沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12… 沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12月18日 - )はイラストレーター、エッセイスト、絵本作家。愛知県名古屋市出身。さわのひとし名義でも活動している。椎名誠の著書ほか数多くの本の挿絵を担当。 千葉県千葉市立千葉高等学校では椎名誠と同級生であった。法政大学に進学するが中退。 20代で椎名誠、木村晋介らと克美荘での共同生活に参加する。こぐま社に15年間の勤務の後、独立。 椎名、目黒考二らが雑誌「本の雑誌」を創刊後は、その表紙・本文イラストを一手に引き受けている。 その細長い手足や目付きなどから、椎名誠や目黒考二などの友人からは、ワニ目画伯と呼ばれている。 第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。
香川 征(かがわ すすむ、1944年12月18日 - 202… 香川 征(かがわ すすむ、1944年12月18日 - 2021年4月7日 )は、日本の医学者。徳島大学名誉教授。元国立大学法人徳島大学長。専門は泌尿器科学。香川県高松市出身。徳島大学医学部卒業。
伊勢 孝夫(いせ たかお、1944年12月18日 - )は、… 伊勢 孝夫(いせ たかお、1944年12月18日 - )は、兵庫県三田市出身の元プロ野球選手(内野手)・野球指導者、野球解説者。
古谷 智子(ふるや ともこ、1944年12月18日- )は、… 古谷 智子(ふるや ともこ、1944年12月18日- )は、日本の歌人。 岡山県生まれ。青山学院大学卒。「歩道」同人の父の影響で歌に親しむ。1975年「中部短歌会」に入会し、79年、短歌に復帰したばかりの春日井建に師事する。80年東京に転居し、稲葉京子に師事。82年、「昭和19年会」に入会。83年合同歌集『モンキートレインに乗って』に参加。2022年、『ベイビーズ・ブレス』で第49回日本歌人クラブ賞受賞。「短歌」編集委員、選者。NHK学園専任講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - … 渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ディレクターである。実兄は作曲家、編曲家の筒美京平。 東京都港区生まれ。霊南坂教会付属の霊南坂幼稚園を経て、小学校から中学までは青山学院、高校は公立に通い、大学は東京農業大学の農芸化学科に進学した。大学を卒業後、1966年(昭和41年)に日本ビクターのフィリップス事業部に入社する。上司で音楽ディレクターの本城和治のアシスタントとしてザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ザ・カーナビーツ、ザ・リンド&リンダースといったグループサウンズに関わる。その後、単独でザ・ジャガーズを担当することになり1968年(昭和43年)にリリースされた5枚目のシングル「星空の二人」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)をディレクション、1969年(昭和44年)にはブレッド&バターのデビューシングル「傷だらけの軽井沢」のディレクションをした。
勝又 基夫(かつまた もとお、1943年 <昭和18年> 1… 勝又 基夫(かつまた もとお、1943年 <昭和18年> 12月18日 - 2009年 <平成21年> 12月20日)は、日本の経営者。勝又自動車、千葉トヨペット各社長を務めた。父親は社長を務めた勝又豊次郎。 千葉県千葉市出身。1967年に立教大学社会学部を卒業。アメリカでの留学とトヨタ自動車販売での勤務を経て、1974年に千葉トヨペットに転じ、1980年に専務を経て、1989年5月には社長に就任。1993年4月には勝又自動車社長も就任。社長在任時には、当時トヨタ自動車が「ハリアー」を2代目で生産を修了しようと検討しており、勝又はこれに反対し、全国のトヨペット店代表者に呼び掛けて、署名活動を行い、「ハリアー」を存続するようにトヨタ自動車と掛け合った。
仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は… 仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は、日本の俳優、声優、ソングライター、歌手である。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」入団、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優である。音楽事務所はサニープラニング。 東京都出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」に入り、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優。 作詞家、作曲家として、ジュディ・オング、郷ひろみ等にも作品を提供。音楽事務所はサニープラニング。 デュエット曲「東中野は初恋の街」は、自身の作詞・作曲で、女優の山口いづ世(女優の斎藤こず恵(NHK朝のドラマ「鳩子の海」主役)の母)とデュエットで歌っている。
笈川 博一(おいかわ ひろかず、1942年12月18日 -2… 笈川 博一(おいかわ ひろかず、1942年12月18日 -2025年5月29日 )は、日本の中東学者。 東京生まれ。東京教育大学文学部卒、1970年同大学院修士課程修了。ヘブライ大学講師、時事通信社通信員等として25年間のイスラエル在住を経て、1995年杏林大学教授、同総合情報センター長を務め、2013年定年。専門は古代エジプト言語学、現代中東学。
