長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月… 長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静あん。書斎号は学書言志軒。
神奈川県:492人
長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月… 長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静あん。書斎号は学書言志軒。
赤星 直忠(あかほし なおただ、1902年4月17日 - 1… 赤星 直忠(あかほし なおただ、1902年4月17日 - 1991年3月11日)は、大正・昭和期の考古学者、歴史学者、民俗学者、郷土史研究者。教員等の職業に就き、研究機関等に所属することはなかったが、生涯で500本近い論文を発表して横須賀考古学会を設立するなど、主に神奈川県下で活躍し、三浦半島の考古学研究の基礎を築いた。研究内容は、縄文時代早期の関東地方の土器型式の分類、弥生時代から古墳時代の海蝕洞窟遺跡や横穴墓、古代・中世の寺院ややぐら、城郭など多岐に及んだ。 神奈川県三浦郡横須賀町(現・横須賀市)に生まれる。神奈川県立横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)の生徒であった時、学校の敷地内で古い時代の寺院の遺物が発見されたのを契機として、考古学に興味を持ち始めた。
小高 泰雄(こだか やすお、1901年3月25日 - 196… 小高 泰雄(こだか やすお、1901年3月25日 - 1969年8月18日)は、日本の経営学者、会計学者。 神奈川県横浜市生まれ。1928年慶應義塾大学経済学部卒、1929年同助手となり、欧米留学を経て1937年助教授、1939年教授、1948年「企業に於ける資本計算制度の発展」で経済学博士の学位を取得。1963年商学部長。1969年定年となり、名誉教授。
舘脇 操(たてわき みさお、1899年9月8日 - 1976… 舘脇 操(たてわき みさお、1899年9月8日 - 1976年7月18日)は、日本の植物学者。 神奈川県横浜市生まれ。1918年、北海道帝国大学予科入学。農学部に進み、植物学教室の宮部金吾に学ぶ。1924年同大学卒業。1933年農学博士取得、1945年理学博士取得。1935年北海道帝国大学助教授を経て1952年に北海道大学教授となり、1958年からは北海道大学附属植物園長を兼務した。1963年、定年により北大を退職した後は酪農学園大学、札幌商科大学教授を歴任。 植物分類地理学を専門とし、森林生態学に業績をあげた。1949年に北海道文化賞、1960年に日本農学賞、1972年に北海道新聞文化賞を受賞した。
高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年… 高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年〈明治32年〉1月20日 - 1990年〈平成2年〉7月23日)は、日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。文化勲章受章。 静岡県浜名郡和田村(今の静岡県浜松市中央区安新町)に生まれた。静岡師範学校を経て1921年(大正10年)、東京高等工業学校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所卒業。同年、神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)教諭、1924年(大正13年)に浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授となり「無線遠視法」(テレビジョン)の研究を本格的に開始する。 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位した1926年(昭和元年)12月25日、高柳はブラウン管による電送・受像に世界で初めて成功した。
