五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )… 五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 富山県立魚津高等学校では同僚となる石黒誠作の2年後輩にあたる。卒業後日本カーバイドを経て1956年に近鉄パールスへ入団。翌年は開幕戦から12試合連続「1番・中堅手」でスタメン出場した。また、1959年にも開幕戦に「8番・左翼手」でスタメン出場しており、期待された選手だったが打撃が振るわず、この年限りで引退した。引退後は帰郷して、魚津国際カントリーに勤務。
河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 20… 河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 2017年9月7日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。富山県東礪波郡城端町(現南砺市)出身。 1955年、富山県立福野高等学校、1961年、慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業。卒論は「日本中小商業の一分析視角」。1964年、城端町議会議員に当選。以後連続3期務める。1975年、富山県議会議員に当選。以後8期連続務める。1991年には富山県議会議長に就任。 2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党公認で富山県選挙区に立候補し初当選。額賀派に所属する。 2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、1年間の党役職資格停止のペナルティを受けるが、後に賛成に転じた。
眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高… 眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高岡市出身の作曲家。 高校生のころから作曲家を志して、東京音楽大学の前身東洋音楽短期大学を経て東京藝術大学作曲科を卒業。作曲は池内友次郎、島岡譲、三善晃、指揮法を渡邉暁雄、筝・三味線を上木康江に師事した。またアラン・ホヴァネスのアシスタントとして渡欧したこともある。31年間、尚美学園大学作曲科の教鞭を取った後、現在江原学園・東京音楽療法専門学校・東京ピアノ調律アカデミーで教える。作風は仏教的なものをテーマにした邦楽作品が多い。1999年から2004年までは、NPO法人邦楽教育振興会に所属した。趣味は茶道(裏千家)、剣道、弓道、スキー、写真と多岐に渡る。
斎藤 侊琳(さいとう こうりん、1937年〈昭和12年〉 -… 斎藤 侊琳(さいとう こうりん、1937年〈昭和12年〉 - 2016年〈平成28年〉9月18日)は、現代日本の仏師。本名は秀明。日展作家・竹部豊、大仏師・松久朋琳、松久宗琳の流れを汲む。富山県福野町(現・南砺市)に生まれる。 15歳で日展作家・竹部豊に弟子入り。自身も日展作家として活動。その後松久朋琳、松久宗琳に仏像彫刻、仏画を師事。富山県にて仏師として活躍。日展入選回数6回。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 20… 飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 2023年5月9日)は、日本の社会学者。専門は、家族社会学。 富山市生まれ。法政大学社会学部卒業後、法政大学大学院社会学研究科単位取得退学。1992年、名古屋大学から博士(文学)の学位を取得。日本福祉大学講師・助教授、立命館大学産業社会学部助教授・教授を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日… 中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日本の実業家。インテック社長、インテックグループCEO、カターレ富山代表取締役社長、ITホールディングス会長を歴任。 富山県魚津市出身。高校3年のときに結核にかかり、大学進学を志して上京するも喀血して帰郷せざるを得なかった。富山大学経済学部卒業後、証券会社に入り、不二越の創業者井村荒喜の紹介で富山商工会議所に入所。課長時代に、金岡幸二のコンピュータ会社創立に加わり、地元企業への根回しを担当する。金岡急逝後、インテックの社長に就任。 アイザック最高顧問、北国インテックサービス相談役、マイテック相談役、富山経済同友会特別顧問のほか、社団法人テレコムサービス協会会長、富山県とやま起業未来塾塾長、富山県公安委員会委員長を歴任。
