水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )… 水島 康宏(みずしま やすひろ、1958年5月18日 - )は、日本の作曲家、ボーカリスト。トライエックスミュージック社所属。北海道函館市弁天町出身。代表曲に、髙橋真梨子の最大のヒット曲となった「ごめんね…」などがある。 同じ作曲家の水島康貴と間違えられると、本人がコメントしている。薬剤師の資格を持ち、作曲活動の傍ら病院薬剤師としても勤務していた。 北海道函館中部高等学校、東京理科大学薬学部卒業。 1980年に東芝EMIより、バンド・Northern Litesのボーカル、ギター、作曲家としてデビュー。 1982年、バンド解散後、男性デュオグループHorizonを結成。その後、ライブ、レコーディングにコーラスとして参加しつつ、作曲家としてアーティストに楽曲を提供している。
赤坂 東児(あかさか とおる、1958年(昭和33年)3月1… 赤坂 東児(あかさか とおる、1958年(昭和33年)3月19日 - )は、日本で活動する男性作曲家・編曲家。北海道釧路市出身。新音楽協会所属。 主にNHK Eテレの子供向け番組の音楽を担当しており、『えいごであそぼ』ではほとんどの楽曲の作曲・編曲を担当している。また、『おかあさんといっしょ』でも数々の楽曲の作曲・編曲を手がけている他、福田和禾子の後を受け2008年度途中よりうたのおにいさん・おねえさんの歌唱指導を担当している。 テレビ朝日の子供番組『パオパオチャンネル』のワンコーナー「ピッカピカ音楽館」の楽曲「ヤーレンソーラン北海道」では作曲だけでなく自ら歌手を務め、同局の『ミュージックステーション』にも歌手として出演経験がある。
座光寺 公明(ざこうじ ひろあき、1958年1月20日 - … 座光寺 公明(ざこうじ ひろあき、1958年1月20日 - 1987年1月29日)は、日本の作曲家、ピアニスト。 東京生まれ、4歳より20歳まで北海道旭川市で育つ。ピアノを4歳から習い始める。小学校の学芸会では、ピアノ演奏や合唱の指揮をしていた。その頃見たテレビ番組『レナード・バーンスタインの世界』に感動し、心の中で指揮者に成ろうと思い始める。北海道旭川東高等学校1年生の春、指揮の勉強をする為に旭川から札幌まで通い、木村雅信に作曲を習い始める。そのうち作曲という創作の魅力に取り付かれて、作曲家に成ろうと決心する。 日本大学芸術学部音楽学科(作曲コース)卒業。同研究所修了。作曲を貴島清彦、小倉朗、ピアノを松谷翠、星野すみれに師事。
伊戸 のりお(いど のりお、1957年7月24日 - )は、… 伊戸 のりお(いど のりお、1957年7月24日 - )は、日本の作曲家・編曲家。本名:茅花徳男(かやはな のりお)。趣味は音楽鑑賞。 北海道江別市出身。 父である作曲家 茅 大介(かや だいすけ)に従事し、音楽学校を卒業後1980年三船和子の編曲で東芝EMIより編曲家デビュー。石上久美子「人生双六男の旅路」(ビクターレコード)で全国デビュー以来、作・編曲、演奏家としてレコーディング及びステージ活動中。現在までに5000曲以上を編曲する。
六土 開正(ろくど はるよし、1955年10月1日 - )は… 六土 開正(ろくど はるよし、1955年10月1日 - )は、日本のベーシスト、キーボーディスト、ピアニスト、作曲家。ロックバンド安全地帯でベース、キーボード、ピアノを担当。北海道稚内市出身。 キティレコード - ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本) - ユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパン - Template:玉置浩二 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
三国 義貴(みくに よしたか、1955年〈昭和30年〉7月2… 三国 義貴(みくに よしたか、1955年〈昭和30年〉7月23日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。北海道出身。北海道札幌西高等学校卒業。血液型はA型。元ANTHEMのドラマー本間大嗣は従兄弟。※クリエイション(CREATION)のキーボード奏者であるミック三国とは別人である。
藤井 眞吾(ふじい しんご、1954年6月27日 - )は、… 藤井 眞吾(ふじい しんご、1954年6月27日 - )は、日本のギタリスト・作曲家。北海道北斗市出身。 「武満徹とギターの音楽」を企画/主催、荘村清志と共演(2005)。アメリカギター協会 GFA の招きでロサンジェルスで開催されたフェスティバルで「天使の協奏曲」を指揮(独奏:W.カネンガイザー)。「W.カネンガイザー ギターリサイタル(京都、広島、福岡)」で自作品を含む二重奏を共演、また「天使の協奏曲」を指揮(2008)。上海市で藤井眞吾作曲作品を中心としたコンサートに招かれ、福田進一と共演(2009)。上海音楽学院主催の「上海ギター週間」に招かれ、リサイタル、マスタークラスなどを行う (2009)。
