大橋 力(おおはし つとむ、1933年3月14日 - )は、… 大橋 力(おおはし つとむ、1933年3月14日 - )は、日本の科学者、芸術家。文明科学研究所所長、星槎大学客員教授。 栃木県小山市生まれ。栃木県立栃木高等学校卒業。東北大学農学部農芸化学科卒業。1975年「麦角アルカロイドの生合成に関する研究」で東北大学より農学博士の学位を取得。 筑波大学講師、文部省放送教育開発センター教授、千葉工業大学教授、国際電気通信基礎技術研究所人間情報通信研究所感性脳機能特別研究室長、公益財団法人国際科学振興財団理事・情報環境研究所所長等を歴任。バリ島に詳しく、現地のダルマ・クスマ勲章(バリ島の文化勲章)を外国人として初めて受賞。 科学者として、情報環境学、感性科学、演出工学、分子生物学、人工生命、生態人類学などの分野で活躍する一方、1974年にはアーティストグループ「芸能山城組」を創立。
蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日… 蓮実 進(はすみ すすむ、1933年2月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選4回)。 栃木県那須郡那須町に七人兄弟の五男として生まれる。栃木県立大田原高等学校、明治大学政治経済学部を卒業する。 作新学院の経営者・船田中の秘書として25年間勤める。また、1978年の江川事件にも関わった。 1983年、栃木県選挙区の参議院議員補欠選挙に立候補するも落選。以降、衆議院議員総選挙に旧栃木1区より2回出馬するが、いずれも落選。 1993年、第40回衆議院議員総選挙で旧栃木1区から初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、栃木3区の党公認をめぐって新人の渡辺喜美と激しく争ったが、最終的には比例代表に回り、2期目の当選を果たす。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都… 斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都宮市出身の彫刻家、石彫作家。 1933年に栃木県宇都宮市に生まれる。東京芸術大学彫刻科に入学し、石井鶴三教室にて素描、彫像、木彫を学ぶ。1958年東京芸術大学専攻科で昭和の名工の一人である明石亀太郎に石彫を学ぶ。1960年大晦日に貨客船でアメリカに向かう。ブルックリン美術学校(ニューヨーク)に奨学金を得て入学し、イタリアの彫刻家オデリオ・ベッジに御影石による彫刻技法を学ぶ。全米彫刻協会の特別会員(Fellow of NSS)、アート・スチューデンツ・リーグのインストラクターを務める。現在もニューヨーク、ブルックリンのスタジオにて制作を続けている。
川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月1… 川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月18日)は、日本の作曲家。 栃木県足利市出身。東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を師事した後、桐朋学園大学研究生指揮科を修了した。愛知教育大学教授と名古屋音楽大学教授を歴任し、現在は愛知教育大学名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月2… 小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞のディフェンダー。2014年日本サッカー殿堂入り。 生まれは兵庫県。父親の仕事の関係で東京に移り住み、太平洋戦争中に宇都宮市へ疎開し、以降宇都宮に住む。幼少期には体は弱く、激しい運動は両親に止められていたほどだった。 栃木県立宇都宮高等学校入学とともに、親の反対を押し切ってサッカーを始める。FW岩淵功とともに活躍、高校1年から全国高等学校蹴球選手権大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)に出場、高校2年時に準優勝、3年時に優勝を果たす。
吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 19… 吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 1960年6月10日)は、栃木県宇都宮市出身 のプロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇都宮工業高校では、同期の神田昌男とバッテリーを組み、捕手、三番打者として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権は2回戦(初戦)でエース大沢昭を擁する神奈川商工を降し、準々決勝では若狭高に大勝。準決勝に進むが、松山東高の池田勉(津田鋼材)に抑えられ完封負け。翌1951年春の選抜は1回戦で平安高の清水宏員を打ち崩し完封勝ち、しかし準々決勝で明治高のエース松尾豊(明大)に完封負けを喫する。明治高には沖山光利がいた。 1952年に大洋ホエールズへ神田と共に入団。同年は荒川昇治の控え捕手であったが、シーズン終盤には13試合に先発マスクを被る。
中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は… 中本 信幸(なかもと のぶゆき、1932年7月6日 - )は、日本のロシア文学者、演劇評論家、翻訳家、神奈川大学名誉教授。
宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 -… 宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 - 2006年(平成18年)11月11日)は、日本の環境学者・公害問題研究家。専門は下水道。畜産排水技術の研究開発で実績がある。沖縄大学名誉教授。富田八郎のペンネームで水俣病を告発し、新潟水俣病訴訟や公開自主講座「公害原論」でも活躍した。 東京大学で21年間助手を務めた後、沖縄大学教授、地域研究所初代所長、特任教授を歴任。UNEPグローバル500賞、アジア太平洋環境賞等を受賞。 東京都新宿区出身。大日本帝国陸軍少将の小嶋時久は祖父。「純」の名前は6月(June)生まれに由来する。2歳の時、父が茨城県の女学校に就職したため東京を離れ、以後、父の転勤に従って引っ越しを繰り返した。
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日… 船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日)は、日本の作曲家、歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階は従三位。 栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校(旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。 獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたことなどもあり音楽の道を志す。
井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日… 井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日本の英文学者・比較文学者。ケルト・ファンタジー文学研究家。明星大学名誉教授。フェアリー協会会長。イギリス・フォークロア学会(英語版)終身会員。妖精美術館(福島県大沼郡金山町)館長。うつのみや妖精ミュージアム名誉館長。 2003年に生まれ故郷の栃木県宇都宮市にケルト・妖精関係資料(文豪の自筆原稿や貴重な美術品を含む)を寄贈した。寄贈された資料を展示するため、2007年7月31日、世界的にも珍しい妖精をテーマにした美術館うつのみや妖精ミュージアムがオープン、名誉館長に任命される。 宇都宮市の旧家に福田 君江として生まれ、祖母に養育されて成長する。
小林森治(こばやしもりじ、1932年 - 2006年5月11… 小林森治(こばやしもりじ、1932年 - 2006年5月11日)は、栃木県佐野市出身の日本のアマチュア園芸家(バラ育種家)。純粋な交配のみでの青いバラの作出に挑み、複数の青いバラの品種を世に送り出した。本業は、電気技師。 会社勤めの傍らで、20代からバラやボタンなどの栽培を始めた。「色々と美しい花はあるが、世にないものを作りたい」という思いに至り、青いバラの交配による育種にのめり込むようになる。人工交配による青バラづくりを1961年から始め、10年経てば挫折する人が相次ぐ中でも諦めずに育種を続けた。1970年ごろに、当時にしてみればかなり赤みの抜けた青バラを咲かせることに成功したが、梅雨の長雨で枯らしてしまったこともあったという。
小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)1… 小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)12月11日 - 2023年(令和5年)3月15日)は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。位階は従五位。旭日双光章。 現在の茨城県結城市出身。栃木県立栃木高等学校卒。小西栄次郎商店に入社し、同社常務を経て、社長となる。商号を「小西」に改称し、社長に留まる。ほか、結城信用金庫理事、結城商工会議所会頭、結城市観光協会会長に就任。 2003年の結城市長選挙に立候補し、初当選。2007年の市長選挙で再選。市長は2011年まで務めた。2023年死去。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司の三男であり、兄の濱田晋作、その息子で甥の濱田友緒も陶芸家である。 1931年(昭和6年)10月17日、陶芸家・濱田庄司の三男として栃木県益子町に生まれる。 1948年(昭和23年)、栃木県立真岡高等学校を卒業後、父・庄司の弟子となる。 1956年(昭和31年)に英国に渡り、約2年間イギリスのセント・アイヴスにあるバーナード・リーチの工房「リーチ・ポタリー(英語: Leach Pottery)」に在籍し、リーチに師事し共に働き、陶芸家としての足場を固めた。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。
熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 20… 熊久保 勅夫(くまくぼ ときお、1931年8月7日 - 2012年12月30日)は、日本の実業家、馬主。東北サファリパーク、那須サファリパーク、エビスサーキット、那須ワールドモンキーパーク、岩手サファリパーク創業者。息子は熊久保信重。 勅夫は、満州事変がはじまる前月の1931年8月7日、栃木県黒磯市(現在の那須塩原市)高林にて、酒造業や木材・木炭の取引業などを営む熊久保家の次男として生まれた。学校の勉強よりも自然から学ぶことを好んで山を駆け回り、「普通の悪ガキ」に育った少年時代を過ごした勅夫は、戦後の混乱期の中で高校を出ると同時に、東京都江東区深川の材木問屋へ丁稚奉公に行き、そこで3年間の修行を積んだ。