野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24… 野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉6月13日)は、日本の女優・アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。特技は英語・フランス語。最後の所属事務所はラヴァンス。本名は同じ。 石川県河北郡津幡町で生まれ、富山県富山市で育ち、3歳から東京都杉並区天沼で育った。杉並区立杉並第五小学校、立教女学院中学校・高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演。大学時代の同期には俳優の高橋悦史、元プロ野球選手の杉浦忠や長嶋茂雄、アナウンサーの政田一喜や押阪忍がいる。
牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 20… 牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 2003年11月12日)は日本の作曲家、中等教育教員。 指揮者の牧野誠は長男。 富山市出身。富山大学教育学部で黒坂富治、小澤慎一郎らに師事する。 大学在学中の1958年(昭和33年)、第13回国民体育大会開催を記念して富山県が公募した「富山県民の歌」の作曲部門で入選する。卒業後は富山市立南部中学校、芝園中学校で音楽教諭を務めた。定年退職後、校内に吹奏楽部の無い市内小規模校の生徒により編成される「富山ジュニア吹奏楽団」を創設して自ら団長に就任したのを始め、合唱団の指導に当たるなど精力的に活動していた。 2003年(平成15年)6月、膵臓癌のため入院し同年11月12日に逝去。
洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9… 洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9日 - )は、日本のドイツ文学者。筑波大学名誉教授。 福井県敦賀生まれ。富山県立富山中部高等学校から東京教育大学文学部を経て、東京大学大学院人文科学研究科修士課程独文科修了。金沢大学講師および九州大学助教授を務めた後、筑波大学教授(現代語・現代文化学系)に就任。 1967年、旧・西ドイツのミュンスター大学(ドイツ学術交流会)、1977年にシュトゥットガルト大学およびスイス・チューリッヒ大学に留学したほか、1991年にテュービンゲン大学で文部省在外研究を行った。1999年に論文「トーマス・マン 神話とイロニー」で筑波大学より文学博士号を得た。
駒城 鎮一(こうじょう しんいち、1935年7月15日 - … 駒城 鎮一(こうじょう しんいち、1935年7月15日 - 2017年7月6日)は、日本の法学者(法哲学)。富山大学名誉教授。位階は従四位。 富山県高岡市出身。同志社大学卒業。1968年大阪大学大学院法学研究科博士課程満期退学。富山大学教養部教授を務め、2001年定年退官、名誉教授。没後従四位瑞宝中綬章受勲。
時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - … 時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - 没年不明 )は、時津風部屋に所属した元力士。本名は大島 真佐夫(おおしま まさお)。現在の富山県氷見市出身。176cm、79kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1951年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続7場所務めた。1960年3月場所に廃業。
久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 200… 久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。母方叔母に置塩壽。 当時の東京市杉並区阿佐谷生まれ。 父親は陸軍少将の久世弥三吉で転属により、小学校2年のとき北海道札幌市へ移り、終戦の年に両親の故郷・富山県富山市へ疎開し、その後高校卒業まで富山で育つ。富山市立西田地方小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現・TBSHD)入社。
石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は… 石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手。 中学時代は県大会で4度の優勝を経験しており、魚津高校でも1年生からレギュラーとして活躍する。 1954年に近鉄パールスに投手で入団。1956年に外野手へ転向し、この年に1軍初出場。 1957年に現役引退。その後は地元で会社員となった。
広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2… 広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2日 - 2011年(平成23年)9月18日)は、日本の精神科医。 富山県魚津市出身。1961年(昭和36年)東京大学医学部卒、同精神科入局。1964年(昭和39年)東京都立松沢病院勤務。1980年(昭和55年)三枚橋病院勤務、のち理事。病院地域精神医学会理事長。同愛記念病院勤務。国連非政府組織 (NGO) 国際医療職専門委員会日本代表。イギリス王立精神医学会選出会員。患者の権利のために戦い宇都宮病院事件でも活躍した。
