高貫 亘弘(たかぬき のぶひろ、1938年5月9日 - 19… 高貫 亘弘(たかぬき のぶひろ、1938年5月9日 - 1978年12月1日)は、日本競輪選手会神奈川支部に所属していた競輪選手。 法政大学第二高等学校時代の1955年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・ミス&アウトレースで優勝。 法政大学時代、1960年のローマオリンピック・4000m団体追抜に出場し10位。 その後、日本競輪学校第15期生として競輪選手となった。 1978年12月1日、入院先の病院で死去。同年12月2日選手登録削除。
初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉… 初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2018年〈平成30年〉3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)の落語家・漫談家。本名∶鈴木 傑。通称「カチョヤン」。後年は兵庫県西宮市に居住した。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーランスとなる。
猪熊 功(いのくま いさお、1938年2月4日 - 2001… 猪熊 功(いのくま いさお、1938年2月4日 - 2001年9月28日)は、日本の柔道家。身長173cm。体重88kg。 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック柔道競技の男子80kg超級で金メダルを獲得。 神奈川県横須賀市出身。幼少時代は病弱で、結核・自家中毒・ヘルニアなどを経験した。市立不入斗中学2年生の時に姿三四郎に憧れ、近所にあった渡辺利一郎の道場で柔道を始める。同門に、山村泰三(後の大相撲小結)や森徹(後のプロ野球選手)など。入門当初、体格で劣る猪熊は2人におもしろいように投げ飛ばされ続けたが、持ち前の負けん気が生み出した背負投を武器に、卒業する頃には2人を全く相手にしないほど強くなっていたという。
永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30… 永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30日 - )は、公益財団法人せたがや文化財団理事長で、元NHK役職員(アナウンサー、解説委員、副会長を歴任)。 東京都出身。日本女子大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業後、1960年NHKにアナウンサーとして入局。以来ずっと東京アナウンス室に在籍し、経済番組の司会など主として報道番組を担当。1980年、アナウンス現場を離れ解説委員室に異動。女性問題や文化・教育問題にスポットを当てた解説や番組の制作に携わった。 1990年、当時の浦和放送局長に就任。NHK史上初の女性局長であった。3年務めた後解説委員室に復帰し、1995年にNHKを役職定年で退職した。
川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 20… 川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 2019年3月11日)は、日本の演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。 アナウンサー・ジャーナリストの川戸恵子は妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業。大学で落語研究会に入会し、のちに7代目立川談志となる柳家小ゑん、三遊亭全生、林家照蔵、のちに3代目古今亭志ん朝となる古今亭朝太、など同世代の若手と知り合って落語に没頭し、8代目桂文楽に目をかけられたのをきっかけに落語の録音、文献のコレクターとしても知られるようになる。3代目志ん朝の初高座を生で見た人物の一人でもある。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社し、1993年3月に退社。
古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年… 古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年1月17日 - 2016年1月1日)は、競技麻雀の元プロ雀士。101競技連盟の創設者。トッププロとして長年に渡り活躍した。神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、早稲田大学卒業。2016年1月逝去。 日本におけるプロ雀士のパイオニアとしてその名を知ることが出来る。プロの雀士になる以前は小学館に勤めていた。しかし麻雀に没頭して2年で退社し、無職の雀ゴロ生活を送っていたという。1970年に阿佐田哲也・小島武夫と「麻雀新撰組」を結成。阿佐田から「新しい麻雀集団を作らないか」との誘いを受けた小島武夫は、メンバー候補としてまっ先に古川凱章を思い浮かべたという。
和光 信也(わこう しんや、1938年1月11日 - 201… 和光 信也(わこう しんや、1938年1月11日 - 2010年3月9日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学で、バンド計算のパイオニア。開成中学校・高等学校を経て、東京大学卒業後、東京大学理学博士号、東京大学物性研究所勤務。図書館情報大学教授、筑波大学教授を経て、筑波大学名誉教授。従四位瑞宝中綬章。
渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は… 渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は、日本の詩人・建築家・映画評論家。
