挾間 美帆(日本語: はざま みほ、英語: Miho Haz… 挾間 美帆(日本語: はざま みほ、英語: Miho Hazama、1986年〈昭和61年〉11月13日 - )は、日本のジャズ作曲家、編曲家、指揮者。下述のように、国立音楽大学で学んだこともあり、ジャンルはジャズにとどまらず管弦楽や吹奏楽編成などの楽曲も手掛けている。 父親が転勤族だったため、北海道、青森、東京と各地を転々としながら育つ。3歳からヤマハ音楽教室でエレクトーンを習い始め、小学4年生で「ジュニアエレクトーンコンクール '96 全日本大会」に出場して頭角を現す。その後、1999年に国立音楽大学附属中学校 音楽コース(ピアノ)、2002年に国立音楽大学附属高等学校 音楽科(作曲)に進学した。
石川 征太郎(いしかわ せいたろう、1985年5月27日 -… 石川 征太郎(いしかわ せいたろう、1985年5月27日 - )は、東京都出身の日本の指揮者。 啓明学園中学校・高等学校、NHK学園高等学校を経て東京藝術大学音楽学部指揮科を卒業後、ロベルト・シューマン音楽大学音楽学部を卒業、同大学院を修了。 2011年および2012年ロームミュージックファンデーション奨学生。ゲルハルト・ボッセのアシスタント指揮者となり、ボッセ死去の2013年以降は後任として神戸市室内合奏団の定期演奏会の指揮者を務める。2015年1月にソウルで日韓国交正常化50周年記念演奏会で日韓の合同オーケストラと共演。同年6月には第10回読響カレッジでの指揮者を務めた。2017年3月に「つながる心、つながる力 みんなでつくる復興コンサート2017 supported by KDDI」で指揮者に選ばれ仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演。
三ツ橋 敬子(みつはし けいこ、1980年4月15日 - )… 三ツ橋 敬子(みつはし けいこ、1980年4月15日 - )は、日本の女性指揮者。KAJIMOTO所属。
相澤 直人(あいざわ なおと、1978年7月28日 - )は… 相澤 直人(あいざわ なおと、1978年7月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家、合唱指揮者。東京都町田市出身。日本合唱指揮者協会副理事長、東京都合唱連盟副理事長、全日本合唱連盟東京支部副支部長。東京藝術大学・洗足学園音楽大学講師、アイザワノーツ合同会社代表。 4歳からピアノを始め、才能教育研究会のピアノ研究科を12歳で修了。東京都立八王子東高等学校在学中に入部していたコーラス部で合唱を経験したことで、音楽家を志すようになる。東京芸術大学では8年間をかけて作曲科・指揮科の双方に在学(作曲科を5年で卒業、指揮科を3年時に病気中退)し、甲状腺の治療、療養後の2007年より独立。自身が常任指揮者を務める「あい混声合唱団」「女声合唱団 ゆめの缶詰」「AZsingers」を始め、様々な合唱団で指揮者を務める。
夏田 昌和(なつだ まさかず、1968年7月2日 - )は、… 夏田 昌和(なつだ まさかず、1968年7月2日 - )は、日本の現代音楽の作曲家、指揮者。元国立音楽大学准教授。 作曲家 夏田鐘甲(韓国名:禹鍾甲)の長男として東京都に生まれ、幼少期よりピアノを学ぶ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京芸術大学作曲科へと進む。この間、作曲を野田暉行、永冨正之、近藤譲、スコアリーディングや伴奏法をアンリエット・ピュイグ=ロジェ他に師事した。1991年、同大学作曲科を首席で卒業。卒業作品として書いたオーボエ協奏曲「モルフォジェネシス」が芥川作曲賞にノミネートされて注目を集めたが、この時は受賞は逃している。また並行して、洗足学園大学指揮研究所において秋山和慶他に指揮法を学んだ。
野口 剛夫(のぐち たけお、1964年10月28日 - 20… 野口 剛夫(のぐち たけお、1964年10月28日 - 2023年9月20日)は、日本の音楽学者、作曲家、指揮者。 1964年生まれ、東京都調布市出身。中央大学文学部、中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を卒業・修了。音楽理論を別宮貞雄、音楽学を加田萬里子、西原稔、トロンボーンを松本煕に師事。特に別宮貞雄には中央大学において7年間(1986-1993)師事し、桐朋学園大学研究科在学中(1993年)には養子になったが、元の名前は芸名、筆名となった。 月刊『音楽の世界』(日本音楽舞踊会議)編集長、ジャパン・エレクトロニック・オーケストラ(JEO)音楽監督、昭和音楽大学・大学院講師を経て、東京フルトヴェングラー研究会代表。
藤岡 幸夫(ふじおか さちお、1962年(昭和37年)6月8… 藤岡 幸夫(ふじおか さちお、1962年(昭和37年)6月8日 - )は、日本の指揮者。
