津田 信吾(つだ しんご、1881年(明治14年)3月29日… 津田 信吾(つだ しんご、1881年(明治14年)3月29日 - 1948年(昭和23年)4月18日)は、大正・昭和期の実業家。鐘紡の第2代社長を務めた。鐘紡争議を収束させ社長となる。昭和初期のインド綿花不買運動で知られる。旧姓西山。 愛知県額田郡岡崎能見町(現・岡崎市)に岡崎藩士・西山芳六の四男として生まれる。7歳の時に福井県庁の土木課長を務めていた津田於菟の養子となる。福井県立福井小学師範学校から福井県尋常中学校に進む。2年浪人したのち慶應義塾大学予科に入学。同大学卒業後、鐘淵紡績に工員として入社。1911年(明治44年)、西大寺工場長に就任。ついで淀川工場長となる。1930年(昭和5年)に副社長となり、同年4月から6月にかけて八つの工場で発生した労働争議(いわゆる鐘紡争議)の解決にあたる。
篠原 和市(しのはら わいち、1881年(明治14年)3月2… 篠原 和市(しのはら わいち、1881年(明治14年)3月29日 - 1930年(昭和5年)8月14日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 長野県南佐久郡岸野村(現在の佐久市)出身。篠原代吉の三男。小諸義塾を卒業し、日本大学法科で学んだ。大阪毎日新聞・東京日日新聞各記者となった。 清浦内閣で鈴木喜三郎司法大臣の秘書官を務めた後、1925年(大正14年)の衆議院補欠選挙に当選。その後の第17回・第18回総選挙でも再選された。その間、田中義一内閣で鈴木喜三郎内務大臣の秘書官に就任した。 他に日本大学評議員、国本社評議員を務めた。また日本大学推薦校友であった。
山田 昌作(やまだ しょうさく、1880年3月29日 - 1… 山田 昌作(やまだ しょうさく、1880年3月29日 - 1963年2月25日)は、日本の経営者。北陸電力初代社長を務めた。 富山県出身。1914年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に富山電気に入社。常務、専務を経て、1929年には社長に就任。1942年から1946年12月までに北陸配電社長を務め、1951年5月から1959年9月までに北陸電力社長を務めた。 1955年に藍綬褒章を受章。 1963年2月25日、腸ガンのために死去。82歳没。 北陸電力社長を務めた山田圭蔵の父
植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)… 植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)3月29日 - 昭和34年(1959年)7月8日)は、日本の歴史学者、法学者。國學院大學名誉教授。新潟県出身。
西 晋一郎(にし しんいちろう、1873年(明治6年)3月2… 西 晋一郎(にし しんいちろう、1873年(明治6年)3月29日 - 1943年(昭和18年)11月13日)は、日本の倫理哲学者。学位は、文学博士。京都帝国大学の西田幾多郎博士とともに“両西”と呼ばれ、倫理哲学界の重鎮であった。 1873年、鳥取県鳥取市で西昇蔵の長男として生まれた。山口高校を経て東京帝国大学に入り、1899年(明治32年)に同大学哲学科を卒業した。 1902年、広島高等師範学校が設立されると同校教授に就任。同校が1929年に文理科大学に改組されたのちも引き続きその教授をつとめた[疑問ありーノート参照]。1937年に満州国の首都・新京に建国大学を設立することが満洲国国務院の会議で決定するが、設立にあたっては創立委員を務めた。
井上 羽城(いのうえ うじょう、1871年3月29日〈明治4… 井上 羽城(いのうえ うじょう、1871年3月29日〈明治4年2月9日〉 - 1947年〈昭和22年〉9月30日)は、福井県出身の歌人、新聞記者。本名は井上 一(いのうえ はじめ)。号は羽城のほか、経足、風露郎、紅蓮などを用いた。 1871年(明治4年)2月9日、福井県福井市に井上一庵・起怒の長男として生まれる。家業であった医者を継ぐために金沢高等医学専門学校に入学したが、文学への道を志望し、1892年(明治25年)春に上京し、落合直文の門下に入る。大八洲学校に入学し、落合直文と久米幹文から国文を学ぶ。在学中に金子元臣や品田太吉を助け、雑誌『歌学』や『分海』の編集に当たる。1893年(明治26年)、浅香社の創立に加わる。
