常倉 十紀二(ときくら ときじ、本名:利倉 十紀二(としくら… 常倉 十紀二(ときくら ときじ、本名:利倉 十紀二(としくら ときじ)、1948年〈昭和23年〉1月28日 - 2003年〈平成15年〉8月16日)は東京都足立区出身の放送作家、ラジオパーソナリティー。通称:トキちゃんと呼ばれて親しまれていた。 日本大学商学部卒業後、パイロットになるためハワイ大学に留学したが半年で中退した。 その後は放送作家として活躍していたが、後にニッポン放送をメインにラジオ番組のパーソナリティーや、テレビの情報番組などに出演して活動する様になる。明るいキャラクターを活かした親しみのある軽快なトークが印象的で、口とあごにヒゲを蓄えた顔付きが自身のトレードマークにもなっていた。
宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、… 宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、東京都葛飾区出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。180.3cm、105kg。最高位は西幕下34枚目。 大相撲の公傷制度適用の第1号力士として知られる。公傷適用の元となったのは、1972年3月場所の朝ノ花戦で右膝の関節を脱臼したことによる。翌5月場所、自己最高位となった西幕下34枚目の地位で公傷休場となった。公傷休場明けの7月場所は1勝6敗と大敗し、皮肉にもこの地位が力士人生の最高位となった。 力士としては、1965年11月に初土俵、そして公傷休場の1年後の1973年5月をもって廃業している。廃業後は葛飾区内で、ちゃんこ料理屋「若瀬川」を経営した。
熊坂 賢次(くまさか けんじ、1947年1月28日 - )は… 熊坂 賢次(くまさか けんじ、1947年1月28日 - )は、日本の社会学者。慶應義塾大学名誉教授。 東京都出身。早稲田高等学校、1969年早稲田大学政治経済学部卒業。1976年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 1979年日本大学農獣医学部専任講師。1990年慶應義塾大学環境情報学部助教授、1994年教授、2001年学部長、2012年名誉教授。 ソフトピアジャパン理事長などを歴任。
攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 19… 攝津 幸彦(せっつ ゆきひこ、1947年1月28日 - 1996年10月13日)は、日本の俳人。 兵庫県養父郡八鹿町に生まれる。母良子(摂津よしこ)は桂信子主宰の「草苑」の幹部同人で、1980年の角川俳句賞受賞者。 高槻中学校・高等学校を経て、関西学院大学卒業。高校時代より叔父の影響でジャズを聞くようになり頻繁にジャズ喫茶に通った。大学では在学中は映画研究会に所属。また伊丹啓子(「青玄」主幹伊丹三樹彦の娘)を知り「関学俳句会」創立、機関誌「あばんせ」を創刊。また学生俳句会のつながりで、他大学の坪内稔典、澤好摩らと交流、大学を超えた同人誌「日時計」創刊に参加する。 1970年、広告会社の東京旭通信社(現・ADKホールディングス)に入社し上京。
蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月2… 蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年〈昭和22年〉1月28日 - )は、日本の政治家、政治学者。勲等は旭日大綬章。熊本県知事(公選第17・18・19・20代)、東京大学名誉教授、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)運営委員。専門は政治過程論、計量政治学。 熊本県鹿本郡稲田村(現・山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。高校時代は「220人中200位」の劣等生だったが、政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていた。高校卒業後、自動車販売会社に勤めたが3週間で辞め、地元・稲田村の農業協同組合(のちのJA鹿本)に就職した。1968年からアメリカ合衆国で農業研修に従事し、1971年にネブラスカ大学農学部に入学して畜産学を修めた(専攻は豚の精子の研究)。
西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)… 西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)1月28日 - )は、日本のプロボクサー。WBA世界フェザー級王者。埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町出身。身長171cm。戦績は38戦29勝(8KO)7敗2分。 大場政夫、沼田義明、小林弘、柴田国明らと共に当時日本人現役世界王者が5人同時にいたという日本ボクシング黄金時代を彩った一人。協栄ボクシングジムから海老原博幸以来二人目の世界王者となった。日本プロスポーツ大賞の初代大賞受賞者。 日本人として初めて海外での世界王座奪取に成功した。 野口ボクシングジムで小学生の頃からベビーボクシングに取り組み、中学卒業後、実兄のトレーナー西条正右とジムの先輩金平正紀が興した協栄ボクシングジム(当時・金平ボクシングジム)に入門し、1964年(昭和39年)8月13日にプロデビュー。
菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )… 菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、実業家。 テレビ番組制作会社・ハウフルス代表取締役社長、フルハウス取締役。 東京都大田区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部卒業。 大学時代、アルバイトで『11PM』(日本テレビ)のアシスタントディレクターを務める。卒業後は就職せず、放送作家として企画構成や知人の広告代理店を手伝っていたが、1973年5月にPR代理店フルハウスを関口晃弘、原伸次とともに設立した。1978年にはフルハウスの番組制作部門として「フルハウステレビプロデュース(フルハウスTVP、1991年にハウフルスに社名変更)」を分社設立し、菅原は社長業と並行してテレビディレクターとして活動した。
谷敷 正光 (やしき ただみつ、1946年1月28日 - )… 谷敷 正光 (やしき ただみつ、1946年1月28日 - )は、日本の経済学者。駒澤大学名誉教授。 専門は教育経済学。近現代日本産業・経済発達史と人材育成。 北海道生まれ。1968年 駒澤大学経済学部経済学科卒業。1970年 同大学院経済学研究科修士課程修了。1973年 同博士課程満期退学。1972年 駒澤大学経済学部助手、1974年 講師、1978年 助教授、2003年 教授に就任。2009年 大学院経済学研究科委員長。2016年 定年退職。 その間、淑徳大学社会福祉学部(1975年4月~1978年3月)と日本女子大学家政学部(1993年4月~1997年3月)で非常勤講師をつとめる。 学生時代は中学・高校教員を志望し、教員採用試験に合格。
大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )… 大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )とは、日本の政治家である。公益財団法人緑の地球防衛基金理事長である。 参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)、参議院財政金融委員長などを歴任した。農林大臣、環境庁長官を務めた元衆議院議員の大石武一は父である。 宮城県仙台市生まれ。暁星高等学校、立教大学文学部史学科卒業。大学卒業後、米国ウィットワース大学(Whitworth University, ワシントン州スポケーン)政治学部に留学。帰国後、国土計画(現・プリンスホテル)勤務を経て、父、大石武一の秘書となる。1976年に武一が農林大臣に就任した際は大臣秘書官を務めた。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、初当選した。
柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - … 柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫。落語協会所属。出囃子は「三社祭」。 東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。 1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。 1970年4月、柳家小団治、三遊亭旭生、むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。
宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月2… 宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月28日 - )は、日本の実業家、篤志家。公益財団法人日本美術協会理事、上野の森美術館館長。 岡山放送株式会社代表取締役社長、株式会社ビーエスフジ代表取締役社長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、株式会社フジテレビジョン代表取締役会長などを歴任した。 1944年(昭和19年)1月28日、山口県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。高校時代はダイソー創業者の矢野博丈と同級生だった。 1967年4月1日、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)入社。同期入社は杉田成道、石田弘、竹内次也、松本寛、北林由孝。
