鈴木 秀(すずき しゅう、1990年9月17日 - )は、日… 鈴木 秀(すずき しゅう、1990年9月17日 - )は、日本の男性実業家兼モデルであり株式会社ホリプロデジタルエンターテインメントの代表取締役社長。及び山梨県顧問。 山梨県生まれ。山梨県立甲府昭和高等学校卒業。最終学歴は山梨大学大学院修士課程。学生時代から起業していた。過去に動画投稿で様々な媒体で 活動していた。 人気YouTuberのヒカルなどが所属していた株式会社VAZの創業者、同社取締役副社長。2017年に、辞任及び退職を発表。 2018年株式会社ホリプロデジタルエンターテインメントを創業 2020年株式会社ホリプロデジタルエンターテインメント代表取締役社長に就任。 TikTokフォロワー数1,000万人超の景井ひなをはじめとする多数のデジタルクリエイターのプロデュースを手がける。
内藤 聡(ないとう さとる、1990年4月17日 - )は日… 内藤 聡(ないとう さとる、1990年4月17日 - )は日本出身の起業家、経営者。山梨県甲府市出身。サンフランシスコ在住。大学卒業後シリコンバレーに渡米し起業。リモートワーク向けの賃貸事業Anyplaceを創業。Uberの初期投資家のジェイソン・カラカニスから出資を受ける。 大学を卒業後渡米。2015年に会社を設立するもいくつかの事業に失敗。2017年にAnyplaceをローンチし、Uberの初期投資家としても知られるジェイソン・カラカニスらから出資を受けた後、現在までに65カ国400都市(2021年5月時点)までサービスを展開している。2018年にForbes 30 Under 30 Japanに選出される。
白坂 翔(しらさか しょう、1984年 - )は、日本の実業… 白坂 翔(しらさか しょう、1984年 - )は、日本の実業家、ウェブデザイナー。株式会社ピチカートデザイン代表取締役。株式会社人狼代表取締役。ボードゲームカフェ『JELLY JELLY CAFE』オーナー、将棋カフェ『COBIN』オーナー。また、マーダーミステリー専門店『Rabbithole』のプロデューサーも務めている。 山梨県甲府市生まれ。防衛大学校に進学し、在学中に大学でプログラミング、独学でウェブデザインのスキルを習得し、防衛大学校を3年で中退。起業資金を集めるために、新宿歌舞伎町でホストとして1年半働く。大学の同期と共同経営者として起業したのち、2010年に株式会社ピチカートデザインを設立し、代表取締役に就任。
加賀見 進(かがみ すすむ、1982年〈昭和57年〉4月22… 加賀見 進(かがみ すすむ、1982年〈昭和57年〉4月22日 - )は、日本の実業家・農業経営者。山梨県山梨市出身。 株式会社PlayestJAPAN代表取締役。 東京、大阪でのサラリーマン生活を経て、2009年に山梨県山梨市で桃農家を継ぐ。以来、地道に作付面積を拡げ、地区屈指の規模を誇る桃農園へと成長させた気鋭の若手農家。2018年からは、高齢化が進む県内果樹農家の将来に危機感を抱く仲間2人と、山梨のプレミアムフルーツを全国に届けるプロジェクトチーム「未来農業 Short Legs Group」を設立。消費者視点の果樹栽培に加え、食育を通じた果樹農業の活性化にも取り組んでいる。 2023年12月、令和の虎『通販版 Tiger Funding』]に出演し、通販の虎ECサイト掲載権を獲得。
柏原 収史(かしわばら しゅうじ、本名同じ、1978年〈昭和… 柏原 収史(かしわばら しゅうじ、本名同じ、1978年〈昭和53年〉12月23日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン、実業家。山梨県甲府市出身。メリーゴーランド所属。 身長174cm、体重65kg。兄は元俳優の柏原崇。 1993年、兄である柏原崇の「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の最終オーディションを見に来ていたところをスカウトされ、芸能界入り。当時の所属事務所は「トライストーン・エンタテイメント」。 1994年、テレビドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』で俳優デビュー。 1998年、読売テレビ制作のテレビドラマ『凍りつく夏』で、幼児期に親より虐待を受けたために、成長してからもそのトラウマから脱却できない少年の役を演じる。
