大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - … 大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - )は、日本の経営者。鴻池組社長、会長を務めた。大阪府出身。 1962年に京都大学工学部建築学科を卒業し、同年に鴻池組に入社。 1995年12月に取締役に就任し、1996年12月に常務、2000年2月に専務を経て、2003年10月に社長に就任。2006年11月から会長を務めた。
3月30日生まれ:393人
大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - … 大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - )は、日本の経営者。鴻池組社長、会長を務めた。大阪府出身。 1962年に京都大学工学部建築学科を卒業し、同年に鴻池組に入社。 1995年12月に取締役に就任し、1996年12月に常務、2000年2月に専務を経て、2003年10月に社長に就任。2006年11月から会長を務めた。
豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )… 豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁公安部長や、最高検察庁検事、公安調査庁長官、福岡高等検察庁検事長等を歴任した。 1961年中央大学法学部卒業。1962年旧司法試験合格。1965年東京地方検察庁検事。1988年東京高等検察庁検事。1990年東京地方検察庁公安部長。1991年公安調査庁総務部長。1993年最高検察庁検事。1994年長崎地方検察庁検事正。1995年熊本地方検察庁検事正。1996年浦和地方検察庁検事正。1997年大阪地方検察庁検事正。同年公安調査庁長官。1999年高松高等検察庁検事長。2000年福岡高等検察庁検事長。2001年東京弁護士会弁護士登録。
青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 19… 青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 1991年11月7日)は、日本の小説家。おもに推理小説で知られ、「紅子シリーズ」などが人気を得ていた。別名義に桐村 杏子がある。 東京に生まれ、立教大学に学び、在学中から『文學者』などに小説を寄稿していた。1971年立教大学大学院修了。やがて職業作家としてジュニア小説や官能小説を書くようになったが、1983年の『死の横浜娼婦館』以降は、推理小説に注力し、『完全犯罪の女』、『眠れぬ夜の悪魔』、『消えた家』、『あなたの知らないあなたの部屋』などを発表した。このうち、『あなたの知らないあなたの部屋』は、1989年の第42回日本推理作家協会賞長編部門の候補作となった。
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月… 島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年〈昭和13年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。 1938年3月30日(水曜日)、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄()、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。島倉家は越前一乗谷城主朝倉義景の末裔。 1945年(7歳)、長野県松本市へ疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも、半年間疎開していたことがある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。
佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき… 佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき よしこ)、1938年3月30日 - )は、日本の元競泳選手(種目は自由形)。アジア競技大会では1958年と1962年に合計7つの金メダルを獲得した。1956年メルボルンオリンピックおよび1960年ローマオリンピックでは短距離で合計5種目に出場し、最上位の成績は4×100mメドレーリレーの第7位であった。 奈良県五條市出身。中学校では当初陸上競技部に所属していたが、3年生の時に県大会にリレー選手として出場し、以後競泳選手となる。 奈良県立五條高等学校から天理大学に進む。 国内では日本選手権水泳競技大会の100mで1958年から1961年まで4年連続、200mで1955年から1961年まで7年連続で優勝した。
松澤 建(まつざわ けん、1938年3月30日 - )は、第… 松澤 建(まつざわ けん、1938年3月30日 - )は、第15代学校法人青山学院理事長、企業家。損保業界再編の先陣をきるかたちで日本興亜損害保険株式会社を誕生させた人物である。
末成道男(すえなり みちお、1938年3月30日-2024年… 末成道男(すえなり みちお、1938年3月30日-2024年1月4日)は、日本の文化人類学者、元東京大学東洋文化研究所教授。 東京生まれ。1962年東京大学教養学部文化人類学卒、64年同大学院生物学人類学科修士課程修了、71年同社会科学研究科文化人類学博士課程修了、「台湾アミ族の社会組織 変動過程にある一村落の分析」で社会学博士。1972年聖心女子大学専任講師、75年助教授、83年教授。1990年東京大学東洋文化研究所教授。98年定年退官、東洋大学教授。2008年退職。