清水 貞光(しみず さだみつ、1944年1月28日 - 20… 清水 貞光(しみず さだみつ、1944年1月28日 - 2024年9月29日)は、日本の実業家、馬主。 建築設計および建設を手がける株式会社清水工務店の代表取締役を務めた。日本中央競馬会(JRA)の馬主としてカルストンライトオを所有したほか、同会栗東トレーニングセンター所属でキタサンブラックなどを管理した調教師の清水久詞は息子である。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主として知られる。勝負服の柄は白、青袖赤二本輪、赤鋸歯形、冠名は本業で使用される軽石(「軽」い「石(Stone)」)より「カルストン」を用いた。 学生時代から競馬場に通っており、その後「自分で馬を持ったらもっと面白いんだろうな」と思ったことから30歳で馬主資格を取得した。
勝倉 壽一(勝倉 寿一、かつくら としかず、1944年(昭和… 勝倉 壽一(勝倉 寿一、かつくら としかず、1944年(昭和19年)1月28日 - )は、日本文学者、福島大学名誉教授、東北文教大学教授。古典から現代まではば広く日本文学を研究。 福島県いわき市生まれ。1967年東北大学文学部国文科卒、70年同大学院文学研究科修士課程修了。1967年東北大学文学部助手、1970年山形女子短期大学講師、73年助教授、1978年愛媛大学教養部助教授、1984年福島大学教育学部助教授、88年教授、1993年「上田秋成の古典学と文芸に関する研究」で東北大学博士(文学)。2009年福島大を定年退任、名誉教授、東北文教大学教授。 2022年、瑞宝中綬章受章。
五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - … 五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - )は、日本の弁護士、都市政策学者、立法学者。法政大学法学部政治学科名誉教授(都市政策)。菅直人再改造内閣で内閣官房参与を務めた。 山形県河北町出身、早稲田大学法学部卒業。大学在学中の21歳時に司法試験に合格、司法修習(20期)を経て、弁護士となった。不当な建築や都市計画による被害者の弁護活動に携わるとともに、従来の公共事業を批判、「美の条例」(神奈川県真鶴町)の制定を支援するなど、美しい都市創りを訴えている。また、日本において「日照権」という権利を生み出したことで知られている。 1981年(昭和56年)には、早川書房が徳間書店および作家の堀晃を訴えた『太陽風交点事件』で早川書房側の弁護士を務め、敗訴した。
和田 宗春(わだ むねはる、1944年〈昭和19年〉1月28… 和田 宗春(わだ むねはる、1944年〈昭和19年〉1月28日 - )は、日本の政治家。翻訳家。民進党所属の元東京都議会議員(3期)。東京都議会議長(第43代)。北区議会議員(5期)。文京学院大学非常勤講師。旭日中綬章綬章。 東京都立桐ケ丘高等学校卒業。早稲田大学第一商学部卒業。同大学教育学部卒業。同大学大学院政治学研究科修了。 1971年(昭和46年)、北区議会議員選挙に出馬し当選。北区議会議員時代は交通対策特別委員長・建設委員長などを歴任。 1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。1996年(平成8年)、第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬するも落選。 1997年(平成9年)の東京都議会議員選挙に出馬し当選。
和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986… 和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986年7月6日)は、1960年代から1980年代前半にかけて活躍した日本の俳優。本名、和田 愷夫(ひでお)。ホリプロに所属していた。 茨城県水戸市に、ジャズピアニスト・和田肇 の次男として生まれる。東洋音楽学校声楽科在学中の1959年、当時人気の石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活に入社し、同年の『無言の乱斗』に主演し、映画デビューする。 翌1960年から、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成。(やんちゃガイ)と称され、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。
