大月 伸(おおつき しん、1896年(明治29年)12月18… 大月 伸(おおつき しん、1896年(明治29年)12月18日 - 1980年(昭和55年)4月13日)は、日本の弁護士、大阪弁護士会会長、第15代日本弁護士連合会会長、関西大学理事・顧問を務めた。岡山県高梁市出身。 1896年(明治26年)岡山県上房郡上竹荘村(現:高梁市)で生れる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、関西大学へ進学する。1917年(大正6年)7月に関西大学専門部法律学科を卒業し、翌年、1918年(大正7年)4月に日本大学法学高等研究科(現:日本大学法科大学院)を専攻する。1919年、同校を卒業し、1920年(大正9年)12月11日、大月は弁護士試験に合格する。
堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1… 堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1991年11月24日)は、日本の経済学者。 専攻はソ連経済、マルクス経済学。妻は日本共産党衆議院議員の苅田アサノ。日ソ協会(現日本ユーラシア協会)顧問などを務めた。 徳島県の出身。京都帝国大学経済学部を卒業後、同大大学院に進学し河上肇の一番弟子として彼の薫陶を受ける。1926年に高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)教授となり、翌年ドイツへ留学しベルリン社会科学研究会(後のベルリン反帝グループ)に参加、ドイツ共産党へも入党した。また、1933年には上海の東亜同文書院に留学するが、この時高商時代の政治活動を理由に検挙、留学から半年足らずで内地へ戻ると共に休職。
住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月1… 住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月18日 - 1987年〈昭和62年〉10月4日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。同大学元総長。吉野作造門下。群馬県出身。 群馬県群馬郡国府村(現・高崎市東国分町)に、父・住谷友太、母・軟の次男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第二高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年吉野作造の推薦により同志社大学法学部助手となる。1927年(昭和2年)に同大学教授となったが、1933年(昭和8年)に治安維持法で逮捕され、職を辞す。東京文藝春秋社欧州特派員として1934年(昭和9年)に渡欧(1936年に帰国)。
今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月… 今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月18日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長、同村農業委員会長。 埼玉県北埼玉郡南河原村(現・行田市)出身。熊谷中学校に学ぶ。 1925年5月、南河原村会議員に当選。1929年5月、同村会議員に再選。1930年2月から1940年11月まで同村助役。1940年11月、同村長に就任。1946年11月、公職追放により辞職する。 1951年7月、埼玉県農業委員に当選。1955年8月、南河原村長に当選。 地方自治の発展に寄与した。住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原。
唐橋 重政(からはし しげまさ、1894年(明治27年)12… 唐橋 重政(からはし しげまさ、1894年(明治27年)12月18日 - 1976年(昭和51年)1月18日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡山都町長。俳号・藻人。 福島県耶麻郡朝倉村(山都町を経て現:喜多方市)で、林業家・政治家、唐橋左源次の二男として生まれる。1905年(明治38年)家督を相続。1912年(大正元年)福島県立蚕業学校(現:福島県立福島明成高等学校)を卒業した。 農業を営む。日本正準製糸常務、福島県養蚕業組合連合会副会長、全国養蚕業組合連合会議員などを務めた。 政界では、組合村長、耶麻郡町村長会長、福島県町村会長、福島県会議員、同参事会員、大政翼賛会福島県支部常務委員などを務めた。
