秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11… 秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11月30日 - 1999年〈平成11年〉11月26日)は、日本の政治家。白井町長、白井町議会議長、白井町議会・白井村議会議員(5期)。位階は従五位。 白井町生まれ。千葉県立印旛実業学校(現・千葉県立印旛明誠高等学校)卒業。1963年(昭和38年)4月から1980年(昭和55年)11月まで、白井村・白井町議会議員を務めた。この間、議長も務めた。また、同年12月から1996年(平成8年)11月まで第3代白井町長を務めた。
色川 大吉(いろかわ だいきち、1925年〈大正14年〉7月… 色川 大吉(いろかわ だいきち、1925年〈大正14年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉9月7日)は、日本の歴史家。東京経済大学名誉教授。専門は日本近代史、民衆思想史。 千葉県佐原市(現、香取市)生まれ。家業は運送業。旧制第二高等学校(仙台市)から東京帝国大学文学部に進学するも、太平洋戦争の学徒出陣で海軍航空隊へ入隊する。終戦に伴い復員すると、靴磨き、論文の下請け、農業などを行いつつ、1948年(昭和23年)に、前年9月に東京帝国大学から改称した東京大学を卒業。 ヴ・ナロード(人民の中へ)を目指して栃木県の中学校教員となるが、1年で挫折する。その後は上京し、日本共産党に入党し民主商工会の書記となる。
八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日… 八木 治郎(やぎ じろう、1925年〈大正14年〉4月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月18日)は、日本のアナウンサー、テレビ番組司会者。元NHKアナウンサーを経てフリー。 東京生まれ。幼・少年期を現在の千葉県香取市で過ごした。旧制千葉県立佐原中学校(現在の千葉県立佐原高等学校)から陸軍士官学校予科→陸軍航空士官学校を経て1949年、東京大学文学部中国文学科卒業。 同年NHK(日本放送協会)に入局。同期入局には小川宏、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明らがいる。熊本、長崎勤務を経て、1953年にラジオの『音楽夢くらべ』で本格的にアナウンサーを開始。報道・芸能・社会番組などを担当。人気クイズ番組『私の秘密』では高橋圭三がNHKを退局しフリーになってからは、後任として1962年から4年間司会を務めた。
利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ… 利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ)、1924年〈大正13年〉11月15日 - 2005年〈平成17年〉4月27日)は、日本の元女優。演技派の脇役。利根 はるゑとも表記される。千葉県千葉市出身。 1924年、東京府生まれ。松竹少女歌劇団の松竹少女歌劇学校を1年で中退し、松竹大船入社。芸名は池上鶴代。 丸山定夫の苦楽座を経て、1947年、新宿ムーラン・ルージュに入り、1949年東宝『今日われ恋愛す』でデビュー。 1950年、新東宝入社、『熱泥地』で初主演。 1952年、大映と本数契約。山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた。 1953年、現代俳優協会に参加、『ひめゆりの塔』などに出演。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月… 黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月25日 - 2013年 <平成25年> 8月16日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 千葉県出身。木更津中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学第二工学部土木工学科卒。卒業後は建設省に入省後、千葉県庁に出向、土木部長、県住宅供給公社理事長などを務め、1983年、富津市長選挙に立候補し、初当選する。市長を3期務め、1995年の市長選挙で元千葉県議会議長の野口岡治に敗れた。1996年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1… 松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1986年4月21日)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現在の松戸市松戸)出身で大山部屋に所属した大相撲力士。本名は永井福太郎(ながい ふくたろう)。最高位は西大関。身長172cm、体重154kg。得意技は押し、左四つ、寄り、吊り。 小学校3年の時には既に体重16貫(60kg)に達し、関脇・髙登から小学校卒業の折には「ぜひとも私の所に弟子入りさせてほしい」と頼まれたという。その後引退して年寄・大山を襲名した髙登から再度勧誘され入門、1941年(昭和16年)1月場所で初土俵を踏んだ。四股名は故郷・松戸市と師匠の現役名・髙登にちなんでつけられた。当時「大山親方がすごいのを連れて来たらしい」と評判になった。