正田 貞一郎(しょうだ ていいちろう、明治3年2月28日〈1… 正田 貞一郎(しょうだ ていいちろう、明治3年2月28日〈1870年3月29日〉 - 1961年〈昭和36年〉11月9日)は、日本の実業家。位階は正五位。勲等は勲三等。 日清製粉株式会社社長、東武鉄道株式会社会長、社団法人如水会理事長、貴族院議員などを歴任した。 上皇后美智子の祖父。今上天皇の曽祖父。 生家は群馬県館林において「米文」の名で米問屋を営み、明治に入って醤油醸造業に従事した。横浜で外国米輸入商売をしていた正田作次郎の長男として生まれるが、翌年父が風邪をこじらせて26歳で亡くなり、館林の祖父・3代正田文右衛門の下で育てられた。 館林小学校を卒業。1884年(明治17年)上京し、1887年(明治20年)東京高等商業学校(現・一橋大学)に入学。
伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明… 伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明治3年2月28日)- 1938年(昭和13年)12月15日)は、明治から昭和前期の醸造家、農業経営者、政治家。衆議院議員、第13代伊藤家当主。 出羽国仙北郡南楢岡村及位(秋田県仙北郡南楢岡村、南外村を経て現大仙市南外及位)で、肝煎、酒造業・伊藤重四郎の長男として生れた。神官・高橋村司の私塾で学び、その後、旧久保田藩士・半田忠蔵などに師事した。父の死去に伴い1888年(明治21年)4月に家督を相続した。当主となったため進学が不可能となり、書物によって独学した。 1894年(明治27年)南楢岡村会議員に選出され32年間在任。1897年(明治30年)8月、秋田県会議員に就任し連続7期在任し、同参事会員、仙北郡会議員も務めた。
大倉 本澄(おおくら もとずみ、もとすみ、1867年3月29… 大倉 本澄(おおくら もとずみ、もとすみ、1867年3月29日〈慶応3年2月24日〉 - 1940年〈昭和15年〉6月19日)は、日本の英米文学者、英語教育者、翻訳家、聖職者。教育者として東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)を創設したほか、旧制第六高等学校(現・岡山大学)教授や旧制甲南高等学校(現・甲南大学及び甲南中学校・高等学校)教授を歴任。英文学者や翻訳家としてシェイクスピア劇の講義に加え、イギリス公使の翻訳官を務めた。また、ハーバード大学で外国人初の舎監となり、日本聖公会の聖職者としても伝道に従事した。号は折鵬、竹隠。 1867年3月29日〈慶應3年2月24日〉、備前国岡山に生まれる。
福原 銭太郎(ふくはら せんたろう、慶応3年2月24日(18… 福原 銭太郎(ふくはら せんたろう、慶応3年2月24日(1867年3月29日) - 昭和13年(1938年)9月26日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。三重県桑名町長、長島村長。 伊勢国桑名郡長島村(現在の三重県桑名市)出身。士族・福原資英の長男として生まれ、1896年(明治19年)に家督を継ぐ。1884年(明治17年)に陸軍士官学校(旧9期)に入学し、1887年(明治20年)に卒業。同年7月歩兵少尉に任官し、陸軍大学校(10期)で学び、日清戦争に出征した。陸軍士官学校教官、参謀本部部員、近衛師団参謀を歴任。日露戦争時には第12師団高級参謀を務め、その後は留守第12師団参謀長、歩兵第68連隊初代連隊長、臨時朝鮮派遣歩兵第1連隊長、第16師団参謀長、第26旅団長を歴任した。
宗 兵蔵(そう ひょうぞう、1864年3月29日 - 194… 宗 兵蔵(そう ひょうぞう、1864年3月29日 - 1944年1月30日)は、関西を中心に多くの建築物の設計を手がけた建築家。関西建築界の重鎮として活躍した。プロポーションや細部意匠の取り扱いにすぐれ、折衷主義建築を得意とした。
土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月2… 土生 彰(はぶ あきら、元治元年2月22日(1864年3月29日) – 1943年(昭和18年)7月20日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、福井県武生町長。ジャーナリスト。 越前国南条郡武生(現在の福井県越前市)に初代武生町長となる土生忠の子として生まれる。京都で漢学などを学んだ後、福井県師範学校を卒業した。「富山日報」「福井新報」、日刊新聞「福井」の主筆を務めた後、1898年(明治31年)に武生町長に就任した。翌年に町長を辞して、「若越新聞」「福井新聞」に筆を執った。1911年(明治44年)より県会議員。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1期務めた後の1930年(昭和5年)に武生町長に再任された。