平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月1… 平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月18日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 沖縄県、のちの那覇市で実業家・平尾喜三郎の長男として生まれる。沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を修了した。 家業の平尾商店に勤務し、その後、同商店の経営を弟・喜治郎に委ね、ライジングサン石油沖縄県代理店、新垣・平尾自動車社長、沖縄県石油統制配給社長、沖縄県自動車整備配給社長、沖縄県製瓦販売社長、琉球新報社長、沖縄新報常務取締役、那覇商工会議所議員などを務めた。 政界では、那覇市会議員を務め、1939年、貴族院多額納税者議員選挙で当選して、同年9月29日、同議員に就任し、交友倶楽部に所属して活動し、1941年5月2日に辞職した。
岩崎 民平(いわさき たみへい、1892年〈明治25年〉12… 岩崎 民平(いわさき たみへい、1892年〈明治25年〉12月18日 - 1971年〈昭和46年〉6月29日)は、日本の英語学者・辞書編纂者。東京外国語大学名誉教授。 1892年、山口県都濃郡富田村(現:周南市)で生まれた。1910年、山口県立徳山中学校(現:山口県立徳山高等学校)を卒業。東京外国語学校に進学し、1913年に卒業。 卒業後は東京府立第四中学校教諭となったが、再び東京帝国大学に入学し、1922年に卒業。 1922年、東京外国語学校(のちの東京外国語大学)教授に就いた。1932年刊行の岡倉由三郎編『新英和大辞典(初版)』(研究社)の改訂にあたり、中心となって作業に当たった。続いて1941年刊行の『簡約英和辞典』(研究社)を編纂。
服部 峻治郎(はっとり しゅんじろう、1890年(明治23年… 服部 峻治郎(はっとり しゅんじろう、1890年(明治23年)12月18日 - 1983年(昭和58年)4月19日)は、日本の医学者、小児科医。医学博士。第14代京都大学総長。 1890年兵庫県生まれ。京都帝国大学教授、同病院長を経て1951年に京都大学総長に就任。その直後、昭和天皇の京都大学視察訪問に際し、学生が公開質問状を用意し「平和の歌」をうたって迎えた『京大天皇事件』が起こり、その責任をとって1953年辞任。1983年に92歳で死去。 主な受章歴は以下のとおり。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年〈明治22年〉12… 熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年〈明治22年〉12月18日 - 1966年〈昭和41年〉6月11日)は、日本の皇位僭称者。大延天皇、または熊沢天皇(くまざわてんのう)の呼称で知られる。 戦前は皇位や皇族を僭称することは不敬罪として処罰対象であったが、GHQ体制下で取締りが弱くなった戦後の一時期、皇位継承者を自称する者たちが各地に出現し、世間の耳目を集めた。熊沢はこれら「自称天皇」の代表的存在である。 熊沢の主張によれば、熊沢家は熊野宮信雅王に始まる家で、信雅王は応仁の乱の際に「西陣南帝」と呼ばれた人物だとし、その父は南朝の後亀山天皇の孫とされる尊雅王(南天皇)であるとする。また、足利氏から帝位を追われ、応仁の乱の際に西軍の武将だった斯波氏が尾張国守護職をしており、宗良親王の末裔の大橋氏や、楠木氏ら南朝ゆかりの武将が多く住している尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだと述べている。
木村 健児(きむら けんじ、1887年12月18日 - 19… 木村 健児(きむら けんじ、1887年12月18日 - 1936年10月24日)は、日本の俳優である。木村 健兒と表記されることもある。本名は木村 米太郎(きむら よねたろう)。木村 健二、木村 健次、木村 建治と表記に揺れがある。新派を経て映画界に転向、昭和初期まで大きな体格を生かして松竹蒲田撮影所、不二映画社などに出演した名脇役として知られる。 1887年(明治20年)12月18日、京都府京都市に生まれる。旧制京都府第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校)卒業。 天然色活動写真の連鎖劇を経て、1919年(大正8年)2月、本郷座に拠点を持つ岡本五郎、石川新水、栗島狭衣、梅島昇らの新生劇団に加入し、新派悲劇『浅草物語』で初舞台を踏む。
