丸本 凛(まるもと りん、2005年4月23日 - )は、日… 丸本 凛(まるもと りん、2005年4月23日 - )は、日本の俳優・モデル・フォトグラファーである。芸能活動のマネジメントレーベルは「RM PRODUCTION」、フォトグラファーとしては写真家の丸谷嘉長氏が立ち上げたプロジェクト「ネガティブポップ」に参画している。
東京都:69人
丸本 凛(まるもと りん、2005年4月23日 - )は、日… 丸本 凛(まるもと りん、2005年4月23日 - )は、日本の俳優・モデル・フォトグラファーである。芸能活動のマネジメントレーベルは「RM PRODUCTION」、フォトグラファーとしては写真家の丸谷嘉長氏が立ち上げたプロジェクト「ネガティブポップ」に参画している。
築山 礁太(つきやま しょうた、1997年 - )は、東京都… 築山 礁太(つきやま しょうた、1997年 - )は、東京都東大和市出身の日本の写真家である。 2019年日本写真芸術専門学校卒業。変化する記憶をテーマに制作することが多く、洞窟3部作や部屋シリーズなどがある。自主制作によるアーティストブックを精力的に発表している。また、個人以外にグループでの制作も行っており、Culture Centre(横田大輔、宇田川直寛、中野泰輔、渡邊聖子、築山礁太)や mob(河原孝典、築山礁太)としても活動している。主な展示に、『Immersed materiality』(Whitenoise、ソウル、2018)、『退屈な本 Boring Books』(東京都現代美術館、東京、2019)などがある。
舞川 あいく(まいかわ あいく、1988年8月17日 - )… 舞川 あいく(まいかわ あいく、1988年8月17日 - )は、女性ファッションモデル、フォトグラファー、タレント。元在日台湾人で、帰化し日本国籍を取得。 2005年6月からファッション雑誌『Popteen』に登場し、カリスマモデルと呼ばれた。2009年に『CanCam』に移籍し、2010年8月号で初の単独表紙を飾った。 2010年11月、2人組ユニット・moumoonの「YAY」のミュージック・ビデオに安座間美優、山本美月、土屋巴瑞季と共に出演した。 2014年10月23日発売の『CanCam』12月号をもって同誌専属モデルを卒業した。その後はフリーモデルと写真家として活動。 2024年5月31日、20年間所属したパールを退社。
ヤハラ リカ(やはら りか、1984年8月10日 - )は、… ヤハラ リカ(やはら りか、1984年8月10日 - )は、東京都出身のモデル、女優、タレント、MC、写真家。本名、矢原 里夏。元スペースクラフト所属、元ケイダッシュ所属を経て独立、個人事務所。日本ハンドボール協会 広報委員会委員、日本ハンドボール協会公認 ビーチハンドボールアンバサダー、世界ゆるスポーツ協会アンバサダー。 2009年、学研発刊雑誌『FYTTE』が創刊20周年を記念して行った第1回専属モデルオーディション(応募総数2862通、最終選考19名)にてFYTTE未来賞を受賞、FYTTE初の専属モデルとしてデビュー。モデルとして多数の広告・TV-CMなどに出演するとともに、リポーター、MC、女優、ラジオパーソナリティ、コラムニストなど幅広い分野で活動(後述)。
東野 翠れん(ひがしの すいれん 1983年8月25日 - … 東野 翠れん(ひがしの すいれん 1983年8月25日 - )は、日本の写真家、ファッションモデル。父親が日本人で母親がイスラエル人。 14歳から写真を撮りはじめ、ミュージシャンのポートレートなどを撮影するようになる。現在は、雑誌連載や写真集の出版などの活動を行っている。友人である湯川潮音の音楽CDのジャケット写真は彼女が撮影している。同時に雑誌のモデルをつとめたり、CMにも出演するなどした。
佐野 貴明(さの たかあき、1982年5月22日 - )は、… 佐野 貴明(さの たかあき、1982年5月22日 - )は、日本の写真家。 彼の作品は 国内外の個展やグループ展で展示され、2021年にはアマナ主催の「IMAnext」で「MEMORIES」をテーマにしたコンペティションにおいて、審査員のティム・バーバーによる選考でショートリストに入賞した。 2024年、東京・代官山のヘアサロンギャラリー「Liike」にて個展「Hidden」を開催した。 2025年には東京・代官山の美容室ギャラリー「gig」にて個展「しき」を開催し、英字フリーペーパーMetropolis、オンライン写真メディア「IMA ONLINE」、写真専門サイト「Photo & Culture, Tokyo」など複数のメディアで取り上げられた。
岡原 功祐(おかはら こうすけ、1980年12月8日 - )… 岡原 功祐(おかはら こうすけ、1980年12月8日 - )は東京都出身の写真家。フランス・パリ在住。アフリカ大陸や南米コロンビア、日本を中心に撮影を続けている。