茅 誠司(かや せいじ、1898年(明治31年)12月21日… 茅 誠司(かや せいじ、1898年(明治31年)12月21日 - 1988年(昭和63年)11月9日)は、日本の物理学者。第17代東京大学総長(1957年 - 1963年)。位階は従二位。 神奈川県生まれ。旧制厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)、東京高等工業学校(現東京工業大学)電気科を経て、東北帝国大学理学部卒業。伊登子夫人は天文学者・木村栄の長女。長男は工学者の茅陽一、次男は化学者の茅幸二(理化学研究所所長)。戦後間もない頃から吉田茂首相の私的なブレーンとしての「昼めし会」のメンバーであり、傾斜生産方式の構想の場に居たことが政治学者五百旗頭真(戦後政治を専門とする)によって記述されるなど社会的活動も多大である。
原田 準平(はらだ じゅんぺい、1898年10月5日 - 1… 原田 準平(はらだ じゅんぺい、1898年10月5日 - 1992年4月7日)は、日本の鉱物学者。理学博士(東京帝国大学)。 神奈川県横浜市生まれ。1924年、東京帝国大学理学部卒業。1925年、熊本高等工業学校教授・第五高等学校教授。1929年、欧州の大学留学。1931年に北海道帝国大学理学部の地質学鉱物学教室創設とともに同助教授となり、1932年、同理学部教授。1939年 東京帝国大学 理学博士 「本邦産硼素鉱物の研究」。1947年北海道大学理学部教授。 1958年、理学部長。1962年に定年退官。北海道大学名誉教授。同年、新設の旭川工業高等専門学校校長となり、1970年に退職。1972年、旭川工業高等専門学校名誉教授。
木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - … 木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - 1988年10月12日)は、日本の分析化学者。学位は、理学博士(東京大学)。日本学士院賞受賞。 青森県出身。父は神奈川県第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)校長の木村繁四郎(1864-1945)。祖父は弘前藩家老の木村藹吉(1840-1879)。伯父(伯母の夫)に伊東重、義兄に矢代幸雄(姉の夫)がいる。 旧制神奈川県立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部化学科に在学中、柴田雄次に師事する。卒業後も大学に残り、1922年に同大学理学部助教授となる。1925年からデンマークに留学し、ニールス・ボーアのもとで研究した。
徳増 栄太郎(とくます えいたろう、1894年 - 1963… 徳増 栄太郎(とくます えいたろう、1894年 - 1963年)は、日本の西洋経済史学者。初代横浜国立大学経済学部学部長。 神奈川県横浜市生まれ。1919年に東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部を卒業。上田貞次郎門下。 上智大学などで教鞭を執り、1921年から文部省在外研究員としてイギリス、ドイツ、フランスに留学した。1924年に帰国すると横浜高等商業学校の教授となり、経済原論及び商業史を担当した。 1947年一級官。1949年横浜国立大学経済学部学部長兼横浜経済専門学校校長事務取扱。1950年横浜国立大学附属図書館経済学部分館長兼務。退官後、横浜国立大学名誉教授。 1963年正四位勲二等瑞宝章、従三位。
柳田 謙十郎(やなぎだ けんじゅうろう、1893年〈明治26… 柳田 謙十郎(やなぎだ けんじゅうろう、1893年〈明治26年〉11月23日 - 1983年〈昭和58年〉1月16日)は、日本の哲学者。西田哲学から戦後唯物論に転じ、平和運動や労働者教育にも尽くした。 神奈川県愛甲郡南毛利村(現厚木市)生まれ。家は一町数反(約1.5ヘクタール)を耕す農家で、謙十郎は、村会議員を経て収入役・助役になった柳田勘作の長男であった。1908年神奈川師範学校に入学。1913年、愛甲郡高峰小学校訓導に任ぜられた。のち、神奈川師範学校附属小学校訓導、津久井郡協心小学校訓導兼校長、岡山師範学校教諭、岩手師範学校教諭などを務める。 1922年4月、京都帝国大学文学部哲学科選科に入学。
