神戸 壽(かんべ ひさし、1950年6月22日 - )は、日… 神戸 壽(かんべ ひさし、1950年6月22日 - )は、日本の経営者。兵庫県西脇市出身。 東京農工大学在学中に加奈崎芳太郎、仲井戸麗市、奥津光洋と結成した4人組のフォークグループ「金崎芳樹と古井戸」にベース担当として参加。1970年9月に渋谷ジァン・ジァンでステージデビューを果たす。大学卒業後、1974年に松下電工入社、社内システムのオンライン化に関わる。1977年に退職し、家業の材木店を継ぐが、「将来、自分はこれをやったんだと子供に胸張って言えるものを残したい」というかつての音楽仲間の言葉を思い出し、1982年に兵庫県西脇市でソフトウェア開発会社「ブレイン」を創業。2012年にはトレイの上に載せたパンの種類を画像認識AI技術で識別、精算までを自動で行う「ベーカリースキャン」システムを兵庫県立大学と共同開発した。
黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、194… 黒坂 黒太郎(くろさか くろたろう、本名:黒坂 正文、1949年(昭和24年)6月22日 - )は、日本の音楽家。コカリナ(木製のオカリナ)の創始者、演奏者、作曲家、シンガーソングライター。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て早稲田大学卒業。大学在学中は早稲田大学合唱団に所属。「広場と僕らと青空と」を作詞作曲。高田馬場にあったライブハウス「うたの店十一時館」でシンガーソングライターとして音楽活動を始める。 1974年自主制作盤として水俣病の少女のことを歌った英語の歌「We Can Stand」(キングレコード・ベルウッド・レコード委託制作)をリリース。後に正式にメジャー盤として再リリースされる。
飯尾 尊雄(いいお たかお、1949年6月22日 - )は、… 飯尾 尊雄(いいお たかお、1949年6月22日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 丹原高等学校から1967年ドラフト12位で読売ジャイアンツに入団。ドラフト指名時伊予銀行へ就職が内定していたが、「入りたくとも誰もが巨人に入団できるとは限らない」と入団を決意。 重いストレートと落差のあるカーブが武器。 1年目はイースタンリーグでも登板がなかったが、秋の教育リーグで1回1/3を3奪三振と好投。2年目は肩を故障し登板機会がなく、秋の教育リーグ大洋戦で先発するも連打され敗戦投手となる。一軍出場なく1969年シーズン終了後解雇され退団。 退団後は燃料・ガス・水道工事販売業。
松尾 憲治 (まつお けんじ、1949年6月22日 - )は… 松尾 憲治 (まつお けんじ、1949年6月22日 - )は日本の実業家。明治安田生命代表取締役社長や、生命保険協会会長、日本野球関東地区連盟会長、ダイヤ高齢社会研究財団会長等を歴任した。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1973年神戸大学経済学部卒業。佐藤義雄元住友生命保険社長は高校の同級生で、大学受験浪人時にも同じ予備校に通った。大学卒業後明治生命保険(現明治安田生命保険)入社。長野支社長、不動産部長などを経て、2005年常務。同年代表取締役社長に昇格し、保険金不払い事件に対応した。2012年生命保険協会会長。2013年明治安田生命保険特別顧問、三菱財団理事。 2016年日本野球関東地区連盟会長。
久和 進(きゅうわ すすむ、1949年6月22日 - )は、… 久和 進(きゅうわ すすむ、1949年6月22日 - )は、日本の経営者。北陸電力社長、会長を務めた。富山県出身。 1972年に京都大学工学部を卒業し、同年に北陸電力に入社した。2003年6月に執行役員に就任し、2004年6月に常務、2007年6月に副社長を経て、2010年4月に社長に就任。2015年6月に会長に就任。
村岡 茂信(むらおか しげのぶ、1949年6月22日 - )… 村岡 茂信(むらおか しげのぶ、1949年6月22日 - )は、日本の機械システム工学者・ロボット工学者。工学博士(神戸大学)。大阪工業大学工学部機械工学科元教授。日本機械学会関西支部第85期商議員。 専門は、機械計測工学/制御システム工学(特に、センシングシステム)、ロボット工学・メカトロニクス。 1972年神戸大学工学部計測工学科卒業。1974年同大学大学院工学研究科計測工学専攻修士課程修了。同年、大阪工業大学工学部機械工学科に講師として着任。同学科助教授を経て、2001年工学博士(神戸大学)。2006年同学科教授。2017年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部機械工学科で、40年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に初期のロボット工学(特に、計測/制御システム工学・センシング技術)の研究育成に貢献した。
平野 雅章(ひらの まさあき、1949年6月22日 - )は… 平野 雅章(ひらの まさあき、1949年6月22日 - )は、日本の経営学者。学位は、工学博士。早稲田大学名誉教授。元経営情報学会会長。HEC経営大学院客員教授、INSEAD客員教授なども務めた。 神奈川県藤沢市出身。1974年東京工業大学(現東京科学大学)経営工学科卒業。1975年文部省学生交流制度でケンブリッジ大学(コーパスクリスティカレッジ)科学史・科学哲学科へ留学。1977年東京工業大学大学院総合理工学研究科経営工学専攻修了、工学修士。1982年東京工業大学大学院総合理工学研究科システム科学専攻修了、工学博士、東京工業大学大学院研究生。 1983年早稲田大学システム科学研究所助手。1985年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジSwire研究員。
笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22… 笹野 高史(ささの たかし、1948年〈昭和23年〉6月22日 - )は日本の俳優、タレント。自由劇場に所属した後、現在はグランパパプロダクション所属。身長167 cm、体重57 kg。 兵庫県出身。兵庫県立洲本高等学校卒業、日本大学芸術学部中退。 淡路島の造り酒屋「東洋長」に四男として誕生。裕福な家に育ったが、3歳の時に父を、11歳の時に母を相次ぎ亡くした。 兵庫県立洲本高等学校卒業。高校生時代は演劇部ではなく、陸上競技部と音楽部に入っていた。そこそこ足が速かったとのことで、陸上部では100メートル競走、200メートル競走の短距離や走幅跳を専門としていた。中学生時代は野球部に所属していた。しかし小さいころから腎臓と肝臓が弱く、陸上の練習中に血尿が出る事態にまでなり、最終的にはドクターストップが掛かって陸上競技は辞めてしまう。
奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)… 奥村 正博 (おくむら しょうはく、1948年6月22日-)は、日本の曹洞宗の僧侶で、インディアナ州ブルーミントンの三心寺の開山。 1997年から2010年までサンフランシスコにある曹洞宗北アメリカ開教センター(現、曹洞宗国際禅センター)長を務めた。 1948年、大阪に生まれた。その後駒澤大学に入学した。在学中の1969年に安泰寺の接心に参加、翌1970年12月8日、安泰寺にて内山興正の下で出家し、1975年に内山が隠退するまで修行を続けた 。 その後、アメリカに渡り、マサチューセッツにパイオニアヴァレー禅堂(英語版)を共同創設し、1981年までそこで禅を教えた。 その年、病気のため一旦日本に帰国し、1993年まで京都禅センターで内山の命で内山や道元の著書を日本語から英語に翻訳し始めた。
大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )… 大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )は、神奈川県小田原市出身のビューティーエキスパート。苗字の表記は正しくは「大髙」。 1973年、外資系化粧品会社のトレーナーとして勤務。1997年、フリーランスになり、女性誌や美容関連イベント、化粧品会社のアドバイザーやマーケティングに携わった。ラジオ番組J-WAVEの「VIVA! ACCESS」で、月1回「欅坂 BEAUTY CLINIC」コーナーを担当し、視聴者の美容に関する質問に答えた。
エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月2… エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月22日 - 2025年5月10日)は、ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県横浜市山下町出身。中国国籍。 ※1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた。1951年生まれのギタリスト・李世福は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している。 ※日本に帰化したという情報もある一方で、「華僑」だとする情報もあり、現状の特定は困難。 1947年6月22日、横浜市山下町で誕生。実家は中華料理の老舗・名店であった「鴻昌」(現在は閉店)。 小学校はインターナショナル・スクールに通う。
石田 浩二(いしだ こうじ、1947年6月22日 - )は、… 石田 浩二(いしだ こうじ、1947年6月22日 - )は、日本の実業家・中央銀行家。元日本銀行政策委員会審議委員。神奈川県出身。 2011年6月30日、日本銀行政策委員会審議委員に就任。 2013年4月4日、金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の導入に賛成した。 2014年10月31日、金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の拡大に、「これまでの金融市場調節方針を維持することが適当である」として反対した。 2016年1月29日の金融政策決定会合では、マイナス金利の導入に、「これ以上の国債イールドカーブ低下が、実体経済に大きな効果をもたらすとは判断されない」として反対した。 2016年6月29日、日本銀行政策委員会審議委員を任期満了により退任。
太田 義夫(おおた よしお、1946年6月22日 - 202… 太田 義夫(おおた よしお、1946年6月22日 - 2025年)は、元競輪選手。千葉県出身。日本競輪選手会千葉支部に所属していた。日本競輪学校第23期生。登録番号7857。同期には阿部道や荒木実らがいる。 千葉県立長生高等学校を卒業後、オートレースの選手を志すも輪界入り。1966年11月10日、ホームバンクだった千葉競輪場でデビューし、初勝利も同日。1971年に賞金王に輝き、東西対抗戦形式元年となった1973年の高松宮杯競輪決勝において、緩急ある巧みなペース駆けを見せて逃げ切り優勝を果たした。 1999年7月27日、選手登録削除。通算486勝。現在は競輪場外車券売場サテライト鴨川のアドバイザーを務めている。
