佐々木 明久(ささき あきひさ、1948年3月21日 - )… 佐々木 明久(ささき あきひさ、1948年3月21日 - )は日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、製粉協会会長を務めた。 1970年一橋大学経済学部卒業、日清製粉入社。2001年日清製粉取締役業務本部長。2004年日清製粉常務取締役。2005年日本ロジテム取締役。 2008年から日清製粉代表取締役社長を務め、製粉協会会長も兼務し、輸入麦の即時販売方式への変更による国の輸入小麦保管業務の製粉業界への移管への対応にあたった。
上野 正三(うえの まさみ、1948年〈昭和23年〉3月21… 上野 正三(うえの まさみ、1948年〈昭和23年〉3月21日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道北広島市長(6期)。 北海道恵庭市出身。1970年、北海学園大学経済学部卒業後、北海道広島町役場入庁。北広島市都市計画部参事、同建設部長や、同総務部長等を歴任。2004年、同助役就任。同年に北広島市役所を退職、2005年、同市長選挙に出馬し他の新人候補者2人をおさえて初当選。以後、無投票による連続当選を経て、16年ぶりとなる2021年の選挙戦にて5回目の当選を果たす。2025年の選挙で6回目の当選。 この他、北広島歩くスキー協会理事、北海道尚志学園高等学校PTA会長なども務めた。 「自然と創造の調和した豊かな都市」をまちづくりの理念として掲げ、市内にある特別天然記念物「野幌原始林」をはじめとする豊かな自然や、国道、道道、高速道路、JR千歳線などの交通網等を活かして、さまざまな都市活動、経済活動、市民活動が安全かつ機能的に行われるよう、充実した都市整備を進めるとともに、人々が集い交流する拠点や個性ある地域市街地の整備などに重点を置いている。
加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2… 加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は、日本の音楽家。作曲、編曲、音楽プロデュース、撥弦楽器や鍵盤楽器などの演奏・歌唱を通じて、制作者・実演家として活動した。愛称は「トノバン」。 1960年代フォークグループ『ザ・フォーク・クルセダーズ』(通称フォークル)でデビュー。その後、ソロ活動に移行し、並行して1970年代初頭から中盤にかけてロックバンド『サディスティック・ミカ・バンド』で活動するなど、斬新なアイデアに満ちた創作活動で、1960年代後半から70年代の日本のミュージックシーンをリードした。 1970年に、のちにサディスティック・ミカ・バンドのヴォーカリスト・ミカになる福井ミカと結婚するが1975年に離婚。
小山 五朗(こやま ごろう、1947年3月21日 - )は、… 小山 五朗(こやま ごろう、1947年3月21日 - )は、日本の文部官僚。財団法人好仁会理事長。 長野県屋代高等学校を卒業し、1968年に国家公務員試験・初級(高校卒業程度)に合格。東京大学に就職。1972年に文部省に転勤し、大学学術局、大学局、高等教育局で業務に係員として携わる。その後、広島大学庶務部長、筑波大学学生部長、国立日高少年自然の家所長、総合研究大学院大学事務局長を経て、国立高等専門学校機構事務局長を最後に文部科学省を退職。2005年4月より財団法人好仁会理事長。
平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日… 平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日 - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。戸籍名:和田 レミ(わだ レミ、旧姓:平野)。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーターの和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。
藤田 浩一(ふじた こういち、1947年3月21日 - 20… 藤田 浩一(ふじた こういち、1947年3月21日 - 2009年10月11日)は、日本のギタリスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、実業家。トライアングルプロダクション、バミューダ音楽出版の社長を務めた。
代谷 誠治(しろや せいじ、1947年3月21日 - )は、… 代谷 誠治(しろや せいじ、1947年3月21日 - )は、日本の工学者。専門は、原子炉物理学・原子炉工学。京都大学名誉教授。学位は、工学博士。京都大学原子炉実験所(現京都大学複合原子力科学研究所)の所長や原子力安全委員会の委員を務めた。 代谷は内閣府原子力安全委員会委員および専門委員でありながら、原発関連企業である関西原子力懇談会等から450万円を受け取っており、原発の推進側と規制側の癒着構造が「安全規制ガバナンス」における根本的な問題であると指摘されている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
