久保田 隆(くぼた たかし、1946年〈昭和21年〉11月2… 久保田 隆(くぼた たかし、1946年〈昭和21年〉11月21日 - )は、平成期の日本の実業家。日本の建設会社、エンジニアリング会社である千代田化工建設の社長・会長、エンジニアリング協会理事長、化学工学会会長を歴任。 茨城県に生まれる。1969年(昭和44年)3月東北大学工学部化学工学科卒業後、千代田化工建設入社。1995年(平成7年)同社海外第2プロジェクト本部 プロジェクト部長、1998年(平成10年)取締役、2001年(平成13年)常務取締役兼執行役員、2004年(平成16年)取締役兼執行役員、2005年(平成17年)常務取締役兼執行役員を経て2007年(平成19年)に社長(代表取締役、取締役社長兼執行役員)となり、その後、2013年(平成25年)会長就任。
紙屋 克子(かみや かつこ、1946年11月21日 - )は… 紙屋 克子(かみや かつこ、1946年11月21日 - )は、日本の看護学者(意識障害看護・ナーシングバイオメカニクス・看護事故判例研究・リハビリテーション看護)。学位は博士(医学)(筑波大学・1997年)。静岡県立大学大学院看護学研究科教授・看護学部教授、茨城県立医療大学参与、筑波大学名誉教授。 札幌麻生脳神経外科病院副院長、筑波大学大学院医科学研究科教授、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授、筑波大学看護・医療科学類学類長などを歴任した。 北海道紋別郡湧別町出身。1968年、北海道大学医学部附属看護学校卒業。北星学園大学の文学部社会福祉学科にて学び、1984年に卒業した。それから6年後、今度は北海学園大学の法学部法律学科を卒業し、法学士の称号を取得した。
福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )… 福田 千惠(ふくだ せんけい、1946年11月21日 - )は、日本画家、日本藝術院会員。東京都葛飾区東立石出身。本名は千恵子。「けい」の字は「恵」ではなく「惠」。 葛飾区立川端小学校、武蔵野美術大学卒。佐藤太清に師事。1981年日展特選、1996年日展会員賞、1999年日展文部大臣賞。2006年「ピアニスト」で日本芸術院賞。日展理事。2009年芸術院会員。2012年葛飾区名誉区民。2024年、旭日中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中村幻児(なかむら げんじ、1946年11月21日 - )は… 中村幻児(なかむら げんじ、1946年11月21日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサーである。栃木県大田原市出身。 1968年、慶應義塾大学文学部中退。東京綜合写真専門学校在学中よりフリーの助監督として活動し、1972年「完全なる同性愛」で監督デビューした。以降多数のピンク映画を手がけ、その青春映画・ニューシネマ的作風によって高橋伴明、渡辺護らとともに、ピンク映画界を代表する監督となった。中村は、日活の下請けプロダクションであるプリマ企画などで約83本のピンク映画を撮影した。また1982年、筒井康隆原作の作品『ウィークエンド・シャッフル』にて一般映画にも進出した。 。その後テレビドラマ・Vシネマなども手がけている。
北村 敬子(きたむら けいこ、1945年11月21日 - 2… 北村 敬子(きたむら けいこ、1945年11月21日 - 2023年6月13日)は、日本の会計学者。位階は正五位。 中央大学名誉教授。中央大学副学長、ヤマトホールディングス監査役、京王電鉄監査役、明治安田生命保険取締役、日野自動車監査役等を歴任。会計士補(公認会計士試験旧第二次試験合格)・税理士。旧姓米田。 奈良県出身。東京都立新宿高校卒業後、中央大学商学部会計学科に入学。学生時代、中央大学経理研究所に所属し、学部在学中に公認会計士第二次試験に合格した。1968年、同大学商学部会計学科卒業。1970年、同大学大学院商学研究科修士課程修了。1973年、同博士課程単位取得退学。同年、中央大学商学部助手に採用。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
青柳 正規(あおやぎ まさのり、1944年11月21日 - … 青柳 正規(あおやぎ まさのり、1944年11月21日 - )は、日本の歴史学者・考古学者(西洋美術史・西洋古典考古学)。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(文学)(東京大学・1992年)。山梨県立美術館館長、学校法人多摩美術大学理事長、奈良県立橿原考古学研究所所長、石川県立美術館館長、公益財団法人せたがや文化財団理事長、アーツカウンシル東京機構長、東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 1944年、関東州・大連生まれ。1963年に東京都立新宿高等学校を卒業。東京大学文学部美術史学科で学び、1967年に卒業した。同大学大学院へ進み、1969年に修士課程を修了。博士課程在学中にローマ大学へ3年間留学。