畔柳 信雄(くろやなぎ のぶお、1941年12月18日 - … 畔柳 信雄(くろやなぎ のぶお、1941年12月18日 - )は、日本の銀行家、三菱UFJ銀行特別顧問。元サッカー選手。三菱UFJフィナンシャル・グループ社長、池田泉州ホールディングス取締役などを歴任した。東京大学経済学部卒。 東京都文京区出身。中学時代よりサッカーを始め、東京教育大学附属高校(現:筑波大学附属高校)時代 は国民体育大会でベスト4の成績を残した。東京大学経済学部時代はア式蹴球部に所属した。 1965年に東大を卒業して、三菱銀行に入行。入行後は同行サッカー部に所属して35歳まで現役であった。なお、同期に元三菱商事副社長の有若、帝京大学経済学部教授の荒井らがいた。 東京三菱銀行ではシステム統合担当取締役だったこともあって、ITに強いと云われ、マサチューセッツ工科大学 (MIT) 留学時は邦人との交流を断ち、米国人らとの人脈を築いたとされる。
岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日… 岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日本の法学者、弁護士、専修大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年兵庫県立神戸高等学校卒業、1964年東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手、1967年法務総合研究所研究官補、1972年弁護士登録、1977年神奈川大学短期大学部助教授、1982年金沢大学法学部助教授、1984年教授、1994年専修大学法学部教授、2004年同法務研究科教授。2012年定年退任、名誉教授。
上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月… 上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月18日 - )は、日本のアナウンサー。元中国放送(RCC)アナウンサー。忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎の親戚にあたる。血液型はA型。 三重県津市(旧:久居市)出身。日本大学芸術学部放送学科卒。ラジオ三重(かつて存在した三重県の放送局。現在の東海ラジオ放送の前身)で局アナを務めた後、1965年中国放送(当時はラジオ中国)に入社。現場にこだわり約30年間にわたって広島市民球場から広島東洋カープの模様をラジオ・テレビの視聴者に届けた。ラジオ・テレビの実況の回数はRCC最多記録であり、1975年、カープが初優勝した時のラジオ実況も務めた。広島市民球場は昔はグラウンドの水はけが悪く、大雨の日に実況席の入口まで浸水することもあり、解説を務めたカープ初代監督・石本秀一をおんぶして浸水してないところまで運んだこともある。
大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18… 大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18日 - 1992年12月27日)は、日本のプロレスラーおよび大相撲力士。埼玉県草加市出身。 大相撲時代は崎錦(さきにしき)の四股名で伊勢ヶ濱部屋に所属、最高位は幕下93枚目。プロレス転向後は中堅のラフファイターとして活躍した。愛称は「クマさん」。 中学校卒業後に大相撲の伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1957年5月場所に大熊の四股名で初土俵を踏んだ。1958年11月場所から四股名を崎錦と改名したが伸び悩んでしまい、1962年5月場所をもって廃業した。大相撲を廃業して間もない同年5月に日本プロレスへ入門し、1ヶ月後の6月5日に名古屋市金山体育館大会で北沢幹之を相手にデビューを果たす。
古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - … 古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - 2022年10月8日)は、日本の分子生物学者。学位は、薬学博士(東京大学・1970年)。新潟薬科大学客員教授。mRNAの研究で知られる科学者。 日本統治時代の朝鮮・城津(現在の朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道金策市)に生まれる。日本が降伏すると、祖父の出身地である富山市に引き揚げる。 1959年富山県立富山中部高等学校卒業、1963年富山大学薬学部卒業、1969年に東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士号取得。同年から国立遺伝学研究所に在籍。 1974年アメリカ合衆国ニュージャージー州のロシュ分子生物学研究所に留学。 1975年、mRNAに「キャップ」という構造を発見した。
榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12… 榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12月18日 - 2024年(令和6年)5月29日)は、日本の政治家。元愛知県半田市長(2期)。 愛知県半田市に生まれる。幼い頃から海に憧れ、世界一周航海をすることを夢見ていたという。半田市立成岩中学校卒業。1959年(昭和34年)、愛知県立半田高等学校卒業。同年、愛知大学法経学部経済学科入学。大学時代はヨット部に在籍した。1963年(昭和38年)に卒業し、半田市役所に入庁。 1969年(昭和44年)、市役所を退職。新美春光、高須洪吉、石垣洋一らと共に外洋ヨット「白雲」を製作し、2年1ヶ月にわたる世界一周航海に出帆した。 1971年(昭和46年)、市役所に再入庁。
黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月1… 黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月18日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。元国際石油開発帝石株式会社会長・社長。 通産省入省同期(1963年度)には、牧野力(通産事務次官)、秋山收(内閣法制局長官)、高島章(特許庁長官)、麻生渡(特許庁長官、福岡県知事)、長田英機(中小企業庁長官)、川口融(福岡通産局長、川口順子の夫)、川原壮介(大臣官房審議官)、関野弘幹(三洋電機専務執行役員、経済企画庁物価局審議官)、西川禎一(日本航空機開発協会副理事長、中小企業庁次長)、小野榮一(三菱化学DRM社長、日本航空宇宙工業会専務理事)、山下弘文(日伯紙パルプ資源開発常勤監査役)、窪川功(ジェトロバンコック所長、東武百貨店専務)などがいる。
井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は… 井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は、日本の詩人。 福岡市生まれ。生家は船会社を営む。4歳より松江市に帰住。島根県立松江工業高等学校造船科卒。十代より俳句と詩を投稿。文通で丸山辰美、岡田隆彦を知る。1959年『現代詩手帖』で木原孝一の「現代日本新人詩選」に選ばれ、国井克彦、辻征夫を知り、『銛』結成に参加。1962年『見捨てたもの』刊行。高校卒業後は造船所勤務ののち多くの職を転々とする。20代後半には香港を放浪し、帰国後結婚、日中学院で中国語を学ぶ。30代より建築の設備設計に従事、後に会社自営。40代は個人誌『樽』を刊行。1989年頃より小沢信男の余白句会に加わる。2001年『そして、船は行く』で第2回山本健吉文学賞受賞。
仲谷 昌也(なかたに まさや、1940年12月18日 - )… 仲谷 昌也(なかたに まさや、1940年12月18日 - )は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。兵庫県出身。 1963年に関西学院大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。1997年に取締役に就任し、1999年に常務を経て、2002年6月から2004年6月までにサンテレビジョン社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月… 藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月18日 - )は、日本の法学者・弁護士。専門は、犯罪学・刑事政策・被害者学。Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校・1975年)。中央大学名誉教授。元常磐大学大学院教授。 現在、日本刑事政策研究会理事、法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員、法務省矯正研修所講師、財団法人矯正協会評議員、全国少年警察ボランティア協会顧問、日本更生保護協会理事、日本被害者学会理事、特定非営利活動法人全国就労支援事業者機構理事、内閣府少年非行事例等調査研究企画分析会議委員長、社会福祉士試験委員、最高検察庁参与。また、2000年まで司法試験考査委員を務めた。
稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭… 稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭和14年)12月18日 - )は、日本のファッションデザイナー、モデル。 東京出身。八重洲生まれ、鎌倉・横浜育ち。祖父・父は横浜でタイプライターを取り扱う「稲葉商会」を営んでいた。 1958年、横浜雙葉学園を卒業。1960年に文化学院美術科を卒業。文化学院の同級生に山東昭子、鳥居ユキ、安井かずみ、菊池武夫。1963年菊池と共に原のぶ子アカデミー洋裁学園(現・青山ファッションカレッジ)を卒業。その頃東京に進出した欧米のオートクチュールのアトリエで働くことを志願したが叶わず、1964年に赤羽に自らのアトリエを開いた。その後1970年に菊池や大楠裕二とともに、ビギ(BIGI)を設立。
高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )… 高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 福岡県立京都高等学校卒業後、1958年に東映フライヤーズへ入団。 1959年に42試合に登板し4勝、1960年は32試合に登板し9勝を挙げている。 肩の故障により1963年に引退。
