中村 和恵(なかむら かずえ、1966年3月25日 - )は… 中村 和恵(なかむら かずえ、1966年3月25日 - )は、比較文学者、英語圏文学者、詩人、エッセイスト。明治大学教授。ポストコロニアリズムの研究が専門。別筆名・中村たまら。 父親はロシア文学者の中村健之介。父の故郷である新潟県三条市で生まれ、東京都、北海道で育つ。 北海道札幌北高等学校を経て、1989年お茶の水女子大学英文科卒。在学中に新潮学生小説コンクールに入選、受賞作「E」が掲載される。 1991年東京大学総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程修了、1993年同博士課程中退、91年シドニー大学専任講師、93年帝塚山学院大学専任講師。 1998年成城大学専任講師、2001年明治大学法学部専任講師(英語文学)、2003年助教授、2007年准教授、2010年教授。
前沢 浩子(まえざわ ひろこ、1961年3月11日 -)は、… 前沢 浩子(まえざわ ひろこ、1961年3月11日 -)は、日本の英文学者である。 新潟県柏崎市出身。1989年3月、津田塾大学大学院文学研究科博士課程英文学専攻単位取得満期退学(文学修士)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本… 野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家、評論家。東京大学名誉教授、放送大学教養学部教授。 新潟県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修了。一橋大学法学部法律学科専任講師・助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て、2007年、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授。2012年同教授に昇格。2019年放送大学教授、2022年4月から2025年3月までは放送大学附属図書館長を兼任。 2000年に、ジャン=フィリップ・トゥーサンの翻訳でベルギー・フランス語共同体翻訳賞(フランス語版)を受賞したのを皮切りに、2001年に『ジャン・ルノワール 越境する映画』でサントリー学芸賞、2006年に『赤ちゃん教育』で講談社エッセイ賞、2011年に『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』で読売文学賞(研究・翻訳賞)、2019年に『水の匂いがするようだ─井伏鱒二のほうへ』で第17回角川財団学芸賞を受賞した。
波田野 節子(はたの せつこ、1950年- )は、朝鮮文学者… 波田野 節子(はたの せつこ、1950年- )は、朝鮮文学者、新潟県立大学名誉教授。専攻は朝鮮近代文学。 新潟市生まれ。新潟県立新潟高等学校卒、1973年青山学院大学文学部卒業。フランスに渡る。県立新潟女子短期大学教授、新潟県立大学国際地域学部教授。2014年定年退官、名誉教授。2011-12年まいにちハングル講座講師。
海部 宣男(かいふ のりお、1943年9月21日 - )は、… 海部 宣男(かいふ のりお、1943年9月21日 - )は、日本の天文学者。国立天文台名誉教授(東京大学博士(理学博士1973年))。専門は電波天文学、赤外線天文学。特に星間物質、星と惑星の形成に関する研究。国際天文学連合(IAU)会長。1998年に日本学士院賞を受賞した。
玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - … 玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - )は、日本の英文学者。専攻はシェイクスピアとエリザベス朝演劇。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。新潟県立高田高等学校、東京大学文学部英吉利文学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻博士課程満期退学。東京工業大学工学部助教授を経て教授。1985年、『女王陛下の興行師たち』でサントリー学芸賞受賞。千葉大学文学部教授。帝京大学文学部教授、帝京大学名誉教授。日本シェイクスピア協会会長(1997-1999年度)。2007年日本学士院会員。2011年瑞宝重光章。
小黒 昌一(おぐろ しょういち、1935年〈昭和10年〉5月… 小黒 昌一(おぐろ しょういち、1935年〈昭和10年〉5月4日 - 2008年〈平成20年〉11月4日)は、日本の英文学者、英語学者。早稲田大学名誉教授。専門は古代・中世英文学および古代・中世英語。小沼丹と平岡篤頼に師事。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)4月に新潟高等学校に入学、1953年(昭和28年)12月に祖父の小黒猶一の新潟高等学校と早稲田大学の後輩の会津八一を訪問した。 1954年(昭和29年)3月に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)3月に早稲田大学第一文学部文学科(英文学専攻)を卒業。 1962年(昭和37年)3月に早稲田大学大学院文学研究科(英文学専攻)修士課程を修了、1965年(昭和40年)6月にワシントン大学大学院(英語学専攻)修士課程を修了。