徳永 庸(とくなが いさお、1887年12月18日 - 19… 徳永 庸(とくなが いさお、1887年12月18日 - 1965年3月20日)は、日本の建築家。福岡県出身で、九州地方を中心に数多くの設計監理を手掛けるとともに、早稲田大学や関東学院大学の教授として製図の指導に当たった。 1887年(明治20年)12月18日、福岡県糟屋郡青柳村(現 古賀市)に生まれる。1907年4月より1年間、辰野金吾・葛西萬司建築事務所に入所。1908年3月、福岡県立福岡工業学校建築科卒業。1909年3月、早稲田大学高等予科理工科卒業。1913年(大正2年)7月、早稲田大学理工科建築学科を卒業し、同年10月から1917年8月まで辰野金吾・片岡安建築事務所に勤める1917年より、早稲田大学で助教授、教授、講師を務める。
小圃 千浦(おばた ちうら、1885年(明治18年)12月1… 小圃 千浦(おばた ちうら、1885年(明治18年)12月18日 - 1975年(昭和50年)10月6日)は、日本出身のアメリカ合衆国の画家、版画家。アメリカの大自然を日本画の技法で描き、新しい美の世界を切り開いた。また、米国で日本人初の野球チームを共同設立した。戦争中、日系人収容所のトパーズ戦争移住センターに収容されたことでも知られる。 岡山県後月郡井原村(現・井原市)に8人兄弟の末子として生まれる。本名、佐藤蔵六。5歳で仙台に住む洋画家・美術教師の兄六一(伊達藩家老だった小圃家に婿入りしていた)の養子となる。7歳から日本画を学んだ。14歳のときに東京に出て、「大政奉還図」で有名な邨田丹陵に師事した。
金山 平三(かなやま へいぞう,1883年〈明治16年〉12… 金山 平三(かなやま へいぞう,1883年〈明治16年〉12月18日 - 1964年〈昭和39年〉7月15日)は、大正・昭和期の洋画家である。 1935年(昭和10年)5月の帝国美術院改組問題より画壇から遠ざかったことに起因して「幻の画家」と評されたほか、雪を描いた名画を多く残したことで「雪の画家」とも呼ばれた。 1883年(明治16年)兵庫県神戸区(現在の神戸市中央区)元町通3丁目に金山春吉、ひさの第四子として生まれる。神戸尋常小学校を経て、立教中学校(現・立教池袋中学校・高等学校)を卒業。1905年(明治38年)9月東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科本科に入学する。主任教授である黒田清輝らに師事し、1909年(明治42年)3月東京美術学校西洋画科を首席で卒業する。
横山 有策(よこやま ゆうさく、1882年(明治15年)12… 横山 有策(よこやま ゆうさく、1882年(明治15年)12月18日 - 1929年(昭和4年)4月2日)は、日本の英文学者。 1882年(明治15年)岡山県川上郡玉川村(現・高梁市)に生まれる。その後、1895年に旧制高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)の一期生として進学した。1900年に同学校を卒業し、早稲田大学高等予科へ進学。1902年9月に早稲田大学へ入学した。1904年9月には、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)葬儀で早稲田学生総代として弔辞朗読する。1905年に早稲田大学文学部英文科卒業。1907年渡米しハーバード大学に学び、1910年5月に卒業する。 1911年帰国、早稲田中学校の英語教師となる。
高橋 房次(たかはし ふさじ、1882年12月18日 - 1… 高橋 房次(たかはし ふさじ、1882年12月18日 - 1960年6月29日)は、日本の医師。高木兼寛の「病気を診ずして病人を診よ」の言葉に感銘を受け、北海道白老町で地域医療に貢献した。アイヌも和人も差別せず、貧しい者からは治療代もとらなかった。患者の往診の依頼があれば大雪や吹雪の中でも深夜でも絶対に断らなかった。自身が賞を贈られることについては信条に反することであった。「コタンの赤ひげ」とか「コタンのシュバイツァー」とも呼ばれる。白老小学校に胸像が建てられた。 栃木県下都賀郡間々田村(現・小山市)生まれ。間々田尋常小学校、栃木県立中学校を経て済生学舎で学ぶ。1903年、医師国家試験に合格。日露戦争では従軍医として召集された。
伊藤 東一郎(いとう とういちろう、1879年12月18日 … 伊藤 東一郎(いとう とういちろう、1879年12月18日 - 1950年10月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岐阜県海津郡、後の城山村(城山町、南濃町を経て現海津市)出身。茨城県立水戸中学校卒業後は郷里に戻っていたが、1900年12月より一年志願兵として名古屋歩兵第6連隊第3中隊に属する。日露戦争に従軍後、陸軍歩兵中尉で除隊。その後は輪西中普通水利組合会議員、石津村議、岐阜県議、同参事会員、同副議長、自作農創調査委員、小作、金銭債務各調停委員となる。ほか帝国在郷軍人会海津郡連合分会長、大日本砂防協会評議員となる。 1936年の第19回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。