田尾 沙織(たお さおり、1980年11月28日 - )は、… 田尾 沙織(たお さおり、1980年11月28日 - )は、日本の写真家。 1980年東京都品川区生まれ。2001年日本写真芸術専門学校卒業。同年、第18回写真ひとつぼ展グランプリを最年少で受賞。2007年個展『LAND of MAN』、2013年個展『ビルに泳ぐ』など。グループ展にも積極的に参加。写真集に『通学路 東京都 田尾沙織』『ビルに泳ぐ』(PLANCTON)がある。雑誌、広告、CF、映画スチールなど多方面で活動中。
岡本 英理(おかもと えり、1980年9月25日 - )は、… 岡本 英理(おかもと えり、1980年9月25日 - )は、日本の写真家。東京都出身。渋谷女子高等学校在学中より写真撮影を始める。写真専門学校卒業後、2002年にデビュー。携帯コンテンツ『女はみんなそんなもの』Sony Digital Entertainment Services Inc. 2007.11〜連載中。
境 貴雄(さかい たかお、1978年10月8日 - )は、日… 境 貴雄(さかい たかお、1978年10月8日 - )は、日本の現代美術家、写真家、タレントである。芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)」所属。横浜美術大学講師。 東京都渋谷区出身。1991年、渋谷区立広尾小学校を卒業。1994年、渋谷区立広尾中学校を卒業。1997年、東京都立羽田高等学校美術コースを卒業。2005年、東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。2007年、同大学院美術研究科修士課程デザイン専攻を修了。2007年より小豆を顔に付けて髭に見立てたファッション『AZURER (アズラー)』のディレクターを務めている。 東京藝術大学に在学中より和菓子や小豆を媒体とした作品を発表。
間下 このみ(ました このみ、1978年4月27日 - )は… 間下 このみ(ました このみ、1978年4月27日 - )は、日本の写真家・女優・タレント。東京都葛飾区出身。1980年代にドラマ・バラエティ・CM・舞台などを中心に活躍した人気子役。中学入学後、学業を優先し芸能活動を自粛するが、2004年から女優、タレントおよび写真家として活動を再開。愛称は「このみちゃん」。 2歳になった1980年頃、近所にすむ幼馴染みがモデル事務所に所属することになり、その幼馴染みの母親が間下の母親に「(このみも)一緒に入らないか」と誘ったことがきっかけとなり事務所に所属する。 ブレイク前には不二家ネクターのCMで江川卓と共演している。 1983年、山手線内でスカウトされ、キッコーマンのインスタント玄米雑炊「ガンバレ! 玄さん」のCMに出演。
AKIHIDE(アキヒデ、1977年〈昭和52年〉7月5日 … AKIHIDE(アキヒデ、1977年〈昭和52年〉7月5日 - )は、日本の男性ギタリスト、シンガーソングライター、シンセサイザープログラマー、マルチプレイヤー、作詞家、作曲家、編曲家、写真家、ディレクター。本名は佐藤 彰秀。東京都八王子市出身。FAIRY FORE、NEVER LANDの元メンバー、BREAKERZのメンバー。血液型はO型。 カードファイト!! ヴァンガード この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
石川 直樹(いしかわ なおき、1977年6月30日 - )は… 石川 直樹(いしかわ なおき、1977年6月30日 - )は、日本の写真家、登山家。東京都渋谷区出身。祖父は芥川賞作家の石川淳。 23歳で七大陸最高峰を当時の最年少記録で制覇した。2024年には日本人としては竹内洋岳に次いで2番目となる8000メートル峰全14座登頂を達成した。 渋谷区初台で生まれ育つ。幼稚園から高校までの14年間を暁星学園で過ごす。中学2年で「青春18きっぷ」を使い、野宿しながら坂本龍馬を生んだ高知県に初めての長い一人旅をした。高校2年の時には沢木耕太郎の『深夜特急』に刺激を受け、学校には内緒で1ヶ月に渡ってインドとネパールへ旅をした。浪人生活を経て2001年9月、早稲田大学第二文学部歴史・民俗系専修卒業。
岩根 愛(いわね あい、1975年 - )は、東京都中野区出… 岩根 愛(いわね あい、1975年 - )は、東京都中野区出身の写真家。 1991年、中学卒業後に単身渡米、ペトロリアハイスクールに留学。オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。帰国後、アシスタントを経て1996年に独立。雑誌媒体、音楽関連等の仕事をしながら、フィリピンのモンテンルパ刑務所、ロシアのニクーリンサーカス、台湾の三峡台北榮民之家など、世界の特殊なコミュニティでの取材に取り組む。 2006年以降、ハワイにおける日系文化に注視し、2013年より福島県三春町にも拠点を構え、移民を通じたハワイと福島の関連をテーマに制作を続ける。 2018年、初作品集『KIPUKA』及び写真展『FUKUSHIMA ONDO』で第44回木村伊兵衛写真賞、第44回伊奈信男賞を受賞。