小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 198… 小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 1987年7月29日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手)。 千葉商業から明治大学へ進学。1945年11月に新設球団セネタースから勧誘を受けるが、固辞して大学に残る。1946年には母校の千葉商業で監督を務めている。1948年の大学卒業に当たって、明治大学の同期で東急フライヤーズ(セネタースの後身)に所属していた清水喜一郎から東急入団の勧誘を受けるが、小川は再び固辞して小口工作所に入社した。 1949年に大映スターズのスカウト・小林次男の勧誘を受けて入団。カーブ、ドロップ、スライダー、シュートを武器に2年目に二桁となる12勝を挙げた。1954年と1955年にも2桁勝利を記録し、大映の先発陣の柱として活躍した。
横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 20… 横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 2010年)は日本の建築家。千葉県船橋市出身。早稲田大学理工学部建築学科卒。 事務所設立初期から日蓮正宗の総本山である大石寺の伽藍の設計を手がけ、大客殿の設計では日本建築学会賞を受賞した。1972年(昭和47年)には大石寺の伽藍設計の集大成となる正本堂を竣工させた。しかし、昭和末期から平成にかけて横山の設計した建物は徐々に取り壊され、現在では大講堂など境内に数えるほどしか残っていない。正本堂の解体には創価学会関係者だけでなく、建築関係者からも反対の声があった。 1988年、株式会社建築家会館第3代社長に就任、2期8年務めた。2008年、日本建築学会名誉会員。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月1… 佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月15日 - 2013年(平成25年)1月21日)は、日本の政治家。自由民主党元参議院議員(3期。津島派)。医師(産婦人科)。位階は正四位。
宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8… 宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8日 - 1994年〈平成6年〉5月15日)は、日本の政治家、千葉県松戸市長(6期)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 千葉県出身。旧制千葉県立東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾中学校・高等学校)卒。卒業後は松戸市雇となる。その後書記、教育、建設、企画調査、企画財政の各課長を歴任し、松戸市長松本清の下で助役に就任する。 1973年、松戸市長松本清が死去し、松本の後継者として松戸市長選挙に立候補し、初当選する。市長を6期務め、在任中は「計画行政」を推進した。6期目途中の1994年に死去した。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 201… 青野 茂行(あおの しげゆき、1924年4月4日 - 2012年7月23日)は、日本の化学者。第7代金沢大学学長。従三位勲二等旭日重光章。 千葉県銚子町(現・銚子市)生まれ。1947年東北大学理学部化学科卒業、千葉県立国府台高等学校着任。千葉県立千葉第一高等学校、千葉大学文理学部助教授、金沢大学大学院自然科学研究科長を経て、1989年学長。1993年に退任後、帰郷し船橋市に定住。1999年勲二等旭日重光章。2012年7月23日、肺炎のため死去し、叙従三位。
内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 19… 内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 1984年6月15日)は、日本の俳優、詩人。千葉県銚子市出身。 法政大学予科在学中の内田は、戦況が悪化すると「いずれ自分も特攻隊員に採られて死ぬのだから、学校に居ても仕方が無い」と思い、帰郷後にブラブラしていると家のすぐ近くにある銚子市立飯沼小学校から「教師が不足しているのでどうだ?」と声が掛かり、1945年夏から1946年の夏までの1年間代用教員を務めた。法政大学経済学部在学中の1951年、新協劇団に入って演劇を始める。1951年に杉浦直樹・小松方正らと劇団「新演劇研究所」を結成して活動するが、ほどなく解散した。東映での映画出演を経て1953年に友人から小林正樹を紹介され、その伝手で松竹映画にも出演。