小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22… 小林 武夫(こばやし たけお、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、日本の政治家。元栃木県小山市長(1期)。元栃木県議会議員(2期)。 栃木県下都賀郡小山町(現・小山市)出身。1949年、栃木県立栃木農業高等学校卒。1963年、小山市議会議員に初当選し、3期務める。1975年から栃木県議会議員を2期務めた(無所属→自由民主党)。1984年、小山市長の栗田政夫は病気のため辞任。小林は市長選挙に立候補し、当選する。1988年、市内の中学校の建設に関わる贈収賄事件で逮捕され、6月に市長を辞任した。同年10月宇都宮地裁で懲役2年、執行猶予4年、追徴金300万円の有罪判決を受けた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
高田 耕作(たかだ こうさく、1931年5月18日 - )は… 高田 耕作(たかだ こうさく、1931年5月18日 - )は、栃木県足利市出身のプロ野球選手。 足利工業高校から常磐炭鉱に入社した。1953年の全国炭鉱野球大会では優勝常連の日鉄二瀬相手に先発し、準パーフェクトゲームを演じた。 1954年に阪急ブレーブスへ入団。1955年に退団した。 阪急退団後は常磐炭鉱に戻り、その後1956年・1958年時点で東洋レーヨン滋賀に所属している。 阪急への入団時には、快速球という前評判があった。 実家は葉茶屋である。
上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013… 上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013年9月8日)は、日本の高校野球指導者。東京都(当時は東京府)出身。 現在の豊島区池袋に生まれた。母は宇都宮学園高等学校を経営する上野家の長女で、その弟の上野秀文が同校の校長を務めていた。宇都宮中学を経て、栃木県立宇都宮高等学校では三塁手、早稲田大学教育学部に進み、卒業後は富士機械製造でプレーし、監督も務めた。1959年秋に叔父の秀文から誘われ、宇都宮学園高校野球部コーチとなり、翌年6月から監督に就任。1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会に同校を出場させて以降、甲子園常連校となった。1995年の第77回全国高等学校野球選手権大会後に監督を退き総監督になったが、1999年末に引退。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - … 佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - 2015年5月14日)は、日本の彫刻家 、国画会会員。 栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園、栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。 下野新聞「談話室」、栃木新聞「渡辺美智雄氏の胸像を作る彫刻家佐藤健次郎さんが来社」
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸家。兄の濱田晋作、その息子の濱田友緒も陶芸家。
河内 忠吾(かわち ただみち、1930年12月24日 - 1… 河内 忠吾(かわち ただみち、1930年12月24日 - 1991年1月29日)は、栃木県小山市出身のプロ野球選手(投手→三塁手)、野球監督。
辻宣道(つじ のぶみち、1930年12月7日 - 1994年… 辻宣道(つじ のぶみち、1930年12月7日 - 1994年7月25日)は、日本の牧師。栃木県足利市生まれ。元日本基督教団総会議長。祖父は中田重治。 1930年、父辻啓蔵牧師、母京(中田重治の次女)の間に足利に生まれる。1935年8月22日、3歳上の兄重蔵が渡良瀬川で溺死する。1939年には祖父中田重治が死去する。その後、父啓造は青森の教会に転勤になり、一家は青森に移る。1942年、父啓造師が宗教弾圧で検挙され、青森刑務所で獄死し、その後は京に育てられる。1949年に聖書農学園(現千葉英和高等学校)神学部を卒業し、その後静岡県焼津市で開拓伝道を行う。また日本基督教団静岡草深教会で牧会を行った。1994年、顎下腺癌のため召天する。
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 20… 寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2… 塚本 芳和(つかもと よしかず、1930年5月26日 - 2010年4月17日)は、日本の実業家。 ※和久井孝太郎・堀之内勝一との共著
