小沼 巧(おぬま たくみ、1985年12月21日 - )は、… 小沼 巧(おぬま たくみ、1985年12月21日 - )は、日本の政治家、経産官僚。参議院議員(1期)を務めた。 茨城県大洋村(現・鉾田市)出身。清真学園高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。早大在学中には早稲田大学雄弁会に所属していた。大学卒業後、経済産業省に入省し、通商政策課長補佐等を務める。 経産省を退職後、ボストン・コンサルティング・グループに約1年半勤務し、2019年5月に退社した。 2019年5月27日、立憲民主党が第25回参議院議員通常選挙茨城県選挙区に小沼を擁立すると発表。この選挙では同年1月頃から立憲民主党本部が小沼の擁立を検討していたが、改選を迎える国民民主党現職の藤田幸久が立憲に移籍し、国民を除籍されたため、立憲・国民両党県連の間でわだかまりが発生。
伊藤 聡(いとう さとし、1979年〈昭和54年〉1月24日… 伊藤 聡(いとう さとし、1979年〈昭和54年〉1月24日 - )は、日本の政治家、元外務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。第221回国会において、衆議院の外務委員会、総務委員会、災害対策特別委員会、沖縄北海道特別委員会に所属。 茨城県かすみがうら市生まれ。東北大学理学部物理学科卒業。東京大学公共政策大学院国際公共政策コース修了。2007年に国家公務員Ⅰ種試験(法律職)に合格し、2008年外務省入省。総合外交政策局で安全保障関連業務に従事する。2010年から2011年まで桜井充参議院議員私設秘書、2014年から2020年までの6年間、塩崎恭久衆議院議員政策担当秘書を務める。2020年5月に青山社中株式会社に入社し、2022年から2023年、共同代表COOを務め、その後ハーバード大学国際問題センター・日米関係プログラム研究員として日本の外交・安全保障政策を研究した。
福島 伸享(ふくしま のぶゆき、1970年8月8日 - )は… 福島 伸享(ふくしま のぶゆき、1970年8月8日 - )は、日本の政治家、通産・経産官僚。 衆議院議員(4期)、学習院女子大学大学院非常勤講師、筑波大学客員教授、株式会社NFオフィス代表取締役などを歴任。妻は気象予報士の藤井南美。 茨城県日立市生まれ。茨城大学教育学部附属中学校卒業後、茨城県立水戸第一高等学校に入学するが、神奈川県立鎌倉高等学校に転校し、卒業。1年浪人し1990年、東京大学に入学。1年の留年を経て1995年、東京大学農学部農業経済学科を卒業。同年、通商産業省(2001年に経済産業省に改組)に入省。2003年に退官。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙および2005年9月の第44回衆議院議員総選挙に茨城1区から民主党公認で出馬。
望月 明雄(もちづき あきお、1967年〈昭和42年〉11月… 望月 明雄(もちづき あきお、1967年〈昭和42年〉11月20日 - )は、日本の自治・総務・内閣府官僚。 茨城県東茨城郡茨城町出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1991年(平成3年)、京都大学法学部を卒業。同年自治省に入省。入省後、山形県健康福祉部長、同総務部長、総務省大臣官房企画課個人番号企画室長、内閣官房内閣参事官(内閣総務官室)、同皇室典範改正準備室参事官、総務省自治行政局市町村課長、総務省大臣官房総務課長、総務省大臣官房企画課長、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局参事官、同観光戦略実行推進室参事官、同就職氷河期世代支援推進室参事、国土交通省道路局自転車活用推進本部事務局次長、国立国会図書館支部総務省図書館長、内閣府大臣官房審議官(沖縄政策及び沖縄科学技術大学院大学企画推進担当)、内閣府沖縄振興局沖縄科学技術大学院大学企画推進室長、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、同沖縄復帰50周年記念式典準備室審議官などを歴任。