木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10… 木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10月22日)は、日本の法学者・弁護士・弁理士。専門は民事手続法、特に民事訴訟法・民事執行法・民事保全法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1974年)。元中央大学教授。千葉県香取郡多古町出身。 中央大学法学部助手。1953年中央大学法学部助教授。1962年中央大学法学部教授。1968年中央大学理事。1970年旧司法試験第二次試験考査委員。1971年中央大学依願退任。中央大学法学部非常勤講師(~1994年)。1973年弁護士・弁理士登録。1975年早稲田大学大学院法学研究科客員講師・同法学部客員講師(~1994年)。最高裁判所規則制定諮問委員(1975~1994年)。
小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 200… 小野田 隆(おのだ たかし、1923年8月20日 - 2009年7月25日)は、元東京都新宿区長。
渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月… 渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月28日 - 1995年〈平成7年〉9月15日)は、日本の政治家。 千葉県習志野市生まれ、栃木県那須郡川西町(黒羽町を経て2005年以降大田原市)育ち。 自由民主党政務調査会長(第33代)。衆議院議員(11期)、厚生大臣(第54代)、農林水産大臣(第2代)、大蔵大臣(第81代)、通商産業大臣(第45代)、副総理兼外務大臣(第114代)を歴任。中曽根派を継承して渡辺派を率いた。従二位勲一等旭日桐花大綬章。「ミッチー」の愛称で親しまれた。 長男は、元参議院議員、元衆議院議員、第7・8代内閣府特命担当大臣(金融担当)、第7代内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、初代みんなの党代表の渡辺喜美。
坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月… 坂口 三千代(さかぐち みちよ、1923年〈大正12年〉2月7日 - 1994年〈平成6年〉11月2日)は、日本の随筆家。「無頼派」として知られる小説家・坂口安吾の妻。旧姓は梶。長男は写真家の坂口綱男。 1923年2月7日、千葉県銚子市に生まれる。千葉県立銚子高等女学校に通う。卒業後、向島に母と共に引っ越す。1943年、当時学生であった政治家の子息鈴木正人と結婚し、一女をもうける。のちに離婚した。実家は向島で料亭を営む。 1947年3月初め、24歳のとき新宿のバー「チトセ」で坂口安吾と出逢い、毎週水曜日に荏原郡矢口町字安方127番地(現・大田区東矢口)の坂口家に通う秘書となる。4月に三千代が盲腸炎から腹膜炎となり緊急入院。
沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 201… 沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 2011年11月26日)は、日本の政治家。千葉県知事(5期)。
眉山 俊光(まゆやま としみつ、1922年(大正11年)12… 眉山 俊光(まゆやま としみつ、1922年(大正11年)12月19日 - 2011年 (平成23年) 2月24日)は、日本の政治家。第4代流山市長(3期12年)。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。流山寺住職の家に生まれ、のち同寺の住職となる。東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾高等学校)、1942年駒澤大学専仏卒業。中学校教諭(社会科担当)となり、南部中学校校長などを経て、1980年に流山市教育長就任。11年にわたり市の教育に尽力。 1991年から市長に就任。3期12年務めた。教え子には、サンプラザ中野などがいる。 2011年2月24日、脳幹梗塞のため死去。88歳没。
一瀬 智司(いちのせ ともじ、1922年5月31日 - 20… 一瀬 智司(いちのせ ともじ、1922年5月31日 - 2010年4月6日)は、日本の行政学者。国際基督教大学・石巻専修大学名誉教授。公共企業論。 千葉県市川市出身。東京大学法学部卒。53年同大学院修了、67年「公共企業体の財務管理に関する理論的・実証的研究 予算の役割、とくに資本予算の特質と設備計画の問題を中心にして」で経済学博士を取得。1948年会計検査院勤務、1953年埼玉大学講師、55年助教授、1963年国際基督教大学教授。社会科学研究所長、社会科学科長、1988年名誉教授。石巻専修大学教授、名誉教授。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月2… 大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月26日 - 2004年〈平成16年〉3月17日)は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。 1937年(昭和12年)東京浅草寿町郵便局勤務。その後、日本大学法律科に入るが、1943年(昭和18年)に中退し軍務に就いた。 1948年(昭和23年)全逓信従業員組合中央執行委員。1950年(昭和25年)日本電信電話公社関東電気通信局に移り、1953年(昭和28年)に全電通書記長になる。1958年(昭和33年)委員長に就任。1962年(昭和37年)総評幹事。1970年(昭和45年)から6年間事務局長を務めた。
