川野 芽生(かわの めぐみ、1991年12月7日 - )は、… 川野 芽生(かわの めぐみ、1991年12月7日 - )は、日本の歌人、小説家。神奈川県秦野市出身。2021年現在、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程在籍中。 ロリータファッションを好んでおり、エッセイ集『かわいいピンクの竜になる』にてその愛情が語られている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
服部 真里子(はっとり まりこ、1987年7月31日 - )… 服部 真里子(はっとり まりこ、1987年7月31日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業。 高校時代は演劇活動を行い、北区つかこうへい劇団で戯曲を学んだ。2006年、早稲田大学の新入生勧誘で早稲田短歌会のチラシを受け取ったのがきっかけで同会に入会、作歌を始める。2009年、早稲田短歌会、京都大学短歌会出身者で集まった同人誌「町」に参加。2011年、解散。2012年より未来短歌会所属、黒瀬珂瀾に師事。同年、「行け広野へと」30首で第55回短歌研究新人賞次席。2013年に作品「湖と引力」30首で第24回歌壇賞受賞。同年、作品「いつの日か君がなくしてしまうライター」20首で未来賞を受賞。
小佐野 彈(おさの だん、1983年(昭和58年)5月21日… 小佐野 彈(おさの だん、1983年(昭和58年)5月21日 - )は、日本の歌人・小説家・実業家。 東京都世田谷区出身で、現在は台湾台北市在住。同性愛者であることを公表しており、セクシュアリティに関する作品が多い。 2017年短歌研究新人賞、2019年現代歌人協会賞、第12回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。 大学院在学中に台湾において起業し、日本茶カフェチェーンを約10か国30店舗以上展開。2017年にCEOを退き会長職に就く。 国際興業グループ創業者の小佐野賢治は大伯父。血縁上母方の祖父に当たる養父は国際興業グループ社長を務めた小佐野政邦。実父はマサチューセッツ工科大学客員教授で建築家の堀池秀人。
石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、日… 石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、日本の歌人。神奈川県横浜市出身。橋目侑季(写真・活版印刷)とのユニット「山羊の木」でも活動。 1996年、16歳の時に作歌をはじめ、翌年から「短歌朝日」などに投稿する。神奈川県立柏陽高等学校を経て、1999年、東京外国語大学入学。 1999年、メーリングリスト「ラエティティア」入会。2000年、早稲田大学の短歌実作ゼミに「潜入」し、水原紫苑に学ぶ。同年、同人誌「punch-man」に参加(翌年、同誌解散)。2002年、『祖父の帰宅/父の休暇』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)次席。 2002年、短歌同人誌「pool」を創刊。2003年、東京外国語大学卒業。
北大路 翼(きたおおじ つばさ、1978年5月14日 - … 北大路 翼(きたおおじ つばさ、1978年5月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の俳人。 小学生5年生のとき、種田山頭火を知り自由律俳句を制作。横浜高校にて教諭であった今井聖に出会い有季定型の句に開眼。1996年、今井主宰の「街」創刊入会。青山学院大学卒業後、風俗情報誌の出版社を半年で退職しフリーターとなる。その期間は、岩佐なをや柴田千晶とともに詩誌「ERECTION」の創刊に参加したり、今井聖がシナリオ作家でもあった縁から「週刊漫画」などで成年向け漫画の原作を執筆したりした。25歳で俳句出版社に入社。20代半ば、会田誠、加藤好弘らと出会い俳人としてパフォーマンスに参加。2009年、邑書林のアンソロジー『新撰21』100句入集。
千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の… 千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。 神奈川県横浜市生まれ。東京学芸大学教育学部卒業後、シンガポール日本人学校中学部教諭時代に朝日歌壇の佐佐木幸綱選歌欄に投稿。國學院大學大学院文学研究科(博士課程後期)単位取得退学。その後、横浜市立上菅田中学校、横浜市立戸塚高等学校、横浜市立桜丘高等学校、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校・附属中学校にて教員をしながら、歌人活動をしている。作風は口語短歌で、固有名の付いた人物が多数登場するなど、物語志向の強い青春小説風の連作を得意とする。教育現場を舞台としたエッセイの執筆も行っており、『飛び跳ねる教室』は上菅田中学校、『今日の放課後、短歌部へ!』は戸塚高校、『グラウンドを駆けるモーツァルト』は桜丘高校がモデルである。