吉永 隆博(よしなが たかひろ、1967年〈昭和42年〉3月… 吉永 隆博(よしなが たかひろ、1967年〈昭和42年〉3月2日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 茨城県筑西市出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1991年(平成3年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、運輸省に入省。入省後、海事局海技課長、内閣官房副長官補室内閣参事官、自動車局安全政策課長、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構審議役、海事局総務課長などを歴任。自動車局安全政策課長の際には事業用自動車の安全対策を担った。 2020年(令和2年)7月21日、海上保安庁交通部長に就任。 2022年(令和4年)12月20日、九州運輸局長に就任。 2024年(令和6年)7月1日、気象庁次長に就任。
奈須野 太(なすの ふとし、1966年〈昭和41年〉7月26… 奈須野 太(なすの ふとし、1966年〈昭和41年〉7月26日 - )は、日本の経産官僚。 茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第一高等学校を経て、1990年(平成2年)3月、東京大学教養学部教養学科を卒業。同年4月、通商産業省へ入省。 入省後、産業技術環境局技術振興課長、経済産業政策局産業組織課長、原子力損害賠償支援機構執行役員、経済産業政策局参事官(産業人材政策担当)、産業技術環境局環境政策課長、同局総務課長、中小企業庁経営支援部長、同庁事業環境部長、経済産業研究所コンサルティングフェローなどを歴任。 入省7年目の1996年(平成8年)6月に産業政策局商政課課長補佐に就任。初めての課長補佐で、流通産業課も兼務した。
大井川 和彦(おおいがわ かずひこ、1964年〈昭和39年〉… 大井川 和彦(おおいがわ かずひこ、1964年〈昭和39年〉4月3日 - )は、日本の政治家、経産官僚。茨城県知事(公選第19・20・21代)。無所属。 茨城県土浦市生まれ。土浦市立真鍋小学校に入学後、父親の転勤のため、日立市立宮田小学校に転校した。日立市立宮田小学校、茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校、東京大学法学部卒業。1988年、通商産業省(現経済産業省)入省。1996年、ワシントン大学ロースクール修了(国費留学)。1998年、通商産業省の初代シンガポール事務所長に就任。 2003年、経済産業省を退官し、同年よりマイクロソフトアジア執行役員。マイクロソフト(現日本マイクロソフト)執行役常務を経て、2010年よりシスコシステムズ(日本法人)専務執行役員。
秋庭 英人(あきば ひでと、1962年 - )は、日本の経済… 秋庭 英人(あきば ひでと、1962年 - )は、日本の経済産業官僚。独立行政法人中小企業基盤整備機構副理事長、経済産業省経済産業研修所長、一般社団法人日本産業機械工業会代表理事などを歴任。 茨城県古河市出身。栃木県立栃木高等学校を経て、1987年一橋大学経済学部卒業、通商産業省入省。1994年カリフォルニア大学サンディエゴ校留学。1995年北京大学経済学院留学。1999年外務省在中華人民共和国日本国大使館一等書記官。中小企業庁長官官房政策調整課長補佐を経て、2002年中小企業庁長官官房政策企画官。 2004年独立行政法人日本貿易振興機構香港センター産業調査員。独立行政法人日本貿易振興機構香港産業研究員事務所長を経て、2007年経済産業省製造産業局産業機械課長。
赤城 徳彦(あかぎ のりひこ、1959年〈昭和34年〉4月1… 赤城 徳彦(あかぎ のりひこ、1959年〈昭和34年〉4月18日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。 農林水産大臣(第42代)、衆議院議員(6期)などを歴任。 茨城県真壁郡明野町(のちの筑西市)出身。東京学芸大学教育学部附属高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。1983年農林水産省へ入省。林野庁林政部、大臣官房企画官等を経て退官。祖父赤城宗徳の引退後、その地盤を受け継ぎ、1990年2月の総選挙で旧茨城3区から「フレッシュ30」を掲げて立候補し初当選、以来6回連続当選。自由民主党では番町政策研究所(旧名称:新政策研究会、通称:河本派-高村派)に所属した。 1993年6月18日の宮沢内閣不信任決議の採決を欠席し、同決議は可決される。