伊藤 多喜雄(いとう たきお、1950年10月6日 - )は… 伊藤 多喜雄(いとう たきお、1950年10月6日 - )は、日本の民謡歌手、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。2005年(平成17年)から洗足学園大学客員教授、2014年(平成26年)から札幌市手稲区ふるさと大使を務める。ロック調の民謡、特に「TAKIOのソーラン節(南中ソーラン節)」で知られている。 長女は歌手のめぐ留(旧芸名:安曇野めぐ留)。孫は東京藝術大学音楽学科日舞専攻 花柳美伯、フラッシュアップ付属児童部タレントの加藤大果(めぐ留の娘)。 1950年、北海道苫小牧市に漁師を営む両親の12人兄弟の末っ子として生まれる。11番目の兄と一卵性双生児。 幼少期から父親が歌う追分節と津軽出身の母親が歌う津軽民謡に親しみ、その声は地元でも評判となる。
安田 裕美(やすだ ひろみ、男性、1948年4月7日 - 2… 安田 裕美(やすだ ひろみ、男性、1948年4月7日 - 2020年7月6日)は、日本の作曲家・編曲家・ギタリスト。北海道小樽市出身。実妻はシンガーソングライターの山崎ハコ(大分県日田市出身)。 小樽桜陽高等学校卒業、獨協大学外国語学部ドイツ語学科中退。六文銭、フライング・キティ・バンドのメンバーとして活動。その後、サポート・ギタリストをする傍ら、作曲・編曲活動も行う。井上陽水のデビュー当時を支えたバック・ギタリストとして有名。 2020年7月6日14時33分(JST)、かねてから患っていた大腸がんのため死去。72歳没。訃報は山崎の所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントから発表された。
川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 20… 川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 2025年5月11日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。北海道小樽市出身。 少年時代にギターにはまり、北海道大学の軽音楽クラブに入る。大学を中退し、キャバレーでバンドマンをしていた時に、大学の先輩の誘いでネム音楽院の講師になる。講師と並行して因幡晃や高木麻早などヤマハに所属するアーティストのバックバンドも務めるようになる。 しかし、自身のプレイヤーとしての技量に限界を感じ、32歳の時から本格的にアレンジャーとして活動。1981年にテレビドラマ『拳骨にくちづけ』から劇伴を担当する。1983年に『小説吉田学校』の映画版で本格的に劇伴を手掛けるようになる。
アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1… アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1945年11月18日 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。別名はサンニョアイノ(考える人)、愛称はポンニー(小さな木の人)という。 「アト゚イ」は、「アトゥイ」と書くこともできるが、本人は「ト゚」を使った表記を一貫して使っている。 1945年(昭和20年)、北海道釧路支庁白糠町生まれ。アイヌ人が多く住む集落で育ち、アイヌ人のアイデンティティを持つ。母はアイヌ人、父は非アイヌ人だがアト゚イ出生前に姿を消した。小学生の頃には漁船に下働きとして乗り組み、櫓のこぎ方もそこで覚えた。アイヌの出自のために和人の子供から差別を受けることに我慢できず、小学校に通うのをやめた。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日… 吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日 - 2006年(平成18年)2月7日)は、日本の作曲家。北海道生まれ。ムード歌謡を中心に2000余曲を手掛けた。 北海道遠軽高等学校卒業。高校時代は吹奏楽部に所属。札幌市内で歌謡教室を営む傍ら作曲活動にも励み、1973年(昭和48年)に秋庭豊とアローナイツのために『中の島ブルース』を提供。 同曲の人気が有線放送を介して全国区になったため、1975年(昭和50年)には補作してアローナイツをメジャー・デビューさせると同時に、内山田洋とクール・ファイブと競作させ、ミリオンセラーの定番に育て上げた。 2006年(平成18年)2月7日に胃癌のため死去 。
