花家 圭太郎(はなや けいたろう、1946年 - 2012年… 花家 圭太郎(はなや けいたろう、1946年 - 2012年5月7日)は、日本の小説家(時代小説)、作家。本名:村岡末男。 秋田県仙北郡太田町(現在の大仙市)出身。秋田県立角館高等学校を経て明治大学文学部仏文科卒業。フリーライターをへて、1998年『暴れ影法師』でデビュー。 2012年5月7日、東京都中央区の病院にて肺がんにより逝去。66歳歿。
秋田県:1,144人
花家 圭太郎(はなや けいたろう、1946年 - 2012年… 花家 圭太郎(はなや けいたろう、1946年 - 2012年5月7日)は、日本の小説家(時代小説)、作家。本名:村岡末男。 秋田県仙北郡太田町(現在の大仙市)出身。秋田県立角館高等学校を経て明治大学文学部仏文科卒業。フリーライターをへて、1998年『暴れ影法師』でデビュー。 2012年5月7日、東京都中央区の病院にて肺がんにより逝去。66歳歿。
阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日… 阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日 - )は、日本の外交官。2014年4月から2017年12月まで内閣府原子力委員会委員長代理(常勤)。 財団法人日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター所長、外務省参与、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会諮問委員、ウィーン国際機関日本国政府代表部大使、在サウジアラビア日本国大使、国際連合事務次長、在スイス日本国大使、在リヒテンシュタイン日本国大使などを歴任した。 秋田県大館市出身。秋田県立秋田高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)にて学ぶ。東京大学在学中に外交官試験に合格。1967年外務省入省。英語研修としてアメリカ合衆国アマースト大学教養学部で政治学を専攻しを卒業。
東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は… 東海林 良(しょうじ りょう、 1945年8月5日 - )は、日本の作詞家・小説家。本名:東海林良司。 秋田県湯沢市三梨町出身。県立湯沢高校、中央大学法学部卒業。代議士秘書を経て、ソ連、北欧、フランス、東欧を放浪。帰国後放送作家を経て作詞家となる。4千曲以上もの作詞を手がける。DJ、気象キャスターの東海林舞は娘。皆瀬・国際芸術村、浅草国際大学(東海林良 作詞塾)代表。浅草ビューホテル内で、調剤薬局・浅草みやげの店ヴァラエティドラッグ東海林を経営する。
中村 征夫(なかむら いくお、1945年7月1日 - )は、… 中村 征夫(なかむら いくお、1945年7月1日 - )は、日本の写真家。息子の中村卓哉も写真家。娘の中村珠央はエッセイスト。
粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年… 粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年3月15日)は、日本の俳優。本名は粟津 祐教(あわづ ゆうきょう)。秋田県男鹿市出身。東洋大学法学部卒業。妻は詩人の船木倶子。 日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した男優の一人である。 浄土真宗大谷派貴栄山・円応寺の住職で歌人としても活躍した粟津祐逸(1915-1973 俳号・爽明)の長男として生まれる。 船越中学校3年生のとき、東映教育映画『なまはげ』に、地元中学生3000人の中から選ばれ主演した。1961年、県立秋田高等学校入学。1964年、父の母校・東洋大学法学部へ入学する。クラブは吟詠会に所属。 卒業後、寺を継ぐつもりでいたが、「男なら中央で活躍してみろ。
簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は… 簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人のいた岡山東商業高に敗退した。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。 1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。
菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、… 菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1… 山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日 - 1984年5月9日)は、日本の競輪選手。秋田県出身で、日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。 秋田県立六郷高等学校時代の1962年、大津びわこ競輪場で開催されたインターハイ、1kmタイムトライアルで優勝。その後法政大学へと進み、1964年東京オリンピックの日本代表選手となり、4000m個人追い抜きに出場し13位。また団体追い抜きにも出場した。 法大卒業後、日本競輪学校第25期生として入学。同期には荒川秀之助、谷津田陽一らがいる。1971年の新人王戦を優勝。その後も1981年頃まで特別競輪(現在のGI)に出場していた。 1984年5月8日、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡。
