中尾 敬吉(なかお けいきち、1881年〈明治14年〉8月2… 中尾 敬吉(なかお けいきち、1881年〈明治14年〉8月26日 - 没年不明)は、日本の実業家、醸造家、政治家。若桜町会議員。 鳥取県八頭郡若桜村(現・若桜町)出身。中尾徳次郎の二男。1902年、中尾修家より分家する。病気のため鳥取中学校を3学年で中途退学する。若桜赤松組合村会議員に挙げられる。 1912年、若桜神社氏子総代、同年に醤油醸造業を経営する。1917年、江島神社崇敬総代。第1回国勢調査員となる。三倉谷土工森林組合監事、中尾製糸場持主、淵見製材合資会社有限責任社員である。 1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、中尾敬吉の地価所有高は「852円25銭」である。趣味は書画、書道、骨董。
下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8… 下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年(明治8年)8月26日 - 1947年(昭和22年)10月22日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村(窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選。
青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月2… 青木 周三(あおき しゅうぞう、1875年(明治8年)8月26日 - 1946年(昭和21年)12月1日)は、日本の鉄道官僚、貴族院勅選議員、横浜市長。 山口県大島郡久賀町(現在の周防大島町)出身。青木周哲の三男として生まれ、青木五百輔の養子となる。盛岡中学を経て、1898年(明治31年)第二高等学校卒業。1902年(明治35年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業後、鉄道書記となり、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格した。その後、鉄道事務官、鉄道庁参事、鉄道院参事、鉄道院理事を歴任した。 1919年(大正8年)筑豊鉄道専務取締役。1921年(大正10年)横浜市電気局長に就任し、1923年(大正12年)には助役として関東大震災の対応に尽力した。
田中 譲(たなか ゆずる、1874年〈明治7年〉8月26日 … 田中 譲(たなか ゆずる、1874年〈明治7年〉8月26日 - 1934年〈昭和9年〉5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 和歌山県牟婁郡、のちの西牟婁郡周参見村(周参見町を経て現すさみ町)出身。1895年(明治28年)工手学校(現工学院大学)を卒業した。 福井、島根の各県の土木工手、農商務省営林技手となる。1905年(明治38年)松村組に入社。その後、大阪市議、大阪地方裁判所借地借家調停委員、(株)松村組社長、日本土木建築請負業者連合会本部理事、高木銀行、山本絹紡績各(株)取締役となる。 1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙において大阪2区から実業同志会公認で立候補して当選した。
上領 純一(かみりょう じゅんいち、1868年8月26日〔明… 上領 純一(かみりょう じゅんいち、1868年8月26日〔明治元年7月9日〕 - 没年不詳)は、日本の実業家。大日本人造肥料(現・日産化学)株式会社大阪支店長、小樽木材株式会社支配人、吉岡鉱山長。 1868年8月26日(明治元年7月9日)に東京府士族、上領純三の長男として生まれる。 1892年(明治25年)、東京高等商業学校(現・一橋大学)を退学。高商在学中に、校長の矢野二郎と衝突して、優秀な学生の大部分が退学する学校騒動の元祖ともいうべき矢野二郎排斥事件があったが、発頭人としてこれを先導した。また、在学中には、久保田富次郎(後の立教大学名誉教授)と親交が深く、久保田は上領の家に寄寓した。 高商卒業後、三菱合資会社に入社。
山下 源太郎(やました げんたろう、1863年8月26日〈文… 山下 源太郎(やました げんたろう、1863年8月26日〈文久3年7月30日〉- 1931年〈昭和6年〉2月18日)は、明治・大正期の日本の海軍軍人、華族。海軍大将正二位勲一等功三級男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。 米沢藩士・山下新右衛門(禄高:25石)の次男。藩校興譲館、その後身の私立米沢中学校を経て明治12年(1879年)海軍兵学校に入校。明治15年(1882年)「龍驤」に乗り込み遠洋航海に参加した。翌年海軍兵学校を4位の成績で卒業(10期)。同期に首席の加藤定吉大将、17位の名和又八郎大将がいる。 帰国後は「浅間」で砲術訓練を積み、兵学校修学課程で学問を深め、明治19年(1886年)の長浦水雷営勤務から現場に出た。
