在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 201… 在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 2013年9月16日)は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現在の袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手。甥は同じく大洋に在籍した在原昭彦。 千葉関東高校から立川AIO、横浜日野ディーゼルを経て、1962年に大洋ホエールズへテスト入団。翌年1試合に出場し、引退。 2013年9月16日、77歳で死去した。
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在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 201… 在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 2013年9月16日)は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現在の袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手。甥は同じく大洋に在籍した在原昭彦。 千葉関東高校から立川AIO、横浜日野ディーゼルを経て、1962年に大洋ホエールズへテスト入団。翌年1試合に出場し、引退。 2013年9月16日、77歳で死去した。
田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日 - )は、… 田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日 - )は、日本の教育者。学校法人青葉学園理事長、学校法人渋谷教育学園理事長 兼 学園長。渋谷教育学園幕張中学校・高等学校前校長、渋谷教育学園渋谷中学高等学校前校長。藍綬褒章受章。 1936年2月26日、東京府生まれ。麻布中学校・高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し、住友銀行に入行。 1962年に同行を退き、学校法人渋谷教育学園理事に。1970年からは同学園理事長。1971年に株式会社日本コンピュータ学院研究所(現:ランドコンピュータ)を設立。学園経営においては、2000年以降、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校を進学校に押し上げ、また、従来からあった、渋谷女子高等学校を廃止して渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校を新設、進学校化に取り組んだ。
長嶋 茂雄または長島 茂雄(ながしま しげお、1936年〈昭… 長嶋 茂雄または長島 茂雄(ながしま しげお、1936年〈昭和11年〉2月20日 - 2025年〈令和7年〉6月3日)は、NPBの読売ジャイアンツ(巨人)で活躍した日本のプロ野球選手(内野手、右投右打)・監督。同球団の終身名誉監督やその運営会社である株式会社読売巨人軍専務取締役、日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長を務めた。愛称は「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」「ミスター」「チョーさん」「ゴールデンボーイ」「燃える男」「永遠のスーパースター」他。 千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身、血液型はB型。位階は従三位。 生前は飛びぬけた実力に加えて圧倒的な人気と知名度を有したため、「国民的スター」と称されることも多かった。
野口 芳宏(のぐち よしひろ、1936年2月17日 - )は… 野口 芳宏(のぐち よしひろ、1936年2月17日 - )は、日本の教育者。国語や道徳の「授業名人」と称され、「模擬授業」の名付け親の一人としても著名。NHK「わくわく授業」出演。専門分野は、国語教育、道徳教育、家庭教育、幼児教育。植草学園大学発達教育学部名誉教授、日本教育技術学会名誉会長、日本言語技術教育学会理事、(公財)モラロジー研究所教育者講師等を歴任。幼年国語教育会名誉会員。 千葉県君津市生まれ。1958年千葉大学教育学部卒業。公立小学校教諭、千葉大学附属小学校教諭を経て、公立小学校教頭・校長を務める。退職後、北海道教育大学教授、植草学園大学発達教育学部教授、のち名誉教授。研究分野は国語教育、家庭教育、道徳教育、幼児教育。
廣部 雅昭(ひろべ まさあき、1936年1月22日 - )は… 廣部 雅昭(ひろべ まさあき、1936年1月22日 - )は、日本の薬学者(薬品代謝化学)。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授。新字体にて広部 雅昭と表記されることもある。 東京大学薬学部教授、東京大学薬学部学部長、静岡県立大学学長(第3代)、静岡県学術教育政策顧問、静岡県公安委員会委員長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ千葉県立木更津高校卒業1960年に東京大学の薬学部を卒業し、同大学の大学院に進み化学系研究科にて学んだ。その後、東京大学に採用され、薬学部にて助手、助教授とキャリアを積み、1976年に教授に就任した。日本国内の大学としては史上初めて設置された薬品代謝化学講座にて、担当教授を務めた。