浅利 香津代(あさり かづよ、1944年8月11日 - )は… 浅利 香津代(あさり かづよ、1944年8月11日 - )は、日本の女優。本名、浅利 和子(あさり かずこ)。 秋田県秋田市出身。血液型はB型。 生まれも育ちも秋田駅前という生粋の秋田っ子。 秋田県立秋田北高等学校卒業。 日本大学芸術学部演劇学科卒業後、望月優子に師事。その後、新劇の第一次・第二次新人会で8年在籍。 1975年より劇団前進座に移って3代目中村翫右衛門(4代目中村梅之助の父であり、中村梅雀の祖父)に師事。10年在籍し、フリーとなる。 正しい秋田弁の使い手として秋田弁の朗読などの仕事も多い。
小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -… 小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -)は、日本の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 秋田県能代市出身。神奈川県立川崎高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中から新左翼運動に身を投じ、社青同解放派で活動し、通算5年の服役経験を持つ。歌人としての筆名は米山信介だったが、現在は小嵐九八郎に統一。「未来」短歌会にて岡井隆に師事。秋田方言を大胆に取り入れた軽快な作風を、小説においても短歌においても統一している。日本ペンクラブ会員。
高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )… 高橋 耕作(たかはし こうさく、1944年7月25日 - )は、秋田県出身の元 競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第25期生。 兄、高橋耕造(競輪学校第1期生)も元 競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て日本大学に進学。同大学在籍時代の1964年、東京オリンピック・団体追抜に出場し11位。その後、競輪学校を経て日本競輪選手会東京支部所属の競輪選手となった。 1989年7月31日選手登録削除。
一ノ関 史郎(いちのせき しろう、1944年1月24日 - … 一ノ関 史郎(いちのせき しろう、1944年1月24日 - )は、日本の重量挙げ選手。1964年東京オリンピック銅メダリスト。 1944年1月24日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。中学生の頃に重量挙げを始める。秋田短期大学附属高等学校(現・ノースアジア大学明桜高等学校)3年時にインターハイ優勝、秋田国体少年の部にて準優勝。法政大学に進学し、3年生の時に行われた1964年東京オリンピックにバンタム級の代表として出場。日本勢のメダル第1号となる銅メダルを獲得する。 大学卒業後は秋田県の職員となり、1968年メキシコオリンピック出場。しかし直前の練習中に腰を痛め、その影響から5位に終わる。 現役引退後は書道家となり、雅号「清山」を名乗る。
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 20… 佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 2011年11月19日)は、秋田県出身の作家、編集者。筆名に里井鵠治(サトイ コウジ)がある。 秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる(なお、日外アソシエーツ現代人物情報は「秋田県山本郡響村に出生」としている)。秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。 1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。最初に企画した丸山明宏(後の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日… 明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。田中プロモーションに所属していた。 高校卒業後に俳優を目指して上京。1965年、劇団世代に入団。 1969年、新藤兼人監督による松竹映画『かげろう』に出演。 1970年に同じく新藤によるテレビ映画『愛妻物語』(東京12チャンネル)の主役に抜擢されたことがきっかけで注目され、同年の花王 愛の劇場『波の塔』(TBS)で、桜町弘子演じるヒロインの相手役で出演。当時の紹介記事では「ごまかしの利かない性格なので、ドラマの中で愛の告白をするのは気が重いです」と述べている。 以後、1974年の昼ドラ『君待てども』(東海テレビ)で、三浦真弓演じるヒロインの従兄弟である伊吹武夫役でレギュラー出演するなど、テレビドラマを中心に活動した。
