篠原 かをり(しのはら かをり、1995年2月20日 - )… 篠原 かをり(しのはら かをり、1995年2月20日 - )は、日本の動物作家、昆虫研究家(専門:昆虫産業)、タレント。所属事務所はスペースクラフト。夫はYouTuber・クイズプレイヤーの河村拓哉。実家はドリアン農家を営んでいる。 神奈川県横浜市出身。横浜雙葉小学校、横浜雙葉中学校・高等学校卒業。慶應義塾大学環境情報学部卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程(先端生命科学プログラム)修了。日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程在籍中。 2015年に『恋する昆虫図鑑』で第10回出版甲子園グランプリを受賞し、同年10月に文藝春秋から『恋する昆虫図鑑 ムシとヒトの恋愛戦略』を出版した。
篠崎 由羅(しのざき ゆら、1970年8月 - )は、神奈川… 篠崎 由羅(しのざき ゆら、1970年8月 - )は、神奈川県横須賀市出身の思想、思想史の研究家。東洋大学文学部インド哲学科卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
日下 三蔵(くさか さんぞう、1968年2月21日 - )は… 日下 三蔵(くさか さんぞう、1968年2月21日 - )は、ミステリ・SF研究家、アンソロジスト、フリー編集者。本名は溝畑康史。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ各会員。日本SF作家クラブ会員。 1968年、神奈川県生まれ。横須賀市育ちで小学校の同級生に漫画家の久米田康治がいた。栄光学園高等学校卒業。レビュアーの風野春樹は高校の同級生。 専修大学文学部卒業。ワセダミステリクラブOB。出版芸術社勤務時代に「ふしぎ文学館」シリーズを企画・担当。1998年からフリー編集者、評論家として活動する。『天城一の密室犯罪学教程』で第5回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)を受賞。 出版芸術社時代に担当した、小森健太朗『ネメシスの哄笑』(1996年)の作中に、本名で探偵役として登場している。
新井 由己(あらい よしみ、1965年 - )は、日本のライ… 新井 由己(あらい よしみ、1965年 - )は、日本のライター、フォトグラファー、食文化研究家。神奈川県藤沢市生まれ。 1991年から、アウトドア雑誌などに執筆を開始。田舎暮らしの資金稼ぎのため、1993年から2年間、都内でタクシー運転手をする。1997年、「芝居小屋から飛び出した人形師」で「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」の佳作入選を果たし、その直後、新聞配達用のホンダの原付バイク(プレスカブ)で日本を縦断、おでんの食べ歩きをして、1999年凱風社から『とことんおでん紀行』を初出版。その後、おでんを皮切りに、ハンバーガー、カレーなど食をめぐる比較食べ歩きルポルタージュの仕事を積み重ねてきた。また食の原点としての農業実践にも関心を示し、新潟県松之山町に移住して、みずから農業にも取り組んでいる。
岡田 誠一(おかだ せいいち、1964年11月 - 2013… 岡田 誠一(おかだ せいいち、1964年11月 - 2013年8月28日)は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家である。 元横浜市交通局勤務。鉄道友の会元会員。 1964年(昭和39年)11月神奈川県川崎市出身。 高等学校卒業後に横浜市交通局に入局。横浜市営地下鉄で駅務員や乗務員を務めた後、交通局本局の勤務に移動し、広報担当係長となった。その後、文筆業に専念することになり横浜市交通局を退局する。 退局後は鉄道研究家として本格的に活動を開始し、鉄道趣味誌への記事の寄稿や、自著の執筆・発行を積極的に行うようになった。主な活動範囲は日本の鉄道史、特に鉄道車両の発達の歴史を中心に活動し、文献や資料の収集や整理も得意分野としていた。
出雲 晶子(いずも あきこ、1962年1月13日 - )は、… 出雲 晶子(いずも あきこ、1962年1月13日 - )は、日本の天文民俗学研究家。元プラネタリウム解説員で、天文普及に関する著作で知られる。 東京都田無市(現・西東京市)生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。神奈川県立鎌倉高等学校、東京学芸大学教育学部理科地学科卒業。大学卒業後、財団法人横浜市青少年科学普及協会に就職、横浜こども科学館でプラネタリウムの投影や広報に携わり、2004年からは科学工作教室を担当。2008年に退職し、以後フリーで活動。書籍の執筆、星空案内人認定講座の講師などを手がける。 2013年10月16日現在、宇宙作家クラブのメンバーである。
今尾 恵介(いまお けいすけ、1959年(昭和34年)11月… 今尾 恵介(いまお けいすけ、1959年(昭和34年)11月17日 - )は、日本の地図研究家、エッセイスト、フリーライター。 一般財団法人日本地図センター客員研究員。日本地図学会評議員。「地図と地名」専門部会主査。日野市郷土資料館協議会委員。神奈川県横浜市出身。 中学生の頃から国土地理院の地形図や時刻表を愛読していた。その後、神奈川県立旭高校を経て明治大学文学部ドイツ文学専攻に進学するも中退。雑誌編集者を経て、1991年からフリーライターとして執筆活動を行う。 著作は、地図や地名に関するものが中心で、地図の面白さを伝えるほかに、新たな路面電車像を提案したり、伝統的な地名の安易な変更に警鐘を鳴らしたりもしている。