河野 順吉(かわの じゅんきち、1938年3月30日 - )… 河野 順吉(かわの じゅんきち、1938年3月30日 - )は、日本の政治家。元北海道深川市長(4期)。 北海道雨竜郡深川町(現・深川市)出身。北海道一已農業高等学校(のち北海道深川農業高等学校、現・北海道深川東高等学校)卒。1967年、深川市議会議員に初当選し、7期連続当選し、この間に副議長も務めた。1994年に深川市長選挙に立候補し当選し、4期務める。この間、北海道市長会副会長、北海道高速道路建設促進期成会副会長、道央圏地域整備展開構想推進協議会会長、(財)北海道地域活動振興協会理事長を歴任した。2006年、4回目の当選直後、深川官製談合事件が起こり、収賄罪で逮捕され、市長を辞職、加重収賄罪に問われた。
相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2… 相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2023年10月19日)は、書家、書学者、美術史家、芸術家。東京学芸大学名誉教授。本名は相川 政行(あいかわ まさゆき)。 相川岩吉・志なの七人兄弟の三男として、神奈川県久良岐郡六浦荘村で生まれる[要出典]。横浜市出身。1955年、横浜市立金沢高等学校卒業、1959年、東京学芸大学中等教育特別教科教員養成課程書道科卒業、1960年、同大学専攻科(芸術・書道専攻)修了。 1961年、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校教諭、1977年、東京学芸大学教育学部助手。その後、専任講師、助教授を経て、1987年教授、2000年名誉教授。この間、法政大学通信教育部非常勤講師、日本大学文理学部非常勤講師、東京大学東洋文化研究所内地研究員など、また山東大学客員教授、西安交通大学客員教授などを務める。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は… 志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本の防衛評論家、帝京大学名誉教授、星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士(京都大学、1968年)。 静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校、防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。 岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日~1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官、陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事、北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。
原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 -… 原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身のアマチュア野球監督・社会人野球選手。東海大学硬式野球部名誉総監督。 長男は元プロ野球選手・監督の原辰徳。孫(長女の長男)はプロ野球選手の菅野智之。 佐賀県立鳥栖工業高校卒業、立命館大学中退。社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。1965年に無名校を初出場にして夏の甲子園大会の優勝へと導き、三池工フィーバーを起こした。 その後、三池工での戦いぶりと原の生き様に感銘を受けた東海大学の創設者:総長松前重義の招きで1966年12月9日に大牟田を発ち、翌10日に神奈川県着。
藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は… 藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は、日本の評論家、移民史研究者、児童文学作家。 ブラジル日本語新聞「ニッケイ新聞」(旧名パウリスタ新聞)東京支社名誉支社長。雑誌『児童文学』編集長。 熊本県生まれ。1944年朝鮮から引き揚げ。1958年熊本大学教育学部理科学科卒業。天草、東京で中学校教師等を経て、著作活動へ。南米の日本人移民の調査などを行った。 第17回日本児童文芸家協会賞受賞。弟子に奥野修司などがいる。