大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月… 大橋 建一(おおはし けんいち、1946年〈昭和21年〉6月22日 - 2022年〈令和4年〉11月8日)は、日本の政治家。位階は正五位。 元和歌山市長。和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)出身。父は元和歌山県知事の大橋正雄。お茶の水女子大学名誉教授の原ひろ子は従姉。「健一」は誤記(名前の由来については後述)。 1946年(昭和21年)6月22日、大橋正雄の長男として和歌山県東牟婁郡下里町(現那智勝浦町)にある母の実家で生まれる。「建一」という名前には、姓の「大橋」と掛けて「廃墟となった戦後の日本に、復興の大きな橋を一番に建てる」という父の願いが込められている。 父が和歌山県庁に入庁したため、1949年(昭和24年)12月に和歌山市に転居。
嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、… 嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、日本の文化人類学者、東北大学名誉教授。韓国研究。 岩手県北上市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1969年東京大学教養学部文化人類学専攻卒。1979年トロント大学大学院人類学部博士課程修了、Ph.D.。1977年岐阜大学教養部講師、1979年広島大学総合科学部講師、81年助教授、85年国立民族学博物館助教授兼任、1991年東北大学文学部助教授、96年文学研究科教授。2010年定年退官、名誉教授。
白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年〈昭和20年〉6月… 白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年〈昭和20年〉6月22日 - 2019年〈令和元年〉11月18日)は、日本の政治家・弁護士・評論家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、自治大臣、国家公安委員会委員長、新党・自由と希望代表などを歴任。新潟県出身。 新潟県十日町市大字四日町に生まれる。生家は機屋(はたや)と呼ばれる絹織物業者で祖父が創業し、父で2代目になり明治の終わり頃までは十日町地方で長く続いた神官だった。 十日町市立中条中学校、新潟県立十日町高等学校を経て、1969年 東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。大学在学中に司法試験に合格し、司法修習24期経て弁護士(登録番号:13439)となる。
野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22… 野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22日 - )は、日本の政治家、元外交官。元鳥取県米子市長(通算4期)。 鳥取県米子市出身。東京大学経済学部中退。1969年外務省入省。在英国大使館公使、在バンクーバー総領事などを歴任。2003年旧米子市長選で初当選。2005年の新市長選で当選。2013年4月、3選を果たした。祖父は洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んでいた野坂康久(“十字屋”経営主)。祖母のいとこには戦後、米子市長をつとめた野坂寛治がいる。 父・野坂陞三、母・千年の間に生まれた。1人っ子である。祖父野坂康久は、米子市東倉吉町で「十字屋」を経営、父や母、おばがこれを手伝っていたが、野坂が幼いころは、市会議員もしていた。
佐藤 馨一(さとう けいいち、1944年6月22日 - )は… 佐藤 馨一(さとう けいいち、1944年6月22日 - )は、日本の工学者・元官僚。工学博士(北海道大学)。専門は、交通工学・国土計画。北海道大学名誉教授。北海商科大学元教授。 この他、土木学会土木史研究委員会幹事長や、日本物流学会北海道支部長、日本計画行政学会理事を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
星野 正興(ほしの まさおき、1944年6月22日 - )は… 星野 正興(ほしの まさおき、1944年6月22日 - )は、日本の牧師、農業従事者。 大阪市生まれ、神奈川県茅ヶ崎市にて育つ。農村伝道神学校卒業。1973年受按。秋田県八郎潟教会牧師。開拓伝道と農民運動に従事。カナダ合同教会宣教師として農村にて3年半暮らす。帰国後、都下の小さな学校農場の責任を負いながら三鷹教会の牧師を経て、1999年伊豆・松崎教会の牧師に就任。
町田 勝彦(まちだ かつひこ、1943年6月22日 -)は、… 町田 勝彦(まちだ かつひこ、1943年6月22日 -)は、日本の実業家。営業畑出身で姻族継承者。前・シャープ社長、2007年4月から会長。2012年4月から相談役。二代目社長・佐伯旭は岳父。佐伯旭は娘の結婚に反対したが、知人の説得により町田勝彦と結婚を認めた。 最初の夫人(佐伯旭の娘)は病気により50代にて他界している。現在は再婚し、京都市内に住んでいる。 1943年(昭和18年)6月22日、大阪府で誕生。大阪府立天王寺高等学校卒業、京都大学農学部に進学。在学中スキー部主将を務めた。 1969年(昭和44年)、早川電機工業(翌年シャープに社名変更)に入社。営業畑を歩み、1987年(昭和62年)に取締役、1990年(平成2年)に常務取締役、1992年(平成4年)には代表取締役専務取締役に就任し、1998年(平成10年)には、代表取締役社長に就任する。