井上 貞蔵(いのうえ ていぞう、1893年〈明治26年〉1月… 井上 貞蔵(いのうえ ていぞう、1893年〈明治26年〉1月7日 - 1963年〈昭和38年〉8月12日)は、日本の商学博士。日本大学名誉教授。東京簿記学校名誉学長。明治大学商学部教授。 神奈川県都筑郡田奈村大字長津田(のち横浜市緑区長津田町)出身。井上傳五左衛門の二男。錦城商業学校、東京府立第四中学校を卒業。専門学校検定試験合格。 1917年、第一高等学校第一部文科を卒業。1920年、東京帝国大学経済学部を卒業。1922年、日本大学商学部講師。1924年、日本大学商学部教授兼学監心得。 1924年より1926年まで経済政策研究の為独逸及び英国に留学。1927年、日本大学商経学部教授兼学監。1936年、主論文「商業使用人問題の研究」及び副論文「商店法論」により「商学博士」を授与される。
丹羽 鼎三(にわ ていぞう、1891年9月18日 - 196… 丹羽 鼎三(にわ ていぞう、1891年9月18日 - 1967年2月23日)は、日本の造園学者。造園学の教育者。 横浜市生まれ。第二高等学校を経て、1917年東京帝国大学農学部農学科を卒業。ただちに宮内技手として内匠寮に入り、新宿御苑において桜と菊の研究に従事した。1922年ヨーロッパ留学を経て、1924年三重高等農林学校教授、1929年東京大学助教授となり園芸学を担当した[要出典]。同年2月、東京帝国大学農学博士。論文の題は「日本菊花ニ関スル研究」。1932年同大学教授に就任。原煕の後継者として、東京大学農学部農学科園芸第二講座として花井及び庭園学を担当。この講座を大成させた。1952年定年退官、東京大学名誉教授。
島田 兵蔵(しまだ ひょうぞう、1891年8月25日 - 1… 島田 兵蔵(しまだ ひょうぞう、1891年8月25日 - 1967年11月28日)は、日本の経営者、工学博士。中国電力初代社長。神奈川県川崎市出身。 1915年に早稲田大学電気科を卒業。浜田電気での勤務を経て、1936年6月に取締役に就任し、常務を経て、1942年4月に中国配電理事に就任し、1946年12月には社長に昇格。1951年5月に中国電力社長に就任。1961年10月に会長を経て、1964年11月には相談役に就任。 1955年11月に藍綬褒章を受章。 1967年11月28日胆嚢炎のために死去。76歳没。
矢代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 197… 矢代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 1975年5月25日)は、日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は長男。秋雄の長女(孫)は古代ギリシア美術史研究者平山東子。妻の弟が木村健二郎。 横浜で讃岐高松藩元藩士の矢代宗勝と神戸出身の美佐の長男に生まれる。父は初め塗物屋を開業、のち商館番頭をしていた。横浜商業学校に進んだが、算盤が苦手で神奈川県立第一中学校に転校し、第一高等学校英法科を経て東京帝国大学法科大学に入学したが、文科大学英文科に転じ、1915年に卒業。一高時代から大下藤次郎主宰の日本水彩画研究所に通い、大学時代には第7回文展に入選。実家があまり裕福でなく、自作の水彩画を売ったり美術書の翻訳をしたりして学費の足しにしていたが、成績優秀で学資免除の特待生になった。
野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、188… 野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年〈明治18年〉11月15日 - 1977年〈昭和52年〉10月30日)は、日本の英文学者・随筆家・天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。 古今東西の星座・星名を調べ上げたことから「和製アレン」とでも言うべき存在でもあった。とくに、星の和名の収集研究で知られる。日本各地の科学館やプラネタリウムで行われる、星座とその伝説の解説には、野尻の著作が引用されることが多い。若くして文学に興味を持ち、小泉八雲に傾倒した。星の和名の収集を始めたのは40歳を過ぎてからであった。 「抱影」という雅号は、早稲田大学文学部在学中、文芸誌「白百合」に作品を掲載するにあたり前田林外が金剛経の一節「夢幻泡影」から考案し、岩野泡鳴、相馬御風と相談して決めたものである。