坂本 尚夫(さかもと たかお、1943年9月14日- )は、… 坂本 尚夫(さかもと たかお、1943年9月14日- )は、秋田県仙北市出身の薬学者。東北大学薬学部教授、東北大学高等教育開発推進センター長、東北大学大学院薬学研究科長、東北大学副学長、国立薬学部長会議議長などを歴任。東北7県(新潟県を含む)の産学官連携を具現化するための組織、インテリジェント・コスモス研究機構の社長を務めている。 月刊薬事2001年1月号で、「大学院重点化後の薬学教育および研究」について書いている。2002年11月、東北大学総長補佐及び同大学教育研究センター長、2005年には教務担当の副学長に就任した。2006年には日本薬学会教育賞を受賞している。
佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月2… 佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月28日 - 2005年(平成17年)7月16日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。 秋田県出身。1962年、秋田県立花輪高等学校卒。鹿角市議会議員、同議長を経て、2000年、鹿角市長に当選する。2004年に再選。翌2005年、病気のため辞任、同年7月に死去した。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
河野 元昭(こうの もとあき、1943年7月20日 - )は… 河野 元昭(こうの もとあき、1943年7月20日 - )は、日本の美術史学者。近世美術が専門。学校法人二本松学院京都美術工芸大学学長、東京大学名誉教授。秋田県立近代美術館名誉館長。静嘉堂文庫美術館館長。美術専門誌『国華』前主幹。秋田県出身。
高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気… 高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気象予報士。主にNHKで気象キャスターとして活動した。 秋田県秋田市楢山出身。気象大学校通信教育を修了し、1963年、財団法人日本気象協会に入職後、秋田支部、東北本部を経て、中央本部気象情報部専任主任技師を務める。東北勤務時代の1980年代初頭からNHKに出演、東京に異動してからは同局の主要なニュース番組の気象キャスターを歴任する。2003年、日本気象協会を定年退職。その後有限会社気象環境サービスを経て、2006年4月より株式会社ウイングを経て、現在は南利幸が代表を務める株式会社南気象予報士事務所の顧問。 2002年3月から4年間担当した『NHKニュース10』の気象解説は、「冬将軍」などのキャラクターを活かしたユニークな演出により、視聴率が低迷した同番組では数少ない人気コーナーの一つとなった。
藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月… 藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月15日 - 2024年(令和6年)12月11日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市出身。慶應義塾大学文学部卒業後、秋田銀行入行。 企画部門を長く担当し、6年あまり頭取を務めた新開卓が、非常勤相談役・秋田経済研究所理事長に勇退したことに伴い、後任として昇格。 2013年(平成25年)には、頭取職を湊屋隆夫に引き継ぎ、相談役に退いた。 2024年12月11日午後9時、心不全のため東京都内の病院で死去。81歳没。
土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日… 土田 武史(つちだ たけし、1943年4月3日 - )は、日本の商学者。学位は、商学博士。早稲田大学商学部教授。秋田県横手市出身。
宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)… 宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)は、秋田県能代市出身の漫画家。別名義:宮越義勝、塚本光治。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は… 吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は、日本の工学者。工学博士。専門は基礎電気工学。秋田大学および東北公益文科大学で学長を務めた。 新潟県で生まれ秋田県秋田市で育つ。 秋田県立秋田高等学校を卒業後、秋田大学に進学。1969年3月同大学院鉱山学研究科修士課程電気工学専攻修了。1974年名古屋大学より工学博士(電子・電気材料工学)の学位を受く。 1969年4月秋大鉱山学部助手、1974年4月同講師、1975年同助教授に就き、一度は外国の大学で研究したいと考えていた時、米国ニューヨーク州にあるクラークソン工科大学客員研究員として招かれ、家族とともに渡米。約2年間滞在した。 帰国後の1983年4月、39歳で秋大鉱山学部教授に昇進。