岡田 眞善(おかだ しんぜん、1973年7月16日 - )は… 岡田 眞善(おかだ しんぜん、1973年7月16日 - )は、東京都出身の俳優、ラジオパーソナリティ、写真家、納棺師、葬儀執行者。元日本代表ヨット選手(W杯 世界2位)。 広告写真家、商業写真家としては2003年より前田幸雄代表のM-WAVE写真事務所に籍を置く。2022年より葬送儀礼に携わり、納棺、葬儀施行、執行パーサー。 1992年、玉川大学芸術学部在学中より、舞台を中心に活動を開始。大学卒業後はレナウンに入社。レナウンの一員としながら、伯父のE・H・エリックから教わったヨット競技のクルージング技術は高く、在職中の1998年、 ヨットのワールドカップ(W杯) 「カティーサーク世界帆船レース」に日本代表選手として選出。
安達 貴(あだち たかし、1972年10月7日 - )は日本… 安達 貴(あだち たかし、1972年10月7日 - )は日本の写真家、映像作家、撮影コーディネーター、コンサルタント。東京都・世田谷区出身。ジャンルはポートレート。 ロシアのウラジオストクで写真家として活動。 世田谷区立弦巻中学校、世田谷区立世田谷工業電子科 株式会社メイテック1990年 - 1993年勤務 インターナショナルスクール日本語講師 アメリカ映像製作会社勤務 1999年ロシア、ウラジオストクに拠点を移す。ウラジオストクで写真家として活動 2007年 Patphotostudio設立 2015年、有限会社トラストアソシエイトを設立 2013年 撮影コーディネーター・セブンスコード 2015年 撮影コーディネーター・デスノート2016 2017年 現地撮影コーディネーター・トーヨータイヤ・TVCM 2019年 現地ロケーションコーディネーター・フィガロジャポン10月号 2019年 撮影コーディネーター 染井俊輔2020年カレンダー 2020年 MV撮影コーディネーター、写真撮影、ドローンオペレーター mahina [everyday]
鶴巻育子(つるまきいくこ 1972年7月7日 - )は日本の… 鶴巻育子(つるまきいくこ 1972年7月7日 - )は日本の写真家。東京都出身。 1997年の1年間渡英し語学を学ぶ。帰国後周囲の勧めで写真を学び始めた。カメラ雑誌の執筆や写真講師など幅広く活動する一方、2019年に東京・目黒に写真ギャラリー Jam Photo Gallery を開設し、著名写真家の企画展や若い写真家への場の提供、アマチュアの育成にも力を注いでいる。国内外のストリートスナップで作品を発表しながら、視覚障害者の人々を取材し「みること」をテーマとした作品にも取り組んでいる。2025年に日本3大写真賞のひとつである林忠彦賞を受賞。 オリンパスギャラリー大阪 キヤノンギャラリー梅田 キヤノンギャラリー名古屋 キヤノンギャラリー仙台 キヤノンギャラリー大阪 キヤノンギャラリー福岡 キヤノンギャラリー大阪
只石 布久美(ただいし ふくみ、1972年6月29日 - )… 只石 布久美(ただいし ふくみ、1972年6月29日 - )は写真家。東京都目黒区中目黒出身。 桂由美帯同カメラマンとしてパリ・コレクション等の撮影を手掛ける。活動拠点は東京都渋谷区南平台のstudio JOSUI。VALX株式会社が運営するダイエットコンシェルジュなどのメディアにおける写真撮影に携わり、フィットネスモデルやボディービルダーの撮影を得意とする。VALX株式会社創業者の只石昌幸は夫。 夫と共に長男のWorld Robot Olympiad 2018 Thailand出場とOpen Category Elementary部門での世界8位入賞をサポートした。
チャーリィ古庄(チャーリィふるしょう、本名:古庄隆治〈ふるし… チャーリィ古庄(チャーリィふるしょう、本名:古庄隆治〈ふるしょう りゅうじ〉、1972年〈昭和47年〉 - )は、旅客機、空港の取材、撮影を得意とする航空写真家、航空ジャーナリスト。世界の美しい景色と飛行機のコラボレーションを撮ることを得意とする。 東京都出身。幼い頃から乗り物に興味があり、幼少期からカメラを片手に空港に通っていた。航空業界にあこがれ、渡米してパイロット免許を取得、同時に航空機ビジネスも学ぶ。帰国後スカイマークエアラインズの立ち上げメンバーとして、社員第一号になり、その後コンチネンタル航空に入社。航空会社勤務時代も航空雑誌等では連載などを持っていた。整備以外の職を全て経験した後、有限会社チャーリイズを立ち上げ、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の際に早期退職し完全に写真家として独立。
金山 貴宏(かねやま たかひろ、Takahiro Kaney… 金山 貴宏(かねやま たかひろ、Takahiro Kaneyama 1971年3月30日 - )は、日本の写真家。東京都江戸川区出身。私立市川高等学校中退後、大学入学資格検定を経て1993年にアメリカへ留学。2007年にニューヨーク市立大学シティカレッジ (The City University of New York, The City College) 学士課程 (写真科)を終了。ニューヨークのSchool of Visual Arts大学院(2001年修士課程修了)、ニューヨークの国際写真センター(ICP)のドキュメンタリー学科に籍を置き、在学中よりフリーランスで活動を開始し現在に至る。 (*第42回 木村伊兵衛写真賞、第36回 土門拳賞 最終ノミネート 「While Leaves Are Falling...」) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