森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7… 森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7月21日) - 1897年(明治30年)11月14日)は、日本のジャーナリスト・翻訳家・漢文学者。本名は文蔵。別号に埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。 1861年(文久元年)、備中国小田郡笠岡(現・岡山県笠岡市西本町)に岡山県議会議員や窪屋郡長を務めた森田佐平の子として生まれる。1874年(明治7年)、大阪慶應義塾に入塾し、1875年(明治8年)に徳島慶應義塾に移動し、1876年(明治9年)に三田の慶應義塾本校で英文学を学ぶ。1879年(明治12年)には岡山の興譲館で坂田警軒について漢学を修めた。
依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日〈万延元… 依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日〈万延元年7月10日〉 - 1933年〈昭和8年〉9月28日)は、日本の弁護士・内務官僚。政友会系官選県知事。 篠山藩士・依田秀実の長男として同藩江戸藩邸で生まれる。1876年に上京して芳野金陵塾や二松学舎に通った。一時帰郷後再び上京し、講法学舎に入ったが、舎監大岡育造と対立して退学し、斎藤孝治らとともに明治法律学校に入学。1882年、同校を卒業し代言人(弁護士)となり、自由民権運動に参画。 1894年、富山区裁判所判事となり、宮津区裁判所判事に異動。1898年、宮崎県警部長に転じた。以後、福島県警部長、奈良県警部長、高知県警部長、山口県警部長、山口県事務官・第四部長、新潟県事務官・警察部長、石川県事務官・内務部長、東京府事務官などを歴任。
森田 久萬人(もりた くまんど、1858年8月26日(安政5… 森田 久萬人(もりた くまんど、1858年8月26日(安政5年7月18日) - 1899年(明治32年)2月23日)は熊本バンドの一人である。 1858年肥後国山鹿郡上永野村(現山鹿市)の熊本藩士の鈴木家に生まれ、森田家の養子になる。 藩校時習館で和漢の学問を修め、1871年熊本洋学校に入学。卒業後に洋学校の教師になる。1876年熊本バンドの盟友と共に、同志社英学校に入学する。卒業と同時に、同志社の教師になる。教師業の傍ら、『六合雑誌』に哲学と理学の論文を発表する。 イェール大学に留学し、ジョージ・トランブル・ラッドに師事する。ヘルマン・ロッツェの哲学の研究をし、ロッツェの形而上学と仏教の教義の比較研究で哲学博士号を取得する。
麻生 太吉(あそう たきち、1857年8月26日(安政4年7… 麻生 太吉(あそう たきち、1857年8月26日(安政4年7月7日) - 1933年(昭和8年)12月8日)は日本の炭鉱業者、実業家、政治家。第92代内閣総理大臣麻生太郎の曽祖父。
中浜東一郎(なかはま とういちろう、安政4年7月7日(185… 中浜東一郎(なかはま とういちろう、安政4年7月7日(1857年8月26日)- 1937年(昭和12年)4月11日)は、日本の医師、医学者。ジョン万次郎の子。 中浜万次郎の長男として江戸土佐藩邸中屋敷にて出生。明治5年(1872年)、横浜十全医院に入り医学を研修、翌6年(1873年)に大学東校に入り、明治14年(1881年)に(旧)東京大学医学部を卒業。 1881年(明治14年)に福島県医学校校長に任命され、その後、岡山・金沢各医学校教授兼病院長を歴任。1885年(明治18年)10月、内務省の命により、衛生学に属する部分の研究のためドイツへ留学差遣される。1886年(明治19年)1月、ライプツィヒ大学衛生試験所の衛生学ホフマン教授に師事する。
榊 喜洋芽(さかき きよめ、1852年8月26日(嘉永5年7… 榊 喜洋芽(さかき きよめ、1852年8月26日(嘉永5年7月12日) - 1912年(明治45年)6月21日)は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)。 陸奥黒石藩領津軽郡黒石村(青森県南津軽郡中郷村、黒石町を経て現黒石市)出身。黒石藩士榊波衛の長男。のち弘前市下白銀町に移り住む。 1872年(明治5年)東奥義塾の設立に関与し教師を経て寮監となったが父の勧めで上京し明治法律学校に入学し法律を学んだ。卒業後、代言人となり青森と弘前に事務所を開いた。一方で政治活動にも奔走し、1882年(明治15年)から青森県会議員を3期、1889年(明治22年)から弘前市会議員を務め、県議、市議ともに議長を務めた。
丸尾 文六(まるお ぶんろく、1832年8月26日〈天保3年… 丸尾 文六(まるお ぶんろく、1832年8月26日〈天保3年8月1日〉- 1896年〈明治29年〉5月1日)は、日本の実業家、政治家。族籍は静岡県平民。 浜松県民会議員、浜松県民会幹事、静岡県会議員、静岡県会副議長(第2代)、静岡県会議長(第2代)、衆議院議員などを歴任した。 遠江国出身の実業家、政治家である。大井川の渡船解禁により窮乏した川越人足らを救うため、牧ノ原台地への入植を推進した。その結果、牧ノ原台地を茶の一大産地となるまでに育て上げた。製茶業を営んだ。また、政界にも進出し、静岡県会議員や衆議院議員などを歴任した。 1832年8月26日(旧暦天保3年8月1日)、遠江国の城東郡池新田村にて生まれた。