大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は… 大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、自由民主党茨城県支部連合会事務局長を務めた。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸農業協同組合非常勤理事を経て1975年に自由民主党に入職。後に自民党茨城県連事務局長に就任。2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で比例北関東ブロックの名簿第36位で立候補し、次点となる。 2009年5月、小泉劇場の恩恵で比例34位で当選した中森福代がさいたま市長選挙出馬を表明し、議員辞職したことに伴い中央選挙管理会の決定を経て5月19日に繰り上げ当選した。 同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には落選、議員在職日数はわずか2ヶ月余りだった。
叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、… 叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、日本の経済学者。元国民経済研究協会理事長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島加計呂麻島)出身。瀬戸内町立薩川中学校卒業、東京都立江戸川高等学校卒業、1966年中央大学法学部第二部法律学科卒業。1969年財団法人国民経済研究協会研究員就任。1977年一橋大学大学院経済学研究科博士課程退学。指導教官は宮澤健一で、専攻分野は経済学。1983年5月から1996年まで国民経済研究協会理事長、1997年1月総合研究開発機構客員研究員、1997年から2006年まで拓殖大学国際学部教授、1998年9月シンガポール東南アジア研究所(lSEAS)客員研究員、2007年から帝京平成大学現代ライフ学部教授、健康メディカル学部作業療法学科教授。
北 修爾(きた しゅうじ、1943年〈昭和18年〉1月28日… 北 修爾(きた しゅうじ、1943年〈昭和18年〉1月28日 - )は日本の通産官僚。阪和興業創業者北二郎の長男で、同社代表取締役社長として、バブル崩壊後叔父の北茂前社長の投資による多額の損失を被り経営危機にあった同社の再建を行った。 小林興起、広瀬勝貞、林康夫、森清圀生(ライフ社長、元通商政策局次長)、石黒正大(東京ガス副社長、元中小企業庁長官)、長藤史郎(荏原製作所常務執行役員)など。
拝田 正機(はいだ せいき、1943年1月28日 - )は、… 拝田 正機(はいだ せいき、1943年1月28日 - )は、日本のピアニスト、音楽教育者。 東京都出身。国立音楽大学音楽部卒業。オーストリアウィーン国立アカデミー音楽院、ウィーン市立音楽院へ留学。アメリカ合衆国コロンビア大学大学院修了。国立音楽大学で後進のピアノ指導にあたり国立音楽大学准教授を歴任。ピアノリサイタル、演奏会を多数開催。 ミュージカルアカデミー・ドリーム学院長、国際ピアノデュオ協会会員、立川市地域文化振興財団評議委員。
篠田 知和基(しのだ ちわき、1943年1月28日 - )は… 篠田 知和基(しのだ ちわき、1943年1月28日 - )は、日本のフランス文学者、比較神話学者、翻訳家。名古屋大学元教授。神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員。 1943年、東京市(現・中野区)で生まれた。横浜市立大学文理学部で学び、1966年に卒業。東京教育大学大学院文学研究科に進み、1971年に博士課程を中退。フランス・グルノーブル大学(フランス語版)に留学し、1969年に博士課程を修了した。 1971年、静岡大学教養部専任講師に就いた。1973から1974年まで、パリ大学で在外研究。1974年、静岡大学教養学部助教授に昇格。1978年、パリ第8大学で文学博士号を取得。1981年、名古屋大学文学部助教授に転じ、1995年に教授昇格。
宮越 澄(みやこし きよし、1943年1月28日 - )は、… 宮越 澄(みやこし きよし、1943年1月28日 - )は、日本のテレビドラマ専任の映画監督である。富山県出身。NPO法人時代劇振興協会理事長。 日本大学藝術学部在籍中に殺陣同志会に所属。役者として幾つかの映画・ドラマ等に出演。21歳の頃、土居通芳に師事し演出に携わりはじめる。1973年、三船プロダクションの作品で監督デビュー。以後フリーの監督として多くのテレビドラマの演出を手掛けた。
山崎 英則(やまざき ひでのり、1943年1月28日 - )… 山崎 英則(やまざき ひでのり、1943年1月28日 - )は、日本の教育学者。教育哲学、西洋教育史が専門。 1970年広島大学大学院博士課程満期退学。 比治山女子短期大学講師、広島女子大学助教授、県立広島女子大学教授、神戸親和女子大学発達教育学部教授、2010年退任。