寺沢 徹(てらさわ とおる、旧字体: 寺澤 徹、1935年1… 寺沢 徹(てらさわ とおる、旧字体: 寺澤 徹、1935年1月4日 - 2025年3月23日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。選手としての専門は長距離走・マラソンで、1963年には当時のマラソン世界最高記録を樹立した。1964年東京オリンピック代表選手。 当時の東京府東京市に生まれる。太平洋戦争中に富山県高岡市に疎開した。[要出典]高校への入学当初はハンドボール部に所属していたが、2年次に健脚を買われて陸上競技部に転じた。富山県立高岡商業高等学校を卒業。卒業後は地元の自動車販売店に[要出典]就職し、会社員として働きながら独力で陸上競技を続けた。1957年栃木国体の5000メートル (m)で6位に入賞した。
栄沢 幸二(えいざわ こうじ、1935年 - 2024年11… 栄沢 幸二(えいざわ こうじ、1935年 - 2024年11月29日)は、日本の政治史学者、専修大学名誉教授。 富山県下新川郡入善町生まれ。富山県立入善高等学校卒業、1958年東京教育大学農学部林学科卒業、1961年同社会科学科法律政治学専攻卒業、1964年法政大学大学院社会科学研究科修士課程政治学専攻修了、1968年東京教育大学大学院文学研究科博士課程政治学専攻退学。1968年信州大学教養部専任講師、1972年助教授、1985年専修大学法学部教授。2006年定年、名誉教授。1987年松本三之介との共同研究で朝日学術奨励金を授与される。
安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日… 安丸 良夫(やすまる よしお、1934年〈昭和9年〉6月2日 - 2016年〈平成28年〉4月4日)は、日本の歴史学者。専門は近世・近代の日本思想史、宗教史。一橋大学名誉教授。 1934年6月2日、富山県東礪波郡高瀬村(現:南砺市)に生まれる。高瀬小学校(現:南砺市立井波小学校)、井波中学校、富山県立福野高等学校を経て、1957年に京都大学文学部史学科を卒業(国史学専攻)、1959年に京都大学大学院文学研究科修士課程修了(国史学専攻)。1962年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学(国史学専攻)。 同年、名城大学法商学部に専任講師として赴任し、1966年に同大学助教授。1970年、一橋大学社会学部助教授に転じ、1977年に教授となる。
橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - … 橘 康太郎(たちばな こうたろう、1934年5月30日 - 2012年6月1日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。日本野球富山県連盟名誉会長。富山県高岡市出身。 実業家で、民主党の参議院議員・衆議院議員を務めた橘直治の息子として生まれた。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了後、富山県議会議員(1期)、伏木海陸運送社長を務めた。その後旧富山2区より無所属で第38回総選挙に立候補し落選。続く第39回総選挙でも自由民主党の公認を得ながら落選、3度目の立候補となった第40回総選挙で初当選した。 地元には地盤の強固な綿貫民輔がいたため、小選挙区制に移行してからの富山3区(範囲は旧富山2区と同じ)からの立候補は叶わず、比例北陸信越ブロックへと転出して、第41回総選挙以降3回連続して比例区からの単独立候補で上位当選したが、衆院比例73歳定年制・比例連続2回規定という当時の自民党規定のため、第44回総選挙では自民党公認を得られずに、立候補を断念した。
藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 … 藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日 - )は、日本の漫画家。コンビ解消後は本名で紹介されることも多い。大垣女子短期大学客員教授。座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。血液型はA型。
間部 耕苹(まなべ こうへい、1934年(昭和9年)1月20… 間部 耕苹(まなべ こうへい、1934年(昭和9年)1月20日 - 2013年(平成25年)5月7日)は、日本の実業家、テレビディレクター。日本テレビ放送網代表取締役社長や、日テレ・グループ・ホールディングス代表取締役会長、日本民間放送連盟副会長、デジタル放送推進協会理事長等を歴任した。富山市出身。
藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年… 藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒業。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。 数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)と共に藤子不二雄として活動した。 代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。