天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年〈明治17年〉9月3… 天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年〈明治17年〉9月30日 - 1980年〈昭和55年〉3月6日)は、大正・昭和期の日本の哲学者・教育者・文学博士。京都帝国大学名誉教授。甲南高等学校校長。 第二次世界大戦後は第一高等学校校長・文部大臣(第3次吉田内閣)を務めた後に獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。文化功労者。武蔵野市名誉市民。 1884年、神奈川県津久井郡鳥屋村(現在の相模原市)の豪農の出身。父・天野藤三は自由民権運動に参加して後に村長・衆議院議員を務めた。父は教育熱心な人物であり、天野も将来医師になることを嘱望されて13歳の時に獨逸学協会学校中学校(旧制中学、獨協学園の前身)に入学した。
奥村 鶴吉(おくむら つるきち、1881年(明治14年)12… 奥村 鶴吉(おくむら つるきち、1881年(明治14年)12月10日 - 1959年(昭和34年)2月4日)は、日本の医学者。専門は細菌学。神奈川県中郡秦野町(現・秦野市)出身。 血脇守之助に師事する。東京歯科医学専門学校校長、東京歯科大学学長・東京歯科大学理事長などの要職を歴任した。 妻は澤田半之助の娘。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
左右田 喜一郎(そうだ きいちろう、明治14年(1881年)… 左右田 喜一郎(そうだ きいちろう、明治14年(1881年)2月28日 - 昭和2年(1927年)8月11日)は日本の経済学者、経済哲学者。新カント主義者。弟子の杉村広蔵とともに経済哲学の創始者とされる。東京高等商業学校(現一橋大学)や京都帝国大学文学部で教鞭をとると同時に、貴族院議員を務めた。帝国学士院賞受賞。チュービンゲン大学博士。 1881年、神奈川県横浜市生まれ。横浜の金融界で活躍した左右田金作の長男である。幼少より秀才で鳴らし、1887年に横浜小学校では第1学年を飛ばし、2年生として入学。尋常科、高等科を7年で修了し、横浜商業学校(現横浜市立横浜商業高等学校)では予科1年の1学期の修了後に2年生に進級。
大島 正徳(おおしま まさのり、旧字体: 大島 正德、188… 大島 正徳(おおしま まさのり、旧字体: 大島 正德、1880年11月11日 - 1947年4月21日)は、日本の哲学者・教育家。 神奈川県海老名市出身。実家は豪農で、父親は蚕種業のかたわら自由民権運動に携わり、子供の教育にも自由主義を貫いた。耕余塾で学んだのち、同志社中学校、第一高等学校を経て、1904年東京帝国大学文学部哲学科卒。研究生を09年までやり、14年東京帝国大学哲学科講師、16年助教授、1924年に同大及び一高教授を務める。 帝大を退職し、1925年東京市学務局長に就き、同教育局長、東京市会議員、帝国教育会理事などを務めた。37年世界教育会議日本事務局の事務総長。1942年には村田省蔵大日本帝国陸軍第十四軍(フィリピン占領軍)最高顧問の比島調査委員会で教育及び宗教担当委員を務めた。
荒川 文六(あらかわ ぶんろく、1878年(明治11年)11… 荒川 文六(あらかわ ぶんろく、1878年(明治11年)11月18日 - 1970年(昭和45年)2月9日)は、日本の電気工学者。位階は正三位。九州帝国大学総長。工学博士。 神奈川県横浜生まれ。荒川省吾の長男。1886年、日本組合番町教会で小崎弘道から受洗。高等学校時代に信仰告白をなし、日曜学校教師、オルガニストとして活躍。後に福岡組合基督教会(現、日本基督教団福岡警固教会)に移り、福岡女学院理事長、日本基督教団常議員をつとめた。 九州帝国大学教授、同大総長の他、九州タイムズ社長も歴任する等、西日本での電気工学界の中心人物として活躍する。1946年3月22日、貴族院勅選議員に任じられ、無所属倶楽部に属し1947年5月2日まで在任した。
相澤 清晴(あいざわ きよはる、1959年 - )は、日本の… 相澤 清晴(あいざわ きよはる、1959年 - )は、日本の電子画像工学者。東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻の教授。専門分野は、画像処理とマルチメディア処理。モデルベース符号化とマルチメディアライフログへの貢献が評価され、2012年に電子情報通信学会フェロー、2016年に米国IEEEフェローに選出された。 1983年、1985年、1988年に東京大学で電気工学の学士号、修士号、博士号を取得。1990年から1992年までイリノイ大学客員助教授を務めた。 これまで、画像符号化、画像処理、コンピュテーショナルセンサ、マルチメディア、コンピュータビジョン分野の研究に従事。その黎明期からライフログの研究を先導し、特に、画像処理で支援する食事記録FoodLogを創出した。