笹島 誉行(ささじま たかゆき、1957年11月15日 - … 笹島 誉行(ささじま たかゆき、1957年11月15日 - )は、日本の総理府・総務官僚。総務審議官を経て、独立行政法人統計センター理事長。 1957年、茨城県生まれ。1976年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。1980年、東京大学理学部数学科を卒業し、上級甲種(数学)で総理府入府。1996年総務庁青少年対策本部参事官。2001年より人事・恩給局で課長、次長、局長等を長く務める。2015年総務審議官となり2017年辞職。
塚田 桂祐(つかだ けいすけ、1956年 〈昭和31年〉- … 塚田 桂祐(つかだ けいすけ、1956年 〈昭和31年〉- )は、日本の自治・総務官僚。2016年より流通経済大学法学部教授。茨城県筑西市(旧・下館市)出身。 1975年(昭和50年)、茨城県立水戸第一高等学校を卒業。1980年(昭和55年)、東京大学法学部を卒業。自治省に入省。1986年(昭和61年)、ハーバード大学ケネディ・スクール修了。公共経営学修士を取得。 1992年(平成4年)、埼玉県企画財政部次長となる。1997年(平成9年)、徳島県商工労働部長となる。1999年(平成11年)、農林水産省農村整備・活性化対策室長となる。 2001年(平成13年)、一般財団法人自治体国際化協会シドニー事務所 所長となる。
藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )… 藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )は、日本の経済産業官僚。経済産業省貿易経済協力局長や、住友商事代表取締役副社長、石油資源開発代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 茨城県水戸市出身。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校から東京大学に入学。1977年同大学法学部第1類(私法コース)卒業、通商産業省入省(立地公害局保安課)。2002年7月経済産業省産業技術環境局産業技術政策課長。2003年資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長。2007年関東経済産業局長。2008年7月経済産業省貿易経済安全保障局長。2009年退官、三井住友海上火災保険株式会社顧問。2010年住友商事株式会社執行役員。
永岡 洋治(ながおか ようじ、1950年〈昭和25年〉12月… 永岡 洋治(ながおか ようじ、1950年〈昭和25年〉12月24日 - 2005年〈平成17年〉8月1日)は、日本の政治家、農林水産官僚。自由民主党(亀井派)に所属した。妻は洋治の死後地盤を引き継いで衆議院議員となった永岡桂子。 茨城県古河市出身。埼玉県立春日部高等学校を経て、東京大学法学部卒業。ハーバード大学大学院修了。1975年(昭和50年)、農林水産省に入省。1985年(昭和60年)、鹿児島県農政課長。1987年(昭和62年)、農林水産省大臣官房予算課長補佐。1990年(平成2年)、農林水産省大臣官房企画室上席企画官。1991年(平成3年)、農林水産省大臣官房総務課調査官。1993年(平成5年)、農林水産省経済局国際部ガット室長。
雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月1… 雨貝 二郎(あまがい じろう、1945年(昭和20年)4月13日 - )は、日本の通産官僚。人事院公平局長。ダイエー会長を歴任。茨城県出身。 経産省官僚から、過剰債務企業の代表格と見られたダイエーに会長として横滑りした。当初は「経産省によるダイエー再建」に当たってきたが、2004年、同社高木邦夫社長の下、UFJ銀行・三井住友銀行・みずほコーポレート銀行の主力三行との話し合いの末、竹中平蔵金融担当大臣下の金融庁による銀行救済のための不良債権減らしの目玉とされ、産業再生機構入りが決定された。 同期に、村田成二(事務次官)、一柳良雄、鴇田勝彦(TOKAI社長、中小企業庁長官)、山田豊(鹿島液化ガス共同備蓄社長、岩谷産業専務、通産研究所次長)、水谷四郎、喜田勝治郎(国際石油開発専務、国土庁官房審議官)など。
小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本… 小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本の元運輸・国土交通官僚。国土交通事務次官、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。茨城県土浦市出身。