安藤 美保(あんどう みほ、1967年1月1日 - 1991… 安藤 美保(あんどう みほ、1967年1月1日 - 1991年8月28日)は、歌人である。東京都練馬区出身。 神奈川県立湘南高等学校、お茶の水女子大学文教育学部国文科卒業。研究テーマは九条良経。大学在学中の1987年に「心の花」に入会し、1989年に「モザイク」で心の花賞第一席を受賞した。卒業後は大学院に進学し、日本文学を専攻。在学中に研修旅行で訪れた滋賀県比良山中で転落死した。享年24。 死後、第一歌集で遺歌集の『水の粒子』(ながらみ書房)が刊行され、ながらみ書房出版賞特別賞を受賞した。また、日記は「水夢抄」のタイトルで武藤康史にまとめられ、「短歌往来」にて6年にわたって連載された。 小谷野敦の小説『美人作家は二度死ぬ』(『山室なつ子の生涯』)に登場する飛行機事故で死ぬ女子大学院生のモデルとなっている。
畑井 貴晶(はたい たかあき、1964年(昭和39年) - … 畑井 貴晶(はたい たかあき、1964年(昭和39年) - )は、日本の料理愛好家、フードクリエイター、マーケティングコンサルタント、ダッチオーブンマイスター、俳人。 20世紀までは塾講師などのフリーター、映画人時代(シナリオコンクール入賞、劇場用映画プロデュース、映画批評サイト開設)が15年、21世紀から2016年まで15年をマーケティング人として過ごし、2017年から飲食業界に転身。 趣味は俳句、声楽、カヌー、議論。 1991年、劇場用映画脚本『大盛家のはなれでは・・・』が東宝新人シナリオコンクールに佳作入選した。このコンクールは1度限りで継続していない。 1998年、阪神・淡路大震災の復興を願って開催された、1000人ものチェリストが一同に集まって、アンサンブルを奏でるビッグバンド系イベント「1000人のチェロ・コンサート」の企画者の一人。
吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )は… 吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )は、日本のプログラムオフィサー、歌人、俳人。堂号は空蝉庵。歌人の髙橋みずほは妻。同じく歌人の髙橋俊人は妻の祖父。植物育種学者の高橋成人は妻の父。 神奈川県横浜市根岸生まれ。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校、同中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、九州大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。大学、大学院では木材化学を専攻。 ハウジングアンドコミュニティ財団チーフ・プログラム・オフィサー、長谷工総合研究所主任研究員などを経て、フリーのプログラムオフィサー。この間、住まい・まちづくり活動推進協議会事務局長、住まい・まちづくり担い手支援機構理事などを兼務。
水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日 - )は… 水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日 - )は、日本の歌人。 第一歌集『びあんか』(1989年)で現代歌人協会賞を受賞。端正な古典文法を駆使した伝統的な和歌を踏襲し、「新古典派」とも称される。歌集に『客人』(1996年)、『くわんおん(観音)』(1999年)、『あかるたへ』(2004年)など。 神奈川県横浜市生まれ。父は陸軍士官学校卒の軍人で戦時中は皇居にいた。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学第一文学部仏文科卒業、同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1986年「中部短歌会」に入会し、以後春日井建に師事。1987年に『しろがね』で第30回短歌研究新人賞候補。1989年に第1歌集『びあんか』を刊行し翌年現代歌人協会賞受賞。
大滝 和子(おおたき かずこ、1958年11月1日 - )は… 大滝 和子(おおたき かずこ、1958年11月1日 - )は、歌人。本名、矢口和子。 神奈川県藤沢市出身。早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。 1983年、未来短歌会に入会。岡井隆に師事。1992年、作品「白球の叙事詩(エピック)」にて第35回短歌研究新人賞を受賞。1994年、第一歌集『銀河を産んだように』を刊行。翌1995年、同歌集にて第39回現代歌人協会賞を受賞。2000年、第二歌集『人類のヴァイオリン』を刊行。翌2001年、同歌集にて第11回河野愛子賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
星野 高士(ほしの たかし、1952年8月17日 - )は、… 星野 高士(ほしの たかし、1952年8月17日 - )は、日本の俳人。星野椿の息子、星野立子の孫で高浜虚子、星野天知の曾孫にあたる。娘は星野愛。 神奈川県鎌倉市生まれ。祖母の立子に師事し10代より句作を行う。関東学院大学中退。1984年より「玉藻」副主宰兼編集長。「玉藻」発行1,000号を機に2014年6月28日、星野椿より主宰継承。2015年、2023年、句集『残響』/『渾沌』にて第49回/第57回蛇笏賞最終候補。2023年、句集『渾沌』により第38回詩歌文学館賞受賞。2023年、句集『渾沌』により第22回俳句四季大賞受賞。2023年、文化庁長官表彰。 「ホトトギス」同人。鎌倉虚子立子記念館館長。