大勝 秀也(おおかつ しゅうや、1961年 - )は、東京都… 大勝 秀也(おおかつ しゅうや、1961年 - )は、東京都出身の指揮者。 東京音楽大学指揮科卒業。 1988年ドイツに渡りボン市立歌劇場音楽監督のアシスタントとして数多くのオペラを指揮。 1991年ゲルゼンキルヒェン市立歌劇場第一指揮者として活躍。 1994年よりボン市立歌劇場第一指揮者として契約。 1996年よりスウェーデンのマルメ歌劇場音楽監督に就任。 2004年4月から沖縄県立芸術大学の音楽学部助教授に就任(2007年3月まで)。 2007年から南城市文化センター・シュガーホールの芸術顧問に就任。また、愛知県立芸術大学非常勤講師となる。
上岡 敏之(かみおか としゆき、1960年9月20日 - )… 上岡 敏之(かみおか としゆき、1960年9月20日 - )は、日本の指揮者、ピアニスト。東京都出身。 神奈川県立湘南高等学校(同高校の1学年先輩に大野和士がいる)を経て、1979年に東京藝術大学に入学し、マルティン・メルツァー教授の下で指揮、作曲、ピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。在学中の1982年に安宅賞を受賞。1984年、ロータリーの奨学生としてハンブルク音楽大学に留学し、指揮をクラウスペーター・ザイベルに師事。1986年にはマセフィールドの奨学金受けさらに研鑽を積んでいる。 1987年、ハンブルク音楽演劇大学で室内楽および伴奏の講師として地位を得るとともに、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キールのキール劇場でソロ・レペティートゥアおよび専属指揮者として契約。
大野 和士(おおの かずし、1960年3月4日 - )は、日… 大野 和士(おおの かずし、1960年3月4日 - )は、日本の指揮者。新国立劇場オペラ芸術監督、公益財団法人東京都交響楽団音楽監督、バルセロナ交響楽団音楽監督、公益財団法人東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、文化功労者。2022年9月、ブリュッセル・フィルハーモニック音楽監督に就任。 ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、財団法人東京フィルハーモニー交響楽団常任指揮者、カールスルーエ・バーデン州立歌劇場音楽総監督、ベルギー王立歌劇場音楽監督、フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者などを歴任した。 東京都生まれ。幼少期から音楽好きで、幼稚園の卒園文集には将来の職業に指揮者と書いていた。小学生の頃に神奈川県横浜市へ移住。
清水 敬一 (しみず けいいち、1959年 - ) は、日本… 清水 敬一 (しみず けいいち、1959年 - ) は、日本の合唱指揮者。
広上 淳一(ひろかみ じゅんいち、1958年5月5日 - )… 広上 淳一(ひろかみ じゅんいち、1958年5月5日 - )は、日本の指揮者。東京音楽大学教授。京都市立芸術大学客員教授。東京都生まれ。
大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )… 大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )は、日本の指揮者・テューバ奏者・編曲家。吹奏楽分野で活動。 東京都新宿区出身。玉川学園を経て国立音楽大学卒業。 国立音楽大学でテューバ・編曲・器楽指導法を学ぶ。国立音楽大学3年生より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団テューバ奏者となり武岡賞受賞して卒業。各プロオーケストラで演奏活動、東京佼成ウインドオーケストラにて、桂冠指揮者、フレデリック・フェネルと共演した事が機になり、指揮者として活動。 指揮法を高階正光、クルト・レーデル、フレデリック・フェネル、湯浅雄二に師事。 2005年より国立音楽大学のウインドアンサンブル研究会の常任指揮者として、定期演奏会を指揮。
清水 昭 (しみず あきら、1953年 - ) は、日本の合… 清水 昭 (しみず あきら、1953年 - ) は、日本の合唱指揮者、編曲家。東京都合唱連盟副理事長。日本合唱指揮者協会理事長(2016年 - )。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業。大学在学中から指揮者を目指し、指揮法をウグリン・ガーボルと手塚幸紀に、合唱指揮を関屋晋に、ピアノを三井光子に師事した。 現在、15団体の常任指揮者として活動する傍ら、客演指揮者、講習会講師、コンクールの審査員なども手掛ける。また、合唱曲のレパートリーの拡充のため、ポピュラー音楽の合唱編曲を中心として編曲家としても活動している。 2016年、日本合唱指揮者協会理事長に就任。
