桜庭 統(さくらば もとい、1965年8月5日 - )は、日… 桜庭 統(さくらば もとい、1965年8月5日 - )は、日本の男性作曲家、キーボード奏者。秋田県出身。
秋田県:1,144人
桜庭 統(さくらば もとい、1965年8月5日 - )は、日… 桜庭 統(さくらば もとい、1965年8月5日 - )は、日本の男性作曲家、キーボード奏者。秋田県出身。
高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )… 高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。秋田県横手市出身、三菱商事所属。 IPC 陸上競技クラス T11 、身長 169cm 、体重 58kg 。血液型A型。 2004年、アテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。2006年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン金メダルの世界選手権者。2004年、国際盲人マラソンかすみがうら大会で当時の世界最高記録で優勝他、クラス T11 の 5000m 、 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。 農家の長男として生まれ、横手市立黒川小学校、同横手西中学校を経て秋田県立大曲農業高等学校に入学した。
太田 治 (おおた おさむ、1965年3月23日 - )は、… 太田 治 (おおた おさむ、1965年3月23日 - )は、日本の元ラグビー選手、指導者。JAPAN RUGBY LEAGUE ONE NECグリーンロケッツ東葛のアドバイザーを務める。 秋田工業高校から明治大学へ進学し、3年時には、全国大学選手権優勝に貢献。4年時には日本代表に選出、1986年のアメリカ戦で初キャップを得る。 卒業後の1987年、日本電気に入社。1990年から2年間は主将を務める。 日本代表としては宿澤広朗監督の下、1989年5月28日のスコットランド戦での歴史的勝利や、1991年W杯初勝利に貢献。1995年W杯にも出場した。 2000年、NECグリーンロケッツの監督に就任。2002年度の日本選手権優勝に導く。
水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 201… 水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 2014年1月10日)は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は140km/h台の速球とシュートを中心とする投球スタイルだった。 秋田商では3年夏に秋田県大会決勝で秋田経大付属に敗れるなど、全国大会への出場はなかった。素質を評価され、高校卒業後は社会人野球の河合楽器に進んでいる。1986年は都市対抗野球1回戦で完投勝利すると続くNTT北陸戦も先発したが補強の杉山孝一に2本塁打を浴びて敗れた。日本選手権では1回戦の対日本生命戦で田島俊雄に投げ勝つなど、ベスト8進出に貢献した。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツ、阪神タイガース、ロッテオリオンズの3球団から2位で指名を受け、巨人が交渉権を獲得。
後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、… 後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は農家で、家業を継ぐために進学した園芸科のある増田高から1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 1985年と1986年は、MLB傘下の1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。一軍での登板がないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後は打撃投手に転身し、広報担当を経てファームディレクター補佐兼若獅子寮長兼メディカル統括。2022年現在は一軍用具チーフ。
小松 直之(こまつ なおゆき、1965年1月6日 - )は、… 小松 直之(こまつ なおゆき、1965年1月6日 - )は、日本の男性漫画家、イラストレーター。秋田県南秋田郡若美町(現在の男鹿市若美地区)出身。血液型はAB型。 秋田県立秋田高等学校卒業。東北大学工学部を進級年限修了退学。 東北大学の理系学部を退学後、文学座演技部研究生という異色の経歴の持ち主。 月刊漫画誌「コミックアレ!」(マガジンハウス)で連載した『電脳巡警』で、第1回COMICアレ!マンガ大賞新人賞を受賞。この漫画は、眼鏡をかけた紳士的なアンドロイドが主人公の刑事の相棒になって二人で活躍するという、近未来的なSF物である(ちなみに第1話は、相棒がアンドロイドであることに主人公が気づかないまま終わる)。