岡野 俊昭(おかの としあき、1946年〈昭和21年〉3月2… 岡野 俊昭(おかの としあき、1946年〈昭和21年〉3月21日 - 2023年〈令和5年〉12月22日)は、日本の政治家。教育者。元千葉県銚子市長(1期)、元・新しい歴史教科書をつくる会副会長。 千葉県銚子市生まれ。日本体育大学体育学部卒業。銚子市内の中学校の教諭、教頭、校長を務め、校長時代は挨拶、清掃、ランニングなどを生徒に行い、学校立て直しの成果を挙げた。日本体操協会強化コーチ、スペイン・バルセロナ日本人学校校長、北米・欧州地区日本人学校長研究協議会会長を歴任した。 2006年(平成18年)、銚子市長選挙に立候補して、現職の野平匡邦を破って当選した。2009年(平成21年)の解職請求成立で失職し、解職後の市長選挙で前市長の野平に敗れた。
鈴木 良雄(すずき よしお、1946年3月21日 - )は、… 鈴木 良雄(すずき よしお、1946年3月21日 - )は、日本のベーシスト、作曲家。 長野県木曽郡木曽福島町(現・木曽町)生まれ。杉並区立松溪中学校、東京都立杉並高等学校を経て、早稲田大学第二文学部に入学し、早稲田大学第一文学部を卒業。 鈴木良雄は、一家の疎開先の木曽福島で生まれ、祖父は鈴木バイオリン製造の創業者・鈴木政吉、父の鈴木喜久雄もバイオリン制作者、母はピアノ教師、さらに叔父は「スズキ・メソード」の創始者鈴木鎮一という音楽一家に育つ。中学入学と同時に帰京。幼少時からピアノとヴァイオリン、高校ではギターを学ぶ。早稲田大学入学後早大モダンジャズ研究会(通称ダンモ研)に入りピアノを担当。1年後輩にはタモリや増尾好秋がいた。
鳥飼 玖美子(とりかい くみこ、本名:町田 玖美子、1946… 鳥飼 玖美子(とりかい くみこ、本名:町田 玖美子、1946年3月21日 - )は、日本の通訳者・英語教育学者・通訳学者。立教大学名誉教授。 大学在学時から同時通訳者として活動し、23歳でアポロ11号の月面着陸の生中継(NETテレビ)、24歳で大阪万博期間中の特別番組(NHK総合、全21回)を担当するなど、若くして数々の大舞台を踏んだことで広く知られる。のちに研究者に転身、英語教育や通訳学、異文化コミュニケーションを専門として積極的に発言を続ける。NHKの英語講座をはじめ、メディア出演も多い。 東京都港区赤坂檜町5番地に生まれ育つ。父は海軍主計少佐で、母はシンガポールで数年間を過ごした帰国子女だった。
瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2… 瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2019年6月)は日本の実業家。株式会社エアーリンク(現・エアトリインターナショナル)創業者・名誉会長。同社代表取締役会長を務めた。サイバー大学客員教授、可処分時間研究所代表。長男は実業家で株式会社maneoマーケット元代表取締役の瀧本憲治である。 神奈川県小田原市生まれ。神奈川県立小田原高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は一橋大学消費生活協同組合専務理事を務め、大学卒業後全国大学生活協同組合連合会に入社。 1979年EEC(エンジョイ・エコノミークラブ)を設立。旅行会社の株式会社エアーリンクトラベルを設立。1994年には国際航空運送協会公認旅行代理店となり、1995年に株式会社エアーリンクに商号変更。
野田 大燈(のだ だいとう、1946年3月21日 - )は、… 野田 大燈(のだ だいとう、1946年3月21日 - )は、日本の曹洞宗の僧侶、教育者。喝破道場塾長、報四恩精舎住職。元總持寺後堂。 サッカーワールドカップ日本代表元監督の岡田武史の心の師として知られる。 1946年3月21日、香川県高松市に生まれる。1973年、働きながら香川県立高松南高等学校定時制を卒業。指圧鍼灸専門学校に通い、健康器具販売会社を設立。1974年4月8日、駒澤大学理事長の栗田大俊に師事して出家得度。瑞応寺専門僧堂にて修行。1975年、遺産の土地に醤油樽、後にバスを改造した「報四恩精舎」を建てる。不登校や非行の青少年を受け入れ、1984年に財団法人喝破道場を設立。1993年、四恩の里設立、1994年、若竹学園を設立。
高見三明(たかみみつあき、 1946年3月21日 - )は、… 高見三明(たかみみつあき、 1946年3月21日 - )は、カトリック長崎大司教区の名誉大司教である。洗礼名は「ヨセフ」。 1946年(昭和21年)3月21日 - 長崎県長崎市三ツ山町で誕生。 翌日、カトリック三ツ山教会で幼児洗礼を受ける。1960年4月、長崎公教神学校(現長崎カトリック神学院)に入学し、長崎南山中学校3年に編入。1964年、長崎南山高等学校を卒業して福岡市の聖スルピス大神学院に入学。哲学と神学を学ぶ。 1972年3月20日、里脇浅次郎大司教から浦上天主堂で司祭に叙階される。1973年10月29日、司祭養成に携わる教区司祭の会「聖スルピス司祭会」に入会し、ローマのグレゴリアン大学へ留学。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、… 伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
