門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6… 門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6月16日 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。YouTuber。本名は門脇 護(かどわき まもる)。 高知県安芸市出身。土佐中学校・高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。 1983年4月、新潮社入社。『週刊新潮』に配属される。神戸連続児童殺傷事件では被害者遺族の手記を発掘するなどした。2002年10月から『週刊新潮』に「裁判官がおかしい!」を連載、後にそれを大幅に加筆して『裁判官が日本を滅ぼす』を新潮社から刊行している。同書では、小野悦男が1996年に殺人容疑で逮捕されて有罪が確定した足立区首なし殺人事件について、以前に逮捕されていた松戸OL殺人事件を逆転無罪とした東京高裁の裁判官を「無罪病」と論評している。
野上 友一(のがみ ともかず、1958年6月16日 - )は… 野上 友一(のがみ ともかず、1958年6月16日 - )は、日本のラグビー指導者。元常翔学園高校ラグビー部監督。 大阪ラグビースクール出身。 大阪工大高(現・常翔学園高校)卒業後、大阪経済大学、京都市役所を経て、大阪工大高のラグビー部コーチに就任。1990年度に監督に就任。2007年度(校名変更前最終年度)を以って一旦退任するが、2011年度より復帰。しかし2022年9月に、部員3人の盗撮行為があったことの責任を取り辞任。同校コーチの白木繁之を後任に自身はゼネラルマネジャーとしてサポートに就く。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
東陽 片岡(とうよう かたおか、1958年6月16日 -)は… 東陽 片岡(とうよう かたおか、1958年6月16日 -)は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都板橋区出身。 多摩美術大学美術学部デザイン科卒業後、雑誌のデザイナーをしていたが、並行して個人漫画のミニコミを発行。その特異さと完成度の高さから、評判になる。1994年、雑誌「ガロ」に投稿し入選。「長井勝一が選んだ最後の新人」とされる。 「東陽片岡」というペンネームの由来は、彼が夢で渡された名刺にあった名前だという。 四谷三丁目のスナック「秋田ぶるうす」のマスターを務めている。 昭和を感じさせる、下町に暮らす人々とその生活をテーマとして、下品とシュールを織り交ぜたエロ・グロ・ナンセンスでありながら、ダウナーで妙にリアリティを感じさせる独自の世界を描いている。
礒 正人(いそ まさと、1958年6月16日 - )は、日本… 礒 正人(いそ まさと、1958年6月16日 - )は、日本の外交官。内閣衛星情報センター分析部長、デュッセルドルフ総領事等を経て、駐クロアチア特命全権大使を務めた。 東京都出身。高校でドイツ語の勉強を始め、奨学金を得て1年間ドイツの大学に留学した。1984年東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業。同年に外務省入省後、ドイツで2年間研修を受ける。2002年ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒業、修士。 外務省中・東欧課首席事務官、在ベルギー日本国大使館参事官等を経て、2004年外務省大臣官房領事移住部旅券課長。2005年欧州復興開発銀行(EBRD)理事代理。2007年内閣官房内閣情報調査室内閣衛星情報センター管理部総務課長。
茂本 ヒデキチ(しげもと - 、1957年6月16日 - )… 茂本 ヒデキチ(しげもと - 、1957年6月16日 - )は愛媛県松山市出身のイラストレーターである。 今までにない墨絵イラストで話題に1985年フリーになる1991年にはミュージックマガジンの表紙担当、雑誌の表紙だけでなく、ポスター・広告・イベント・国内だけでなく海外の個展で活躍している。 12月中に退院。2014年3月に仕事復帰。第一弾はサッポロビールの「軍師官兵衛」の墨絵ラベルの発表だった。