大西 弘司(おおにし こうじ、1968年7月19日 - )は… 大西 弘司(おおにし こうじ、1968年7月19日 - )は、東京都品川区出身の日本の写真家。活動は主に広告媒体、会社案内、建築の撮影。クレジットは大西弘司、Koji Onishiと表記 東京都立雪谷高等学校を経て、多摩美術大学二部を卒業した。 撮影制作会社アシスタント、写真家川津英夫のアシスタントを経て、東京アドデザイナースに入社。東京アドデザイナース ディレクターフォトグラファーを最後に退職、タイへ拠点を移す。ASEAN諸国や中国において写真家活動を行う。 2011年に「JK Creation Co.,Ltd.」、2021年に「ThaiHey Creative G.H.」をそれぞれ設立した。
杉本 聖一(すぎもと せいいち、1966年6月24日 - )… 杉本 聖一(すぎもと せいいち、1966年6月24日 - )は、日本のカメラマン・鉄道写真家・ライター・エディター。合同会社ロットファイ代表社員。東京生まれ。 駒澤大学文学部国文学科卒業。写真家・北井三郎に師事の後、弘済出版社入社。前「鉄道ダイヤ情報」副編集長。タイへは1994年に初めて訪問。以降、渡航回数は20回を越え、1997年2月から10月までタイ王国のバンコクに暮らす。 カメラマン、ライター、エディターとして活躍中。『週刊鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)では、編集長を務めた。 また、国語科の教員免許を保有しており、2025年現在、公立高校で国語科の非常勤講師も務めている。
萩庭 桂太(はぎにわ けいた、1966年1月29日 - )は… 萩庭 桂太(はぎにわ けいた、1966年1月29日 - )は、日本の写真家。 東京都出身。東京写真専門学校卒業。妻は料理研究家・タレントの宮前真樹。 雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等のメディアで活動中。ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。大の犬好き。ドイツ製カメラのライカを使う。クラシックカーコレクター。 小学校6年〜中学校2年までは富山県高岡市。ブラスバンド部でトロンボーンを担当。東京都立小川高校卒業後、1984年に東京写真専門学校報道写真学科に入学。専門学校在学中からフリーカメラマンのアシスタントをする。
丸田 祥三(まるた しょうぞう、1964年9月22日 - )… 丸田 祥三(まるた しょうぞう、1964年9月22日 - )は、日本の写真家。父は将棋棋士九段、日本将棋連盟元会長の丸田祐三。 1964年東京都新宿区生まれ。1987年、東映に入社。テレビ事業部勤務を経て、写真家として独立。1994年日本写真協会新人賞受賞。 主に廃墟、廃線、少女、懐かしい街並みなどを撮影する。1994年、写真集「棄景―廃墟への旅」で日本写真協会新人賞を受賞。同書は1970年代から撮影された作品を含み、「『廃墟写真』の草分け」と評され、また80年代に端を発する廃墟ブームの流れに一石を投じたともいわれる。“くるり”のCD『青い空』のジャケット写真や、テレビ朝日の『ニュースステーション』のイメージショットにも使われた“朽ち果てた新幹線”の写真などでも知られている。
金村修(かねむら おさむ、1964年3月29日 - )は日本… 金村修(かねむら おさむ、1964年3月29日 - )は日本の写真家。 モノクロでソリッドな都市の風景を得意とする。 東京都立立川高校入学後、学校のトイレでシンナーを吸っているところを教師に見つかり、退学。ミュージシャンを目指し、最初はキャバレーのバンドマンになる。 25歳で友人に勧められイメージフォーラム映像研究所にて映画を学ぶ。アダルトビデオの撮影のアルバイトをしながら東京綜合写真専門学校で写真家 鈴木清に写真を学ぶ。また、ここで春日昌昭の写真に感銘を受け都市の風景を撮るようになる。卒業後、母校の東京綜合写真専門学校などで講師をしたり、駅売店への新聞配送などをしながら写真を発表する。自身のワークショップを開くなど、後進の指導も積極的に行っている。
小町 剛廣(こまち まさひろ、1964年3月5日 - )は、… 小町 剛廣(こまち まさひろ、1964年3月5日 - )は、東京都昭島市出身の写真家。 これまで多くの女優・タレントのグラビア・写真集を撮影。2011年から朝丘雪路の専属写真家を務める。ライフワークとしては10年間100回以上沖縄を訪れ、がじゅまるの樹を撮影。がじゅまるの樹の生命力に魅了される。その後写真集『がじゅまる』を出版し、おきなわワールド ガンガラーの谷 ケイブカフェで「がじゅまる・大鍾乳洞内写真展」を半年間に及び開催。 現在は女優・タレントの撮影以外に、人の生命にスポットライトを当て、東京都新宿区でマタニティーフォト・ベビーフォトの撮影にも力を注いでいる。 20歳の頃に昼間は都内のスタジオで助手として働き、夜は東京総合写真専門学校に通う(2年生を2回経験)。