児玉駿(こだま すぐる、1944年3月21日 - )は、日本… 児玉駿(こだま すぐる、1944年3月21日 - )は、日本の実業家。学校法人日通学園理事長。愛媛県出身。前日通総合研究所社長、元日本通運取締役常務執行役員。
石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、… 石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、日本のロックギタリスト。インド音階を駆使したラーガ奏法のシタール奏者。北海道札幌市出身。以前は、「石間秀樹」や「石間ヒデキ」の芸名で活動していた。 高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。 同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(通称:FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。
岩本 久人(いわもと ひさと、1943年3月21日 - 20… 岩本 久人(いわもと ひさと、1943年3月21日 - 2024年4月22日)は、日本の政治家、元参議院議員(1期)。 島根県出身。1962年、県立浜田高校卒。同年島根県庁入り、県庁に勤務しながら法政大学法学部に通信制で学ぶ(のち中退)。労働組合に入り、書記長、自治労中国地連事務局長となる。1979年、日本社会党から島根県議会議員に当選。3期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で島根選挙区から無所属で立候補して当選。日本社会党・護憲共同会派に入る。1993年2月、「山花『シャドーキャビネット』」で地方分権担当大臣に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に無所属の会から立候補したが落選。
田中 八洲男(たなか やすお、1943年〈昭和18年〉3月2… 田中 八洲男(たなか やすお、1943年〈昭和18年〉3月21日 - )は、日本の政治家、元島根県議会議員(5期)、元島根県益田市長(1期)。 島根県出身。東京大学理学部卒。三井東圧化学に入社し、主席部員となる。1996年益田市長選挙に立候補し、現職を破って当選。8月2日に市長に就任。就任直後に市内への私立大学誘致を巡り、市議会と対立した。これにより市議会は市長の田中に不信任案を提出し、市議会は不信任案を可決した。12日に田中は市議会を解散したものの、市議会議員の任期が25日までしかなかったことから市長と同時に改選された新しい市議の任期が13日から繰り上がる珍しい事態となった。2000年に落選。
河合 伸光(かわい のぶてる、昭和17年(1942年)3月2… 河合 伸光(かわい のぶてる、昭和17年(1942年)3月21日 - )は日本の実業家。河合商事(株)の元代表取締役社長。 父は元米子市長の河合弘道。 昭和36年(1961年)県立米子東高校卒。 昭和40年(1965年)日本大学文理学部心理学科卒。小林脳行(株)東京本社勤務。昭和45年(1970年)同社退職。 昭和47年(1972年)河合商事を個人創業。昭和48年(1973年)株式会社に法人化。
佐藤 紘彰(さとう ひろあき、1942年3月21日 - )は… 佐藤 紘彰(さとう ひろあき、1942年3月21日 - )は、アメリカ合衆国の翻訳家。日系アメリカ人。元日本国籍。 警察官だった父親の赴任先の台湾で生まれたが、終戦により家族とともに長崎に転居。貧しい暮らしの中、街で見かけるユニフォーム姿の米兵に心奪われ、アメリカに憧れて英語を学び始める。1968年、同志社大学英文科大学院修士課程修了するとすぐニューヨークに渡り、1969年、日本貿易振興会 (JETRO) に入る。2005年に JETRO が改組により日本貿易振興機構となるとともに上級研究員。 1979年、アメリカ俳句協会会長。1985年、聖アンドリュース・プレスビテリアン・カレッジ日本文学講師。
齋藤 正寧(さいとう まさやす、1942年(昭和17年)3月… 齋藤 正寧(さいとう まさやす、1942年(昭和17年)3月21日 - 2015年(平成27年)1月5日)は、日本の政治家、新聞記者。元秋田魁新報社社員、元秋田県議会議員、元秋田県井川町町長。 旧上井河村(現在の井川町東部)赤沢の出身。1964年(昭和39年)早稲田大学第一政経学部卒業後に秋田魁新報社に入社する(1970年12月まで在籍)。そして旧上井河村長だった父の齋藤正作県議の逝去に伴う後継として、1971年(昭和46年)秋田県議会議員選挙に立候補し、初当選を果たした。 秋田県議会議員を2期務めた後、20年に渡り井川村長、井川町長を務めた鷲谷嘉兵衛の引退に伴う1979年(昭和54年)の井川町の町長選に立候補、初当選を果たす。
備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )… 備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )は、日本の著述家・在野史家。日朝関係史に造詣が深い。