中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月… 中島 隆利(なかしま たかとし、1943年(昭和18年)6月22日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、旧八代市長(1期)、熊本県議会議員(4期)、八代市議会議員(2期)を歴任した。
片桐 和子(かたぎり かずこ、1943年6月22日 - )は… 片桐 和子(かたぎり かずこ、1943年6月22日 - )は、日本の童謡歌手。東京都千代田区出身。血液型はB型。6人姉弟の四女(姉3人、弟2人)。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業後、NHKの幼児向け教育番組、おかあさんといっしょ(当時はうたのえほん)6代目うたのおねえさんを1967年4月 - 1970年3月までの3年間務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科では岡部多喜子、ロドルフォ・リッチに師事。イタリアオペラ、イタリア歌曲を学ぶ。 1967年、瀬端優美子とともにオーディションに合格。しかし、その当時、5代中川順子が番組に出演中であったため、片桐が先にうたのおねえさんを務めることになった。
大隅 潔(おおすみ いさぎ、1942年6月22日 - )は、… 大隅 潔(おおすみ いさぎ、1942年6月22日 - )は、スポーツニッポン東京本社の元記者で、1964年東京オリンピック男子200m背泳ぎの日本代表選手。現在は、セントラルスポーツの顧問を務める。 スポーツニッポンでは後年、東京本社の常務取締役や、西部本社の代表を歴任。関連会社のスポニチクリエイツでも、代表取締役を務めた。退職後は、明治大学の客員教授に就任している。 静岡県の出身で、少年時代に自宅付近の天竜川で水泳へ親しむと、静岡県立浜松商業高等学校時代から競泳の選手として活躍。1964年東京オリンピックの開催を控えた1961年に、日本代表候補生の1人として、明治大学法学部への推薦入学を果たした。
秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月… 秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS記者・ワシントン支局長。
井口 洋(いぐち ひろし、1942年6月22日 - 2023… 井口 洋(いぐち ひろし、1942年6月22日 - 2023年2月26日)は、日本文学者、奈良女子大学名誉教授。位階は従四位。 学歴: 和歌山市立本町小学校、同伏虎中学校、和歌山県立桐蔭高等学校 和歌山市生まれ。1965年京都大学文学部国文科卒、1971年同大学院文学研究科博士課程満期退学。96年「西鶴試論」で京大文学博士。帝塚山短期大学講師、奈良女子大学助教授、教授、副学長。2006年定年退官、名誉教授。 2023年2月26日、急性心臓死のため死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。
真野 明裕(まの あきひろ、1942年6月22日 - )は、… 真野 明裕(まの あきひろ、1942年6月22日 - )は、日本の翻訳家。 東京生まれ。1967年慶應義塾大学大学院英文科修士課程修了。大学非常勤講師、河出書房の編集者を経て翻訳家に。1976年に退社してフリー。英米の小説を翻訳する。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
清水 学(しみず まなぶ、1942年6月22日 - )は、日… 清水 学(しみず まなぶ、1942年6月22日 - )は、日本の経済学者。専門は中東・南アジア・中央アジアの地域研究、途上国経済発展論、比較経済体制論など。有限会社ユーラシア・コンサルタント代表取締役。アジア経済研究所総合研究部長、一橋大学大学院経済学研究科教授等を歴任。発展途上国研究奨励賞受賞。長野県阿智村生まれ。 長野県下伊那郡会地村(現阿智村)生まれ。1966年東京大学教養学部教養学科国際関係論分科卒業。1969年同大学社会学系大学院国際関係論修士課程修了、国際学修士。 ※はいずれも清水学編、アジア経済研究所刊
斉藤 圭史郎(さいとう けいしろう、1942年6月22日 -… 斉藤 圭史郎(さいとう けいしろう、1942年6月22日 - 2024年3月19日)は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。 東京都出身。1965年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に東レに入社。2000年6月に東レ・ダウコーニング・シリコーン社長に就任し、2004年6月に会長を経て、2006年6月に社長に就任。2009年6月から相談役を務めた。 2024年3月19日に死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高橋 紀世子(たかはし きせこ、1942年(昭和17年)6月… 高橋 紀世子(たかはし きせこ、1942年(昭和17年)6月22日 - 2020年(令和2年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。 東京都出身。立教大学文学部卒業。参議院議員(1期)を務めた。父は元内閣総理大臣・三木武夫。母は三木睦子。祖父は森矗昶。 