木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日… 木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日 - 1981年〈昭和56年〉7月4日)は、日本の俳優。広島県広島市出身。 広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後に上京し1941年、文化学院文学部に入学する。在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演した。1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演して見初める。入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家の邦枝完二の許しは得られなかった。また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され、1944年から1年間海軍生活を送る。
田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 198… 田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 1989年1月21日)は、日本の哲学者。神戸大学名誉教授。 広島県出身。1946年9月京都帝国大学文学部哲学科卒。1947年3月神戸経済大学(経営学専門部)、神戸大学文理学部、神戸大学文学部、神戸大学教養部教授、1987年定年退官、名誉教授。1989年1月21日、肝不全のため逝去。 『らくがき大学生』が話題になった。
品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6… 品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6月22日 - 2020年(令和2年)1月24日)は、日本の産婦人科学者、弘前大学名誉教授。 医療と倫理のほか、政治・社会に関する評論も書く。 東京に生まれる。東京と秋田県の農村で育つ。 旧制山形高等学校卒、1946年東北帝国大学医学部卒、同助手、1952年東北大学医学博士。58年弘前大学医学部産婦人科教授、医学部附属病院長、1983年退官、名誉教授、青森県立中央病院長。 1999年勲三等旭日中綬章受勲。 ミドリ十字によるアメリカからの非加熱血液製剤輸入を推進した過去があり、これは後の薬害エイズ事件の間接的なきっかけとなっている。 2020年1月24日死去、叙正四位。
広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年… 広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原町(現:五所川原市)出身の元プロ野球選手(投手)。 青森県立五所川原農林高等学校から1942年に大和軍へ入団。8試合に登板し、完投を2度したものの0勝4敗に終わった。 翌1943年まで在籍し、この年は3試合の登板に留まった。5月23日の朝日軍戦では3回から4点ビハインドの場面で登板し5イニング2失点だったが、味方が7回に一挙7点を挙げ(広島自身も1打点をマーク)最後は片山栄次のリリーフを受けて唯一の勝利を記録した。 2025年時点において、五所川原出身で唯一のプロ野球選手である。
和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015… 和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015年2月23日)は、兵庫県出身の俳人・化学者。専門は物理化学。奈良女子大学名誉教授。 武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影町)出身、大阪大学理学部卒業。神戸大学理学部助教授、奈良女子大学理学部教授を経て同女子大学名誉教授(物理化学)。 俳句は1952年より始め、橋閒石の「白燕」に参加、のち同人。高柳重信の「俳句評論」、赤尾兜子の「渦」同人を経て1992年より「白燕」同人代表。1977年、現代俳句協会関西地区会議議長に就任。のち現代俳句協会副会長を経て、2004年3月より同顧問。2010年「風来」創刊・主宰。 1969年第16回現代俳句協会賞、2007年第7回現代俳句大賞、2013年句集『風車』により第64回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。
天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 200… 天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 2000年3月23日)は、日本の法学者。立命館大学名誉教授。学校法人立命館総長・立命館大学学長。父はタイムレコーダーなどの発明家でアマノ創業者の天野修一。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 199… 志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 1999年6月27日)は、日本のアナウンサー、音楽評論家である。本名は小島幸雄。東京府東京市京橋区生まれ。 東京・京橋の写真館に生まれる。専修大学を卒業。1952年(昭和27年)、開局直後のラジオ東京(現・TBSラジオ)の嘱託アナウンサーとなり、局内の「シマさん」の愛称から志摩夕起夫を名乗る。4月1日に放送開始となったラジオ東京の深夜番組「イングリッシュ・アワー」を三國一朗などと担当。同番組は1962年6月9日まで10年間続けられた。これにより、日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。
奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日… 奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日 - 1977年(昭和52年)5月14日)は、昭和時代の歌手。本名は佐藤 みつえ。美貌の歌手として知られた。 青森県弘前市出身。弘前高等女学校(現:青森県立弘前中央高等学校)卒業後、兄の学友であった作曲家の明本京静の薦めで東洋音楽学校に進学。病弱であったためクラシックやオペラを断念し、この事を明本に相談したところ、「マイクロフォンを使う歌手なら大丈夫」と助言を受け、1940年(昭和15年)3月、コロムビアのテストに合格し、16歳で専属歌手となる。同年6月に「胡弓哀歌」を吹き込むが、検閲により発売禁止になる。二作目の「南京花嬌子」で流行歌手としてデビューする。
杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日… 船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日 - 1985年(昭和60年)8月10日)は、昭和期の教育者、政治家。栃木県知事(公選第8-10代)、参議院議員(2期)、作新学院院長。 後に衆議院議長、自由民主党副総裁を務めた船田中の長男として栃木県に誕生する。1947年(昭和22年)東京帝国大学農学部を卒業。卒業後は、船田家が創設した作新学院に入り、中等部長などを務める。 1965年(昭和40年)に自民党公認で参議院議員通常選挙に立候補し当選。2期務めその間、大蔵政務次官などに就く。 1974年(昭和49年)に参議院議員を辞職し、栃木県知事に立候補し当選。3期務める。学者肌の知事として全国的にも知られ、在職中のことは自伝『素人知事奮戦記』(1982年)に詳しい。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、… 中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、教育学者、早稲田大学名誉教授。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018… 木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018年1月26日)は、日本の美学者、文芸評論家、東京女子大学名誉教授。 島根県出身。旧姓・須佐。夫は木幡順三。1949年東京女子大学外国語学部卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒。同大学院に学び、実践女子大学助教授、1966年東京女子大学短期大学部教授、88年同現代文化学部教授。92年定年退任、名誉教授。
内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2… 内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2018年1月27日)は、日本の経営者。元関西電力(関電)代表取締役副社長。旧姓は竹内。 大阪府出身。天王寺中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年、京都帝国大学経済学部卒業と同時に関電前身の関西配電に入社。1962年に芦原義重社長の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。1970年に芦原は会長に退き、さらに相談役名誉会長に退いたが、その後も腹心であった内藤を用いて社内に強い影響力を持った。ところが、1986年に『朝日ジャーナル』誌で連載されていた「企業探検」で関電が取り上げられ、その一種恐怖支配とも取れるワンマンぶりが公となった(なお、この記事を執筆したのは当時龍谷大学教授だった奥村宏であった)。
田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 -… 田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 - 2009年(平成21年)11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家。従三位勲一等。参議院議員を務めた。 貴族院勅選議員や台湾総督を務めた男爵・田健治郎の次男である田誠(鉄道省国際観光局長や華中鉄道副総裁を歴任)の次男として、東京で生まれる。政治家の田艇吉は大伯父、江戸時代の女流歌人・田捨女は先祖にあたる。 旧制学習院高等科を卒業した年1943年(昭和18年)の東京帝国大学入学直後、学徒出陣で海軍に入隊。海軍兵科第4期予備学生を経て、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として宮崎県の赤水で訓練を重ねていたが、出撃命令が下る前、海軍中尉で終戦を迎え復員した。
尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年… 尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年1月9日)は、日本の医学者・麻酔学者。弘前大学名誉教授。 北海道釧路市出身。北海道帝国大学医学専門学校卒、1956年北海道大学医学博士。ハーヴァード大学で麻酔学を学ぶ。北海道大学医学部講師、1965年弘前大学医学部助教授、1971年教授、1991年定年退官、名誉教授、ツムラ薬理研究所。日本麻酔学会会長、国際ペイン・クリニック学会会長。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。2008年1月9日、心不全のため死去。