小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者… 小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者、文筆家。 東京生まれ。神戸、横浜で育つ。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、1962年に早稲田大学教育学部を卒業後、サントリーに入社する。宣伝部に配属され、広告制作、『洋酒天国』の編集に携った後、広報部長、文化事業部長など。1979年には『サントリークォータリー』を創刊し、編集長を務めた。のち取締役出版局長としてTBSブリタニカに出向する。2000年早大参与に就任。教育学部などで講座を担当する。戸板女子短期大学講師も2009年まで務めた。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞前事務局長、公益財団法人練馬区文化振興協会理事、日本アルバン・ベルク協会常任理事、森澄雄主宰俳句結社『杉』同人。
赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本… 赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本テレビ放送網のプロデューサー、演出家。日企代表取締役会長。 千葉県出身。父親が新聞記者だったこともあって、早くからマスコミ業界を志望していた。 慶應義塾高等学校では安部譲二と同級生だった。 1962年3月に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、同年4月に日本テレビ放送網株式会社に入社。芸能局音楽部に配属された。 1974年に日本テレビを独立して、番組制作会社・日企を設立する。
遠藤證圓(えんどう しょうえん、1938年(昭和13年) -… 遠藤證圓(えんどう しょうえん、1938年(昭和13年) - )は、律宗の僧侶。第82世唐招提寺長老、律宗管長。神奈川県川崎市生まれ。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月… 田中 美一(たなか よしかず、1938年 - 2012年2月23日)は、神奈川県横浜市出身のアマチュア野球審判員。六大学野球、都市対抗野球大会、春夏の甲子園などの大試合で球審を任され、「ミスター球審」と呼ばれた。 小学4年生の時から野球を始め、中学、神奈川県立希望ケ丘高等学校時代は投手だった。高校時代は投手・4番で2年次と3年次に県ベスト4という活躍を見せる。 立教大学に進むも、1年から2年に上がる春のキャンプで他の選手の打球を右足首に受けて骨折。その後は伸び悩み、リーグ戦で投げることはできなかった。日本通運浦和に就職後、捕手に転向し、4年で社会人野球を辞めた後は横浜市にある実家の材木店を継いだ。
松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年… 松任谷 國子(まつとうや くにこ、1938年 - 2010年7月26日)は、日本の画家。1960年代には、タレントとしてラジオやテレビで活躍した。 頭山満の孫娘・尋子と、松任谷健太郎の娘として、東京に生まれる。 少女時代は「幼稚園の先生になりたかった」という。 1959年に森村学園を卒業した後、フジテレビのオーディションに合格して『バースデークイズ』のアシスタントとしてタレント活動を始めた。以降、司会者、俳優、インタビュアーなどとして活躍したが、当時から本業は画家としていた。 二科展では、1961年に初入選し、その後も1965年にローマ賞、1969年に金賞を受賞した。ローマ賞でイタリアへ留学した後もベルギーやアメリカ合衆国で画業を続け、またアフリカ諸国にも滞在した。
木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15… 木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月21日)は、日本の弁護士、裁判官。位階勲等は従三位瑞宝重光章。東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後に法政大学法科大学院教授を務めた。 囲碁棋士・木谷實九段の次男。神奈川県平塚市に生まれる。女流棋士の小林禮子、アナウンサーの吉田智子は妹。 神奈川県立平塚江南高等学校を経て、東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、1961年(昭和36年)に大学を卒業して司法研修所に入所。司法修習を経て、1963年(昭和38年)に判事補任官(東京地裁)。最高裁事務総局刑事局付、最高裁判所調査官、水戸家裁所長、水戸地裁所長などを経て、2000年(平成12年)5月に東京高裁部総括判事を最後に依願退官。
横須賀 功光(よこすか のりあき、1937年11月26日 -… 横須賀 功光(よこすか のりあき、1937年11月26日 - 2003年1月14日)は、日本の写真家。 神奈川県横浜市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。 大学在学中から資生堂の社内報『ハウスオーガン』の仕事に就く。 1983年、日本人初のイタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランススタッフカメラマンとなる。 前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影。