息子に母・睦子と養子縁組した三木立(政治家秘書、藍染作家、1996年の衆院選に東京7区から旧民主党公認で出馬するも敗北)と衆議院議員の高橋永(博報堂に勤務後、2024年の衆院選に徳島1区から新立憲民主党公認で出馬し比例復活当選)、そして長女の計三子がいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、… 荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、北海道紋別郡西興部村出身の元プロ野球選手(投手)。 西興部中時代から速球派投手として知られ、北海高校では2年からエース。2年生時の1958年秋季北海道大会札幌地区予選決勝では、千歳高に対して北海道高校野球史上初の完全試合を達成。秋季北海道大会準々決勝に進むが函館工に敗退。1959年春季北海道大会の対歌志内高戦では、初回先頭打者から13連続三振を記録。同年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け、甲子園出場を果たすことはできなかった。同期には茅野智行(芝浦工大 → 西鉄)・八木沼陽一(立教大 → 河合楽器)、1期下には佐藤進(富士鐵室蘭 → 国鉄・産経 → 中日)などのメンバーを擁していた。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2… 六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2019年1月12日)は、日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。旧名は正廣。東京都出身。日本建築学会賞作品賞など受賞。 祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌、娘は建築家の六角美瑠。
橋本 宏(はしもと ひろし、昭和16年(1941年)6月22… 橋本 宏(はしもと ひろし、昭和16年(1941年)6月22日 - )は、日本の外務官僚。首相を務めた橋本龍太郎は従兄で、橋本内閣で創設された沖縄大使を務めた。外務報道官、駐オーストリア特命全権大使、社団法人霞関会理事長、公営財団法人日本国際フォーラム理事長等を歴任。東京生まれ。鎌倉市育ち。 大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎は祖父。NKK常務を務めた橋本實やジャーナリストの橋本明は兄。橋本大二郎は従兄弟。モルガン・スタンレー・キャピタル・グループ代表取締役の橋本幸子は娘である。橋本内閣の内閣総理大臣秘書官などを務めた外交官の岡本行夫は高校・大学・外務省の4年後輩。 外務省入省同期には以下のような人物がいる。
山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日… 山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日本の小児科医。岐阜県美濃市の生まれ。 父親は軍医。父親の転勤で福岡に移ったが、父はさらに満州に転属となり、母と子は美濃に戻り、以後、そこで育った。 岐阜県立岐阜高等学校卒後、1967年東京大学医学部を卒業。以後、東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。妻の梅村浄(きよら)も小児科医で、東京都西東京市で梅村こども診療所を営み、同診療所でも医師として勤務。2人間に障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人など公的な場での発言も多い。
神原 啓文(かんばら ひろふみ、1941年6月22日 - )… 神原 啓文(かんばら ひろふみ、1941年6月22日 - )は、日本の医学者。2021年瑞宝中綬章受章。 軍医であった父が支那事変で負傷、帰還先であった福島県会津若松市にて1941年に生まれ、終戦後に郷里の香川県多度津町に戻る。多度津小学校を卒業後、6年間、大手前中学・高等学校に通学した。 1960年に、従兄であった小西淳二(京都大学名誉教授)の感化を受け、京都大学医学部医学科医学進学課程に入学した。1966年に米国ECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)を取得、京都大学医学部医学科専門課程を卒業後、同年神奈川県座間米国陸軍病院でインターン研修を受けた。
石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 201… 石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 2010年2月12日)は、日本の雑誌編集者、洋泉社代表取締役社長。 東京都出身。旧姓・鈴木慎二として東京都立九段高等学校に学び、新聞部にあたる出版委員会で活動、さらに早稲田大学でも新聞会で活動する。 JICC出版局(後の宝島社)の編集者となり、1974年の『宝島』出版権の買収の際には、蓮見清一の腹心として晶文社に赴き、電撃買収をとりまとめた。JICC出版局では、1976年に『別冊宝島』を創刊。「読むムック」として発想されたこのシリーズは、新たなジャンルを開拓した取り組みとして評価された。 1987年に季刊雑誌『田舎暮らしの本』を創刊し、編集長を務めていたころには、茨城県で有機農業による米作にも取り組んでいた。