石橋 一弥(石橋 一彌、いしばし かずや、1922年〈大正1… 石橋 一弥(石橋 一彌、いしばし かずや、1922年〈大正11年〉3月19日 - 1999年〈平成11年〉3月5日)は、日本の政治家(自由民主党衆議院議員)。位階は従三位、勲等は勲一等。第1次海部内閣で文部大臣を務めた。東金市名誉市民。 千葉県山武郡公平村(現・東金市)出身。石橋家は代々名主・村長を務めてきた旧家の豪農で、父・弥は竹尾弌とともに農民運動にも関わり公平村長や県議会議員を務めた。日本農士学校(埼玉県農業大学校の前身のひとつ)に学び、昭和16年に同校を卒業、陸軍に入隊。 1952年に公平村長、1968年に東金市長に就任。1976年、千葉三郎の後継者として旧千葉3区から衆議院議員に初当選。
北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5… 北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5日 - 2017年〈平成29年〉8月9日)は、日本の市民運動家、社会運動家、元政治家、活動家。三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)事務局長であった。 1922年に、千葉県佐倉市田町で、呉服商の次男として誕生する。 保善中学校を中退後、日本光学(現・ニコン)に就職した後、1942年に大日本帝国海軍へ志願制度で入隊する。横須賀海兵団・工機学校を経て駆逐艦「松風」や第四号海防艦に乗務。なお「松風」では、後に反対同盟副委員長となる小川明治が乗務しており、上官であったが同郷人であったため知遇を得る。空襲によって第四号海防艦が三重県鳥羽港沖で沈没した後は、横須賀海兵団第四分隊配属の指令を受け、艦載機の攻撃を受けながらも汽車で神奈川県横須賀市へ移動した。
林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 201… 林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 2012年1月2日)は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー、ゴルフ指導者・解説者。 長男の林由一、孫の林由寿もプロゴルファーである。 第二次世界大戦直前の1930年代に貧しい農家であった一家を支えるため、小学校を卒業した林は自宅近くの我孫子GCでキャディのアルバイトを始める。大人顔負けの日銭が稼げる仕事でそれ以上のものではなかったが、いち早くボールを発見し利用客に喜んでもらうために一生懸命、客の構えとボールの方向をよく見ていた。毎日、目の前でプレーを見ている内に自然の成り行きでゴルフに魅せられていくと、キャディの仕事の意味は一変。客のスタンスの取り方、グリップの形、テークバックの上げ方、バンカーショットなど、目を皿の様に観察し、練習する毎日となった。
栗原 克実(くりはら かつみ、1922年 - 2003年)は… 栗原 克実(くりはら かつみ、1922年 - 2003年)は、日本の水墨画家。千葉県生まれ。 内閣総理大臣賞、国際文化交流功労特別賞などを受賞。国画水墨院名誉顧問。水墨画の世界的巨匠である。 「水墨画は東洋美術の主流であったが、明治の文明開化以降、欧米化に波のまれ影が薄くなっていた。私は洋画家を志したが、伝統芸術に関心を寄せ、水墨画家へと転身することとなった。東洋と西洋の思想、絵画理論を融和させ、西洋の影響を受けながらもなお、東洋的気質を貫く、水墨画の世界を創造確立することこそ、今日的課題だと考える。」 栗原克実の次男、栗原志保見も絵画活動を行い、フランス・パリのサロン・ドートンヌ展や公的国際現代アートフェアなどに選抜されるなど、活躍を重ねている。
牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、… 牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、日本の版画家、洋画家。千葉県出身。 1922年(大正11年)、千葉県に生まれる。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業。東京版画国際展をはじめ、毎日国際展、毎日現代展、朝日秀作美術展、JAA国際展などで活躍する。河童絵の牛玖博は実弟。