元祖爆笑王(がんそばくしょうおう、本名:高橋 裕幸(たかはし… 元祖爆笑王(がんそばくしょうおう、本名:高橋 裕幸(たかはし ひろゆき)、1964年11月4日 - )は、放送作家、演芸作家、演芸プロデューサー。秋田県能代市出身。高田文夫事務所所属。
畑澤 聖悟(はたさわ せいご、1964年8月 - )は、日本… 畑澤 聖悟(はたさわ せいご、1964年8月 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、放送作家、俳優、青森県の公立高校教師。劇団・渡辺源四郎商店店主(主宰)。青森県を中心に、国内外を問わず演劇活動を行っている。秋田県生まれ。秋田県立秋田高等学校、秋田大学教育学部卒業。 1964年、秋田県南秋田郡五城目町に生まれる。秋田大学在学中から、秋田市内の多くの劇団に参加。卒業後は教職に就き、秋田市立秋田北中学校に赴任する。1991年から劇団弘前劇場に俳優として参加、青森県に移住。1995年、青森県立高校の教諭となり、青森県立青森中央高校に赴任、演劇部顧問となる。 この頃からテレビドラマやラジオドラマの脚本・演出も担当するようになり、1998年には放送批評懇談会ギャラクシー大賞ラジオ部門最優秀賞、1999年『県立戦隊アオモレンジャーfirst』で日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞、2000年『シュウさんと修ちゃんと風の列車』で文化庁芸術祭大賞を受賞。
石井 浩郎(いしい ひろお、1964年6月21日 - )は、… 石井 浩郎(いしい ひろお、1964年6月21日 - )は、日本の元プロ野球選手、政治家、実業家。自由民主党所属の参議院議員(3期)。 2010年、参議院議員選挙に自由民主党から立候補し、初当選。以降3回連続当選。秋田県南秋田郡八郎潟町出身。 八郎潟町立一日市小(6年生の時に統合して八郎潟町立八郎潟小学校となる)、八郎潟町立八郎潟中学校を卒業後、1980年に県内一の進学校であり、県内では野球強豪校でもある秋田県立秋田高等学校に進学。1年先輩に主将を務めた猿田和三がいた。1981年秋季東北大会に進み、東北高との1回戦で投手として先発、金子誠一と投げ合うがコールド負けを喫する。翌年夏も秋田大会で敗れ甲子園には出場できなかった。
竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、… 竹林 宏(たけばやし ひろし、1964年6月8日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 秋田県立横手高等学校卒業。高校時代には野球部で活動。早稲田大学第一文学部卒業。1987年NHK入局。スポーツアナウンサーとして、主に球技系の競技の実況を多く担当している。2007年の全国高校野球の夏大会の決勝戦の実況も担当。春の大会の開会式の実況も担当。 安定した語り口調、滑舌、知識はスポーツファンの中では有名である。ファンも一定数居る。
門間 貴志(もんま たかし、1964年3月17日 - )は、… 門間 貴志(もんま たかし、1964年3月17日 - )は、日本の映画研究者、明治学院大学文学部芸術学科教授。
松田 知己(まつた ともみ、1963年〈昭和38年〉9月1日… 松田 知己(まつた ともみ、1963年〈昭和38年〉9月1日 - )は、日本の政治家。秋田県仙北郡美郷町長(6期)。 秋田県仙北郡仙南村金沢西根二ツ柳出身。仙南村立仙南西小学校、同仙南中学校を卒業後、1982年に秋田県立横手高等学校を卒業。東北大学農学部に入学し、1986年3月に同大学同学部を卒業。同年4月、秋田県職員に採用された。 以後、秋田県の農政に携わり、1995年4月からは秋田県農業試験場(秋田市四ツ小屋)主任を務めた。同年8月、激しい選挙戦の末、仙南村長となった斎藤克己より助役就任の要請を受け、9月に秋田県庁を退職して助役に就く。 斎藤村長が1期で退任したのち、2000年8月の村長選に立候補して無投票当選し、37歳で仙南村長に就任した。
奥田 ひとし(おくだ ひとし、男性、1963年8月15日 -… 奥田 ひとし(おくだ ひとし、男性、1963年8月15日 - )は、日本の漫画家。代表作は『天地無用!』、『でたとこプリンセス』など。 秋田県仙北郡協和町(現:大仙市)出身。秋田県立秋田高等学校、駒澤大学経済学部卒業。在学中に「LEO」のペンネームで、徳間書店の季刊誌「ハイパーゾーン」に連載された『カナミ - 時の瘡痕』でデビュー。 大学卒業後は大手ハムメーカーに営業マンとして就職し断筆したが、漫画家への夢を捨てきれず1989年の手塚治虫逝去をきっかけに退社、出渕裕・結城信輝らの下でアシスタントとして修行を積む。当時の実績から、ゼネラルプロダクツが発刊したゼネプロカタログでは「日本の二大トップアニメーターの元で修行した漫画家」と紹介されている。