児玉 宏(こだま ひろし、1952年4月5日 - )は日本の… 児玉 宏(こだま ひろし、1952年4月5日 - )は日本の指揮者。 大学卒業後すぐにドイツに渡り、オトマール・スウィトナーに師事。劇場の下積みからキャリアをはじめ、1996年バイエルン州立コーブルク歌劇場の音楽総監督に就任(2001年まで)。プロ楽団での日本デビューは2000年(1974年にアマチュアの千葉大学管弦楽団、1990年、1992年に早稲田大学交響楽団を指揮している)。 2008年4月、大阪交響楽団(大阪シンフォニカー交響楽団)音楽監督・首席指揮者に就任。2016年、第196回定期演奏会の功績により芸術選奨文部科学大臣賞(音楽部門)受賞。 歌劇の他、ロマン派の知られざる曲、イギリス音楽、現代音楽などレパートリーは多岐にわたっている。
宮本 文昭(みやもと ふみあき、 1949年11月3日 - … 宮本 文昭(みやもと ふみあき、 1949年11月3日 - )は、日本の元指揮者、元オーボエ奏者。東京音楽大学教授、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団音楽監督。ジャパン・アーツ所属。
渡邊 康雄(わたなべ やすお、1949年1月24日 - )は… 渡邊 康雄(わたなべ やすお、1949年1月24日 - )は、日本のピアニスト、指揮者。祖父は元首相・鳩山一郎。父は指揮者の渡邉暁雄。弟はピアニストの渡邉規久雄 。従兄弟に鳩山由紀夫、鳩山邦夫がいる。 東京都に生まれ、東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校作曲科を経て18歳で渡米し、ボストンのニューイングランド音楽院とニューヨークのジュリアード音楽院にて8年間学んだ。ピアノをセオドア・レトヴィンとサッシャ・ゴルトニツキーに師事した。 1972年、父が指揮する東京フィルハーモニー管弦楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番で共演し、ピアニストとしてデビューした。以後NHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、ヘルシンキ放送交響楽団などと共演した。
矢崎 彦太郎(やざき ひこたろう、1947年2月7日 - )… 矢崎 彦太郎(やざき ひこたろう、1947年2月7日 - )は、日本の指揮者。 東京都出身。栄光学園中学校・高等学校から上智大学理工学部数学科に入学するも音楽への情熱を捨てきれず中退、東京藝術大学音楽学部指揮科卒業。金子登、渡邊暁雄、山田一雄、ハンス・スワロフスキー、セルジュ・チェリビダッケらに師事。日本フィルハーモニー交響楽団で小澤征爾のアシスタントを務めた後、東京交響楽団指揮者、ノルウェー国立放送管弦楽団首席客演指揮者、ドイツ・ホーフ交響楽団の首席客演指揮者、同楽団音楽監督・首席指揮者、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者、バンコク交響楽団音楽監督・名誉指揮者などを歴任した。
星出 豊(ほしで ゆたか、1941年〈昭和16年〉 - )は… 星出 豊(ほしで ゆたか、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の指揮者。東京声専音楽学校(現:昭和音楽大学)オペラ研究科修了。昭和音楽大学名誉教授。日本オペラ振興会指揮者。
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003… 石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父。 幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される。
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 200… 岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。位階は正五位。 指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。 東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。小学4年生の3学期で東京に戻る。当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