寺澤 捷年(てらさわ かつとし、1944年11月21日 - … 寺澤 捷年(てらさわ かつとし、1944年11月21日 - )は、日本の医師、和漢診療学の創始者。 東京都生まれ。日本の伝統医学・漢方の継承者であると同時に、現代西洋医学との調和を目指し「東西医学の和諧と発展」による和漢診療学を提唱。富山医科薬科大学に和漢診療学講座を開設し初代教授となった。西洋医学を縦糸とすると、漢方は横糸であり、両者の活用により次世代型医療という織物が成り立つというのが寺澤の主張である。臨床医としての和漢診療学の実践に留まらず、医学生・研修医への教育、各種の漢方的病態の診断基準の提唱、漢方方剤の薬理学的解明,二重盲検臨床比較試験(二重盲検法参照)による漢方方剤の有効性の客観的評価法の確立など幅広い活動実績を持つ。
金子 勝美(かねこ かつみ、1944年11月21日 -)は、… 金子 勝美(かねこ かつみ、1944年11月21日 -)は、日本の元女優。本名は同じ。 東京都出身。青山学院大学卒業。東京俳優生活協同組合に所属していた。 特技は乗馬、日本舞踊。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
藤沼 亜起(ふじぬま つぐおき、1944年11月21日 - … 藤沼 亜起(ふじぬま つぐおき、1944年11月21日 - )は、日本の公認会計士。日本人初の国際会計士連盟会長や、日本公認会計士協会会長、中央大学大学院戦略経営研究科特任教授などを歴任した。 東京都生まれ。1968年中央大学商学部卒業。井上達雄ゼミ出身。1969年堀江・森田共同監査事務所入所。1970年アーサーヤング公認会計士共同事務所入所。1985年国際会計士連盟(IFAC)国際監査実務委員会(IAPC)日本代表委員。1986年朝日新和会計社代表社員。1993年太田昭和監査法人代表社員。2000年に日本人として初めて国際会計士連盟(IFAC)会長に就任。2004年日本公認会計士協会会長、2005年IFRS財団評議員兼副議長。
中野 正孝(なかの まさたか、1943年11月21日 - 2… 中野 正孝(なかの まさたか、1943年11月21日 - 2023年4月17日)は日本の通産官僚。元生活産業局長。誤嚥性肺炎により他界。 北海道札幌南高等学校、東京大学教養学部卒業後通産省入省。産業政策局総務課長補佐などを経て、1979年工業技術院総務課法令審査委員。1980年資源エネルギー庁総務課法令審査委員。1984年機械情報産業局情報処理振興課長となりその後各課課長を歴任する。情報処理振興課長や電子政策課長として第五世代コンピューター計画やソフトウェア開発の国家プロジェクト「シグマ計画」の立ち上げに携わる。1991年官房三課長の大臣官房総務課長となる。国際経済部長だった1993年には通産省の人事抗争をめぐる通産省4人組事件に名前が挙がる。
本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は… 本田 憲子(ほんだ のりこ、1943年11月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト。 愛知県春日井市出身。母親は元バスケットボール選手、長兄はバレーボール選手、次弟は野球選手というスポーツ一家に生まれる。 名古屋市立桜台高校在学中、1960年全国高校バレーボール大会(徳島県)でベスト8を経験し、1964年東京オリンピック強化選手に選ばれる。卒業後、日紡貝塚に入社し、大松博文の指導を受ける。 1962年世界選手権( ソビエト連邦:モスクワ開催)で金メダルを獲得した。1964年東京オリンピック後の「新生ニチボー」で活動。1965年ブラジルバレーボール連盟主催 南米大会(サンパウロ開催)に全日本チームとして招待され優勝。
中辻 博(なかつじ ひろし、1943年11月21日 - )は… 中辻 博(なかつじ ひろし、1943年11月21日 - )は、日本の理論化学者。専門は量子化学。NPO法人量子化学研究協会研究所(2006年設立)所長(理事長、第一部門長)。京都大学名誉教授。大阪府生まれ。 中辻は米澤貞次郎(1923年 - 2008年。京都大学)の弟子である。米澤は福井謙一の門下生であるため、福井の孫弟子にあたる。 2000年代、中辻は原子および分子(すなわちクーロン相互作用の系)についてのシュレディンガー方程式とディラック方程式を解くための一般的な方法を開発した。これは解析的な手法であり、波動関数のためのIterative Complement Interaction(ICI、繰り返し完員関数相互作用)またはFree Complement(FC)法(自由完員関数理論)を含む。