加賀見 俊夫(かがみ としお、1936年1月5日 - )は、… 加賀見 俊夫(かがみ としお、1936年1月5日 - )は、日本の実業家(株式会社オリエンタルランド代表取締役会長兼CEO)、慶應義塾評議員。千葉県在住
房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)… 房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。 小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。
加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 20… 加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 2012年4月16日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した調教師。1990年東京優駿(日本ダービー)優勝馬アイネスフウジン、1998年天皇賞(秋)優勝馬オフサイドトラップ等を管理した。1990年度JRA賞最高勝率調教師。千葉県市川市出身。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1935年、日本競馬会中山競馬場に所属する調教師・加藤朝治郎の長男として生まれる。幼少期から父と同じく調教師を志し、日本大学在学中に調教助手免許を取得。卒業後、学友であった成宮明光と共にアメリカの生産現場を視察した後、父の元で助手となった。 1971年に調教師免許を取得。
佐久間 進(さくま すすむ、1935年9月26日 - 20… 佐久間 進(さくま すすむ、1935年9月26日 - 2024年9月20日)は、日本の実業家。株式会社サンレーの名誉会長及び、サンレーグループ名誉会長を務めた。 作家の一条真也(本名=佐久間庸和)は長男である。 1935年、千葉県富津市生まれ。國學院大學文学部に入学、樋口清之教授の影響で民俗学に関心を抱く。大学卒業後、大手自動車販売会社勤務を経て、ホテルサービス業の経営を学ぶため国際ホテル学校に入学。同校を卒業後、1962年に小倉市(現:北九州市小倉北区)にある松柏園ホテルに入社。岳父となる栗田光十郎とともにホテル経営を行う。 1966年に北九州市冠婚葬祭互助会の看板を掲げ、冠婚葬祭互助会事業をスタートさせる。
坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 -… 坂井 榮八郎(さかい えいはちろう、1935年5月19日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は西洋近代史、ドイツ史。
高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、… 高橋 正雄(たかはし まさお、1935年5月5日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 成田高校では1952年に夏の甲子園へ出場した。 1953年に毎日オリオンズへ入団。1953年退団した。
茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2… 茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2月13日 - )は、日本の経営者。キッコーマン株式会社取締役名誉会長・取締役会議長。父はキッコーマン中興の祖・茂木啓三郎元社長。茂木賢三郎独立行政法人日本芸術文化振興会理事長は弟。 コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールで経営学修士の学位を修得し、コロンビア大学名誉理事も務めた。日本経済団体連合会常任理事、経済同友会終身幹事、文部科学省中央教育審議会副会長、産業教育振興中央会会長、慶應義塾評議員・理事、日本国際フォーラム顧問、日本経営協会会長等を歴任。 2014年6月に公益財団法人日本生産性本部会長に79歳という異例の老齢で就任した。
須賀 信行(すが のぶゆき、1934年9月28日 - 201… 須賀 信行(すが のぶゆき、1934年9月28日 - 2018年1月18日)は、日本の空手家。 千葉県流山市出身。15歳のときに、高校の体育館で韓武舘の稽古風景をたまたま覗いたことから韓武舘に入門。1954年(昭和29年)、20歳のときに開催された空手界最初の全国大会である、第一回全国空手道選手権大会において優勝をする。第二回大会でも優勝し、連覇を果たすが、翌年の第三回大会では準決勝で足払いの後に突きを決められ一本負けをし、それを機に23歳にして現役選手を引退する。以降は当時新宿に所在した全日本空手道連盟錬武会の本部道場にて指導者となり、第5回大会、第7回大会で優勝した豊倉宏眞(現、錬武会副会長)などを指導する。
中島 貞夫(なかじま さだお、1934年(昭和9年)8月8日… 中島 貞夫(なかじま さだお、1934年(昭和9年)8月8日 - )は、日本の映画監督・脚本家。
白鳥 庄之助(しらとり しょうのすけ、1934年(昭和9年)… 白鳥 庄之助(しらとり しょうのすけ、1934年(昭和9年)7月23日 - )は、日本の会計学者、経済学者。成城大学名誉教授。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、大蔵省企業会計審議会委員等を歴任。日本会計研究学会賞受賞。 1934年、千葉県印旛郡八街町生まれ。千葉県立佐倉第一高等学校を経て、1958年一橋大学社会学部を卒業し、公認会計士事務所に入所。また同大学大学院課程に進み、1965年に一橋大学大学院商学研究科博士課程を単位取得退学。在学中は片野一郎ゼミで学んだ。 その後、千葉商科大学専任講師を経て、1967年成城大学経済学部専任講師となった。後に、同大学助教授教授に昇進。同大学大学院経済学研究科長、同大学経済研究所第3代所長を務めた。