花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月1… 花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月12日 - 2022年(令和4年)10月1日)は、日本のファッションデザイナー。神奈川県横浜市出身。 新聞、広告関係、雑誌等で、ファッションイラストレーター、写真家としても活動。また審査員として、各団体、企業主催のコンクールなどの審査に携わった。 「生活のすべてがデザインの場である」との自論から、きもの、ゴルフウェア、宝飾品、インテリア、食器等44アイテム以上ものライセンス商品を展開。「ユキコ・ハナイ」は華やかな色や柄、流麗なシルエットが特徴で、大手企業のユニフォームや学校制服のデザインも多数手がけた。 元モデル・テレビ司会者の芳村真理とは同年代ということもあってか、彼女のモデル時代から40年以上に及ぶ親交を結んだ。
養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )… 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医師、医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。 私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。
与 勇輝(あたえ ゆうき、1937年9月17日 - )は、日… 与 勇輝(あたえ ゆうき、1937年9月17日 - )は、日本の人形作家。神奈川県川崎市出身。両親は奄美群島に属する与路島の出身。黒柳徹子の番組「徹子の部屋」のセットに使われている妖精の人形で知られる。 人形創作を始めた当初より、着物や洋服の襞にこだわり、木綿の古布を主に使用している。人形の持ち物、付属品に至るまで全て、本人自身の手で作られている。 日本の原風景を思わせるようなノスタルジックな雰囲気を持ち、表情豊かな、柔らかみのある表現が特徴。
神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は… 神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は、日本の固体地球物理学者、極地研究家。国立極地研究所ならびに総合研究大学院大学名誉教授。地震、火山、ならびに極地研究の第一人者として活躍。 神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京理科大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学地震研究所に入所し、地震や火山噴火予知の研究に携わる。地震被災地や火山に赴いての指導や執筆活動等で活躍。
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月2… 美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 - 1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。神奈川県横浜市磯子区出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現:東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。 9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍を見せ、自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する歌手であり、没後の1989年7月2日に国民栄誉賞を受賞した。本名:加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は「お嬢(おじょう)」。身長は155cm(推定、番組内にて和也談)。 神奈川県横浜市磯子区の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉(1912年 - 1963年)、母・喜美枝の長女・和枝(かずえ)として生まれた。
坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2… 相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2023年10月19日)は、書家、書学者、美術史家、芸術家。東京学芸大学名誉教授。本名は相川 政行(あいかわ まさゆき)。 相川岩吉・志なの七人兄弟の三男として、神奈川県久良岐郡六浦荘村で生まれる[要出典]。横浜市出身。1955年、横浜市立金沢高等学校卒業、1959年、東京学芸大学中等教育特別教科教員養成課程書道科卒業、1960年、同大学専攻科(芸術・書道専攻)修了。 1961年、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校教諭、1977年、東京学芸大学教育学部助手。その後、専任講師、助教授を経て、1987年教授、2000年名誉教授。この間、法政大学通信教育部非常勤講師、日本大学文理学部非常勤講師、東京大学東洋文化研究所内地研究員など、また山東大学客員教授、西安交通大学客員教授などを務める。
万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月2… 万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月29日 - 不明)は、日本の女優。関東州大連出身。神奈川県横浜市育ち。 柔道教師の父を持ち幼い頃日本へ引揚の形で帰国。横浜の関東学院高等学校在学中に家庭よみうりのカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされる。高校卒業後の1956年に、新東宝の四期スターレットとして入社。同期に北沢典子、三ツ矢歌子、原知佐子、朝倉彩子らがおり、小柄ながらも美人グラマー女優として人気を博した。1958年には『スター毒殺事件』で初主演。 1961年8月に新東宝が倒産したため、9月に大映へ移籍。翌年には市川雷蔵主演の『婦系図』でお蔦役を演じ知名度を得る。