下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 20… 下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。 福島県東白川郡塙町出身。福島大学 学芸学部 (美術科)を卒業後、中学校教員や石川町議を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選に比例区から立候補し再選。 その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙で福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。 党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。 2013年8月27日に心不全のため死去。
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2… 原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2025年7月11日)は、日本の医師。医学博士(東京大学、1975年)。医療法人杏仁会大圃病院(きょうじんかい おおはたびょういん)会長。第18代日本医師会会長。 1940年、茨城県生まれ。福島県浪江町出身。『日本医師会 平成三十年の歩み』にある経歴中で茨城県生まれと記載されているが、『浪江町くらしのガイドブック』には郷土出身者の一人として掲載されている。 1966年に日本大学医学部卒業。1967年に東京大学医学部に入局。1980年に東京大学医科学研究所内科医局長、1990年に東京大学助教授に就任。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げる。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月1… 渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月11日 - 2021年(令和3年)2月7日)は、日本のボクサー。 福島県福島市出身。中央大学在学中に、1960年ローマオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、2回戦敗退した 。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
大高善興(おおたか ぜんこう、1940年3月1日 - )は、… 大高善興(おおたか ぜんこう、1940年3月1日 - )は、日本の企業家。セブン&アイ・ホールディングス傘下のスーパーマーケットヨークベニマル会長、日本チェーンストア協会副会長。 福島県出身。1958年に福島県立郡山商業高等学校を卒業し、父親の大高善雄が創業した紅丸商店(現ヨークベニマル)に入社する。1962年、紅丸商店常務取締役に就任。1984年、ヨークベニマル専務取締役に就任。1994年、副社長に就任。2000年に兄の大高善二郎と交代する形で代表取締役社長に就任し、2003年より最高執行責任者(COO)に就任。15年3月会長CEOに退いた。日本チェーンストア協会副会長も務めた。2023年食料産業特別貢献大賞受賞。
中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月1… 中村 敦夫(なかむら あつお、1940年〈昭和15年〉2月18日 - )は、日本の俳優、作家、脚本家、ニュースキャスター、政治家。 本名は中村 敦雄(読み同じ)。旧姓は遠藤()。身長179cm。株式会社中村企画(1976年 - 2014年)を経て、クロスポイント所属。 勲等は旭日中綬章。参議院議員(1期)、さきがけ代表、みどりの会議代表、同志社大学大学院総合政策科学研究科講師、日本ペンクラブ環境委員長などを歴任した。 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)千早に遠藤家の長男として生まれる。父親は新聞記者。幼少期の1945年に東京大空襲をはじめとする連合国軍による空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。
坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本の… 丹藤 佳紀(たんどう よしのり、1940年 - )は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。中国研究者。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校卒、1963年東京外国語大学中国語科卒、読売新聞社入社。横浜支局を経て外報部勤務。サイゴン・ソウル・北京各特派員、北京支局長、編集委員。2000年から2006年まで東洋大学教授を務める。日中友好協会参与。
若松 宗雄(わかまつ むねお、1940年〈昭和15年〉 - … 若松 宗雄(わかまつ むねお、1940年〈昭和15年〉 - )は、日本の音楽プロデューサー。福島県いわき市生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒業。エスプロレコーズ代表。 1969年 - CBS・ソニーレコード株式会社(現・株式会社ソニー・ミュージックエンターテインメント)入社後、大阪営業所に着任する。セールスの実績を買われ、一年半後に広島営業所の所長となる。当初、広島営業所は全営業所中最下位だったが、若松の着任後一年足らずで売上、回収、キャンペーン等すべての面で全営業所中トップの成績にまで回復する。その実績を認められ、東京第一営業所長に抜擢される。更に制作管理(アーティスト契約なども当時はこのセクションで担当していた)、宣伝部門を経て企画制作部に移り、プロデューサーとして活躍するようになる。