進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )… 進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 財務大臣政務官、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官、全国土地改良政治連盟顧問を歴任した。 秋田県協和町(現・大仙市)船岡出身。現在は千葉県在住。農家の家に4人兄弟の次男として産まれる。「金日子」の名前は町議も務めた父親が雷が鳴った時に産まれた子供の名前には「金」の字をつけるという習わしと、7月7日の七夕の日に産まれたことから「彦」の字をつけ、「金彦」としようとしたがどちらの字も「剛」であることから、農家にとって重要な「日」と位の高い人物につける字である「子」を合わせたという。
佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日… 佐藤 一夫(さとう かずお、1963年(昭和38年)5月2日- )は、日本の政治家。秋田県湯沢市長(2期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校、中央大学卒業後、旧湯沢市役所財政課に就職。 2019年4月、当時市長だった鈴木俊夫により副市長に任命される。 2020年、鈴木の引退宣言を受け湯沢市長選挙に出馬表明。自由民主党籍を有するものの、元日本共産党員であった鈴木市政の発展的継承を訴え、2021年4月4日に行われた湯沢市長選挙に無所属で立候補。元市議の高橋大輔ら2候補を破り初当選した。 2025年、無投票で再選。
渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )… 渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )は秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重155kg。 父親が村相撲で活躍しており、自身も小学生の頃から体格が大きかったこともあって、柔道を始めるようになった。大曲中学から秋田経済法科大学附属高校に進むも、この当時大きな実績はなかった。秋田経済法科大学に進むと、山下泰裕の最大のライバルの一人だった柔道部監督である遠藤純男の指導を受けることになり、実績を上げるようになっていった。3年の時には全日本選手権に出場すると、初戦となる2回戦で山下と対戦した。山下が指導を先取するも、中盤に渡辺が蟹挟を仕掛けると山下は腰から崩れて尻餅をついた。
松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、… 松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、 秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身の元プロ野球選手(投手)。 父親とのキャッチボールをきっかけに野球を始める。小学校では本来4年生からのところ、3年生から野球部に入部した。6年生のときに全県大会で準優勝。角館中学校では1年生から投手を務めた。 秋田経大附高時代は1年春からベンチ入りし、1981年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では丸亀商業高、音重鎮のいた星稜高を降し準々決勝に進出するが、この大会に準優勝した印旛高の佐藤文男投手と投げ合い、延長10回で敗退。夏の選手権ではエース竹下浩二を擁する興南高、古溝克之のいた福島商業高を破り3回戦に進むが、志度商業高に延長10回サヨナラ負け。
猿田 和三(さるた かずみ、1963年〈昭和38年〉4月3日… 猿田 和三(さるた かずみ、1963年〈昭和38年〉4月3日 - )は、日本の地方公務員で、秋田県秋田市副市長。元秋田県副知事。学生時代には東京六大学野球連盟の選手としての活動歴がある。 秋田県秋田市出身。実家は猿田興業で、3人兄弟の末っ子だった。4歳のころには5歳年上の兄とキャッチボールを始める。小学生のとき、兄が通う秋田県立秋田高等学校が夏の秋田大会で優勝。1年だった兄が打席に立つことはなかったが、兄や見知った顔の選手たちが喜びに沸く姿を球場のスタンドから見ていた。「甲子園に行くってすごいことなんだ」と、甲子園出場を目標にする。 兄の後を追う形で秋田高校に進む。硬式野球部の主将を務め、1学年下の石井浩郎と主軸を形成した。
森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋… 森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(捕手)。 金足農業高では、小野和幸とバッテリーを組む。 高校卒業後、三井造船千葉に入社するが1年半で退社し、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格。しかし、社会人野球に登録されたことのある選手で高卒の場合は3年間はプロ入りできない規定のため、入団には至らずに帰郷して建設会社で働く。 翌年も再びテストを受けて合格し、1983年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。しかし、一軍公式戦への出場がないまま1989年に退団。