小川 三千三(おがわ みちぞう、1863年3月29日(文久3… 小川 三千三(おがわ みちぞう、1863年3月29日(文久3年2月11日) - 1899年(明治32年)5月12日)は、日本の明治期の弁護士、政治家。東京市会議員、日本橋区会議長。 1863年3月29日(文久3年2月11日)、江戸日本橋馬喰町郡代に生まれる。海保竹渓に漢学を学び、1875年(明治8年)に東京外語学校(現・東京外国語大学)に入り、英語を修学、大学予備門を経て、1877年(明治10年)に東京大学医学部に入る。しかし、我医を以って名を成すに足らずと大学を退き、1880年(明治13年)に東京法学校(現・法政大学)に入り、フランス法学を修める。1882年(明治15年)に立憲改進党に入党し、1884年(明治17年)に代言人試験に合格する。
平岡 萬次郎(ひらおか まんじろう、1860年3月29日〈万… 平岡 萬次郎(ひらおか まんじろう、1860年3月29日〈万延元年3月8日〉 - 1923年〈大正12年〉12月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。兵庫県平民。 内務官僚・平岡定太郎の兄。定太郎の孫に作家・三島由紀夫、外交官・平岡千之がいる。 万延元年(1860年)、播磨国印南郡志方村上富木(現在の兵庫県加古川市)の農家に生まれた。父・太吉と、母・つるの長男。 15歳まで、皇道精神を基調とする鼎(かなえ)塾に学ぶ。ここでは忠君愛国の講話が行われた。萬次郎はやがて姫路の洋学塾へ進んだ。 上京し、明治14年(1881年)明治法律学校(現在の明治大学)に入学し、明治16年(1883年)卒業、更に専修学校(現在の専修大学)を卒業。
和井内 貞行(わいない さだゆき、安政5年2月15日(185… 和井内 貞行(わいない さだゆき、安政5年2月15日(1858年3月29日) - 大正11年(1922年)5月16日)は、秋田県十和田湖開発の先駆者である。幼名は吉弥。 1858年、南部藩領陸奥国鹿角郡毛馬内村(現:秋田県鹿角市)に生まれた。和井内家は、南部藩重臣で毛馬内陣屋(柏崎新城)城代桜庭氏の筆頭家老職を代々務めていた。1866年、儒学者の泉沢恭助(修斉)の私塾に通った。1874年、毛馬内学校(現:鹿角市立十和田小学校)に助教員として採用され、1881年、工部省小坂鉱山寮に吏員として採用されて小坂鉱山に赴任する。1884年、十和田湖にはじめて鯉600尾を放流する。十和田湖への魚類放流は、貞行が6人目で、鯉の放流も3人目だった。
岩永 マキ(いわなが マキ、1849年3月29日〈嘉永2年3… 岩永 マキ(いわなが マキ、1849年3月29日〈嘉永2年3月3日〉 - 1920年〈大正9年〉1月27日)は、日本の社会事業家、福祉事業家。肥前国西彼杵郡浦上山里村(後の長崎県長崎市)の隠れキリシタン(潜伏キリシタン)の家の生まれであり、日本政府によるキリスト教弾圧「浦上四番崩れ」により配流され、帰郷後にフランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父の指導のもと、孤児の養育施設を開き、生涯を孤児養育と救貧に捧げた。現存する児童養護施設の中でも最古のものの創設者の1人であり、孤児救済の先駆者、日本の福祉事業の礎を築いた女性ともされる。 浦上山里村の隠れキリシタンの農家で、長女として誕生した。浦上山里村は平穏な農村であると共に、隠れキリシタンの村との一面もあった。
渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、184… 渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、1846年3月29日〈弘化3年3月3日〉- 1919年〈大正8年〉5月11日)は、明治期の日本の官僚、政治家。位階・勲等・爵位は正二位勲一等子爵。旧姓は小池。第2次伊藤内閣の大蔵大臣、逓信大臣、第4次伊藤内閣の大蔵大臣を歴任した。兄は伯爵渡辺千秋。 1846年3月29日(弘化3年3月3日)、信濃国諏訪郡東堀村(後の長野県岡谷市)にて諏訪高島藩士の家に生まれた。父渡辺政徳は、武士が桃の節句に生まれたのでは具合が悪いということで、藩庁に端午の節句の5月5日生まれと届けている。両親と早く死別したため、兄の千秋とともに祖母の手によって養育された。10歳の時にコレラにかかるが、一命を取り留める。