藤田 進(ふじた すすむ、1956年〈昭和31年〉6月16日… 藤田 進(ふじた すすむ、1956年〈昭和31年〉6月16日 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる日本男性。特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。 小学生時代には競泳の全国大会で活躍し、川口市立川口西中学校では生徒会長を務めた、学業優秀でスポーツ万能な生徒であった。高校は、県下有数の進学校として知られる埼玉県立浦和高等学校に進んだ。妻を早くに失い、進、隆司の2人の男子を男手1つで育てた父の春之助にとっては自慢の息子であったが、進が失踪してからは、育て方を間違えたのではないかと苦悶することもあったという。家庭では寡黙なタイプであり、特技はギターを演奏することであった。
迫田 朋子(さこた ともこ、旧姓:丸山(まるやま)、1956… 迫田 朋子(さこた ともこ、旧姓:丸山(まるやま)、1956年6月16日 - )は、日本のジャーナリスト。ビデオニュース・ドットコム所属。元NHK放送総局番組制作局教育番組センター・チーフディレクター、解説委員、アナウンサー。 神奈川県横浜市出身。中学・高校時代は卓球の選手だった。東京学芸大学附属高等学校、東京大学医学部保健学科卒業。大学卒業後、1980年にアナウンサーとしてNHKに入局。報道番組のキャスターなどを務めた。 その後人事異動により解説委員室に移籍。『あすを読む』、『NHKニュースおはよう日本』など、解説委員室が制作にかかわる番組で医療や社会福祉、教育問題に鋭いメスを入れた解説を行っていた。
池田 光穂(いけだ みつほ、1956年6月16日 - )は、… 池田 光穂(いけだ みつほ、1956年6月16日 - )は、日本の文化人類学者。大阪府出身。専門領域は、中央アメリカの民族誌研究と医療人類学。 医療人類学(文化人類学)、中米民族誌学、エコツーリズム研究、科学人類学、先住民運動研究、多文化共生を可能にする社会状況下における医療・福祉サービスのあり方、臨床コミュニケーション・ヘルスコミュニケーション、狗類学(こうるいがく)研究、ほか。 医療人類学の定義は、池田光穂によると「医学と人類学を架橋(ブリッジ)する学問を医療人類学(medical anthropology)」としている。
藤原 帰一(ふじわら きいち、1956年(昭和31年)6月1… 藤原 帰一(ふじわら きいち、1956年(昭和31年)6月16日 - )は、日本の政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は国際政治学、比較政治学、フィリピン政治研究。
原雅彦(はら まさひこ、1956年6月16日 - )は日本の… 原雅彦(はら まさひこ、1956年6月16日 - )は日本の財務官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、大阪税関長、日本政策金融公庫常務取締役、オリックス銀行副社長などを務めた。 長野県出身。東京大学法学部卒業。1979年 大蔵省入省(銀行局調査課)。1984年7月 西尾税務署長。1990年7月 関税局輸入課長補佐。1996年7月 大臣官房文書課広報室長。1997年7月 主計局主計企画官(財政計画担当)。1998年7月 主計局給与課長。1999年1月 主計局給与課長兼大臣官房企画官兼金融企画局企画課。同年7月 主計局主計官(総理府、司法・警察担当)。2000年7月 主計局主計官(文部科学担当)。2001年1月6日 財務省主計局主計官(文部科学担当)。
竹口 幸紀(たけぐち ゆきのり、1955年6月16日 - )… 竹口 幸紀(たけぐち ゆきのり、1955年6月16日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 北海高等学校では、上手から投げおろす本格派。落差の大きなドロップやシュートが武器で、1試合平均10奪三振をマークしていた。2年秋の全道大会では準決勝で先発したが降板後にチームは延長15回の末に惜敗。翌春の全道大会では先発の機会はなかったが決勝ではエース・佐藤博正を擁する兄弟校の札幌商と対戦、救援登板して優勝に貢献。同年夏の大会はチームの不祥事で1年間の活動停止により出場辞退。 1973年のドラフトで日本ハムファイターズから6位で指名され入団。日本ハムを1975年に自由契約となり、ヤクルトスワローズに入団したが、一軍公式戦に出場することはなく、1976年引退した。
Char(チャー、1955年〈昭和30年〉6月16日 - )… Char(チャー、1955年〈昭和30年〉6月16日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。 サテライト・サービス放送番組審議会の委員でもある。本名:竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。 耳鼻咽喉科・眼科の開業医を母に持つ。7歳でピアノを習い始め、兄の影響から8歳でギターを手にする。本人曰く18歳までピアノを継続し、将来は音楽大学を志望していたとのこと。 ザ・ベンチャーズ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスのポスターを指差したというエピソードがある。