黒崎 健時(くろさき けんじ、もしくは名前の読みが「たけとき… 黒崎 健時(くろさき けんじ、もしくは名前の読みが「たけとき」、1930年3月15日 - )は、日本の空手家。別名:黒崎 明。栃木県下都賀郡桑村出身。キックボクシング・目白ジム、新格闘術・黒崎道場、黒崎総合格闘技スクールを主宰。元・極真会館最高師範(七段)。 当初は国士舘大学の一期生である福田久一郎に剣道を習っていたが、その後、革新系皇道派思想の佐郷屋留雄に預けられ、師事していた時に、佐郷屋の紹介で大山倍達の門下生となった。 自著『必死の力必死の心』には1953年目白野天道場に入門したと書いているが、当時の黒帯門下生は「黒崎と言う人を見たことがない」と言われ「立教裏道場時代からではないか」と答えている。
生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019… 生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019年8月29日)は、日本の男性俳優、声優。栃木県日光市出身。生前はプロダクション・タンクに所属。身長166cm、体重80kg。 劇団俳優座2期生。劇団仲間代表。第52回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞。 1963年放送のテレビドラマ『戦友』では滝原軍曹役で主演を務めた。 2019年8月29日死去。89歳没。 趣味・特技は書道(50年)師範、オペラ演出。 『特別機動捜査隊』の佐久間刑事など、現代劇では刑事役を演じることが多かった。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
八染 茂雄(やそめ しげお、1929年7月10日 - 198… 八染 茂雄(やそめ しげお、1929年7月10日 - 1983年8月17日)は、栃木県足利市朝倉町出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は172cm、93kg。得意手は左四つ、寄り、肩透かし、上手捻り。最高位は東前頭16枚目(1957年3月場所)。 栃木県立足利工業学校(現・栃木県立足利工業高校)を卒業後、食糧公団勤務を経て春日野部屋に入門し、1949年10月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でそれぞれ好成績を残したため、翌年1月場所の番付では序ノ口を飛び越し、序二段に四股名が載った。 なお、当初より、本名でもある「八染」を名乗った(以後は「栃木岩」に改名した時期もあったが、2年足らずで元の「八染」に再改名している)。
大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月1… 大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2015年(平成27年)1月23日)は、日本の料理研究家である。栃木県宇都宮市出身。 東京女子経済専門学校(現在の新渡戸文化短期大学)卒業後、留学のため渡英する。その後4年間各国の多くの料理を研究し、帰国後料理研究家としての活動を始めた。大原が調理した料理はユニークなものであり、きょうの料理(NHK)等多くの料理番組に出演し料理雑誌にも紹介され知れ渡った。 後に大原が経営するクッキングスタジオを主宰し、1991年(平成3年)には東京都港区青山にて「英国骨董おおはら」が開業し、オーナーを務めた。 ・『洋風のおかず』(1972年) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16… 濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16日 - 2023年(令和5年)7月16日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 濱田庄司の次男であり、濱田窯の2代目当主である。 1929年(昭和4年)3月16日、濱田庄司の次男として東京に生まれる。 1930年(昭和5年)、1歳の時に栃木県芳賀郡益子町へ家族揃って移住する。 旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部美術工芸窯業科に入学し美術工芸を学び、1950年(昭和25年)に卒業後、父・庄司の下で濱田窯にて修業を積み、本格的な作陶活動に入る。 1963年(昭和38年)、父の助手として渡米し、アメリカ各地の陶芸講習会でアシスタントを務める。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12… 宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12日 - 1973年(昭和48年)3月4日)は日本の歌手。栃木県宇都宮市出身。本名は吉田清男。 1946年(昭和21年)、宇都宮商業学校を卒業目前にして、コロムビアの新人募集に応募し合格。同年5月発売の「銀座歩けば」でデビュー。芸名の宇都美清とは出身地の宇都宮から取ったものである。 1949年(昭和24年)までに7曲吹き込んだが、ヒットしたのは「旅役者の唄」(霧島昇)のB面曲「三千歳小唄」ぐらいで、翌年、ビクターへ移籍。渡辺はま子と吹き込んだ「火の鳥」がヒットし、「ああモンテンルパの夜は更けて」、「浅太郎月夜」等がヒットする。 NHK紅白歌合戦に3回出場している(詳細は下記参照)。