水上 篤(みずかみ あつし、1978年〈昭和53年〉6月8日… 水上 篤(みずかみ あつし、1978年〈昭和53年〉6月8日[要出典] - )は、山梨県山梨市出身の日本の実業家、農業法人経営者、建築家、著作家(書籍・動画)、投資家、発明家[要出典]である。 大学を卒業し、C+A(Coelacanth and Associates)での勤務を経て、26歳でアメリカのニューヨークに渡った。建築設計事務所「Rafael Viñoly Architects」で経験を積み、2007年に自身の会社を立ち上げた。 帰国後の2009年にぶどう観光農園をリニューアルスタートさせ、2010年に農業生産法人株式会社hototoを設立した。週末農業スクールhototoもスタートさせ、卒業生は750名を超えた。
中込 直樹(なかごみ なおき、1978年5月25日 - )は… 中込 直樹(なかごみ なおき、1978年5月25日 - )は、日本の実業家。香港在住。 ウィングファットインターナショナル代表取締役、夢創貿易発展有限公司董事長。 山梨県南アルプス市出身。2015年より地元山梨県のプロサッカークラブ、ヴァンフォーレ甲府のオフィシャルスポンサー(メインスタンドコンコース)、2017年より日本プロ野球選手会ベースボールクラシック山梨大会の冠協賛を行っている。 東北大学 (中国)法学部卒業後、キャラクターライセンスを扱う香港日系商社に勤務。2007年、ウィングファットインターナショナル創業。キャラクターを使用した玩具や雑貨、ベビー商品の企画製造を得意とし、2018年、販売会社Dream Creation Trading Co.,Ltd を立ち上げる。
関野 吉記(せきの よしき、1977年〈昭和52年〉4月14… 関野 吉記(せきの よしき、1977年〈昭和52年〉4月14日 - )は、日本の実業家。ブランディング企業「イマジナ」代表取締役社長。山梨県出身。15歳からアメリカに留学し、その後イギリスへ。ヨーロッパで演出を手がける。その後、投資部門出向、アジア統括マネージャーなどを歴任。日本企業の海外進出において、その多くが製品力だけに頼って失敗するケースを目の当たりにし、バックストーリーを伝える力の重要性を痛感する。現在、企業の文化や独自性を明文化し社内外へ伝えていくことで、企業価値の最大化を支援している。 1977年、山梨県甲府市出身。甲府市立春日小学校、甲府市立西中学校を経て、15歳で渡米し米国の高校やLondon schoool of actingを卒業。
中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は… 中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員・一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事・観光庁「アドバイザリー・ボード」メンバー・株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY代表取締役。 日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。FIFA100選。アジア年間最優秀選手賞2回。イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章。U-17世界選手権(現在のU-17W杯)、ワールドユース(現在のU-20W杯) 、U-23オリンピック 、コンフェデレーションズカップ 、W杯 、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた唯一の日本人選手。
服部 京子(はっとり きょうこ、1976年9月29日 - )… 服部 京子(はっとり きょうこ、1976年9月29日 - )は、実業家、フリーアナウンサー。 山梨英和高等学校、玉川大学文学部卒業後、1999年4月からNHK長野放送局の契約キャスターを3年間務める。その後新潟テレビ21、福島放送、テレビ金沢、琉球放送のアナウンサーを歴任。2007年5月に琉球放送(RBC)のアナウンサー契約が終了した後は、RBCiラジオでパーソナリティを務めている。現在は、琉球朝日放送の夕方の番組内、旬感Qアプリのコーナー、旬のアジア情報を紹介する「旬感アジア」のコーナーホストで台湾をはじめ、アジアの各地からリポートしている。 2014年12月から、海外テレビ局への番組販売会社「Asia&Nippon TV Communications」を設立し、代表取締役社長として活動している。