山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12… 山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12年2月7日)- 1911年(明治44年)8月27日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡武雄村小楠(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣(足軽)の家に生まれる。幕末には名誉とされていた武雄領の時報役を務めた。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い羽州を転戦した。 その後、武雄軍団所史生、副戸長を務め、1880年、長崎県会議員に当選。1883年、佐賀県会議員に選出され、1887年、鎌田景弼佐賀県知事により抜擢され佐賀県属・土木課副長に就任。その後、退官して県会議員に復帰し、1902年、県会議長に就任した。
おにぎりくん(3月29日 - )は、日本のイラストレーター、… おにぎりくん(3月29日 - )は、日本のイラストレーター、ゲームの原画家である。アリスソフト所属。大阪芸術大学卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
赤井 ヒガサ(あかい ヒガサ、3月29日 - )は、日本の漫… 赤井 ヒガサ(あかい ヒガサ、3月29日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター[要出典]。男性。代表作は『葬儀屋リドル』、『王室教師ハイネ』。2026年から『ガンガンONLINE アプリ版』にて『ひきこもり王子の華麗なる世直し』を連載している。 京都精華大学マンガ学部卒業。2009年5月、『ガンガンONLINE』(スクウェア・エニックス)にて『葬儀屋リドル』の連載を開始し、2013年3月に完結を迎える。2013年11月、『月刊Gファンタジー』(同社)にて王室コメディの『王室教師ハイネ』を連載開始。同作は、アニメ化、劇場化、ミュージカル舞台化されている。2021年5月に同作の連載が終了。2026年1月から『ガンガンONLINE アプリ版』にて引きこもりの王子が登場する『ひきこもり王子の華麗なる世直し』の連載を開始。
宇都宮 貴子(うつのみや たかこ、3月29日 - )は、秋田… 宇都宮 貴子(うつのみや たかこ、3月29日 - )は、秋田県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。 秋田県秋田市出身。市内で料亭を営む家庭に生まれる。 東京経済大学短期大学部を卒業後、秋田テレビ (AKT) に入社。同局のアナウンサーを務めた後、エフエム秋田 (AFM) のアナウンサーになる。フリーに転じてからは、テレビへの出演やイベントの司会をしながらエフエム秋田のパーソナリティも務めている。エフエム秋田との関わりは長く、開局に向けての準備段階から携わっている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
こいずみ まり(3月29日 - )は、日本の漫画家。長崎県出… こいずみ まり(3月29日 - )は、日本の漫画家。長崎県出身。女性。武蔵野美術大学造形学部油絵学科油絵専攻卒業。既婚。 主に4コマ漫画作品を発表している。別ペンネームに木野 聖子(きの せいこ)、小泉 真理(こいずみ まり)がある。 大学在学時に雑誌などでカットを手がける。ゲーム会社に勤務し、兼業で漫画家としてデビューした後、専業漫画家となる。 初期はギャグ4コマがほとんどだったが、『LET IT BE!!』を描き始めたころからストーリー重視の連続物も描くようになり、青年誌だけではなく少年誌への連載も始めている。 初期の絵柄は青木光恵の影響を受けていることを『お姉さまとお呼びっ!!』単行本第1巻p30で述べている。