川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月2… 川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月21日 - 2018年(平成30年)6月22日 )は、日本の実業家である。大手非鉄金属メーカーであるフジクラ代表取締役・副社長を務めた。岡山県高梁市出身。 1941年(昭和16年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。高梁北小学校時代は、1学年上に、ANAホールディングス会長になる大橋洋治がいた。大橋は途中で岡大附属小学校へ転校するが、以降生涯に渡り仲が良かった。その後、市立高梁中学校を経て、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学、1959年(昭和34年)同校を卒業する。同年、岡山大学文学部へ進学し、1963年(昭和38年)同大学を卒業する。
高桑 美子(たかくわ よしこ、1941年3月21日 - 20… 高桑 美子(たかくわ よしこ、1941年3月21日 - 2016年11月7日)は、日本の英文学者。津田塾大学名誉教授。 1963年津田塾大学英文学科卒業。1967年アメリカ合衆国ブリンマー大学大学院修士課程修了、1969年東京大学大学院博士課程満期退学、津田塾大学文学部専任講師、1973年助教授、1985年教授。2012年定年。 2016年11月7日、誤嚥性肺炎のため死去。
阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2… 阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2007年5月4日)は、日本の俳優、芸能プロモーター。本名、阿知波 信雄(あちは のぶお)。元妻は女優の多岐川裕美、娘はタレントの多岐川華子。元娘婿は俳優の仁科克基(俳優の松方弘樹と女優の仁科亜希子の息子)。 島根県益田市出身。島根県立益田高校卒業。明治大学政治経済学部卒業。 俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。この間、美容研究家である竹腰美代子の体操の門下生となり、竹腰のリサイタルに出演する。
横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は… 横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、現在はヴィア・ホールディングスで代表権の無い会長職を経て代表取締役社長を務めている。 横川家の四男として長野県諏訪市に生まれる。1958年(昭和33年)3月に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、1962年(昭和37年)に兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社の取締役になる。 1974年(昭和49年)11月にすかいらーく常務取締役に就任、その後、すかいらーく代表取締役副社長、代表取締役会長、最高顧問を歴任。 2002年(平成14年)6月、あかつきビーピー(現・ヴィア・ホールディングス)取締役会長に就任、一時はヴィアホールディングス代表取締役会長を務めていた。
青木 利晴(あおき としはる、1939年3月21日 - )は… 青木 利晴(あおき としはる、1939年3月21日 - )は、日本の実業家。元NTTデータ社長。 東京都出身。1957年東京都立戸山高等学校卒業。1962年東京大学工学部電気工学科卒業。1967年東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。同年4月日本電信電話公社入社。77年ニューヨーク海外駐在事務所専門調査役、92年取締役通信網総合研究所長、96年常務取締役研究開発本部長、97年代表取締役副社長兼研究開発本部長を経て、1999年より2003年までNTTデータ代表取締役社長を務めた。
宇野澤虎雄(うのさわ とらお、1939年3月21日 - )は… 宇野澤虎雄(うのさわ とらお、1939年3月21日 - )は日本の実業家。宇野澤組鐵工所会長。東京都大田区南雪谷在住。 東京府出身。早稲田大学法学部卒業。1963年 興国人絹パルプに入社。1968年6月 宇野澤組鐵工所に入社。1974年12月 同社取締役兼渋谷工場次長。1975年9月 同社取締役兼渋谷工場長。1977年9月 同社取締役兼玉川工場長。1981年7月 同社代表取締役常務取締役。1986年7月 同社代表取締役社長。1988年7月 ウノサワエンジニアリング代表取締役社長。2016年6月 宇野澤組鐵工所代表取締役会長。その他、渋谷法人税会会長なども務めた。