立川 光昭(たちかわ みつあき、1976年8月6日 - )は… 立川 光昭(たちかわ みつあき、1976年8月6日 - )は、日本の実業家。 山梨県上野原市出身。教育熱心な両親の意向で中学受験をして東京都内の私立中学校に進学、さらにサッカー選手志望から埼玉県のサッカー名門高校(どの高校か不明)に進んだものの、自営だった両親の家業が不振となったため、都立高校に転校した。しかしサッカーをするには不十分な環境だったことから高校を中退してサッカー選手を目指す。Jリーグチームと契約を結んだが(どのチームかは不明)、19歳の時に膝の負傷により引退する。チーム在籍中は練習生止まりだった。 当人のインタビューではサッカーチームを解雇された後はしばらく職がなく、偶然譲ってもらった廃棄オートバイが売れたことから、中古バイクのリサイクル販売を始め、11店舗にまで成長させたが、経営の基礎を知らないと痛感し、ヘッドハントされる形でイスラエルに本社を置くいわゆるユダヤ系商社に入社した(何という会社かは不明)。
奥秋 泰男(おくあき やすお、1965年11月2日 - )は… 奥秋 泰男(おくあき やすお、1965年11月2日 - )は、日本の演出家、映画監督、CMディレクター、実業家である。 桑沢デザイン研究所卒業後、広告代理店勤務を経て、1999年に株式会社ヌーヴォを設立し、代表に就任。 大手企業のプロモーション映像からミュージッククリップやCMなど数多くの作品を手掛ける。 2015年、劇場映画「かぐらめ」にて長編監督デビュー。 2021年、劇場映画「藍に響け」にて長編2作目監督 2021年、株式会社ナチュラルキャンバス設立、代表に就任 2021年、山梨県都留市にワーケーショングランピング施設THE FOREST設立 ■劇場映画「かぐらめ」 ・第39回モントリオール世界映画祭 ・第24回セントルイス国際映画祭 ・Japan Film Fastival Los Angels 2015 ・Canada Film Fe stival 2016 Royal Reel Winners ■劇場映画「藍に響け」 ・第24回上海国際映画祭 ・28th キネコ国際映画祭 国際審査員ティーンズ部門長編グランプリ
池谷 貴行(いけや たかゆき、1963年 - )は、日本の実… 池谷 貴行(いけや たかゆき、1963年 - )は、日本の実業家。ティーサーブ創業者であり、代表取締役社長。 山梨県甲府市出身。長野県茅野市育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1年浪人して早稲田大学社会科学部へ進学するが、6年間在籍ののち中退。6年間で取得した単位は38単位。予備校時代、大学時代は数え切れないくらいのアルバイトと、仲間たちとの遊びに明け暮れる毎日を過ごす。 24歳から始めた麹町にあった外資系PR会社のメッセンジャーボーイのアルバイトをする中、効率化を目指し自分で20万円もするイタリア製のロードレーサーをローンで購入。1989年、事務所を構えず日比谷公園でポケベルひとつ持って自転車で待機するというスタイルで個人事業としてバイシクル・メッセンジャーの仕事で独立し、屋号を「東京メッセンジャー・サービス」とする。
牛奥 博俊(うしおく ひろとし、1963年 - )は、日本の… 牛奥 博俊(うしおく ひろとし、1963年 - )は、日本の実業家、株式会社商船三井さんふらわあ代表取締役社長、商船三井グループ執行役員、商船三井専務執行役員。 山梨県甲府市出身。山梨県立甲府西高等学校卒業。1986年3月、立教大学卒業。同年4月、大阪商船三井船舶(現・商船三井)に入社。 2021年4月、同社常務執行役員、兼製品輸送営業本部長、2022年4月、専務執行役員。 2023年10月、株式会社商船三井さんふらわあ代表取締役社長に就任。商船三井グループ執行役員も務める。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
堀内 光一郎(ほりうち こういちろう、1960年〈昭和35年… 堀内 光一郎(ほりうち こういちろう、1960年〈昭和35年〉9月17日 - )は、日本の実業家。 富士急行株式会社代表取締役社長、前山梨中央銀行監査役、テレビ山梨会長、山梨経済同友会副代表幹事、富士吉田商工会議所会頭、社団法人日本バス協会元会長、富士五湖観光連盟会長、慶應義塾大学理事・評議員、慶應義塾大学ビジネススクール顧問、日本スケート連盟元理事、日本民営鉄道協会理事、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会理事、根津美術館評議員、山階鳥類研究所評議員、山種美術館評議員、ミズノスポーツ振興財団評議員、日本経済団体連合会審議員、身延山久遠寺信徒総代・前参与、軽井沢会監事、日本ホテル協会監事、恩賜財団母子愛育会(愛育病院運営母体)評議員、日本赤十字社理事、名誉ソムリエ等を歴任。