手塚 一志(てづか かずし、1963年1月5日 - )は、徳… 手塚 一志(てづか かずし、1963年1月5日 - )は、徳島県三好郡井川町出身のパフォーマンスコーディネーター、体育学修士、有限会社ベータエンドルフィン代表取締役。 操育、シンクロ打法、うねり打法、ジャイロボール、W-スピン、クオ・メソッドなどの発表で知られる、スポーツ科学者。東北楽天ゴールデンイーグルス・パフォーマンス・コーディネーター。2013年よりSWBC・JAPAN(ストロングリーグ日本代表)パフォーマンス・コーディネーター。2015年より理化学研究所客員研究員。 1963年1月5日、徳島県三好郡に産まれる。 徳島県立池田高等学校では野球部の内野手として活躍する。蔦文也の指導を受け、レギュラーは獲得したが、甲子園出場はかなわなかった。
中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現… 中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現代美術家。東京藝術大学教授。 村上隆と共に「中村と村上」展や「大阪ミキサー計画」などを活動を展開した後、コンビニの看板を作品化したシリーズやマクドナルドのMサインを作品化するなど、作品展開を進め、1998年よりアーティスト・イニシアティブ「コマンドN」を主宰。「氷見クリック」(富山県氷見市)、「ゼロダテ」(秋田県大館市)、「アーツ千代田3331」(東京都千代田区)などの社会芸術家である。 「QSC+mV」 ※マクドナルドのMサイン 代表的なものは、美術と教育プロジェクトと銘打ったものである。美術家や美術系大学の職員などにインタヴューを通して、美術の解明作業とでもいうべき言説を形成し、インタヴュー集『美術と教育』(1997)、『美術の教育』(1999)、『美術に教育』(2004)の三著作として集成したものがある。
赤塚 佳仁(あかつか よしひと, 1963年- )は、日本の… 赤塚 佳仁(あかつか よしひと, 1963年- )は、日本の映画美術監督、プロダクション・デザイナー、セットデコレーター、美術プロデューサー。 株式会社 京映アーツの副社長取締役、兼同社Suns Décor代表。 台湾台北市に妙圓國際映像有限公司(Muse Taipei Pictures Co., Ltd)を設立、代表取締役社長。 1983年株式会社フジテレビジョンの装飾小道具会社「テレフィット」のアルバイトとしてキャリアをスタート。その後フリーに。 1988年リドリー・スコット監督日米合作作品、ブラック・レインにセットドレッサーとして参加、 それがきっかけに、佐々木京二、鈴村高正、大光寺靖とともに株式会社京映アーツを設立。
滝澤 博胤(たきざわ ひろつぐ、1962年12月 - ) は… 滝澤 博胤(たきざわ ひろつぐ、1962年12月 - ) は、日本の化学者。国立大学法人東北大学理事・副学長。元日本電磁波エネルギー応用学会理事長。 新潟県生まれ。1981年秋田県立秋田高等学校卒業。1985年東北大学工学部応用化学科卒業。1990年東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了、工学博士、東北大学工学部分子化学工学科助手。1993年東北大学素材工学研究所助手。1994年テキサス大学オースティン校客員研究員(文部省在外研究員)。1995年東北大学工学部分子化学工学科助教授。1997年東北大学大学院工学研究科材料化学専攻助教授。2004年東北大学大学院工学研究科応用化学専攻教授。2010年東北大学総長特任補佐。
土田 雅人(つちだ まさと、1962年10月21日 - )は… 土田 雅人(つちだ まさと、1962年10月21日 - )は、日本のラグビーユニオンにおける元選手・元監督。日本ラグビーフットボール協会第15代会長、ワールドラグビー理事、サントリーホールディングススポーツ事業推進部担当常務執行役員。 秋田県秋田市寺内生まれ。秋田市立土崎中学校、秋田県立秋田工業高等学校から同志社大学に進学。同志社大学時代のチームメイトでもあった平尾誠二とは、旧友でありライバルでもあった。 平尾誠二、大八木淳史、二見健太郎らと共に大学選手権3連覇に貢献。卒業後にサントリーへ入社し、ラグビー部に所属。1995年に現役引退して監督就任、1年目で日本選手権初優勝に導く。 1997年には平尾誠二監督率いるジャパンのフォワードコーチとしてワールドカップに出場し、2000年に平尾監督と共に辞任。