石井 辰彦(いしい たつひこ、1952年6月7日 - )は、… 石井 辰彦(いしい たつひこ、1952年6月7日 - )は、日本の歌人。本名同じ。いずれの結社にも属さないTanka poet。作品に古今東西の芸術作品を引用、暗示するとともに句読点や記号類を多用、また、文語と口語を混淆させ視覚的な配列をも重視する連作構造を採る特異な作風に特徴がある。アクロスティック、ダブル・アクロスティック、隠し題等の遊び心に満ちた作品も多い。 神奈川県横浜市生まれ、同市育ち。1968年(昭和43年)神奈川県立希望ヶ丘高等学校に入学。二浪の後、1973年(昭和48年)早稲田大学商学部に入学した。入学直前に三一書房が募集した現代短歌大系新人賞に「七竈」50首で応募、同賞を受賞した。
島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )… 島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、日本の歌人、日本古典文学研究者。愛知淑徳大学学長。 神奈川県横浜市生まれ。歌誌「まひる野」運営委員。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、「まひる野」に入会。1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、小島ゆかり、米川千嘉子らと活動した。 愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年より学長。学生時代に吉野秀雄『寒蝉集』の影響を受け、窪田章一郎に師事。中日新聞歌壇選者。古典の教養を背景としながら、現代の消費社会を露悪的・批評的に表現する過激な歌風が特徴。
西村 和子(にしむら かずこ、1948年〈昭和23年〉3月1… 西村 和子(にしむら かずこ、1948年〈昭和23年〉3月19日 - )は、日本の俳人。 神奈川県横浜市生まれ。旧姓・是松。実践女子学園中学校・高等学校を経て、1970年に慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業。1966年、大学入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年より清崎主宰の「若葉」に投句。1972年、「若葉」の20代作家による会「青胡桃会」発足、参加。このころに結婚、のち二児を出産。1981年、「若葉」同人。1996年、「慶大俳句」からの句友である行方克巳とともに「知音」を創刊、行方とともに代表を務める。俳人協会新人賞、俳人協会評論賞、俳人協会賞、桂信子賞などを受賞。1977年より俳人協会会員(理事)。
橋本 榮治(はしもと えいじ、1947年7月8日 - )は、… 橋本 榮治(はしもと えいじ、1947年7月8日 - )は、日本の俳人。 神奈川県横浜市出身。千葉大学法学部卒。1976年、「馬酔木」に投句、水原秋桜子、福永耕二に師事。1986年、馬酔木新人賞受賞。1987年、「馬酔木」同人。1997年、「馬酔木」編集長に就任、2007年まで務める。1995年、『麦生』で第19回俳人協会新人賞受賞。2024年、『瑜伽』で第63回俳人協会賞受賞。句集に『麦生』『激旅』『放神』『瑜伽』、俳書に『水原秋櫻子の一〇〇句を読む』がある。「馬酔木」同人、「枻」代表、「件」編集人。
香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は、日本… 香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は、日本の歌人。 神奈川県横浜市出身、大阪府豊中市在住。お茶の水女子大学文教育学部国文科卒業。 1970年、森本治吉主宰の歌誌「白路」入会。1984年、米田登主宰の歌誌「好日」入会。1988年、「ジュラルミンの都市樹」で第34回角川短歌賞を受賞。なおこの年の角川短歌賞は、前年に俵万智『サラダ記念日』の大ヒットがあったため、同賞史上最多の応募数であった。1993年、同人誌「鱧と水仙」を創刊。 時間や存在といった哲学的な素材を好んで詠み、「情緒的な作品に慣れてきた短歌史にとっては異質かもしれない」(小高賢)「理知的な言葉への好奇心によって私達の常識の死角に宿る思いがけない詩を発見してきた歌人」(川野里子)と評される。
須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013… 須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013年6月29日)は、日本の俳人、文芸評論家。多田裕計、小川双々子の門下生。俳句を中心とした文芸誌「ぶるうまりん」の代表(編集・発行人)を務めた。「豈」同人。 東京都杉並区生まれ。神奈川県立平塚江南高等学校卒業後、上智大学文学部ドイツ哲学科へ進学した。在学中同大学の文芸誌「紀尾井文学」の編集に従事、小説・評論等を発表。開高健選の「ソフィア祭賞」の「小説」部門に応募、最終4作に残った(入選作なし)。 「上智大学新聞」(1967年10月30日号)に掲載された、開高健の選評「精錬された一語一句」において、当該作品「出発できない朝」につき、懇切な批評を受ける。
鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )… 鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )は俳人。俳誌「雲取」主宰。本名は宏。 福島県生まれ。東洋大学文学部国文学科卒業。 1966年、加藤楸邨に師事、俳誌「寒雷」に入会(1970年、退会)。1970年、森澄雄に師事、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、同人誌「晨」創刊に参加(1997年、退会)。1990年、超結社の勉強会「塔の会」に入会(その後、幹事)。1997年、「雲取」を創刊し、主宰。
浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 20… 浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 2025年11月16日)は、日本の歌人。短歌結社には無所属。日常の閉塞感・倦怠感を、皮肉とユーモアを交えて詠み上げた作品は、塚本邦雄らに高く評価されている。 北海道釧路市にて、真言宗の僧侶の次男として生まれる。6歳で母と死別し、父は気落ちして郷里の高知県に帰り、48歳の若さで死去。兄とともに神奈川県の母の実家に引き取られた。姉の影響で作歌を始め、相模原市の印刷所の文選工として働きながら、「童牛」「相模野」などの結社に所属した。神奈川県立湘南高等学校定時制に通っていたとき、昼間部の教師が「心の花」会員であり、学校新聞の投稿作を見ていたその教師の勧めで、1961年度の角川短歌賞に応募。
折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月… 折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 1990年〈平成2年〉3月17日)は、俳人、新聞記者。本名・美昭。 神奈川県横須賀市出身、早稲田大学高等学院・中学部国文学科卒。在学中に同人誌に文芸作品を発表するとともに早大俳句会に参加。1958年東京新聞社に入社。同年『俳句評論』が創刊されて同誌の編集同人となり高柳重信に師事、新聞記者として働く傍らで俳句作品や俳句評論を精力的に執筆する。1967年第3回俳句評論賞を受賞(評論の部)。「俳句評論」終刊のちに、有力同人10人限定の同人俳句誌「騎」創刊(1984年)に参加し、その志を継いだ。ほかの創刊同人は、坂戸淳夫、岩片仁次、安井浩司、寺田澄史、川名大、大岡頌司、阿部鬼九男、志摩聰、佐藤輝明。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - … 石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - 2020年6月25日頃)は、日本の歌人。神奈川県藤沢市出身。岡山県吉備中央町在住。歌誌「心の花」選者。本名は黒井不二子。 父は東京朝日新聞の学芸部長を務めた人物。1950年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木信綱に師事。東京農工大学農学部在学中の1954年、『農業実習』にて第1回短歌研究50首詠(現在の短歌研究新人賞)に二席入選。この時の受賞者は中城ふみ子だった。 大学を卒業後、高校教師を経て島根県三瓶山麓の集団共同開拓農場に入植。1973年、岡山県に鳴滝農場を設立し、酪農業に従事する。1977年、第一歌集『牧歌』で第1回現代短歌女流賞受賞。
鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月2… 鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月21日 - 2020年(令和2年)6月11日)は、神奈川県出身の俳人。 秦野生まれ。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)を経て、1954年にお茶の水女子大学国文学科を卒業。大学在学中、井本農一のもとで俳文学を学ぶとともに、村山古郷の「たちばな」に入会し句作を開始。大学卒業後は教師として勤める。また金尾梅の門の「季節」に入会。1963年、中村草田男主宰の「萬緑」に入会。のち萬緑新人賞、萬緑賞を受賞。1977年、第一句集『未来図』により第1回俳人協会新人賞を受賞。この年に教師を辞す。1984年、草田男の死を経て「未来図」を創刊・主宰。
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月2… 倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。
宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 20… 宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 2011年1月10日)は、昭和・平成期の俳人。神奈川県横浜市生まれ。横浜商工実習学校商業部(現・神奈川県立商工高等学校)で担任であった大野林火の指導を受けたのをきっかけに俳句をはじめる。卒業後は大阪住友海上保険(のちの三井住友海上火災保険)に入社、同時期に林火の「濱」同人。濱賞、濱同人賞を受賞、林火死去後の1998年より「濱」副主宰を務める。林火の句風を受け継いだ叙情性のある句風。1997年、句集『遠樹』で第37回俳人協会賞受賞。俳人協会副会長も務めた。2011年1月10日死去、81歳。