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2… 飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2022年7月31日)は、映画作家。実験映画の草分け的存在。飯村隆彦映像研究所ディレクター。 東京都出身。慶應義塾高等学校時代に、高橋新吉や萩原恭次郎のダダイスム詩の影響を受け、自らも詩を執筆する。1959年慶應義塾大学法学部卒業後、日映新社にアルバイトで入り、PR映画の助監督を経験する。1962年に8ミリ映画の映画詩「くず」で注目を浴び、実験映画・個人映画作家となる。赤瀬川原平、荒川修作、篠原有司男、中西夏之といった美術家たちと交流を持つようになり、暗黒舞踏の土方巽らの協力を得て、8ミリ映画や16ミリ映画の前衛映画『あんま』(20分/1963年)『バラ色ダンス』(13分/1965年)を製作する。
平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月1… 平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月13日 - 1995年(平成7年)7月31日)は、三島由紀夫の妻。杉山寧の娘。専業主婦として側面から三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力し、経団連襲撃事件の際には、犯人の元楯の会会員の説得にあたった。 なお、瑤子と新婚旅行中の三島が宿泊先の箱根の富士屋ホテルの便せんで、「私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子(really cute and sweet)です」と、アメリカの出版社(英訳『仮面の告白』刊行)の社長宛てに近況報告していた手紙が、2015年(平成27年)に発見された。
森 智恵子(もり ちえこ、旧姓:牧、1937年1月24日 -… 森 智恵子(もり ちえこ、旧姓:牧、1937年1月24日 - )は、日本の85・86代内閣総理大臣である森喜朗の妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学教育学部出身で、同大学のサークル「国際学友会」で現在の夫である森喜朗と出会う。大学を卒業後、日本出版貿易に勤務し、1961年11月に結婚。その後、1964年10月15日に長男の森祐喜を出産。また、後に長女・陽子も出産している。 2000年4月5日に夫である森喜朗が内閣総理大臣に就任すると、2001年4月26日に辞任するまでおよそ1年間、首相夫人として活動した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22… 後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 神奈川県出身で神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学卒業。主に1960年代〜1990年代にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』 岩波書店、2010年3月 ISBN 4000244558
桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991… 桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991年1月21日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、主に内野手(三塁手、遊撃手)。右投げ右打ち。
沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと ま… 沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと まさこ、1937年1月2日 ‐ 2003年8月9日)は、日本の歌手、女優、政治家。歌手や女優などの芸能活動の後、政界に転身し参議院議員を務めた。
葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大… 葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大成建設の元・代表取締役会長。 神奈川県出身。1960年、東京大学工学部土木学科を卒業。大成建設株式会社に入社。営業本部営業部長、取締役、常務、専務、代表取締役副社長を経て、2001年4月、代表取締役社長(前任は平島治)。2007年4月、山内隆司取締役専務の社長就任にともない代表取締役会長となった。2009年4月30日、会長を辞任して相談役最高顧問となり、2010年相談役。 2009年に日本土木工業協会の会長職からも退いたが、日本ダム協会の会長は続け、2009年11月には、民主党・前原誠司国土交通相が建設業者数の過剰感を指摘したことに対して「これからは建設業に対して延命的な政策はとってほしくない」「余った人材は他産業で抱えてもらいたい」と語った。
鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技… 鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技師。神奈川県出身。日本映画テレビ録音協会会員。1980年より山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズの録音技師となる。 1937年、神奈川県に生まれる。1956年に松竹に入社し、松竹大船撮影所で録音助手となる。