西村 卓也(にしむら たくや) は、日本の地球科学者。専門は… 西村 卓也(にしむら たくや) は、日本の地球科学者。専門は地殻変動、測地学。京都大学防災研究所教授、日本自然災害学会常務理事、地震予知連絡会委員。 1991年神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校卒業。1995年東北大学理学部天文及び地球物理学第二学科卒業。1997年東北大学大学院理学研究科修了、修士(理学)。同年建設省入省、国土地理院東北地方測量部測量課。1998年建設省国土地理院地理地殻活動研究センター地殻変動研究室研究員。2000年博士(理学)。2001年文部科学省長期在外研究員(アメリカ地質調査所)。2005年国土交通省国土地理院地理地殻活動研究センター主任研究官。2013年京都大学防災研究所准教授。
蒲池 桂子(かまち けいこ)は、日本の栄養学者、管理栄養士、… 蒲池 桂子(かまち けいこ)は、日本の栄養学者、管理栄養士、日本病態栄養専門師。学位は博士(栄養学)(女子栄養大学・2000年)。女子栄養大学栄養科学研究所教授(女子栄養大学クリニック主任)。 神奈川県立港北高等学校、女子栄養大学卒業。一般企業勤務を経て米国コーネル大学へ留学。帰国後、1990年より東京慈恵会医科大学糖尿病内科教室補助員となり、肥満の行動修正療法、糖尿病患者の食事などを学び学会において論文を発表。その間女子栄養大学大学院の研究生となり2000年に博士号(栄養学)を取得。2003年同大学栄養科学研究所専任講師(同大学栄養クリニック主任)、2007年准教授、2011年より教授。この後米国カリフォルニア州立大学ディビス校獣医学部栄養学部客員教授、埼玉医科大学非常勤講師、東京慈恵会医科大学愛宕会糖尿病教室講師を歴任(女子栄養大学と兼任)する。
片桐 由希子(かたぎり ゆきこ)は、日本の観光学者。金沢工業… 片桐 由希子(かたぎり ゆきこ)は、日本の観光学者。金沢工業大学専任講師。 神奈川県立希望ケ丘高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学。東京大学GCOEプログラム「都市空間の持続再生学の展開」特任助教、東京都立大学環境学部観光科学科助教を経て、2020年度より金沢工業大学工学部環境土木工学科講師。
杉田 修啓(すぎた しゅうけい)は、日本の医用工学者。名古屋… 杉田 修啓(すぎた しゅうけい)は、日本の医用工学者。名古屋工業大学准教授。 埼玉県浦和市生まれ、神奈川県横浜市育ち。 名古屋工業大学・しくみ領域・准教授。 大学院は工学研究科・機能工学専攻・機構分野。 学部は工学部・機械工学科・機構系プログラム
阿部 弘亨(あべ ひろあき) は、日本の材料科学者。東京大学… 阿部 弘亨(あべ ひろあき) は、日本の材料科学者。東京大学大学院工学系研究科教授。 福島県出身。神奈川県立柏陽高等学校を経て、1988年九州大学工学部応用原子核工学科卒業。1990年九州大学大学院工学研究科応用原子核工学専攻修了。1991年アルゴンヌ国立研究所留学。 1993年日本原子力研究所研究員。1995年重イオン研究所客員研究員。1996年アリゾナ州立大学客員研究員。 東京大学大学院工学系研究科助教授、東北大学金属材料研究所教授を経て、東京大学大学院工学系研究科教授。2011年中部電力浜岡原子力発電所第5号機海水流入事象に係る設備健全性評価検討委員会委員 。2012年日本原子力学会東京電力福島第一原子力発電所事故調査委員会委員、日本原燃再処理検討委員会委員。
大橋 若奈(おおはし わかな)は、日本の薬学者(免疫学・分子… 大橋 若奈(おおはし わかな)は、日本の薬学者(免疫学・分子生物学・腸内細菌学・実験動物学)。学位は博士(工学)(横浜国立大学・2011年)。静岡県立大学薬学部准教授・大学院薬学研究院准教授。 理化学研究所ゲノム科学総合研究センターでの勤務を経て、独立行政法人理化学研究所免疫アレルギー科学総合研究センター特別研究員、富山大学大学院医学薬学研究部助教、慶應義塾大学薬学部特任講師などを歴任した。 免疫学、分子生物学、腸内細菌学、実験動物学などを専攻する神奈川県出身の薬学者である。腸内細菌叢と母子の健康や胎児の発達についての研究で知られている。理化学研究所で研究に従事し、富山大学、慶應義塾大学、静岡県立大学で教鞭を執った。