福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 20… 福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 2005年10月25日)は、日本の国語学者・国文学者。国士舘大学名誉教授。専攻は国語学・国文学(万葉集・俳諧・芭蕉)。 新潟県佐渡島生れ。中央大学大学院国文学博士課程単位取得満期退学。国士舘大学文学部助教授、教授、2005年退任、名誉教授。北京大学中日詩歌比較研究会名誉会長。 2005年10月25日、肝臓癌のため死去。没後、従五位瑞宝中綬章叙勲。
大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 202… 大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 2020年1月20日)は、日本の英文学者、早稲田大学名誉教授。位階は正五位。 新潟県長岡市生まれ。1954年新潟県立長岡高等学校卒、1959年早大文学部英文科卒、1964年同大学院博士課程満期退学。早稲田大学文学部助教授を経て教授。2003年定年、名誉教授。2014年、瑞宝中綬章受章。正五位。 シェイクスピア、エリザベス朝演劇が専門。 2020年1月20日死去。86歳没。没後に正五位に追叙された。
平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日… 平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日本のドイツ文学者。元立教大学教授。
伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015… 伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015年3月19日)は、国文学者、新潟大学名誉教授。叙正四位。
鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004… 鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004年10月7日)は、日本の英文学者、英米演劇研究家、翻訳家。本名は鳴海 弘。 テネシー・ウィリアムズ、エドワード・オールビー、ニール・サイモンの戯曲やアガサ・クリスティなどの小説を翻訳した。文学座座友。 1919年新潟県長岡市に、1922年に東京市に移り関東大震災に遭う。東京府立第五中学校、東京商科大学予科を経て、1940年に東京商科大学(現・一橋大学)卒業。会社員となるがアマチュア演劇団体に所属。 1944年弘前市歩兵連隊に応召。敗戦後、田舎にこもる。1949年帰京。1951年慶應義塾高校教諭、コロンビア大学に留学。1952年帰国、文学座の文芸演出部員となる。
中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月… 中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月17日 - 1987年 <昭和62年> 7月23日)は、日本の国文学者。静岡女子大学(現:静岡県立大学)名誉教授。勲等は勲三等。位階は正四位。 静岡女子短期大学教授、静岡女子大学文学部教授、静岡女子大学文学部長、常葉学園短期大学教授、常葉学園大学教育学部教授などを歴任した。 1913年、新潟県生まれ。旧制新潟県立十日町中学校を経て國學院大學高等師範部第一部を卒業した。川治尋常高等小学校の代用教員を振り出しに、教育者としての道を歩む。応召を挟み、六日町高等女学校や新潟県立十日町中学校の教諭を務めた。その後、京都帝国大学文学部国語学国文学専攻にて学ぶ。
星野 慎一(ほしの しんいち、1909年1月1日 - 199… 星野 慎一(ほしの しんいち、1909年1月1日 - 1998年12月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。 新潟県長岡市生まれ。旧制新潟県立長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、1932年東京帝国大学文学部独逸文学科卒業。旧制成城高等学校教授、埼玉大学文学部教授、東京教育大学教授。1961年「ライナー・マリア・リルケの伝記的研究」により東京大学文学博士。1971年頃教育大を定年後、南山大学教授を務め、1991年長岡市史編集委員長。1998年、89歳で没。1999年、星野の蔵書が長岡市立中央図書館に寄贈され、星野慎一文庫と名付けられた。 リルケなどドイツの詩を翻訳研究するほか、短歌、俳句にも関心が深かった。