石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年… 石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年6月2日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 父は神奈川県知事や警視総監を務めた石田馨。母方の祖父は茨城県知事を務めた大塚貢。長男は東京大学名誉教授の石田浩。次男は千葉大学教授の石田憲。義兄(姉の夫)は東京都知事を務めた鈴木俊一。 内務省神社局長、警視総監、高松宮別当、宮内省御用掛などを歴任した石田馨の二男として、父の青森県警察部長時代に青森市で生まれる。旧制成蹊高校から東京帝国大学を受験したが不合格となり、東北帝国大学法文学部へ入学。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊した。 敗戦で復員した後は、特例措置で東京大学法学部政治学科へ転じて丸山眞男ゼミに参加。
江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 … 江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 - 2015年〈平成27年〉1月13日)は、日本の画家。本名は荻野絹子。夫はフランス系アメリカ人の船乗り、長女は芥川賞受賞作家で慶應義塾大学名誉教授の荻野アンナ。 兵庫県明石市二見町生まれ。兵庫県立加古川高等女学校(現兵庫県立加古川西高等学校)卒業。女学校では絵画クラブに所属しており、油絵は男のすることと見なされた時代において、大反対する父を説き伏せ、卒業後に油絵の道へ進んだ。後に二紀会会員となる洋画家の伊川寛の個人教授を受けた後、戦後は神戸市立洋画研究所で学んだ。 神戸市立太田中学校の図画教師を経て、1949年(昭和24年)、第4回行動展(行動美術協会の公募展)に初入選、翌1950年(昭和25年)、第5回展で奨励賞を受賞、1952年(昭和27年)、第7回展で最高賞である行動美術賞を受賞、1953年(昭和28年)に行動美術協会で初の女性会員となった。
長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 20… 長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 2000年3月14日)は、山口県出身のプロ野球選手。
崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈… 崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈大正12年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の皇族、旧華族。大正天皇第4皇子で昭和天皇の弟宮の三笠宮崇仁親王の妃。身位は親王妃。敬称は殿下。勲等は勲一等。お印は桐(きり)。旧名は、高木 百合子(たかぎ ゆりこ)。2023年9月まで皇室会議予備議員。子爵・高木正得第2女子。 東京府東京市赤坂区赤坂青山高樹町(現:東京都港区南青山)の高木子爵邸に華族令嬢として誕生。華族・高木正得子爵の二女。母の邦子は入江為守子爵二女で夫の崇仁親王とは、はとこにあたる。姉に衣子、妹に桃子、小夜子がいる。 1928年(昭和3年)、女子学習院幼稚園に入園。
大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年〈大正12年〉6月… 大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年〈大正12年〉6月4日 - 1994年〈平成6年〉4月26日)韓国名は崔 倍達(チェ・ベダル、韓国語: 최배달)、民族名は崔 永宜(チェ・ヨンイ、チェ・ヨンウィ、韓国語: 최영의)は、空手家、極真会館創始者、国際空手道連盟総裁。段位は十段。別名はマス大山。 1970年代に『週刊少年マガジン』に連載された劇画『空手バカ一代』での主人公であり国内外に極真カラテの普及に努めた。 妻は大山智弥子、三女は大山喜久子。 父・崔承玄(チェ・スンヒョン、韓国語: 최승현)と母・金芙蓉(キム・ブヨン、韓国語: 김부용)との間に、6男1女の第4子として日本領朝鮮全羅北道金堤市で生まれた。
中嶋 貞雄(なかじま さだお、1923年6月4日 - 200… 中嶋 貞雄(なかじま さだお、1923年6月4日 - 2008年12月14日)は、日本の物理学者。 静岡県生まれ。旧制沼津中学校卒。東京大学理学部物理学科卒。 名古屋大学教授を経て、東京大学物性研究所所長となる。退官後、東海大学教授、東京大学名誉教授。 彼の研究が超伝導のBCS理論に引用されるなど、超伝導、液体ヘリウムなど低温物理学の権威である。また線形応答理論でも貢献した。 1987年には、高温超伝導が発見された直後、京都でのLT18低温物理学国際会議の委員長を務めた。 1953年、名古屋大学の助教授であった中嶋は、京都で開催された国際理論物理学会の超伝導分科会で、超伝導理論を発表した(中嶋本人が講演をしたわけではない。
鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 199… 鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 1991年11月30日)は、日本の実業家。テクノベンチャー創業者。 山口県出身。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。日本冷蔵(現・ニチレイ)に入社後、食品化学研究のためフルブライト留学生として渡米。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。日本人として戦後初の博士の称号を受ける。 帰国後は、食品会社クノールの元親会社で多国籍総合食品化学会社のCPC(現・Ingredion)に入社し、同社極東代表および同子会社・日本CPC会長に就任。また、父・鮎川義介が設立した中小企業助成会を再編し、1974年にテクノベンチャー株式会社として改称して、代表取締役社長に就任。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2… 平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2005年以降消息不明)は、日本の女性歌手・童謡歌手。本名は磐瀬ゆき。 現在の東京都千代田区三番町出身。1933年に明仁親王(上皇明仁)が誕生した際に「皇太子さまお生まれなつた」を歌い一躍スター歌手となった。 1922年、三越の美術部に勤務する岩瀬純の四女として東京府東京市麹町区三番町に生まれる。六人兄弟(二男四女)の末っ子であったが、長兄は幼少期の爆発事故により右眼を失明し、長姉もこの事故により右手の親指と人差し指にに大けがを負っている。また、次兄は1925年頃に自家中毒で夭逝している。 小学三年生のとき、学校教師に誘われ東京子供音楽会に入会する。
永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28… 永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。陸上幕僚長、参議院議員(2期)、法務大臣などを歴任した。法務大臣は在任11日で辞任した。 大分県出身。大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)、広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1941年7月に陸軍士官学校を卒業(第55期)し陸軍将校となる。終戦時は電信第13連隊中隊長、陸軍大尉。 戦後、公職追放を経て、陸上自衛隊に入隊し通信科出身ながら陸上幕僚長となるも、1980年に宮永スパイ事件の責を取る形で時の防衛庁長官・久保田円次とともに辞任した。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬し、名簿順位は25名中21位だったが、自民党の大勝により当選した(22位までが当選)。
中川 成夫(なかがわ しげお、1922年6月28日 – 20… 中川 成夫(なかがわ しげお、1922年6月28日 – 2000年9月16日)は日本の考古学者、博物館学者。近世考古学の提唱者として、以後の研究に道を開くとともに、博物館学の第一人者として長年にわたって研究に携わり、学芸員の養成にも尽力した。 大阪府生まれ。1942年に台北帝国大学予科文科に入学し、1944年に修了。同年10月1日に同大学文政学部史学科南洋史学専攻に進学する。1946年台北帝国大学廃止により、東京帝国大学文学部史学科に転入学し、1949年に卒業。同年、東京大学助手に採用される。1955年に東京大学を退職し、1957年立教大学専任講師、1960年同大学助教授、1967年教授となり、文学部で考古学の授業を受け持つとともに、学芸員課程で博物館学も担当する。
神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月2… 神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月28日)は、北海道出身の興行師、事業家、国際芸能プロモーター。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> … 吉沢 正五(よしざわ しょうご、1922年 <大正11年> 6月24日 - 1994年 <平成6年> 11月18日)は日本の政治家。白根市(現・新潟市)長(6期)。土地家屋調査士。位階は従五位。 新潟県出身。1942年東京農業大学農業土木技術員養成所卒。翌年兵役に就いた。戦後は新潟県中蒲原郡庄瀬村(のち白根市、現・新潟市)農地委員会、長岡市農林課、新潟県農業会議などに勤務する。1961年白根市長に当選。市長在職中は上下水道や都市ガスの整備、保育や教育施設の充実、農村総合整備モデル事業や大圃馬整備事業を推進した。市長を1985年までの6期24年務めた。1994年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006… 阿部 文男(あべ ふみお、1922年6月23日 - 2006年12月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、北海道開発庁長官(第53代)、沖縄開発庁長官(第22代)、宏池会事務総長などを歴任した。 山形県東根市出身。北海道帝国大学附属農林専門部を卒業した。 函館市議会議員などを務めた。1963年の北海道議会議員選挙に立候補し、函館市選挙区から当選した。以来、連続2期当選を果たした。北海道議会では、商工労働委員会や予算特別委員会において、それぞれ副委員長を務めた。第32回衆議院議員総選挙立候補のため、2期目の1969年12月6日に辞職した。 北海道議会議員辞職後、1969年の衆議院議員総選挙に立候補し、旧北海道第3区にから当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