田中 浩司(たなか こうじ、生年非公開)は、日本のアメリカ文… 田中 浩司(たなか こうじ、生年非公開)は、日本のアメリカ文学の研究者、防衛大学校教授、英文学博士、翻訳家。カトリック作家フラナリー・オコナーを研究した論文、エドガー・アラン・ポーをキリスト教とグリーフケアの観点から捉えた論文、内村鑑三と日本近代作家に関する論文等々を発表。主に文学をキリスト教との関連から研究している。 神奈川県立横須賀高等学校、上智大学外国語学部英語学科を卒業し、横浜国立大学大学院修士課程修了、明治学院大学大学院博士課程満期単位取得退学。。 防衛大学校教授。明治学院大学非常勤講師。日本フラナリー・オコナー協会会長。英米文化学会学術担当理事。明治学院大学キリスト教研究所(元)協力研究員。
山本 誠(やまもと まこと)は、日本の機械工学者。元東京理科… 山本 誠(やまもと まこと)は、日本の機械工学者。元東京理科大学副学長・教育開発センター長。日本流体力学会会長。 1978年神奈川県立横須賀高等学校卒業。1982年東京大学工学部産業機械工学科卒業。1984年東京大学大学院工学系研究科修士課程舶用機械工学専攻修了。1987年東京大学大学院工学系研究科博士課程舶用機械工学専攻単位取得満期退学。1988年工学博士。 1987年石川島播磨重工業入社(航空宇宙事業本部)。1990年東京理科大学工学部第一部講師。1995年東京理科大学工学部第一部助教授。2004年東京理科大学工学部第一部教授。 2009年東京理科大学工学部長兼工学研究科長、九州大学客員教授。
リエゾンミサ(りえぞんみさ )は起業家。日本茶アルティスト。… リエゾンミサ(りえぞんみさ )は起業家。日本茶アルティスト。日本茶アドバイザー。貼り絵作家。 日本全国の日本茶生産地を数多く巡り、各地の生産者と共に、日本茶の魅力を紹介し、その一環として、日本茶の急須での淹れ方ワークショップ、各地の特徴ある日本茶を取り扱いやカフェを運営。 神奈川県藤沢市鵠沼海岸生まれ。 神奈川県立七里ガ浜高等学校卒業。 多摩美術大学美術学部デザイン学科グラフィックデザイン専攻を卒業後、一時、写真家として活動。 のち、紅茶研究家・磯淵猛の紅茶教室に通い、紅茶の世界に興味を持つ。中国茶のカフェ店員を経験後、東京新宿御苑にある老舗日本茶問屋「株式会社丸山園本店」に入社、日本茶カフェ「一葉(かずは)」禅カフェ「坐月一葉(ざげつかずは)」の立ち上げ、運営、メニュー開発を経験し独立。
鈴木 正(すずき ただし)は、青山学院大学理工学部化学・生命… 鈴木 正(すずき ただし)は、青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授。博士(理学)。 レーザーを用いて分子の構造や反応・緩和過程(エネルギーの流れ)を研究をしている。例えば、DNA/RNA塩基の光反応や光線過敏症を引き起こす医薬品の反応について、物理化学の視点から研究を行っている。さらに、マイクロリアクターを用いた光反応や光不斉反応、光触媒反応への応用についても研究している。
内山 順造(うちやま じゅんぞう)は、日本の医学者。現職は、… 内山 順造(うちやま じゅんぞう)は、日本の医学者。現職は、神奈川県厚木市の南毛利内科 抗加齢/人間ドックセンター院長(医学博士)。 神奈川県立厚木高等学校を卒業。香川医科大学(現香川大学医学部)を卒業(1991年)。1993年に東海大学医学部大学院に入学。1998年に東海大学医学部大学院よりウイルス学の研究で医学博士の学位を取得。2001年ハーバード大学医学部癌研究所(Dana-Farber Cancer Institute, Harvard Medical School)に博士研究員として留学、癌と老化について研究。2013年4月より現職。2017年、日本高齢消化器病学会優秀論文賞受賞、神奈川県内科医学会集談会優秀演題賞受賞。
徳江 順一郎(とくえ じゅんいちろう)は日本の観光学者。東洋… 徳江 順一郎(とくえ じゅんいちろう)は日本の観光学者。東洋大学准教授。桜美林大学・高崎経済大学・産業能率大学兼任講師。専門はホスピタリティ、マーケティング、ホテル経営学。