宮本 春樹(みやもと はるき、1936年3月30日 - 20… 宮本 春樹(みやもと はるき、1936年3月30日 - 2016年12月11日 )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 千葉県出身。1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省した。1990年6月に航空局長を経て、1991年6月に海上保安庁長官に就任し、1997年10月には運輸施設整備事業団理事長に就任。2000年7月に空港施設顧問に就任し、2001年6月に社長に昇格し、2006年6月には会長に就任した。 2006年4月に瑞宝重光章を受章。。 2016年12月11日、病気のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 実 (あきやま みのる、1936年3月30日 - 20… 秋山 実 (あきやま みのる、1936年3月30日 - 2000年8月18日)は、日本のギタリスト。岩手県花巻市出身。 昭和期の歌謡曲、演歌の伴奏者として、多くのレコード録音、音楽ステージ(テレビ、ライブ、コンサート等)に参加。 ギター全般、後年はアコースティック・ギターをメインに演奏した。 1963年、日本クラウンレコード設立時から1年間、同社の専属ギタリストを、その後、日本ビクターで専属ギタリストを務めたあと、フリーとなる。 1960年代、「NHK紅白歌合戦」のバックバンドを務めていたが、NHKにバックバンド団員の出演料が低額である事を抗議した次年から出演依頼が途絶える。1990年代に森進一、島倉千代子などのギター伴奏収録で演奏依頼再開。
柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016… 柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016年2月1日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。東京都出身。1958年、TBSに入社。1995年、TBSを定年退職後はドラマプロデューサーとしてTBSと専属契約を結んでいた。 東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科を卒業後、1958年にラジオ東京入社。東大時代は日高六郎に師事していた。当時は民放テレビはまだ本放送を開始して間もないころであり、柳井も当初は新聞社入社を志していた。同じくドラマ演出家である鴨下信一、久世光彦は東大文学部・TBSの同期である。 入社当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された。1980年代を代表するテレビプロデューサーであり、1980年代の世相を反映した「問題児」をテーマにした作品を多数制作した。
小疇尚(こあぜ たかし、1935年3月30日- )は、日本の… 小疇尚(こあぜ たかし、1935年3月30日- )は、日本の地理学者、明治大学名誉教授。 兵庫県出身。1958年明治大学文学部地理学科卒業、61年同大学院修士課程修了。 同年明治大学文学部専任助手、77年同教授。文学部長、博物館長、評議員等を務め、2005年定年、名誉教授。 2014年4月瑞宝中綬章受章。
佐藤 博明(さとう ひろあき、1935年3月30日 - )は… 佐藤 博明(さとう ひろあき、1935年3月30日 - )は、日本の会計学者。静岡大学学長、静岡鉄道監査役、宇都宮大学監事、福島大学監事、静岡産業大学監事などを歴任した。 北海道二海郡八雲町生まれ。1958年に明治大学商学部卒業後、明治大学大学院商学研究科修士課程、同博士課程を経て、1963年静岡大学文理学部講師着任。静岡大学人文学部助教授を経て、1976年静岡大学人文学部教授。1988年明治大学商学博士。1990年から1992年まで静岡大学学生部長。1997年から2003年まで静岡大学長。2003年静岡大学名誉教授。2004年静岡鉄道監査役、宇都宮大学監事。2006年福島大学監事。2008年静岡産業大学監事。
久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30… 久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30日 - )は、日本の地球科学者。専門は岩石学。学位は、理学博士(東京大学・1962年)(学位論文「Petrology of Atumi dolerite(温海粗粒玄武岩の岩石学的研究)」)。日本人で唯一のウォラストン・メダルの受賞者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は瑞宝重光章。 東京大学理学部助教授、カーネギー研究所地球物理研究所所員、東京大学理学部教授、東京大学理学部学部長、東京大学副学長、岡山大学教授、岡山大学地球内部研究センターセンター長、海洋科学技術センター固体地球統合フロンティア研究システムシステム長などを歴任した。 大阪府出身。
原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年… 原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年2月13日)は日本の理論物理学者、理学博士。筑波大学名誉教授。専門は素粒子理論、科学教育。 1934年に神奈川県鎌倉市で生まれる。東京都立大学附属高等学校を経て、1957年に東京大学理学部物理学科卒業、1962年に東京大学大学院数物系研究科博士課程を修了する。同年に東京教育大学理学部助手、1966年から助教授を経て、1975年に筑波大学物理学系教授となる。1992年に筑波大学副学長に就任する。1997年に定年退職し名誉教授となった後に、2004年まで帝京平成大学情報学部教授を務めた。 この間、カリフォルニア工科大学、シカゴ大学、プリンストン高等研究所、トリエステ国際理論物理学センターなどの研究員、2004年から工学院大学CPDセンター客員教授を歴任した。
柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日… 柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日 - 1975年8月14日)は、日本の児童文学作家、社会運動家。被差別部落問題や狭山事件の被告支援活動にも取り組んだ。 夫は弁護士で狭山弁護団の一員だった横田雄一。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。大森区立馬込第三国民学校(各地を転々と疎開)、東京都立雪谷高等学校併設中学校、同高校を卒業。高校在学中、クラスメイトと同人誌『たわごと』を創刊。在校中、自由研究の詩を同校教諭が編集する文芸誌『六華』に発表したほか、太宰治についての購読感想文で学内のコンクールに一等入選している。一方で、持病であった喘息の悪化による出席日数不足のため、1年留年している。
川島 貞雄(かわしま さだお、1934年3月30日 - )は… 川島 貞雄(かわしま さだお、1934年3月30日 - )は、日本の牧師・聖書学者。 東京生まれ。青山学院大学大学院博士課程単位取得退学、ユニオン神学校大学院(ニューヨーク)修士課程修了、西独エアランゲン大学にて神学博士。青山学院大学専任講師、日本聖書神学校教授、東洋英和女学院大学教授、同人間科学部長、日本基督教団青戸教会牧師を経て、同教団隠退教師。
諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日… 諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日本の近世文学・芸能史学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1966年)。学習院大学名誉教授。 新潟県新潟市生まれ。1956年新潟大学人文学部国文学科卒業、1961年東京大学大学院国文科博士課程単位取得退学、1958年中・高等科教諭、1970年学習院女子短期大学教授、1979年学習院大学教授。1966年「元禄歌舞伎の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。2005年定年退職、名誉教授。 国際浮世絵学会理事長、歌舞伎学会監事、日本近世文学会代表など。1995年内山記念浮世絵賞、2004年安倍能成記念学術賞。2013年秋、瑞宝中綬章受勲。
藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 20… 藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 2015年12月25日 )は、日本の政治学者、ロシア思想史学者、富山大学名誉教授。 宮城県大崎市生まれ。1951年岩手県立黒沢尻高等学校卒業、東京外国語大学ロシア語学科入学。3年生に進級したあと、肺結核のため2年間休学。1957年同大学卒業。同年、一橋大学大学院社会学研究科入学、金子幸彦に師事。1965年一橋大学大学院博士課程満期退学。1967年、札幌大学外国語学部ロシア語学科助教授。1972年金沢大学教養部助教授(ロシア語)。1978年富山大学人文学部教授(ロシア語ロシア文学コース担当)。1998年、富山大学を定年退官、名誉教授。 19世紀ロシアの民主主義思想、20世紀初頭のロシア・マルクス主義(とりわけレフ・トロツキー)、スターリン主義体制、北朝鮮体制などを研究してきた。
小田 英郎(おだ ひでお、1933年3月30日 - )は、日… 小田 英郎(おだ ひでお、1933年3月30日 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は、アフリカ政治。 東京都世田谷区生まれ。東京都立青山高等学校を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。慶應義塾大学法学部教授、敬愛大学教授、同学長を歴任。
浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日… 浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。シャープ代表取締役副社長や、任天堂代表取締役会長を務めた。発明協会発明賞、科学技術庁長官賞等受賞。 大阪府出身。1955年浪速大学(現大阪府立大学)工学部電気工学科卒業、早川電機工業(現シャープ)入社。計算機の開発に従事し、1971年発明協会発明賞受賞。1975年には工学博士の学位を取得。1982年科学技術庁長官賞受賞。1984年シャープ専務取締役IC事業本部本部長。1988年シャープ代表取締役副社長。 1993年藍綬褒章受章。1996年ビジネス機械・情報システム産業協会会長。1998年シャープ常任顧問。1999年任天堂常任顧問。
手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日… 手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日本の法学者・法学博士、九州大学・熊本県立大学名誉教授。専門は憲法・行政法・行政学。 香川県高松市生まれ。1953年九州大学法学部卒業、同助手、56年助教授、64年「アメリカ行政学史論」で法学博士。66年九大法学部教授、94年退官、名誉教授、熊本県立大学学長、教授、名誉教授。2001年退任。専門は憲法・行政法・行政学。妻のるりは江崎悌三の次女。長谷部銀次は孫。 2004年3月23日、弁護士登録(福岡弁護士会)。2010年12月28日、著述に専念のため、弁護士会を退会。
宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、… 宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、日本の教育学者、東京大学・放送大学名誉教授。長野県長野市生まれ。 東京大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科、経済学研究科博士課程中退。コロンビア大学で修士号取得。関西大学文学部専任講師、東京大学教育学部助教授、教授。1994年、定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。2004年、退任、名誉教授。大人と子供の関係史研究会世話人。専攻は教育史・教育哲学。
萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2… 萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2001年10月16日)は、日本の作曲家。東京都生まれ。元武蔵野音楽大学作曲科教授。 1947年より、團伊玖磨の下で和声法、作曲法を学ぶ。その後、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、1956年卒業。作曲を池内友次郎に、ピアノを永井進に師事。 「光る砂漠」「白い木馬」「抒情三章」など合唱の分野で盛んに活動する。破綻のない演奏しやすい音楽が特徴で、調性感のあるいわゆる保守的作風を示す。フォーレの「レクイエム」をはじめとして、フランスのピアノ曲、歌曲、合唱曲の校訂にもたずさわった。 ()内の人物は作詩者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017… 麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017年4月24日)は、日本の教育社会学者。大阪大学名誉教授、放送大学名誉教授。 東京生まれ。東京教育大学附属高等学校卒業、東京大学教養学部文科二類に入学し、東京大学教育学部卒業。卒業後、東京大学人文科学研究科大学院教育研究科教育社会学専攻(修士課程)修了。同大学院博士課程満期退学。日本育英会専門員を経て、東京学芸大学学芸学部(教育学部)専任講師、助教授。1974年、大阪大学人間科学部助教授、1980年教授。1995年、定年退官、名誉教授。以後は、放送大学教授、副学長、名誉教授、東京女学館理事長、東京女学館大学学長を歴任した。2017年4月24日、死去。
伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30… 伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30日 - )は、日本の実業家。父は初代内閣総理大臣の伊藤博文の次男・眞一。 兵庫県川辺郡塚口(現・尼崎市)に生まれる。名前は、同年に建国された満州国にちなむ形で満洲雄(ますお)となった。父は当時南満州鉄道に勤務していたが、満洲雄の生まれる前年に大阪勤務となっていた。 子供の頃から体が弱く、大阪市立曽根崎小学校に入学した年の秋に肺炎となり、阪大病院に入院、退院後も中耳炎に罹患した。当時両親からは「早く亡くなってしまうのではないだろうか」としばしば言われたという。 通学先はその後、塚口小学校に変更となる。父の転勤で東京の青南小学校に移った後、疎開により滋賀県の瀬田町立瀬田国民学校に転校した。
井上 浩(いのうえ ひろし、1932年3月30日 - 198… 井上 浩(いのうえ ひろし、1932年3月30日 - 1989年12月29日)は、日本の植物学者。蘚苔類の分類が専門であり、ナンジャモンジャゴケの発見や命名を行ったことでもその名を知られる。 高知県に生まれる。1956年、東京教育大学理学部植物学科卒業、1961年に同大学大学院を修了。 蘚苔類の分類を中心に取り組み、ナンジャモンジャゴケをはじめ多くの種を命名した。国立科学博物館の植物研究部長として勤務したほか、国際植物命名規約委員会委員、日本蘚苔類学会常任幹事、国際蘚苔類学会会長などを歴任。 1989年に逝去。没後、高知県立牧野植物園に井上の顕彰碑が建てられた。 この項目は、生物学に関連した書きかけの項目です。
五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 20… 五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 2002年12月10日)は、日本の英文学者、金城学院大学名誉教授。 新潟県生まれ。1954年、広島大学英文科卒、金城学院大学助手。1957年に専任講師、1963年に助教授を経て、1978年、教授。1976年、マドリード大学から「ロルカとイギリス・ロマン派詩人たち」に対してPh.D.。ワーズワスを研究した。2000年、定年退任。 2002年12月10日、急性心不全のため死去。
坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は… 坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は、日本の映画監督、先端映像研究所代表取締役社長。愛媛県越智郡桜井町(現・今治市)出身。
勝部 領樹(かつべ りょうじゅ、1931年〈昭和6年〉3月3… 勝部 領樹(かつべ りょうじゅ、1931年〈昭和6年〉3月30日 - 2018年〈平成30年〉12月18日)は、日本の放送記者、ニュースキャスター。NHKで活動した。 島根県佐田町出身。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、NHKに入局。故郷に近い松江放送局が初任地であった。以後、社会部の記者として活動。 1966年に旅客機墜落事故が連続して発生した当時は、NHK本局の社会部キャップを務めており、勝部の下で遊軍記者だった柳田邦男がこれらの事故を題材にして刊行した『マッハの恐怖』には、当時の勝部が登場している。 1977年、磯村尚徳の後任として2代目の「ニュースセンター9時」キャスター(末常尚志と競演)となり、2年間務めた。