高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、… 高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 秋田商業高校では甲子園に3回出場。2年生の時、背番号11ながらエースとして1979年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で永田利則のいた広島商に敗退。 1980年は春の選抜に出場。140km/h近い速球を投げ、1回戦では玄岡正充を擁する鹿児島商工を4安打1失点に抑え完投勝利した。チームにとって19年ぶりとなった準々決勝では帝京高の伊東昭光と投げ合い、5安打2失点で完投したものの0-2で敗れた。試合途中で右足に激痛が走り大会終了後に診察を受けたところ、親指付け根付近の骨が砕けていることが判明した。
小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、… 小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 金足西小3年の時に野球を始め、北中から秋田県立金足農業高等学校に進み、1年秋からエースとなる。1979年秋季東北大会県予選決勝に進出、秋田商の高山郁夫と投げ合うが敗退、本大会には進めなかった。翌1980年の夏の甲子園県予選では、準決勝まで進むが能代高に敗れる。高校では同期の森田実(巨人)とバッテリーを組んだ。 複数球団が注目し、社会人野球への進路を決めていたなか同年ドラフト外で西武ライオンズへ入団。1年目に二軍で当時リーグ記録の15勝で最多勝、1983年にも受賞。1984年に最優秀防御率を獲得。
いずみ 尚(いずみ ひさし、1962年8月9日 - )は日本… いずみ 尚(いずみ ひさし、1962年8月9日 - )は日本の男性声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。秋田県出身。横浜放送映画専門学院演劇科7期卒業。旧芸名に泉 尚摯(いずみ しょうじ)、ヰズミ(いずみ)。以前はケッケコーポレーションに所属していた。身長166cm。
大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )… 大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )は日本の政治家、経営者。由利本荘市議会議員(1期目)。 本名は大友 孝徳(読み同じ、政治家としては本名名義)。秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身。18歳で上京し、32歳でアパレル系の企画会社を経営。廃業後の2017年、37年ぶりに帰郷。その後、2018年5月に自己破産し、大友商店の屋号で再スタートを切る。大友商店では、「鳥海山麓ごっつぉ蕎麦」や秋田県の物産を扱うECサイトを開設。 大友商店に加え、「ゆりぷらざ」や「自由食堂」を次々と開業させ、子供たちのために子ども食堂も開業している。 また本荘駅前市場で「昼市」「夜市」「さいかい市」などを開催し、地域の賑わいに努めている。
安田 久(やすだ ひさし、1962年7月15日 - )は、日… 安田 久(やすだ ひさし、1962年7月15日 - )は、日本の実業家。
加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、… 加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、秋田県横手市(旧平鹿郡大森町)出身のバスケットボール指導者である。
小松 晃(こまつ あきら、1962年4月3日 - )は、秋田… 小松 晃(こまつ あきら、1962年4月3日 - )は、秋田県由利町(現:由利本荘市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。S級コーチングライセンス保持者。 TDKサッカー部(現:ブラウブリッツ秋田)元監督の小松勉は弟に当たる。 1981年1月、秋田県立西目農業高校(現:秋田県立西目高校)3年時の第59回全国高等学校サッカー選手権大会で、キックオフ直後にセンターサークル付近から相手ゴール目掛けてロングシュートを蹴り込み、50メートル弾を決めた。同月に現役高校生ながら当時の日本代表監督の川渕三郎に招集され、1月30日のポーランド選抜戦でデビュー。国際Bマッチ1試合に出場。JFAによるナショナルトレセン制度を経験した初の代表選手となった。
石垣 政和(いしがき まさかず、1962年(昭和37年)3月… 石垣 政和(いしがき まさかず、1962年(昭和37年)3月25日 -)は、秋田県を中心に活動するローカルタレント。 秋田県雄勝郡羽後町出身。秋田県立羽後高等学校卒。秋田テレビ(AKT)の「なんでもアリーナ」に於いて、明るいキャラクターで人気を博す。「なんでも-」以降、テレビでは主にAKTを中心に活躍。 東北6県に放送された「クボタ民謡お国めぐり」では、番組終了時まで司会を務めた。 秋田パイロット倶楽部会長。