竹内 宏彰(たけうち ひろあき、本名: 竹内 裕(たけうち … 竹内 宏彰(たけうち ひろあき、本名: 竹内 裕(たけうち ゆたか)、1960年5月1日 - )は、日本のアニメプロデューサー、実業家。 山梨県甲府市出身。山梨大学教育学部附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校卒業後、慶應義塾大学商学部に進学。卒業後は集英社週刊ヤングジャンプ編集部に契約スタッフとして入社(雑誌の企画としてファミコン名人ミスターXを演じる)。1988年株式会社シンクを設立。同社代表取締役社長に就任。同じく1988年にSONYから発売された世界初のゲーム(ビデオマガジン)GTVに「ミスターX」として出演した。1998年、株式会社シンクのマーチャンダイジング事業部を分割し、伊藤忠商事、アサツー ディ・ケイ、スペースシャワーネットワーク、シンクの出資により、コミックス・ウェーブを設立、同社代表取締役に就任。
飯島 三智(いいじま みち、1958年2月20日 - )は、… 飯島 三智(いいじま みち、1958年2月20日 - )は、日本の芸能マネージャー、実業家。山梨県塩山市(現・山梨県甲州市塩山)出身。株式会社ジャニーズ事務所に所属していた男性アイドルグループ・SMAPの元チーフマネージャーで、同グループの元メンバーのうちの3人が所属している株式会社CULENの代表取締役。 ジャニーズ事務所黎明期から事務所と関係の深い酒井政利の推薦により、同事務所に入社。 SMAPがデビューした当時は事務職として勤務していた。のちにマネージャーに転属。最初は売れずに苦労したが、バラエティ番組など新たな活躍の場を開拓し、彼らの成長に精魂をこめた。その後20年以上に渡り彼らを担当し、SMAPを国民的アイドルに育て上げた。
三森 久実(三森 久實、みつもり ひさみ、1957年(昭和3… 三森 久実(三森 久實、みつもり ひさみ、1957年(昭和32年)11月18日 - 2015年(平成27年)7月27日)は、日本の実業家。大戸屋ホールディングスの創始者で、同社の代表取締役社長や会長などを務めた。兄は東京慈恵会医科大学特任教授の三森教雄。 山梨県山梨市出身。生家は観光ブドウ園で、15歳の時に東京・池袋で「大戸屋食堂」を経営していた叔父・栄一の養子に入った。幼少期から野球を続けており、強豪校の帝京高等学校へ進んで甲子園を目指したが、卒業時にプロ球団からの指名を得られなかった。このため、野球をやめて大学へは進学せずに就職する道を選んだ。叔父の人脈により帝国ホテルで働くことが決まっていたものの、その前段階として新宿の洋食屋でコックの見習いとなり、1976年に株式会社フローラフーズへ入社。
佐野 公哉(さの きみや、1955年3月8日 - )は、日本… 佐野 公哉(さの きみや、1955年3月8日 - )は、日本の実業家。片倉工業株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 山梨県出身。山梨県立日川高等学校を経て、1977年明治大学農学部卒業、片倉工業入社。総務部長を経て、2010年執行役員小売事業部長に昇格。2011年執行役員経理部長。2013年常務取締役。2015年から第15代代表取締役社長を務め、M&Aによる新事業への進出や、コクーンシティの運営・開発にあたるなどした。2019年代表取締役会長に就任。
鶴田 東洋彦(つるた とよひこ、1955年 - )は、日本の… 鶴田 東洋彦(つるた とよひこ、1955年 - )は、日本のジャーナリスト、元産経新聞社常務取締役、元サンケイ総合印刷代表取締役社長、元日本工業新聞社代表取締役社長、元記者。 1955年、山梨県甲府市生まれ。1979年3月、立教大学経済学部卒業。産業紙を経て1997年に産経新聞社に入社。大阪本社編集局経済部長、東京本社編集局次長、編集局編集長、取締役西部代表、常務取締役、サンケイ総合印刷代表取締役社長、日本工業新聞社(フジサンケイビジネスアイ)代表取締役社長。2024年6月まで産経新聞社顧問を兼務しながらコンプライアンス・アドバイザーを務めた。 記者時代は主に経済部に所属、エネルギー、自動車、金融、鉄鋼・素材、財界担当などを歴任した。