成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 20… 成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 2023年10月19日)は、秋田県北秋田郡鷹巣町(現・北秋田市)出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 小学生の時、父親が出張のお土産にキャッチャーミットを購入し、野球を始めるきっかけになった。 しかし、当時は野球をするには充分な環境がなかったため、本格的に取り組むのは中学校へ進学してからになる。 高校進学は当初家が農家だったこともあり、秋田県立鷹巣農林高等学校を希望していたが、秋田市立秋田商業高等学校野球部の勧誘があり、秋田商業高等学校への進学を決めた。甲子園出場は計3回経験している。 秋田商業高等学校を卒業後、大毎に入団する。大毎入団の経緯としては他に大洋、西鉄、中日の計4球団から誘いがあったが、秋田商業高等学校OBの三平晴樹がいたことが決め手となった。
佐々木 幸男(ささき ゆきお、1942年9月30日 - )は… 佐々木 幸男(ささき ゆきお、1942年9月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手。 金足農業高校から電電東北を経て1962年に阪急ブレーブスへ入団。1968年に引退した。
阿部 義平(あべ ぎへい、1942年9月 - 2011年9月… 阿部 義平(あべ ぎへい、1942年9月 - 2011年9月17日)は、日本の考古学者、国立歴史民俗博物館名誉教授。
佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15… 佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15日 - )は、日本の政治学者(政治学・西洋政治思想史)。勲等は瑞宝大綬章。学位は法学博士(東京大学・1973年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京大学法学部教授、東京大学大学院法学政治学研究科教授、同研究科長、東京大学総長(第27代)、国立大学協会会長(第20代)、学習院大学法学部教授、一般社団法人学士会理事長(第11代、2016 - 2022年)、日本学士院長(第28代)などを歴任した。 秋田県仙北郡千屋村(現:美郷町)出身の政治学者である。政治学、西洋政治思想史を専攻する。東京大学や学習院大学で教鞭を執った。
大下 八郎(おおした はちろう、1942年7月1日 - )は… 大下 八郎(おおした はちろう、1942年7月1日 - )は、日本の演歌歌手。秋田県能代市出身。 中学卒業と同時に上京後、幼少時から得意としていた民謡を武器にのど自慢あらしをしていた。その後マイナー・レーベルから歌手活動をしていた所を日本コロムビアの関係者に認められ、作曲家・船村徹のレッスンを受ける。 1963年、船村が作曲を手掛けた『朝焼け太平洋』でデビュー。芸名の由来は、レッスン中の叱責にも動じることなく受け流す事から船村があきれて評した「たいした野郎だ」から大下八郎と命名された。 1964年、コロムビアでの初吹込み曲『おんなの宿』を6作目のシングルとして発売しヒット。自身の代表曲となった。
西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - … 西村 幸次郎(にしむら こうじろう、1942年5月1日 - )は、日本の法学者。専門は現代中国法。早稲田大学教授、大阪大学教授、一橋大学教授を経て、山梨学院大学教授・客員教授を歴任、一橋大学名誉教授。 秋田県雄勝郡雄勝町横堀(現・湯沢市)出身。1978年から2002年まで日本現代中国学会理事(事務局長、常任理事等、2012年から顧問)、1981年から1987年まで早稲田大学憲法懇話会事務局長、1991年から2003年まで「社会体制と法」研究会運営委員、1994年から2000年まで日中人文社会科学交流協会評議員、2000年大学基準協会相互評価委員会専門分科会委員、2003年から2005年まで科学研究費補助金による研究課題「中国民族法制の総合的研究」代表者、2006年から2008年まで日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員及び国際事業委員会書面審査員を歴任。
髙松 和夫(たかまつ かずお、1942年4月10日 - )は… 髙松 和夫(たかまつ かずお、1942年4月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一国会対策委員会副委員長・秋田県総支部連合会代表、秋田県議会議員(5期)などを歴任した。 秋田県山本郡山本町(現・三種町)出身。秋田県立能代高等学校卒業後、中央大学に進学。卒業後は同大学院社会学専攻修士課程を修了した。経営コンサルタントを務めていた。 1991年秋田県議会議員選挙に、当時の山本郡選挙区(現在は、区割り変更により、「能代市・山本郡選挙区」)より出馬し、斉藤滋宣(現・能代市長)と共に初当選。当時は自民党員であった。自民党離党後の1999年の県議選で3選を目指すも、参議院議員に鞍替えした斉藤の後継候補の武田英文(旧二ツ井町地盤)、および現在の八峰町を地盤とする金谷信栄の両自民党候補に阻まれ落選(以降、山本郡の南部3町→現在の三種町を地盤とする県議は区割り変更された現在まで出ていない)。