古屋 慶隆(ふるや よしたか、1879年12月18日 - 1… 古屋 慶隆(ふるや よしたか、1879年12月18日 - 1945年3月10日)は、戦前日本の政治家。岐阜県恵那市出身。古屋家は典型的な地方の名望家であり、慶隆の父・善造も衆議院議員を1期務めた。 1903年明治大学法律科卒業。恵那郡大井町(現在の恵那市)会議員、所得税調査委員を経て1915年第12回衆議院議員総選挙で無所属で立候補し初当選。当選後立憲同志会に入党。その後憲政会、立憲民政党に所属。1928年の第16回衆議院議員総選挙に落選したのを唯一の例外として、1942年の翼賛選挙まで連続9回当選した。加藤高明内閣及び第1次若槻内閣で鉄道参与官を務めたのち、1931年1月民政党総務に就任し、同年4月には第2次若槻内閣の内務政務次官となった。
前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 -… 前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 - 1941年11月28日)は、講道館黎明期の柔道家(7段)である。グレイシー柔術の祖。本名・旧名前田 栄世(まえだ ひでよ)。ブラジル帰化後の本名はオタービオ・ミツヨ・マエダ。1908年にスペインで得た通り名コンデ・コマ(Conde Koma)の名でも知られていた。 青森県中津軽郡船沢村(のちの弘前市)出身。1895年(明治27年)、青森県第一中学校(青森県尋常中学校)(のちの青森県立弘前高校)に入学、運動委員の一員として同校の柔術部創設に関わったことで、旧弘前藩の柔術師範である斎藤茂兵衛(本覚克己流)への師事も指摘される。1995年の講道館機関誌『柔道』で青森県柔道連盟総務理事の岡本一雄は、前田は本覚克己流の免許を在学中に得た、と述べている。
立川 連(たちかわ むらじ、1877年(明治10年)12月1… 立川 連(たちかわ むらじ、1877年(明治10年)12月18日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 茨城県久慈郡太田町(現常陸太田市)で、立川義之の長男として生まれる。1904年(明治37年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業。阿緱庁長、台湾総督府事務官、殖産局移民課勤務、同農政課勤務を経て、台中州知事となった。
水野 吉太郎(みずの きちたろう、1874年(明治7年)12… 水野 吉太郎(みずの きちたろう、1874年(明治7年)12月18日 - 1947年(昭和22年)2月14日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員、高知弁護士会長。族籍は高知県平民。 1874年(明治7年)12月、高知県香美郡富家村に生まれる。水野源兵衛の長男。1899年(明治32年)に和仏法律学校法律科(現・法政大学)を卒業し、判事検事登用試験及び弁護士試験に合格する。 1900年(明治33年)に高知県で弁護士を開業するも、北海道に移住する。しかし、北海道での新聞事業の失敗、材木商との争いなどで、大連に渡る。 その後、高知県に帰郷し、1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する(政友会)。
勝俣 銓吉郎(かつまた せんきちろう、明治5年11月18日(… 勝俣 銓吉郎(かつまた せんきちろう、明治5年11月18日(1872年12月18日) - 1959年(昭和34年)6月4日)は日本の英学者。早稲田大学名誉教授、富士短期大学初代学長。 神奈川県箱根出身。小学校を中退し、横浜郵便局に勤務しながら横浜英和学校で英会話を学んだ。上京して国民英学会に学んだ後、ジャパンタイムズに就職して英作文を研鑽した。東京府立第四中学校、三井鉱山勤務を経て、早稲田大学教授となり、ジャパン・ツーリスト・ビューロー、横浜市立横浜商業専修学校、英語教授研究所に兼務した。終戦直後は行政機関で翻訳に従事し、戦後立正大学教授、富士短期大学学長を務めた。 連語を重視し、長年ノートに用例を書き溜め、『英和活用大辞典』を編纂した。