内藤 久夫(ないとう ひさお、1954年〈昭和29年〉2月2… 内藤 久夫(ないとう ひさお、1954年〈昭和29年〉2月25日 - )は、日本の政治家、実業家。山梨県韮崎市長(2期)。父親は1978年から4期韮崎市長を務めた内藤登。 山梨県韮崎市出身。山梨県立韮崎高等学校卒業。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。日立金属に就職後、1980年(昭和55年)、家業の段ボール製品製造業、内藤製材所(現・株式会社内藤)に入社。1987年(昭和62年)、同社社長に就任。 2012年(平成24年)5月、韮崎市商工会長に就任。 2014年(平成26年)11月9日告示、11月16日投票の韮崎市長選挙に無投票で初当選した。11月28日、市長就任。 2018年(平成30年)、無投票で再選。
福田 修二(ふくだ しゅうじ、1951年12月20日 - )… 福田 修二(ふくだ しゅうじ、1951年12月20日 - )は、日本の実業家。太平洋セメント代表取締役社長を経て、同社取締役会長、サッポロホールディングス取締役。元セメント協会会長。 山梨県白根町(現南アルプス市)出身。父は俳人の福田甲子雄。山梨県立巨摩高等学校を経て、1974年福島大学経済学部卒業、小野田セメント(現太平洋セメント)入社。経理部長、北陸支店長を経て、2008年執行役員人事部長。2010年取締役常務執行役員。 2012年から太平洋セメント代表取締役社長を務め、中期経営計画を進め、財務体質強化や、グローバル化にあたった。 2016年セメント協会会長。2018年新規中期経営計画の開始を機に太平洋セメント取締役会長に退いた。
吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年〈昭和25年〉1月… 吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年〈昭和25年〉1月8日 - )は、日本の男性漫画家、同人作家、実業家。 娘は漫画家の大月悠祐子(かなん)。義理の息子(悠祐子の夫)は漫画家の大井昌和。 山梨県山梨市出身、父親はギャンブル狂いの果てに失踪したため母子家庭で育つ。 山梨県立日川高等学校に進学、高校在学時より同人作家として活動を開始し、貝塚ひろしが主催する同人誌「まんがマニア」に漫画を投稿。高校卒業後に弟と母に向かって「絶対マンガ家になる」と発して旅立ち、上京。貝塚に師事する。なお、高校での1年後輩にプロレスラーのジャンボ鶴田がいた。 1970年(昭和45年)、貝塚の紹介で『週刊少年ジャンプ』に『ど根性ガエル』の読切り(吉沢 保己名義)を投稿。
土橋 昭夫(どばし あきお、1949年〈昭和24年〉1月2日… 土橋 昭夫(どばし あきお、1949年〈昭和24年〉1月2日 - )は、日本の実業家。双日株式会社元会長。
赤池 卓(あかいけ たかし、1947年8月6日 - 2023… 赤池 卓(あかいけ たかし、1947年8月6日 - 2023年7月22日)は、日本の元実業家、レーシングドライバー。 山梨県甲府市(旧中道町)6人兄弟の次男として生まれる。生家は農業と給油取扱所を運営していた。旧山梨工業高等高校を卒業後、マツダオート山梨に整備工として就職。その後、家業に従事する一方で国内のジムカーナに参戦し、本格的な国内外レース活動に移行した。 レース活動を継続していく上でマツダオート山梨、ダンロップ、スタンレー電気、エンケイ、Benihanaとの長年関係が深かった。特にマツダからエンジン、車体供給を受けながら、富士グランチャンピオンレース(富士GC)、耐久シリーズ、ツーリングカー選手権などのカテゴリーに参戦。
三浦 和義(みうら かずよし、1947年〈昭和22年〉7月2… 三浦 和義(みうら かずよし、1947年〈昭和22年〉7月27日 - 2008年〈平成20年〉10月11日)は、山梨県出身の元実業家、随筆家、タレント、俳優。 タレント事務所のアルファ・ジャパンプロモーションに所属していた。身長181 cm、体重78 kg。株式会社エヌジーユー代表取締役であったが、死後に長男が就任した。この時の最終決算では、資産5億を超えていた。父方の叔母に元女優・映画プロデューサーの水の江瀧子がいる。いわゆる「ロス疑惑」が取り沙汰されたことで知られる。 父は建築会社に勤める土木技師、母は料亭の娘。母の疎開先の山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市)で生まれ、幼い時期を北海道で過ごしたのち千葉県市川市で育つ。