城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月2… 城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月28日 - 1989年〈平成元年〉5月9日)は、日本の歌手、作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。 1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよ… 彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよし)、1933年〈昭和8年〉8月5日 - 2022年〈令和4年〉9月16日)は、日本の作曲家。北海道音更町生まれ、帯広市育ち。札幌市在住。 『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。 馬仲買人の父とカフェを経営していた母の間で音更町の父の実家で生まれるも父は3歳時に死去、幼少期は音更の祖父母と過ごすことも多かった。1940年に帯広小学校に入学後、小学5年生時に池田町へ学童疎開。終戦後帯広中学校に戻り手に職をつけるべく帯広商工高等学校土木科(現・帯広柏葉高等学校)に進学し卓球や家でラジオなど電子工作に傾倒する一方、映画館にも通い時代劇や洋画の劇伴音楽に感銘を受ける。
小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年… 小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年1月25日)は、北海道釧路市出身 の作曲家・編曲家。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、明治大学ではマンドリン倶楽部に入部。アコーディオンの演奏は当時、六大学一の腕前と言われた。卒業後はキングレコード専属の作家として活躍し、主に歌謡曲の編曲を手掛け、川上英一とともに三橋美智也のヒット曲を数多く担当した。その傍らでNHK紅白歌合戦・演歌の花道・にっぽんの歌のオーケストラ、母校・明大マンドリン倶楽部の指揮者も務めた。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月1… 廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月17日 - 2008年(平成20年)11月24日)は、日本の作曲家。 北海道函館市で、日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれる。1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学するが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校に転入。1945年(昭和20年)3月函館に戻る。終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類に入学、この頃から作曲を始める。教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 202… 間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 2024年12月11日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市生まれ、青森県青森市育ち。東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 1953年、外山雄三、林光と共に『山羊の会』を結成する。 1970年代、谷川雁が創設したラボ教育センターの物語テープに音楽を提供。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 2024年12月11日、肺炎のため死去。95歳没。 ()内の人物は台本作者、作詩者、または献呈者。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。
佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 … 佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉12月5日)は、日本の作曲家。北海道留萌市出身。 生家の近くに映画館があり、母親が映画好きだった事を受け勝は映画に興味をもち、そこから流れる音楽に心打たれた彼は将来映画音楽を担当する作曲家になろうと心に決める。旧制留萌中を経て国立音楽学校にて音楽を学び、岡本敏明に師事。卒業後は映画音楽家を志して卒業1週間前に知り合った作曲家の早坂文雄の門下に入り、音楽学校の講師やバンドマンで生計をたてながら早坂に師事する。また、同じ北海道出身の作曲家・伊福部昭の作品にも大きな影響を受けた。 1952年(昭和27年)、映画『三太と千代ノ山』(新理研映画)で映画音楽を初担当。
萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年… 萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年(大正14年)5月26日 - 1984年(昭和59年)1月13日)は、日本の作曲家。 北海道岩見沢市で病院長の家庭に生まれる。弟の萩原秀樹はジャズピアニスト。旧制北海中学を経て、1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)器楽科に入学(クラリネット専攻)。同級に岩井直溥や早川博二がいた。戦時中は團伊玖磨、芥川也寸志、斎藤高順、梶原完たちと陸軍戸山学校軍楽隊に入隊。素人の養成機関の軍楽隊に音楽学校の生徒が入る背景には、乗杉嘉壽から山口常光(戸山軍楽隊)、山口から阿南惟幾へ話の持ち込みがあり、全く便宜を計る必要がない音楽学校の生徒である彼等は特例中の特例で、いわゆる徴兵から逃げた。
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2… 唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。妻は筝曲家の中島靖子。 北海道深川市生まれ。父親は尺八奏者、母親は筝曲家。農業経済学者の唯是康彦は従弟。3歳から生田流筝曲を学ぶ。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。宮城道雄に師事する。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
大木 英子(おおき ひでこ、1919年5月10日 - 200… 大木 英子(おおき ひでこ、1919年5月10日 - 2008年8月3日)は、日本の作曲家である。北海道小樽市出身。日本現代音楽協会会員。夫は大木正夫。旧姓:谷藤。 小樽高等女学校を経て、帝国高等音楽院ピアノ科を卒業。マリオ・パッチにピアノを、夫の大木正夫に作曲を師事する。 1956年に『ピアノ協奏曲第1番』が日本放送協会の芸術祭管弦楽部門に入選する。1957年には、上田仁指揮による東京交響楽団の日本人作曲家の作品初演シリーズで『雪のふるさと』が演奏された。1958年にピアノ作品発表会を開いている。この時期には、1958年の『ピアノと電子音響による協奏的四章』(ラジオ東京で放送された)や「ピアノソナタ」などの作品がある。
伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006… 伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の作曲家。位階は従四位。 ほぼ独学で作曲家となった。日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。北海道出身。 1914年(大正3年)、北海道釧路郡釧路町(現・釧路市)幣舞にて、警察官僚の伊福部利三、キワの三男として生まれる。小学生の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。代表作の一つ、『シンフォニア・タプカーラ』(1954年)は、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという。
飯田 三郎(いいだ さぶろう、1912年(大正元年)12月2… 飯田 三郎(いいだ さぶろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2003年(平成15年)4月24日)は、昭和期の作曲家。北海道根室市出身。 初め、独学で作曲を学ぶ。根室商業学校卒業後上京し、作曲を池内友次郎、指揮を山田和男に師事する。 同じ根室出身で、根室商業学校の先輩でもある作詞家・高橋掬太郎と組み、「啼くな小鳩よ」「ここに幸あり」などの楽曲を作った。故郷を愛し、交響組曲「北国讃歌」等の根室に関連する曲を数多く作った。 1973年、ミサ曲が認められ、ローマ法王庁より褒状を授与される。 根室市総合文化会館1階には飯田三郎資料展示室がある(2022年11月26日に根室市図書館から移転)。
西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1… 西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
