岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日… 岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(4期)。 厚生労働大臣政務官、内閣府副大臣、復興副大臣、水戸市長(3期)、茨城県議会議員(2期)を務めた。 茨城県水戸市生まれ。茨城県立水戸商業高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。大学卒業後、岩上妙子・岩上二郎両参議院議員の秘書を務める。 1986年、茨城県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、2期目の任期途中、佐川一信の茨城県知事選立候補に伴う辞職により実施された水戸市長選挙に県議を辞職して立候補し、当選。(佐川後継で野党各党が推薦する学校経営者・大久保博之を、圧倒的大差で破る)。
柏原 正樹(かしわら まさき、1947年〈昭和22年〉1月3… 柏原 正樹(かしわら まさき、1947年〈昭和22年〉1月30日 - )は、日本の数学者。京都大学名誉教授。学位は理学博士(京都大学・1974年)。専門は代数解析学、表現論。 東京大学理学部数学科卒。京都大学にて博士号取得。京都大学数理解析研究所所長、国際数学連合副総裁を歴任。2025年、「代数解析学および表現論、特にD-加群理論の発展と結晶基底の発見」により東洋人初となるアーベル賞を受賞した。 茨城県結城市生まれ。大阪府池田市出身。東大在学中に佐藤幹夫に認められる。佐藤が京都大学数理解析研究所に移るのに伴い京大へ移籍。以後50年間に亘って代数解析学の建設、発展に尽力している。 主な業績として超局所解析学、極大過剰決定系の理論、量子群の結晶基底、大域基底の理論、D-加群、柏原–Malgrange の V-filtration など。
遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 20… 遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 2017年10月25日)は、茨城県ひたちなか市出身のシンガーソングライター・ミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。 主に扱う楽器はアコースティックギター、エレクトリックギター、ブルースハープ。ほかにも、ウクレレ、ピアノ、ドラムなどの楽器を演奏する。自身のほぼ全ての楽曲の作詞、作曲も手がける。 『guts』1969年11月25日号の「ビッグ・アンケート '70フォークはどうなる?」という特集で、エイプリル・フール時代の細野晴臣が、アンケート1「あなたは1970年のフォーク・ソングがどうなると思いますか?」という質問に対して「ロックの影響を大きく受けたフォークが出てくるのではないか。
北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外… 北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外交官。外務省カリブ室長や、駐コンゴ民主共和国兼コンゴ共和国特命全権大使を務めた。北沢寛治とも。 茨城県龍ケ崎市出身。1966年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。1970年中央大学法学部卒業。1972年外交官試験合格。1973年外務省入省。2000年ハイチ臨時代理大使。外務省中南米局南米カリブ課地域調整官兼カリブ室長を経て、2008年から駐コンゴ民主共和国特命全権大使を務め、道路整備などの援助を進めた。2011年兼コンゴ共和国特命全権大使。2022年、瑞宝中綬章受章。
山口 幸男(やまぐち ゆきお、1946年12月 - )は、日… 山口 幸男(やまぐち ゆきお、1946年12月 - )は、日本の地理学者・教育学者。群馬大学名誉教授。専門は社会科教育、郷土地理教育。 現在は群馬大学教育学部で社会科教育講座を開き、社会科教育研究室を開いて学生に指導をしている。郷土教育についての第一人者で、「上毛かるた」について専門的に調べていたりと、その専門分野に対する研究は熱心。趣味はウクレレ。
錦織 孝一(にしきおり こういち、1946年11月20日 -… 錦織 孝一(にしきおり こういち、1946年11月20日 - )は、日本の政治家。茨城県鹿嶋市長(2期)、茨城県議会議員と鹿島町議会議員を歴任した。 茨城県鹿島町(現・鹿嶋市須賀)に生まれる。茨城県立麻生高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、東京理科大学理学部卒業。1972年(昭和47年)から錦織米肥店の経営を始める。 1991年(平成3年)、鹿島町議会議員選挙に初当選。 2002年(平成14年)12月8日に行われた茨城県議会議員に無所属で立候補し初当選した。翌2003年(平成15年)1月8日、県議に就任。県議在職中に自由民主党所属となった。 2014年(平成26年)4月13日に行われた鹿嶋市長選挙に自民党の推薦を得て出馬し、初当選した。