川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011… 川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011年6月11日)は、日本の経済史学者、河川水運史研究者、千葉経済大学名誉教授。 千葉県銚子市生まれ。犢橋村立犢橋中学校、千葉県立千葉第一高等学校を経て、千葉大学文理学部史学科日本史学専攻に入学。1957年千葉大学文理学部史学科日本史学専攻卒業。1962年明治大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。明治大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。横須賀市博物館、千葉経済大学短期大学教授、1987年に千葉経済大学経済学部が設置されると教授に就任し、2005年定年退任、名誉教授。 1993年『日本近世河川水運史の研究』で文学博士(明治大学)。
小倉 正史(おぐら まさし、1934年(昭和9年)5月3日 … 小倉 正史(おぐら まさし、1934年(昭和9年)5月3日 - 2020年(令和2年)3月1日)は、日本の美術評論家、フランス語翻訳家。国際美術評論家連盟会員。千葉県千葉市出身。1994年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ賞受賞。
佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )… 佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手。
伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002… 伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002年7月4日)は、日本の野球解説者、メジャーリーグ評論家。 「パンチョ伊東」の愛称・通称で広く知られた。 東京都豊島区西巣鴨に生まれ、小学生時は戦火を逃れるために千葉県市川市へ転居し、以後居住する。 子供時代から父親の影響で野球に親しみ、後楽園球場の東京巨人軍戦、神宮球場の大学野球に通いスコアカード記入などをした。1942年5月24日に後楽園球場の日本プロ野球史上最長の大洋軍対名古屋軍の延長28回戦や、1953年10月31日に大友工が日米野球でニューヨーク・ジャイアンツ相手に完投勝利を収めた試合も観戦した。 西巣鴨第四小、市川小、市川一中を経て、都立三高へ進学し、千葉大学文理学部を中退した。
高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月2… 高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月28日 - )は、日本の女優である。旧芸名は出生名の和田 道子(わだ みちこ)、結婚後の本名は東 道子。 1934年(昭和9年)3月28日、千葉県銚子市に生まれる。 銚子市立銚子高等学校卒業後の1953年(昭和28年)、東宝に入社し、大部屋女優となった。1955年(昭和30年)、東映京都撮影所に入社、本名の和田道子で映画『紅孔雀』や『百面童子・四部作』などに出演した。 1957年(昭和32年)、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、同年7月、新東宝に入社した。同年、『戦雲アジアの女王』(野村浩将監督)の川島芳子役で初主演を果たす(公開は1958年1月15日)。
網野 鉦一(あみの しょういち、1934年1月30日 - 2… 網野 鉦一(あみの しょういち、1934年1月30日 - 2006年1月17日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、養成学校経営者である。網野映画株式会社、網野学園株式会社代表。日本映画監督協会物故会員。 1934年(昭和9年)1月30日、千葉県に生まれる。 1952年(昭和27年)3月、千葉県立長生高等学校を卒業、その後1956年(昭和31年)、満22歳のときに脚本家になった。日本映画監督協会公式ウェブサイトの網野の項目には、その6年後の1962年(昭和37年)に「新東宝映画演出部入社」と記載されているが、新東宝は前年1961年(昭和36年)8月31日に倒産しており、製作部門はその年の11月15日に切り離されて、ニッポン・アートフィルム・カンパニー(NAC)になっており、同年に同社が「新東宝」の名で製作したものは、2月11日公開の『俺が裁くんだ』(監督橋田寿久年、配給日活)、6月3日公開の『悲しみはいつも母に』(監督中川信夫、配給大映)の2作のみで、現在の新東宝映画の前身である新東宝興業が映画を製作するのは1963年(昭和38年)6月22日に公開された『日本残酷物語』(監督中川信夫・小森白・高橋典)を待つことになる。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