村上 春樹(むらかみ はるき、1937年 - )は、日本の国… 村上 春樹(むらかみ はるき、1937年 - )は、日本の国文学者。『将門記』の研究で知られる。 早稲田大学教育学部国語国文学科国語学専攻卒業。横浜市立戸塚高等学校国語科教諭、横浜市立桜丘高等学校副校長を経て定年退職。横浜市立図書館嘱託となり、任期終了後は各地の文化講座などで講師を務める。元千葉県立関宿城博物館客員研究員。東洋史家宮澤正順とは、戸塚高校在職時の同僚。神奈川県在住。 『ノルウェイの森』などで知られる作家の村上春樹とは同姓同名で出身大学も同じであることから、混同されることがある。
清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )… 清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )は、日本の新左翼活動家。前革命的共産主義者同盟全国委員会(略称:革共同全国委、通称:中核派)議長。 筆名は岡田新、津久井良策など。敵対勢力である革マル派の機関紙『解放』では、「シミタケ」とあだ名がつけられている。 1937年(昭和12年)、神奈川県生まれ。農家の出身。湘南高校ではラグビー部に所属した。東京大学経済学部時代に日本共産党に入党するが武装闘争放棄に反発し1958年(昭和33年)に離党、島成郎、香山健一、北小路敏らと共産主義者同盟(第一次ブント)を結成する。全学連の書記長として60年安保闘争で活躍。その後、自己批判して1961年(昭和36年)に革共同全国委に結集。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経… 古川 哲夫(ふるかわ てつお、1937年 - )は、日本の経済学者。駿河台大学経済学部名誉教授。現代日本経済研究。 神奈川県横浜市出身。一橋大学経済学部を卒業。野村証券、野村総合研究所設立で同研究所に異動後経済社会研究室室長を経て駿河台大学経済学部教授に就任。退官後は同大学経済研究所客員研究員を務める。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
太刀川 恒夫(たちかわ つねお、1937年(昭和12年) -… 太刀川 恒夫(たちかわ つねお、1937年(昭和12年) - 2025年(令和7年)2月13日)は、日本の実業家。神奈川県横浜市出身。東京スポーツ新聞社の社長・会長を歴任した。 なお戸籍上の名字の表記は「大刀川」であり、毎日新聞など一部のマスメディアでは同表記を用いている。 1955年、山梨県立日川高等学校を卒業後、児玉誉士夫の著作を読んで「共鳴し」、児玉のような人間になろうと考え上京、1960年に児玉宅に書生として住み込んだ。その後、児玉から政治の勉強をするよう指示され、河野一郎代議士を通じて中曽根康弘を紹介され、中曽根の書生となり、中央大学法学部政治学科二部に入学。昼は中曽根事務所で働き、夜は大学に通った。
仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月2… 仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2017年〈平成29年〉12月22日)は、日本の作家、英米文学翻訳家、アンソロジスト、文芸評論家。本名は大塚勘治で、ペンネームの由来は本名を逆読みしたもの。 神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。在学中の1957年(昭和32年)、江戸川乱歩を顧問に迎えてワセダミステリクラブを創設し、幹事長となる。 卒業後は北スマトラ海洋石油資源開発(のちに現在の国際石油開発帝石に合併され消滅)、アラビア石油に勤務する傍ら、創作活動や海外のミステリ小説、ホラー小説、SF小説の研究・翻訳やアンソロジー編集などを行った。
河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - … 河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - 2015年1月30日)は、将棋棋士。2002年、引退。将棋ライター。神奈川県横須賀市出身。小堀清一九段門下。棋士番号95。 中学二年生の頃に将棋を覚え、学校の授業中は先生の目を盗んで将棋の本を読み、学校が終わったら将棋クラブに通い、家に帰ったら再び将棋の本を読むなど将棋漬けの毎日を送る。そのため、僅か三か月で初段の実力にまで上達する。 英語を習いに行ったときに、英語の先生が将棋を指しているのを見て横から口を出すとその手を先生に褒められ、「きみは勉強よりも将棋のほうが好きならプロになれ」と言われる。その一言により河口はプロになることを決意する。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 20… 内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 - 2019年2月15日)は、日本の歌手、音楽家、ソングライター、詩人。ザ・キング・トーンズの創設メンバーの一人でリーダー、リードテナー。愛称はリーダー。 神奈川県横浜市の生まれ。日本大学高等学校・中学校、日本大学法学部で学ぶ。 1960年、音楽友達の加生スミオらとともにザ・キング・トーンズを結成。中心メンバーとして活躍した。1969年にグッド・ナイト・ベイビーのスマッシュヒットを放ったことで、知名度をあげた。NHK紅白歌合戦、フジロックフェスティバル、日本有線大賞など檜舞台への出場経験も持つ。1998年ごろ、サントリー・ザ・カクテルバーのCM「パーティーサイズ・リニューアル編」で話題になった。
宮田 登(みやた のぼる、1936年〈昭和11年〉10月14… 宮田 登(みやた のぼる、1936年〈昭和11年〉10月14日 - 2000年〈平成12年〉2月10日)は、日本の民俗学者。学位は、文学博士(東京教育大学・1976年)。筑波大学名誉教授。元・日本民俗学会会長。国文学者の藤沢袈裟雄は実父。 神奈川県横浜市生まれ。1960年(昭和35年)東京教育大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1976年(昭和51年)、「ミロク信仰の研究 : 日本における伝統的メシア観」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。 東京教育大学助手、東京学芸大学助教授、筑波大学歴史人類学系助教授、同教授を経て、退官後に神奈川大学経済学部教授。 国立歴史民俗博物館客員教授、文化庁文化財保護審議会専門委員などもつとめた。