児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年… 児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年11月7日) - 1954年(昭和29年)2月13日)は、日本の実業家。 香川県高松市生まれ。高等商業学校附属外国語学校(のちの東京外国語学校)を経て、1892年高等商業学校(一橋大学の前身)卒。 会計検査院に勤務し、1893年横浜正金銀行(のちの東京銀行)入行。1922年同頭取。大蔵省顧問、中支那振興株式会社総裁、貴族院議員(1939年8月28日任命)などを歴任。1945年終戦連絡事務局総裁。1946年5月14日、貴族院議員を辞職した。 1954年2月13日歿。行年84歳。墓所は染井霊園1-イ-4-7。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
籾木 卿太郎(もみき きょうたろう / けいたろう、1867… 籾木 卿太郎(もみき きょうたろう / けいたろう、1867年12月18日(慶応3年11月23日) - 1916年(大正5年)8月7日)は、日本の医師。政治家、衆議院議員(1期)。 日向国諸県郡高岡郷、のちの宮崎県北諸県郡高岡町(現宮崎市)で生まれた。1887年(明治20年)鹿児島県立医学校(現・鹿児島大学医学部)卒。医師となり、東諸県郡医会長、郡医、校医、日本赤十字社準備医員嘱託となる。 1904年(明治37年)第9回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1916年に死去した。
小野 瓢郎(おの ひさごろう、1867年12月18日(慶応3… 小野 瓢郎(おの ひさごろう、1867年12月18日(慶応3年11月23日) - 1921年(大正10年)10月19日)は、日本の薬学者。従四位勲四等。薬学博士。富山薬学専門学校校長。愛知薬学校校長。族籍は愛知県平民。 江戸出身。北海道平民・小野新之丞の五男。1893年7月、帝国大学医科大学薬学科を卒業して薬学士の称号を得た。1898年、愛知医学専門学校教諭、愛知病院薬剤科長、1908年、愛知薬学校長。1915年7月、薬学博士の学位を授与された。同年9月、富山県技師および富山県立薬学専門学校長兼教授。1921年10月19日死去。享年55。 人柄は温厚篤実、気宇闊達と評された。部下を大切にし、死の前日にも再び校務に就くことを願うほど、仕事に忠実であった。
山田 済斎(やまだ せいさい、慶応3年11月23日(1867… 山田 済斎(やまだ せいさい、慶応3年11月23日(1867年12月18日) - 昭和27年(1952年)11月21日)は、日本の漢学者・陽明学者・教育者。二松学舎専門学校の初代校長。二松学舎名誉学長、大東文化学院名誉教授。幼名は鎨三郎、本名は準、字は士表、済斎は号で正しくは濟齋である。 済斎と夏目漱石は同年の1867年生まれで、ともに二松学舎で三島中洲に学んだ。第五高等学校で済斎は漢文科主任、漱石は英語科主任となった。
宇佐美 一宝(一寶、うさみ いっぽう / かずとみ、1865… 宇佐美 一宝(一寶、うさみ いっぽう / かずとみ、1865年12月18日(慶応元年11月1日)- 1953年(昭和28年)12月5日)は、明治期から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、山梨県東八代郡境川村長。 甲斐国八代郡小黒坂村(山梨県東八代郡五成村、境川村を経て現笛吹市境川町小黒坂)で、宇佐美太兵衛の長男として生まれる。漢学、英学を学んだ。1879年(明治12年)家督を相続し農業を営む。 1891年(明治24年)郡制施行後の初代東八代郡会議員に選出された。1899年(明治32年)山梨県会議員に当選し2期在任。その他、境川村長(5期)、境川村会議員、所得税調査委員、地方森林会議員、山梨県農会代表員、山梨山林会副会長、大日本山林会評議員、日本赤十字社特別社員などを務めた。
堀家 虎造(ほりけ とらぞう、1864年12月18日(元治元… 堀家 虎造(ほりけ とらぞう、1864年12月18日(元治元年11月20日)- 1939年(昭和14年)5月13日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、香川県那珂郡榎井村長。 讃岐国那珂郡与北村(香川県那珂郡与北村、仲多度郡与北村を経て現善通寺市与北町)で、農業、養蚕業を営む堀家に生まれた。漢学、英学、数学などを修めた。農業を営む。 1890年(明治23年)5月、榎井村長に就任し、1898年(明治31年)3月まで在任。1892年(明治25年)香川県会議員に選出され、1898年3月まで務め、その他、同常置委員、所得税調査委員も務めた。 1898年3月、第5回衆議院議員総選挙(香川県第4区)で当選し、以後、第8回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算3期在任した。