緑岩 三郎(みどりいわ さぶろう、1933年9月9日 -没年… 緑岩 三郎(みどりいわ さぶろう、1933年9月9日 -没年不明 )は、立浪部屋に所属した元力士。本名は大城 三郎(おおしろ さぶろう)。現在の富山県富山市出身。174cm、88kg。最高位は西十両18枚目。得意技は左四つ、寄り。 1950年9月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進し3場所務めた。1959年1月場所に幕下に陥落。幕下陥落後の1959年5月場所の11日目から廃業する9月場所まで弓取りを務めた。1959年9月場所に26歳で廃業。廃業後はプロレスラーに転向した。
水橋 晋(みずはし すすむ、1932年8月30日 - 200… 水橋 晋(みずはし すすむ、1932年8月30日 - 2006年2月20日)は、日本の詩人。富山県滑川市生まれ。中三で富山県在住の高島順吾に師事。慶應義塾大学文学部仏文科卒。 大学で江森國友、堀川正美、三木卓らと『氾』に拠る。1997年『大梟を夫にもった曾祖母』で第15回現代詩人賞受賞。久地 良(くじ りょう)のペンネームで童話も多数執筆。1974年『はさみでじょきじょき』は日本童話会賞を受賞。主な作品に1982年『くまとひこうき』(学習研究所)、1982年『でんぐりやまはおおさわぎ』(学習研究所)、1988年『まじょのくにのなつ』(学習研究所)など。
辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – … 辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – 2003年(平成15年)3月13日)は、昭和時代から平成時代にかけての日本の彫刻家。本名は四郎。日展評議員、日彫会運営委員を歴任。 富山県庄川町金屋(現在の砺波市)に生まれる。井波木彫刻師の市山玉香に弟子入、1956年第12回日展に「山羊」」で初入選。1964年加藤顕清に師事し、翌年の第8回新日展に「人間」で特選。1968年澤田政廣に師事し、1969年改組第1回日展に「男」で特選。1980年第一回高村光太郎大賞展に特別優秀賞受賞。 1983年「富山県置県100年記念 新世紀博」会場のシンボルタワー「新世紀の旅立ち」制作。1984年県営総合体育センター「限りなき生命」制作。
石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )… 石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )は、日本の実業家。東海テレビ放送元社長。富山県射水市出身。 1955年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に中部日本新聞社に入社した。 1976年に東海テレビ放送に転じ、報道局長、取締役、常務、専務を経て、1997年6月から副社長に就任し、2001年6月に社長に昇格した。2007年6月から会長に就任した。 その一方で、富山テレビ放送取締役、石川テレビ放送取締役、ナゴヤドーム取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役、フジテレビジョン取締役などを歴任した。 2008年11月旭日中綬章受章。
吉原 節夫(よしはら せつお、1932年〈昭和7年〉4月29… 吉原 節夫(よしはら せつお、1932年〈昭和7年〉4月29日 - )は、日本の法学者。専門は、民法総則・物権法。高岡法科大学元学長。富山県射水郡伏木町(現・高岡市)出身。 (特に明記なきものは、「高岡法学 第29巻」を参照) (特に明記なきものは、「高岡法学 第29巻」を参照) (特に明記なきものは、「高岡法学 第29巻」を参照)
ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2… ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2020年)は、作家、ジャーナリスト。 現在の富山県高岡市能町生まれ。生家は古くからの地主であり、農地改革前は「三歩あるけば一歩は蒲田はんの地面」と言われるほどの土地を所有していた。富山県立高岡北部高等学校の同期に後の高岡法科大学学長吉原節夫がいた。東京外国語大学英語学科を経て1957年に早稲田大学第一政治経済学部卒業。岩波書店とNHKの採用試験にも合格したが、1957年、毎日新聞東京本社に入社。1年間の仙台支局勤務を経て、女性初の外信部記者となる。フルブライト奨学金を獲得し、1958年8月から日本人女性として初めてヴァージニア大学(国際関係論修士課程)に留学していた時、同大学医科大学院在学中に、宣教師の息子で高校時代にインドのダージリンで過ごした経験があるスコットランド系アメリカ人のトマス・リー・ロバートソンJrと知り合う。