新津 義雄(にいつ よしお、旧姓:数間、1922年〈大正11… 新津 義雄(にいつ よしお、旧姓:数間、1922年〈大正11年〉6月22日 - 2011年〈平成23年〉12月27日)は、日本の実業家。丸新グループ創立者・初代代表、テレビ新潟放送網第2代社長・最高顧問、新津記念館初代館長・理事長。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に生まれ、新潟市旭町通1番町(現 新潟市中央区旭町通1番町)の新津石油創業者・新津恒吉の養子になった。 新潟師範学校附属小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東北帝国大学法文学部法科を卒業。 1946年(昭和21年)10月に石油販売会社・丸新産業を創立し副社長に就任、1949年(昭和24年)5月に丸新石油を創立し社長に就任、同月に昭和石油監査役に就任、1972年(昭和47年)9月に新津石油を創立し社長に就任、1984年(昭和59年)5月に全国石油協会副会長に就任、1988年(昭和63年)6月にテレビ新潟放送網第2代社長に就任、1992年(平成4年)8月に父の新津恒吉が建てた迎賓館を新津記念館として開館し初代館長に就任。
鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 20… 鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 2008年1月12日)は、日本のオーボエ奏者。 北海道札幌市出身。父親は清元高輪派の名匠:清元清美太夫。 1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に、満州国建国10周年奉祝使節団として東京音楽学校によって組織されたオーケストラに参加し、首都・新京その他で演奏に加わった。1944年、東京音楽学校を学徒出陣で繰上げ卒業。海軍航空隊で終戦を迎えた。卒業演奏はグロヴレーズの「サラバンドとアレグロ」(1943年末の報国演奏会)で、ピアノ伴奏を中田一次が務めた。 復員後、研究科に復学、修了後は東京フィルハーモニー交響楽団、NHKサロン・アンサンブル、日本フィルハーモニー交響楽団(創立メンバー)を経て、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の結成に参画し、首席奏者、運営委員長、楽団長、名誉首席奏者を歴任、1992年のリサイタルまで長く演奏活動を続けた。
内田 正泰(うちだ まさやす、1922年6月20日 - 20… 内田 正泰(うちだ まさやす、1922年6月20日 - 2019年9月12日)は、日本の貼り絵画家。神奈川県横須賀市出身。 洋紙の特性を最大限に活かし、100色以上もの色彩を駆使して、日本の四季折々の風景や郷愁を誘う情景を作り出す。スケッチをせず、心に刻み込まれた風景を直接キャンバスに表現するスタイルで貼り絵を作成した。 作品は永谷園の「あさげ」のパッケージや、「青雲(日本香堂)」のCM、そして坂本冬美『ふるさとの空へ』(2018年)や、南佳孝&杉山清貴『愛を歌おう』(2020年)のアルバムジャケットなどに採用されている。南は「たまたま見つけた夏の田舎の風景画の、はり絵とは思えない繊細さに心を奪われた」と作品から受けた印象を述べている。
紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 20… 紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 2010年10月1日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学、特に白樺派の作家。早稲田大学名誉教授。息子は日本大学教授で日本文学研究者の紅野謙介。 兵庫県西宮市生まれ。中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する。敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る。1947年大東文化学院国語国漢科に入学、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学。1952年、同大学卒業。1953年から1960年まで京華学園教諭を務め、1960年早稲田大学教育学部専任講師。1962年同助教授、1967年同教授。1992年定年退職、名誉教授。
市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月1… 市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月18日 - 1989年(平成元年)6月28日)は、日本の哲学者(分析哲学・社会思想)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1927年、大阪府生まれ。都島工業学校、大阪高等学校 を経て大阪大学理学部を卒業後、マンチェスター大学を経てロンドン大学大学院哲学科修了。1954年(昭和29年)に愛知教育大学助教授を経て、1961年(昭和36年)以後は成蹊大学教授。1988年(昭和63年)成蹊大学名誉教授。 戦後、鶴見俊輔らが主催する思想の科学研究会に加わり、雑誌『思想の科学』を編集し、執筆を連載する。1970年代に鶴見和子・山田慶児・桜井徳太郎らと「思想の冒険」グループに参加した。
松井 康浩(まつい やすひろ、1922年6月18日ー2008… 松井 康浩(まつい やすひろ、1922年6月18日ー2008年6月5日)は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。 広島県出身。早稲田大学法学部卒。日中戦争に経理部士官として従軍し日本軍の実態を目撃したことと、弟から広島原爆の被害の実態を聞かされたことが法律家としての原点となる。1951年弁護士を開業し、青年法律家協会など革新系法曹団体の結成に参加。1955年から原爆被害者の国家賠償訴訟を担当、63年原爆投下の違法性を明らかにする東京地裁の判決をひきだした。原水爆禁止日本協議会代表理事。1973年・1974年度の日本弁護士連合会事務総長。事務所の所属弁護士の出身者に廣谷陸男がいる。
沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 198… 沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 1985年10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 現在の秋田県鹿角市出身。東京帝国大学卒業後、三菱金属に入社。全日本金属鉱山労働組合副委員長、同事務局長、総評幹事などを歴任する。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選した。同年、松野孝一(自由民主党)の死去による参議院議員補欠選挙で秋田地方区から立候補して初当選。2期務めた。この間、参議院建設委員長や参議院国会対策副委員長などを務めた。1977年の第11回参議院議員通常選挙では自民党公認の野呂田芳成に敗れて落選。
林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16… 林 英作(はやし えいさく、1922年〈大正11年〉6月16日 - 2003年〈平成15年〉6月24日)は、日本の薬学者(有機化学)。勲等は勲三等。学位は薬学博士(東京大学・1951年)。静岡薬科大学名誉教授、社団法人日本薬学会有功会員。 東京帝国大学医学部助手、東京大学医学部助手、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学附属図書館館長などを歴任した。 東京府出身の有機化学を専攻する薬学者である。含窒素芳香族複素環式化合物の研究に従事し、特に芳香族ジアジン類の研究で知られている。東京帝国大学、東京大学、静岡薬科大学、といった教育・研究機関で教鞭を執った。 1922年(大正11年)6月16日、東京府にて生まれた。
岩田 孝八(いわた こうはち、1922年(大正11年)6月1… 岩田 孝八(いわた こうはち、1922年(大正11年)6月16日 - 2012年(平成24年)7月3日)は、日本の実業家である。長崎屋の創業者として知られた。 神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 藤沢商業学校(現在の藤沢翔陵高等学校)卒業。2年間の浪人生活を経て、日本国際航空工業(のちの日産車体)に入社。その後、軍隊生活を経験してから家業のふとん屋に就いた。 戦後間もなく氷水屋『オアシス』を開業。彼は連日自転車に乗って、アイスキャンディを売った。この稼ぎをもとにして、1948年(昭和23年)に平塚市で長崎屋布団店として開業する。1950年(昭和25年)には衣料品専門店に転業。その年の11月、原町田に支店の第1号が誕生した。
竹前 重吉(たけまえ じゅうきち、1922年6月15日 - … 竹前 重吉(たけまえ じゅうきち、1922年6月15日 - 2011年9月11日)は、日本の映画監督である。名の読みは「しげきち」説あり。日本映画監督協会会員。 1922年(大正11年)6月15日、山梨県甲府市に生まれる。 1940年(昭和15年)、旧制・甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業、第二次世界大戦の召集を受け出征、戦後1946年(昭和21年)に南方戦線から復員する。1947年(昭和22年)、俳優の長谷川一夫が主宰する新演伎座の文芸部に入社し、映画監督の衣笠貞之助や冬島泰三に師事する。 1953年(昭和28年)、宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)助監督課に移籍、冬島のほか、豊田四郎、丸根賛太郎、佐伯幸三らの助監督を務め、1959年(昭和29年)、同社が製作した劇場用映画『やりくりアパート』で監督に昇進、社員から契約監督となる。
渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15… 渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉12月22日)は、日本の医師・医学者・教育者・元地方公務員・医学博士(北海道大学)。北海道女子大学名誉学長・北海道女子短期大学名誉教授である。北海道出身で「渡辺進」とも表記される。 ただし、北海道女子短期大学記念誌では、「渡邉進」と表記されている。 1946年(昭和21年)、名古屋帝国大学医学部公衆衛生科を卒業する。同医学部助手を務める。翌年の1947年(昭和22年)に医師免許を取得する。 1948年(昭和23年)、札幌市役所教育部技師として入所する。 1949年(昭和24年)、札幌市保健所に入所する。1956年(昭和31年)、同所長となる。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1922年〈大正11年〉6月10日 - 2002年〈平成14年〉)は、日本の柔道家(講道館9段)、法務教官。旧姓大久保。 1922年、富山県富山市の富豪農家であった大久保家に生まれる。旧制神通中学校(現・県立富山中部高校)に入学すると、柔道か剣道が必須科目となっており、付き添いで来ていた父親が柔道の選択を即決したのが斯の道との出会いになった。身長173cm・体重72kgという大柄な体格に加え、2年生の時に寒稽古の納会試合で14人抜き達成したのが同校の柔道教師であった三鍋義三6段の目に付き、勧誘されて本格的に柔道を始めた。記録上の講道館入門は1938年10月4日付で、翌10月5日には初段を拝受。