佐々木 章(ささき あきら、1906年(明治39年)2月16… 佐々木 章(ささき あきら、1906年(明治39年)2月16日 - 1963年(昭和38年))は昭和期の歌手、作曲家。 北海道函館市出身。函館商業学校中退。1936年(昭和11年)末より大村能章に声楽を師事した。1937年(昭和12年)9月に発売された「露営の歌」の吹き込みに参加。 戦後は作曲家として活動。デビュー前の三波春夫などを指導した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
仁木 他喜雄(にき たきお、1901年(明治34年)11月1… 仁木 他喜雄(にき たきお、1901年(明治34年)11月14日 - 1958年(昭和33年)5月13日)は、昭和期の作曲家、編曲家。北海道出身。 北海道札幌郡篠路兵村(現在の札幌市北区屯田・篠路付近)に生まれ、1歳の時に滝川村幌倉(現在の滝川市東滝川町付近)に移住し1914年まで過ごす。その後札幌の劇場を経て、横浜のバンド屋(鼓笛隊養成所の意味)「睦崎」に入門してドラムを学び、ハタノ・オーケストラ、日本交響楽協会を経て、1926年(大正15年)の新交響楽団(のちのNHK交響楽団)創設時にティンパニ奏者として参加。1940年以降は、コロムビア専属として、レコーディングにおける多数の編曲と作曲で知られる。
能代八郎(のしろ はちろう、1900年(明治33年)3月‐1… 能代八郎(のしろ はちろう、1900年(明治33年)3月‐1944年(昭和19年)3月14日)は昭和期の作曲家。本名佐藤久助。 1937年、佐藤富房の筆名で作曲した「声なき凱旋」でポリドールより作曲家デビュー。 翌年テイチクレコードに移籍し、筆名を能代八郎とし、流行歌の作曲を行うようになる。 1939年、塩まさるが歌う『九段の母』が大ヒット。 1944年3月14日死去。享年44。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - … 梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。
なっきーす。(本名:立崎 直樹)は、日本の作曲家、編曲家であ… なっきーす。(本名:立崎 直樹)は、日本の作曲家、編曲家であり、スタジオEJSSの代表である。北海道帯広市出身。 音楽を始めたきっかけは、小学1年の時にハモンドオルガン教室へ通うのがきっかけ。中学1年の時に初バンドを組み、中学3年の時に作曲を始める。高校2年の時に参加した作曲コンテストで入賞したことから、作家事務所へ所属するが、現在はフリー作家として活躍している。スタジオEJSSの代表でもある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
片倉 三起也(かたくら みきや、8月1日 - )は、日本の作… 片倉 三起也(かたくら みきや、8月1日 - )は、日本の作曲家、編曲家。音楽ユニット・ALI PROJECTのキーボーディスト。北海道出身。血液型はO型。 グラムロックのバンドで活動していたがデビューには至らず、その後、宝野アリカと出会い「蟻プロジェクト」を結成。1992年より現在の「ALI PROJECT」に改名し、東芝EMIより『恋せよ乙女〜Love story of ZIPANG〜』でメジャーデビューした。 ソロ活動としては、ソロアルバムを2枚リリースしているほか、CM・テレビ番組・映画などの音楽制作や、アーティストへの楽曲提供がある。劇伴の制作はALI PROJECT名義で行っている作品も存在する。
島みや えい子(しまみや えいこ、4月20日 - )は、日本… 島みや えい子(しまみや えいこ、4月20日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家。 北海道千歳市出身、札幌市在住。1999年から2011年まで音楽制作集団「I've」のボーカリストとして活躍し、現在は株式会社ハートカンパニー所属。血液型はA型。牡羊座。旧名は島宮 えい子(読み方は同じ)。 I'veのメインボーカルの1人として、数々の楽曲でボーカルを担当。歌手活動と並行して札幌のRISE音楽院やミュージックトレーニングセンター春生楽(HAURA)でボーカル講師として長年活躍していた(HAURAではKOTOKOや川田まみ、詩月カオリなども生徒だった)。また、言葉の力(言霊)を使ったエモーショナル・ボイストレーニングの講師も勤めている。