徳島 高義(とくしま たかよし、1934年 -2020年6月… 徳島 高義(とくしま たかよし、1934年 -2020年6月6日)は千葉県出身の文芸編集者。 銚子市生まれ。銚子市立銚子高等学校を経て千葉大学文理学部を卒業。1958年、講談社入社。同年、大久保房男編集長時代の『群像』編集部に入り、以後15年間、野間宏、武田泰淳、椎名麟三、中村真一郎、梅崎春生、大岡昇平、三島由紀夫、長谷川四郎、島尾敏雄、小島信夫、藤枝静男、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介、大江健三郎、佐々木基一、江藤淳、丸谷才一、小川国夫、川村二郎などを担当。1971年から1973年まで『群像』編集長を務め、大岡昇平、庄野潤三、大江健三郎、阿部昭の新連載を開始。1973年から1981年まで文芸第三出版部(後の翻訳出版部)に在籍。
関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - … 関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - 2015年12月5日)は、将棋棋士。1994年、引退。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は69。千葉県茂原市出身。 1955年、22歳でプロ入り。 初参加(1956年度)から8期目の第18期(1963年度)C級2組順位戦は、2勝10敗で初の降級点を喫する。ところが、次の第19期(1964年度)では一転して開幕7連勝をするなど、最終局を待たずして10勝1敗(最終成績は10勝2敗)の圧倒的な成績でC級1組への昇級を決める。なお、もう一人の昇級者は、同じく10勝2敗の米長邦雄(関屋の10歳下)であった。 第2回(1958年度)古豪新鋭戦で優勝。
伊藤 利明(いとう としあき、1933年(昭和8年)11月1… 伊藤 利明(いとう としあき、1933年(昭和8年)11月13日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、昭和から平成時代の政治家。千葉県印西市長。印西市名誉市民。 千葉県印旛郡印西町戸神(現印西市戸神)に生まれる。1952年(昭和27年)千葉県立印旛高等学校卒業。 1971年(昭和46年)水野清の公設秘書を経て、同年から3期12年にわたり印西町議会議員を務め、1981年(昭和56年)千葉ニュータウン駅前センタービル社長。1982年(昭和57年)印西町長に当選。以来3選し、1996年(平成8年)の市制施行と同時に印西市初代市長に就任したが、任期途中に急逝した。 1996年(平成8年)11月、印西市名誉市民に推挙された。
岩瀬 良三(いわせ りょうぞう、1933年〈昭和8年〉8月2… 岩瀬 良三(いわせ りょうぞう、1933年〈昭和8年〉8月20日 - )は、日本の政治家、地方公務員。佐原市長、参議院議員(1期)、千葉県教育長を歴任。地方財政・教育政策に造詣が深い。瑞宝中綬章受章。 千葉県佐原市出身。千葉県立佐原高等学校卒業。横浜市立大学文理学部卒業後、千葉県庁に入る。同総務部財政課主幹、同総務部財政課長を経て、1986年(昭和61年)同商工労働部長に就く。1988年(昭和63年)千葉県教育長に就任。 1995年(平成7年)千葉県庁を退職し、同年7月、第17回参議院議員通常選挙に千葉県選挙区から新進党公認で立候補し、初当選。1998年(平成10年)1月改革クラブに参加し、同党参議院議員会長に就任するが、同年10月に離党。
渡貫 博孝(わたぬき ひろたか、1933年(昭和8年)3月2… 渡貫 博孝(わたぬき ひろたか、1933年(昭和8年)3月28日 - )は、日本の元政治家。元千葉県佐倉市長。千葉県千葉市稲毛区出身。
高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈… 高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈昭和8年〉3月8日 -)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。 本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。「8時だョ!全員集合」のオープニングなどでは、高木 ブ~名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である。 東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に兄2人・姉3人の末っ子として生まれる。第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移り住み育った。
山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 20… 山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 2001年3月6日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 市川工業高校を卒業後、立教大学に進むも3年で中退し、1953年に毎日オリオンズへ入団。1年目は6試合しか試合に出場できず、1954年に高橋ユニオンズへ1年で移籍となった。 移籍したユニオンズでは131試合に出場し打率は.251と振るわなかったが主力として活躍した。翌年も136試合に出場し打率も.296と翌年よりも成績は上昇した。この年はオールスターゲームにも初選出された。1957年に東映フライヤーズに移籍し、1958年に現役引退した。 2001年3月6日68歳にて白血病により病没。