本田 宏(ほんだ ひろし、1954年〈昭和29年〉6月16日… 本田 宏(ほんだ ひろし、1954年〈昭和29年〉6月16日 - )は、日本の医師。前埼玉県済生会栗橋病院院長補佐。NPO法人医療制度研究会理事長。弘前大学医学部非常勤講師、日本医学会連合労働環境検討委員会委員(2017.6〜2021.6)。 医師不足など、日本の医療の現状を訴える講演活動を行っている。 1954年、福島県に生まれる。3歳まで二本松町で過ごす。1973年、福島県立安積高等学校を卒業。1979年に弘前大学医学部を卒業し、同第1外科に入局。その後東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科に移り、腎移植、肝移植の研究に携わる。1989年、埼玉県済生会栗橋病院に外科部長として赴任し、2001年より同病院副院長に就任。
岡江 多紀(おかえ たき、1953年6月16日 -)は、日本… 岡江 多紀(おかえ たき、1953年6月16日 -)は、日本の作家、推理作家、官能小説家。本名・佐久間妙子。 神奈川県生まれ。早稲田大学文学部卒業。 1979年、「夜更けにスローダンス」で小説現代新人賞受賞(下半期)。1984年、初の単行本『夜はシルクの肌ざわり』を刊行。以後、推理小説・官能小説を執筆する。『鑑定主文』では刑法第39条の問題を扱った。
成生達彦(なりう たつひこ、1952年6月16日 - )は、… 成生達彦(なりう たつひこ、1952年6月16日 - )は、日本の経済学者。学位は、博士(経済学)(京都大学・論文博士・1994年)。京都大学名誉教授、同志社大学特別客員教授。元日本応用経済学会会長。 東京都生まれ。横浜国立大学経済学部卒、同大学院修士課程修了、ノースカロライナ州立大学人文・社会科学研究科博士課程修了、Ph.D.を取得。 1981年南山大学経営学部助手、1982年講師、1986年助教授、1994年教授、1998年京都大学大学院経済学研究科教授。のち同経営管理研究部教授となる。1994年京都大学から「流通の経済理論」で博士(経済学)の学位を取得。1995年『流通の経済理論』で日本商業学会優秀賞、経営科学文献賞受賞。
柏女 霊峰(かしわめ れいほう、1952年6月16日 - )… 柏女 霊峰(かしわめ れいほう、1952年6月16日 - )は、日本の教育心理学者・児童福祉学者、浄土真宗僧侶、淑徳大学名誉教授。 臨床心理士、日本子ども家庭総合研究所子ども家庭政策研究担当部長、社会保障審議会臨時委員・社会的養護専門委員会委員長、東京都児童福祉審議会専門部会長、石川県顧問、浦安市専門委員など。 福岡県生まれ。1976年東京大学教育学部教育心理学科卒業。千葉県児童相談所心理判定員。1986年厚生省児童家庭局企画課、1991年児童福祉専門官。1994年淑徳大学社会学部助教授、1997年総合福祉学部教授。2023年同特任教授。2025年3月同大を退職。
森下 一仁(もりした かつひと、1951年6月16日 - )… 森下 一仁(もりした かつひと、1951年6月16日 - )は、日本の作家。SF作家、評論家。 高知学芸高等学校卒業。在学中にSF研究会を創立、一年後輩のメンバーに宮脇孝雄がいた。東京大学文学部心理学科卒。在学中は、東大SF研究会、一の日会等に参加。 高知放送に勤務し制作、報道などの仕事を経験する。1978年末に退社し上京。1979年短編『プアプア』で『SFマガジン』よりデビュー。 『SFアドベンチャー』の「森下一仁のショートノベル塾」には、森岡浩之、北野勇作、井上雅彦、鯨統一郎などの常連投稿者がいた。また、川又千秋をひきついで講師をしていた空想小説ワークショップからは浅暮三文、深堀骨がデビューしている。
酒井 光治(さかい こうじ、1951年6月16日 - )は、… 酒井 光治(さかい こうじ、1951年6月16日 - )は、日本の元俳優。北海道出身。専修大学卒。オフィスカレント、ケイティーに所属していた。特技は長唄、ダイビング。旧芸名は尾井 治安(おい ちあん)。 2019年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。
相澤 雅憲(あいはら まさとし、1951年(昭和26年)6月… 相澤 雅憲(あいはら まさとし、1951年(昭和26年)6月16日 - )は、日本の実業家。昭和電線ホールディングス株式会社元社長。