矢部 彰(やべ あきら)は、日本の工学者。筑波大学大学院シス… 矢部 彰(やべ あきら)は、日本の工学者。筑波大学大学院システム情報工学研究科教授、カリフォルニア大学バークレー校機械工学科Russell Severance Springer教授、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授、日本機械学会会長、日本混相流学会会長等を歴任した。 聖光学院高等学校を経て、東京工業大学工学部機械物理工学科卒業後、1979年東京工業大学大学院理工学研究科機械物理工学専攻博士課程修了、工学博士。同年通商産業省工業技術院機械技術研究所入所。1994年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。 1995年機械技術研究所流体工学研究室長。1997年機械技術研究所極限技術部量子技術研究室長。
榊 博文(さかき ひろぶみ)は、日本の社会心理学者。日本で初… 榊 博文(さかき ひろぶみ)は、日本の社会心理学者。日本で初めて説得理論、態度変容理論としての「認知の陰陽理論( Yin and Yang theory of cognition) 」を提唱した。「山場CM」の研究にも従事し、この用語の創始者である。 氏名のラテン文字表記にはHILOBUMI SAKAKIを採用している。 1969年3月 慶應義塾大学経済学部卒業。 1969年2月-5月 カナダブリティッシュコロンビア大学及び米国スタンフォード大学交換留学。 1971年3月 慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。 1975年3月 慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 1985年1月 学位請求論文「意見の食い違いとブーメラン効果ー 説得の失敗と関連する要因の分析」で社会学博士の学位を取得。
浜 由樹子(濱 由樹子、はま ゆきこ)は、日本の国際政治学者… 浜 由樹子(濱 由樹子、はま ゆきこ)は、日本の国際政治学者・ロシア地域研究者。ロシアにおけるユーラシア主義の専門家。学位は、博士(国際関係学)(津田塾大学・2009年)。静岡県立大学大学院国際関係学研究科准教授・国際関係学部准教授。 津田塾大学学芸学部助教、津田塾大学国際関係研究所研究員、一橋大学経済研究所研究機関研究員などを歴任。 日本女子大学附属中学校・高等学校を経て、1998年3月、上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。2000年3月、津田塾大学大学院国際関係学研究科修士課程修了、修士(国際関係学)。2004年3月、同後期博士課程単位取得満期退学。学位論文「ユーラシア主義の起源――N. S. トルベツコイとP. N. サヴィツキーの思想を中心に」により、津田塾大学から博士(国際関係学)の学位を取得。
米山 明日香(よねやま あすか)は、青山学院大学社会情報学部… 米山 明日香(よねやま あすか)は、青山学院大学社会情報学部准教授。神奈川県鎌倉市生まれ。横浜市育ち。幼少期にイギリス・ロンドンで生活。 関東学院六浦小学校卒業。 鎌倉女学院中学校・高等学校卒業。 青山学院大学文学部英米文学科卒業。 ロンドン大学(University College London)で音声学修士号(MA in Phonetics)取得。 関東学院大学大学院文学研究科英語英米文学専攻博士後期課程修了 博士(文学)。 専門は音声学、英語教育、英語プレゼンテーション。 International Phonetic Association Certificate of Proficiency in the Phonetics of English 取得。
鈴木 重雄(すずき しげお)は、日本の竹林景観学者、地理学者… 鈴木 重雄(すずき しげお)は、日本の竹林景観学者、地理学者。竹林景観ネットワーク事務局長。主な研究分野は、景観形成を中心とした自然地理学、生態地理学。特に竹林景観分野及び公共交通における鉄道・バス分野に関して研究を行っている。神奈川県鎌倉市出身。江ノ電ファンクラブ元会長。 藤沢市出身で,生家が江ノ電沿線と言うこともあり,江ノ電ファンクラブにも入会しているほどの江ノ電ファンである.