関屋 晋(せきや しん、1928年7月6日 - 2005年4… 関屋 晋(せきや しん、1928年7月6日 - 2005年4月9日)は、日本の合唱指揮者である。ほぼ独学で合唱指揮者になった。本名は関屋晋(すすむ)。東京都生まれ。 東京都立小山台高等学校を卒業し、早稲田大学政治経済学部に在学中の1949年、学生合唱団「早稲田大学コール・フリューゲル」を設立。大学在学時よりアマチュア合唱団の指揮者として活躍する。1951年、早稲田大学を卒業。卒業後は一時期会社勤めをしたが、合唱に専念するため、1957年に退職。主に大学、一般合唱団(市民合唱団、職場合唱団)の指揮・指導に携わった。 関屋は「専業合唱指揮者」の草分け的存在であった。彼以前の合唱指揮者は他に主たる仕事(教職や作曲、声楽など)を持っていたり、オーケストラや吹奏楽の指揮もしていた。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Ak… 芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Akutagawa、1925年7月12日 - 1989年1月31日)は、日本の作曲家、指揮者。JASRAC元理事長。 作風は大きく分けて3つに分かれる。東京音楽学校を卒業後、快活な旋律とリズムで彩られた作風が魅力の第1期。それらの要素を削ぎ落とし、減衰、静的な要素を取り入れた前衛的作風に転換した第2期。そして第1期の快活明朗なるリズムを用いつつも、第2期以来の作風とクロスオーバーさせ、新たな世界への転換を図った第3期。この区分においても共通するものに、彼自身の生涯のテーマとなるオスティナートの使用がある。リズムを失った音楽は死ぬ、と述べているように、リズムこそ彼の音楽そのものであった。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 199… 石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 1998年3月23日)は、日本の指揮者、作曲家である。 中華民国山東省青島に生まれる。六朝文化を愛した父の傍で、幼児期より音楽(ピアノ、ヴァイオリンなど)、美術(油絵)と親しむ。青島旧制中学時代には、ブラスバンド部のほか、中村八大らとバンドも結成する。1938年に帰国、東京・玉川学園中学部に転入する。コーラス部長、彫刻も学ぶ。1944年、文化学院大学部芸術科を卒業する。美術を今泉篤男、脇田和、岡鹿之助に師事した。一方で、管弦楽法と指揮法を山田一雄に師事した。第二次世界大戦のため出征、1945年に終戦で帰国(福岡市に復員)、画家としての活動を再開する。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913… 金 東進(キム・ドンジン、김동진、日本名:金森東振、1913年3月22日 - 2009年7月31日)は、韓国の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者。現在の北朝鮮平安南道安州市出身で日本の日本音楽高等学校への留学経験もある。日本統治下時代にはハルピンで日本人演奏家を中心として1937年に結成された「新京交響楽団」に参加し、第一バイオリン奏者を務めた。 2008年に親日人名辞典編纂委員会より発表された親日人名辞典に名前が掲載された。2009年7月31日、ソウル特別市にて老衰で亡くなった。96歳。
尾高 尚忠(おたか ひさただ、1911年9月26日 - 19… 尾高 尚忠(おたか ひさただ、1911年9月26日 - 1951年2月16日)は、日本の作曲家、指揮者。 東京府生まれ。幼少の頃から音楽に親しみ、東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て旧制成城高等学校文科(現・成城大学)を半年で中退し、1931年にウィーンに留学、ピアノをベルタ・ヤンベール、音楽理論をリヒャルト・シュテールに学んだ。翌年一時帰国して武蔵野音楽学校で作曲科の教鞭を取り、その間作曲をクラウス・プリングスハイム、ピアノをレオ・シロタに学んだ。1934年に再びウィーンに渡り、作曲をヨーゼフ・マルクス、指揮をフェリックス・ワインガルトナーに学び、個人的にフランツ・モーザーに作曲、管弦楽法、指揮の教授を受けた。
朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9… 朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。位階は従三位。 左利き(指揮棒は右だが、包丁は左)。朝比奈の出生には謎があり、中丸美繪著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。 著名な家族に、長男の朝比奈千足(指揮者、クラリネット奏者)。 1908年、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷砂土原町の小島家に生まれ、生後まもなく鉄道院技師朝比奈林之助の養子となり朝比奈姓となる。 虚弱児だったため乳母と共に神奈川県国府津の漁村に預けられ、国府津町立国府津尋常小学校(現:国府津小)を経て小田原町立第三尋常小学校(現:新玉小)に学ぶ。