大久保 喬樹(おおくぼ たかき、1946年9月12日 - )… 大久保 喬樹(おおくぼ たかき、1946年9月12日 - )は、比較文学者。東京女子大学教授。
山本 良一(やまもと りょういち、1946年8月30日 - … 山本 良一(やまもと りょういち、1946年8月30日 - )は、日本の工学者(環境材料科学・環境経営学)。学位は工学博士。文部科学省科学官、東京大学生産技術研究所名誉教授、東京都市大学教授。
宮路 オサム(みやじ オサム、本名: 細木 一馬、1946年… 宮路 オサム(みやじ オサム、本名: 細木 一馬、1946年8月30日 - )は、日本の演歌歌手。 殿さまキングスのボーカルとして活動し、味のある風貌、抜群の歌唱力と独特の印象的な節回しで有名な歌手である。 新潟県佐渡郡相川町で生まれ、同地で幼少期を過ごした後、茨城県北茨城市へ転居した。 1967年に殿さまキングスのメンバーとして活動を開始した。当初は、コミックバンドなどで活動していたが、歌謡曲に転向した。メインボーカルとして1973年にリリースした「なみだの操」は、爆発的なヒットとなった。後に続く「夫婦鏡」「おんなの運命」などもヒットした。1990年に殿さまキングスは解散した。その後も引き続きソロ歌手として活動している。
室町 澄子(むろまち すみこ、1946年8月13日 - )は… 室町 澄子(むろまち すみこ、1946年8月13日 - )は、元NHKチーフアナウンサー。 現在の茨城県つくば市出身。東京都立一橋高等学校を経て東京女子大学に進学した。大学在学中は放送研究会に所属した。大学卒業後、1969年に入局した。「女性が続けてゆける仕事」とアナウンサーに興味を持ってはいたが、本人曰く「すらすら話せるタイプではなかった」ということで、第一志望はディレクターだったという。以後60歳定年により2006年8月31日で退職し、ラジオセンター嘱託(厳密にはフリーランス)となるまで、ずっと東京アナウンス室とラジオセンターに属した。 1972年から74年まで、杉澤陽太郎とともにインタビュー番組『女性手帳』を担当する。
布瀬川 集(ふせがわ しゅう、1946年(昭和21年)7月1… 布瀬川 集(ふせがわ しゅう、1946年(昭和21年)7月14日 - )は、三井共同建設コンサルタント副社長。 三井不動産グループ、キャニー会長。 元三井ホーム専務取締役、栃木中央ホーム株式会社社長。 茨城県出身。東京、大阪育ち 大阪府立生野高等学校、早稲田大学第一法学部を卒業後。1969年三井不動産に入社。 1993年三井ホーム取締役に就任、専務取締役などを歴任。 広報担当役員として吉永小百合をイメージキャラクターに起用、東京ディズニーランドオフィシャルスポンサーに参加するなど、住宅業界NO1へ押し上げようと積極戦略をとった。 現在は大学客員教授(桜美林大学北東アジア総合研究所等)様々な分野で活躍している。
中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は… 中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 下妻第一高校から立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。4年時には主将をつとめ、三塁手、三番打者として活躍。同期のエース土井池憲治、捕手の田中鞆雅(日本石油)のバッテリーを擁し、1年下の望月充とクリーンアップを組み、低迷期の立大を支えた。 卒業後は1970年に本田技研工業へ入社し、同年の都市対抗に四番打者として出場。河本昭人らの好投もあり準々決勝に進むが、住友金属の山中正竹らに抑えられ、渡辺弘基(日産自動車から補強)のサヨナラ押し出し四球で延長11回サヨナラ負け。
倉田 保昭(くらた やすあき、1946年(昭和21年)3月2… 倉田 保昭(くらた やすあき、1946年(昭和21年)3月20日 - )は、日本のアクション俳優。本名同じ。空手七段、柔道三段、合気道二段。愛称は和製ドラゴン。俳優以外に倉田プロモーション代表、全日本双節棍道連盟最高顧問、創武館道場代表。創造学園大学(2013年に閉校)創造芸術学部芸術学科客員教授も務めていた[3][4]。
村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4… 村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4日 - 2017年(平成29年)1月17日)は、日本の政治家。茨城県北茨城市長を3期務めた。 茨城県多賀郡大津町(現在の北茨城市大津町)出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1968年に芝浦工業大学建築学部卒業。卒業後は山下寿郎設計事務所(現在の山下設計)に入り、一級建築士となり、郷里で建築事務所を開く。北茨城市青年会議所理事長、公民館長、保護司などを経て、1995年の北茨城市長選挙に立候補し、初当選する。1999年は無投票で再選。2003年に三選した。北茨城市長は2007年まで務めた。2017年1月17日午後7時57分、日立市の日立総合病院で死去、70歳。
坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャ… 坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャーナリスト。時事通信社経済部長、常陽新聞社長、同社会長、特定非営利活動法人NEWSつくば理事長等を歴任。時事通信社社長賞受賞。 茨城県土浦市出身。1966年に茨城県立土浦第一高等学校卒業。1970年一橋大学社会学部を卒業し、軍事評論家久住忠男の影響で、時事通信社に入社。 時事通信社では経済部に配属され、日本銀行記者クラブ時代に国際金融に関する報道で社長賞を受賞。1979年から1983年までワシントン特派員。経済部デスクを経て、証券部長として証券情報サービス「PRIME」の開設や、インサイダー取引規制体制整備などにあたった。1992年経済部長。
高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学… 高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学史家、九州大学名誉教授。 茨城県日立市生まれ。1970年早稲田大学理工学部電気工学科卒業。1979年東京大学大学院理学研究科退学(科学史・科学基礎論専攻)。1990年「中世西欧世界におけるユークリッド『反射光学』の諸伝承」で理学博士(東京大学)。九州大学教養部助教授をへて、同比較社会文化研究院教授を務め、2010年定年退任、名誉教授となる。2006年『ガリレオの迷宮』で毎日出版文化賞受賞。 イムレ・ラカトシュの論を批判した。
河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 -… 河東 純一(かとう じゅんいち、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の国家公務員、書家。内閣府職員。号は峰城。総理府内閣総理大臣官房人事課辞令専門官、内閣府大臣官房人事課辞令専門官などを歴任した。 茨城県出身。総理府にて辞令専門官などを務め、中央省庁再編後は内閣府に勤務した。官記、位記、辞令書などを揮毫した。内閣官房長官の小渕恵三が新元号を発表する際に掲げた「平成」の書を揮毫したことでも知られる。また、大東文化大学のロゴなども手掛けている。書家としての号は「蜂城」を名乗った。 茨城県にて生まれ育つ。大東文化大学第一高等学校在学中に書家を志し、毎晩100枚近く書き続けるなど修練を重ねた。同校卒業後は大東文化大学の文学部中国文学科に進学し、1969年(昭和44年)に卒業した。
二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年… 二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年12月19日 - )は、茨城県稲敷郡美浦村出身の落語家。落語協会所属。本名∶松本 直夫。出囃子は『どうぞ叶えて』。 1965年6月、初代金原亭馬の助に入門し「小馬吉」で初高座。 1971年11月、三遊亭歌司、橘家竹蔵、柳家さん八、三遊亭歌橘、三遊亭楽松、林家九蔵、三遊亭朝治と共に二ツ目昇進し「駒三郎」に改名。1976年に師匠馬の助が死去した為十代目金原亭馬生門下に移籍。 1981年3月に柳家さん喬、五街道雲助、三遊亭圓龍、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、橘家竹蔵と共に真打昇進し、二代目金原亭馬の助を襲名。 寄席では百面相を演じることもある。
橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は… 橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は、日本の政治家。自治官僚。茨城県知事(6期)。退任時には、現職の都道府県知事としては石川県知事の谷本正憲と並ぶ最多選者であった。 茨城県那珂郡東海村生まれ。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1969年自治省に入省。山梨県総務部長や、国土庁・消防庁などの役職を歴任し、1993年、自治省公営企業第一課長を最後に退官した。 1993年、自由民主党・新生党・新党さきがけ・日本新党の推薦を得て、不祥事(汚職事件)による竹内藤男の辞職に伴う茨城県知事選に立候補し、前水戸市長の佐川一信を破って初当選。高知県の橋本大二郎に次ぐ戦後生まれの知事となった。