東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同… 東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・元演出家。福島県喜多方市出身。 1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。翌々年の1968年、同プロダクション制作作品である『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。以降同プロダクションや東映制作の特撮テレビドラマを中心に活動を続けた。 特撮監督の佐川和夫とは大学の同期だったが、在学中は全く交流がなく、付き合いは円谷プロで仕事をするようになってからである。 大学卒業後にテアトルプロに入社。助監督として東宝や大映のテレビドラマに参加した。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月… 田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉10月20日)は、日本の登山家。福島県田村郡三春町出身。旧姓は石橋。 女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。 福島県田村郡三春町生まれ。三春小学校卒業。小学4年生の時に那須の茶臼岳に登ったことが(一説には福島・安達太良山とも)登山家への意識の芽生えになったと言われている。福島県立田村高等学校卒業。1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中した。
太田原 高昭(おおたはら たかあき、1939年 <昭和14年… 太田原 高昭(おおたはら たかあき、1939年 <昭和14年> 9月18日 - 2017年 <平成29年> 8月11日)は、日本の農業経済学者。北海道における農業経済学の第一人者の一人。学位は、農学博士(北海道大学・論文博士・1977年)。北海道大学名誉教授。日本学術会議会員。位階は正四位。瑞宝中綬章。指導教授は川村琢。門下生に佐藤信(北海学園大学教授)らがいる。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校を経て、1963年に北海道大学農学部農業経済学科を卒業。恵迪寮出身。1968年に北海道大学大学院農学研究科農業経済学専攻博士課程を修了。 1968年北星学園大学経済学部経済学科講師。1971年北海道大学農学部農業経済学科助手。
安在 邦夫(あんざい くにお、1939年9月12日 - )は… 安在 邦夫(あんざい くにお、1939年9月12日 - )は、日本の歴史学者。早稲田大学名誉教授。専門は日本近現代史(特に自由民権運動史)。 1939年、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。1944年福島県安達郡に転居する。1958年福島県立福島高等学校卒業。1962年早稲田大学教育学部卒業。1966年早稲田大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了、文学修士。1968年、同博士課程入学。1978年早稲田大学第一文学部・第二文学部専任講師、1981年同助教授、1986年同教授。1996年早稲田大学第二文学部長。2010年定年退職、早稲田大学名誉教授。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科非常勤講師(-2012年)。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月… 佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月24日 - 2025年〈令和7年〉3月19日)は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、福島県知事(5期)、全国過疎地域自立促進連盟会長を務めた。 衆議院副議長で元外務大臣の玄葉光一郎は娘婿にあたる。 福島県郡山市生まれ。幼少期、本宮市に転居したが中学生からは再び郡山市で育った。福島県立安積高等学校、東京大学法学部卒業。 日本青年会議所副会頭 等の役職を歴任した後、1983年の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で福島県選挙区から立候補し、初当選を果たした。 1988年、松平勇雄の引退に伴う福島県知事選挙に伊東正義や斎藤邦吉の支援を受け、参議院議員を辞職して立候補し当選を果たした。
田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 201… 田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 2017年8月3日)は、福島県出身のプロ野球選手。 磐城高校から中央大学を経て1962年に中日ドラゴンズへ入団。1965年に引退。