後藤 美代子(ごとう みよこ、1931年3月30日 - 20… 後藤 美代子(ごとう みよこ、1931年3月30日 - 2017年7月5日)は、元NHKアナウンサー。 東京都出身。お茶の水女子大学卒業。テレビ放送が始まった1953年、NHKにテレビ1期生アナウンサーとして入局。家庭医学の番組や、古典芸能、クラシック音楽の番組を数多く担当。NHK初の女性管理職アナウンサーを務めた。1988年、NHK退職後はフリーアナウンサーとして活躍しながら徳島文理大学教授も歴任した。2017年7月5日、全身塞栓症で死去、86歳。
山崎良也(やまざき よしや、1931年3月30日-2010年… 山崎良也(やまざき よしや、1931年3月30日-2010年11月15日)は、日本の経済学者。九州産業大学学長を務めた。 長崎県生まれ。長崎大学経済学部卒。1958年九州大学大学院博士課程満期退学。1964年「加速度原理と景気循環の一側面」で経済学博士。西南学院大学講師、滋賀大学経済学部助教授、熊本大学教養部助教授、九大経済学部助教授、教授、1990年九州産業大学教授、95年学長、2004年定年、名誉教授。
香川 芳子(かがわ よしこ、1931年3月30日 - 202… 香川 芳子(かがわ よしこ、1931年3月30日 - 2024年2月19日)は、日本の教育者。女子栄養大学名誉教授。元学校法人香川栄養学園学園長。1990~2016年にかけて、女子栄養大学学長を務めた。 1931年、香川昇三・綾の長女として、東京市小石川区駕籠町に生まれる。1954年、東京女子医科大学医学部卒業。1959年、東京大学大学院生物系第二基礎医学課程修了(医学博士)。1962年、カリフォルニア大学デービス校大学院修了(Master of Science)。 1956年、女子栄養大学講師、1961年、同助教授、1970年、同教授。1990年、女子栄養大学・女子栄養大学短期大学部学長、香川栄養専門学校(現:香川調理製菓専門学校)校長。
駒谷 明(こまたに あきら、1930年3月30日 - 201… 駒谷 明(こまたに あきら、1930年3月30日 - 2016年12月24日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(1期)。 兵庫県神戸市出身。1948年旧制姫路中学校(現・兵庫県立姫路西高等学校)卒。裁判所で働いた後、兵庫県議を3期務める。1983年の第37回衆議院議員総選挙に兵庫3区から公明党公認で立候補して当選した。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補したが落選した。
中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和… 中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和5年)3月30日 - )は、日本の俳優・声優。千葉県出身。マウスプロモーション所属。旧芸名:中 庸介。
伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 20… 伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 2015年5月15日)は日本の生物学者。専門は昆虫学、進化生物学、生態学。寺本英と共に日本に社会生物学/行動生態学を導入し、日本の生態学と動物学を発展させた。
橋上 義孝(はしがみ よしたか、1930年〈昭和5年〉3月3… 橋上 義孝(はしがみ よしたか、1930年〈昭和5年〉3月30日 - 2012年〈平成24年〉11月17日)は、日本の政治家。大阪府河内長野市長(3期)。 大阪府出身。近畿大学法学部卒。河内長野市議会議員、同議長を経て、1996年(平成8年)の河内長野市長選挙に立候補し、当選。2000年(平成12年)、2004年(平成16年)と連続3期(2004年は無投票)。 在任中は、市内ふれあい考古館の開館、シンボルキャラクターのデザインと愛称の決定、市のホームページ開設、南河内清掃施設組合第2清掃工場の稼働、子育て支援センターの開設、市民交流センターと図書館の開館、市の第4次総合計画策定、子ども教育支援センター(川谷会館)の設置などを行った。
泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 -… 泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 - 2022年1月2日)は、日本の環境デザイナー、プロデューサー。 東京都出身。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社(技術部配属)。1962年に同社を退社し、フリーランスとなる。同年、世界の都市・高速道路の視察団に参加。帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した。博覧会関連では、1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博、2005年愛・地球博では総合プロデューサーを務めた。後進指導では、金沢美術工芸大学特別客員教授、多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授を歴任した。