中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 200… 中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 2004年11月19日)は、日本のジャーナリスト、中国問題評論家。現代中国学会会員。 富山県高岡市生まれ。1954年、東京外国語大学中国語科卒業。 1954年毎日新聞社入社。1970年ソウル支局長、1973年香港支局長、東京本社外信部副部長を経て、1976年北京支局長、1979年論説委員。 1986年高岡短期大学教授に就任。1989年東海大学教授、2002年定年退職。 2000年、アジア人口・開発協会評議員。
森 隆夫(もり たかお、1931年(昭和6年)7月30日 -… 森 隆夫(もり たかお、1931年(昭和6年)7月30日 -2014年7月6日)は、日本の教育学者、お茶の水女子大学名誉教授。専門は教育行政学。 富山県富山市生まれ。東京大学教育学部卒、56-61年フランクフルト大学留学(DAAD、フンボルト財団)、国立教育研究所、ドイツ国際教育研究所客員研究員、1967年お茶の水女子大学助教授、74年教授、77-81年同大附属小学校長、文教育学部長、大学院人間文化研究科長、97年定年退官、名誉教授。中央教育審議会委員、日本教育文化研究所長[要出典]。2010年、瑞宝中綬章受章。 2014年7月6日午後6時20分、呼吸不全のため東京都内の病院で82歳で死去[要出典]。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は… 久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は、日本の経済評論家。
北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青… 横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青空あきお・横山あきを、1930年9月26日 - 2014年6月20日)は、日本の俳優、コメディアン。最終所属は優企画。 富山県富山市出身。日本大学芸術学部中退。 元は映画監督志望で上京し、大空ヒットに師事。 最初は兄弟子の大空はるか(後のケーシー高峰)と「大空はるか・かなた」を組み、そこそこ売れたが、長続きせずに解散。次いで兄弟子の大空曇天、大空かんだとコンビを組み「大空はるか・かなた」を継続させたが、大空ヒットから破門される。 コロムビア・トップの青空一門に移籍して青空はるおと「青空はるお・あきお」を結成。1967年『NHK漫才コンクール』で優勝し、その実力を認められた。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
木間 章(きま あきら、1930年7月27日 - 2015年… 木間 章(きま あきら、1930年7月27日 - 2015年11月20日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。 富山県高岡市出身。1948年、旧制高岡中卒。同年、高岡市役所に入る。1967年から高岡市議を2期務めた。1979年の総選挙で旧富山2区から立候補して初当選、5期務めた。社会党県本部書記長に就任。1993年の総選挙で落選し、政界を引退した。 2015年11月20日、肺炎のため死去。85歳没。旭日中綬章追贈、叙従四位。
玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29… 玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29日 - 2005年7月6日)は、日本の評論家。玉川しんめいの表記も用いた。 富山県富山市旅籠町に生まれる。神通中学校に入学し、学制変更で富山県立富山中部高等学校となり、卒業。 在学中、日本青年共産同盟(青共)に加入。富山市の臨時職員ののち、群馬県の工場で勤務。のち、法政大学第二経済学部に進学し、黒田寛一らを知るが、退学して帰郷する。 文通により竹内好に師事し、29歳で上京して、東京都立大学の中国文学科の特別聴講生として二年半をすごす。雑誌社に二年半勤務したのちに、結婚・退社してふたたび帰郷する。 33歳、34歳のころ、辻潤に熱中してアナーキズムに傾倒し、40歳をすぎてから著作活動をはじめる。
高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023… 高田 衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - 2023年7月5日)は、日本の日本近世文学研究者。旧・東京都立大学名誉教授。 富山県砺波市生まれ。生家は老舗料理旅館の水月楼(現:すいげつろうホテル)。早稲田大学第二文学部日本文学科卒業、同大学院文学研究科修士課程、東京都立大学大学院博士課程修了。立正学園女子短期大学(現・文教大学女子短期大学部)、都立大学、近畿大学の教職を歴任。 専攻は上田秋成研究であったが、1980年に中公新書で『八犬伝の世界』を刊行し、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』を道教的な視点から分析し、伏姫を文殊菩薩、八犬士を八大童子とみる説を出して注目を集めた。近世後期の幻想文学の著述紹介に力を注ぐ。