緒形 仁平(おがた にへい、1712年8月26日〈正徳2年7… 緒形 仁平(おがた にへい、1712年8月26日〈正徳2年7月25日〉 - 1796年5月19日〈寛政8年4月13日〉)は、日本の鉄山師。伯耆国黒坂の緒形家7代。諱は政直。四郎兵衛と称する。 伯耆国黒坂(現・鳥取県日野郡日野町)の人。元文5年、宗旨庄屋、宝暦3年(1753年)、大庄屋となる。宝暦4年(1754年)8月、米300石差出し、翌宝暦5年の藩邸上屋敷類焼に際して畳2000枚差上げ、米子城修復米積立法により米1800石を積立てるよう命ぜられた時は、そのうち400石を自分で拠出する。さらに福田家からは、取替銀の利息として年々米20石を受ける。 殖産興業にも意を用い各地の開拓、水利の改良等に努力する。
柴原 紅(しばはら べに、8月26日)は、フリーアナウンサー… 柴原 紅(しばはら べに、8月26日)は、フリーアナウンサー、取材リポーター。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。古川女子高等学校を経て東海大学教養学部卒業後、2004年4月から2011年3月までNHK盛岡放送局で、2011年4月から2012年3月までの1年間はNHK仙台放送局で契約キャスターを務めた。その後、2012年4月からラジオセンターにうつり『つながるラジオ』(NHKラジオ第1放送)のアンカーを番組終了となる2013年3月まで務めた。 東北地方で契約キャスターを務めていた時に東日本大震災に遭遇している。震災後は被災地関連の取材を行っているほか、災害FM放送の協力のボランティアを行っている。
阿部 夕起(あべ ゆき、8月26日 - )は、宮城県仙台市出… 阿部 夕起(あべ ゆき、8月26日 - )は、宮城県仙台市出身のローカルタレント。宮城県を中心に活動している。 現在は「阿部 侑生」という名前で活動している。A型。
月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落… 月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落語家。血液型はB型。本名は福田 和栄。上方落語協会会員。 大阪府豊中市出身。大阪府立渋谷高等学校、龍谷大学文学部哲学科を卒業後、京都の出版社に勤務した。退社後、派遣会社で働きながら大阪シナリオ学校で漫才・落語の台本を学んだ後、2008年から天満天神繁昌亭にてアルバイト。その傍ら、新作落語の会「もぎた亭」に参加したり、ピッコロ演劇学校で演劇を学んだ。 一方で、台本を書くことにより「女性の気持ちを書きたい。ならば、自分がやった方が早い」と思うようになり、落語家への転身を決め、2010年2月16日に月亭八天(現:7代目月亭文都)に弟子入り。「天使」の名は師匠の当時の名・八天の字を取ったもので、師匠によって名づけられた。
なりゆき わかこ(8月26日 - )は、日本の4コマ漫画家、… なりゆき わかこ(8月26日 - )は、日本の4コマ漫画家、絵本作家。慶應義塾大学文学部卒業。大学時代は漫画研究会に所属。1985年、芳文社4コマ新人展に入選した『ぼくんちのひろみちゃん』でデビュー。二児の母。 デビュー以来4コマ漫画専門誌各誌で活躍していたが、萌え4コマ漫画といった新ジャンルの台頭の波に押され2000年代中頃から4コマ専門誌での仕事を減らしており、現在では実話系雑誌やWebコミックのほか、絵本作家、童話作家としての活動が主である。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
ひなた おさむ(8月26日 - )は、日本の歌手、ミュージカ… ひなた おさむ(8月26日 - )は、日本の歌手、ミュージカル俳優、声優。東京都出身。血液型A型。『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさんを務めた。東京藝術大学声楽科卒業。 1979年に竹宮惠子と増山法恵が企画・監修した『過ぎ行くときと友だち』というアルバムで4曲担当している。 1986年に企画アイドルグループ「美少年倶楽部」のメンバーとしてレコードデビュー。 大学時代には抜群の歌唱力だったために劇団四季から直々にスカウトされ、『オペラ座の怪人』や『ジョン万次郎の夢』などに出演していた。その後もミュージカル、オペラ、クラシックなどの世界で活躍した。 2001年に『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさんのオーディションを受けて採用され、同番組に番組開始の2002年4月から番組終了の2010年3月まで8年間にわたり出演した。
青木 康彦(あおき やすひこ、8月26日 - )はミュージシ… 青木 康彦(あおき やすひこ、8月26日 - )はミュージシャン(作曲家・作詞家)である。神奈川県出身。血液型O型。明治大学法学部卒業。 MTR・DTM等最先端の技術を駆使しアレンジャーが得意である。 15歳の時TBS系アップルシティ500(生放送)に初出演、その後フジテレビ系 バラエティ番組 (夕やけニャンニャン)、TBS系 ザ・ベストテン・日本テレビ系 歌のトップテンなど、1987年にはテレビ朝日系 MUSIC STATION(Mステ)に出演 また、ギターリスト ボイストレーナーとしても知られている。EMIミュージックジャパンレコード会社 専属の レコーディングディレクター テレビ朝日 番組製作プロデューサー(P)として 幅広い活動をしている。