永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月… 永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月23日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 新潟県南蒲原郡長沢村大字中野原新田(現 三条市中野原)の教育者・永井長祥の三男として出生。 1926年(大正15年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。池田亀鑑のもとで『神皇正統記』の研究や『校異源氏物語』の作成に従事。 1933年(昭和8年)1月に岩波書店から出版の『岩波講座 日本文學』の付録の雑誌『文學』第19号に「神皇正統記阿刀氏本に就いて」という題名の論文を発表し、その中で『神皇正統記』の阿刀本を紹介して草稿もしくは初稿本と推定した。
杉 捷夫(すぎ としお、1904年2月27日 - 1990年… 杉 捷夫(すぎ としお、1904年2月27日 - 1990年12月10日)は、日本のフランス文学者。東京大学名誉教授。 新潟県柏崎市出身。旧制柏崎中学・旧制三高を経て、1926年東京帝国大学仏文科卒業。高千穂高等商業学校(現高千穂大学)、立教大学、東北帝国大学で教えた後、1949年から東京大学教養学部教授、56年文学部教授。1964年に定年退官後は立教大学教授、1968年、東京都立日比谷図書館長となり、土岐善麿以来13年ぶりの文化人館長として話題になった。1976年日本学士院会員。 プロスペル・メリメやギ・ド・モーパッサンの翻訳で知られ、その多くが岩波文庫等に入って読み継がれた。研究者としては『フランス文芸批評史』などの著書がある。
佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1… 佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1980年9月8日)は、日本の国文学者。中世文学、特に『平家物語』の研究によって知られた。
倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉… 倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉9月21日 - 1975年〈昭和50年〉11月14日)は、日本の中国語学者、中国文学者。文学博士。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1897年、新潟県高田町(現・上越市)に、十三人兄弟の四男として生まれる。倉石家は地元の名家で、一族には漢学者の高田藩校教授の倉石侗窩がいる。 高田第二尋常小学校(現上越市立東本町小学校)、新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部支那文学科卒。一高時代は三木清や瀧川政次郎とともに岩元禎らの下で学び、東大では塩谷温・服部宇之吉・岡田正之らの下で学ぶ。卒業論文では中国天文学(英語版)を扱う。
西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年〈明治27… 西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年〈明治27年〉1月20日 - 1982年〈昭和57年〉6月5日)は、日本の詩人(近代詩)、英文学者、文学博士。第二次世界大戦前のモダニズム、ダダイスム、シュルレアリスム運動の中心人物。また、生涯に多くの水彩画並びに油彩等の絵画作品を残した。出生地である新潟県小千谷市の名誉市民。位階は正四位。生前、ノーベル文学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 1922年、渡英して西欧の超現実主義的感覚を身につけた。帰国後、日本の超現実主義運動に参加して、詩集『Ambarvalia』(1933年)を刊行。ほかに『旅人かへらず』(1947年)、『近代の寓話』(1953年)など。
鳴沢 寡愆(なるさわ かけん、1891年〈明治24年〉5月1… 鳴沢 寡愆(なるさわ かけん、1891年〈明治24年〉5月10日 - 1977年〈昭和52年〉9月4日)は、日本の英文学者、俳人。広島大学名誉教授。俳号は花軒。高浜虚子に師事。 新潟県中蒲原郡鷲巻村大字西笠巻(現 新潟市南区西笠巻)の浄土真宗大谷派・長福寺の鳴沢木誓の次男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1913年(大正2年)7月に第四高等学校を卒業、1916年(大正5年)7月に東京帝国大学文科大学文学科(英文学専修)を卒業、東京帝国大学附属図書館に勤務。 1920年(大正9年)から京北中学校に勤務、大谷大学を経て1921年(大正10年)3月に松江高等学校教授に就任、1925年(大正14年)3月に広島高等学校教授に就任、12月から1年半、英語の研究のためイギリスやアメリカに留学。