鬼頭 恭一(きとう きょういち、1922年(大正11年) 6… 鬼頭 恭一(きとう きょういち、1922年(大正11年) 6月10日 - 1945年(昭和20年) 7月29日)は日本の作曲家。東京音楽学校本科在学中に学徒出陣、終戦17日前に霞ヶ浦航空隊で飛行訓練中に事故死した。戦後70年にあたる2015年、戦死した遺骨が故郷の愛する人の元に帰る情景を描いた歌曲「雨」が初演された。 大正11年(1922年)6月10日、名古屋中心地で酒問屋を営む父・儀一、母・成子の四人兄妹の長男として生まれる。実家近くにあったキリスト教系の幼稚園で賛美歌を耳にした事が、恭一の音楽の原点であった。幼少期の恭一について2歳年下の弟・哲夫は次のように証言している。 兄は幼い頃から「珍しいもの、新しいもの」を好み、やりたいことや欲しいものはとことん追求しなければ気が済まない「やんちゃくちゃ」(当時の名古屋弁) な腕白小僧で、しょっちゅう両親を困らせていました。
森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005… 森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005年10月11日)は、日本の古代ギリシア哲学研究者、小説家、関西医科大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都帝国大学文学部で古代ギリシア哲学を専攻し、田中美知太郎の指導を受け、京大大学院古代哲学専攻博士課程中退。京都大学非常勤講師を経て、64年関西医科大学教養部助教授、65年教授、91年定年、名誉教授。 また森泰三の名で文学作品も発表、1963年「砧」で芥川賞候補、1972年「冬へ」、1976年「結婚」で3度候補にあがった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
亀山 龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 198… 亀山 龍樹(かめやまたつき、1922年6月10日 - 1980年3月23日)は、日本の翻訳家、作家。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部インド哲学科卒業。第二次世界大戦に学徒兵として出征。 戦後は白木茂の下訳をし、小谷剛の同人誌『作家』に拠って小説を書いていた。 日本児童文芸家協会理事、少年文芸作家クラブ会長を務める。表記には亀山竜樹もある。息子に、写真家の亀山哲郎がいる。 翻訳家としては英文和訳を専門とした。英語以外の作品は、恐らく他人の翻訳をリライトしたものだが、これは児童文学の世界ではよくあることである。 最初に刊行された訳書はエラリー・クイーン『金色のわしの秘密』である。以後も英米のジュブナイルの翻訳、一般向けのSF・ミステリ・冒険小説を児童向けに抄訳することを主たる仕事とした。
長谷川 不二雄(はせがわ ふじお、1922年6月10日 - … 長谷川 不二雄(はせがわ ふじお、1922年6月10日 - 2016年1月22日)は、日本の経営者。日本製粉社長、会長を務めた。 北海道出身。1944年に早稲田大学法学部を卒業し、1946年6月に日本製粉入社。 1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1989年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、2000年6月には特別顧問に就任。 1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2016年1月22日老衰のために死去。93歳没。
小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 199… 小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 1995年10月30日)は、日本の土木工学者。 工学博士。土木学会名誉会員。大阪大学名誉教授。 専門は薄肉構造理論、弾塑性構造解析理論、空力弾性学など。なかでも薄肉曲線桁理論は都市高架道路橋の建設に影響を与えた。同理論は阪神高速道路の3径間連続鋼床版曲線箱桁橋(土木学会選奨土木遺産)、通称中之島S字橋の設計にも適用された。 大阪市に生まれる。大阪市立都島工業学校機械科、旅順工科大学予科を経て1946年9月、京都帝国大学工学部応用物理学科(旧航空)を卒業した。 民間会社、大阪府技師などを経て、1953年3月大阪市立大学工学部助手に就任する。同大学を講師、助教授と進み、1961年12月京都大学より工博の学位を授与される。
降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002… 降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002年8月8日)は、日本の経営学者。 長野県南安曇郡三郷村(現安曇野市)出身。旧制弘前高等学校卒、京都帝国大学に入るが兵役で入隊し、1945年 軽巡洋艦 矢矧に乗り込み大和を護衛して出撃するが撃沈されて負傷する。1947年京都帝国大学経済学部卒、同大学院をへて、1971年「経営管理過程論の新展開 Management Theory Jungleへの一試論」で経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授。1986年定年退官し、名誉教授となり、朝日大学教授、1989年大阪国際大学教授を務め、95年退職。70年「経営管理過程論の新展開」で日経・経済図書文化賞受賞。