佐伯安一(さえき やすかず、1930年1月2日 - 2016… 佐伯安一(さえき やすかず、1930年1月2日 - 2016年8月3日)は、日本の郷土史家、建築史学者。 富山県砺波市久泉生まれ。1946年富山県立高岡商業学校卒業。1948~1954年北日本新聞社記者。1955年礪波商工会議所勤務。1959年市堰建工株式会社勤務。1987~1996年砺波郷土資料館長を務めた。 1974~2006年に富山県文化財保護審議会委員(1997年度~2000年度会長)、2007年~2016年に富山民俗の会代表、礪波市文化財保護審議会委員、高岡市文化財審議会委員、南礪市文化財保護審議会委員、富山県うるおい環境づくり会議専門委員、礪波市立礪波散村地域研究所所員、礪波市50年史編纂委員長、富山市日本海文化研究所所員等の要職を務めた。
東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、… 東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、日本の音楽学者であり音楽評論家、東京学芸大学名誉教授。 富山県滑川市生まれ。1957年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1965~67年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生としてケルン大学音楽学研究所に留学。東京学芸大学助教授、教授、93年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2010年退任。バッハ研究の権威として名高い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月3… 崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月31日)は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学。富山県東礪波郡井波町(現在の南砺市) 出身。
浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月… 浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月11日)は医師、医学博士(京都大学)。太宰治研究者。 富山市生まれ。旧制富山高等学校理科乙類を経て、1954年京都大学医学部医学科卒業。京都大学結核胸部疾患研究所において結核および呼吸器学を専攻する。1960年京都大学医学博士。論文の題は「ツベルクリン過敏性の局所性受身感作に関する実験的研究」。(財)近江サナトリウム、京都府立洛東病院、国立療養所宇多野病院勤務のあと1988年現在、ダイハツ工業株式会社 京都工場診療所長を務めた。 その傍ら太宰治の人と文学に関する実証的研究に長年携わってきた。 その中で『パンドラの匣』 のモデルとなった木村庄助の実家の取材を通じて、この面における太宰治研究の第一人者として知られる。
辛 光洙(シン・グヮンス、シン・グァンス、1929年〈昭和4… 辛 光洙(シン・グヮンス、シン・グァンス、1929年〈昭和4年〉6月27日 - )は、韓国の政治犯。日本人拉致に関わった北朝鮮の工作員である。通称「坂本(さかもと)」。1978年に福井県若狭に住む若い男女地村保志と妻の富貴恵を拉致した実行犯で、1980年に原敕晁を拉致し、戸籍を横領して「原敕晁」名義の運転免許証や旅券を取得してなりすまし、日本や韓国で工作活動を行った。 1929年(昭和4年)に静岡県浜名郡新居町(現・湖西市)で、土木作業員の辛チョンダルを父に、徐ミョンダムを母に五男二女の五男として生まれた。幼少期の日本名は「立山 富蔵」(たてやま とみぞう)で、のちに兵庫県尼崎市へ一家で移住して立花第一尋常小学校に入学する。
高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 201… 高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 2013年2月9日)は、日本の映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。 1929年(昭和4年)に満洲の大石橋に生まれた。太平洋戦争終戦前の1945年(昭和20年)5月、父親の郷里である富山県下新川郡桜井町(現・黒部市)に引き揚げ、魚津高等女学校(現・富山県立魚津高等学校)を卒業した。16歳の時に映画『キュリー夫人』を見て感銘を受け、職業を持って自立する決心をする。日本女子大学社会福祉学科に入学し、南博主任教授の下で「マスメディアと映画」を研究テーマとし、日本映画の観客の反応と内容分析と映画企業分析を行い、各新聞・雑誌に発表した。
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、… 久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。