小笠原 信夫(おがさわら のぶお、 1939年(昭和14年)… 小笠原 信夫(おがさわら のぶお、 1939年(昭和14年)3月21日 - 2018年(平成30年)10月29日)は、日本の刀剣学者。東京国立博物館刀剣室長、工芸課長などを歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野村 俊明(のむら としあき、1938年3月21日 - )は… 野村 俊明(のむら としあき、1938年3月21日 - )は、日本の化学者。信州大学名誉教授。専門は分析化学。 長野県東筑摩郡中川村(現・松本市)生まれ。1956年(昭和31年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1962年(昭和37年)信州大学文理学部大学院修了。 信州大学理学部助教授、教授を務めた後、2003年(平成15年)定年退官。信州大学名誉教授。 1998年(平成10年)から2002年(平成14年)の間、信州大学付属図書館館長を務る。日本分析化学会名誉会員。 退官後は、四賀村議会議員などを務めた。
野澤 量一郎(のざわ りょういちろう、1938年3月21日 … 野澤 量一郎(のざわ りょういちろう、1938年3月21日 - )は、日本の経営者。ファナック社長を務めた。 東京都出身。1962年に東京大学工学部を卒業し、同年に富士通に入社。1972年に富士通ファナックに転じ、1982年6月に取締役に就任し、1984年9月に常務、1987年3月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1999年6月に副会長を経て、2000年6月には会長に就任し、2003年6月には相談役に退いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
竹田 真砂子(たけだ まさこ、1938年3月21日 - )は… 竹田 真砂子(たけだ まさこ、1938年3月21日 - )は、日本の小説家。本名、川俣昌子。時代小説を得意とする。 東京都神楽坂出身。法政大学文学部教育学科卒。1982年『十六夜に』で第61回オール讀物新人賞、2003年『白春』で第9回中山義秀文学賞、2011年『あとより恋の責めくれば-御家人南畝先生』で第30回新田次郎文学賞を受賞した。また、邦楽を軸にした舞台作品も多く、国立劇場、新橋演舞場、紀尾井ホールなどで上演されている。舞踊詞として作られた「蛍」はその後コンサートホールなどで演奏され、CD「今藤政太郎作品集1」に収録されている。 2007年から2017年まで中山義秀文学賞選考委員を務めた。
平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 196… 平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 1968年8月21日)は、元競輪選手。宮城県刈田郡蔵王町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第13期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。選手登録番号6789。 競輪学校91期生であった元競輪選手の平間一洋の大叔父にあたる。 宮城県立大河原高等学校を卒業後、アマチュア選手としてアジア大会などのスクラッチ(現在のスプリント)種目に出場し数々の優秀な成績を治める。この頃は早稲田大学商学部の聴講生であったが、大学の自転車部が平間を一般学生として登録し出場させていたため、部全体が長期の活動停止処分を受けてしまい、アマとしての活動が難しくなったため、プロである競輪への転向を決断している。
瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - … 瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 尼崎北高校から大阪商業大学を経て1958年に近鉄パールスへ入団。1966年に引退。
花本 金吾(はなもと きんご、1936年3月21日 - )は… 花本 金吾(はなもと きんご、1936年3月21日 - )は、日本のアメリカ文学者。早稲田大学名誉教授。 島根県生まれ。島根県立浜田高等学校卒、早稲田大学文学部英文科卒、1965年同大学院文学研究科博士課程満期退学、立正女子大学短期大学部専任講師、1969年助教授、1974年早大法学部助教授、教授。2005年定年、名誉教授。2015年11月瑞宝中綬章受章。
小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は… 小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は、日本の実業家。株式会社デニーズジャパン第3代代表取締役社長を務めた。 静岡県沼津市出身。小樽商科大学卒業後、1960年東レ入社。1971年イトーヨーカ堂入社。1993年からデニーズジャパン代表取締役社長を務め、業務改革を進め、サービス水準の向上にあたった。1998年沼津市ぬまづ大使。2001年緑丘会理事長。2002年デニーズジャパン相談役。2003年ヤギ監査役。
吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 20… 吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 2016年3月9日)は、佐賀県武雄市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 武雄高校では、1951年秋季九州大会県予選準決勝に進むが佐賀高に敗退。翌1952年夏の甲子園県予選も準決勝で佐賀商に敗れる。卒業後は日鉄二瀬に入社し、1956年の都市対抗に四番打者として出場。1回戦では本塁打を放ち富士製鐵室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。チームメートには古葉竹識・江藤慎一・井洋雄らがいた。 1957年、東映フライヤーズへ入団。3月30日の阪急との開幕戦(西宮)では新人ながら四番左翼手に抜擢され、梶本隆夫からプロ初安打を放つ。
森 謙治(もり けんじ、1935年3月21日 - )は、日本… 森 謙治(もり けんじ、1935年3月21日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。農学博士。専攻は有機合成化学、生物活性物質化学。元日本農芸化学会会長。元社団法人有機合成化学協会会長。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。
井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 19… 井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 1994年10月16日)は、日本の俳優、声優。本名は同じ。東京市(現東京都)渋谷区出身。玉川大学文学部卒業。染谷事務所に所属していた。妻は女優の馬渕晴子(2012年死去)。次男は陶芸家の井上恵介。 1957年に大学を卒業。 劇団東宝現代劇に入団して菊田一夫に師事。芸術座の演劇『モデルの部屋』で初舞台を踏む。 1987年、菊田一夫演劇賞を受賞。 森光子主演の『放浪記』では、1974年以降死去する1994年まで、福地貢役を20年間演じていた。 声優の仕事もこなしており、洋画の吹き替えではロック・ハドソンとピーター・オトゥールのフィックス(専属)声優として知られていた。
鏡味 健二郎(かがみ けんじろう、1935年3月21日 - … 鏡味 健二郎(かがみ けんじろう、1935年3月21日 - 2020年5月16日)は、日本の太神楽曲芸師。本名:鈴木 茂男。東京都台東区出身。実父は、5代目古今亭今輔。太神楽曲芸協会および落語芸術協会(参与)会員。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
大和田 明(おおわだ あきら、1934年3月21日 - 20… 大和田 明(おおわだ あきら、1934年3月21日 - 2001年3月4日)は、茨城県西茨城郡友部町(現在の笠間市)出身で、1950年代後半から1960年代にかけて活躍したプロ野球選手。現役時代のポジションは、外野手(捕手としての試合出場もあり)。1965年の登録名は大和田明良。 茨城高等学校では1950年秋季関東大会県予選準決勝に進むが、水戸商に惜敗。翌1951年夏の甲子園県予選でも準決勝で水戸一高に敗れる。 卒業後は高崎理研を経て、1955年に西鉄ライオンズへ入団。終盤の9月16日に毎日オリオンズ戦で同試合5人目の捕手としてマスクを被るも、気分が舞い上がってしまい、本堂保弥のスクイズバントに対応できずサヨナラ負けを喫する。
中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は… 中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は、毎日オリオンズ に在籍したプロ野球選手(内野手)。 法政一高では1951年春季東京大会で準決勝に進むが、沖山光利のいた明治高に敗退。同年夏の甲子園都予選では3回戦で成城高に惜敗。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、遊撃手として活躍。1955年秋季リーグでは打率.383で首位打者を獲得、ベストナインにも選出された。大学同期に長谷川繁雄がいる。 卒業後は 日本石油に入社。1956年の都市対抗では一番打者としてエース藤田元司を擁し決勝に進出。熊谷組を降しチームを優勝に導く。この時のチームメートに花井悠らがいる。
齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日… 齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2024年〈令和6年〉8月10日)は、日本の実業家。シャトレーゼホールディングス創業者。 1934年、山梨県東山梨郡勝沼町(現:甲州市)生まれ。山梨県立日川高等学校卒業。1954年に今川焼き風の焼き菓子店「甘太郎」を出店し、創業。1959年に有限会社甘太郎を設立し、代表取締役に就任。1964年に大和アイス株式会社を設立し、1967年に2社を合併して株式会社シャトレーゼを設立。代表取締役に就任し、2008年に会長に昇格。2010年に株式会社シャトレーゼを株式会社シャトレーゼホールディングスに商号変更し、代表取締役社長に。2018年社長職を次女の齊藤貴子に譲り、同社の会長に。