望月 清賢(もちづき せいき、1947年(昭和22年)6月3… 望月 清賢(もちづき せいき、1947年(昭和22年)6月30日 - )は、日本の実業家・石材会社である差出石材の元社長、政治家・前山梨市長(1期)、元山梨県議会議員(4期)、元山梨市議会議員(3期)。山梨市職員採用を巡る不正事件で、有罪が確定している。 山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校卒業。1974年(昭和49年)、金沢工業大学工学部卒業。父親が経営する差出石材に就職。 1983年(昭和58年)、旧山梨市の市議会議員選挙に初当選。3期務めた。1999年(平成11年)、亡くなった父親の後を継いで差出石材の社長になった。 2002年(平成14年)7月20日に行われた山梨県議会議員補欠選挙に出馬し初当選。
石井 由己雄(いしい ゆきお、1947年(昭和22年)1月9… 石井 由己雄(いしい ゆきお、1947年(昭和22年)1月9日 - )は、日本の政治家、実業家。元山梨県大月市長(3期)。 1947年(昭和22年)、山梨県北都留郡大月町(現在の大月市)に生まれる。山梨県立都留高等学校卒業(落語家の三遊亭小遊三と同期に当たる)。1969年(昭和44年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、石井工業株式会社に就職。1988年(昭和63年)9月、同社の代表取締役社長に就任。2003年(平成15年)5月、社団法人山梨県建設業協会会長に就任。2007年(平成19年)5月、同協会の会長を退任。6月、石井工業株式会社を退社。 2007年7月1日に行われた大月市長選挙に出馬し初当選。
小林 喜光(こばやし よしみつ、1946年11月18日 - … 小林 喜光(こばやし よしみつ、1946年11月18日 - )は、日本の実業家。東京電力ホールディングス取締役会長、日本生産性本部会長。元三菱ケミカルホールディングス代表取締役会長、元経済同友会代表幹事。山梨県南アルプス市生まれ。 2019年12月15日、小林はNHK日曜討論で、博士後期課程の大学院生や若手研究者の減少、日本の科学研究の在り方について、自らも大学院出身であるにもかかわらず、「大学院はモラトリアム」、「ガッツが必要」などと発言した。 ウィキメディア・コモンズには、小林喜光に関するカテゴリがあります。
武田 信彦(たけだ のぶひこ、1945年2月28日 - )は… 武田 信彦(たけだ のぶひこ、1945年2月28日 - )は、日本の実業家。テンヨ武田代表取締役社長。山梨県食品工業団地理事長。元山梨県公安委員会委員長。 山梨県甲府市生まれ。武田信虎は先祖。山梨県立甲府第一高等学校を経て、一橋大学商学部を卒業し、総合商社に入社。結婚後ロサンゼルスの大学院への留学を経て、1970年武田食糧入社。 1986年武田食糧代表取締役常務。1990年武田食糧専務取締役。1992年山梨県卸酒販組合副理事長。1994年東京ビール卸組合山梨県支部長。1996年から分社化されたテンヨ武田代表取締役専務兼武田食品代表取締役専務。1999年テンヨ武田代表取締役副社長。 2004年テンヨ武田代表取締役社長。
佐野 嘉彦(さの よしひこ、1945年1月16日 - )は、… 佐野 嘉彦(さの よしひこ、1945年1月16日 - )は、日本の実業家。ニプロ創業者佐野實の甥で、同社第2代代表取締役社長を務める。 山梨県南巨摩郡身延町出身。農家の長男として生まれる。1968年大阪市立大学工学部卒業、日本硝子繊維(現日本板硝子)入社。1975年ニプロ入社。1993年取締役営業副本部長に昇格。2000年取締役営業本部長。2001年取締役国内事業部副事業部長。2006年常務取締役国内事業部長。2012年から代表取締役社長を務め海外事業の強化を進めた。
早河 洋(はやかわ ひろし、1944年1月1日 ‐ )は、日… 早河 洋(はやかわ ひろし、1944年1月1日 ‐ )は、日本のディレクター、プロデューサー、実業家。株式会社テレビ朝日ホールディングス代表取締役会長、株式会社テレビ朝日取締役会長、一般社団法人日本民間放送連盟会長。東映株式会社社外取締役、朝日放送株式会社社外取締役、公益財団法人朝日新聞文化財団評議員、東映アニメーション株式会社社外取締役を歴任した。 山梨県笛吹市(旧・一宮町)出身。山梨県立日川高等学校を経て、中央大学法学部卒業。テレビ朝日の前身である株式会社日本教育テレビ(NETテレビ)に入社。「ANNニュース」を始めとして主に報道畑を歩む。1980年には轡田隆史、内田忠男、安藤優子をキャスターに起用した『BIG NEWS SHOW いま世界は』のディレクターを務め、1983年からは筑紫哲也の『TVスクープ』等も担当。
町田 東(まちだ あずま、1941年9月7日 - )は、日本… 町田 東(まちだ あずま、1941年9月7日 - )は、日本の経営者。永谷園社長を務めた。山梨県出身。 1960年に山梨学院大学附属高等学校を卒業し、同年に永谷園本舗に入社。1990年に取締役に就任し、1994年に常務、1996年に専務、2002年に副社長を経て、2008年6月に社長に就任。2012年4月に副会長に就任。なお、同社では初の創業者親族外の社長就任となった。