山川 建夫(やまかわ ゆきお、1943年11月21日 - )… 山川 建夫(やまかわ ゆきお、1943年11月21日 - )は、日本のアナウンサーであり、1985年までフジテレビのアナウンサーを務めていた。1989年からは東京俳優生活協同組合に所属。フジテレビお台場アナウンススクール講師。 東京・千駄ヶ谷生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。フジテレビアナウンサーとしておよそ17年間務めた後に退社、その後は憲法改正に反対する主張、環境保護や自然と親しむ暮らしについての講演などを行っている。 大学を卒業した1968年にアナウンサーとしてフジテレビに入社、同期入社のアナウンサーには逸見政孝、松倉悦郎、竹下典子、小林節子、山根佳代子。 ベ平連に係わってベトナム戦争反対運動を行っていたこともある山川は、1970年、当時司会アシスタントとして出演していた朝のワイドショー番組「小川宏ショー」の放送内で、他番組でベトナム視察報告をした女優の山口淑子(李香蘭、のち参議院議員。
飯島 武次(いいじま たけつぐ、1943年11月21日 - … 飯島 武次(いいじま たけつぐ、1943年11月21日 - )は、日本の考古学者。文学博士(東京大学・論文博士・1987年)。駒澤大学名誉教授。日本中国考古学会会長、北京大学考古文博学院客員教授、東洋文庫研究員など歴任。 東京都生まれ。1966年駒澤大学文学部地理歴史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程考古学専攻修了。1972年同博士課程考古学専攻単位取得満期退学、東京大学文学部助手。1976年財団法人古代学協会研究員、北川桃雄賞を受賞。1980年駒澤大学文学部考古学科専任講師、1982年助教授。1986年5月から1987年4月まで北京大学考古系研究員。 1987年「夏殷文化の考古学研究」で文学博士(東京大学)の学位を取得。
川井 吉彦(かわい よしひこ、1943年11月21日 - )… 川井 吉彦(かわい よしひこ、1943年11月21日 - )は、日本の実業家。一般財団法人日本原子力文化財団理事長。東京電力株式会社広報部長、同取締役、日本原燃株式会社代表取締役社長などを歴任した。千葉県出身。 2011年3月31日、青森市で定例会見を行い、プルサーマル計画について「多少の遅れはあっても、日本のエネルギーの将来を考えた場合にどうしても必要だ」と必要性を強調するとともに、東京電力福島第一原子力発電所事故について「日本の英知を結集すれば、より安全な原子炉が造れる。わが国のエネルギー確保には原子力も必要だ」と述べた。2011年7月29日の定例記者会見では「エネルギー資源のない我が国は、原子力発電抜きには国民生活、国力の維持・発展は考えられない。
久保 敏文(くぼ としふみ、1943年11月21日 - )は… 久保 敏文(くぼ としふみ、1943年11月21日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元騎手。引退後に実業家に転身し、出版社の社長に就任。中央競馬の馬主資格も取得した。 騎手時代は追い込みを得意とし、ファンの多い騎手であった。旧姓は古賀。 少年の頃に両親が離婚したことに伴って福岡県福岡市に移住し、芸妓置屋を経営していた叔母の元に身を寄せた。 義叔父が馬主として競走馬を所有しており、義叔父と付き合いのあった京都・上田武司調教師から騎手になることを勧められ、中学卒業後に京都・久保道雄厩舎に騎手見習いとして入門。馬事公苑騎手養成長期課程に第8期生として入所し、同期生には清水出美・鹿戸明・久保田秀次郎・安田伊佐夫・大崎昭一・笹倉武久などがいる。
塚本 哲(つかもと さとし、1942年11月21日 - )は… 塚本 哲(つかもと さとし、1942年11月21日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。熊本県人吉市出身、日本デザインスクール卒。 1972年 - 1999年、広告代理店(株)マッキャンエリクソン博報堂(現マッキャンエリクソン)勤務、アソシエイトクリェイティブディレクター務める。時代とともに広告のあり方も変化し、日本コカ・コーラ社などのテレビ広告や銀座の三愛ドリームセンタービル広告など様々な企業広告から、国土交通省/農林水産省や国連難民高等弁務官事務所などの公共性の高い広告・広報活動に幅広く参加・参画してきている。
宮田 統樹(みやた のぶき、1941年11月21日 - )は… 宮田 統樹(みやた のぶき、1941年11月21日 - )は、日本のアナウンサー。現在の東京都出身。 東京府東京市渋谷区の出身で、生家が明治神宮外苑に近かったことから、「外苑の樹々のように真っ直ぐに伸びよ」との願いを込めて「統樹」と名付けられた。太平洋戦争中に群馬県高崎市への疎開を経験。終戦後に東京都中野区へ転居した。 國學院高等学校の12期生で、卒業後に國學院大學へ進学。明治神宮外苑内の明治神宮野球場を本拠地に使用していた国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)のファンで、NHKラジオ第1放送のプロ野球中継も熱心に聴いていたことから、ラジオ局の実況アナウンサーを志すようになったという。実際には、國學院大學卒業後の1964年に、アナウンサーとしてニッポン放送に入社。
蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年〈昭和16年〉11月2… 蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年〈昭和16年〉11月21日 - 1985年〈昭和60年〉10月13日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京府東京市(現:東京都江東区)出身。青二プロダクションに所属していた。 東京電機大学高等学校卒業後、喫茶店のボーイや花屋の店員などを経て、30歳より声優に転向。アニメでのデビューは 『少年徳川家康』。東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)卒。楡プロダクションを経て最後は青二プロダクションに所属していた。数々のアニメで重要な役柄を演じた他、深夜ラジオ番組のDJやパーソナリティー、バンダイやポピーなどの玩具会社をはじめとする数多くのCMや、テレビアニメのナレーターや洋画の吹き替えを務めた。
山川 紘矢(やまかわ こうや、1941年11月21日 - )… 山川 紘矢(やまかわ こうや、1941年11月21日 - )は、日本の精神世界・スピリチュアル系の翻訳家、著作家、講演家。スピリットダンス主催、セミナー講師。翻訳は妻の山川亜希子と共に行っている(なお「紘矢」「亜希子」はペンネームである)。 静岡県引佐郡引佐町(現・浜松市浜名区)生まれ。静岡県立掛川西高等学校を経て東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省(国有財産局総務課)。その後は外務省に出向し在マレーシア日本国大使館で3年間、外交官として勤務。1971年7月 加治木税務署長。1972年7月 大臣官房秘書課長補佐(財務官室)心得。1973年7月よりハワイ大学大学院、シカゴ大学大学院で学ぶ。
東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022… 東 力(ひがし ちから、1941年11月21日 - 2022年9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。企業家、ヒューロン国際大学ロンドン校総長。 和歌山県新宮市出身。東京大学教養学部教養学科卒業。GWUジョージ・ワシントン大学大学院博士課程修了。1989年、GWU卒業生に贈られる最高栄誉賞(5名選出)を、先輩であるコーリン・パウエルとともに授与された。 1965年、大蔵省に入省。入省同期に薄井信明、榊原英資、竹島一彦らがいる。国際金融局総務課に配属。課長は渡辺誠、筆頭課長補佐は渡辺喜一、次席(末席)補佐は藤野公毅。係長も含めて一丸となって東に英語を教えていたという。 名古屋国税局調査査察部国税調査官、銀行局特別金融課特別銀行係長心得、諏訪税務署長、理財局国有財産第一課長補佐(総括)、アジア開発銀行予算企画担当官、大臣官房企画官、大臣秘書官などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧和歌山2区から無所属で立候補し、衆議院議員初当選(選挙後、自由民主党に追加公認された。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 20… 鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 2016年5月7日)は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)、元新治村長(5期)。利根沼田地域の「水源地特区」を目指し、『みなかみ水源地構想』を提唱していた。 群馬県利根郡新治村に農家の長男として生まれ、兼業農家として生計を立て30歳で村議会議員に初当選、47歳で新治村長。「農村公園構想」を策定し、「道の駅たくみの里・遊神館・フルーツ公園・まんてん星の湯」を事業化して、都市と農村の交流インフラを整備した。また「でんでこ座・三国館」・民話と紙芝居の家を建設し、芸術と文化の香る村づくりを推進。平成の大合併に取り組み、利根西部合併協議会長として実現。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、日本の通産官僚。内閣法制局総務主幹、内閣法制局第四部部長、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、財団法人新エネルギー財団会長などを歴任した。東京府出身。 1963年から通商産業省で、通商政策局通商調査課、機械情報産業局計量課、貿易局為替金融課、産業政策局調査課にて、それぞれ課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第四部、第二部、第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1999年には内閣法制次長に就任した。2002年には津野修の後任として内閣法制局長官に就任し、第1次小泉内閣から第2次小泉内閣にかけて同職を務めた。