大方 斐紗子(おおかた ひさこ、1939年3月9日 - )は… 大方 斐紗子(おおかた ひさこ、1939年3月9日 - )は、日本の女優・声優である。福島県出身。現代制作舎所属。 幼少期は芝居・映画好きで、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)時代は演劇部に所属していた。 高校卒業後、上京して劇団俳優座付属養成所に合格。10期生として3年間学び、劇団青年座、東京俳優生活協同組合にも所属していた。 30歳で結婚、翌年に1男をもうける。 福島県を舞台としたドラマなどでは方言指導として名前が出ることもある。 声種はメゾソプラノ。方言は福島弁。 特技は歌(クラシック・シャンソン)、ダンス、日本舞踊、狂言、仏語。
石上 三登志(いしがみ みつとし、本名:今村昭、1939年1… 石上 三登志(いしがみ みつとし、本名:今村昭、1939年1月3日 - 2012年11月6日)は、日本のCMディレクター。映画評論家。 電通でCM制作に携わる傍ら、1960年代から映画・SFなどの評論活動をおこなってきた。大林宣彦監督の映画を中心に、俳優としての活動もある。 ペンネームの由来は、石の上にも三年。美術監督の今村力は、従兄弟。 東京都世田谷区池尻出身。福島県立磐城高等学校、明治大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。早稲田大学で結成されたワセダミステリクラブ(仁賀克雄、間羊太郎、山口剛、西田恒久ら)に、特別に参加。また、ワセダミステリクラブで知り合った曽根忠穂や宮田雪らと同人誌『OFF』の活動をした。
荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年… 荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年6月6日)は、日本出身のピアノ奏者。 福島県相馬市出身。東京芸術大学付属高校を経て東京芸術大学に進学し、田村宏と永井進にピアノを師事。1954年に全日本学生音楽コンクールの高校の部で第1位を獲得。 1963年、東京交響楽団との協演でデビュー。また、東京でデビューリサイタルの後に渡独し、国立ベルリン芸術大学に学びヘルムート・ロロフに師事。1966年にベルリン放送交響楽団と協演しドイツデビューを行ない、その成功によりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演、ベルリン・フィルハーモニーホールにおけるリサイタルが続き、これらの演奏会はドイツの高名な批評家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットに認められ、高い評価を得て国際ピアニストとしての地位を確立した。
北条 常久(ほうじょう つねひさ、1939年1月 - )は、… 北条 常久(ほうじょう つねひさ、1939年1月 - )は、日本近代文学研究者。文学博士。福島県いわき市出身。
佐藤 嘉重(さとう かじゅう、1938年(昭和13年)12月… 佐藤 嘉重(さとう かじゅう、1938年(昭和13年)12月15日 - )は、日本の政治家。元福島県本宮市長(1期)。 福島県本宮町出身。福島商業高等学校卒業。後に洋服製造業の東和グループに就職。平成6年4月、当時の本宮町長選挙に「町政を変えよう」のスローガンで立候補。当時町長を5期20年務めた伊藤備文を破って当選。それ以来さまざまな改革を行ってきており、一時は夕張市以上あった借金を減らすことに成功した。元福島県知事の佐藤栄佐久とは従兄弟の関係にあった。
矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日… 矢吹 晋(やぶき すすむ、1938年10月1日 - )は、日本の中国研究家。横浜市立大学名誉教授。 福島県生まれ。1962年、東京大学経済学部卒業。 東洋経済新報社、アジア経済研究所を経て、横浜市立大学商学部教授となる。中国経済論と現代中国論が専攻分野である。2004年横浜市大定年退職、名誉教授。 1945年4月、郡山市田村町守山国民学校入学 1951年4月、郡山市田村町守山中学校入学 1954年4月、福島県立安積高等学校入学、1957年3月、卒業。 『知事抹殺』の佐藤栄佐久知事は1年後輩。隣家の舩山隆(音楽評論)は矢吹が卒業した年に入学。 1958年4月、東京大学教養学部入学、三鷹寮を抜け出して、駒場寮中国研究会に入る。
門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日… 門馬 忠雄(もんま ただお、1938年6月27日 - )は日本のジャーナリスト、プロレス評論家。ニックネームは「ぼやき評論の第一人者」。 福島県相馬市出身。日本大学藝術学部卒業後の1962年、東京スポーツ新聞社に入社(「新日本プロレス12人の怪人」著者紹介より)。以降、プロレス記者として現場に関わり続け、記者時代には取材よりも取材先での飲み歩きに没頭していたことから「ドサ回りのモン」と呼ばれ、多い時には年間約200日も出張取材を行っていた。国際プロレスを主に担当し、国際プロレス所属レスラーやスタッフから「モンちゃん」のあだ名で親しまれた。1970年代には国際プロレス中継「国際プロレスアワー」の、また1980年代には「世界のプロレス」(ともにテレビ東京にて放映)の解説者も務めた。