三遊亭 丈助(さんゆうてい じょうすけ、1962年1月15日… 三遊亭 丈助(さんゆうてい じょうすけ、1962年1月15日 - )は、落語協会所属の落語家。本名∶浅野 成司。秋田県男鹿市出身。 1980年秋田県立男鹿高等学校卒業。1982年東京デザイナー学院アニメーション科卒業。テレビ局の大道具係、ダイビングインストラクター、印刷関連会社勤務などを経て2004年、42才で初代三遊亭圓丈に入門。。2005年4月、前座となる、前座名は「たん丈」。 2008年11月11日、二ツ目昇進。 2020年3月下席より春風亭一左、三遊亭志う歌、六代目玉屋柳勢、三遊亭歌扇と共に真打昇進、「丈助」に改名した。 なまはげを題材にしたオリジナルの小噺を得意とする。 落語協会の入門制限規約を作った当事者である。
麓 幸子(ふもと さちこ、1962年(昭和37年)1月12日… 麓 幸子(ふもと さちこ、1962年(昭和37年)1月12日 - )は、日本の著述家、政治活動家、社会福祉士で、元編集者、元日経ウーマン編集長。 秋田県北秋田郡比内町扇田(現在の大館市比内町扇田)生まれ。秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、筑波大学第一学群人文学類(フランス哲学専攻)を卒業。大学卒業後は日経BPに入社し、日経ウーマン編集長、執行役員などを歴任する。のちに法政大学大学院経営学研究科を修了する。また、内閣府、文部科学省、林野庁などの有識者委員や秋田県障害者施策推進審議会委員を務める。 2019年(平成31年)に帰郷し、大館市長選挙に立候補したが、現職の福原淳嗣に敗れた。 選挙後は生まれ育った比内町を共生社会づくりの拠点として「比内ヒルズ」と名づけた。
柳川重規(やながわ しげき、1962年 - )は、日本の法学… 柳川重規(やながわ しげき、1962年 - )は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学修士。中央大学法学部教授。中央大学日本比較法研究所長。警察政策学会会長。 渥美東洋(中央大学名誉教授)・椎橋隆幸(中央大学名誉教授)門下。英米法判例を軸とした刑事訴訟法の研究を行っている。米国の刑事裁判制度の研究経験から、裁判員制度などにも詳しい。
柴田 育秀(しばた いくひで、1962年 - )は、日本の構… 柴田 育秀(しばた いくひで、1962年 - )は、日本の構造家。オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン リミテッド所属(2020年現在)。 秋田県横手市出身。1986年に茨城大学工学部建設工学科を卒業後、株式会社類設計室に入社。1996年にアラップ(Arup)入社、2020年現在、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン リミテッドのダイレクター、ビルディングエンジニアリングチームリーダー。 2015年現在、自身が関わってきた最小のプロジェクトが「Ribbon Chapel」(広さ72m2)、最大が台湾タワー(高さ300mで建設予定)だという。 2011年から慶應義塾大学大学院非常勤もしている。
泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医… 泉谷 閑示(いずみや かんじ、1962年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神療法。音楽家、評論家でもある。 1962年に秋田県平鹿郡十文字町(現・横手市)に生まれる。東北大学医学部卒業。精神科医。大学時代に音楽理論や作曲法の個人教授を受ける。東京医科歯科大学医学部附属病院、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。同時に、パリ日本人学校教育相談員を務めた。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京・広尾)院長。また、舞台演出や作曲家としての活動も行っており、「横手市民歌」等の作品がある 。
三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - … 三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - )は、秋田県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。段位は七段。身長178cm。2016年現在は秋田大学教育文化学部の教授を務める。 秋田高校から筑波大学へ進学すると、2年の時に新人体重別86kg級で2位に入った。3年の時には正力杯で2位だった。4年の時には講道館杯で3位になった。 その後筑波大学の大学院へ進んだ。さらに八戸工業高等専門学校の教員となると、1986年の講道館杯では3位だったが、選抜体重別では決勝で東海大学4年の村田正夫を破って優勝を飾った。アジア大会では決勝で地元韓国のパク・キュンホに判定で敗れて2位に終わった。