藤崎 武男(ふじさき たけお、1922年(大正11年) - … 藤崎 武男(ふじさき たけお、1922年(大正11年) - )は、日本の作家、ルポライター。元・旧日本陸軍大尉。旧姓・太田。 千葉県に生まれる。1939年(昭和14年)3月、旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業、1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)を卒業し、見習士官として華北に派遣される。 1944年(昭和19年)には、第37師団・歩兵第227連隊の第1中隊長として大陸打通作戦に参戦し、中国大陸から仏印・英領マレーを転戦してマレーで終戦を迎えた。第二次世界大戦終戦時、陸軍大尉。著書の『歴戦1万5000キロ―大陸縦断一号作戦従軍記』は、大陸打通作戦開始から、終戦後日本に帰還するまでの記録である。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 … 竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 - 1977年1月5日)は、千葉県銚子市出身で山分部屋に所属した大相撲力士。本名は白土 酉松。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、投げ。最高位は東前頭16枚目(1948年10月場所)。 千葉県銚子市出身、山分部屋に入門、1938年5月場所に初土俵。負け越しなし(五分の成績の場所はある)で1945年6月場所に新十両をはたす。右四つからの寄りや投げには迫力があり、大器と期待もされた。十両で3年、1948年5月場所に新入幕をはたし、その場所6勝5敗と勝ち越したが、翌場所3勝8敗と負け越すと、そのまま27歳で廃業した(番付上は1949年1月場所も幕内に名をとどめている)。
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921… 七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外… 岡田 富美也(おかだ ふみや、1921年 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ジョルダン(ヨルダン)特命全権大使、北海道派遣特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使等を歴任した。 千葉県出身。成田中学校、第一高等学校文科甲類を経て、1948年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1964年外務大臣官房書記官。1966年外務省国際連合局経済課長。1969年外務省経済局国際貿易課長。1970年外務省経済局外務参事官。 1971年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1972年在インド日本国大使館参事官。1974年外務大臣官房調査部外務参事官兼経済協力局。同年在オーストラリア日本国大使館公使。1976年在トロント日本国総領事館総領事。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日… 萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日 - 2005年〈平成17年〉7月1日)は、日本の小説家、エッセイスト。 詩人萩原朔太郎と最初の妻、稲子(旧姓上田)との長女として東京本郷の東京帝大構内の前田侯爵邸に生まれ、大井町、田端、鎌倉材木座、馬込、前橋、下北沢などを転々として育つ。2歳下の妹・明子がいる。8歳の時両親が離婚し、前橋の祖母(朔太郎の母)宅に預けられた。権勢を振るう祖母の圧迫で、2番目の妻と離婚させられた朔太郎が1942年、55歳で死ぬという辛酸をなめ、このことがのち小説『蕁麻の家』に描かれることになる。 1938年、精華高等女学校(現・東海大学付属望洋高等学校)卒業、同年文化学院入学。
岡田 英次(おかだ えいじ、1920年〈大正9年〉6月13日… 岡田 英次(おかだ えいじ、1920年〈大正9年〉6月13日 - 1995年〈平成7年〉9月14日)は、日本の俳優。千葉県銚子市生まれ。身長166cm。慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。 1946年、村山知義の第2次新協劇団に入団。1949年に『花の素顔』で映画デビュー。 1950年、今井正監督の『また逢う日まで』で久我美子の相手役を演じたことで一躍注目を浴びる。 「新協劇団」分裂後の1954年、劇団青俳を木村功らと設立。後に現代人劇場を経てフリーに。『真空地帯』『ここに泉あり』などの話題作に次々と出演したほか、1959年にはアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』に出演。世界的にも知られることに。
赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010… 赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010年6月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。参議院議員(日本社会党→社会民主党)。参議院副議長(第21代)。 千葉県銚子市出身。千葉県立匝瑳中学校卒業後、銚子郵便局に就職した。1946年に同局の従業員組合の委員長に選出された。1949年、全逓信従業員組合(日本郵政公社労働組合の前身)の千葉地区本部書記長、1960年には県労働組合連合協議会議長に選出されて1974年までの14年の間務めた。 1974年の第10回参議院議員通常選挙に千葉地方区から日本社会党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党参議院議員会長などを経て、1992年8月から1995年8月まで参議院副議長を務めた。