石橋 寛久(いしばし ひろひさ、1950年(昭和25年)6月… 石橋 寛久(いしばし ひろひさ、1950年(昭和25年)6月16日 - )は、日本の政治家。元愛媛県宇和島市長(新市と旧市あわせて5期)。元宇和島市議会議員(2期)。 弟は元愛媛FC総監督で愛光学園教諭の石橋智之。 愛媛県宇和島市栄町港出身。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、北海道大学農学部卒業。同年10月、兼松江商株式会社(現・兼松株式会社)に就職。 1995年(平成7年)、宇和島市議会議員選挙に出馬し、初当選。同市議は2期務める。 2001年(平成13年)1月、宇和島市長(旧市)選挙に出馬し、初当選。2005年(平成17年)1月の市長選で2期目の当選。同年2月、市長に就任。
林 裕二(はやし ゆうじ、1950年〈昭和25年〉6月16日… 林 裕二(はやし ゆうじ、1950年〈昭和25年〉6月16日 - )は、日本の政治家。元福岡県朝倉市長(2期)、元福岡県議会議員(7期)。 福岡県朝倉郡朝倉町(現・朝倉市)に生まれる。父親は医師で、地元で「赤ひげ先生」のように慕われた朝倉診療所の所長だった。3浪して九州大学教育学部へ入学。さらに2年留年して1978年(昭和53年)3月に卒業。アルバイト生活をしていた頃、甘木市(現・朝倉市)で保育園の設置計画が進んでいた。父親を信頼する人々から要請を受けて青梅保育園長(朝倉市)になった。 甘木市・朝倉町・杷木町・夜須町・三輪町・小石原村・宝珠山村の「1市4町2村」の広域連携を図るサミットを中心になって企画。
高橋 幸春(たかはし ゆきはる、1950年6月16日 - )… 高橋 幸春(たかはし ゆきはる、1950年6月16日 - )は、日本のノンフィクション作家・小説家。埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 大学卒業後、ブラジルへ移住。1975年から3年間、サンパウロで発行されている邦字新聞パウリスタ新聞社(現・ニッケイ新聞社)勤務。1978年に帰国後、高橋幸春のペンネームでノンフィクションを執筆。2000年から麻野 涼のペンネームで小説も執筆している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加藤 哲夫(かとう てつお、1949年6月16日 - 202… 加藤 哲夫(かとう てつお、1949年6月16日 - 2024年12月14日)は、日本の法学者(倒産処理法・民事訴訟法)、弁護士。前早稲田大学大学院法務研究科教授。東京都渋谷区出身。指導教授は櫻井孝一。 東京都出身。1968年東京都立青山高等学校卒業、1972年早稲田大学第一法学部卒業、1977年早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、1977年早稲田大学法学部専任講師、1979年早稲田大学法学部助教授を経て、1984年早稲田大学法学部教授。また、2002年から2006年まで早稲田大学法学部長。ロースクールと学部を兼任。法学部では、倒産法ゼミの他に、民事訴訟法ゼミも担当しており、いずれも高倍率の学生からの人気が高いゼミとなっていた。
廣瀬 克巨(ひろせ かつひろ、1949年6月16日 - 20… 廣瀬 克巨(ひろせ かつひろ、1949年6月16日 - 2013年8月26日)は、日本の法学者。専門は民法。中央大学名誉教授。神田博司に師事。 1973年3月中央大学法学部法律学科卒業。 1973年4月中央大学法学部助手。1978年4月中央大学法学部助教授。日本比較法研究所員。1986年4月中央大学法学部教授。その後、日本比較法研究所副所長。2013年8月26日、中央大学在職中に逝去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
田島 伸一(たじま しんいち、1949年6月16日 - )は… 田島 伸一(たじま しんいち、1949年6月16日 - )は、日本の実業家。株式会社JALUX代表取締役社長を務めた。 東京大学経済学部卒業後、日本航空に入社した。同社上海支店長、株式会社JALナビア福岡 代表取締役社長などを経て、2009年6月より株式会社JALUX代表取締役社長 社長執行役員。社長退任後は信友インターナショナル株式会社特別顧問、朝日工業株式会社取締役を務める。
ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - … ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - )は、日本の詩人、小説家。本名は禰寝 正一(読みは同じ)。東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並第四小学校、杉並区立高円寺中学校、日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。俳人としての俳号は、エンジン。 父は俳人のねじめ正也。長男は俳優のねじめ宗吾(ねじめ そうご、本名:禰寝宗吾)。長女は脚本家のねじめ彩木(ねじめ さえき)。 高円寺北口商店街の乾物屋の長男として生まれる。1966年に乾物屋が廃業し、父正也が美術・骨董を趣味としていたことから民芸店「ねじめ民芸店」を開店する。1972年に区画整理による立ち退きに遭い、阿佐ヶ谷・パール商店街に移転。