菅生 浩(すごう ひろし、1938年6月1日- )は、日本の… 菅生 浩(すごう ひろし、1938年6月1日- )は、日本の児童文学作家。 福島県郡山市出身。福島県立安積高等学校卒業。その後、上京して砂田弘と出会い、創作活動に専念。 1975年『巣立つ日まで』で日本児童文学者協会新人賞受賞、翌年NHK少年ドラマの原作となる。1983年『子守学校の女先生』を含む三部作で山本有三記念路傍の石文学賞受賞。 八王子市、大宮市に住んだ後、現在は郷里の郡山市在住。
猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
田中 慶秋(たなか けいしゅう、1938年3月6日 - )は… 田中 慶秋(たなか けいしゅう、1938年3月6日 - )は、日本の政治家。
松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こや… 松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こやつ ひでお)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - 2022年〈令和4年〉2月17日)は、日本の漫談家、歌手、作詞家。 全国さつまいもの会会長、東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使を務めた。 アフロヘアーと、「俺が昔、○○だった頃、○○は○○だった。○○は○○で、○○は○○だった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマークで1970年代に人気を博した。 満洲国で産まれる。水道設計技師の実父の仕事で在満していたが、1945年に父がソ連軍の捕虜になったため、母と共に6人で満洲を脱出し日本に帰還(父はその後6年間の抑留を経て日本に帰還)。
青柳 陽一(あおやぎ よういち、1938年(昭和13年) -… 青柳 陽一(あおやぎ よういち、1938年(昭和13年) - )は日本の写真家。
全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日… 全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日)は、日本の薬学者、薬剤師、薬学博士。福島県出身。1999年 - 2006年まで日本病院薬剤師会会長を勤め、薬学教育6年制の実現や病院薬剤師の配置問題に尽力し、2006年には厚生労働大臣表彰を受けた。 病院薬剤師としての評価が高いが、薬剤師として活躍する前には実は天然有機科学研究者として将来を嘱望されていた。有機化学者としても頭角を現したのは東京大学大学院時代。当時、日本の有機化学会で最もレベルの高い研究をしていた東大薬学部の薬化学教室、ここは近藤平三郎、落合英二、岡本敏彦と当代超一級の有機化学者が歴代の教授を務め、窒素を含む天然有機化合物(アルカロイド)の研究で世界的な成果を次々と発表した。
鈴木 瑞之(すずき ずいし、1938年(昭和13年) - 2… 鈴木 瑞之(すずき ずいし、1938年(昭和13年) - 2016年(平成28年)7月30日)は日本の書家。日展会員、特選2回。書道教室「瑞清会」、月刊競書誌「瑞清」主幹。 1938年(昭和13年)福島県郡山市に生まれる。福島県立郡山商業高等学校を卒業。殿村藍田に書と篆刻を学び、師事した。1983年(昭和58年)第15回日展で特選を受賞した。1989年(平成元年)第21回日展で特選を受賞した。第40回日展(平成20年)審査員を務めた。日展会員となる。 謙慎書道会常任理事(審査員)。読売書法会(漢)常任理事(審査員)
パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし… パロ 穂積(ぱろ ほづみ、本名:穂積 勝義(ほづみ かつよし)、1938年 - )は、元日本のアニメーター、アメリカのアニメーター。 日本の福島県泉崎村出身。福島県立白河高等学校卒業後、桑沢デザイン研究所に入り、絵画について学ぶ。 1960年に東映動画(現東映アニメーション)に入社。『狼少年ケン』をはじめ多くのアニメ作品の背景を描く。 独立し1974年に渡米。ハンナ・バーベラ・プロダクションなど複数のアニメ制作会社と契約し、『ザ・パックマンショー』や『小さな森の精あいあむ!スマーフ(森のスマーフ)』など多数のアニメ作品に参加。 1984年にディズニートゥーン・スタジオズと契約し、『ダックテイル(わんぱくダック夢冒険)』、『新くまのプーさん』などテレビアニメーションシリーズの背景のチーフ、美術を務める。
根本 良一(ねもと りょういち、1937年(昭和12年)11… 根本 良一(ねもと りょういち、1937年(昭和12年)11月30日 - 2024年(令和6年)5月21日)は、日本の実業家・政治家。元矢祭町長。 町長在任中の平成10年代後半に全国規模で行われていた「平成の大合併」の真っ只中にあって、「血の雨が降る」とまで言われた昭和30年代の「昭和の大合併」後の地方の惨状を目の当たりにした自身の経験から、このままでは山村が見捨てられると危惧し全国の市町村に先駆けて合併しない宣言を行った。また、様々な町政改革を実行し地方自治体自立の先駆者として全国的に名を馳せた。元衆議院議員の田中康夫は尊敬の念を込めて「先生」と呼び慕っていた。