平川 南(ひらかわ みなみ、男性、1943年1月28日 - … 平川 南(ひらかわ みなみ、男性、1943年1月28日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。人間文化研究機構機構長。国立歴史民俗博物館名誉教授。山梨県立博物館名誉館長。 1943年、山梨県で生まれた。山梨大学学芸学部社会科学科に入学し、1965年に卒業。卒業後は、山梨県立身延高等学校の教員を3年間務めた。 1968年、文化庁文化財保護部記念物課臨時職員となり、史跡の調査と保護を担当。1969年、多賀城町嘱託として、特別史跡多賀城跡附寺跡の環境整備事業技術管理者となった。1970年からは宮城県教育委員会技術職員として宮城県多賀城跡調査研究所に勤務。その際に、日本で初めての漆紙文書を発見した。
吉川 進(よしかわ すすむ、1943年1月28日 - )は、… 吉川 進(よしかわ すすむ、1943年1月28日 - )は、日本の経営者。リョービ社長を務めた。 東京都出身。1965年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に菱備製作所(現在のリョービ)に入社。1992年に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2004年6月に社長に就任した。2011年6月から1年間副会長を務めた この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は… 斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 作新学院高等部時代は1958年の夏の大会で初出場を4強・国体では初出場を優勝に導いた古口典央が引退した栃木県大会から正捕手となった。 1958年秋の栃木県大会でチームは1回戦に宮下陽吾と松本照夫の両投手が控える栃木商業、準決勝ではエース大井道夫率いる宇都宮工業を破り勝ち進んだ。そして決勝の矢板高戦では先制点となるタイムリー二塁打を放って勝利を呼び込み、4番・捕手として作新学院の秋季県大会初優勝の一端を担った。 秋の関東大会でも土田伸三投手とのバッテリーを務めながら4番に座り、作新は優勝の成績を収めた。
福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月2… 福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼクティブアナウンサー。 高知県香美郡香北町(現:香美市)生まれ。大阪市育ち。愛称は「トメさん」。「トメじじい」と自称したこともある。 大阪市立五条小学校、大阪市立天王寺中学校卒業。中学生時代の部活は最初は演劇部だったが、後に自分で放送部を作って転部。また、同じ頃アイスホッケーにも力を入れていた。 追手門学院高等学校卒業後、医師を目指して大阪大学医学部など何度も医大受験をするも失敗し、2浪の末入った明治大学文学部演劇学科を卒業。
安宅 敬祐(あたか けいすけ、1942年(昭和17年)1月2… 安宅 敬祐(あたか けいすけ、1942年(昭和17年)1月28日 - 2020年(令和2年)8月29日)は、日本の政治家。階は正五位。岡山県岡山市長(第29・30代)。
渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、194… 渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、1942年(昭和17年)1月28日 - 2007年(平成19年)9月16日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員。 同じ派閥で名の読みが同じ渡部恒三が会津のケネディと呼ばれたのに対し、越山会のスポークスマンと呼ばれた。 渡邊良夫の三男として生まれる。新潟県北蒲原郡黒川村(現・胎内市)に本籍があり、現在の新発田市紫雲寺地区で幼少期を過ごした。早稲田高等学校を中退後、新潟県内の会社に勤務していたが兄の渡辺肇の引退を受け、1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙に旧・新潟2区から自由民主党公認で出馬し初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・三塚博・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
成川 豊彦(なりかわ とよひこ、男性、1941年1月28日 … 成川 豊彦(なりかわ とよひこ、男性、1941年1月28日 - )は、日本の実業家。司法試験予備校講師(憲法)。「早稲田セミナー」創設者・元代表取締役。 株式会社スクール東京最高名誉顧問。 西南政法大学(重慶)客員教授。公認会計士二次試験合格。 1941年1月28日、徳島県に生まれる。1959年、徳島県立城南高等学校卒業、1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。 1974年、早稲田セミナー開業、1980年、早稲田経営出版設立、1981年、早稲田行動科学研究所設立。 2007年、早稲田セミナーのセミナー部門を売却、2009年、同年11月設立の株式会社スクール東京の最高名誉顧問に就任。 2019年1月28日 78歳の誕生日より、youtubeでのチャンネル「スクール東京チャンネル」を開始した。