武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、… 武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、男性、1947年6月16日 - )は、日本の漫画原作者。血液型はO型。別ペンネームは史村 翔(ふみむら しょう)。 代表作に『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』など多数。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)出身。 貧しい農家の末っ子で、佐久市立野沢中学校を卒業後、家庭の事情などもあり高校へは進学しなかった。 15歳の時に自衛隊生徒として熊谷基地の航空自衛隊に入隊。自衛隊時代は三等空曹として福岡県と佐賀県の境にある航空自衛隊背振山レーダー基地に勤務。よど号事件発生時にもレーダーの運用を行っていた。 7年間在職した自衛隊を除隊後、コンピュータの専門学校に通ったが、1971年の暮れ頃、自衛隊生徒時代の同期であった本宮ひろ志の仕事場にアシスタントとして転がり込む。
安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 20… 安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 2013年12月5日)は日本の実業家、政治家(沖縄県副知事)。沖縄県名護市屋我地出身。 1947年(昭和22年)6月16日生まれ。 那覇商業高校(現:沖縄県立那覇商業高校)、商業実務専門学校卒業。1967年、琉球石油(現:りゅうせき)に入社。1987年、りゅうせきビジネスサービス設立に参画。1993年、りゅうせき社長、その後専務などを経て2006年からりゅうせき副社長。また、1996年には県経営者協会の女性リーダー部会を立ち上げた。2007年から4年間沖縄県副知事を務めた。 2013年12月5日11時40分、心不全により死去。享年66歳。
齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月… 齊藤 光喜(さいとう みつよし、1946年(昭和21年)6月16日 - )は、日本の政治家。秋田県前湯沢市長(2期)。元湯沢市議会議員(2期)、元稲川町議会議員(3期)。 秋田県稲川町(現・湯沢市)生まれ。秋田県立湯沢高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、中央大学商学部商業貿易学科卒業。同年4月、財団法人東京都ユースホステル協会に就職。 1978年(昭和53年)4月、株式会社稲庭うどん販売を設立。1989年(平成元年)4月、同社の専務取締役に就任。 1996年(平成8年)4月、稲川町議会議員選挙に初当選。 2005年(平成17年)3月22日 - 旧湯沢市・雄勝町・稲川町・皆瀬村が合併し、新市制の湯沢市が誕生。
萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、… 萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。静岡県出身。血液型A型。 疎開先の福島県信夫郡信夫村(現在の福島市)で生まれた。戦後、そこから一家は東京に戻ろうとしたが、まだ焼け野原だったため、埼玉県浦和に引っ越す。 両親はともに静岡の生まれで、家業は電子部品を作る会社の経営で、家は東京の大森にあった。 父は音楽には興味はなかったが、母は琴を弾き、11才年の離れた兄は、自分で電蓄を作り、ベートーヴェンやモーツァルトのレコードを聴いていた。上の姉はピアノを習っていたので、自宅にはピアノがあったが、幼少期の音楽体験はなかった。 中学校に入りブラスバンドの応援で打楽器を担当し、その後正式部員となり3年に進級する際、先生から「(管楽器の)トランペットとホルンとチューバの欠員が出たので、どれかやってみないか」と言われ、チューバだけ音が出せたので、担当した。