皆川 嘉左エ門(みながわ かざえもん、1942年3月10日 … 皆川 嘉左エ門(みながわ かざえもん、1942年3月10日 - 2018年4月3日)は秋田県平鹿郡十文字町(現:横手市)出身の彫刻家。自他ともに「農民彫刻家」を称する。 1942年、秋田県平鹿郡十文字町仁井田に生まれる。1960年に秋田県立増田高等学校を卒業、農業をはじめる。かたわら能面づくりをおこなうが、1962年より彫刻を手がける。おもに木彫を制作している。「老人百姓」「百歳のばあさま」「休耕田に佇む」などの作品は県内各地の公共施設等に展示されている。1999年には、大雄村(現:横手市)の重福寺より仁王像の制作依頼を受け、その作品は「平成の仁王」と呼ばれて注目を浴びた。 1975年11月、日展に初入選、以後、数回にわたり入選した(全7回)。
金子 利喜男(かねこ りきお、1942年- )は、日本の法学… 金子 利喜男(かねこ りきお、1942年- )は、日本の法学者。国際法学者。秋田県由利本荘市出身。 早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科博士課程満期取得退学(指導教授:入江啓四郎、宮崎繁樹)。その後、高崎経済大学経済学部非常勤講師を経て、1982年、札幌大学外国語学部ロシア語学科助教授(国際関係論など担当)。1995年、札幌大学外国語学部ロシア語学科教授。2000年、世界市民法廷会長。2007年、NPO法人北海道ロシア文化協会副会長。2009年世界平和連邦府会長。2013年、札幌大学定年退職。札幌大学名誉教授。北東アジア共同体平和機構会長。2015年、第18回統一地方選挙の北海道議会選挙に札幌市豊平区選挙区から無所属で出馬したものの、最下位の3702票で落選した。
吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - … 吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の医学者。元東北大学総長。東北大学名誉教授。医学博士。専門は脳神経外科学。秋田県秋田市土崎港出身。 1961年3月秋田県立秋田高等学校卒業(東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅は同期)。1968年3月東北大学医学部医学科卒業。1977年東北大学より医学博士の学位を取得。 1975年4月東北大学助手。1982年5月同助教授。1988年4月同教授。2002年11月から2006年11月まで東北大学総長。日本学術会議会員も務めた。 2007年4月独立行政法人大学入試センター理事長に就任。2013年まで務める。同年医療法人社団親和会西島病院名誉院長。
高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日… 高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日本の作家、脚本家。秋田県出身。高階 秋成(あきなり)は彼の別名である。本名は高階 茂嘉(しげよし)。 秋田県立角館高等学校卒業後に上京。1970年代から、映画やドラマ、アニメの脚本で活躍。代表作は『太陽にほえろ!』『ルパン三世』。 ルパン三世第二シリーズでは、最も登板数が多い脚本家である。第三シリーズでも数多く執筆している。その頃から、渡哲也、松田優作、宮崎駿らと親交があった。1989年に仙北市田沢湖町に帰郷し、作家として活動。秋田魁新報で「高階航のアラスカぼたっこ釣り騒動記」「振りかえれば」などを連載した。 2018年10月10日、高階の自宅で身元不明の遺体が発見された。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月… 加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月8日 - )は、秋田県出身の元競輪選手。 秋田県立六郷高等学校を経て法政大学に進学。同大学在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピック・チームタイムトライアル(TTT)に出場し19位。その後、日本競輪学校第22期生を経て競輪選手となった。1985年(昭和60年)5月20日選手登録削除。 引退して秋田県に帰郷後は美郷町飯詰駅前のタクシー会社の経営にたずさわった。
清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )… 清國 勝雄(きよくに かつお、1941年11月20日 - )は、秋田県雄勝郡雄勝町(現・湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 忠雄(さとう ただお)。最高位は東大関。現役時代の体格は182cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 元十両・玉ノ国、元関脇・玉乃島の兄弟は甥。二男の嘉由生は林家木久扇門下の落語家、林家希林。 現夫人は国宝犬山城12代目城主平岩親吉の末裔。 中学3年時に同郷の元横綱・照國の荒磯部屋から熱心に勧誘され、夏休み中の体験入門だけのつもりで上京したが両親の同意や住民票の移転など根回しされたことで観念して入門を正式決定。1956年9月場所初土俵。