大場 新太郎(おおば しんたろう、1941年1月28日 - … 大場 新太郎(おおば しんたろう、1941年1月28日 - )は、日本の建築工学・構造工学者。工学博士(大阪大学)。大阪工業大学名誉教授。元日本建築学会代議員。元地盤工学会関西支部評議員。 専門は、建築構造(特に地盤工学・地震工学)・建築工学(特に寺塔)、建築材料(コンクリート工学・木造)。 1963年大阪工業大学工学部建築学科卒業。1967年同大学建築学科助手。1972年同学科講師を経て、1984年大阪大学より工学博士の学位を取得。 1984年大阪工業大学工学部建築学科助教授。1989年同学科教授、2001年工学部長。2005年大阪工業大学名誉教授。大阪工業大学工学部建築学科にて30年以上の長きにわたり教鞭を執り、同大学法人グループの広島国際大学教授も務めた。
米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年… 米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年〉1月28日 ‐ 2016年〈平成28年〉6月16日)は、日本の政治家。 衆議院議員(通算9期)、民社党委員長(第8代)・書記長(第7代)・政策審議会長(第5代)、新進党幹事長(第2代)・副党首、民主党副代表、民社協会会長、宮崎県議会議員(2期)等を歴任した。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。ラ・サール中学校・高等学校、京都大学法学部卒業。1964年、旭化成入社。労働組合運動に参加し、全旭連(現旭化成労働組合)書記長を務める。1971年、宮崎県議会議員選挙に立候補し、初当選した。1975年に再選。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に民社党公認で旧宮崎1区から立候補し、当選した。
萓沼 紀子(かやぬま のりこ、1940年1月28日 - )は… 萓沼 紀子(かやぬま のりこ、1940年1月28日 - )は、日本近世文学研究者、元作新学院大学短期大学教授。 北海道大学卒、同大学院中退。1997年東京大学大学院で「安藤昌益の学問と信仰」により文学博士。作新学院大学短期大学部教授を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
志賀 政司(しが まさし、1939年1月28日 - )は、福… 志賀 政司(しが まさし、1939年1月28日 - )は、福島県平市(現・いわき市)出身の元バスケットボール選手。 明治大学在学中、全日本に選ばれローマオリンピックに出場。 卒業後、日本鉱業に入社。引き続き全日本で活躍し、1963年世界選手権と東京オリンピック、1967年世界選手権に出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
素 九鬼子(もと くきこ、本名:内藤 恵美子〈ないとう えみ… 素 九鬼子(もと くきこ、本名:内藤 恵美子〈ないとう えみこ〉、1937年1月28日 - 2020年4月5日)は、日本の小説家。 愛媛県西条市生まれ。愛媛県立西条高等学校を1年で中退。結婚後に起稿された処女作『旅の重さ』の原稿を由起しげ子に送るが、そのままになっていた。由紀の死後、筑摩書房が遺品を整理中に偶然、原稿が発見されて刊行され、ベストセラーとなり、刊行後に知人からの知らせで初めて自分の作品が出版されていることを知り、名乗りでたあと作家となる。作品は映画化もされた(監督:斎藤耕一)。 1974年『パーマネントブルー』で直木賞候補、同年『大地の子守歌』、1975年「ひまやきりしたん」で三度直木賞候補となる。
西山恒夫(にしやま つねお、1937年1月28日 - )は、… 西山恒夫(にしやま つねお、1937年1月28日 - )は、日本の水産学者。学位は、水産学博士(北海道大学)。北海道函館市出身。 北海道大学水産学部卒業。同大学院水産学研究科博士課程中退。1967年北海道大学水産学部専任講師。その後、同水産学部助教授。1975年3月北海道大学より「ブリストル湾系ベニサケ海岸生活冬期における食物要求に関する研究」で水産学博士の学位を受く。1975年アメリカ・アラスカ大学フェアバンクス校水産海洋学部海洋生態学講座助教授。1985年東海大学工学部札幌教養部教授。1988年北海道東海大学工学部教授。1997年北海道東海大学学長。2000年同学長退任。2006年北海道東海大学定年退職。
栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2… 栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2日)は、大相撲の元呼出。本名:上田忠。栃木県宇都宮市出身、時津風部屋所属。師匠は従兄弟でもある栄吉。 1948年5月初土俵。呂太鼓の名人として知られる。また、角界有数の酒好きとしても有名。 1969年の九州場所中、酔っ払って横断歩道を横断中に車にはねられ、80メートルも飛ばされた結果、内臓破裂で2年間入院。再起が危ぶまれたが、根性で復活した。