田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は… 田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は、宮崎県延岡市出身の元騎手・調教助手。 元騎手・調教助手の田島裕和は子。 中学の先輩には矢野一博、後輩には大崎昭一・安田伊佐夫がいる。 1959年10月3日に阪神・武輔彦厩舎からデビューし、京都第8競走4歳以上20万下・ビガラス(7頭中3着)で初騎乗を果たす。11月1日の阪神第8競走4歳以上50〜60万下・バアムランドで初勝利を挙げ、菊花賞でも同馬に騎乗し、1年目にして八大競走及びGI級レース初騎乗を果たす。1年目の同年は初騎乗が遅いこともあり3勝に終わるが、2年目の1960年には6勝、3年目の1961年には初の2桁で20勝台となる23勝(平地17勝, 障害6勝)を挙げる。
鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月2… 鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月22日 - )は、日本の官僚、政治家。元防衛医科大学校副校長。元参議院議員。静岡県出身。
栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2… 栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2026年3月21日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。エス・オー・プロモーションの取締役。東京都中野区出身。 夫はフリーアナウンサー、元日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)アナウンサーでエス・オー・プロモーション創業者・会長の押阪忍。長男はエス・オー・プロモーション代表取締役社長でDJの押阪雅彦(DJ OSSHY)。次男は、エス・オー・プロモーション監査役の押阪智彦。 1959年にタレントとしてデビューした。 1963年に押阪忍と結婚した。1971年、押阪忍と株式会社エス・オー・プロモーションを設立。1994年、押阪忍と「押阪忍のトークアカデミー」を開校し、副塾長となる。
石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 -… 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。 千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年の第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。 1989年、秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。
渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は… 渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士。東京工業大学名誉教授、拓殖大学名誉教授、公益財団法人オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。一般社団法人高齢者活躍支援協議会会長。専門は開発経済学と現在アジア経済論。山梨県甲府市生まれ。
飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、… 飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士、桜花会元幹事。元日本化学会近畿支部幹事。日本接着学会1990評議員。 専門は、高分子化学・合成化学(特にPVC)。 1962年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第一期生)。同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。同学科講師、助教授を経て、1982年工学博士(大阪工業大学)。1995年同学科教授。1996年同大学学生部長などを経て、2007年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて、約40年の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。
菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22… 菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22日 - )は、日本史学者。帝京大学名誉教授。元「公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター」理事長。 東京生まれ。1962年東京女子大学文理学部卒業。1964年東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。1993年「幕末農村社会史研究」で都立大学博士(史学)。一橋大学経済学部助手、帝京大学文学部教授。2010年定年退任、名誉教授。
宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 202… 宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の河川工学者、関東学院大学工学部名誉教授。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。1966年東京農業大学大学院修士課程修了。1975年「水害と土地利用に関する実証的研究」で東京大学工学博士。関東学院大学工学部助教授、1985年教授。2010年名誉教授。横浜歴史資産調査会代表、NPO法人本所深川代表。宮村河川塾を開いた。2019年、個人として初めて水防功労者国土交通大臣表彰を受けた。2022年9月3日、菌血症のため死去。83歳没。 1987年、当時関東学院大学の工学部の教授であった宮村らが中心となって、工学部土木工学科の中に全国初の「女子クラス」が誕生した。