佐藤 英善(さとう ひでたけ、1939年12月18日 - )… 佐藤 英善(さとう ひでたけ、1939年12月18日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、博士(法学)(早稲田大学・1991年)。早稲田大学名誉教授。 東京都出身。1963年、早稲田大学法学部卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。同博士課程退学。早稲田大学助手、早稲田大学講師、早稲田大学助教授を経て、1977年から早稲田大学教授。この間ケルン大学留学(2年間)。1991年、博士(法学)(早稲田大学)。 早稲田大学では、法学部長、常任理事、副総長を歴任。このほか早稲田大学ラグビー蹴球部長、早稲田大学スポーツ振興協議会委員長を務めた。2010年3月、定年により早稲田大学法学部教授を退職。同名誉教授。
近藤 典彦(こんどう のりひこ、1938年〈昭和13年〉12… 近藤 典彦(こんどう のりひこ、1938年〈昭和13年〉12月18日 - )は、日本近代文学研究者。専門は主に石川啄木。元群馬大学教授。北海道旭川市出身。
三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は… 三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は、日本のドイツ文学・キリスト教学者、東洋大学名誉教授。 富山県立高岡高等学校卒。1961年、東京大学教養学部教養学科ドイツ分科卒、同大学院比較文学比較文化修士課程入学1962年10月、病気休学。1965年9月、西独ハンブルク大学留学。1967年、帰国。1968年、修士課程修了、1972年、博士課程単位取得満期退学。東洋大学文学部専任講師(ドイツ語)、1974年、助教授、1986年、教授、1992年、老人介護のため退職、非常勤講師、1994年、教授復帰、2000年、経済学部教授。2009年、定年退任、名誉教授。
角 修吉(かく しゅうきち、1938年12月18日 - )は… 角 修吉(かく しゅうきち、1938年12月18日 - )は、日本の電気・電子工学者。大阪工業大学工学部電子工学科元教授、元新材料研究センター長。工学博士(大阪府立大学)。医療工学研究会元顧問。 専門は、電磁気学・半導体工学(特にサイリスタ・整流器)、電子回路(特にインバータ・PWM)など。 1963年大阪工業大学工学部卒業。1968年大阪府立大学(現在の大阪公立大学)大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪府立大学)。同年、大阪工業大学工学部電子工学科に講師として着任。1975年同学科教授。その後、新材料研究センター(現在のナノ材料マイクロデバイス研究センター)長も務め、大阪工業大学工学部で30年以上の長きに渡り教鞭を執った。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 -… ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 - )は日本のアニメーター、イラストレーターである。 東京都生まれ。東京都立江北高等学校卒業、東京芸術大学美術学部工芸科卒業。1959年、東映動画に入社、劇場アニメの『少年猿飛佐助』『西遊記』や、テレビアニメ『狼少年ケン』などの作画に関わる。1965年に東映動画を退社し虫プロダクションに入社、テレビアニメ『ジャングル大帝』などに関わるが1年で退社、1966年にフリーとなる。 永沢まこととともに共同スタジオを開設した後、自身の「ひこねスタジオ」を興す。テレビアニメ、テレビコマーシャルなどのアニメーターとして仕事のほか、キャラクターデザインも数多く手がけ、広告などマルチメディアに使用されている。
西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、193… 西崎 義展(にしざき よしのぶ、正式には「西﨑義展」、1934年〈昭和9年〉12月18日 - 2010年〈平成22年〉11月7日)は、日本のプロデューサー、アニメーション監督。本名:西崎 弘文(にしざき ひろふみ)。 アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーであり、『海のトリトン』、『ワンサくん』『宇宙空母ブルーノア』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『超神伝説うろつき童子シリーズ』などを企画製作した。 東京府東京市小石川区原町(現・東京都文京区白山)に西崎正・秋子のもと、姉と弟がいる3人きょうだいの長男として生まれる。 父親は東京大学法学部卒で、企画院、日本興業銀行勤務ののち、日本曹達などの重役を務め、不振企業の"再建屋"として知られた実業家・西崎正。
松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18… 松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18日 - )は、日本の実業家・テニスプレーヤー。東宝名誉会長(元代表取締役会長)、日本アカデミー賞協会名誉会長。兵庫県芦屋市出身。 小林一三の次男・松岡辰郎の次男として生まれた。甲南幼稚園から甲南小学校へ進学。小学校時代の同級生には野村文英がいたという。1945年には丹波市の慧日寺へ集団疎開した。甲南中学校・高等学校在学中は硬式テニス部に所属し、全日本ジュニア選手権ダブルスで優勝、高校総体では準優勝に輝いた。甲南高校の2学年下には石黒修がいた。 1953年、設立3年目の甲南大学へスポーツ推薦で入学した。松岡はこの当時「高校テニス三羽烏」の1人に数えられており新設大学における広告塔として期待されていたという。
ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12… ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12月18日) - 1967年4月20日)は、福岡県大牟田市出身のストリッパー。本名は志水敏子(トシ子)。身長162cm、体重58kg。 幼少時より日本舞踊、バレエを習い、女優を目指し、長谷川一夫主宰の「ロマンス座」と共に1949年に上京すると、進駐軍のキャンプ周りの踊り子を経て、15歳で浅草常盤座でローズ・マリーという芸名でデビューした。彼女の資質を見込んだ元俳優の演出家正邦乙彦の演出の下、作家の田中小実昌が「混血かと思っていた」という日本人離れしたエキゾチックな容姿と、厳しい訓練の上で習得した腰を激しく回転させるグラインドという大胆なダンステクニックで人気を博し、昭和20年代後半には「ストリップの女王」と呼ばれた。
平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 202… 平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 2024年1月27日)は、沖縄県出身の俳優、演出家。ACO沖縄所属。劇団「綾船」主宰。妻は女優の平良とみ。
井内 雄四郎(いのうち ゆうしろう、1933年12月18日 … 井内 雄四郎(いのうち ゆうしろう、1933年12月18日 - 2024年5月19日)は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 1964年早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学、早稲田大学第一文学部教授。2003年定年退職。アイリス・マードックを中心に、英国女性小説が専攻。ワセダミステリクラブ二代目会長もつとめた。 2024年5月19日、逝去。享年92(満90歳)。 伯父はギリシア古典文学研究者の高津春繁。
佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )… 佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。 福岡県出身。1958年、九州大学教育学部を卒業し、同年に山陽新聞社に入社。1988年2月、取締役に就任。1990年2月、常務に就任。1992年2月、社長に就任。2006年12月、会長に就任し、2012年2月、取締役相談役に退いた。 2009年11月、旭日重光章を受章。
西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12… 西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12月18日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(通算6期)。民社党委員長を務めた西村栄一の甥。衆議院議員の西村眞悟は従弟。 大阪府出身。1958年(昭和33年)立命館大学法学部卒。西村栄一の秘書を15年務めたあと、大阪府議会議員1期を経て、1976年(昭和51年)民社党から衆院議員に当選。1990年(平成2年)落選。1996年(平成8年)新進党の比例四国ブロックより返り咲く。1998年(平成10年)1月自由党に参加。通算6期務めた。2000年(平成12年)引退。2004年(平成16年)、旭日重光章を受章。
田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 20… 田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本のスポーツライター、高校野球指導者、プロ野球監督・球団経営者。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手、投手として活躍。右投右打。 1956年、日刊スポーツ野球記者となる。 1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年の選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。 その後、日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、高校野球での実績を買われ、プロ経験はないもののサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)二軍監督に就任。1971年・1972年と2年連続でイースタン・リーグ優勝を果たした。
岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18… 岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18日 - )は、日本の裁判官。死者79人の天六ガス爆発事故で大阪市営地下鉄側に有罪判決を言い渡した裁判長。イクメンシングルファーザー判事として子育てを両立、大阪高裁の部総括判事(部長)を還暦で依願退官し板前に転身、裁判所の近くに居酒屋を開き話題となった。 1932年(昭和7年)大阪府大阪市北区天満生まれ。大阪府立清水谷高等学校、京都大学法学部を卒業。京大に在学中の1954年(昭和29年)司法試験に合格し1957年から大阪、神戸、札幌などの地方裁判所や高等裁判所で主に刑事事件を担当する。 1985年(昭和60年)大阪地裁の刑事部部総括判事の時、都市災害史上最大の惨事といわれる天六ガス爆発事故(死者79人・重軽傷者420人)の刑事裁判を担当。