ホンマ タカシ(1962年8月23日 - )は、日本の写真家… ホンマ タカシ(1962年8月23日 - )は、日本の写真家。 日本大学藝術学部写真学科在学中に、広告制作会社ライトパブリシティに入社。1991年から1993年にかけてロンドンに滞在し、ファッション・カルチャー誌『i-D』などで活動。帰国後は、雑誌、広告などを舞台に、ファッション、アートなど幅広いジャンルにおいて作品を発表。90年代以降、『purple』、『流行通信』、『スタジオボイス』、『BRUTUS』、『広告』、『Esquire』、『relax』、『H』、『Casa BRUTUS』などの国内外の雑誌を中心に、2000年代前後から建築の分野においても独自の作品を発表する。2010年4月、東京造形大学大学院に客員教授に着任。
石川 厚志(いしかわ あつし、1962年 - )は、日本の写… 石川 厚志(いしかわ あつし、1962年 - )は、日本の写真家・詩人・臨床心理士。 東京都武蔵野市出身、埼玉県在住。東京学芸大学附属小金井中学校、東京都立千歳高等学校、千葉大学、東京写真学園をそれぞれ卒業。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本写真協会、日本臨床心理士会会員。臨床心理の場に携わる傍ら、自身の家族を中心に写真を撮り、詩など文章を書いている。父は精神科医の石川信義。異母弟にライムスターの宇多丸がいる。また娘の石川晴日は、写真集「てるてるはるひ 父さん晴日を撮る。」にて独特な存在感を放つモデルとして話題となった。 写真集『てるてるはるひ 父さん晴日を撮る。』上梓 FB「明治安田生命マイハピネスフォトコンテスト」掲載
山田 英春(やまだ ひではる、1962年 - )は、日本の装… 山田 英春(やまだ ひではる、1962年 - )は、日本の装幀家、写真家。東京都出身。 1962年、東京都国分寺市生まれ。生後まもなくから3歳までアメリカで暮らす。桐朋中学校・高等学校、国際基督教大学教養学部卒業。出版社の編集部勤務を経て、書籍の装丁を専門にするデザイナーとなる。メノウ、ジャスパーなどの模様石のコレクターとしても知られ、石関連の著作が複数ある。世界各地の古代遺跡、洞窟壁画などを撮影する写真家でもあり、特にブリテン諸島の巨石遺跡を多数記録したことで知られる。 2003年、造本装幀コンクール展 日本書籍出版協会理事長賞(名嘉睦稔『紅逢黒逢の刻―ボクネン版画絵本』、マガジンハウス)受賞。
河合 蘭(かわい らん、1959年-)は日本のジャーナリスト… 河合 蘭(かわい らん、1959年-)は日本のジャーナリスト、評論家、写真家。 単行本・新聞・テレビ・ラジオ・雑誌に妊娠・出産全般・不妊治療・少子化問題・産科医療問題などの著作やコメントをする。ハイリスク妊娠、早産、帝王切開が増加し医療体制が危機的状況にある中で女性と社会のあり方を追求している。2016年『出生前診断-出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』で「科学ジャーナリスト賞2016」受賞。[1]東京医科歯科大学・聖路加国際大学・日本赤十字社助産師学校の非常勤講師。All Aboutのガイド。 写真家としては、おもに出産施設の医療者、家族、新生児を被写体としている。1980年代には宝島、スウィングジャーナル、ミュージックマガジン等で音楽家、作家などを撮っていた[2]。
松村 昭宏(まつむら あきひろ、1959年 - )は、日本の… 松村 昭宏(まつむら あきひろ、1959年 - )は、日本の写真家。 東京都東村山市生まれ。高校卒業後、専門学校東京ビジュアルアーツ・アカデミー(旧・東京写真専門学校)に進学した。1982年に同校を卒業し、在学中に原宿のスタジオを経て写真家・有田泰而に師事した。1983年より写真家として活動を開始した。 1989年から1991年にかけて34カ国を巡り、各地で人々のポートレートを撮影した。これらの作品は「Human Bonds」をテーマとする写真集『EVERY PEOPLE, EVERY ONE』として1993年に第三書館から刊行された。同書にはアポロ9号の宇宙飛行士ラッセル・シュウェイカートが解説を寄せた。
岡部 好(おかべ こう、1957年 - ) は、日本の写真家… 岡部 好(おかべ こう、1957年 - ) は、日本の写真家。特にロック、ワールドミュージックを中心とした音楽写真を撮影している。 1957年東京都足立区に生まれる。 中学生のとき、部員不足で廃部になりかけていた写真部にクラスメートのたっての頼みで入部したことをきっかけに、モノクローム写真の面白さにとりつかれ、また音楽も好きであったことから、関東第一高等学校[要出典]在学中の頃から、都内のライブハウスなどで親しくなったアマチュアバンドの写真などを撮り始める。 20歳で、フォーク・デュオ『古井戸』を被写体とした写真集『Fluid』発表。その少し前から、仲井戸麗市(CHABO)の誘いにより、当時、渋谷のライブハウス『屋根裏』を拠点に活動していたRCサクセションの撮影を始める。