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19… 島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成16年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 神奈川県横須賀市大津出身。父英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。四男一女の次男。 旧制横須賀中学校(34期)を卒業。国語教師は小田切秀雄であった。旧制静岡高等学校在学中の1943年に、北原白秋主宰の「多磨」に入会。小川国夫は高校の同級生である。1944年、兄・陽一(横中30期、海兵73期、海軍中尉、敷波乗組)を戦災で亡くす。江田島の海軍兵学校(77期)在学中には広島原爆を目撃した。 1948年の「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。
坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月1… 坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月12日 - 2021年(令和3年)8月16日)は、俳人。 神奈川県横浜市生まれ。俳人高浜虚子の孫で、俳人高浜年尾の長女。俳人稲畑汀子の姉。聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。 幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。夫としあつとともに同誌で活躍した。
藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日… 上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 1919年、高浜虚子の六女として鎌倉市に生まれる。フェリス和英女学校卒。1936年、在学中に虚子の渡欧に随行する。1942年、『ホトトギス』同人の上野泰と結婚する。戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げるも1973年、泰の急逝により主宰となる。俳人協会会員。俳句の他、高浜家や虚子、夫の泰のことなど多くの随筆も残している。1999年1月15日、心不全により79歳で死去。
松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 … 松崎 鉄之介(まつざき てつのすけ、1918年12月10日 - 2014年8月22日)は、神奈川県出身の俳人。本名・敏雄。 横浜市生まれ。横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)卒。在学中より俳句をはじめ、「馬酔木」に投句。1939年、加藤楸邨の勧めに従って大野林火に師事し、「石楠」に入会。1947年、復員後に林火の「濱」に同人として参加。1949年、東京国税局に入局。1970年、退職し銀座で税理士事務所を経営する。 1971年、俳人協会設立に参加し理事を務め、俳句文学館建設にも寄与した。1982年、林火の死去にともない「濱」主宰を継承。同年、『信篤き国』により第22回俳人協会賞受賞。同年俳人協会会長に就任。
目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 196… 目迫 秩父(めさく ちちぶ、1916年3月24日 - 1963年3月18日)は、神奈川県出身の俳人。本名は文雄。 横浜市生。県立商工実習学校(現神奈川県立商工高等学校)卒。1941年、昭和特殊製鋼に入社。1946年、スト争議により退社。同年「濱」に入会し大野林火に師事。1949年に結核を発病。貧困生活の中、入退院を繰り返しながら意欲的に病涯を詠んだ。代表句『狂へるは世かはたわれか雪無限』他。1958年、句集『雪無限』により第7回現代俳句協会賞。1963年、喀血による窒息で死去。「濱」(1963年7月号)では追悼号が組まれた。
河村 みゆき(かわむら みゆき、1907年-1947年)は、… 河村 みゆき(かわむら みゆき、1907年-1947年)は、自由律俳句の荻原井泉水に学んだ女流俳人。神奈川県小田原市の出身。旧姓は富田。 若くから求道者的な姿勢をもち、一燈園に身を投じ、その後岡山の金光教に移り、そこで夫河村恵雲と知り合う。結婚後は、夫の両親と、愛媛県西条市にある香園寺で暮らすが、まもなく肺結核を病んで床につく。そこに1939年10月8日に同門の俳人種田山頭火が見舞いに訪れ、13日まで滞在した。雑誌『層雲』(1936年)に句が残っている。山頭火に送った追悼文「をぢさん-山頭火翁の霊前に-」(『層雲』昭和16年4月号所収)がある。『層雲』には度々彼女の句が掲載されているが、闘病生活を詠んだものが多い。
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1… 稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした。 1906年(明治39年)7月26日、神奈川県愛甲郡厚木町(現在の同県厚木市)に生まれる。生年月日および生地については、『現代俳句大系 第12巻 昭和34年-昭和43年』(角川書店)、『日本人名大辞典』(講談社)、『CD - 人物レファレンス事典 日本編』(日外アソシエーツ)等、俳人「稲垣きくの」を紹介する記事においては上記あるいはそれに準じた記述があるが、女優「若葉信子」を紹介する『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)、『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)では、「1908年(明治41年)7月23日」に「福井県福井市」で生まれたとする記述がある。