広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、… 広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(外野手)。実弟は元プロ野球選手(中日,西鉄,巨人でプレー)の広野功。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、東京出身の元内閣法制局長官。元通産官僚。
園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 200… 園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 2003年10月28日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。愛知県出身。 1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。海外勤務を経て、1999年6月に三菱自動車工業常務に就任し、副社長を経て、2000年11月に社長に就任。社長在任時には、ダイムラークライスラーとの資本提携交渉に携わり、経営再建計画であるターンアラウンド計画を推進し、会社の立て直しに尽力した。2002年からは会長を務めた。 2003年10月28日急性心不全のために死去。62歳没。
宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 20… 宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 2019年1月10日)は、日本の殺陣師、俳優である。兵庫県尼崎市出身。 高校を卒業後、宝塚映画製作所に入り、俳優として修行する。黒澤明監督作品などの映画出演を経て、殺陣師久世竜の弟子となる。三船プロダクションに籍を置いた後独立し、時代劇と現代劇の映画・舞台・テレビドラマを多く手掛ける。剣道2段、居合道2段の腕前を持つ。弟子に寺島進がいる。 長年東京の撮影所作品での担当が多かったが、東宝の作品を長年監督していた高瀬昌弘が松竹京都で鬼平を撮影するにあたり、「太陽にほえろ!」や「江戸シリーズ」などで共に仕事をした宇仁を東京から呼びよせ、以降「剣客商売」などの松竹撮影所の作品にも関与している。
加治 章(かじ あきら、1939年11月21日 - )は、元… 加治 章(かじ あきら、1939年11月21日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。東京都出身。 東京都立北園高等学校、東京経済大学経済学部卒業後、1963年にNHKへ入局。現役時代は秋田、旭川、新潟、福岡、仙台、甲府、東京アナウンス室などで勤務し、人気番組の司会を多く務めた。その後、川田龍平議員を応援する東京経済大学卒業生と関係者の会、「葵龍会」の会長も務めた。
石井 晶(いしい あきら、1939年11月21日 - 201… 石井 晶(いしい あきら、1939年11月21日 - 2013年7月15日)は、東京都足立区出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。ニックネームは「ゴジ」。 足立高校卒業後は1958年に東京鉄道管理局へ入社し、河野安男(のち近鉄)と共に中心打者として第29回全国鉄道大会の優勝に貢献。同大会の首位打者となり、1959年にはプロ入りした河野の後継の4番・一塁手を務め、都市対抗の予選などで活躍。 1960年に阪急ブレーブスへ入団し、当初から背番号「6」で即戦力として期待されていた。1年目の同年は主に控え三塁手として33試合出場にとどまるが、2年目の1961年には三塁手のレギュラーを人見武雄と争い80試合に先発出場。
大原 祐子(おおはら ゆうこ、1937年〈昭和12年〉11月… 大原 祐子(おおはら ゆうこ、1937年〈昭和12年〉11月21日 - 2017年〈平成29年〉4月14日)は、日本の歴史学者。元東京大学教養学部助教授。専攻は、カナダ史。 東京都生まれ。父は元協和銀行常任監査役の大原申三(1908年〈明治41年〉1月17日 - 1967年〈昭和42年〉7月3日)。 立教女学院小学校および同中学校卒業を経て、1956年3月、立教女学院高等学校卒業。1960年3月、立教大学文学部史学科卒業。1963年3月、立教大学大学院文学研究科修士課程史学専攻修了(文学修士)。同年4月、世界経済調査会研究員(1971-72年の中断期間をはさんで1977年3月まで)。1973年5月、カナダ・ヴィクトリア大学大学院修士課程歴史学専攻修了(Master of Arts)。