小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18… 小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18日 - 2010年(平成22年)5月9日)は、広島県甲奴郡上下町(現・広島県府中市上下町)出身の元陸上選手。陸上競技指導者。元三段跳世界記録保持者。日本陸上競技連盟(日本陸連)副会長、名誉副会長。日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。日本オリンピアンズ協会元副会長。 中国山地山間の町、上下町の農家の長男として生まれる。叔父、父も甲奴体協のリレーメンバーで、恵まれた体を生かし幼少期から跳躍の素養を発揮した。同郷の先輩・織田幹雄(アムステルダムオリンピック(1928年))、から南部忠平(ロサンゼルスオリンピック(1932年))、田島直人(ベルリンオリンピック(1936年))まで三大会連続で金メダルを獲り、当時は日本のお家芸だった三段跳を教師の勧めで始める。
野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2… 野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2020年12月14日)は、日本のアメリカ史学者、愛知県立大学名誉教授。 鹿児島県出身。1955年九州大学文学部西洋史学科卒、1960年同大学院文学研究科博士課程満期退学、1966年愛知県立大学文学部講師、助教授、教授を務める。1996年定年退官、名誉教授、愛知学院大学文学部教授となり、2003年定年。 アメリカ労働史研究の草分けで、アメリカ学会会長を務め、名古屋アメリカ研究会の設立者の一人だった。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2… 吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道研究家。 東京本郷の尚工舎(現・シチズン時計)の工場を運営する家に生まれる。祖父は元工場長の吉川政吉、父は元NHK芸能局長の吉川義雄。幼少時東京都世田谷区に住み、近所の井の頭線、小田急線、東急線などを見て育ち、東急は小学校の通学にも使った(都市名・社名・路線名は現在のもので表現)。1955年(昭和30年)3月日本大学第二工学部電気工学科卒業。 のちに神奈川県鎌倉市に家を構え、本業は池貝鉄工勤務、累進して溝の口工場長を最後に退職。その後、大和電業に勤務し、関東学院大学、神奈川大学(いずれも工学部)で非常勤講師も務めた。
小田島 雄志(おだしま ゆうし、1930年(昭和5年)12月… 小田島 雄志(おだしま ゆうし、1930年(昭和5年)12月18日 - )は、日本の英文学者、演劇評論家。東京大学名誉教授、東京芸術劇場名誉館長。日本演劇協会理事。豊島区芸術顧問。 姉の阿部明子(あかし)は東京家政大学名誉教授。妹の松村紀代子は、『文藝春秋』(文藝春秋)の編集者をへて、エッセイスト。次男の小田島恒志も英文学者、早稲田大学教授。恒志の妻の小田島則子も英文学者、翻訳家。 1930年(昭和5年)満洲・奉天市(現:瀋陽市)生まれ。父興三は南満州鉄道勤務。母都子(とし)は裏千家茶道の先生。姉に阿部明子(あかし)。妹紀代子(松村紀代子:英文学者・エッセイスト)。5歳のとき新京(現長春市)に引っ越す。
吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 20… 吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 2021年7月22日)は日本の自然地理学者。国立極地研究所・立正大学名誉教授。元日本極地研究振興会理事長。理学博士(東京大学)。 主に南極観測に携わっており、1957年の第2次夏隊を皮切りに、第4次越冬隊、第8次越冬隊、第16次観測副隊長兼夏隊長、第20次観測隊長兼夏隊長、第22次観測隊長兼越冬隊長、第27次観測隊長兼夏隊長、アメリカ隊基地、ニュージーランド隊基地、イギリス隊基地などで6回観測に従事。 吉田による南極の地形研究は、その後の南極の氷河地形研究において主要な先行研究となっている。 1960年の第4次越冬隊と1961年の第5次越冬隊において、やまと山脈の地形調査を実施した。
石井 宏(いしい ひろし、1930年12月18日 - )は、… 石井 宏(いしい ひろし、1930年12月18日 - )は、日本の音楽評論家。妻・松岡三恵はピアニスト。 神奈川県出身。1944年、逓信省航空局新潟地方航空機乗員養成所本科に6期生として入学し特攻隊員を目指すも、敗戦によって旧制湘南中学校(現在の神奈川県立湘南高等学校)に転じる。旧制静岡高等学校を経て、1953年に東京大学文学部美学科卒業。学士入学で1956年に東京大学文学部仏文科卒業。 日本楽器(現・ヤマハ)および東京放送(TBS。現・東京放送ホールディングス)に勤務した後、フリーランスの文筆業に入る。執筆活動の他、NHK-FMに音楽解説者として出演。1993年から1994年までNHK総合テレビの情報番組「ナイトジャーナル」でCD評を担当。