大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 198… 大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、昭和期の俳人。本名は大野正(おおの まさし)。 神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて神奈川県立商工実習学校(現・神奈川県立商工高等学校)教諭となる。当時の教え子に、後に高弟となる宮津昭彦がいる。中学時代より鈴木三重吉や佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。
星野 立子(ほしの たつこ、1903年(明治36年)11月1… 星野 立子(ほしの たつこ、1903年(明治36年)11月15日 - 1984年(昭和59年)3月3日)は、昭和期の俳人。高浜虚子の次女。虚子に師事し、初の女性主宰誌『玉藻』を創刊・主宰した。虚子一族で特に評価の高い人物。女性俳人では同時期に活躍した中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称された。星野立子の名を冠する俳句賞として、星野立子賞・星野立子新人賞が設けられている。 東京府麹町区富士見町(現・東京都千代田区)に生まれる。父高浜虚子、母いとの次女。7歳のとき鎌倉に移る。1924年、東京女子大学高等学部卒業。1925年に作家で『文学界』主宰星野天知の息子、鎌倉彫職人の星野吉人と結婚、『ホトトギス』発行所および文化学院に就職する。
秋元 不死男(あきもと ふじお、1901年11月3日 - 1… 秋元 不死男(あきもと ふじお、1901年11月3日 - 1977年7月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市出身。本名は不二雄。前号は東京三(ひがし きょうぞう)。別号に秋元地平線。島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。戦後は「天狼」参加を経て「氷海」を創刊・主宰。劇作家の秋元松代は妹。息子の秋元近史は『シャボン玉ホリデー』を手がけたテレビディレクター・プロデューサー。 横浜市中区元町生まれ。漆器の輸出商の次男で、長男は不死男が生まれた日に病没。他に姉一人、弟・妹が二人ずついたが、父は不死男が13歳のときに病没。以後母親が和裁の賃仕事や夜店の行商をして家計を支えた。
飯田 莫哀(いいだ ばくあい、1896年〈明治29年〉10月… 飯田 莫哀(いいだ ばくあい、1896年〈明治29年〉10月27日 - 1981年〈昭和56年〉6月2日)は日本の歌人。本名、飯田 昇。 1896年(明治29年)、神奈川県高座郡海老名村に生まれる。日本大学社会課中退後、法政大学、水難救済会、八雲書店等に勤務したのちに天弦社の代表となる。童謡歌手、女優の飯田ふさ江は娘。 作歌を始めたのは厚木中学校在学中であり、莫哀の雅号は旧制中学3年の頃に漢文を担当していた教師がつけたものである。1915年(大正4年)に前田夕暮の『詩歌』に参加した。詩歌の廃刊後は活動を休止するが、1922年(大正11年)『覇王樹』に参加し橋田東声に師事する。東声の死後は森園天涙の『珊瑚礁』に転じたが再び覇王樹に戻っている。
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月2… 前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、神奈川県出身の歌人。本名は前田洋造(洋三とも)。長男の前田透も歌人であり、歌誌「詩歌」を引き継いだ。 尾上柴舟に師事。歌集『収穫』(1910年)で自然主義歌人として牧水と並称された。その後北原白秋らと「日光」を創刊。『水源地帯』(1932年)では、自由律短歌に傾くなど、生涯新境地を求めた。 現・神奈川県秦野市にあたる大住郡南矢名村の豪農の家に生まれ、代々庄屋や戸長を務める家柄で、「油屋」の屋号で食用油や醤油の販売もしていた。父の前田久治は県会議員や大根村の村長を務めた厳格な人物で、母のイセは控えめな性格、夕暮を長男として三男四女の家族であった。
松浦 為王(まつうら いおう、1882年(明治15年)1月8… 松浦 為王(まつうら いおう、1882年(明治15年)1月8日 - 1941年(昭和16年)12月15日)は、日本の俳人。本名は磐。 神奈川県横浜市生まれ。横浜商業学校を卒業後、横浜正金銀行に勤務。 「ホトゝギス」創刊のころより、高浜虚子、内藤鳴雪に師事。横浜に、ホトトギス派の句会・連友会を組織した。 1928年(昭和3年)5月、俳句雑誌「俳人」を創刊主宰。“深刻なる句、平明なる句、気迫の籠りたる句”を標榜、首唱し、杉本禾人、浜井武之助らが参加した。1936年(昭和11年)、通巻100号をもって終刊。 編著に『太祇百句評釈』、『鳴雪俳句集』がある。 画家で正岡子規門下の俳人でもあった下村為山に絵画を学び、長唄も嗜んだ。