蓮井 幹生(はすい みきお、1955年 - )は東京都出身の… 蓮井 幹生(はすい みきお、1955年 - )は東京都出身の写真家。 2010.10 「TOUCH WOOD art project」シンポジア(東京) 2010 第七八回 毎日広告デザイン賞部門賞(藤田観光株式会社)
滝本 淳助(たきもと じゅんすけ、1954年9月2日 - )… 滝本 淳助(たきもと じゅんすけ、1954年9月2日 - )は、日本の写真家、カメラマン。 東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。両親は共に人形劇団プークの劇団員で、母方の祖父は瑞円寺の僧侶。 渋谷区立千駄谷小学校、渋谷区立外苑中学校を経て、世田谷高等学校(現在の世田谷学園高等学校)に進学。 法政大学夜間部在学中に、劇団「東京キッドブラザース」に在籍していた巻上公一(1978年にヒカシューを結成)に誘われて独学で写真を学び、同劇団の専属カメラマンを務める。 1978年頃、巻上から末井昭(編集者で『写真時代』の創刊者)を紹介され、雑誌などでフリーカメラマンとして活動する。 久住昌之によるレポート「タキモトの世界」は、雑誌『写真時代』(白夜書房)の1985年9月号から1989年8月号まで連載され、これをまとめて1992年に同タイトルで単行本として太田出版から刊行された。
大西みつぐ(おおにし みつぐ、1952年10月7日 - )は… 大西みつぐ(おおにし みつぐ、1952年10月7日 - )は写真家。 東京の下町あるいは湾岸地区のニュータウンなどを中心に、そこに住む人々の生活をスナップ撮影することを得意とする。 また、早くからデジタルカメラやウェブでの写真の発表など実験的な表現も行う。 ニッコールクラブ幹事。ニコンサロン運営委員。 町方さんぽ写真同盟の座長。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
武田 花(たけだ はな、1951年10月31日 - 2024… 武田 花(たけだ はな、1951年10月31日 - 2024年4月30日)は、日本の写真家、エッセイスト。本名同じ。両親は作家の武田泰淳と随筆家の武田百合子。 東京都出身。主な被写体は、猫と時代から取り残されたような町並みで、写真はモノクロ写真である。 小学校から高校までは立教女学院に通う。立教女学院中学・高校時代は寄宿舎生活であった。父・泰淳は子供を書斎に入れなかったため、小学生の頃、父親の職業が分からず、友達から作家だと教えてもらった。高校卒業後、父にカメラ(ペンタックスSV)を買ってもらったことがきっかけで、写真学校に入学するが、すぐに退学した。翌年、東洋大学に進学する。アルバイト経験が豊富で、出版社や弁当屋、病院、鰻屋、喫茶店、水商売の勤務経験がある。
町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 - )は、日… 町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 - )は、日本のエッセイスト、コメンテーター、写真家。 庶民文化研究所所長、(社)日本銭湯文化協会理事。元ノベルティミュージアム副館長、元浅草庶民文化資料館・三十坪の秘密基地名誉館長、台場一丁目商店街(デックス東京ビーチ)特別顧問。[要出典] 庶民文化研究家と名乗る事があるが、これは町田自身が作った造語だとインタビューで語っている。 東京都目黒区出身。目黒区立碑小学校、目黒区立第九中学校、和光高等学校、和光大学人文学部芸術学科卒業。 在学中ヨーロッパ一周一人旅。大学卒業後、警視庁麹町警察署に勤務。「警視総監賞を受賞した」と語ることがあるが、実際に受賞しているのは警視庁職員美術展の銅賞であり、これはいわゆる警視総監表彰にはあたらない。
ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 -… ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 - )は、写真家、エッセイスト。 作家名の由来は、自身が傾倒していたジャズ・フルート奏者のハービー・マンから。 正則高等学校を経て東京経済大学経済学部卒業後、渡英。ロンドンでデビュー前のボーイ・ジョージと共同生活するなどして、ロンドンのミュージシャン達と交流した。 中山美穂、福山雅治、大江千里、THE BOOM、THE MODS、桑田佳祐、岡村孝子、稲垣潤一、BOØWY、ASKA、エレファントカシマシ、由紀さおり、林浩司などのCDジャケットを手がける。また、布袋寅泰のアルバム、『GUITARHYTHM』で8曲の英語詞での作詞を行った。写真集、エッセイ集発表の他、ラジオDJや俳優として映画出演などの活動も行う。