千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - … 千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - 2019年10月 )は、日本の社会学者、松山大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。1961年九州大学文学部社会学科卒、1966年同大学院博士課程満期退学。1966年鹿児島女子短期大学講師、1968年西日本工業大学講師、1970年熊本商科大学助教授、1977年教授、1978年松山商科大学教授となる。1986年松山大学(校名変更)人文学部長、1995年同総合研究所所長。2010年定年、名誉教授となる。マルクス主義の立場から研究した。
佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - … 佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - 2000年2月13日)は日本の画家、洋画家。油彩で静物画や欧州の古都の風景などを、温かく柔らかな作風で描き出すことに特徴。本名は佐々木弘安。 1936年(昭和11年)大阪府に生まれる。大阪明星学園と京都市立美術大学を卒業し、大石七凰に師事。関西地方で活動して出品を重ねた。主な受賞歴はシェル美術展で一等など。その後は居を神奈川県藤沢市に移し活動を続けた。 1977年(昭和52年)ユーゴスラビア国際美術展選抜出品、1983年(昭和58年)第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞、1991年(平成3年)サロン・ドートンヌに出品、1993年(平成5年)雪梁舎美術館フィレンツェ賞展顧問。
岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21… 岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21日 - )は、日本の数学者。神奈川県小田原市鴨宮出身。 1935年(昭和10年)11月21日、神奈川県小田原市鴨宮に生まれる。1954年(昭和29年)神奈川県立小田原高等学校を卒業、一浪した後、1955年(昭和30年)4月、横浜国立大学学芸学部数学科に入学。同大学を1959年(昭和34年)3月に卒業し、同年5月より1994年(平成6年)3月まで、東京都・神奈川県公立高校数学科教諭、教頭を勤める。この間、数学者・小倉金之助の数学教育論を研究し、授業実験を通して、その理論を検証、同時にこの理論を現代へ生かすべく、授業・単元の三段階論及び「日常性の数学」を提唱した。
大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11… 大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11月21日 - 2011年(平成23年)9月26日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(中曽根派)。静岡県吉田町出身。 1954年(昭和29年)静岡県立榛原高等学校卒業。1960年(昭和35年)早稲田大学第一商学部卒業、NHKにアナウンサーとして入局。徳島放送局、名古屋放送局、福岡放送局でスポーツ担当で12年間勤務した。 1972年(昭和47年)父八治の政界引退を受けて、その地盤を継承し、第33回衆議院議員総選挙に旧静岡1区から初当選。以後、1993年(平成5年)の第40回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続8期在任した。
有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11… 有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11月21日 - )は、日本の技術者、発明家、工学博士。ICカードの発明者。 1964年東京工業大学大学院博士課程修了、工学博士。1970年にICカードを発明し特許を取得。アリムラ技研株式会社の代表取締役として、商用化に挑戦したが、経営破綻し1993年に株式会社エイアイテクノロジーへ営業譲渡された。同社は2001年にジーエルサイエンス株式会社に吸収されたが、2013年にジーエルソリューションズ株式会社として再び分社化された。また、基本特許の切れた1990年からは平松雄一などによりICカードの市場開発も行われた。 有村國俊滋賀県議会議員は甥。