反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )… 反畑 誠一(たんばた せいいち、1937年9月24日 - )は、日本の音楽評論家。上智大学文学部新聞学科卒業。「週刊女性」副編集長を経て、1983年より音楽評論活動に専従。歌謡曲を中心にジャンルを超えて幅広い視野で、新聞や雑誌、ラジオを通じて評論活動を展開。また40年余間、日本人アーティストのアジア公演に同行取材を続ける傍ら、(財)音楽産業・文化振興財団(PROMIC)の調査団員として、アジア各国の音楽産業事情の研究・分析も継続中。2014年、それら音楽文化活動の集大成とも言える、JASRAC創立75周年記念として出版された「うたのチカラ」(2014年11月刊:集英社)では、昭和から平成に至るまでの日本の「うた」を生み出してきた人・時代・現場を400ページに渡ってまとめあげ、その編纂、監修を務めている。
石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 -… 石原 健太郎(いしはら けんたろう、1937年8月25日 - 2020年7月5日)は、日本の元政治家。位階は従四位。 衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、新自由クラブ国会対策委員長、通商産業政務次官(第1次海部内閣)、参議院選挙制度に関する特別委員会委員長、衆議院国会等の移転に関する特別委員会委員長などを歴任。 父石原幹市郎、母石原三起子の長男として生まれる。幼少期は内務官僚だった父とともに東京都、北海道、大阪府、福島県等で過ごした。福島時代には父親が福島県知事を務めている。 慶應義塾大学法学部卒業後は日本勧業銀行に入行するが、1年足らずで退職。北海道大学農学部研修生になり、福島県福島市荒井に入植して酪農業を営んだ。
佐藤 剛男(さとうたつお、1937年7月16日 - 2013… 佐藤 剛男(さとうたつお、1937年7月16日 - 2013年1月23日)は、日本の通産官僚、政治家、弁護士(登録番号:32402)。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。
櫛田 一男(くしだ かずお、1937年〈昭和12年〉7月6日… 櫛田 一男(くしだ かずお、1937年〈昭和12年〉7月6日 - 2022年〈令和4年〉9月7日)は、日本の政治家。元福島県いわき市長(1期)。
横山 孝雄(よこやま たかお、1937年〈昭和12年〉2月1… 横山 孝雄(よこやま たかお、1937年〈昭和12年〉2月15日 - 2019年〈令和元年〉8月31日)は、日本の漫画家で、「知里幸恵 銀のしずく記念館」初代理事長。中華民国北平市出生、福島県相馬郡新地町出身。妻は「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長の横山むつみ(1948年 - 2016年9月21日)。義父は知里幸恵の弟で知里真志保の兄にあたる知里高央。 中華民国北平市生まれ。領事館警察官だった父の転勤で、主に長江下流域の中小都市で幼少期を過ごした。 1946年、第二次世界大戦の日本敗戦により両親の故郷である福島県新地町に引き揚げる。福島県立相馬高等学校在学中、『漫画少年』誌を通じて、石森章太郎が主宰の「東日本漫画研究会」の会員となり『墨汁一滴』に参加する。
二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福… 二瓶 綾子(にへい あやこ、1937年2月1日 - )は、福島県福島市出身の日本の女子プロゴルファー。 日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 元会長。 庭塚中学校卒業。20歳の頃、福島県のゴルフ場でキャディになったことからゴルフを始める。 1967年、第1回プロテストでは樋口久子に次ぐ2位で合格。女子部創立記念競技に参加し、2位タイ。 1968年、日本女子プロゴルフ選手権大会2位など、賞金ランク3位 (自己最高位) 。1969年は同6位、1970年は同7位、1971年は同9位、1972年は同4位と一桁順位が続くも優勝なし。 1973年は日本女子プロゴルフ選手権大会3位タイ、JSG女子オープン2位と惜敗が続くも、諏訪湖女子オープンで初優勝。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。
柳田 利夫(やなぎだ としお、1936年8月18日 - )は… 柳田 利夫(やなぎだ としお、1936年8月18日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 内郷高校(現:いわき総合高校)から常磐炭鉱を経て、1958年に大毎オリオンズに入団。 1959年には一軍に定着、二塁手として14試合に先発出場した。 1960年は開幕直後に遊撃手の八田正が故障欠場、新監督の西本幸雄に抜擢され、一番打者、遊撃手として起用される。この年の5月下旬に打撃練習をしようとグラウンドを通っていると、気づかぬまま素振りを続けていた榎本喜八のバットが柳田の顎を直撃。柳田はその場に流血しながら倒れこみ、その姿を見た榎本は自身の責任を感じ試合数分前まで顔面蒼白だったという。
笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月… 笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月9日 - )は、日本の男性アニメ監督、漫画家、作家。タツノコプロ顧問。福島県会津若松市出身。 手塚治虫のアシスタントから漫画家を経て、タツノコプロの創立時から演出家として活躍。1970年代から1980年代にかけてのタツノコ黄金時代の立役者の一人。代表作は『タイムボカンシリーズ』など。ギャグ作品を多く手がけており、マンネリを生かしたギャグの演出を得意とする。「ギャグアニメの帝王」「アニメ界の欽ちゃん」とも言われた。しかし、当人は『新造人間キャシャーン』のようなシリアスなストーリーが好みであるという。タツノコプロを退社していた80〜90年代前半にかけては『忍者ハットリくん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『ポコニャン!』など藤子不二雄作品を多く手掛けていた。
瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 … 瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の銀行家。位階は従四位。 東邦銀行頭取、地域経済活性化支援機構社長、全国地方銀行協会会長、福島商工会議所会頭などを務めた。 福島県白河市出身。東邦銀行の前身となる白河瀬谷銀行の創業家に生まれ、福島県立白河高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。 父・誠一と祖父に渋沢栄一の銀行だからと勧められ、第一銀行に入行。枢要店である虎ノ門支店長を務め、当時の東邦銀行頭取の内池佐太郎から請われ、1986年(昭和61年)に東邦銀行に転じ、常務取締役に就任した。 副頭取を経て1990年(平成2年)から2007年(平成19年)まで17年間にわたって、頭取を務め、県内金融、経済業界を牽引。
長嶺 ヤス子(ながみね やすこ、昭和11年(1936年)2月… 長嶺 ヤス子(ながみね やすこ、昭和11年(1936年)2月13日 - )は、日本の舞踏家、ダンサー。福島県会津若松市出身。 昭和30年(1955年)スペイン舞踊を習い始める。昭和35年(1960年)青山学院大学を中退し、スペインに渡る。マドリッドでダンスを学び、フラメンコに触れる。しかし、当初は、日本人学生として好意的に受け止められていたが、プロのダンサーとして活動を始める中で苦闘する。たまたま、アドバイスがあって裸足でフラメンコを踊る。この裸足での舞踏がフラメンコの原型の再現ということで現地で絶賛される。 昭和50年(1975年)、 「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」で文化庁芸術祭優秀賞、舞踏評論家協会賞を受賞する。
國分 正明(こくぶん まさあき、1936年(昭和11年)2月… 國分 正明(こくぶん まさあき、1936年(昭和11年)2月7日 - )は、日本の官僚。元文部事務次官。福島県三春町出身。 福島県出身。東京大学法学部卒業後、文部省入省(社会教育局社会教育課)。大臣官房会計課長、高等教育局私学部長体育局長、高等教育局長などを経て、1989年(平成元年)4月 大臣官房長。1990年(平成2年)7月 文部事務次官に就任。 1992年(平成4年)に退官後。同年から1995年(平成7年)まで公立学校共済組合理事長、1995年(平成7年)から2004年(平成16年)まで日本芸術文化振興会理事長を務めた。 2003年(平成15年)より財団法人修養団(現 公益財団法人修養団)理事長。
岩谷 徹(いわや とおる) (1936年-)は、日本の版画家… 岩谷 徹(いわや とおる) (1936年-)は、日本の版画家。銅版画の一種であるメゾチント・カラーメゾチント技法作家。 福島県郡山市にて1936年に生まれる。福島県立安積高等学校を卒業し、東京水産大学(現在の東京海洋大学)に19歳のとき入学した。24歳で 郡山市へ帰省。1965年29歳で菅野慶子と結婚。1971年35歳でフランスに渡り、パリの屋根裏で28年間一度も引っ越す事なく生活し、150点のメゾチントを作成した。それらの作品のサイズは中から小作品が多く、カラー作品は主版ばかりでなく他のすべての色版もメゾチント技法を使った。35年間で大作20点を含む30数点の能面シリーズを完成させた。1999年に帰国した。
鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本… 鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - 2018年)は、日本近代文学の研究者、都留文科大学名誉教授。文学博士。 福島県いわき市生まれ。東京教育大学文学部国文科卒業。都留文科大学教授を務め、2002年定年退官。中島敦、芥川龍之介、壺井栄を研究。腎不全で闘病し、姉から腎臓移植を受けた経験を描いた『姉から贈られたいのち』がある。2012年日本児童文学学会特別賞受賞。2013年『評伝壺井栄』でやまなし文学賞受賞。2018年9月20日、82歳で逝去。[要出典]
山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2… 山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2010年6月18日)は、日本の漫画家。本名:山口 太一(やまぐち たかかつ)。ナンセンス漫画や、児童向け学習漫画などで活躍した。 福島県石城郡内郷村(のちのいわき市)出身。1938年、公務員の父の赴任地だった満州・大連市に一家で渡る。終戦時は普蘭店で迎え、1946年12月に引き揚げ、母の郷里の千葉を経て、父の復員に合わせて内郷に戻る。 中学時代に『寒がり屋のサブちゃん』と題するストーリー漫画を『漫画少年』に投稿して特選に入賞。このほか毎日中学生新聞や、地元紙に漫画を投稿する。福島県立磐城高等学校卒業後、上京。東京芸術大学美術学部の受験に失敗するが、東京に残って漫画の持ち込み活動を開始し、文藝春秋社で加藤芳郎を紹介される。