新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22… 新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。秋田県卓球協会名誉会長。 秋田県秋田市出身。早稲田大学教育学部卒業後、秋田銀行入行。職員組合委員長、横手、仙台などの支店長を務め、取締役昇格後は長らく企画担当を務めた。 2001年(平成13年)、2期4年頭取を務めた諏訪純人の退任に伴い頭取に昇格した。トップ在任時は2001年の赤字決算を受け翌年度から経費を16億円削減したほか、秋田市内店舗の統廃合など経営体質のスリム化に努めた。また、法人融資の底上げに取り組むため法人営業チーム、仙台法人営業本部の部署を立ち上げたほか、2007年(平成19年)3月末には1年ぶりに総預金期末残高を2兆円に回復させる施策も講じた。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )… 加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )は、日本の外交官、12代プロ野球コミッショナー、三菱商事特別顧問で2009年6月より社外取締役。埼玉県生まれ、秋田県由利郡由利町(のちの由利本荘市)出身。 成蹊高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。東大法学部在学中に外務公務員試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省。イェール大学で英語研修。 アメリカンスクール(英語研修組)のエースとして早くから嘱望されていた。1995年(平成7年)、北朝鮮外交に対応するため、加藤がアジア局長に、同期でアメリカンスクールの折田正樹が北米局長に任命された。総合外交政策局長、外務審議官(政務担当)などを歴任し、2001年(平成13年)10月に駐米大使に任命される。
石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980… 石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。 長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。 社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。
高橋 隆(たかはし たかし、1941年4月5日 - )は、秋… 高橋 隆(たかはし たかし、1941年4月5日 - )は、秋田県大仙市出身の元騎手・元調教師。 義父に元調教師の大久保石松、義弟に元調教師の沖芳夫。 長男の高橋亮も元騎手で現調教師。 稲作と養鶏を営む兼業農家を生業とする家に6人兄姉の次男として出生したが、長女・四女がそれぞれ婿養子を貰い家業を相続。その背景から長男である謙治は家業を継がず、中学卒業後に家を離れ大阪・春木で騎手となる。 運動を得意としていた隆はバスケットボール・野球などでその機敏さを発揮し、謙治の影響を受けて騎手を志すようになっていたが、運動神経の良さを見込まれ角館高校バスケット部より誘われた経緯から同校を受験し合格。「もし背が伸びてしまい騎手を断念するようなことがあればバスケットのコーチ・監督をやれたらいい」と当時考えていたが、角館高校への入学を間近に控えた矢先に両親に何も告げず実家を出て京都へと向かう。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は… 井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県大館市出身。大館鳳鳴高等学校中退。舞台芸術学院卒業。現代制作舎に所属していた。 特技は殺陣、東北弁。蜷川幸雄の「現代人劇場」に参加。 映画では市川崑作品に複数回起用されていた。 (1984年、TX / 勝プロ) ※1980年製作
渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のイン… 渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のインド哲学研究者。東海大学名誉教授。 ブラフマニズム世界は紀元前 6 世紀頃から紀元前後ころまでにかけて形成され、後のヒンドゥー教世界の社会的基盤となった。この世界の形成の全体を最初期のダルマシャーストラ(Dharmasaastra 古典期インドにおける倫理・道徳・価値観・法律・社会制度に関する百科全書)を中心資料として解明している。 多様性の中の統一性という言葉によって表現されるインド文明の特徴について、その形成過程および実態を文明論的見地に立って考察している。
佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の… 佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の医学者。仙台富沢病院院長。秋田看護福祉大学初代学長。東北大学名誉教授。医学博士。 秋田県北秋田市出身。2004年12月31日付で、定年退職まで3カ月を前に東北大学を退職し、翌年1月23日に秋田桂城短期大学の学長に就任。これは、2005年4月開学の秋田看護福祉大学の学長就任含みと同大学の開学準備に伴うものであった。 2005年4月、秋田看護福祉大学開学と同時に、同大の学長と看護福祉学部看護学科教授に就任。2009年4月、前月で退職した教員に代わり、看護福祉学部長を併任。2010年3月、任期満了を理由に、同大の学長・学部長・教授職を退職した。
木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、… 木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計9個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を支える選手の一人として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。元日本卓球協会副会長。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権では星野展弥と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 李富荣(英語版)組 (中国) に3-1で勝利。決勝でもゾルターン・ベルシック(英語版) / フェレンツ・シド組 (ハンガリー) を3-1で下し金メダル。
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は… 中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のENEOSサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)などの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチも務めた。退任後、秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組む。 渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている。
佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 20… 佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 2016年7月31日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 京都大学名誉教授。専門は日本近代政治史。秋田県大仙市出身。 立教大学文学部において大久保利謙の指導を受けた。国立国会図書館司書補佐として、憲政資料室において「三条実美関係文書」や「広沢真臣関係文書」の整理や目録編纂を行う。1977年に京都大学人文科学研究所助教授となり、1988年に教授に昇任。2004年に定年を迎える。幕末・維新から自由民権期にかけての政治史や人物史を中心に多数の著書・論文を執筆したほか、『大津市史』など自治体史編さんにも参画した。また2000年から2004年まで明治維新史学会会長を務めている。
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 20… 西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 2023年12月5日)は、日本の小説家。 新潟県生まれ、秋田県仙北郡西木村(現・仙北市)育ち。 1959年秋田県立秋田高等学校卒業。早稲田大学教育学部社会科中退。平凡出版(現マガジンハウス)に入社し『平凡パンチ』『週刊平凡』『ポパイ』等の編集に携わる。 1980年に独立して作家活動開始。デビュー作『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞新人賞、1988年にヴィクトル・スタルヒンを題材とした小説「凍れる瞳」及び「端島の女」で第99回直木三十五賞を受賞。以降、綿密な取材に基づくドキュメンタリーライクな作品を数多く発表する。妻は女優の桑原幸子。
石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月… 石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月18日 - )は、日本の政治家。元秋田県仙北市長。旧角館町(現・仙北市)長。 秋田県仙北郡角館町出身。秋田県立角館高等学校を経て、東北大学工学部精密工学科卒、同大学大学院工学研究科修士課程修了。修了後は神戸製鋼所に入社、圧縮機設計課長などを歴任する。1988年、帰郷し、横手市の横手精工に入社し、工場長となる。1994年、角館町助役に就任、2005年、同町長に当選する。同年、角館町は田沢湖町、西木村と合併し、仙北市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、元西木村長と元田沢湖町課長を破って当選した。仙北市長を1期務め、2009年の市長選挙では再選を目指したが、元秋田県議の門脇光浩に敗れた。