日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 201… 日比 英一(ひび えいいち、1934年3月21日 - 2016年10月23日)は、日本の実業家、中部日本放送元常務取締役、元同社アナウンサー。 愛知県名古屋市熱田区出身。愛知県立瑞陵高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1957年、中部日本放送にアナウンサーとして入社。入社当初から10数年間はラジオ音楽番組『0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです』など主に芸能番組や社会情報番組の司会・レポーター業を中心に活動する。 その後、1974年10月に中京広域圏の放送局としては初のワイドローカルニュース番組として「CBCニュースワイド」が立ち上げられると同時に同番組の初代キャスターに抜擢。以後、1989年9月までは平日版のメインキャスター、1997年3月までは週末版のメインキャスター、1998年3月までは土曜版のコメンテーターとして23年半に渡って同番組に関わり続けたほか、同局の衆議院 ・参議院議員総選挙時の開票特別番組の東海地区パートの総合司会や、新春恒例の東海地区の財界人を招いての対談番組『新春中部財界人サロン』の司会なども長期に渡り担当、CBCの報道の顔として活躍した。
原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 -… 原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2013年〈平成25年〉1月11日)は、日本のお笑い芸人、俳優。本名:柳原 哲也。吉本興業所属。 熊本県熊本市上近見町に生まれる。九州学院高等学校卒業後、剣戟の「富士川昇一座」に入って、九州を巡業する。また「島陽之助一座」にも籍を置いた。 1953年、大阪に出て、「堀江洋子一座」に入る。その後、ストリップ劇場のコメディアンに転向して、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」などに出演していたが、生活に困窮し、堀江洋子一座で一緒で「島陽之助一座」にいたころからの旧知の島田洋之介に誘われ1963年、吉本興業に入社する。 以後、吉本新喜劇で活躍、1969年には座長に就任、『てなもんや三度笠』では、毎回CM時に藤田まこと、白木みのると掛け合いで登場し、レギュラー出演していた。
菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 20… 菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 2012年4月28日)は、日本の病理学者。「菊池病」発見者。
上野 利雄(うえの としお、1934年3月21日 - 201… 上野 利雄(うえの としお、1934年3月21日 - 2016年9月30日)は、日本の経営者。小野薬品工業社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1957年に大阪市立大学経済学部を卒業し、同年に小野薬品工業に入社した。1981年に取締役に就任し、1983年4月に常務、1985年4月に専務、1989年4月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任し、2001年6月には会長に就任した。2005年6月に取締役相談役に就任し、2008年6月から非常勤取締役相談役を務めた。 2016年9月30日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 康子(いとう やすこ、1934年3月21日 - )は、… 伊藤 康子(いとう やすこ、1934年3月21日 - )は、日本の女性史学者。 瀋陽生まれ。1957年東京大学文学部国史学科卒業。『歴史評論』編集部、日本福祉大学講師、中京女子大学短期大学部教授、2002年定年退職。愛知県史編纂委員会特別調査委員、愛知女性史研究会会員。
児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月… 児玉 更太郎(こだま こうたろう、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2026年〈令和8年〉1月11日)は、日本の政治家、初代広島県安芸高田市長(1期)。 広島県高田郡高宮町(現・安芸高田市)出身。鳥取大学農学部卒。高校講師や来原農協専務理事、郡農協支所長を歴任した。1969年(昭和44年)高宮町議会議員に当選して、3期務める。その間、1978年(昭和53年)に同議長に就任した。1980年(昭和55年)高宮町長に当選。高宮町議時代から地域振興会の活動に取り組む。高宮町長を6期務めた。2004年(平成16年)、高田郡全域の6町が合併し、安芸高田市が発足。合併後の市長選挙に立候補し無投票で当選した。