〜2006年)、以降東堂。 昭和8年(1933年)、愛知県一宮市の在家(農家)の生まれ。母が妊娠・出産した際、御講の場において、御嶽教の先達であった祖父から、生まれてくる子は将来出家するであろうとの予言(神託)があったとされる。 昭和12年(1937年)4月8日、数え年5歳(満4歳)の時、実家・両親から離れ、長野県塩尻市の無量庵(昭和17年に「無量寺」となる)に入門する。