田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日… 田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授、広尾学園小石川中学校・高等学校学園長、広尾学園中学校・高等学校前校長。田邉 裕と表記されることもある。 政治地理学の立場から、市町村の領域と内部構造について検討し、明治時代の市町村合併の研究などで高く評価された。また、フランスの地理学的研究に取り組み、フランス地理学の日本への紹介、日仏の文化交流にも関わった。また、国際的にはオーストリアの地理学会誌とスウェーデンの学会誌の編集顧問も務めている。 神奈川県生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、東京大学に進む。学生時代には文学青年の一面もあり、宮原昭夫らと文芸同人誌を作っていた。
安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日… 安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日本の思想史・女性学者、名古屋市立大学名誉教授。専攻は社会思想史、ジェンダー論。夫は安川寿之輔。 横浜市生まれ。1959年名古屋大学経済学部卒。1964年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、同助手。 1965年名古屋市立女子短期大学講師、1968年同助教授、1974-1975年ロンドン大学に留学、エリック・ホブズボームに師事。1975年同教授。1982年「イギリス労働運動と社会主義 「社会主義の復活」とその時代の思想史的研究」で、経済学博士(名古屋大学)の学位を取得。同年同書で労働関係図書優秀賞受賞。1995年同学長。 1996年名古屋市立大学人文社会学部教授、2002年退任。
宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2… 宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2012年5月6日)は、日本の文学者(ドイツ文学者)、慶應義塾大学名誉教授。 東京府出身。父は宮下正美。兄の宮下展夫は演劇評論家で『朝日ジャーナル』編集長。 幼稚舎から慶應義塾普通部を中退し湘南学園中学校に転校、同高等学校から慶應義塾高校編入を経て1959年慶應義塾大学独文科卒、1965年同大学院博士課程単位取得満期退学。1977年「18世紀ドイツ戯曲史とブランクヴァース」で慶應義塾大学より文学博士を賜る。 後に慶應義塾大学文学部助教授、教授を歴任し、2001年定年退任、2007年まで帝京大学教授。1978年日本観光文化奨励賞受賞。 専門はドイツ演劇、スイス文化史。
原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の… 原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の建築家。東京大学名誉教授。
遠藤 宏(えんどう ひろし、1936年8月31日 - )は、… 遠藤 宏(えんどう ひろし、1936年8月31日 - )は、日本の国文学者。成蹊大学名誉教授。東京女子大学短期大学部助教授、成蹊大学文学部助教授・教授を歴任。2019年瑞宝中綬章受章。東京都生まれ。 上代文学、特に万葉集が専門。また、近世国学者安藤野雁に関する研究も行っている。
永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - … 永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - 2021年)は、日本の金工家。神奈川県横浜市出身。日展を中心に活動し、1992年度に工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 1936年生まれ。神奈川県出身。1959年に東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、安宅賞を受賞した。1963年には同大学美術学部専攻科を修了し、蓮田修吾郎に師事した。 1958年に日展へ初入選した。1968年の第11回日展および1972年の第4回日展で特選を受賞し、1986年の第18回日展では文部大臣賞を受賞した。1992年度には、工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 また、現代工芸美術家協会で常務理事・参与を務め、日展でも理事を歴任した。
黒田 勉(くろだ つとむ、1936年8月28日 - 2017… 黒田 勉(くろだ つとむ、1936年8月28日 - 2017年10月15日 )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 中学時代は陸上と野球を掛け持ちでやっており両方の部活で活躍した。湘南高校に進学するも陸上と野球の掛け持ちが認められずここでは陸上部に所属した。1年夏のインターハイ終わりに鶴見工業高校へ転校。鶴見工業では陸上と野球を掛け持ちし、2年夏もインターハイに出場した。 1954年、エースとして第36回全国高等学校野球選手権大会に出場、鶴見工は夏の選手権初出場であった。1回戦で黒木基康のいた高鍋高に大勝するが、2回戦で高知商の片田謙二に抑えられ敗退。 社会人野球の日本鋼管に進み、1955年の都市対抗に日本石油の補強選手として出場。