桑原 耕司(くわばら こうじ、1941年 - )は、日本の実… 桑原 耕司(くわばら こうじ、1941年 - )は、日本の実業家。昭和63年9月株式会社希望社を設立。現在、代表取締役会長。 建築主の側に立ち、建築主と一体となって建築を行うサービス『JCM(日本型コンストラクション・マネジメント)』を提唱。2003〜2009年長野県 公共工事 入札等検討委員会委員。「建築基準法再改正を実現する会」発起人の一人。
坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日… 坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本の実業家。 山梨県甲府市出身。ブックオフコーポレーション創業者(同社代表取締役社長→会長を歴任)。その後、俺の株式会社を創業し、同社名誉会長。 経営哲学などにおいて、京セラ創始者の稲盛和夫の影響を多大に受けている実業家のひとり。稲盛の提唱する「6つの精進」などを経営理念に取り入れている。 大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と慶應義塾大学落語研究会に所属。
平野 幸久(ひらの ゆきひさ、1938年2月25日 - )は… 平野 幸久(ひらの ゆきひさ、1938年2月25日 - )は、日本の経営者。中部国際空港社長、会長を務めた。山梨県甲府市出身。 1961年に東京大学工学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1990年9月に取締役に就任し、1996年6月に関東自動車工業副社長、1997年6月に同社社長を歴任し、1998年4月には中部国際空港社長に就任。2007年6月に会長に就任。 2012年4月に旭日中綬章を受章。
西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12… 西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12月19日 - )は、日本の実業家。東芝名誉顧問。
齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日… 齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2024年〈令和6年〉8月10日)は、日本の実業家。シャトレーゼホールディングス創業者。 1934年、山梨県東山梨郡勝沼町(現:甲州市)生まれ。山梨県立日川高等学校卒業。1954年に今川焼き風の焼き菓子店「甘太郎」を出店し、創業。1959年に有限会社甘太郎を設立し、代表取締役に就任。1964年に大和アイス株式会社を設立し、1967年に2社を合併して株式会社シャトレーゼを設立。代表取締役に就任し、2008年に会長に昇格。2010年に株式会社シャトレーゼを株式会社シャトレーゼホールディングスに商号変更し、代表取締役社長に。2018年社長職を次女の齊藤貴子に譲り、同社の会長に。
廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年… 廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年9月16日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。 山梨県甲府市出身。1955年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年2月に社長に就任。1998年7月に取締役相談役に就任。 2023年9月16日老衰のために死去。91歳没。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日… 堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日 - 2016年〈平成28年〉5月17日)は、日本の政治家、実業家。血液型AB。 衆議院議員(10期)、富士急行株式会社会長、労働大臣(第51代)、通商産業大臣(第60代)、自由民主党総務会長(第43代)を歴任した。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 山梨県東八代郡御坂町(現笛吹市)出身。富士急行創業者一族の出身で、祖父、父ともに衆議院議員。生誕地は当時父・一雄が関東軍参謀として赴任していた関東州旅順。誕生時は元日だった為産婆がおらず、隣家に住む石原莞爾の妻が代わりに取り上げたという。父の転任に伴い奉天、新京、安東の日本人小学校に通った。