松橋 暁(まつはし さとる、1961年12月6日 - )は、… 松橋 暁(まつはし さとる、1961年12月6日 - )は、秋田県鹿角市出身の元スキージャンプ選手。 秋田尾去沢中学校 - 花輪高校 - 北海道拓殖銀行 1982年、1985年のノルディックスキー世界選手権と1984年サラエボオリンピックに日本代表として出場した。 松橋の出身地の鹿角市ではその功績を讃えて名前を冠した「松橋杯少年ジャンプ大会」(中学生対象)が開かれている。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、… 遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手・指導者。 秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身。小学校の卒業文集に「オリンピックに出たい」と記したという。秋田県立横手工業高等学校在学中、全国高等学校総合体育大会で男子800メートル走に出場、1分50秒9で優勝。高校3年生の時に早稲田大学競走部の中村清監督と出会い、早稲田大学を目指す。高校3年生の入試の結果発表前に行ったニュージーランド合宿中に中村から、不合格であることを伝えられたが、その時に聖書の言葉を引用して「『成功する道は、狭くて険しい』。これから成功する道を選んだのだから、頑張りなさい」と言われ、一浪の末合格した。
賀内 隆弘(かうち たかひろ、1961年8月12日 - )は… 賀内 隆弘(かうち たかひろ、1961年8月12日 - )は、秋田放送のアナウンサー。2025年4月現在、報道制作局報道制作部シニアマネージャーである。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高校卒。法政大学卒業後の1984年、山形放送にアナウンサーとして入社。 山形放送時代、東北6県で放送されていたラジオ番組『我が町バンザイ』のテーマソングレコード「なまって俺についてこい」を東北限定でリリースした。1986年4月に退社。そして、1987年に地元の秋田放送に入社。 中学からはじめた吹奏楽に造詣が深く、吹奏楽コンサートの司会を担当している。「21世紀の吹奏楽 “響宴”」では、2000年(第3回大会)から現在2019年(第22回大会)時点まで長年司会を担当(第3回大会は、総合司会を担当した)。
柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2… 柿﨑 明二(かきざき めいじ、1961年〈昭和36年〉8月2日 - )は、日本のジャーナリスト、帝京大学法学部教授。 元内閣総理大臣補佐官(菅義偉内閣)、共同通信社論説副委員長、編集委員。 秋田県平鹿郡平鹿町(現・横手市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。1984年、毎日新聞社に入社し、1988年に退社して共同通信社に入社。1993年から東京本社政治部に勤務し、2011年より編集局編集委員。2013年からは論説委員を兼任し、2018年に編集委員を外れる。2019年から編集局論説副委員長。この間、独立行政法人評価委員会臨時委員や法政大学法学部兼任講師も務めた。2020年9月16日付で総務局付に異動し、9月30日付で退社。
バリトン伊藤( - いとう、本名:伊藤 浩秋(いとう ひろあ… バリトン伊藤( - いとう、本名:伊藤 浩秋(いとう ひろあき)、1961年8月1日 - )は、秋田県・本荘市(現・由利本荘市)出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ。本名でも活動している。 主に秋田県のテレビ、ラジオ番組への出演やイベントの司会を行い、秋田弁での喋りで人気を得る(本人によると、本職は洋裁業とのこと)。秋田弁を買われて映画「釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?」にもゲスト出演した。
伊藤 新(いとう あらた、1961年(昭和36年)7月22日… 伊藤 新(いとう あらた、1961年(昭和36年)7月22日-)は、日本の実業家、銀行家。北都銀行取締役。 秋田県出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学商学部を卒業後、日本債券信用銀行(現在のあおぞら銀行)に入行。 1991年に羽後銀行(現在の北都銀行)に入行する。北都銀行八橋支店長や秋田西支店長、経営企画部長、執行役員横手支店長、ミナミ保険代表取締役社長などを歴任。 2016年に常務取締役、2017年にはフィデアホールディングス常務執行役を兼ねる。 2018年にはフィデアホールディングス専務執行役および北都銀行取締役専務執行役員となる。 2019年4月1日付けで斉藤永吉の後任として北都銀行代表取締役頭取に就任した。