金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財… 金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財務官僚。 1963年(昭和38年)、大蔵省入省。同期に、小村武(日本政投銀総裁、大蔵事務次官、主計局長)、日高壮平(FISC理事長、国税庁長官)、中平幸典(信金中央金庫理事長、財務官)、西村吉正(銀行局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)、龍宝惟男(オーミケンシ社長)、米沢潤一(政策研究院大学教授、日銀理事、関税局長)、川嶋烈(茨城銀行頭取)、石坂匡身(大蔵財務協会理事長、損保協会副理事長、環境事務次官、理財局長)、田中寿(造幣局長)ら。
松本 作衛(まつもと さくえ、1924年(大正13年)9月1… 松本 作衛(まつもと さくえ、1924年(大正13年)9月14日 - 2007年(平成19年)8月29日)は、日本の農林官僚。農林水産事務次官。茨城県出身。 茨城県立水海道中学校、弘前高等学校を経て東京大学経済学部経済学科卒業後、農林省入省。農林経済局金融課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、国土庁土地局次長などを経て、国土庁土地局長(1977年)、初代農水省官房長(1978年)、食糧庁長官(1979年)となり、1981年(昭和56年)に農林水産事務次官に就任。 退官後は農林漁業金融公庫総裁(1984年)、農林水産技術会議会長(1991年)、農業者大学校校長(1995年)を歴任した。 2007年8月29日、急性心不全により、82歳で死去。
竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月3… 竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月30日 - 2004年(平成16年)9月7日)は、日本の政治家、官僚。茨城県知事を5期務めた(公選第8・9・10・11・12代)。元参議院議員(1期)。 日本統治下朝鮮京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ、茨城県鉾田市育ち。 旧制鉾田中学校、(現:茨城県立鉾田第一高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 大学卒業後は国家公務員となり、旧建設省で都市局長を務めた後に参議院議員に転じた。茨城県知事に当選後は、在任中に筑波研究学園都市・筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など多くの大型プロジェクトを進めた。つくば市の成立にも尽力し、市名の実質的な名付け親でもある。
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 200… 西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚、政治家。陸軍司政官。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学法学部卒。内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長、宮城県副知事、日本社会党所属の衆議院議員。 岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。 全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。
細田 徳寿(ほそだ とくじ、1904年8月5日 - 1991… 細田 徳寿(ほそだ とくじ、1904年8月5日 - 1991年3月25日)は、内務省官僚、大分県知事(1945年 - 1947年、1947年 - 1955年)。官選も含めると第37・39・40代、公選のみでは初代・第2代にあたる。 茨城県水戸市出身。旧制水戸中学校(現在の水戸第一高校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法科政治学科を卒業。1928年に内務省入省。厚生省医務課長、警視庁保安衛生部長、陸軍司政官、内務省河川課長、内閣総理大臣秘書官等を経て、1945年10月27日に大分県知事に発令された。 1947年3月14日には、地方自治法施行にともなう県知事選挙への出馬のため県知事を辞職。この後、選挙までの約1ヶ月は和久田鉄雄が第38代県知事に短期間発令されている。
橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月… 橋本 正武(はしもと まさたけ、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1983年〈昭和58年〉7月11日)は、日本の武道家(剣道、居合道)、林野技術官僚。 茨城県多賀郡十王町(現日立市)で生まれる。曾祖父、祖父は1864年(元治元年)、天狗党の乱に参加。父熊之介は私塾輔仁学舎で水戸学を学び、水戸東武館で剣道を修めた。その弟の統陽は東京美術学校で彫刻を学びながら有信館で剣道、居合を修行していた。 1920年(大正9年)、県立水戸農学校を優秀な成績で卒業し、進学するために叔父の統陽を頼って上京。統陽の口利きで有信館の二階の部屋を与えられ、予備校に通いながら中山博道に剣道、居合を学ぶ。 1921年(大正10年)、東京帝国大学農学部林学実科に入学。
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16… 郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。
近藤 常尚(こんどう つねたか、1893年(明治26年)12… 近藤 常尚(こんどう つねたか、1893年(明治26年)12月3日 - 1936年(昭和11年)6月29日)は、朝鮮総督府官僚。 茨城県水戸市出身。1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。岩手県理事官、朝鮮総督府事務官、咸鏡南道警察部長、警務局図書課長、朝鮮総督秘書官・総督官房秘書課長を歴任した後、1931年(昭和6年)に欧米に出張した。帰国後、警務局保安課長を経て、全羅南道知事を務めた。 1931年(昭和31年)死去。同年7月4日に行われた葬送の際には、勅使として穂積真六郎(朝鮮総督府殖産局長)が邸宅に訪れ幣帛が下賜された。
荷見 安(はすみ やすし、1891年(明治24年)4月6日 … 荷見 安(はすみ やすし、1891年(明治24年)4月6日 - 1964年(昭和39年)2月22日)は、日本の農林官僚。農林次官。茨城県出身。
天谷 虎之助(あまがい とらのすけ、1889年2月17日 -… 天谷 虎之助(あまがい とらのすけ、1889年2月17日 - 1977年3月6日)は、内務官僚。第6・7代茨城県土浦市長。 茨城県出身。茨城県立土浦中学校、第二高等学校を経て、1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。高等文官試験に合格し、愛媛県属、同警視、同周桑郡長、同理事官、宮崎県理事官、福岡県理事官、福島県警察部長、岡山県警察部長、愛知県警察部長、京都府警察部長、秋田県内務部長、群馬県内務部長、福井県内務部長を歴任し、勅任官待遇となった。1932年(昭和7年)、退官。 その後、高松宮家嘱託、大正大学講師を務めた。 戦後は茨城県監査委員を務め、1951年(昭和26年)、土浦市長に初当選し1959年(昭和34年)まで2期務めた。
大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年… 大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年)5月12日 - 1966年(昭和41年)11月19日)は、日本の内務及び台湾総督府官僚、政治家。第18代東京市長。衆議院議員(4期)。 茨城県行方郡吉川村(津澄村、北浦村、北浦町を経て現行方市吉川)で大久保佐吉の次男として生まれる。生家は農家。1913年(大正2年)東京高等師範学校(筑波大学の前身)地歴科卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入省、警察畑を歩む。新橋、牛込、神楽坂各警察署長、警視庁特高課長、刑事部長、官房主事、台湾総督府警務局長を歴任。この間、堺利彦、徳田球一らが検挙された第1次共産党事件(1923年)、約1600人が検挙された三・一五事件(1928年)など、共産党員の大量検挙事件の指揮にあたる。
吉岡 荒造(よしおか こうぞう、1878年 - 没年不詳)は… 吉岡 荒造(よしおか こうぞう、1878年 - 没年不詳)は、日本の台湾総督府官僚。
野手 耐(ので たえる、1876年(明治9年)8月17日 -… 野手 耐(ので たえる、1876年(明治9年)8月17日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、弁護士。官選県知事、同志社高等商業学校長。