波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - … 波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - 2017年2月17日)は、日本のジャーナリスト、外交官、翻訳家。位階は正五位。 京都府出身。1953年東京大学文学部卒、毎日新聞社に入り、政治記者、ワシントン特派員などを務める。 1976年に毎日新聞社を辞して外交官となり、エジプト、イギリス公使、カナダ・トロント総領事、カタール大使、アイルランド大使などを務めた。 1994年、外交官から転じて白鷗大学教授となり、2003年退任、名誉教授。2006年、瑞宝中綬章受章。 2017年2月17日に死去。86歳没。没後に正五位に叙された。
権藤 芳一(ごんどう よしかず、1930年12月18日- 2… 権藤 芳一(ごんどう よしかず、1930年12月18日- 2018年3月30日)は、日本の古典芸能評論家。 京都生まれ。同志社大学文学部卒業。京都観世会事務所に30年勤務しながら関西の舞台を見続け、能、歌舞伎、現代演劇評論を書く。大阪学院大学国際学部教授、2001年に定年退任。日本演劇学会関西支部長(最後の関西支部長)も務める。
佐々木 千吉(ささき せんきち、本名・柴田晃、1930年(昭… 佐々木 千吉(ささき せんきち、本名・柴田晃、1930年(昭和5年)12月18日 - 2018年(平成30年)9月14日)は、大蔵流(京都・茂山家)狂言方能楽師。三世・茂山千作の娘婿。 1951年(昭和26年)、立命館大学卒業後、銀行勤務の傍ら狂言の修行に励む。1954年(昭和29年)からは三世・茂山千作に師事。同年初舞台を踏んでいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月… 湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月18日 - 没年不明 )は、日本の医学者・精神科医。群馬県生まれ。専門は精神病理学。医学博士(群馬大学・1963年)。分裂病(現・統合失調症)の予後研究で知られる。江熊要一、臺弘、中沢正夫らとともに生活臨床グループの創成期メンバー。 1929年群馬県前橋市に生まれる。旧制松本高等学校理科を経て、1953年前橋医科大学(現・群馬大学)卒業。1963年医学博士(群馬大学)。赤城病院院長、群馬大学医学部講師、岸病院神経科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員、東京大学医学部講師などを経て、榛名病院常勤顧問 。
杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月1… 杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月18日 - 2016年(平成28年)10月25日)は、日本の国際政治学者、中京大学名誉教授。専門は国際政治学、軍縮問題。 東京生まれ。同志社大学大学院法学研究科修士課程修了、三重短期大学講師、助教授、中京大学法学部教授。1999年定年退任、名誉教授。日本科学者会議幹事、「日本の科学者」編集長、日本平和学会理事。
湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日… 湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日本の文芸評論家。本名・優(まさる)。 神奈川県出身。日本大学文理学部国文科卒。専門学校講師。井伏鱒二について研究してきた。
金森 誠也(かなもり しげなり、1927年12月18日 - … 金森 誠也(かなもり しげなり、1927年12月18日 - 2018年6月6日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。専門は、ドイツ文学・ドイツ思想。 東京出身。1952年東京大学文学部独文学科卒業。54年同大学院修士課程修了。日本放送協会に勤務し、国際局欧米部チーフディレクター。1977年に広島大学総合科学部教授、亜細亜大学教養部教授、1983年静岡大学教授。1991年定年退官し日本大学教授。1998年に退職。 1993年に日本独学史学会賞,2007年に国際文化表現学会賞受賞[要出典]。
岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1… 岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1994年1月8日)は、日本のガラス工芸家。ガラス工芸家二代目岩田藤七の長男。母・くにの父は、彫刻家の竹内久一。妻は、ガラス工芸家の岩田糸子。長女は、イワタルリ。次女は、岩田マリ。 ガラス工芸家岩田藤七の長男として東京府に生まれる。東京美術学校工芸部図案科に学び、在学中の同24年第5回日展に「硝子ぶどうの鉢」で初入選し以後も日展に出品を続ける。同26年東京美術学校を卒業。制作のかたわら、東京工業大学でガラスの組成を研究する。同30年第11回日展に「藻」を出品して特選、同31年第12回同展には「萌生」を出品して二年連続特選となった。同30年より光風会にも出品。
佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 19… 佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 1992年9月16日)は宮城県出身(宮城県桃生郡廣渕村、現在の石巻市広渕)の元スピードスケート選手である。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。