田中 一生(たなか かずお、1935年11月21日 - 20… 田中 一生(たなか かずお、1935年11月21日 - 2007年3月9日)は、東欧・バルカン地域、とくにユーゴスラビアの言語・文学を日本に紹介し続けた、在野の研究者、翻訳家、作家。本名・一夫。 北海道中西部の美唄市生まれ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。1962年、政府交換留学生としてベオグラード大学哲学部美術史科に留学。1968年に帰国後、大学講師などを務めながら、イヴォ・アンドリッチの翻訳のほか、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語、スロベニア語、バルカン現代史を研究した。 2006年に、バルカン地域の紹介などの業績に対し、当時のセルビア・モンテネグロから勲二等ヴーク・カラジッチ勲章が送られた。
茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 20… 茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 2022年9月5日)本名:山口良一は、日本の作詞家・作曲家。元歌手。全日本音楽著作家協会・常任理事(詩)2003年。日本作詩家協会 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 -… 岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 - 没年不明)は、静岡県掛川市出身のプロ野球選手。
ひろた まさき(広田 昌希、1934年11月21日 - 20… ひろた まさき(広田 昌希、1934年11月21日 - 2020年6月17日)は、日本の思想史学者、大阪大学名誉教授。専攻・日本思想史。差別問題を中心に日本思想を研究する。 兵庫県神戸市生まれ。1958年京都大学文学部史学科卒業。1963年京都大学大学院博士課程修了。北海道教育大学助教授、岡山大学助教授、教授、1988年大阪大学文学部日本学教授。1997年定年退官、名誉教授、甲子園大学教授、京都橘大学教授。 2020年6月17日、85歳で死去。
鈴木 信一朗(すずき しんいちろう、1934年(昭和9年)1… 鈴木 信一朗(すずき しんいちろう、1934年(昭和9年)11月21日 - )は、日本のボクサー。 明治大学在学中に、1956年メルボルンオリンピックに男子フェザー級で出場し、3回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は… 水野 卓史(みずの たくし、1933年11月21日 - )は日本のグラフィックデザイナー、アートディレクター。元・資生堂宣伝文化部顧問。水野デザイン事務所主宰。大阪府大阪市西区靭町出身。多摩美術大学卒業。子に川柳家の水野タケシ。 日本画家の父を持つ家庭に生まれる。のちに大阪府立寝屋川高等学校に進学後、美術部に入部し、デッサンを学んだことから、本格的なデザインへの道を志すと共に、そのまま多摩美術大学に進学。1955年、多摩美術大学図案科を卒業後、資生堂に入社。大阪支社宣伝文化部別室に配属される。 元々は大阪支社の別室チーフになるべき存在であったが、その当時、宣伝部に所属していた主任デザイナーが交通事故で物故したことから、急遽1959年に東京へ異動。
平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月2… 平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月21日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の俳優・演出家。ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大。 主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。 平幹二朗は1933年11月21日、広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。生後9か月の時に父・文雄が病死。家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった。
砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2… 砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2015年9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)を務めた。 兵庫県神戸市出身。おじの砂田重政、従兄の砂田重民も衆議院議員を務めている。 中央大学経済学部卒業後、議員秘書などを歴任し、第40回総選挙に砂田重民の後継候補として自民党公認で旧兵庫1区より出馬したが落選。次の第41回総選挙では兵庫1区で敗れたものの、比例近畿ブロックで自民党名簿1位で復活し初当選。 第42回総選挙においても同様に小選挙区では新進党→民主党の石井一に敗れての比例復活当選となる。中央省庁再編後の第2次森改造内閣で、財務大臣政務官に就任。 第1次小泉内閣で、財務大臣政務官に2度目の就任。
横塚 実亮(横塚 實亮、よこつか まさあき、1933年11月… 横塚 実亮(横塚 實亮、よこつか まさあき、1933年11月21日 - 2026年2月22日)は、日本の経営者。住友製薬社長を務めた。 栃木県出身。1957年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1987年3月に取締役に就任し、1991年3月に常務、1995年3月に専務を経て、1997年6月に副社長に就任し、1998年6月には住友製薬社長に就任。 2003年6月に会長に就任。 2026年2月22日死去。92歳没。
丹羽 雅子(にわ まさこ、1933年11月21日 - 201… 丹羽 雅子(にわ まさこ、1933年11月21日 - 2019年1月25日)は、日本の家政学者。奈良女子大学名誉教授。専門は被服学。 工学に女性らしい感性の視点を取り入れ、川端季雄京大教授と風合いの研究を行った。 日本の国立大学における初の女性学長として、1997年4月1日に奈良女子大学第8代学長に就任した。2003年3月31日まで学長を務めた。その後、国立大学法人評価委員会委員(第一期)、中央教育審議会委員を務めた。 夫は体育学者・奈良女子大学名誉教授の丹羽劭昭(たかあき、1931年 - )。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 200… 谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 2007年6月25日)は、日本の俳優・コメディアン。東京都出身。本名は西村 昌明(にしむら まさあき)。「タニカン」の愛称で親しまれた。 1950年に都立農芸高校を中退後、新宿のムーランルージュ新宿座に最後の研究生として入る。 ムーランルージュ解散後は、劇団東京喜劇での地方巡演の後、浅草フランス座で渥美清、関敬六と出会い、下積み時代を共に送った。葛飾区青戸の自宅には渥美や関が頻繁に訪問し、谷の義母が振る舞うカレーライスを好んで食べていた。後年、渥美は「あの味だけは忘れられない。もう一度食いたいねえ」と懐かしがったという。 戦前の役者谷幹一に似ていると言われたことから芸名を谷昌明から谷幹一に改める。
轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は… 轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は、日本の俳優。本名は佐戸正男、現芸名は轟謙司。 広島県大竹市出身。広島県立大竹高校から広島大学に進むが中退。 1952年、市川右太衛門に弟子入りし、轟謙二の芸名をもらう。同年、東映京都に入り、1954年の『旗本退屈男 謎の百萬両』でデビュー。その後、多数の時代劇に端役で出演。 1957年には東映東京に移り、『月光仮面 魔人(サタン)の爪』(1958年)を皮切りに、現代劇映画に多数出演した。テレビドラマは、1959年の『七色仮面』第二部(毎日放送)に初出演。1961年11月にスタートした『特別機動捜査隊』(NET)では桃井刑事役で11年間レギュラーを務め、これをきっかけにテレビドラマに専念するようになった。
中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月2… 中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月21日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学名誉秘書長。徳島県徳島市出身。徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)卒業。 徳島県徳島市で生まれ、徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)を卒業。理容師の資格を得て徳島市内で理容業を営む。 18歳で針の製造会社を経営する中川忠義と結婚し、理容業を続ける。忠義との間には1952年(昭和27年)に長男の力と1956年(昭和31年)に次男の隆(後の大川隆法)を出産する。 また理容師を営みながら、管理理容師の資格も得て、自宅の1階を理容店に改装して経営していた。 1986年(昭和61年)10月に次男の大川隆法が、幸福の科学を設立。