柳町 光男(やなぎまち みつお、1945年(昭和20年)11… 柳町 光男(やなぎまち みつお、1945年(昭和20年)11月2日 - )は、日本の映画監督。社会派映画、文芸映画の分野の作品が多い。1985年に芸術選奨文部大臣賞受賞。監督した劇映画6作品のうち、5作品を世界三大映画祭(カンヌ国際映画祭・ベルリン国際映画祭・ヴェネツィア国際映画祭)に出品している。東京国際映画祭では2回受賞(1992年、2005年)。 茨城県行方郡牛堀町(現在は潮来市)の出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。大学在学中から映画作家を志望しシナリオ研究所へ通う。卒業後に就職するも、1969年からフリーの助監督として映画撮影に携わる。東映教育映画部では大和屋竺に師事。
沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人… 沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名は中村眞理子。 茨城県古河市生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業。 中学生のころから現代詩をつくり始め、1968年、若い人社文学会に参加。1974年、歌誌「個性」に入会(2004年終刊)。1994年1月、佐藤信弘と「詞法」を創刊、2004年4月、「熾」と改め、代表となる。2024年、「熾」が発足して20年になることを記念して、既刊10歌集を収めた『沖ななも選歌集』が刊行された。 2008年より、朝日新聞埼玉版および埼玉新聞の短歌欄選者。2009年より、埼玉文芸賞(さいたま文学館)および埼玉文学賞(埼玉新聞社)の選考委員。
保立 一男(ほたて かずお、1945年〈昭和20年〉9月15… 保立 一男(ほたて かずお、1945年〈昭和20年〉9月15日 - 2023年〈令和5年〉7月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。元茨城県神栖市長(3期)、元神栖町議会議員(5期)。 茨城県軽野村(現・神栖市日川)に生まれる。1964年(昭和39年)3月、千葉県立銚子商業高等学校卒業。 1988年(昭和63年)、神栖町議会議員選挙に初当選。1998年(平成10年)9月、議長就任。2003年(平成15年)8月、保立運送代表に就任。 2005年(平成17年)8月1日、神栖町は波崎町を編入、市制施行し神栖市となる。これに伴い同年11月6日に行われた神栖市長選挙に出馬。現職で初代神栖市長の岡野敬四郎を破り初当選した(保立:26,360票、岡野:20,108票)。
種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本… 種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本の政治家、弁護士。茨城県水戸市谷田町出身。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。元参議院議員(1期)、元日弁連副会長。茨城バングラデシュ友好協会名誉顧問。種田法律事務所所長。学校法人茨城理事長。
稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7… 稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7日 - )は、日本の政治家。元茨城県下妻市長(2期)、元千代川村長、元千代川村議会議員(3期)。 東京都生まれ。茨城県下妻市育ち。茨城県立下妻第一高等学校、法政大学経済学部卒業。稲葉食糧に勤務。千代川村議会議員を3期務めた。 千代川村長在職中、下妻市・千代川村合併協議会の副会長に就任。2006年(平成18年)1月1日、千代川村は下妻市に編入される。 下妻市助役や副市長を経て、2010年(平成22年)3月28日に行われた下妻市長選挙に出馬し、初当選した。4月14日、市長就任。 2014年(平成26年)、無投票で再選。 2018年(平成30年)、3期目を目指したが、元市議の菊池博との一騎打ちに敗れ、落選。
磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2… 磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2025年3月18日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員(5期)。茨城県議会副議長(2008年 - 2009年)、議長(2011年 - 2012年)を務めた。 那珂湊市(現在のひたちなか市)出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。日本住宅公団、住宅・都市整備公団勤務を経て、1984年から赤城宗徳の秘書と中山利生の公設第一秘書を務めた。 1994年の茨城県議選に出馬し、初当選。その後には5回連続当選を果たし、茨城県議会議長及び副議長を務めた。 2025年3月18日、多臓器不全のため死去。79歳没。没日付にて従五位に叙された。