田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - … 田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - 2023年〈令和5年〉1月14日)は、日本の建設技官。国土地理院長を務めた。 1928年に栃木県栃木市に生まれる。1952年3月東京大学理学部地球物理学科卒業後、同年4月建設省地理調査所勤務。1967年2月理学博士(東京大学)。1982年11月国土地理院長。1984年11月同院を退職。1985年6月学校法人中央工学校理事を経て学校法人中央工学校・中央実務専門学校校長。
堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不… 堀口 宏(ほりぐち ひろし、1928年5月30日 - 没年不明)は、日本のプロボクサー。栃木県真岡市出身。元日本バンタム級王者。 ピストン堀口は実兄。 通算戦績 101戦82勝(24KO)11敗6分2無効試合 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 19… 五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 1982年3月4日)は、日本の芸術家、郷土民芸作家、スキー選手。 スキーの国体選手・監督(栃木県)でもある。 作品は、那須町の自然や動物、子供を題材にした作品が多く特に駒やりんどうが描かれていることが多い。木工品や益子焼、黒羽藍染、烏山和紙、木彫、布絵など作品は多岐にわたるが、栃木県の伝統工芸を使用しているのが特徴である。 栃木県那須郡那須村(現・那須町)出身。 那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。 旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)… 関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。栃木県足利市出身。 1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。 浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。当時は渥美清や谷幹一と出会い、三人で下積み時代を支えあった。
前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関… 前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関西大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。1953年京都大学文学部社会学科卒、1958年同大学院博士課程満期退学、京大助手。1960年高野山大学講師、1962年「祖先崇拝論考」で京都大学文学博士。1967年関西大学社会学部助教授、1972年教授、1999年定年退任、名誉教授。
境 正一郎(さかい しょういちろう、1928年 - )は、日… 境 正一郎(さかい しょういちろう、1928年 - )は、日本の数学者。公益財団法人川井数理科学財団前理事長。専門は作用素環論。 1928年 栃木県鹿沼市生まれ。1953年 東北大学卒業、1961年 東北大学にて博士号を取得。1960年から1964年まで早稲田大学の教員を務めた後、ペンシルバニア大学に移り1966年から1979年まで教授の職にあった。また1997年に退職するまで日本大学文理学部教授を務めていた。退職後は東北大学理学部内にある数理科学振興のための公益財団法人川井数理科学財団の理事長を務めた。 主な業績は「作用素環論における微分論とその応用」である。「ノイマンが数学の一分野として確立した作用素環論は、荒木不二洋、境正一郎、竹崎正道、冨田稔など日本人の著しい活動とアラン・コンヌやヴォーン・ジョーンズらの研究によりさらに発展した」と言われている。
上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 19… 上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 1997年8月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 栃木県宇都宮市出身。旧制大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)卒業。専修大学短期大学部法律実務科卒業。1945年12月に栃木県庁に入り1963年2月末まで在籍した。その後は、県職員労働組合の役員を務める。1967年の栃木県議会議員選挙に宇都宮市選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選を果たした。その後連続4期務めた。 1982年10月7日に栃木県知事選挙に立候補し、県議を失職した。社会党推薦を得たが、自民、公明、民社、新自由クラブが推薦する現職の船田譲に敗れた。
福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の… 福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の政治家。今市市長(1期)。 栃木県今市市(現・日光市)出身。栗山村教育長を経て、1974年5月の栃木県議会議員補欠選挙に今市市選挙区から自由民主党公認で立候補して、初当選を果たした。その後、1975年、1979年、1983年にも当選した。また、1985年3月から1986年3月まで第77代同副議長を務めた。同年4月6日に辞職した。 任期満了に伴う今市市長選挙に立候補して、4選を目指した斎藤昭男を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) しかし1987年2月25日、市長選に絡んでその前に東武建設社長らに学校建設受注を約束して見返りに2835万円の賄賂を受け取ったとして事前収賄罪容疑で逮捕された。