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3… 植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。 1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。 1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。 1961年4月1日、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 … 江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 1989年〈平成元年〉3月28日)は、日本の化学工学者。工学博士、熱管理士。京都大学教授。 新潟県新潟市古町通10番町(現 新潟市中央区古町通10番町)の第四銀行本店出納課長・江口治作の五男として出生。 1945年(昭和20年)3月に新潟中学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に新潟高等学校を卒業、1952年(昭和27年)3月に京都大学工学部化学機械学科を卒業。 1955年(昭和30年)4月に京都大学工学部化学機械学科講師に就任、1957年(昭和32年)10月に助教授に就任、1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部化学工学科助教授に就任、7月に京都大学から工学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)7月に京都大学工学研究所原子核化学工学部門助教授に就任、1965年(昭和40年)12月に教授に就任、1971年(昭和46年)4月に京都大学原子エネルギー研究所原子核化学工学研究部門教授に就任、1982年(昭和57年)8月に京都大学工学部化学工学科装置工学講座教授に就任。
川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1… 川崎 寿彦(かわさき としひこ、1929年3月30日 - 1989年4月18日)は、日本の英文学者。名古屋大学文学部教授。 1929年、東京生まれ。静岡高校を経て、1953年、京都大学文学部に進学。同大学を卒業して渡米し、ウィスコンシン大学大学院を修了。 名古屋大学文学部教授を務め、1989年に在職中に死去。 当初は17~18世紀英国の詩を専門としたが、後に庭園など文化史において業績を上げた。中でも、『庭のイングランド』が話題となった。著作多数あり、没後も遺稿が刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005… 常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日)は、群馬県桐生市稲荷町出身の元プロ野球選手。1954年の登録名は常見泰生。「常見三兄弟」の次男であり、兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中、東急フライヤーズに在籍している。 桐生中学では1940年の選抜、1941年夏の甲子園(戦局の悪化により中止)に出場。4学年上には兄・茂や中村栄、深沢督、3学年上に木暮力三、2学年上に池田力、1学年上に木暮英路、1学年下には斎藤宏が在籍していた。 桐生中学卒業後は野球部OBである皆川定之との関係で、タイガース入りが内定していたが、軍事徴用されたために契約破棄をせざるを得なくなった。徴用先の小学校代用教諭として1年勤務した後、終戦を迎える。
竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年… 竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年3月30日、戸籍上では1930年5月30日 - 1991年5月19日)は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家。 東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年には癌を患うが、闘病しながら活動を続けた。 父はシュルレアリスムの画家として知られる竹中英太郎であり、彼の作品にも影響を与えた。妹の金子紫は「竹中英太郎記念館」の館長を務めており、兄と父の遺志を引き継ぐ形で活動を続けている。
大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 20… 大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 2016年11月23日)は、日本の化学者。 兵庫県氷上郡久下村(現・丹波市)出身。旧制柏原中学校、大阪高等学校、東京大学理学部卒。1953年「化学構造と発情作用の関係」で理学博士。 米国イリノイ大学留学。 東京都立大学助教授、 東大理学部助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授、岡山理科大学教授。1990年紫綬褒章受章。1999年退職。
堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 … 堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。国土計画取締役、西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ(後のセゾングループ)代表などを歴任した。異母弟は西武鉄道グループ元オーナーの堤義明。 1927年、西武グループの創業者堤康次郎と、康次郎の妾(後に本妻)・青山操の間に生まれる。