利光 達三(としみつ たつぞう、1920年4月23日 - 1… 利光 達三(としみつ たつぞう、1920年4月23日 - 1994年11月5日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長や、同社会長、日本民営鉄道協会会長、立教学院理事長等を歴任した。勲一等瑞宝章受章。 千葉県市川市出身。1944年立教大学経済学部経済学科卒業。小田急電鉄専務取締役を経て、1981年から小田急電鉄取締役社長を務め、小田急エージェンシーの設立などを行った。1987年立教学院理事長、立教大学校友会会長。1989年日本民営鉄道協会会長。1991年小田急電鉄取締役会長。1982年藍綬褒章受章、1991年勲一等瑞宝章受章。1994年11月5日、急性心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29日 – 1997年(平成9年)10月16日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第7・8・9・10・11代)、全国革新市長会会長等を歴任した。位階は正四位。 千葉県成田市生まれ。1940年早稲田高等工学校(現早稲田大学)を卒業後、逓信省航空局に入省。第二次世界大戦での兵役を経て、敗戦後の1951年に川崎市役所に就職。技術吏員を振り出しに、職員組合委員長、労働組合連合会委員長、自治労神奈川県本部委員長等を経て、1971年の川崎市長選挙に日本社会党・日本共産党の推薦を受けて出馬し、7期目の当選を目指していた保守系の現職・金刺不二太郎を破り、初当選を果たす。
大木 董四郎(おおき とうしろう、1920年 - 没年不明)… 大木 董四郎(おおき とうしろう、1920年 - 没年不明)は、千葉県出身のプロ野球選手。 千葉商業学校から1946年にセネタースへ入団。同年退団。
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月3… 川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月30日 - 2009年(平成21年)8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。 千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。旧制安房中学、旧制一高を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年4月に経理学校を卒業し豊川海軍工廠に配属。同年6月、主計少尉に任官され海軍艦政本部に転じ終戦を迎えた。1945年9月、予備役に編入。
石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日… 石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の法学者。 専門は労働法。東京大学名誉教授。末弘厳太郎門下。「労働法の権威」と呼ばれた。 労働行政の場においても、公共企業体等労働委員会会長や中央労働委員会会長を歴任するなど活躍。中央労働委員会会長在任中(1984年11月~1992年10月)には、パンアメリカン航空の労働争議仲裁や、いわゆるJR不採用問題でJRと国鉄労働組合の両者に対し和解を促す「最終解決案」の提示などを行った。 千葉県木更津市にて誕生。1937年、東京府立第四中學校卒業。1940年、第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学法学部卒業。
森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年… 森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年5月15日)は、日本の政治家、企業家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。 自由民主党の衆議院議員。千葉県勝浦市出身。長男は自由民主党衆議院議員の森英介。 父は森コンツェルンの総帥で衆議院議員の森矗昶。森清、森曉、三木武夫の妻睦子の弟にあたる。 1940年に玉川塾(専門部)を卒業し、日本冶金工業に入社する。戦後は、東亜精機代表取締役、苫小牧ファーム社長などを歴任。1949年9月3日、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)の発足に参画。発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。 兄・清の急死により、後継者として1969年の第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 19… 林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 1999年11月3日)は、日本の洋画家。千葉県野田市出身。 生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られる。 1919年、千葉県野田市に生まれる。 1946年にシベリア抑留を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになる。 齢50を過ぎてから画家デビューするという異色の経歴を有しており、数多くの古民家を描き続けてきた事で知られる。 全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺文化を世界に伝え浸透させるために活動する。 数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法が絶大な人気を呼び起こした。
佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994… 佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。 戦前のアマ名人戦の県代表となる。1938年入門。軍隊生活を経験し、復帰後の1944年に四段となる。1946年より順位戦に参加。 1974年、日本将棋連盟専務理事。 現役生活44年間対局不休、無遅刻の記録を続けながら1990年3月に引退。生涯成績は458勝599敗。 1994年3月、尿毒症のため死去。享年75。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 19… 金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 1960年2月16日)は、将棋棋士。贈八段。木村義雄十四世名人門下。千葉県天津小湊町(現・鴨川市)出身。 1946年、順位戦C級に参加し、成績上位のために六段へ跳び昇段。翌年にB級に昇段する。B級2組在籍のまま、1960年に逝去。 珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。 海釣りが好きで、釣った魚のことをけなされると、闘志満々で戦ったという。 非常に酒が好きであり、清野静男、間宮純一との三人で「将棋界の三奇人」とよばれた。 将棋の現行規則においては、指し手に反則行為が生じた場合には反則を犯した対局者の即負けが規定されているが、かつては反則を定めた明文規定がなく、反則規定が設けられたのは昭和32年頃であった。
高品 格(たかしな かく、1919年2月22日 - 1994… 高品 格(たかしな かく、1919年2月22日 - 1994年3月11日)は、日本の俳優。本名、向後 直吉(こうご なおきち)。 千葉県出身。北川事務所、スタッフ・アップに所属していた。息子は作家・カウンセラーの向後善之(1957年生)。本名からわかる通り、同じ旭市出身の高品剛とは無関係。 千葉県海上郡飯岡町に漁師の息子として生まれる。千葉県匝瑳郡八日市場小学校高等科を卒業後、八日市場区裁判所に勤務する。 1935年、東京市杉並区高円寺の「東邦拳闘倶楽部」に入ってプロボクサーになり、東洋フライ級チャンピオンまで登り詰めるが、日本映画に感動して俳優を志し1938年、日活多摩川撮影所に入社。1939年、田坂具隆監督の戦争映画『土と兵隊』でデビュー。
金瀬 俊雄(かねせ としお、1919年(大正8年)2月19日… 金瀬 俊雄(かねせ としお、1919年(大正8年)2月19日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 千葉県君津郡佐貫町(現在の富津市)生まれ。千葉県立木更津中学(現在の千葉県立木更津高等学校)を経て、千葉師範学校卒業。君津郡内の小学校や青年学校の教員となる。戦後直ぐに千葉県教職員組合の結成に関わり、日本社会党に入党。1947年に千葉県議会議員(君津郡選出)に当選し、途中離党して民主社会党に参加するも直ぐに社会党へ復党し7期務める。長年、県議会議員として公共の福祉に奉仕して地方自治の発展に貢献したとして1968年、藍綬褒章受章。1972年の第33回衆議院議員総選挙で千葉3区から社会党公認で立候補し、初当選。
飯塚 達雄(いいづか たつお、1919年 - 没年不明[要出… 飯塚 達雄(いいづか たつお、1919年 - 没年不明[要出典])は、千葉県出身のプロ野球選手。 関東中学校から1940年に名古屋金鯱軍へ入団し、同年退団した。
櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6… 櫻井慶治(さくらい けいじ、1919年 - 2016年6月6日)は、日本の洋画家。弟子に三沢忠がいる。 1919年、千葉県印旛郡和田村(現千葉県佐倉市高崎)に生まれる。 千葉県立佐倉中学校(旧制、現千葉県立佐倉高等学校)、千葉師範学校(現千葉大学教育学部)を経て1949年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。東京美術学校在学中の1947年と1948年に光風会展入選。1956年から1957年文部省留学生としてフランス留学。1956年から1964年まで絵画の研究の為、ヨーロッパを中心にイタリア、スイスなど各国を歴訪。1965年、再渡欧米、フランスでル・サロン銅賞・ヴィシー国際展グランプリを受賞。 1967年(昭和42年)第10回日展、1969年(昭和44年)改組第1回日展の2回で特選を受賞した。