小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月2… 小島 勝平(こじま かつへい、1936年〈昭和11年〉1月28日 - 2007年〈平成19年〉4月24日)は、日本の実業家。小島電気商会(後の株式会社小島電機、現在の株式会社コジマ)創業者で、代表取締役社長、代表取締役会長を歴任した。 1955年4月に栃木県宇都宮市で小島電気商会を創業、家電の安売り販売を開始。1963年より法人化して株式会社小島電機を設立。 小島電機は栃木県内で1972年から多店舗化へ展開、店舗網を拡充して大量販売。1984年から栃木県外に進出し多店舗展開、1985年までに中堅家電販売店へ成長。小島勝平は全国一の家電量販店激戦区北関東YKK で、群馬県のヤマダ電機(山田昇)、茨城県のケーズデンキ(加藤修一)、栃木のヌマニウ、第一家電と家電量販店の激しい価格競争、出店競争。
藤巻 義麿(ふじまき よしまろ、1936年(昭和11年)1月… 藤巻 義麿(ふじまき よしまろ、1936年(昭和11年)1月28日 - )は、日本の政治家。元山梨県甲斐市長(1期)。旭日小綬章受章。 山梨県立甲府第一高等学校卒。竜王町議会議員、同町長を経て、2004年に竜王町は合併により甲斐市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。甲斐市長は1期務め、2008年の市長選挙にには出馬しなかった。2009年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
江本 寛治(えもと かんじ、1936年1月28日 - 201… 江本 寛治(えもと かんじ、1936年1月28日 - 2015年9月1日)は、JFEホールディングス相談役、元会長。川崎製鉄社長としてNKKの下垣内洋一社長と経営統合の方針を決め、JFE誕生に導く。福岡県出身。1958年、九州大学工学部冶金学科を卒業後、川崎製鉄に入社。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月2… 大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月28日 - )は、日本の実業家。ライオンズクラブ元国際理事。ゼネラル・サービス元代表取締役社長。大野電機鋳造所元代表取締役社長。祖父は川口市議会元議員の大野元次郎。長男は第61代埼玉県知事の大野元裕。 埼玉県川口市出身。川口市長を務めた大野元美の長男として生まれる。1958年(昭和33年)慶應義塾大学文学部を卒業し、同年4月家業である大野電機鋳造所入社。同年12月専務取締役を経て、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。 1970年(昭和45年)6月ゼネラル・サービス代表取締役社長、1977年(昭和52年)4月日装代表取締役会長に就任。
浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、… 浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、日本の女優。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。作品数は本表における便宜上、暫定的なもの。
白川 義員(しらかわ よしかず、1935年〈昭和10年〉1月… 白川 義員(しらかわ よしかず、1935年〈昭和10年〉1月28日 - 2022年〈令和4年〉4月5日)は、日本の写真家。「地球再発見による人間性回復へ」をテーマに、原始の風景と聖地などを撮り続けた。 1996年から『世界百名山』撮影プロジェクトを開始する。エドモンド・ヒラリーらの各国の11名が選考委員を快諾して、この委員と「白川義員世界百名山撮影プロジェクトを支援する会」により、世界の山から110座を選んだ。これをもとに2001年(平成13年)までに、自ら127座すべてを空から撮影した。理想の被写体を求めて、日の出や日没時を含めて360度のあらゆる方向からその山を眺め航空機の窓を開けての撮影を行った。
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 20… 須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる。 1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