小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の… 中村 幸弘(なかむら ゆきひろ、1933年 - )は、日本の国語学者。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1996年)(学位論文「補助用言に関する研究」)。國學院大學名誉教授、國學院大學栃木短期大学学長。 千葉県生まれ。國學院大學文学部文学科卒業。千葉県立佐原第一高等学校教諭・千葉県立大原高等学校教諭・國學院高等学校教諭、1971年國學院大學文学部専任講師・同文学部助教授・同文学部教授を経て2004年定年、國學院大學名誉教授、2005年弘前学院大学文学部教授、2007年國學院大學栃木短期大学教授・学長、2021年退任。2022年7月から東京都立大江戸高等学校副校長マネジメント支援員。1996年「補助用言に関する研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。
平山寿三郎(ひらやま じゅさぶろう、1933年 - )は、日… 平山寿三郎(ひらやま じゅさぶろう、1933年 - )は、日本の時代小説家。 1933年、東京都生まれ。千葉県立佐倉高等学校卒業後、出版販売業や外食産業に従事し、1993年、定年退職後執筆活動をはじめる。1998年に『東京城残影』(講談社刊)で第9回・時代小説大賞を受賞。
藤井 浩二(ふじい こうじ、1933年 - )は、日本の鉄道… 藤井 浩二(ふじい こうじ、1933年 - )は、日本の鉄道技術者、鉄道ダイヤ作成者、鉄道愛好家、元京成電鉄鉄道本部運輸部運転課長である。 千葉県成田市出身。京成電鉄で駅務員や乗務員を歴任後、事務職となり許認可申請や運行計画を担当した。その後運輸部運転課計画係長を歴任し、坪田實の後任として運転課長に昇格した。 乗務員時代には自費で京成社員向けに運転/鉄道車両関連の研究発表の冊子を作成していた時期もあった。また電気車研究会発行の『電気車の科学』などの専門雑誌に投稿。日本鉄道運転協会発行の『運転協会誌』にも多数の研究発表を行った。 運転課に配属された当時は、いずれも同業他社では本格的に実施されていなかった事例を考案し、実施したものもあった。
毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 20… 毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 2016年3月12日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。明治維新史学会顧問。専門は日本近代史(政治史・外交史)。 千葉県千葉市生まれ。1956年九州大学法学部卒業。1969年九州大学大学院法学研究科博士課程修了(日本政治外交史専攻)、「明治維新政治史序説」で法学博士。九州工業大学助教授、大阪市立大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、広島市立大学国際学部長・教授、2003年退職。 維新の十傑の江藤新平は縁戚にあたる。 2016年3月12日に腎不全のため死去。83歳没。 従来の研究では明治六年政変で西郷隆盛や江藤新平が下野したのは征韓論という外交問題での対立が原因という見方が支配的だった。
葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 19… 葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 1993年1月3日)は、日本の俳優。千葉県鴨川市出身。本名は山口 良一郎。妻は浜田ゆう子。 日本大学経済学部在学中に1953年度ミスター平凡グランプリの栄冠に輝いたのが縁で、日活第2期ニューフェイスとなる。日活スターの一人として数々の映画に出演した。 映画産業の斜陽化後はテレビに活動の場を移し『非情のライセンス』の四方刑事、『特別機動捜査隊』の日高主任などを演じる一方、重厚な悪役としても活躍。時代劇の黒幕役などで憎々しい演技を見せた。また事業経営にも乗り出し、1977年に名古屋で舶来雑貨店、1980年に東京・銀座で宝石店を開くが、1985年に手形詐欺に遭い両店共に倒産した。
北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )… 北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )は、千葉県佐原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 佐原一高卒業後、日本ビールに入社。エースとして都市対抗の常連となる。1956年の産業対抗では決勝に進出、熊谷組を無失点に抑え好投するが、9回裏サヨナラ負けを喫する。同大会では敢闘賞を獲得した。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。1958年の都市対抗では3勝を挙げて準決勝に進出するが、日本石油に惜敗。 1959年に国鉄スワローズへ入団すると、1年目から主力投手として活躍。長年エースとして君臨していた金田正一を凌ぐ、37先発322回2/3を投げ、18勝20敗・防御率2.51(リーグ6位)の好成績をマーク。
鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10… 鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10日 - 2025年〈令和7年〉1月23日)は、日本の材料科学者。東京科学大学名誉教授。学位は工学博士(東京工業大学・1969年)。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。高知工科大学副学長、第44代日本金属学会会長、第41・44・45代高知県公安委員会委員長等を歴任した。 千葉県我孫子市出身。1951年(昭和26年)東京都立国立高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京工業大学(現東京科学大学)理工学部金属工学科卒業。1969年(昭和44年)同大学より工学博士の学位を取得。 東京工業大学精密工学研究所助手、東京工業大学精密工学研究所助教授、東京工業大学精密工学研究所教授を経て、1989年(平成元年)東京工業大学工学部金属工学科教授。
本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月… 本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月9日 - )は、日本の女優。 東京市(現東京都)日本橋出身。 母は俳人の鈴木真砂女。 長狭高等女学校(現・鴨川令徳高等学校)卒業。文学座演劇部所属。 文学座附属演劇研究所に入所後、舞台を中心に活動する一方、テレビドラマにも堅実なバイプレイヤーとして多数出演。1970年代になると主人公の母親役や妻役が増え、その演技力から不幸な目に遭遇する役での出演も多かった。ちなみに1972年の『帰ってきたウルトラマン』第43話では根上淳演じる伊吹隊長の夫人役でゲスト出演したが、根上とは1975年に『傷だらけの天使』第23話においても夫婦役で共演している。
鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 … 鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、昭和から平成期の政治家。衆院で1期、参院で4期計27年間務めた。 千葉県印旛郡酒々井町出身。千葉県立佐倉高等学校を経て1957年(昭和32年)早稲田大学商学部卒業。同年、日野自動車に入社し、その後、西武鉄道、国土計画で勤務した。公明党参議院議員辻武寿、同北条浩、衆議院議員竹入義勝、同斎藤実の各議員秘書、公明党衆参両院事務局長を務めた。 1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で旧千葉2区から立候補し、初当選。1期務める(1972年および1976年では落選)。 1980年(昭和55年)第12回参議院議員通常選挙に旧全国区へ鞍替え立候補し当選。
熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 20… 熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 2002年2月15日)は、日本の政治家。浦安町長を経て、初代浦安市市長を務めた。 千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)出身。1951年、東京都立両国高等学校卒業。浦安町役場職員を経て1969年から浦安町長(2期)、1981年の市制施行後の浦安市にて1998年9月28日まで連続8期・29年、初代市長を務めた。東京ディズニーランドの誘致を始めとした数多くの政策を打ち出した。 1998年9月28日、体調不良を理由に浦安市長を辞任した。同年11月8日の市長選挙で松崎秀樹が当選し、第2代浦安市長となった。 2002年2月15日、急性心不全のため浦安市の病院で死去。
大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - … 大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - 2024年12月27日)は、日本の政治家。千葉県銚子市長(2期)を務めた。 生家である大里家は、明治初年に現在の茨城県那珂市から銚子に移住し、豪商として知られていた。後に第2代銚子市長になった大里家の当主であった父・第11代大里庄治郎と、母・なか の次男として生まれ、馬越恭平にあやかって名づけられた恭平は、3歳で母方の縁戚にあたる大内家に養子として入った。 銚子市立銚子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部に進んだが、2年の時に法学部政治学科に移った。大学卒業後は、日本通運に入社し、1959年(昭和34年)まで勤務した。1960年(昭和35年)から実家が経営する銚子通運に常務として入社、1964年(昭和39年)に、銚子通運の新生支店跡を本社として大丸タクシーを開業、1965年(昭和40年)2月に銚子ロータリークラブに参加し、以降、主に銚子東ロータリークラブによってロータリークラブ活動に関わった。
鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、… 鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は増田 清貴。日本舞踏家でもあり、水木歌紅の門下。 慶應義塾高等部卒業。1954年、第8期大映ニューフェイスに合格し、大映演技研究所を経て大映に入社。1955年に『弾痕街』でデビュー。
糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )… 糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(2期)。 千葉県茂原市出身。千葉県立大原高等学校を経て、1954年千葉大学教育学部卒。千葉県各地で中学教諭を務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で千葉選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務めた。1991年に社会党副委員長に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28… 岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28日 - 2012年(平成24年)5月4日)は、境循環型の稲作農法である冬期湛水不耕起栽培を提唱し、普及活動を展開した農業技術者。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校を卒業後、農業に従事。 第1回 日本の農業はコメだ(2008年9月3日放送) 第2回 耕さない田んぼが農家を変える(2008年9月17日放送) 第3回 生きものが集まり人が集まる(2008年9月24日放送) 第4回 田んぼを守るために(2008年10月1日放送)
飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2… 飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2019年9月13日)は、日本の政治家。 千葉県海上郡旭町(現・旭市)に生まれる。 1949年に千葉県立匝瑳中学校(現・匝瑳高等学校)を卒業。日本橋の衣料問屋「丸山商店」で勤めたのち、家業を継ぐ。 1971年4月、千葉県議会議員に当選。連続9期務め、議会運営委員会委員長、自民党県連議員会長などを歴任した。 2019年9月13日、クモ膜下出血により死去。87歳。 東総文化会館や千葉県立東部図書館を誘致したほか、ハウス栽培を奨励するなど、地元である旭市を始めとする東総地域の発展に尽力した。 県政では千葉県知事となった川上紀一や沼田武を支援し、水野清系議員のまとめ役を務めた。
木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は… 木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は、日本の演出家。千葉県出身。 都立両国高等学校卒業、東京大学文学部中退。 文学座に文芸・演出部員として入り、1963年に演出家としてデビュー。1981年に文学座を退座した後は、2007年まで演劇制作体「地人会」を主宰し演劇分野で幅広い活動を行っていた。 桐朋学園芸術短期大学特任教授も務める。
増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年… 増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年5月21日)は日本の編集者・映画評論家。日本映画ペンクラブ会員。 千葉県船橋市生まれ。1956年、東京教育大学文学部独文科卒業。 光文社での月刊誌、週刊誌の編集者を経て、1964年からフリーに。 娯楽映画評価の先駆者であり。また、映画を作品論としてとらえるだけでなく、映画産業のメカニズムの中で論じるという、独自の評論スタイルを持った。主著に「映画のもうひとつの楽しみ方」「西部劇」「B級映画フィルムの裏まで」などがある。 西條の没後、2003年度の日本映画批評家大賞内に増淵健賞が創設されており、2004年度・2005年度は特別賞、2006年度から2011年度まで特別功労賞の副名称として授賞が行われていた。
中島 資皓(なかじま もとひろ、1931年7月27日 - 2… 中島 資皓(なかじま もとひろ、1931年7月27日 - 2011年8月23日)は、日本の経営者。東洋経済新報社社長を務めた。 千葉県市川市出身。1954年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋経済新報社に入社。1970年2月に「会社四季報」編集長、同年4月に「週刊東洋経済」編集長を経て、1982年12月に取締役に就任し、1986年12月に専務を経て、1988年12月から1992年11月までに社長を務めた。 2011年8月23日、老衰のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年… 宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年2月13日)は日本の翻訳家。 千葉県夷隅郡大多喜町出身。1953年明治学院大学文学部英文科卒。
廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6… 廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6年〉3月23日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、千葉県出身の文化人類学者・博物館学者。 財団法人日本モンキーセンターを経て、名古屋学院大学教授をつとめた。専門は、猿と人の関係を対象とする文化人類学。豊田市文化振興財団の研究奨励賞を受賞した。 千葉県千葉市生まれ。1956年(昭和31年)立命館大学法学部卒、1962年同大学院文学研究科日本史専攻修士課程修了。 学生時代、本来の専攻とは関係のない京都大学理学部動物学教室の霊長類研究グループでアルバイトをしていた。アルバイト終了後も、当時研究員をしていた間直之助に従って嵐山の野生ニホンザルの調査・研究を手伝い、やがて野外観察に興味を抱くようになった。