松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 19… 松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 1983年1月28日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。社会保険労務士。 埼玉県入間郡三ヶ島村(現・所沢市)出身。1940年、三ヶ島村立三ヶ島尋常高等小学校卒。陸軍特別幹部候補生を経て、戦後、豊岡町(現・入間市)にあったジョンソン基地に入り、労働運動に参加。全駐労埼玉地連書記長、同副委員長となる。その後所沢市議会議員を経て、日本社会党から埼玉県議会議員選挙に立候補し当選。1979年4月の県議選で落選、同年10月の第35回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から日本社会党公認で立候補するも次点落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙で初当選した。
新井 達太(あらい たつた、1926年 - 2022年9月1… 新井 達太(あらい たつた、1926年 - 2022年9月15日)は、日本の医師。心臓外科医。 A型単心室の根治術、隔壁形成術に世界で初めて成功したことで知られる。 日本胸部外科学会名誉会長、日本人工臓器学会名誉会長、日本心臓血管外科学会名誉会員、日本冠動脈外科学会名誉会員、日本外科学会特別会員。 1926年、埼玉県秩父市に生まれる。旧制・埼玉県立熊谷中学校、旧制・山形高等学校理科乙類を経て、1953年、東京慈恵会医科大学医学部を卒業。1954年、東京女子医科大学榊原外科入局。1968年、東京女子医科大学教授。1972年、東京慈恵会医科大学教授を経て、1991年、埼玉県立循環器病センター準備室参事、東京慈恵会医科大学客員教授、独協医科大学客員教授。
新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019… 新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019年1月6日)は、日本の法学者・弁護士。英米法学者。中央大学名誉教授。埼玉県熊谷市出身。 1949年司法試験合格。1950年、中央大学法学部卒業。1950年同大学院法学部助手(指導教授:守屋善輝)。この後、司法修習修了。1955年、同法学部助教授。1962年、中央大学法学部教授。1963年イギリス・ロンドン大学、アメリカ・ミシガン大学ロースクールに研究留学(~1965年)。1967年中央大学通信教育学部部長、1975年同日本比較法研究所長、1985年中央大学附属中学校・高等学校校長を歴任。1996年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - … 倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - 2024年11月6日)は、日本の日本史学者・民俗学者。 専門は日本の儀礼文化全般・宮中祭祀・埼玉県内における民俗学を研究。文学博士(國學院大學)。日本における祭祀研究の第一人者。 埼玉県秩父郡皆野町出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1950年國學院大學文学部日本文学科卒業、埼玉県神社庁職員、神社本庁職員を経て、1963年同大学院文学研究科日本文化専攻博士課程単位取得満期退学、同文学部専任講師、1970年に論題「饗宴の研究:文学編」で國學院大學にて文学博士号を取得した。同文学部助教授、同文学部教授。1968年西ドイツ・ボン大学客員教授(~1970年)。
近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 … 近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 - 1992年4月28日)は、日本の俳優。埼玉県川越市出身。 日本大学専門部芸術科(現・藝術学部)卒業。1944年に東宝に入社。1953年に東宝を退社しフリーランスとなる。1955年に日活に入社。その後はシナリオ文芸協会に所属していた。アクション映画を中心に主に悪役で活躍。 1960年代後半からはテレビドラマにも本格的に進出し、バイプレイヤーとして様々な役柄を演じた。 1992年4月28日午後4時10分、急性心肺機能不全のため、東京医科大学病院にて死去。66歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月… 竹内 敏晴(たけうち としはる、1925年(大正14年)3月31日 - 2009年(平成21年)9月7日)は、東京生まれの日本の演出家。「竹内レッスン」と呼ばれる演劇的レッスンを基にした独自の「からだとことば」のワークショップを主宰した。 生後すぐに難聴になり耳がまったく聞こえなくなった後、少年期から青年期にかけて薬による治療効果で徐々に片耳が聞こえるようになり、一般には自然に済んでしまう言語習得を意識的に自力で行わなければならなかった、という特殊な経験と、その間培われた鋭敏な感覚により、人と人とが声やことばを本当には交わし合ってはいないこと、つまりふれあっていないことに気づき、演出家への道を歩む上で演技とは何かを追求することと相まって、演技レッスンにより、人と人との真のふれあいとは何か、出会いとは何かを探り、一人一人の人間的可能性を開くことを目指すようになる。
齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - 20… 齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - 2011年1月)は日本の映画監督。埼玉県秩父市出身。
齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - 20… 齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - 2011年)は、日本の映画監督。 埼玉県秩父市出身。1948年早稲田大学文学部卒業後、松竹大船撮影所の脚本養成所に所属した後、助監督として主に小津安二郎に師事する。『晩春』『麦秋』『お茶漬の味』『東京物語』で助監督を務めた。 1954年、先輩の西河克己の勧誘を受け、同期の鈴木清順、中平康と共に日活に移籍。『姉さんのお嫁入り』で監督に昇進した。小津の弟子らしい格調高い文芸映画を撮り続けたが、興行的にはいまいちだった。1959年、小林旭主演の『南国土佐を後にして』が大ヒット。そのヒットをうけて作られた『ギターを持った渡り鳥』も大ヒット。『渡り鳥シリーズ』としてシリーズ化され、全9作品を監督するなど娯楽映画監督としての地位を確立した。
坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月… 坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月16日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県久喜市長。久喜市名誉市民。 埼玉県南埼玉郡久喜町(現久喜市)出身。1942年 (昭和17年) 3月、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業。久喜市助役を経て、1981年(昭和56年)9月、久喜市長に当選。4期16年務めた。久喜駅西口再開発事業、各都市計画道路の整備促進、公共下水道・農業集落排水事業などに尽力した。1998年(平成10年)3月、久喜市名誉市民に推挙された。 2013年(平成25年)1月20日、多臓器不全のため死去した。
鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - … 鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - 2011年11月6日)。理学博士。物理学者で東北大学教授、日本大学教授を務めた。今日広く電子機器類に使われているフェライト(強磁性酸化物)の人工合成と応用(特許200404号)に成功した。さらに1960年代、日本の電子線型加速器/ライナックの開発・製作に尽力し、その加速器を用い多くの原子核研究の先駆的業績をあげた。その中でも原子核の巨大共鳴の発見は、原子核の特徴的構造の理解を深める成果である。 1924年10月19日 埼玉県寄居町にて9人の兄弟、1人の妹の長男として生まれた。寄居町鉢形小学校卒業、1942年3月 埼玉県立熊谷中学校(旧制)を卒業し、同年4月仙台の旧制第二高等学校に入学した。
荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 201… 荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 2012年9月22日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 浦和商業学校、中央大学、日本コロムビアを経て1949年に大陽ロビンスへ入団。 1950年はこの年に創設された国鉄スワローズへ移籍。同年退団。
野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 200… 野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 2009年4月21日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世社会経済史。早稲田大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。1951年早稲田大学文学部西洋史学科卒業。1954年早稲田大学大学院文学研究科史学修士課程修了。ドイツなどヨーロッパ中世社会経済史が専門。1988年、「ドイツ中世農村史の研究」により文学博士の学位を授与。 早大文学部専任講師、助教授をへて、教授。早稲田大学史学会会長、日本歴史学協会監事、社会経済史学会理事・顧問等を歴任。1995年定年、同大学名誉教授となる。2002年、勲三等瑞宝章を受章。
石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没… 石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮工業高校から東京鉄道管理局を経て、1950年に設立された国鉄スワローズへ入団。1952年に引退。
榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1… 榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1998年9月23日)は日本の歌手。美人芸者歌手として、戦後に人気を博した。 1924年(大正13年)3月13日、埼玉県川口市で生まれる。家が貧しかったため、1934年(昭和9年)、小学校5年生で浅草の小劇場・玉木座の劇場主に奉公へ出される。1938年(昭和9年)には15歳で石川県の能登で芸者に出されたが、1940年(昭和10年)に東京の実家に戻る。だがすぐに大井町から芸者に出される。その後、作曲家大村能章の日本歌謡学院にて歌を学び、戦争中は工場や軍隊の慰問などに回った。戦時歌謡を吹き込んだりもした。 1946年(昭和21年)、テイチク入社し、同年10月に発売した「貴方にはわからない」で本格的に歌手デビュー。
鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2… 鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2月4日)は、日本の経済地理学者、トルコ研究者、法政大学名誉教授、特定非営利活動法人難民支援協会初代代表理事。 1924年3月、当時の東京市本郷区(現在の文京区の一部)に生まれ、後に埼玉県北足立郡浦和町(浦和市を経て、現在のさいたま市)へ移り、浦和町立浦和尋常高等小学校分校(現在のさいたま市立常盤小学校)、埼玉県女子師範学校付属小学校に学び、1936年に埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、1942年に浦和高等学校 (旧制)(理科乙類)に入学した。浦和高等学校では気管支喘息の悪化のため留年を余儀なくされ、また、学徒勤労動員で理化学研究所の圧延工場での労働も経験した。
柿沼 和夫(かきぬま かずお、1924年 -2016年 )は… 柿沼 和夫(かきぬま かずお、1924年 -2016年 )は、日本の写真家。埼玉県羽生市出身。 佐藤春夫、川端康成、フランソワ・ミッテラン、三島由紀夫、高田博厚、小林秀雄、アンドレ・マルローなど内外を問わない作家・詩人・芸術家等の肖像写真家として知られる。 緊張感の漂う独特の写法が特徴である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家… 仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家、考古学者。 埼玉県川口市生まれ。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後、主として西欧の風景写真を主として撮影している。1970年頃より、その文化的根源であるエジプト文明とその文物と古代エジプトの遺跡と壁画を、エジプト政府(考古省)の了解を得て、ルクソールの女神の神殿の壁画、ルクソールのファラオの壁画、ツタンカーメン王の壁画を中心に、当時初の非熱源の照明装置と大型撮影装置を駆使し、困難を極めた古代壁画の撮影を行った。その後も70回以上、古代壁画を中心にエジプト考古学の文物の撮影と考古学的研究のため、エジプトを再三訪れ、エジプトの首脳陣との交流を深め、多数のエジプトの文物の写真画像を記録している。
芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 -… 芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 - )は、日本の政治家。元埼玉県幸手市長。 埼玉県出身。1968年、埼玉県立浦和商業学校(現・埼玉県立浦和商業高等学校)卒。幸手町議会議員を5期務め、1985年、幸手町長に当選した。翌1986年、幸手町は市制施行により幸手市となり、幸手市長となる。1989年に再選。1993年に市長を退任した。同年、勲四等瑞宝章を受章した。
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 -… 西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 - 2019年7月10日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県狭山市生まれ。1940年、学校組合立豊岡実業学校卒業後、中央大学専門部法科第二部に進学し卒業。小学校教諭のかたわら福田清人・石森延男・浜田廣介に師事して児童文学を書く。 1961年、『プリズム村誕生』で講談社児童文学作品受賞。1966年、『青いスクラム』で小学館文学賞受賞。自身の作品執筆のほか、教員が推薦する本の紹介文なども手掛けた。 小学校では校長まで務め、退職後は作家活動に専念。1989年から1993年まで日本児童文芸家協会理事長も務めた。理事長退任後、同協会顧問。 同じ児童文学作家の香川茂とは長年の友人だった。
秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008… 秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008年11月18日)は、日本の詩人。詩誌「地球」の創刊者。埼玉文化功労賞受賞者。 埼玉県生まれ。日大三商-日本大学予科中退。堀辰雄や立原道造に影響され詩作を開始する。元日本現代詩人会会長。詩集「砂漠のミイラ」(日本詩人クラブ賞)、「時代の明け方」(丸山薫賞)など。登山家で山や旅の著作も多い。日本現代詩人会議会長、埼玉詩人会会長、世界詩人会議日本大会会長。浦和区元町の自宅は秋谷豊資料室となっている。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。