沢木 耕太郎(さわき こうたろう、1947年11月29日 -… 沢木 耕太郎(さわき こうたろう、1947年11月29日 - )は、日本のノンフィクション作家・エッセイスト・小説家・写真家。 東京都大田区生まれ。東京都立南高等学校(当時)、横浜国立大学経済学部卒業。大学時代のゼミの指導教官は、後に神奈川県知事となる長洲一二だった。 大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも、初出社の日に退社した。出社途中に信号待ちをしているときに退社を決めたという。その後、ゼミの指導教官だった長洲から「何か書いてみないか」と誘われたのをきっかけに文筆活動を始める。 ルポライターとして1970年(昭和45年)、『防人のブルース』でデビューし、1979年(昭和54年)には演説中に刺殺された日本社会党委員長の浅沼稲次郎と、その犯人である少年の交錯を描いた『テロルの決算』で第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
木原 和人(きはら かずと、1947年 - 1987年5月9… 木原 和人(きはら かずと、1947年 - 1987年5月9日)は、日本の自然写真家(ネイチャー・フォトグラファー)。東京都生まれ。千葉県立千葉商業高等学校卒業。 10年間のサラリーマン生活をとおしてアマチュア・カメラマンとして活躍。各種フォトコンテストに入賞及び年度賞など多数。1976年に会社を退社。プロに転向し、ネイチャー・フォトのブームの牽引役となり、彼の影響を受けたカメラマン、著名人は多数。 1977年より3年間、月間「ベン」で「小さな四季」「自然との対話」を連載。 1987年5月9日未明に胃ガンで死去。40歳でこの世を去った。
大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は… 大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は日本の報道写真家。元東京工芸大学芸術学部教授(現・客員教授)。日本ペンクラブ会員。 東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒。戦争、紛争後の市民に目を向けたドキュメンタリー作品を手がけ、ベトナム戦争、カンボジアの虐殺、スーダンのダルフールの難民、原爆の広島の人々などを取材。2004年から、世界平和アピール七人委員会委員。研究課題として『フォトジャーナリズムの変遷と動向』および『フォトジャーナリズムから見た戦争と平和における民衆』を挙げている。使用機材としてライカM6などを愛用している。 生年については1944年5月28日とする資料がある一方、1943年とする資料もある。
坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 … 坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 - )は日本の写真家。週刊誌『AERA』での人物写真の撮影で知られる。東京都出身。 京北高等学校を経て、1965年日本大学芸術学部写真学科卒業。大学時代は写真屋などでアルバイトをしていた。卒業後、ライトパブリシティに入社。1966年に渡米し、ニューヨークにてリチャード・アヴェドンに師事した。 1970年、銀座ニコンサロンにて、個展『Just Wait』でデビューした。その後1971年に帰国し、CMや雑誌で活躍する。1988年に朝日新聞社がニュース週刊誌『AERA』を創刊し、2016年3月28日号まで、ずっと表紙写真を担当してきた。1993年には「アルル国際写真フェスティバル」で「アルル名誉市民賞」を受賞した。
篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940… 篠山 紀信(しのやま きしん、本名の読み・みちのぶ、1940年12月3日 - )は、東京市淀橋区柏木(現在の東京都新宿区北新宿)出身の写真家。
沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日… 沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の写真家。東京府出身。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活動。『少女アリス』等の写真集を出版。 中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める。日大二高では写真部に所属。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる。 日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズやヌーヴェルヴァーグに傾倒。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む。