原 久一郎(はら ひさいちろう、1890年4月10日 - 1… 原 久一郎(はら ひさいちろう、1890年4月10日 - 1971年10月19日)は、ロシア文学者。
金子 彦二郎(かねこ ひこじろう、1889年6月20日 - … 金子 彦二郎(かねこ ひこじろう、1889年6月20日 - 1958年5月27日)は、日本の国文学者。 新潟県西蒲原郡岩室村(現在の新潟市西蒲区)出身。東京高等師範学校卒。帝国女子専門学校(のち相模女子大学)国文科主任、1945年「平安時代文学と白氏文集 句題和歌千載佳句研究篇」で帝国学士院賞受賞。1946年「平安時代文学と白氏文集」で慶應義塾大学文学博士。女子学習院教授、東洋大学教授。女子教育の実践者として研究されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
島田 退蔵(しまだ たいぞう、1889年〈明治22年〉5月4… 島田 退蔵(しまだ たいぞう、1889年〈明治22年〉5月4日 - 1970年〈昭和45年〉2月22日)は、日本の国文学者。第三高等学校の最後の校長。 新潟県新潟市一番堀通町(現 新潟市中央区一番堀通町)の弁護士・島田脩三の次男として出生。 1907年(明治40年)3月に新潟中学校を卒業、1910年(明治43年)7月に第三高等学校を卒業、1913年(大正2年)7月に京都帝国大学文科大学文学科(国文学専攻)を卒業。 1914年(大正3年)4月に島根県立浜田中学校教諭に就任、1917年(大正6年)7月に公立中学校教諭に任官(高等官)、引き続き島根県立浜田中学校に勤務、1920年(大正9年)10月に第三高等学校教授に任官。
小柳 篤二(おやなぎ とくじ、1883年〈明治16年〉8月1… 小柳 篤二(おやなぎ とくじ、1883年〈明治16年〉8月1日 - 1985年〈昭和60年〉12月23日)は、日本のドイツ文学者、ドイツ語学者。元東京高等学校独語主任教授、元早稲田大学教授。日出学園名誉園長。 新潟県新潟区学校町通(現 新潟市中央区学校町通)出身。1903年(明治36年)3月に新潟中学校を卒業、9月に第一高等学校大学予科理科に入学するも、病気で中退。 新潟中学校の5年先輩の櫻井天壇の所によく遊びに行き、ゲーテやシラーの話を聞いたり、ドイツ語の詩を教えられたりしたことがきっかけで、ドイツ語の道に入ろうと思うようになる。 1909年(明治42年)3月に東京外国語学校独語学科を卒業、1912年(明治45年)に東京帝国大学文科大学文学科選科を修了。
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月1… 相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本の文学者、詩人、歌人、評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や、「春よ来い」などの童謡の作詞者としても知られる。 1883年、新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現糸魚川市)に生まれる。相馬徳治郎の長男。高田中学(現新潟県立高田高等学校)を経て早稲田大学に進む。中学以来の学友に小川未明がいる。在学中の1903年に岩野泡鳴らと雑誌「白百合」を創刊した。
式場 麻青(しきば ませい、1882年〈明治15年〉3月23… 式場 麻青(しきば ませい、1882年〈明治15年〉3月23日 - 1933年〈昭和8年〉4月1日)は、日本の歌人、書家、国文学者。元大阪府女子師範学校専攻科教授。本名は式場 益平(しきば ますへい)。 新潟県中蒲原郡五泉町大字五泉字指柳(現 五泉市本町)の式場幸八の長男として生まれた。 1897年(明治30年)4月に新潟中学校に入学すると、俳句の会・舟江会に入り、2年先輩の会津八一と知り合った。1901年(明治34年)7月に同級生の青木得三、安倍邦太郎、山崎良平たちと同人雑誌『若菜舟』を発行した。 1902年(明治35年)3月に新潟中学校を卒業すると、上京して二松學舍で三島中洲に漢文学を、落合直文に国文学を学んだ。
金子 健二(かねこ けんじ、1880年1月13日 - 196… 金子 健二(かねこ けんじ、1880年1月13日 - 1962年1月3日)は、日本の英文学者、翻訳者。 1880年(明治13年)、新潟県中頸城郡新井町に生まれる。高田中学校から東京の郁文館中学校、第四高等学校を経て1905年に東京帝国大学英文科を卒業した。 帝大在学中、一年の前半は小泉八雲、八雲退任後の三年間は夏目漱石の講義に出席して、その様子を詳しく日記に記している。日記の内容は著書『人間漱石』(いちろ社、1948。増補版は協同出版、1956)や、孫の金子三郎が編纂した『川渡り餅やい餅やい――金子健二日記抄』(上中下巻、私家版、1998)、『記録 東京帝大一学生の聴講ノート』(リーブ企画、2002)等に紹介されており、漱石研究者にとって非常に貴重な資料となっている。
櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年〈明治12年〉10… 櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年〈明治12年〉10月18日 - 1933年〈昭和8年〉9月10日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。第八高等学校第二語学科主任教授。会津八一の先輩で義弟。本名は櫻井 政隆(さくらい まさたか)。 新潟県南蒲原郡中野原新田村(現 三条市中野原)出身。1893年(明治26年)4月に新潟県尋常中学校に入学、「九泉童子」と号し、文芸雑誌『文庫』に投稿。 1898年(明治31年)3月に新潟県尋常中学校を卒業、1901年(明治34年)7月に第一高等学校を卒業、9月に東京帝国大学文科大学独逸文学科に入学、カール・フローレンツに師事。 1903年(明治36年)6月から「天壇」と号し、『帝國文學』に評論を発表、1904年(明治37年)7月に東京帝国大学文科大学を最優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。
山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 -… 山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 - 1947年8月17日)は、イタリア文学者、翻訳家。日本で最初にダンテの『神曲』「地獄篇」を完訳した。 新潟県北蒲原郡(現・新潟県新発田市上館)生まれ。新潟市の北越学館に入学し受洗。1892年東北学院労働会に入って勤労学生として苦学し、20歳の同学院文科2年生のときに島崎藤村が教師として赴任し、交流する。バイオリニストを志して渡米し、カリフォルニア大学に学び、語学の才を発揮し、とくに中世英語ではアメリカ人を抜いてトップの成績を修めたという。 1914年から1922年にかけてダンテ・アリギエーリ『神曲』を邦訳。ダンテ研究家の大賀寿吉に絶賛される。
浦口 文治(うらぐち ぶんじ、1872年3月21日(明治5年… 浦口 文治(うらぐち ぶんじ、1872年3月21日(明治5年2月13日) - 1944年(昭和19年)3月8日)は、日本の英米文学者、教育者。同志社大学英文科教授、東京商科大学(現・一橋大学)教授、立教大学教授。 摂津三田藩(兵庫県三田市)出身。三田藩士の浦口長弘と千代の子として生まれる。12歳の時に神戸の川本恂蔵の家に寄宿し、キリスト教に感化を受けると、1884年(明治17年)に神戸教会において原田助(同志社第7代目社長)より受洗。 同志社普通学校に入学し、1890年(明治23年)に同志社を卒業。その後、英文学を志し神戸、東京、仙台、函館を転々とする生活を送る。 1894年(明治27年)夏に神戸にいた際には、ウォルター・ウェストンの日本アルプス登山に、H.J.ハミルトン(日本聖公会中部教区初代主教)とともに通訳として同行し、日本アルプス連山の初登頂に成功する。
三輪 源造(みわ げんぞう、1871年9月18日(明治4年8… 三輪 源造(みわ げんぞう、1871年9月18日(明治4年8月4日) - 1946年(昭和21年)11月5日)は日本の教育者、国文学者である。
高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年3月20日) - 1935年9月7日)は、明治時代から昭和初期の翻訳家、啓蒙的英文学者、英語学者、言語学者、評論家、教育者である。 聖書の翻訳や英語教育を行い、立教大学、早稲田大学、駒澤大学で教授を歴任した。 1856年(安政3年)に越後国柏崎の庄屋の家に生まれる。本名は吾良である。1868年、群馬県高崎に行き、竜門寺で市川左近に漢学や仏学を学ぶ。1871年より牧野再竜、高崎藩校の田中毛野に学ぶ。 1873年に洋学を学ぶために上京し、緒方塾で緒方惟孝(緒方城次郎、緒方洪庵の三男)に学び、植村正久と知り合いになる。1875年(明治8年)に横浜へ行き、植村の紹介でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師S・R・ブラウンのブラウン塾で英学と英語、仏語、独語を習った。
梶野 敏貴(かじの としたか)は、新潟県柏崎市出身の日本の天… 梶野 敏貴(かじの としたか)は、新潟県柏崎市出身の日本の天文学者。専門は理論天文学、とりわけ天体核物理・宇宙論。 国立天文台の実証宇宙論・宇宙核物理学研究グループ(COSNAP)を主宰。理学博士(物理学)を取得している。 東大総長、文部大臣として活躍した有馬朗人の門下生である。また、梶野の門下からも多くの宇宙論研究者を輩出している。特技は書道。