松平 直晃(まつだいら なおあき、1935年〈昭和10年〉1… 松平 直晃(まつだいら なおあき、1935年〈昭和10年〉1月28日 - 2021年〈令和3年〉8月22日)は、直良系越前松平家(播磨国明石藩)第15代当主。 日高震作の子として生まれる。出生名は、日高 震二。直良系越前松平家(播磨国明石藩)14代当主の松平尚次郎が1975年に40代で死去後に友人で妹の夫でもあった震二が婿養子となり、松平 直晃に改名。妻は松平弥栄子(子爵松平直頴の娘)。 学習院高等科、学習院大学卒業。 明石藩士の子孫たちが作る「明石葵会」の総会等で度々、旧領でもある、兵庫県明石市を訪れたり、同家に伝わる資料を寄贈するなどしてかつての地元と親交を深めていた。 娘が二人居るがいずれも婿養子を迎えなかったため、直晃が2021年8月22日に死去後は、戸籍上での松平家は断絶となった。
丸山 有成(まるやま ゆうせい、1935年〈昭和10年〉1月… 丸山 有成(まるやま ゆうせい、1935年〈昭和10年〉1月28日 - 2014年〈平成26年〉10月30日)は、日本の化学者。専門は固体物理化学。分子科学研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士。 1935年1月28日に生まれた。 1959年に東京大学理学部化学科を卒業し、1961年に東京大学大学院理学系研究科の修士課程を修了した。同年に東京大学物性研究所の教務員、1962年に文部技官、1963年に助手となった。 1967年に東京大学から理学博士号を取得した。1972年にお茶の水女子大学理学部化学科の助教授、1980年に同大学の教授に着任した。1984年に分子科学研究所分子集団研究系の教授となった。
吉川 一義(よしかわ かずよし、1935年1月28日 - )… 吉川 一義(よしかわ かずよし、1935年1月28日 - )は、日本の映画監督である。平仮名表記の「よしかわ いちぎ」名義で『電子戦隊デンジマン』の監督も手掛けた。京都府京都市出身。 日本大学藝術学部卒業後東映に入社。今井正に師事し、1968年に監督デビュー。以降テレビドラマ作品を中心に活動し、刑事ドラマ・時代劇・2時間ドラマと数多くの作品で現在もメガホンを執り続ける。特に1988年のスタートから足掛け20年続いた『はぐれ刑事純情派』ではメイン監督として長年携わり、その縁から藤田まこと主演の東映テレビ時代劇にもコンスタントに参加した。 瀬川昌治が塾長を務める瀬川塾では講師を務めた。
さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月… さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月28日 - 2024年3月28日)は、日本の絵本作家。東京市品川区大井町生まれ、練馬区東大泉町育ち。 児童出版美術家連盟所属、子どもの文化研究所所員、岡谷市小さな絵本美術館主宰。 東京学芸大学附属大泉小学校、附属中学校を経て、東京都立大泉高校に進学。高校では美術部に所属し、美術大学への進学を希望していたものの家計の問題で叶わず、映画会社の東宝に就職。しかし、腎臓結核にかかり2年間療養生活に入る。 その後働きながら、高校美術部の顧問の恩師であった東京教育大学美術学科教授の高橋正人にデザインを学び、デザイン会社に就職。寺村輝夫と知り合って、挿絵画家としてデビュー。
田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 20… 田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 2024年7月30日)は、日本の作家・ジャーナリスト。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業後、NHK記者、AP通信記者、東海大学教授を経てフリー・ジャーナリスト。 放送ジャーナリストエドワード・R・マローの評伝『ニュースキャスター』と、翻訳『マロー・ボーイズ』を刊行している。 『黒澤明VS.ハリウッド 「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋)で、第28回講談社ノンフィクション賞、第33回大佛次郎賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞、第57回芸術選奨文部科学大臣賞を、各受賞した。また映画本大賞2006(キネマ旬報)で、ベストワンに選出された。
太田 淳夫(おおた あつお、1934年1月28日 - 202… 太田 淳夫(おおた あつお、1934年1月28日 - 2023年3月12日)は、日本の政治家。公明党所属。参議院議員(3期)を歴任。 東京都出身。1956年東京大学文学部国史学科卒。三井生命に入社後、公明党に入り、同党中部事務局次長などを経て、1969年と1972年の総選挙で当時の岐阜1区から公明党公認で立候補したが落選した。1974年の第10回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で立候補して初当選した。以来3期務める。公明党岐阜県本部長、参議院法務委員長、科学技術振興対策特別委員長などを歴任した。1992年に引退した。 2023年3月12日、老衰のため岐阜市内の自宅で死去した。89歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。