野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1… 野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1986年8月8日)は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手、学生野球指導者。 旧制の不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)卒業。第二次世界大戦が勃発すると日本軍に徴兵され、中国戦線へ送られた。 不動岡中時代から野球部の投手を務めており、戦後、社会人野球のコロムビアを経て、1950年に西日本パイレーツへ入団した。1951年、西日本パイレーツと西鉄クリッパースが合併し、西鉄ライオンズと改称したが3シーズンに渡って同チームに在籍し、1953年に近鉄パールスへ移籍し、アンダースローの投手としてプロ通算18勝をあげた。同年限りで現役を引退し、その後は郷里の埼玉県に戻り上尾町(後の上尾市)で銭湯を営んでいた。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
田口 弘(たぐち ひろし、1922年3月18日 - 2017… 田口 弘(たぐち ひろし、1922年3月18日 - 2017年2月9日)は、日本の詩人。埼玉県東松山市の元教育委員会教育長。高村光太郎や高田博厚などの文化人と親交を持ち、東松山市の小中学校の校歌の作詞を多く手がけた。 「日本スリーデーマーチの育ての父」と言われ、また、東武東上線高坂駅前の高坂彫刻プロムナード(高田博厚彫刻群)建設のため尽力するなど、東松山市の教育と体育・文化・芸術に対する顕著な活動を行った。 1922年(大正11年)3月18日、埼玉県武州松山町(現:埼玉県東松山市松葉町)に生まれる。旧制松山中学校を経て、東京府大泉師範学校専攻科卒業。志村第三国民学校に赴任後、南西方面艦隊司令部付海軍教員として、フィリピンよりインドネシア・スラバヤ等に着任、終戦後プジョン、レンパン島収容所を経て復員。
正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月… 正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月10日 - )は埼玉県与野市(現さいたま市)出身の実業家・文筆家。 知己であった与野市議会議員(のちに埼玉県議会議員)の井原弥一郎(元与野市長・井原勇の実兄)と共に食品スーパーマーケット経営の(株)与野フードセンターを創業。 与野フードの専務や社長・会長等を歴任する一方で、日本全国の中小スーパーを組織化。ボランタリーチェーンである協同組合セルコチェーン(全国セルコグループ)を設立し20年近く代表を務めた他、全国スーパーマーケット協会の副理事長も務めた。 現役の経営トップだった時代だけではなく経営の一線から退いた後も文筆活動に精力的に取り組み、食品小売業の経営哲学や井原弥一郎初代社長・与野フード従業員らとのエピソード等を多く含んだ与野フード社史も兼ねた自伝・回顧録や、少年時代の円阿弥(えんなみ)地域での思い出を基に執筆した児童書など5冊の書籍を出版した。
河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999… 河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999年7月29日)は、埼玉県出身の俳人。本名・由男、旧姓・戸張。別号に鳴弦楼。 北葛飾郡三輪野江村(現吉川市)生まれ。小学校時代、担任の導きで「桜草」に入会し岡安迷子の指導を受ける。1936年、千葉県立野田農学校(現在の千葉県立清水高等学校)在学中に「南柯」(渡辺志豊主宰)野田支部の句会に参加。1940年、戸張錦秋の名で「南柯」同人となる。のち上京して日本専売公社に勤めながら中央大学夜間学部に通い、「南柯」芝支部を結成して支部長となる。1942年専売公社を退職、大学も中退し陸軍予備士官学校に進む。 戦後は「野ぶどう」を主宰、「花俳句」(高梨花人主宰)や「東虹」(大野我羊主宰)を経て1963年に中島斌雄の「麦」入会、1965年同人。
大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1… 大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1993年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期、新自由クラブ)。 埼玉県北足立郡三橋村(のち大宮市、現・さいたま市)出身。浦和商業学校(現埼玉県立浦和商業高等学校)を経て、中央大学専門部経済科中退。国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)に入るが、間もなく召集され、陸軍中尉で終戦を迎える。終戦後は大宮工場に復帰し、同工場の労働組合の書記長になり、日本社会党に入る。1947年、大宮市議会議員に当選し、2期務める。その後、労働組合を脱退し、社会党を離党し、衆議院議員福永健司の秘書になる。1959年、埼玉県議会議員に当選し、3期務め、同議長となる。
厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23… 厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。第2期海軍甲種飛行予科練習生。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍飛行特務少尉。 埼玉県北葛飾郡幸松村(現・春日部市)に、7男3女の末っ子として生まれた。 粕壁小学校を経て埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)に学び、1938年(昭和13年)4月1日、第2期海軍甲種飛行予科練習生として横須賀海軍航空隊に入隊した。海軍航空隊への入隊に先立ち、厚見は母に「母さん、これで僕の第一希望は達せられた。この上は戦闘機に乗りたいと思います。
平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1… 平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1991年1月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党中央委員会委員。 埼玉県上尾市出身。1933年、新潟県出雲崎尋常小学校卒業。1946年に共産党に入党した。保育園理事長や日本共産党埼玉県委員長などを務めた。1958年の第28回衆議院議員総選挙は旧埼玉3区から立候補して落選。1960年の第29回総選挙から第32回総選挙まで旧埼玉1区で立候補して落選した。1972年の第33回総選挙で初当選を果たす。国政選挙6度目の挑戦にして、トップ当選であった。当選1回。1976年の第34回総選挙では旧埼玉5区から立候補したが落選した。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日… 駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日 - 2011年(平成23年)1月11日)は、日本の政治家。埼玉県日高市長(初代)。陸軍大尉。 旧日本陸軍将校から自治体首長に転じた異色の人物。ベッドタウン化が進展していた日高町の市制施行を実現し、近隣市町と足並みを揃えつつ都市基盤の充実に取り組んだほか、巾着田等市内の観光・ハイキングコースの整備を行った。
三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、… 三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、天台宗の僧、仏教学者。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒。1981年「台密の研究」で早稲田大学より文学博士。早稲田大学文学部助教授、教授。91年定年、名誉教授。1980-91年早稲田大学仏教青年会会長。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日… 松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日 - 1987年5月7日)は、日本の脚本家、小説家。 埼玉県秩父郡大滝村大血川(現・秩父市)出身。1942年日本大学専門部国文科中退、満州映画協会に入社。1944年東宝に移籍し、黒澤明、山本薩夫らの助監督を務める。1948年脚本家に転向、代表作に「風速40米」(1958年)、「電光石火の男」(1960年)、「青年の椅子」(1962年)など。弟子に雪室俊一、曽田博久がいる。1966年からは小説も書いた。 生涯に映画脚本を約170本、テレビなどの脚本を含めると約340本を手掛けた敏腕だったが、その作業は弟子との共同作業が多く、作成の多くが弟子たちに口述筆記、清書させるものであった。
大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 … 大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、昭和から平成の日本画家。本名は大野慶蔵。 埼玉県秩父に生まれる。 小谷津任牛や奥村土牛に師事する。1948年(昭和23年)再興第33回院展にて初入選。ほか1986年(昭和61年)再興第71回院展にて日本美術院賞(大観賞)、2008年(平成20年)再興第93回院展にて文部科学大臣賞、2011年(平成23年)再興第96回院展にて内閣総理大臣賞などを受賞した。2001年(平成13年)10月17日、日本美術院同人に推挙された。2019年(平成31年)3月1日、肺炎のため死去。98歳。代表作に『谷川岳』など。
川野 トモ(かわの とも、1920年7月24日 - 2007… 川野 トモ(かわの とも、1920年7月24日 - 2007年8月14日)は、株式会社ヤオコー創業者、ヤオコー名誉会長。埼玉県比企郡小川町出身。義父は川野清三。子に川野幸夫・川野清巳。旧姓:門倉トモ。 そのバイタリティや商才の高さから「小川のおしん」の異名を持つ。また父親が経営していた古物商「門倉商店」は、創業当時の八百幸商店の主要取引先だったという。