西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 … 西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 - 1950年(昭和25年)8月3日)は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた。 茨城県出身。西野元聿の長男として生まれる。水戸中学校、第一高等学校を経て、1902年(明治35年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。同年11月、文官高等試験行政科試験に首席合格。同年12月、臨時秩禄処分調査局属兼大蔵属に任官。一時期、上京してきた同郷の荒川敬を寄寓させていた。
平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3… 平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3年4月26日)- 1959年(昭和34年)7月11日)は、明治から昭和期の逓信官僚、実業家、政治家。衆議院議員。 常陸国茨城郡、のちの茨城県水戸市赤沼町で平山貞吉の三男として生まれた。1891年(明治24年)6月に家督を相続した。青弘塾で漢籍を修め、経済学者塩澤昌貞と同門で共に将来を嘱望された。1886年(明治19年)に上京して苦学しながら普通学を修めた。 逓信省に入省し、通信事務官補、通信事務官、大阪郵便為替貯金管理支所長、郵便貯金局事務官、大阪貯金支局長などを歴任。この間、記帳の様式にルーズリーフ式を採用するなど貯金事務の改善に貢献した。
野口 勝一(のぐち かついち、1848年11月11日(嘉永元… 野口 勝一(のぐち かついち、1848年11月11日(嘉永元年10月16日)- 1905年(明治38年)11月23日)は、明治期のジャーナリスト、官吏、政治家。衆議院議員、茨城県会議長。号・北巌、珂北。 常陸国多賀郡、のちの茨城県多賀郡北中郷村(磯原町を経て現北茨城市磯原町)で水戸藩郷士・野口勝章、なかの長男として生まれる。茨城拡充師範学校(茨城師範学校)を卒業し、多賀郡大久保村(のち国分村、現日立市)などで小学校教員として勤務。 1875年(明治8年)福島県に移住し1878年(明治11年)水戸に戻り茨城新報主筆に就任し、自由民権運動に加わる。茨城県会書記、茨城県属を経て、1881年(明治14年)1月、茨城県会議員に選出され、同年2月、同議長に就任し、同常置委員も務めた。
香川 敬三(かがわ けいぞう、1839年12月20日〈天保1… 香川 敬三(かがわ けいぞう、1839年12月20日〈天保10年11月15日〉- 1915年〈大正4年〉3月18日)は、江戸末期の水戸藩出身の勤皇志士で、明治から大正期の日本の宮内官僚。位階勲等爵位は従一位勲一等伯爵。東山道軍総督府大軍監・皇后宮大夫・皇太后宮大夫・枢密顧問官などを歴任し、美子皇后(昭憲皇太后)に長きに渡って仕えた。 諱は広安。旧姓は蓮田。幼名は、了介または徳松。旧名、鯉沼 伊織(こいぬま いおり)。変名は、小林彦次郎。明治になり香川広安、のちに敬三に改名。士族だったが、後に華族の子爵、ついで伯爵に列する。生年は1841年(天保12年)という説もある。 下伊勢畑(現在の常陸大宮市)の水戸藩郷士蓮田重右衛門孝定・袖の3男に生まれる。
軽部 斐(かるべ あやる、天保6年(1835年)– 明治22… 軽部 斐(かるべ あやる、天保6年(1835年)– 明治22年(1889年)7月)は、常陸国下妻藩出身の官吏。旧名は鷁弥(げきや)。公議所公議人、下妻藩権大参事、のち茨城県稲敷郡郡長(当時信太・河内郡長)を務めた。 常陸国真壁郡下妻村(現・茨城県下妻市)の人。天保6年(1835年)、旧下妻藩邸に生まれる。那珂通高に学び、経史を中心に学問を修めた。 明治元年(1868年)8月、公議所制度が布告されると公議人に選ばれ、諸藩の同職226人とともに公議所に出仕し、国事の審議に参加した。明治2年(1869年)には下妻藩権大参事に任命される。 維新後、常陸下妻藩士・軽部鷁弥から軽部斐と改名した。廃藩置県後は宇都宮県に出仕し、まもなく栃木県へ転じて県務に携わった。
鈴木 祥一(すずき よういち)は、日本の官僚。会計検査院第2… 鈴木 祥一(すずき よういち)は、日本の官僚。会計検査院第2局長。 茨城県古河市出身。小山工業高等専門学校を経て、1988年、東京農工大学大学院卒業、会計検査院入省。衆議院出向を経て、2022年12月22日より会計検査院第2局長。2023年4月岐阜県代表監査委員。