秋山 日出夫(あきやま ひでお、1905年(明治38年)2月… 秋山 日出夫(あきやま ひでお、1905年(明治38年)2月14日 - 1976年(昭和51年)3月20日)は、昭和時代の合唱指揮者。戸籍上の本名は秋山 秀雄(読み同じ)。 東京本所北割下水にて生まれる。東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)精密機械科卒業。アマチュア合唱団運動に加わり、1925年(大正14年)男声合唱団東京リーダーターフェル・フェライン(現・男声合唱団東京リーダーターフェル1925)の設立に参加する。戦時中は軍隊や職場慰問で活動し、戦後は職場合唱団の指導に従事する。 主に官庁の合唱団を指導し、1948年(昭和23年)の第1回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に運輸省合唱団を指揮して出場、優勝を果たす。
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashi… 橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者。 東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸とヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプに指揮法を学ぶ。作曲は信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。
齋藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 19… 齋藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 1974年9月18日)は、日本のチェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活動した音楽家。東京都出身。 英語学者として有名な斎藤秀三郎の次男として東京市京橋区築地明石町に生まれ、1906年から麹町区五番町(現:東京都千代田区一番町)に育つ。音楽に興味を示したのは12歳の頃からで、最初に演奏したのはマンドリンだった。後に「オルケストル・エトワール」というマンドリンオーケストラを組織し、『フランス民謡「歌えよ小鳥やよ歌え」の主題による八つの変奏曲』などの曲を残している。 16歳からは宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる。その後、暁星中学校を経て上智大学に入学したが、音楽に専念するため退学。
山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1… 山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。
高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指… 高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指揮者、音楽教育者。 東京都立上野高等学校卒業。東京藝術大学卒業・同大学院修了。ドイツ・イタリア留学。 オペラのデビューは、1966年(昭和41年)二期会・都民劇場ワーグナー『タンホイザー』(原語初演)ラインマル。二期会、東京室内歌劇場、日生劇場等で活躍し、歌手としての出演は1996年(平成8年)日生劇場オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』ドミニクまで約100作品にのぼる。一方、1980年代以降はスタッフ側につくことが多くなり、歌唱指導、制作、公演監督などを務め、そして1990年代からはオペラ指揮者として活動を開始し、2000年代以降は専らオペラ指揮者として活躍している。
岩﨑 宙平 (いわさき ちゅうへい) は、日本の指揮者。ピル… 岩﨑 宙平 (いわさき ちゅうへい) は、日本の指揮者。ピルゼン・フィルハーモニー管弦楽団(チェコ語: Plzeňská filharmonie)首席指揮者。 東京都築地出身。桐朋学園高等学校音楽科ヴァイオリン科を経てチェコに留学し、プラハ音楽院で作曲と指揮を学ぶ。 プラハ音楽院在学中の2012年から指揮者として活動を始め、チェコ共和国とスロバキアの主要オーケストラとも共演している。2019年にピルゼン・フィルハーモニー管弦楽団に客演、2021年には同オーケストラの首席指揮者に就任。その後もブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団などに客演している。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。