櫻井 眞(さくらい まこと、1946年6月16日 - )は、… 櫻井 眞(さくらい まこと、1946年6月16日 - )は、日本のエコノミスト。学位は、経済学修士(東京大学・1972年)。サクライ・アソシエイト国際金融研究センター代表。新字体で桜井 真(さくらい まこと)とも表記される。 日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)海外投資研究所調査研究グループ・開発経済グループ主任研究員、株式会社大正海上基礎研究所研究部部長・主席研究員、三井海上投資顧問株式会社取締役、株式会社三井海上基礎研究所国際金融研究センター所長、日本銀行政策委員会審議委員などを歴任した。 1946年6月16日生まれ、東京都出身。中央大学に進学し、経済学部にて学んだ。1970年3月、中央大学を卒業した。
遠藤 隆二(えんどう りゅうじ、1946年6月16日 - )… 遠藤 隆二(えんどう りゅうじ、1946年6月16日 - )は、日本の教育者、東京都立小石川中等教育学校校長(初代)、東京都立小石川高等学校校長(19代)、鎌倉女子大学教授。 1946年生まれ。福島県立会津高等学校、早稲田大学教育学部卒業後、東京都立三宅高等学校教諭。以後、数校の高校教諭を経て、1991年東京都教育委員会指導主事、1995同主任指導主事、1998年同試験室長。2000年東京都立飛鳥高等学校校長。2004東京都立小石川高等学校長(兼務:文京地区中高一貫6年制学校開設準備担当校長)。2005年東京都立小石川中等教育学校校長。2007年東京都を定年退職したのち、鎌倉女子大学教授。
重松 敏則(しげまつ としのり、1945年6月16日 - 2… 重松 敏則(しげまつ としのり、1945年6月16日 - 2016年8月22日)は日本の造園家。九州大学名誉教授、NPO法人日本環境保全ボランティアネットワーク(JCVN)理事長。農学博士。自然環境復元学会九州支部長、NPO法人自然環境復元協会理事。愛媛県生まれ。 2016年8月22日、慢性呼吸不全急性増悪のため死去。
西村 貞一(にしむら ていいち、1945年6月16日 - )… 西村 貞一(にしむら ていいち、1945年6月16日 - )は、日本の経営者。サクラクレパス会長を務めている。大阪府茨木市出身。サクラクレパス社長西村俊一の長男。 1968年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にコクヨに入社。1971年3月にサクラクレパスに移り、1974年に取締役に就任し、1976年に常務を経て、1981年に社長に就任。2014年に会長に就任。2005年11月から2020年10月までに大阪商工会議所副会頭を務めた。 2023年2月、大阪維新の会の対抗組織として政治団体「アップデートおおさか」を設立した。
小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 -… 小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 - )は、神奈川県横浜市中区出身の元社会人野球選手(捕手)で日本の高校野球指導者。 小学4年生から野球を始める。ポジションは当初、内野手や投手など色々してきたが、最終的に捕手となった。横浜市立大鳥中学校を経て法政二高の進学を目指したが、同校硬式野球部監督の田丸仁からユニフォームは着ることは出来るがレギュラーは難しいと言われた事から中学時代の監督に勧められて、横浜高校(以降:横浜)に進学し、硬式野球部に入部した。横浜の同期には渡辺元(現:渡辺元智)がいる。現役時代は甲子園の出場は叶わなかったものの県大会で準優勝を果たした。 高校卒業後、東京農業大学を経て、三菱自動車に入社。
木本 保平(きもと やすひら、1944年(昭和19年)6月1… 木本 保平(きもと やすひら、1944年(昭和19年)6月16日 - )は、日本の政治家。大阪府茨木市長(1期)、茨木市議会議長(第41・48・53代)、茨木市議会議員(11期)、大阪維新の会茨木市支部顧問を歴任した。 大阪府立茨木高等学校、関西大学文学部新聞学科卒業。 1971年、茨木市議会議員補欠選挙に出馬し、初当選。以後11期にわたり茨木市議会議員に連続当選し、3度にわたり市議会議長を務める。初当選時は無所属であったが、1977年に自由民主党に入党し、2004年から党大阪府連茨木支部長を務めた。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に、市議を辞職して大阪府第9区から無所属で出馬。立候補者6人中得票数4位で、供託金没収は免れたものの落選。