板垣 克巳(いたがき かつみ、1961年(昭和36年)6月3… 板垣 克巳(いたがき かつみ、1961年(昭和36年)6月3日 - )は、日本の外交官。現在は駐パラグアイ特命全権大使を務める。秋田県秋田市出身。 1984年(昭和59年)3月に埼玉大学教養学部教養学科を卒業後、同年4月に外務省に就職。外務省では、紛争での難民対策や病院や道路等の、インフラ整備に関係する経済的な仕事を担当した 。海外での駐在はスペインやペルー、コロンビア、パナマ、グアテマラなどで通算22年の経験がある。中南米の6カ国で、大使館と総領事館勤務の経験がある上に、人脈も豊富なので一部からは「中南米の専門家」と呼ばれている 。現在のパラグアイは8カ国目の赴任地。 在ペルー日本国大使館で2等書記官だった1996年(平成8年)12月には、在ペルー日本大使公邸占拠事件に巻き込まれ人質になった。
藤 あや子(ふじ あやこ、1961年〈昭和36年〉5月10日… 藤 あや子(ふじ あやこ、1961年〈昭和36年〉5月10日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター。 秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身。バーニングプロダクション所属。 小学4年から民謡を習い、高校卒業後に就職したものの、職を変えながら民謡歌手として活動。秋田県主催の『ミス花嫁コンテスト』に19歳で出場し優勝。1985年には、テレビ番組 『勝ち抜き歌謡天国』(NHK総合)に出演して優勝。 1987年6月21日、CBS・ソニーから村勢真奈美の芸名で、「ふたり川」でテビューした。1989年9月21日、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。この現芸名は事務所の社長の提案によるもので、最初は芸名を一般公募していた。
ブラボー中谷(ブラボー なかや、本名:中谷敏昭 1961年4… ブラボー中谷(ブラボー なかや、本名:中谷敏昭 1961年4月3日 - )は、日本のマジシャン(奇術師)。 秋田県仙北郡千畑町(現、美郷町)出身。アマチュア時代から注目を浴び、マジシャンとして全国を巡りイベントなどに出演する。また、ふるさと秋田県では、タレントとしてテレビ番組、ラジオ番組等に出演中。ほかに、全国中継のレポーターとして秋田県からの中継も務める。
大石 一夫(おおいし かずお、1961年3月24日 - )は… 大石 一夫(おおいし かずお、1961年3月24日 - )は、日本 秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の元プロ自転車ロードレース選手である。 小学校卒業と同時に生まれ育った田沢湖町を父親の転勤により離れ東京に引越し、中学2年生頃から高校2年生頃まで、放課後は自宅近くにある荒川の堤防を一人黙々とランニングを続けた。この時に鍛えた心肺機能や体幹が後の自転車選手としての礎となる。1979年都立北豊島工業高等学校を卒業後、サーティーズ(横尾双輪館主宰のクラブチーム)主催の自転車走行会にサポートメンバーとして参加した際、負傷によって自走できなくなった選手に替わり、初めて本格的なロードレーサーに乗車。その時に感じた爽快感と才能に気付き走行会から帰宅後、横尾双輪館にて中古ロードレーサーを購入し練習に明け暮れる。
きくち 正太(きくち しょうた、1961年1月8日 - )は… きくち 正太(きくち しょうた、1961年1月8日 - )は、日本の漫画家。秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)出身。 大学卒業後から1988年4月に、『獣王バイオ』にて『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)よりデビュー。 漫画家の中でも非常に珍しいガラスペン愛用者。デフォルメされた特徴的な絵により、色気とギャグ、最近は「和」に対する傾倒と蘊蓄を前面に押し出した作風が特徴(ガラスペンを用いるようになったのはこの作画に適した描線を描くためである)。根底には「義理、人情、努力」などの古よりある価値観の存在が[誰によって?]感じられる。釣りに対する思い入れが大きい。 2008年、『おせん』が蒼井優主演により日本テレビ系でテレビドラマ化された。
柳葉 敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は… 柳葉 敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は、日本の俳優、歌手。愛称は、ギバちゃん。秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身。融合事務所所属。 映画館の看板絵師をしていた父・山田四郎と、小学校の教員だった母の間に長男として生まれる。母によると、四郎が稼ぎを全く渡さなかったため両親は離婚し、敏郎は母に引き取られて仙北郡刈和野町(現在の大仙市)にある母の実家に移ったという。母は自身の母と弟夫婦に敏郎の養育を託し、生活費を稼ぐために仕事に勤しむ生活を送った。一方、別居して一人暮らしになった父は38歳の時に脳溢血で急逝。父には敏郎の実母と結婚する前に2年ほどで経済的な理由によって別れざるを得なかった前妻がおり、その間には敏郎の姉に当たる娘がいたことが後になって判明する。