梅津 栄(うめづ さかえ、1928年〈昭和3年〉7月5日 -… 梅津 栄(うめづ さかえ、1928年〈昭和3年〉7月5日 - 2016年〈平成28年〉8月6日)は、日本の俳優。富山県下新川郡泊町(現・朝日町)出身。身長167cm、体重80kg。本名:梅津 榮(うめづ しげる)。元同人会ミヤプロ、ヒトメディア所属、晩年は芸能事務所DualProduction所属であった。 富山県下新川郡泊町(現・朝日町)出身。 富山県立富山工業学校(現在の富山県立富山工業高等学校)機械科を卒業。 父を亡くし、紡績工場に勤めるが、1951年に俳優を志して上京、舞台芸術学院入学(2期生)。その後、木村功の付き人になる。俳優を目指した動機は「桂木洋子に憧れ、ひょっとしたら共演できるんじゃないかと思ったため」と述べている。
佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3… 佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3日)は、日本の法学者、柔道家。専攻は民法、法社会学。前学校法人国士舘理事長。学校法人日通学園学園長。流通経済大学名誉学長。学生柔道の振興にも寄与した。 富山県富山市生まれ。 富山県立富山商業学校、国士舘専門学校を経て、1951年、法政大学法学部卒。 1953年、法政大学大学院(旧制)修了。指導教授は薬師寺志光。 大学院修了後、法政大学短期大学部商経科講師(法政大学柔道部監督と兼任)を経て、1965年流通経済大学の開学に伴い経済学部助教授、1969年教授。 1974年、46歳の時、流通経済大学学長に就任し、2001年3月まで、9期27年務める。
中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 201… 中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 2018年6月24日)は、日本の政治家。富山県知事(6期)。 富山県富山市出身。旧制富山高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、地方自治庁(後の自治省、現在の総務省)に入庁。富山県総務部長、同県教育長、消防大学校校長、消防庁防災救急課長、石川県経済部長、北陸新幹線建設促進同盟会長を歴任。 1980年、当時の知事中田幸吉急死により行われた富山県知事選に立候補し初当選。以後、「健康・スポーツ」「花と緑」「科学・文化」の「三つの日本一」への挑戦を掲げた住みよい県作り等を推進。「いい人いい味いきいき富山」観光キャンペーンを展開したほか、富山空港のジェット化、北陸新幹線や北陸自動車道など交通インフラの整備、高志リハビリテーション病院(現・富山県リハビリテーション病院・こども支援センター)の開院、ジャパンエキスポ富山や2000年とやま国体の誘致、テレビユー富山(現・チューリップテレビ)の開局にも力を注いだ。
森丘 金太郎(もりおか きんたろう、1927年7月24日 -… 森丘 金太郎(もりおか きんたろう、1927年7月24日 - 2010年4月6日)は、富山県黒部市出身の地方公務員。位階は正五位。勲三等瑞宝章受章。 黒部市の旧家である森丘家に生まれた。1950年(昭和25年)、東京大学経済学部卒業。衆議院議員や富山県議会議長を務めた森丘覚平は祖父。衆議院議員や法務大臣を務めた長勢甚遠はいとこ。黒部市長の寺田初夫は義おじ。富山県庁に勤務し、吉田実、中田幸吉、中沖豊、3代の富山県知事のもと、富山県農業水産部長、富山県教育長、富山県出納長を歴任した。 1991年(平成3年)、第2代富山県立近代美術館友の会会長に就任した。1999年、勲三等瑞宝章を受章。2010年(平成22年)4月6日、心不全のため死去。
清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2… 清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2008年10月11日)は、洋画家、日本芸術院会員。 富山県砺波市出身。辻永、新道繁に師事し、1959年日展特選、1994年日展内閣総理大臣賞、日展常務理事、顧問。2002年日本芸術院賞・恩賜賞、芸術院会員。光風会常務理事。花と鶏を描く。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1… 安田 修三(やすだ しゅうぞう、1927年5月21日 - 1994年2月2日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 富山県富山市出身。中央大学法学部卒。1948年富山重工労組書記長、1951年富山県労協オルグ、1961年富山県労協組織部長、1966年全国一般富山地本委員長、翌年全国一般中執、1972年同副委員長を経て、1979年の総選挙で旧富山1区から立候補して初当選、4期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退する。 1994年2月2日。死去。66歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。