日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、… 日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。
大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 201… 大塚 徹(おおつか とおる、1945年4月18日 - 2018年7月13日)は、日本のプロ野球選手。サンケイアトムズ・ヤクルトスワローズ、南海ホークスでプレーした。茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第三高等学校卒業。息子は元東京ヤクルトスワローズの大塚淳。 茨城県立土浦第三高等学校では、捕手として1962年秋季関東大会準決勝に進むが、宇都宮商に敗退。 1964年国鉄スワローズに入団。1964年、1965年と2年連続でジュニアオールスターに出場。しかし根来広光、岡本凱孝らの壁を破れず、1968年から外野手に転向。同年は23試合に先発出場、一番打者として16試合に起用される。その後もユーティリティープレイヤーとして先発、代打、守備固めなど、臨機応変に活躍。
雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月1… 雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月13日 - )は、日本の通産官僚。人事院公平局長。ダイエー会長を歴任。茨城県出身。 経産省官僚から、過剰債務企業の代表格と見られたダイエーに会長として横滑りした。当初は「経産省によるダイエー再建」に当たってきたが、2004年、同社高木邦夫社長の下、UFJ銀行・三井住友銀行・みずほコーポレート銀行の主力三行との話し合いの末、竹中平蔵金融担当大臣下の金融庁による銀行救済のための不良債権減らしの目玉とされ、産業再生機構入りが決定された。 同期に、村田成二(事務次官)、一柳良雄、鴇田勝彦(TOKAI社長、中小企業庁長官)、山田豊(鹿島液化ガス共同備蓄社長、岩谷産業専務、通産研究所次長)、水谷四郎、喜田勝治郎(国際石油開発専務、国土庁官房審議官)など。
本條 秀太郎(ほんじょう ひでたろう、1945年4月12日 … 本條 秀太郎(ほんじょう ひでたろう、1945年4月12日 - )は、日本の民謡・端唄・俚奏楽・現代曲三味線の演奏者で、三味線音楽の作曲家である。茨城県潮来市に生まれる。本名は高田 新司。 三味線を篠塚みつ師に、長唄を稀音家芳枝師に、民謡を二代目大船繁三郎師、藤本琇丈師の両師に、小唄は田毎てる三師に師事。以後修学に勤め、1971年に本條流を創流。 流儀曲として三弦の持つ表現の自由闊達さに回帰し、時代時代に歌われてきた “小さなうた達”の断片をも復元再生し、自然発生的に歌い継がれてきた “うた”(自然民謡)、普遍的、民族的な躍動感や旋律をモティーフに、現代に伝統音楽として生まれた楽派「俚奏楽」を発表。
小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本… 小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本の元運輸・国土交通官僚。国土交通事務次官、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。茨城県土浦市出身。
伊藤 博(いとう ひろし、1945年3月29日 - )は、日… 伊藤 博(いとう ひろし、1945年3月29日 - )は、日本の弁護士(東京弁護士会所属)。茨城県神栖市出身。弁護士法人フェニックス代表。元東京弁護士会副会長。 その他、禅カウンセラー、伊藤博峰として坐禅の普及に努めている。 「Q&Aリースの法律」(川畑大輔との共著・日本経済新聞社) 証言 「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実(宝島社) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
福地 惇(ふくち あつし、1945年3月10日 - )は、日… 福地 惇(ふくち あつし、1945年3月10日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代政治史、特に明治時代政治史。高知大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会前副会長。 茨城県常陸太田市出身。1969年東京大学文学部国史学科卒業、同大学院博士課程単位取得退学[要出典]。 高知大学人文学部人文学科講師、助教授、教授を経て、1998年4月より文部省主任教科書調査官に就任。同年11月、初等中等教育局付。99年4月、文部省視学官[要出典]。防衛省統合幕僚学校講師も務めた。 2003年大正大学文学部歴史文化学科教授。2005年9月、新しい歴史教科書をつくる会理事、翌年4月から副会長[要出典]。 2012年から保守の会顧問。
ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月… ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月3日 - )は、茨城県守谷市出身のシンガーソングライター、東京演芸協会所属のギター漫談家。 日本大学在学中にロックバンド活動に熱中し、1年で中退。『ナッツダンディーズ』を経て、コミックバンド『那須三郎とダスターポット』→『岡本八とダスターポット』ではリードギターを担当。 1972年の『ダスターポット』解散後はナイトクラブで弾き語りをしていたが、1974年に元同僚の岡本とのコンビで『(中小企業楽団)バラクーダー』を結成。作曲を手掛けた「日本全国酒飲み音頭」(72万枚)、「チャカ・ポコ・チャ」(40万枚)、「演歌・血液ガッタガタ」(50万枚)の連続ヒットで、人気者となる。
神原 秀記(かんばら ひでき、1945年(昭和20年)1月2… 神原 秀記(かんばら ひでき、1945年(昭和20年)1月2日 - )は、日本の化学者。日立製作所フェロー。東京農工大学連携大学院教授、東京大学大学院客員教授、首都大学東京客員教授、南京大学客員教授などを兼任。理学博士。 茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を経て1967年東京大学教養学部基礎科学科を卒業、同大学院理学系研究科化学専門課程博士課程を修了し(理学博士)、1972年に日立製作所に入社した。同社中央研究所で研究開発に携わり、2002年に同研究所技師長、2003年に日立製作所フェローに就任。途中カリフォルニア大学バークレー校客員研究員を務めた。 日立製作所では大気圧イオン化質量分析計の開発で業績をあげた後、DNAシーケンサーの開発に取り組んだ。
生熊 長幸(いくま ながゆき、1945年 - )は、日本の法… 生熊 長幸(いくま ながゆき、1945年 - )は、日本の法学者。専門は民法。立命館大学法務研究科(法科大学院)教授。岡山大学、大阪市立大学名誉教授。茨城県水戸市出身。学位は、博士(法学)(大阪市立大学・論文博士・2001年)[リンク切れ]。
大橋 信弥(おおはし のぶや、1945年 - )は、日本の日… 大橋 信弥(おおはし のぶや、1945年 - )は、日本の日本史学者。古代史が専門。 茨城県石岡市生まれ。1972年立命館大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。滋賀県立安土城考古博物館次長兼学芸課長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
飯塚 勝一(いいづか かついち 生年不明 - 1944年12… 飯塚 勝一(いいづか かついち 生年不明 - 1944年12月4日)は、日本の元アマチュア野球選手。茨城県出身。 茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から1932年に慶應義塾大学へ進み、野球をプレーした。ポジションは投手だったと伝わる。 慶大卒業後応召され、1944年12月4日に屋久島西方海上で戦死した。1932年に慶大に入学していることから、1910年代前半に生まれたものと推定されるので、30歳前後で死没したことになる。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている。
小泉 堯史(こいずみ たかし、1944年11月6日 - )は… 小泉 堯史(こいずみ たかし、1944年11月6日 - )は、日本の映画監督。茨城県水戸市出身。 茨城県立水戸第一高等学校、東京写真短期大学(現在の東京工芸大学)写真技術科、早稲田大学卒業。早大卒業後の1970年、黒澤明に師事し、28年間にわたって助手を務める。写真技師出身ということで、市川崑が監督したATG映画『股旅』ではスチル担当も務めたこともあり、平成期デビューの監督としては、この両者に直接仕えることのできた唯一の人物となった。 黒澤の死後、その遺作シナリオ『雨あがる』を映画化し(2000年公開)、監督デビューする。この作品でヴェネツィア国際映画祭の緑の獅子賞、日本アカデミー賞で作品賞をはじめとする8部門で受賞。
小貫 加恵(おぬき かえ〔本名:近藤 瑞恵[要出典]、旧芸名… 小貫 加恵(おぬき かえ〔本名:近藤 瑞恵[要出典]、旧芸名:小貫 瑞恵、小貫 加惠、小貫 瑞枝、小貫 瑞穂〕、1944年10月28日 - )は、茨城県水戸市出身の日本の女優。宝井プロジェクト所属。身長156 cm、体重56 cm。血液型はA型。 女郎屋の娘に生まれる。高校卒業後は丸の内で日本舞踊、長唄三味線、茶道、華道などの習い事をすると共にOLとして生活していたが2年で退職。一の宮あつ子に弟子入りし、17年間教えを受け、放映新社[要出典]を経て現在は宝井プロジェクトに所属している。 特技は日本舞踊、気功。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