山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 20… 山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 2017年11月25日)は、日本の麻酔学者。東京大学名誉教授。旧姓は茂木。 埼玉県熊谷市出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制静岡高等学校、東京帝国大学医学部卒業。1948年医学博士。東京大学医学部助教授、1956年教授となる。1978年東京大学医学部長となる。1980年定年退官、名誉教授、東京専売病院長。1990年康済会病院理事長、1998年日本救急医療財団理事長。麻酔専門医制度の発足や日本麻酔学会の創設に参加し、1982年山村記念賞が設けられた。墓所は多磨霊園。
野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 201… 野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 2015年2月25日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。 国土庁長官(第18代)、衆議院議員(6期)、埼玉県議会議員(3期)等を歴任した。 衆議院議員の野中厚は孫。 埼玉県加須市生まれ。旧制粕壁中学校、慶應義塾大学法学部卒業。 大越村議会議員、埼玉県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区(定数3)から無所属で出馬したが、次点で落選した。1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区から再び無所属で出馬し、得票数2位で当選した(野中に代わり、日本社会党の板川正吾が落選し、保守系で3議席を独占した)。当選後、自由民主党に入党。
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日… 金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の日本の俳人。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。2008年、文化功労者に選出される。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 加藤楸邨に師事した。「寒雷」所属を経て「海程」を創刊し、主宰した。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。 埼玉県比企郡小川町の母の実家で、父・金子元春と母・はるの長男として生まれる。父の元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ俳人である。
鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日… 鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日 - 2015年(平成27年)4月15日)は、昭和から平成時代の政治家。埼玉県八潮市長。位階は正五位。 埼玉県出身。1937年(昭和12年)、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業する。1947年(昭和22年)南埼玉郡八条村収入役、1956年(昭和31年)合併により八潮村収入役となり、1964年(昭和39年)町制、1972年(昭和47年)市制施行後も連続7期務める。同年助役を経て、1973年(昭和48年)八潮市長に当選し、4期務めた。2015年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13… 山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13日 - 2008年(平成20年)2月7日)は、平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。青年学校卒業。行田市消防長、助役などを経て、1991年(平成3年)5月、行田市長に当選し、3期12年務めた。ものつくり大学の誘致や総合体育館グリーンアリーナの開設、道路交通網や上下水道の整備などに尽力した。 2008年(平成20年)2月7日、急性心不全により死去した。死没日をもって従四位に叙される。
宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2… 宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2005年3月11日)は、日本の詩人・作詞家。
馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 19… 馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 1994年2月17日)は、埼玉県出身の俳人。本名は新井マサ子。第25回俳人協会賞受賞。 埼玉県秩父生まれ。実家は蚕種屋。旧制秩父高等女学校(現秩父高等学校)卒。1940年結婚。1944年、夫の戦死により実家に戻り、養蚕をして暮らした。1946年、金子兜太の父、金子伊昔紅の指導を受け「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。馬醉木賞を受賞。「馬酔木」を代表する女性俳人として活躍した。代表句「いなびかり生涯峡を出ず住むか」など。秩父のひそやかな暮らしのなかで独特の孤独感のある句を作った。1985年『峡の雲』により第25回俳人協会賞受賞。1994年、75歳で没。