和田優子(わだ ゆうこ、1958年3月13日 - )は、日本… 和田優子(わだ ゆうこ、1958年3月13日 - )は、日本美容研究家、「和田商事株式会社」代表取締役、「ミス日本コンテスト事務局」シニアマネージャー。前「和田研究所」室長、前「ミス日本コンテスト」大会委員長。現存する日本最古で最長のミス・コンテスト「ミス日本」の第9回(1977年度)『ミス日本』、第10回(1978年度)『ミス日本』受賞。法政大学文学部英文学科卒業、神奈川県川崎市出身。旧姓は田中優子。義父は美容研究家で「和田式フィギュアリング」考案者の和田静郎。叔母は女優の木暮実千代。 1958年(昭和33年)、神奈川県川崎市生まれ。川崎市立戸手小学校、川崎市立御幸中学校、神奈川県立川崎高等学校を卒業。
テミヤン(Temiyan、1957年2月3日 - )は、日本… テミヤン(Temiyan、1957年2月3日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、野草研究家。本名:宮手健雄(みやて たけお)。アップフロントワークス所属。自称「浜辺のフォークシンガー」。テミヤンの名付け親はブレッド&バターの岩沢二弓。本名の「みやて」を並べ替えて「てみやん → Temiyan」になった。神奈川県平塚市出身。湘南学園高等学校卒、和光大学表現学部芸術学科中退。学生時代に神奈川県茅ヶ崎市に移り住み、2018年に葉山に移住した。湘南ビーチFMの開局から10年にわたり、ラジオパーソナリティを務めた。 中学から音楽に目覚めエレクトリック・ギターを手にしていたが、岡林信康に強烈な影響を受け、エレキをアコースティック・ギターに持ち替え、フォークソングに傾倒する。
綱島 理友(つなしま りとも、1954年8月15日 - )は… 綱島 理友(つなしま りとも、1954年8月15日 - )は、日本のプロ野球史研究家、プロ野球意匠学研究家、野球コラムニスト、編集者、エッセイスト。有限会社綱島理友事務所所属。日本プロ野球の歴史研究、特にユニフォームなどの意匠研究の第一人者として知られ、著書の出版のほか、複数のプロ野球チームに研究成果を提供している。 本名は武藤誠一郎。ペンネームの苗字の「綱島」は住んでいた横浜市港北区の地名「綱島」に由来、名前の「理友」はイタリア・フィアット社の小型車、リトモに由来する。なお活動初期には「理友」を「よしとも」と読ませていた。 神奈川県横浜市中区に生まれ。東京都立桜町高等学校、日本大学藝術学部美術学科(デザインコース)卒業。
草柳 俊一(くさやなぎ しゅんいち、1953年6月17日 -… 草柳 俊一(くさやなぎ しゅんいち、1953年6月17日 - )は、日本の録音エンジニア、落語研究家。 神奈川県横浜市生まれ。日本大学芸術学部卒。 落語などの録音に興味を持ったのは中学生の頃。父親がオープンリールのレコーダーで古今亭志ん生や春風亭柳橋(6代目)を録音しているのに関心を持ったのがきっかけとなった。 1977年、アオイスタジオへ入社して映画関係の仕事に従事する。1980年、音楽部門へ配置されてアシスタントに従事する。1984年7月、ハミングバード録音課へ入社する。1994年7月、マイカルハミングバードが映像音楽事業を譲渡したことからワーナーミュージック・ジャパン録音課へ移籍する。1996年8月、同社を退社してフリーランスとなる。
立川 健治(たちかわ けんじ、1950年 - )は、日本の競… 立川 健治(たちかわ けんじ、1950年 - )は、日本の競馬史研究家。専攻は日本近代社会運動・思想史、日本近代競馬史。
矢部 良明(やべ よしあき、1943年 - 2026年[要出… 矢部 良明(やべ よしあき、1943年 - 2026年[要出典])は、日本の陶磁器・茶道史研究家。茶人。茶道名・蒼庵。 神奈川県大磯町生まれ。東北大学文学部美術史学科卒業。東京国立博物館に入職。工芸課長を経て退職。薩摩伝承館館長。郡山市立美術館館長。人間国宝美術館館長。 2011年に、第9回茶道文化賞(裏千家)を受賞した。
高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年… 高木 実(たかぎ みのる、1939年9月7日 - 2009年4月3日)は、日本の地図切手研究家。 神奈川県横浜市出身。学校法人高木学園創立者・高木君の孫。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1964年早稲田大学政治経済学部卒業、八幡製鉄(のち新日本製鐵)勤務。1987年経済広報センター研究員として出向。1991年退社、学校法人高木学園理事長。趣味で地図切手を収集し、著作をなした。
神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は… 神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は、日本の固体地球物理学者、極地研究家。国立極地研究所ならびに総合研究大学院大学名誉教授。地震、火山、ならびに極地研究の第一人者として活躍。 神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京理科大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学地震研究所に入所し、地震や火山噴火予知の研究に携わる。地震被災地や火山に赴いての指導や執筆活動等で活躍。
鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史… 鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史研究家。「日曜歴史家」を自称し、紀州雑賀衆の鈴木氏の末裔であることを自著の中で明かしている。 横浜市生まれ。中央大学法学部卒業。防衛庁、神奈川県庁等に勤務。勤務のかたわら主に戦国時代の合戦の研究を続ける。 『刀と首取り―戦国合戦異説』などでは、南北朝期および戦国期の軍忠状に記される死傷者の内訳をもとに、両時期における戦闘の主体はあくまで弓(及び投石など。後代では鉄砲が加わる)であり、刀は負傷した敵の首を取るためのものでしかなかった、との説を発表している。さらにそこから、「日本人のお家芸である白兵戦」は20世紀前半期において軍部の精神主義が招いた極めて異例のものであり、歴史的に武士たちは徹底して遠戦志向だった、としている。
今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5… 今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5日 - )は、日本の洋菓子研究家、食卓芸術プロデューサー、実業家。 株式会社今田美奈子食卓芸術サロン代表取締役社長、日仏生活芸術協会会長、国際食卓芸術アカデミー協会会長、TPPを考える国民会議世話人を務める。 芸術文化勲章オフィシエ受章者(2003年)。 1935年3月5日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は愛光商会(1939年創立)社長の今田冨雄。 函嶺白百合学園中学校・高等学校を経て、白百合短期大学(現・白百合女子大学)を卒業。のちに父の後継者として愛光商会社長となる今田潔と結婚。1971年(昭和46年)、スイスに招かれ、洋菓子の世界を知る。
中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 201… 中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 2010年6月23日)は、日本の英文学者、近代史研究家、獨協大学名誉教授。 1934年、東京都生まれ。海軍主計少佐の父・春男の下に生まれる。鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校卒業。1959年、東京大学文学部英文学科を卒業。 都立高校教員を経て、1964年より獨協大学に勤務する。所属は外国語学部英語学科。専任講師、助教授(1971年)を経て1987年より教授。1991年からは英語学科長を務めた。2005年3月に定年退職し、名誉教授となった。2010年6月23日、肺癌のため死去。76歳没。 なお、「昭和史研究所」「NHK報道を考へる会」は、中村の死去により同年末解散した。
野口 孝一(のぐち こういち、1933年 - )は、日本の都… 野口 孝一(のぐち こういち、1933年 - )は、日本の都市史研究家。 神奈川県横浜市生まれ。東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科修士課程(日本史専攻)修了。川崎市立工業高等学校教諭、川崎総合科学高等学校教諭を経て、中央区立郷土天文館勤務。2013年東京都文化功労者。近代都市史。
柴田 弘武(しばた ひろたけ、1932年 - )は、日本の古… 柴田 弘武(しばた ひろたけ、1932年 - )は、日本の古代史研究家。 神奈川県藤沢市生まれ。1955年、早稲田大学教育学部卒業。東京都の中学校や東京都立荒川工業高等学校(定時制)の社会科教員を歴任し、1992年に退職。えみし学会会長。郷土教育全国協議会・史遊会・たたら研究会・日本地名研究所・日本ペンクラブなどの各会員。2001年、北野道彦賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の… 境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の哲学者、東洋思想研究家、著作家。 神奈川県横浜市出身。浅野学園高等学校を経て、1955年、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。同年より、栄光学園で国語科教員として教鞭を執る。1973年、同校を退職。1973年、神奈川県大磯町に「道塾」を開設。1975年、駒澤大学大学院禅学特殊研究科博士課程修了。
岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日… 岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日本の食文化史研究家。 神奈川県横浜市生まれ。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1990年まで日清製粉勤務、1994-1997年放送大学食文化史担当。全国調理師養成施設協会『調理用語辞典(改訂版)』の編集委員。
竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2… 竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2001年3月1日)は、日本の美容体操研究家。日本のテレビ体操の草分けとして広く知られている。香淳皇后の体操の先生としても著名。 神奈川県逗子市出身。神奈川県立第一高等女学校(現在の神奈川県立横浜平沼高等学校)卒業。岸恵子と草笛光子は高校の同窓生である。その後お茶の水女子大学体育学科に進み、卒業後、高校の体育教師となる。 1954年4月16日から日本放送協会で放映された『美容体操』の専属講師に就任。1958年から香淳皇后に美容体操を教えた。 著書に「いつもお陽さま家族」などがある。 1966年、クレイジーキャッツの安田伸と結婚した。 1967年4月に行われた東京都知事選挙では、美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2… 高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2013年6月)は、日本の戦争研究家。 神奈川県横浜市生まれ。法政大学文学部国文科卒。在学中に学徒兵として召集。主に戦時下の雑誌ジャーナリズム及び戦争文学をテーマとした執筆・講演活動を続けている。講談社『昭和萬葉集』では編纂部顧問をつとめた。1996年、里村欣三研究その他で、人文科学研究協会研究奨励賞を受賞。2008年、第14回横浜文学賞受賞。創価学会系の人物である[要出典]。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推理・冒険小説研究家。 神奈川県川崎市生まれ。1949年日本大学法文学部文学科卒。1950年川崎市役所に勤務。のち日大講師。黒岩涙香の古書を収集、これを研究した。 1986年『明治の探偵小説』で日本推理作家協会賞受賞。1989年、「黒岩涙香―探偵小説の元祖」で大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞。 大衆文学研究会・日本文芸家協会各会員。「探偵趣味」同人。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 -… 小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 - 2008年5月1日)は日本の地方公務員、刀剣研究家。横浜市助役、神奈川県公安委員会委員などを務めた。1992年には勲三等瑞宝章を受章。 1938年に神奈川県立横浜第三中学校を卒業後、1943年に國學院大學文学部国史科卒業。その後大日本帝国海軍に入隊した。 1949年に横浜市に入庁。主に清掃局の畑一本で過ごしてきた。清掃局清掃施設課長、清掃局管理部長などを経て、1971年9月1日に清掃局長、1972年8月3日に総務局長、1975年5月26日には横浜市助役に就任した。1979年5月25日に辞職。 1982年10月21日 神奈川県公安委員会委員。
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 20… 磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日)は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。 広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。 戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。 父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41… 小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41年〉6月6日 - 2000年〈平成12年〉1月10日)は、日本の鳥類研究家。旧名・小林賢三。位階は従六位。 1908年、神奈川県横浜市生まれ。1923年(大正12年)の関東大震災後、1927年に神戸市に移住。1932年(昭和7年)に神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業した。 翌1933年(昭和8年)、薄荷輸出業「小林桂」(1883年に初代小林桂助が創業)に入社した。小林桂助3代目を継ぎ、家業の傍ら鳥の生態を調査した。1947年から1981年まで日本鳥学会評議委員をつとめた。2000年死去。死没日付をもって従六位に叙された。 このほか、鳥類に関連する著書多数。
大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英… 大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文:Ohmura Hama)1906年(明治39年)6月2日 - 2005年(平成17年)4月17日)は、日本の国語教師、国語教育研究家。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 横浜市出身。父親は大村益荒、北海道の尋常師範学校の教師を経て、ミッションスクールである共立女学校(現横浜共立学園)の幹事から教頭になっていた。母親はくらといい、北星女学校を卒業していた。両者クリスチャンという関係で結婚した。母くらは、後に「婦人の友」となる「家庭の友」の創刊号からの読者であり、父は潔癖さが強く、不器用であり、うそが嫌いであったという。