森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月… 森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月1日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、日本の写真家。 戦時中は福島県二本松に疎開していた。自動車工場の旋盤工をしながら東京都立小山台高等学校(定時制)を卒業。東京綜合写真専門学校で写真を学び、卒業後同校講師となる。 1964年、写真評論家、重森弘淹のすすめで原水爆禁止世界大会の記録を撮影していた時、被爆者のスピーチを初めて聞く。それまでの森下は、被爆者を原子爆弾で心身ともに破壊され、仕事もできずあわれでみじめな生活をしている人たちだと思っていた。しかし、彼らの核廃絶にかける強い意志と生きる力に満ちあふれたスピーチを聞いて深い感銘を受け、自分を恥じる気持ちでいっぱいになる。
片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、… 片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世 である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県の岩国で女学校の講師をしていた。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった。
増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、… 増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、日本の写真家。 1939年、東京生まれ。兵庫県立芦屋高等学校、日本大学芸術学部写真学科を卒業。増田彰久写真事務所を主催。
関口 照生(せきぐち てるお、1938年11月13日 - )… 関口 照生(せきぐち てるお、1938年11月13日 - )は、日本の写真家。経済産業省産業部門有識者会議委員。日本写真家協会(J.P.S.)会員。倉敷芸術科学大学客員教授。 妻は女優の竹下景子。長男は俳優の関口まなと。次男は俳優の関口アナン。 東京府出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業、明治大学文学部考古学専攻卒業。自然物や表情描写の巨匠・写真家柴田信夫に師事し、助手として働きながら、数々の雑誌写真を手掛ける。その後、フリーの写真家として、ジャーナリズム写真・広告、雑誌取材・コマーシャルの分野で活躍。特に女優をモデルにした写真で高い評価を受け、人物描写を中心した業績で電通賞などを受賞した。作品に「名取裕子写真集『序の舞』」、「かたせ梨乃写真集『DAY FOR NIGHT』」、「麻丘めぐみ写真集」、「泉谷しげる写真集『百面相』」(「火のLATIDO」、16m/m映画「エデン」が挙げられる。
中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 201… 中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 2015年9月1日)は、日本の写真家、写真評論家。 東京の原宿に生まれる。父は、書道家の中平南谿(本名:恵)。 東京都立小山台高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。 『現代の眼』編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』までは森山大道とともに「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」の作風で知られたが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した。 作家の辺見庸は、2002年に出版した「永遠の不服従のために」で、「私の長く敬愛する写真家」と述べ、中平の『来たるべき言葉のために』について「その比類ない映像はほぼ三十年近くも私の胸の中に着床したままだ」と書き、自作品への影響を認めた。
野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 200… 野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 2002年〈平成14年〉)は、日本の写真家。本名は、根岸 秀廸(ねぎし ひでみち)。 1935年(昭和10年)、東京都台東区に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社へ入社。1964年(昭和39年)にフリーランスとなる。文士をはじめ、各界で活躍する人々の人物写真、報道写真、ルポルタージュ等を撮影。1977年(昭和52年)、第8回講談社出版文化賞を受賞。女子美術大学、NHK文化センターの講師を務める。2002年(平成14年)、死去。 作品は東京都写真美術館、JCIIフォトサロン、日本写真保存センター、日本大学芸術学部、横浜市民ギャラリーなどに収蔵されている。