相原 求一朗(あいはら きゅういちろう、1918年12月3日… 相原 求一朗(あいはら きゅういちろう、1918年12月3日 - 1999年2月5日)は、日本の洋画家。埼玉県川越町(現・川越市)生まれ。冬の北海道の詩情を描く洋画家の第一人者と言われた。新制作協会会員。 埼玉県川越町(現・川越市)に生まれる。父・茂吉、母・よし。本名は相原久太郎(のちに求一朗)。生家は農産物の卸問屋で、恵まれた環境だった。1936年、川越商業学校卒業。商業学校の商業美術担当教師から油彩を学んで東京美術学校進学を志すが、父親の逆鱗に触れ、家業を継いだ。1940年、21歳で兵役に就き、第二次世界大戦中は旧満州やフィリピンを転戦。1944年、フィリピンからの帰還途中、搭乗した飛行機が沖縄沖に墜落。
三ッ林 弥太郎(三ッ林 彌太郎、みつばやし やたろう、191… 三ッ林 弥太郎(三ッ林 彌太郎、みつばやし やたろう、1918年〈大正7年〉11月22日 - 2003年〈平成15年〉8月18日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員(10期)。 科学技術庁長官(第3次中曽根内閣)を務めた。 埼玉県北葛飾郡行幸村千塚(のち幸手町、現・幸手市)、三ッ林幸三の長男として生まれる。埼玉県立杉戸農業学校、埼玉青年師範学校(現・埼玉大学教育学部)卒業。奉天予備士官学校卒業。 青年学校教諭兼小学訓導、埼玉県農業会勤務を経て1948年に埼玉県指導農協連北葛飾支所経営課長となり1951年以来4回県議に当選。 自民党県連副幹事長を務め1960年に県議会副議長、1964年に議長に選ばれる。
井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 20… 井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。 公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている。 埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。 戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。
若尾 隆子(わかお たかこ、1918年4月4日 - 2014… 若尾 隆子(わかお たかこ、1918年4月4日 - 2014年10月19日)は、日本の女優。旧姓は鮫島。 埼玉県川越市出身。東京府立第八高等女学校を卒業し、東宝劇場照明係を経て、戦後は名古屋演劇集団創立と共に夫と演劇活動を続けた。
西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月… 西川 博夫(にしかわ ひろお、1918年 - 1944年7月3日)は、日本の元アマチュア野球選手。埼玉県出身。ポジションは外野手。 浦和中学(現・埼玉県立浦和高等学校)在学中は、甲子園に2回(春2回〈1935年、1937年〉)出場した。浦和中は1935年春には、初出場(埼玉県内では川越中学〈現・埼玉県立川越高等学校〉に次いで2番目の出場)ながらベスト8に入る活躍を見せたが、1937年春の大会では初戦(3月29日)の対・滝川中学〈現・滝川中学校・高等学校〉戦で0-27という大敗を喫した。 1938年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦にも出場した。しかし早大卒業後応召され、1944年7月3日、中国北支・石門の陸軍病院にて戦病死した。
野本 重雄(のもと しげお、1917年(大正6年)11月20… 野本 重雄(のもと しげお、1917年(大正6年)11月20日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県桶川市長(2期)。勲四等旭日小綬章。 埼玉県北足立郡桶川町(現・桶川市)出身。1935年、埼玉県立大宮工業学校(現・埼玉県立大宮工業高等学校)卒。桶川市議会議員、同議長を経て、1985年、桶川市長選挙に立候補し現職の岡田仲太郎を破って当選する。桶川市長を2期務め、1993年に退任した。1999年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
出川 己代造(でがわ みよぞう、1917年9月27日 - 2… 出川 己代造(でがわ みよぞう、1917年9月27日 - 2000年5月28日)は、日本レース・倶楽部所属の元騎手、船橋競馬場所属の調教師・元騎手である。戦前は現在の中央競馬の前身のひとつである日本レース・倶楽部で騎手となり、戦後は地方競馬の船橋競馬場で調教師として長年に渡って活躍した。長男の出川龍一・次男出川博史・三男出川克己も船橋競馬場で調教師を開業している。 埼玉県本庄市出身。父が地方競馬のスターターをしていた関係で、1932年に林義和一門・川崎敬次郎の元へ騎手見習いとして入門する。同厩舎には兄弟子にのちにカブラヤオーを管理した茂木為二郎、弟弟子では森末ノ助、谷八郎らがいた。 第二次世界大戦中は召集を受け、戦後は5年間にわたるシベリア抑留を経験している。