佐谷 圭一(さや けいいち、1938年6月22日 - )は、… 佐谷 圭一(さや けいいち、1938年6月22日 - )は、日本の薬剤師、薬局経営者、第22代日本薬剤師会会長。薬局において薬歴を導入普及させた第一人者として知られる。 1938年、群馬県新田郡強戸村(現・太田市)に生まれる。1961年、明治薬科大学を卒業し、薬局に就職。1963年に独立し、アスカ薬局を開設。 1974年、日本薬剤師会常務理事に就任する。1984年から1988年まで日本薬局協励会副会長を務めた。1988年から1998年まで日本薬剤師会常務理事を務めたのち、1998年に第22代日本薬剤師会会長に就任し、2002年まで務めた。 佐谷は、現在では薬局業務に欠かせない薬歴を普及させたことで知られる。
三石 善吉(みついし ぜんきち、1937年6月22日 - )… 三石 善吉(みついし ぜんきち、1937年6月22日 - )は、日本の中国史学者、筑波大学名誉教授。 長野県生まれ。1964年、東京大学文学部中国哲学科卒。1971年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。1972年、同文学部助手。1976年、筑波大学社会科学系助教授、のち1985年1月に教授。1998年、退官、名誉教授、東京家政学院筑波女子大学国際学部教授。2005年、大学名改称により筑波学院大学教授。2008年、学長。2012年、退職。
待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )… 待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )は、日本の俳優、空手指導家。千葉県館山市出身。 都立大泉高校卒業後、さまざまな職業に就くが俳優を志し、「俳優座養成所」「東宝芸能」を経て1958年(昭和33年)に日活へ入社する。1956年の映画『ドラムと恋と夢』では脚本を担当した。同年、井上梅次監督により『素晴らしき男性』で石原裕次郎の弟役にキャスティングされてデビュー。続いて小杉勇監督の『船方さんよ』の主役に起用された。小林旭、川地民夫らと共に売り出され、多くの作品に主演する。1959年(昭和34年)『らぶれたあ』に主演した。1961年に日活を退社してフリーランスへ。 テレビドラマでは、1961年(昭和36年)7月17日より3年間にわたって放送された『月曜日の男』(月曜日夜9時半から10時まで、TBS系列で放送)に主演しブレイク。
宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日… 宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉8月28日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。指定暴力団・五代目山口組若頭であり、山口組有力団体・宅見組の創設者。神戸出身。 バブル期を通して金融や不動産などのフロント企業を通じ蓄財した2,000億円とも言われる豊富な資金を背景に、渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足(1989年)に立役者として関与。以後、山口組のナンバー2にあたる若頭として構成員3万6千名を擁する山口組の事実上の仕切り役として活動し、山口組を近代的な組織に創り上げる他、“山口組の金庫番”とも呼ばれた。また政治家の安倍晋太郎とは親友であった。
小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - … 小町谷 照彦(こまちや てるひこ、1936年6月22日 - 2014年10月31日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。中古文学、特に和歌を専攻。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 長野県駒ヶ根市生まれ。東京大学文学部国文学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学。東京都立高等学校教諭を経て、成城大学短期大学助教授、東京学芸大学教授、2000年定年退官。東京経済大学教授。2014年、胃癌で死去。叙従四位、瑞宝中綬章受章。 妻・新子(1936-)は、瀧井孝作の娘で版画家、著書に『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社 1990)などがある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、… 日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。 1935年(昭和10年)名古屋市生まれ。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業。 親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。 1959年(昭和34年)、NHK入局。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した。