向井 成一郎(むかい せいいちろう 、3月22日 生まれ )… 向井 成一郎(むかい せいいちろう 、3月22日 生まれ )は、北海道新冠町出身の男性シンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞作曲家、ボイストレーナー 北海道の広大な牧場で生まれ育つ。彼独特の甘い声はマシュマロボイスの異名をもち、ソロ活動の他、様々なスタジオワーク/ツアーサポート(鈴木雅之、DREAMS COME TRUE、米倉利紀、光永亮太他)にも参加している。 1995年YOSAKOIソーラン祭りエンディングテーマ「僕は僕のままさ」を作詞作曲、本格的に音楽活動開始 1998年「北極星」を制作。YOSAKOIソーラン祭りのエンディングテーマに採用される 2004年3月には韓国ソウル市内でストリートライブ敢行。
松本 望(まつもと のぞみ)は、日本の作曲家、ピアニスト。 … 松本 望(まつもと のぞみ)は、日本の作曲家、ピアニスト。 北海道出身。国立音楽大学ピアノ科、洗足学園音楽大学作曲科の非常勤講師。 北海道札幌北高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修士課程作曲専攻を修了。2006年にフランスに渡り、パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科を審査員の満場一致により首席卒業。この間、作曲を土田英介、尾高惇忠に、ピアノを三角祥子、北島公彦、浜口奈々、エリック・ベルショに、伴奏法をジャン・ケルネルに師事。 2003年、東京文化会館主催合唱作品作曲コンクールで『混声合唱組曲「あなたへ」』が最優秀賞を受賞し、同作品が出版される。これ以降も自作の合唱組曲や編曲作品が出版され、全国の合唱団に歌われている。
m.c.A・T(エムシーエーティー)は、日本のミュージシャン… m.c.A・T(エムシーエーティー)は、日本のミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。1990年代にDA PUMPのプロデューサーとして数多くのヒット曲を送り出してきた。DA PUMPにはm.c.A・T名義で発売した曲も多数提供している。 血液型はO型。個人事務所であるアキオワンダー(aquio wonder)所属。 90'sのニューヨークハウスではm.c.A・T本人のボイスサンプルが流行した。 北海道札幌市豊平区出身。父はNHK札幌放送局の職員だった。北海道札幌月寒高等学校、北海道教育大学旭川校卒業。小学校、中学国語、高校国語、特別支援学校教員免許所持。プリンスの影響でミュージシャンを目指すようになる。
大沢 直樹(おおさわ なおき)は、日本のギタリスト、作曲家、… 大沢 直樹(おおさわ なおき)は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家。 北海道網走市出身。札幌学院大学、Hollywood Musicians Institute Guitar科卒業。ロックやブラジル音楽、ジャズ、フォークなどジャンルを問わず多方面で演奏活動をしている。大澤ギターレッスン主宰。 現在の活動の中心はファンクロックバンドの東部警察で、2枚のアルバムを発表している。ブラジル音楽(特にショーロ)のジャンルでは、choro azulに参加して3枚のアルバムを発表した後に脱退したが、その後、2006年にplutrioを結成して、ショーロにとどまらず叙情的なオリジナルを中心にしたアルバムを3枚発表している。
石丸 基司(いしまる もとじ)は、日本の作曲家、北海道釧路市… 石丸 基司(いしまる もとじ)は、日本の作曲家、北海道釧路市生まれ。 音楽だけに留まらず、絵画や劇作などの表現活動を重ねて、伊福部昭亡き後の「完本管絃楽法」新装版(音楽之友社)の校正役をしている。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高橋 邦幸(たかはし くにゆき)は、日本の作曲家、編曲家。北… 高橋 邦幸(たかはし くにゆき)は、日本の作曲家、編曲家。北海道旭川市出身。MONACA所属。 北海道教育大学芸術課程音楽コース卒業。札幌にてTVコマーシャル等の音楽制作を経て、2013年春よりMONACAへ参加。トロンボーンの演奏を担当することがある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
斎藤 幹雄(さいとう みきお)は、コナミデジタルエンタテイン… 斎藤 幹雄(さいとう みきお)は、コナミデジタルエンタテインメントに所属していた作曲家・ゲームデザイナー・プロデューサーである。名古屋国際工科専門職大学工科学部教授。本名は齋藤 幹雄(さいとう みきお)。メタルユーキ(Metal Yuhki)のニックネームでも知られる。 北海道帯広市出身。北海道帯広柏葉高等学校卒。日本大学理工学部電気工学科卒。 大学卒業後、ゲーム会社のテクモに入社、アーケードゲーム・家庭用ゲームのBGMの作曲家として活躍する。 1991年にコナミ(後のコナミデジタルエンタテインメント)に移籍。1994年に制作に参加した『ときめきメモリアル』の大ヒットにより、その名を広く知られるようになる。