五所 美子(ごしょ よしこ、1944年10月1日 - )は、… 五所 美子(ごしょ よしこ、1944年10月1日 - )は、日本の歌人。 茨城県水戸市生まれ。生後まもなく、両親の郷里・大分県宇佐市に帰る。九州大学文学部卒業。卒論は「式亭三馬の言語描写についての一考察」。 1982年、石田比呂志に師事し、歌誌「牙」に入会、20年ほど在籍。2009年11月、個人誌「和布刈通信」を創刊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮嶋 光昭(みやじま みつあき、1944年(昭和19年)9月… 宮嶋 光昭(みやじま みつあき、1944年(昭和19年)9月29日 - )は、日本の政治家。元茨城県かすみがうら市長(1期)。 茨城県立土浦第一高校を経て、学習院大学法学部政治学科卒業。出島村(霞ヶ浦町を経て、現在のかすみがうら市)で牧場を営み、茨城酪農農業協同組合理事となる。 1987年の出島村長選挙に立候補したが落選。1990年当時の村長の死去による村長選挙に立候補し初当選する。1994年に落選。同年の茨城県議会議員選挙に新進党から立候補したが落選した。 2010年のかすみがうら市長選挙に立候補した。市制施行以来初の選挙戦となり、現職の坪井透を破って当選した。2014年の市長選では再選を目指したが、前職の坪井透に敗れて落選した。
神谷 尚(かみや たかし、1944年7月10日 - 1992… 神谷 尚(かみや たかし、1944年7月10日 - 1992年10月16日)は、日本の政治家。埼玉県北葛飾郡庄和町長を務めた。勲五等瑞宝章。 茨城県猿島郡五霞町出身。早稲田大学政経学部卒業。埼玉県庁職員を経て、1983年、38歳で庄和町の町長選挙に出馬。いわゆる三バン「地盤(組織票)・看板(知名度)・鞄(資金)」のない選挙戦であったが、当時の現職だった前島祐司を破り初当選し、「住民総参加行政」や「全町公園化構想」といった目標を掲げ、3回当選を果たした。 土曜・日曜に住民課の窓口を開け、町民が傍聴しやすい休日に町議会を開会したり、さらには「御用聞き行政」ではなく「住民にも汗をかいてもらう行政」を目指しての行政手腕を高く評価される。
丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日… 丹羽 雄哉(にわ ゆうや、1944年4月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。
平山 輝武(ひらやま てるたけ、1944年3月27日 - )… 平山 輝武(ひらやま てるたけ、1944年3月27日 - )は、茨城県出身の元バスケットボール選手・指導者。身長175cm。ポジションはガード。「シュートマシン」の異名を持つ。現役当時は3点シュートがなかった。ミスターバスケットの諸山文彦とは日本大学時代および日本鋼管時代コンビを組んでいた。 茨城県立日立第一高等学校入学後はバスケット部に入部 日本大学進学後、大学バスケ界の名監督と謳われた細島繁の指導を受ける。 卒業後は日本鋼管に入社。日本リーグ4連覇に貢献。 全日本でも東京五輪候補、アジア選手権などに出場。 現役引退後は母校・日本大学の助監督等を行う。 また、明星学園女子バスケットボール部の監督、椎名真一を義理の弟に持つ。
和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986… 和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986年7月6日)は、1960年代から1980年代前半にかけて活躍した日本の俳優。本名、和田 愷夫(ひでお)。ホリプロに所属していた。 茨城県水戸市に、ジャズピアニスト・和田肇 の次男として生まれる。東洋音楽学校声楽科在学中の1959年、当時人気の石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活に入社し、同年の『無言の乱斗』に主演し、映画デビューする。 翌1960年から、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成。(やんちゃガイ)と称され、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。
岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日… 岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日 - )は、日本の柔道家、流通経済大学名誉教授。1964年(昭和39年)東京オリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長170cm。体重80kg。 茨城県龍ケ崎市出身。福井英一の漫画『イガグリくん』に影響を受け中学から柔道を始める。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。中央大学法学部に在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピックに中量級の日本代表として出場し、金メダルを獲得した。1965年(昭和40年)の世界選手権でもオール一本勝ちで優勝し、21歳で柔道中量級における世界のトップ選手となる。1972年の(昭和47年)全日本柔道選手権覇者でミュンヘンオリンピック中量級で金メダルを獲得した関根忍とは同学年のライバルであった。
樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月1… 樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月17日 - 2016年(平成28年)11月8日)は、日本の政治家。元日立市長(3期)。 茨城県日立市出身。1966年(昭和41年)関東学院大学経済学部経営学科卒業。経営学科1期生となる。卒業後は茨城県庁に就職。1993年(平成5年)茨城県総務部知事広報室課長、1996年(平成8年)茨城県総務部地方課長、1998年(平成10年)茨城県総務部知事公室長を歴任。 1999年(平成11年)2月、茨城県庁を退職。同年4月、日立市長選挙に初当選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)の市長選はいずれも無投票当選。2011年(平成23年)4月まで3期に渡り日立市長となる。
額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、本来の表記:福志郎、194… 額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、本来の表記:福志郎、1944年〈昭和19年〉1月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(15期)。 衆議院議長(第79・80代)、防衛庁長官(第60・72代)、経済企画庁長官(第58代)、経済財政政策担当大臣(初代)、財務大臣(第7・8代)、自由民主党政務調査会長(第45代)、自由民主党政務調査会総合エネルギー戦略調査会長、内閣官房副長官(第2次橋本改造内閣・小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)、平成研究会会長、自民党たばこ議員連盟顧問、日韓議員連盟会長、 自民党・財政健全化推進本部長 を歴任。 茨城県行方郡小高村(現:行方市小高)生まれ。父・額賀万寿夫は地元の森林組合長や小高村議会・麻生町議会議員を務め、橋本登美三郎の後援会・西湖会の幹部でもあった。
鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実… 鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取、同会長、全国地方銀行協会副会長、茨城県経営者協会会長、茨城県公安委員会委員長等を歴任。 茨城県ひたちなか市出身。那珂湊中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1967年に一橋大学商学部を卒業し、株式会社常陽銀行入行。のちに水戸第一高等学校同窓会知道会第10代会長を務めた。 人事部部長代理、人事部副部長、堀留支店長、総務部長、人事部長を経て、1997年取締役人事部長。常務取締役、副頭取を経て、2005年から常陽銀行代表取締役頭取。2009年社団法人全国地方銀行協会副会長、財団法人常陽地域研究センター会長。2011年常陽銀行代表取締役会長。
跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生… 跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元跡見学園評議員。元日本女性科学者の会会長。文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。 茨城県筑波郡小野川村(現在のつくば市)生まれ。東京都立駒場高等学校を経て、1967年お茶の水女子大学文教育学部保健体育学科卒業。1973年東京大学大学院教育学研究科体育学専門課程修士課程修了、教育学修士。1979同博士課程満期退学、東京大学教育学部助手。1980年教育学博士。1982年東京大学教養学部講師。1985年同助教授。1994年東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系教授。1998年日本運動生理学会理事。2000年日本宇宙生物科学会副会長。