山田 務 (やまだ つとむ)は、日本の行政官・法学者。専門は… 山田 務 (やまだ つとむ)は、日本の行政官・法学者。専門は経済法。筑波大学名誉教授。全国ローヤルゼリー公正取引協議会会長。元公正取引委員会審査局長。 横浜市出身。1972年神奈川県立希望ケ丘高等学校卒業。1976年一橋大学経済学部卒業。1977年公正取引委員会事務局入局。国税庁名古屋国税局徴収部次長、広島国税局徴収部長、公正取引委員会事務局経済部産業調査室長、取引部取引企画課長等を経て、2001年官房人事課長、2003年官房総務課長兼公正取引委員会図書館長、2005年審査局特別審査部長、2006年審査局犯則審査部長、2006年審査局長。 2008年に国土交通省の公用車の管理委託業務の大半を、同省OBが再就職している日本道路興運及び日本総合サービスの2社が受注していることが明らかとなり、談合の疑いも生じたことを受け、必要な対応を取っていく旨を述べ、2009年には排除措置命令及び課徴金納付命令が出された。
原 彰彦(はら あきひこ) は、日本の水産学者。北海道大学名… 原 彰彦(はら あきひこ) は、日本の水産学者。北海道大学名誉教授。公益財団法人南北海道学術振興財団理事長。元日本水産学会副会長。 神奈川県鎌倉市出身。父は医師。東京の高校を経て、1971年北海道大学水産学部水産増殖学科卒業。元田茂に師事。同年的矢湾養蠣研究所研究員。1973年北海道大学医学部研究生。1978年北海道大学医学部助手。1980年北海道大学水産学博士。水産庁養殖研究所主任研究官等を経て、1986年北海道大学水産学部助教授。1995年北海道大学水産学部教授。2001年日本水産学会進歩賞受賞。2004年日本水産学会論文賞受賞。2006年北海道大学水産学部長。2010年日本水産学会副会長。
田中 博之(たなか ひろゆき)は、日本の起業家、経営者。映像… 田中 博之(たなか ひろゆき)は、日本の起業家、経営者。映像スタートアップTHINGMEDIA株式会社代表取締役。 神奈川県綾瀬市出身。駒澤大学中退。カナダ・バンクーバーに留学経験がある。 2009年にWebメディアを開発・運営する会社を設立、代表取締役CCOに就任。事業譲渡などを経て、2016年に同社を退社。 2018年3月に、中学校の同級生である佐藤一樹とTHINGMEDIA株式会社(シングメディア)を設立、代表取締役CEOに就任。
大森 孝造(おおもり こうぞう)は、神奈川県川崎市出身の金融… 大森 孝造(おおもり こうぞう)は、神奈川県川崎市出身の金融学者。大阪経済大学経営学部教授。専門は金融論、ファイナンス、資産運用論。年金運用、投資信託市場における投資家行動、公的年金の資産運用などを研究している。 1989年に東京大学教養学部卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社。同社ではパッシブ運用・クオンツ運用部門に所属し、運用業務を約27年間にわたり機関投資家の資産運用業務に従事した。 在職中の1998年に筑波大学大学院修士課程を修了し、修士(経営システム科学)を取得。その後、2007年に横浜国立大学大学院博士課程を修了し、博士(経営学)を取得した。2009年に横浜市立大学国際総合科学部、横浜国立大学大学院国際社会学研究科、早稲田大学大学院ファイナンス研究科などで非常勤講師も務めた。