靑葉 昌幸(あおば よしゆき、1942年6月16日 - )は… 靑葉 昌幸(あおば よしゆき、1942年6月16日 - )は、現在の埼玉県秩父市(旧大田村)出身の陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。埼玉県立秩父農工卒業。日本大学卒業。埼玉県庁を経て、大東文化大学陸上競技部監督、スポーツ・健康科学部教授を歴任。関東学生陸上競技連盟名誉会長。青の字体は、「靑」が正しい。 日本大学在籍時は、1964年日本選手権3000mSCで優勝、翌1965年の同大会では1500mで優勝するなど活躍。 また、箱根駅伝にも出場し、第42回大会では1区を区間3位で走っている。 その後埼玉県庁を経て、1968年(昭和43年)4月から大東文化大学陸上競技部監督に就任。就任1年目で迎えた第45回箱根駅伝では2度目の出場ながら初めてシード権を獲得。
真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16… 真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉1月2日)は、日本の漫画原作者・小説家・空手家。本名:高森 真土(たかもり まつち)。 世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期に手がけていた。 ペンネームは、高森3兄弟の本名の構成漢字を組み合わせる案を梶原が出し、これに従ったという。すなわち、梶原の「朝樹」と「真土」から1字ずつとって姓を「真樹」とし、下の名は三男の名「日佐志」を基に「志」を語呂良く「夫」に置き換えたものである。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は… 丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は、愛媛県宇和島市出身の日本の女優。 愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
堀籠 幸男(ほりごめ ゆきお、1940年6月16日 - )は… 堀籠 幸男(ほりごめ ゆきお、1940年6月16日 - )は、元最高裁判所判事(2005年5月17日 -2010年6月15日 )。
山家 悠紀夫(やんべ ゆきお、1940年6月16日 - )は… 山家 悠紀夫(やんべ ゆきお、1940年6月16日 - )は、日本の経済学者。 1964年、神戸大学経済学部卒業。第一銀行に入行。1982年、第一勧業銀行虎ノ門支店副支店長に就任。1994年、第一勧銀総合研究所専務理事に就任。2001年、神戸大学大学院経済学研究科教授( - 2003年)。 ケインズ派の経済学者であり、小泉政権の新自由主義に基づく構造改革を批判している。 女性史研究者の山家悠平は子。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし… 山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし)、1939年〈昭和14年〉6月16日 - )は、日本の映画監督、タレント、俳優、リポーター。東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。愛称は「カントク」。サングラスにちょび髭がトレードマーク。口癖は「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」。現在、毒蝮三太夫が所属するまむしプロダクションと業務提携をしている。 神田生まれの江戸っ子ということもあり、中学時代から落語が好きで寄席に通っていた。早稲田高等学校を経て、1963年に日本大学芸術学部演劇学科に入学。学生運動が激しかった時代だが、山本は当時、右翼学生の立場だったという。後に視野が広がり、左派的な平和主義の立場にかわっている。
佐藤 照子(さとう てるこ、1938年6月16日 - 200… 佐藤 照子(さとう てるこ、1938年6月16日 - 2004年6月15日)は、日本の教育者。 埼玉短期大学学長、花咲徳栄高等学校校長を務めた。 東京都中央区出身。大妻高等学校、大妻女子大学家政学部家政学科卒業。夫は学校法人佐藤栄学園理事長の佐藤栄太郎(2008年死去)。息子は同学園の二代目理事長の佐藤孝司(2012年死去)。 結婚後は夫と共に学園運営に携わったほか、運営する学校の校歌や応援歌・賛歌の作詞をした。1996年11月14日に埼玉県知事に表彰、1997年12月1日に文部大臣に表彰される。2001年5月15日に藍綬褒章を受章。 2004年6月15日に脳梗塞のため65歳で死去。同年7月18日に自身が校長を務めていた花咲徳栄高校で「学園葬」が執り行われた。