島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年… 島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年6月23日)は、日本のジャーナリスト。第15代日本放送協会(NHK)会長、元NHK政治部記者。 栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)出身。旧制宇都宮中学、旧制新潟高校を経て、海軍兵学校2年生の時に終戦。東北大学文学部美学科卒業後、1952年4月NHKに入局。初任地はNHK盛岡放送局。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。1973年、ニュースセンター次長となり、1973年9月に放送総局副総局長の堀四志男の指示の下、報道番組部長として、1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる。
横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日… 横地 光明(よこち みつあき、1927年(昭和2年)7月4日 - 2018年(平成30年)7月7日)は、元陸上自衛官。軍事評論家。 栃木県出身。陸軍航空士官学校第60期(同期に森繁弘 第16代統合幕僚会議議長、中村守雄 第19代陸上幕僚長)修業。戦後は東京理科大学を経て陸上自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。 退官後は旭化成工業顧問、日本世界戦略フォーラム副理事長、全国防衛協会連合会常任理事、同相談役などを務める。 また、2011年11月から2013年4月まで月刊軍事誌『軍事研究』において「最後の士官候補生」と題した自身の回顧録を執筆。 『自衛隊創設の苦悩 その実相と宿痾 警察から生まれた軍隊でない武装集団 警察予備隊・保安隊・自衛隊』
安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年… 安田 範(やすだ はん、1927年2月22日 - 2019年11月5日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。位階は従五位。 栃木県宇都宮市出身。1947年早稲田大学専門部法律科卒。同年栃木県庁に入り、地方労働委員会勤務。1951年に退職。1954年社会党に入党。1960年から1年間広瀬秀吉の秘書を務めた。1963年から宇都宮市議を3期、1975年から栃木県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧栃木1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。のちに2002年から2010年まで栃木県遊技業協同組合理事長を務めた。 2019年11月5日、死去。92歳没。死没日をもって従五位叙位、旭日小綬章追贈。
秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平… 秋草 鶴次(あきくさ つるじ、昭和2年(1927年) - 平成30年(2018年)3月30日)は、元大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍一等兵曹(通信兵)。 全国各地で自身の戦争体験を伝える講演活動を行っている。 2018年3月30日午前0時7分、老衰のため栃木県足利市の病院で死去。90歳没。
野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 201… 野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 2016年5月7日)は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(1966年)。慶應義塾大学名誉教授。 栃木県生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒、1966年「生産管理の経営学」で経済学博士の学位を取得。1951年慶大経済学部副手、1955年助手、1958年慶應義塾大学商学部助教授、1964年同教授。1992年定年、名誉教授、日本大学教授、創価大学経営学部教授。2001年退任。日本経営学会理事長、日本学術会議会員、ベルリン自由大学客員教授、パリ大学客員教授。 戦前の三井財閥などの財閥研究、金融史(銀行史)、人事労務管理論、経営管理論、組織論、企業経営分野において業績を残す。
佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2… 佐藤 隆賢(さとう りゅうけん、1926年7月29日 - 2018年10月15日)は、栃木県宇都宮市生まれの日本の仏教学者(密教学、博士(文学))、真言宗智山派の僧侶(智山伝法元院長、円能院元住職)。元大正大学学長・名誉教授。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。