鈴木 仙太郎(すずき せんたろう、1855年12月18日(安… 鈴木 仙太郎(すずき せんたろう、1855年12月18日(安政2年11月10日) - 1936年(昭和11年)10月28日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲改進党→憲政本党→立憲国民党)、愛知県会議員などを務めた。 尾張国海東郡佐屋村(現在の愛知県愛西市)出身。1883年(明治16年)、代言人となる。1894年(明治27年)、第4回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1903年(明治36年)、愛知県会議員に選ばれ、議長を務めた。その後、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で再選された。
岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18… 岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18日(嘉永5年11月8日) - 1912年(明治45年)4月4日)は、日本の法学者。明治大学の創設者。 因幡国南本寺町(現在の鳥取市)に鳥取藩士岸本平次郎の三男として生まれる。幼名、辰三郎。当初藩校尚徳館で蘭式兵法を修める。 戊辰戦争に従軍後、1869年(明治2年)、箕作麟祥の共学塾に入門。翌年、貢進生として鳥取藩の推薦を受け、大学南校(後の東京大学)に入学。1872年(明治5年)、新設の司法省明法寮(後に司法省法学校)に第一期生として入学。ジョルジュ・ブスケ、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードらにフランス法を学び1876年(明治9年)卒業。
矢野 玄道(やの はるみち、1823年12月18日(文政6年… 矢野 玄道(やの はるみち、1823年12月18日(文政6年11月17日) - 1887年5月19日)は、伊予国喜多郡阿蔵村有松(現、愛媛県大洲市)の国学者・神道学者。伊予大洲藩士の子。幼名は茂太郎。道号は天放散人、子清、神臣、谷倶久、後楽閑人、扶桑眞人倚松、谷蟆、梅屋。本姓は平(佐奈田余一義忠次男中山次郎盛実末)。平田篤胤門下。
音彩 唯(ねいろ ゆい、12月18日 - )は、宝塚歌劇団雪… 音彩 唯(ねいろ ゆい、12月18日 - )は、宝塚歌劇団雪組に所属する娘役。雪組トップ娘役。 兵庫県神戸市、神戸海星女子学院中学校出身。身長162cm。愛称は「はばまい」、「ばぁ」、「ろい」、「メロディー」。 2017年、宝塚音楽学校入学。 2019年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に105期生として首席入団。宙組公演「オーシャンズ11」で初舞台。その後、雪組に配属。 麗しいルックスで早くから注目を集め、2020年の阪急阪神初詣ポスターモデルに起用された。 2021年、彩風咲奈・朝月希和トップコンビ大劇場お披露目となる「CITY HUNTER」で、新人公演初ヒロイン。その後も3度に渡って新人公演ヒロインを務める。
龍 真咲(りゅう まさき、12月18日生)は、日本のアーティ… 龍 真咲(りゅう まさき、12月18日生)は、日本のアーティスト。元宝塚歌劇団月組トップスター。所属事務所はスペースクラフト。
羽鳥 風画(はとり ふうが、12月18日 - )は、日本のソ… 羽鳥 風画(はとり ふうが、12月18日 - )は、日本のソングライター、編曲家、音楽プロデューサー。 東京都出身。早稲田大学第一文学部英文科を卒業後に渡仏し、フランス国立リヨン地方音楽院を卒業。帰国後はフリーランスの作曲家として活動し、主にゲーム・アニメの主題歌やBGMを手掛けている。studio CHANT名義で活動する他、同人では羽っ鳥もさく共和国としても活動。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
岡村 さやか(おかむら さやか、12月18日 - )は、日本… 岡村 さやか(おかむら さやか、12月18日 - )は、日本のミュージカル・舞台女優。東京都出身。 身長157cm。音域D〜heigh C 。A型[要出典]。 東京都立大学人文学部、東宝ミュージカルアカデミー・スカラシップ制アドバンスコース卒。(1期生) 2007年 「レ・ミゼラブル」で初舞台を踏む。ミュージカルや芝居などの舞台、LIVE等に出演。 幼稚園の頃から芝居の面白さに魅了された。その後14歳から歌を習い始め、ミュージカル俳優を志した[要出典]。 2018年〜2025年4月末までドルチェスター所属。 図書館司書資格保有。 青色とお祭りと文房具、おでかけ子ザメが好き モットーは、萩原朔太郎の「青いは青いなりに誠実に叫ぶ」。