安部大就(あべ だいしゅう、1938年(昭和13年)6月16… 安部大就(あべ だいしゅう、1938年(昭和13年)6月16日-1998年(平成10年)9月6日)は、日本の造園学者。大阪府立大学教授、関西大学工学部・大阪市立大学工学部等の非常勤講師、日本造園学会会長などを歴任。緑地計画の分野に関し学術上と実用上極めて優れた多くの研究を完成し大いに社会に貢献するとともに、多年に渡り大学教育・研究に邁進し多くの後進を育成する。[大言壮語的]農学博士(九州大学)。広島県生まれ。 1963年、大阪府立大学農学部園芸学科卒業。1965年、大阪府立大学大学院農学研究科園芸農学専攻修士課程修了。 1965年、大阪府立大学農学部緑地計画工学講座助手。1972年、大阪府立大学農学部講師。
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 -… 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父。 なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。 5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日… 吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日 - 2006年(平成18年)2月7日)は、日本の作曲家。北海道生まれ。ムード歌謡を中心に2000余曲を手掛けた。 北海道遠軽高等学校卒業。高校時代は吹奏楽部に所属。札幌市内で歌謡教室を営む傍ら作曲活動にも励み、1973年(昭和48年)に秋庭豊とアローナイツのために『中の島ブルース』を提供。 同曲の人気が有線放送を介して全国区になったため、1975年(昭和50年)には補作してアローナイツをメジャー・デビューさせると同時に、内山田洋とクール・ファイブと競作させ、ミリオンセラーの定番に育て上げた。 2006年(平成18年)2月7日に胃癌のため死去 。
桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )… 桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )は、日本の女優。本名は臼井 真琴。静岡県賀茂郡出身。静岡県立下田南高等学校卒業。 高校2年生の時に「ミス丹後ちりめん」のコンテストに応募して入選。そしてたまたま、地元の伊豆にロケに来ていた映画監督の松田定次がタクシーの運転手からこの話を聞き付けたことで桜町本人と会い、1956年に東映ニューフェイスの第3期生として迎える形で東映入りした。同期には里見浩太朗・大川恵子・大村文武らがいた。1957年、大友柳太朗・美空ひばり・大川橋蔵主演『大江戸喧嘩纏』に、松原 千浪の名で映画デビュー。 同年の『ふたり大名』から桜町 弘子に改名、以後丘さとみ・大川恵子らと東映三人娘として活躍。
長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月1… 長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月16日 - 2019年〈平成31年〉4月17日)は、日本の建築史家、建築評論家。武蔵野美術大学名誉教授。建築学会賞受賞。島根県旧八束郡玉湯村(現松江市)出身。長男は俳優の長谷川博己。 島根県八束郡玉湯村(現松江市)に生まれる。生家は玉造温泉の老舗旅館『保性館』を営んでいた(現在は経営権をホテルマネージメントインターナショナルに譲渡)。島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後上京、早稲田大学第一文学部で美術史を専攻、卒業論文でミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエらを論じ、1960年同大学卒業後、卒業論文が雑誌『国際建築』(第27巻8号・1960年8月号)に掲載され、評論活動をスタートする。
今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月… 今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月16日 - 2009年(平成21年)1月8日)は日本の経済学者、政治学者。創価大学名誉教授。 1937年(昭和12年)6月16日、兵庫県姫路市に生まれる。1955年(昭和35年)に法政大学法学部を卒業し、アジア経済研究所に入る。1965年(昭和45年)からタイ・バンコクに派遣され(-1966年(昭和46年))、1973年(昭和48年)からブルッキングス研究所に派遣される(-1975年(昭和50年))。 1984年(昭和59年)に動向分析部長、1985年(昭和60年)に調査企画室長、1988年(昭和63年)に総務部長を務める。1989年(平成元年)に創価大学経済学部教授に就任し、1993年(平成5年)、同大アジア研究所長を務める。