小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9… 小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9日 - 2001年(平成13年)2月18日)は、日本の実業家である。 歌人、小説家、実業家の小佐野彈は血縁上の孫であり、養子。 1982年(昭和57年)、国際興業第四代社長に就任。1986年(昭和61年)、急逝した創業者小佐野賢治の全事業を継承し、グループ総裁となる。 「北海道いすゞ」「馬門温泉」「秋北ホテル」「十和田観光電鉄」「花巻温泉」を任され、一か月の半分は北海道、残り半分は東北というハードスケジュールで、賢治の信頼を勝ち取った。 身長178センチで、当時としては背が高く体操の時は常に先頭であった。 山梨県勝沼町生まれ。幼い頃は家で水田と養蚕をしていた。
辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7… 辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県庁職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役社長・会長を歴任し、現在は同社の名誉会長。 1960年8月の創業以来、2020年6月までサンリオの社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦は孫。 サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1… 川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1986年10月18日)は、日本の実業家。山梨県建設業協会会長、山梨県サッカー協会会長。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブの創始者でもある。 山梨県北巨摩郡若神子村(現在の北杜市須玉町)生まれ。父の川手良雄は小学校長や無尽会社の支店長などを歴任した。長兄の川手良親は山梨県土木部長や須玉町長を務めた。良雄の従姉の夫は、昭和初期に衆議院議員を務めた川手甫雄 。 旧制甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校、以下「甲府一高」と記述)に進学しサッカー部に所属していた。山梨高等工業学校(現在の山梨大学工学部)を卒業後、山梨県土木課に勤務した。
小佐野 賢治(おさの けんじ、1917年(大正6年)2月15… 小佐野 賢治(おさの けんじ、1917年(大正6年)2月15日 - 1986年(昭和61年)10月27日)は、日本の実業家。国際興業グループ創業者。 戦時体制下では軍需省に取り入って蓄財し、日本の敗戦後には駐留外国人相手の事業で成功した。また、運輸・観光事業も手広く行い、日本国内の有名ホテルを複数買収したほか、ハワイの観光資源にいち早く注目してワイキキの名門ホテルを多数手中にするなどして、「ホテル王」と呼ばれたこともある。 また、後の内閣総理大臣・田中角栄との関係が「刎頸の友」と言われるなど有力な政商として知られ、政財界と暴力団の橋渡しを行っているなどとの噂から、「裏世界の首領」、「黒幕」などと揶揄されることもあった。
川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986… 川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986年8月22日)は、日本の新聞記者、会社経営者。名古屋放送株式会社代表取締役社長、会長。全国朝日放送取締役。 山梨県北杜市(旧須玉町若神子)出身。父は、昭和初期に立憲政友会所属で山梨県選出の衆議院議員だった川手甫雄。兄は、山梨トヨタ自動車社長やテレビ山梨取締役を務めた川手淳一。弟は、日軽アルミニウム工業専務を務めた川手雄三。 山梨県立甲府中学校、日本大学法学部卒業。大学卒業後の1936年に朝日新聞社に入社。社会部の事件記者として鳴らし、警視庁キャップを務めた。1961年に東京本社特信部長に就任。 1962年4月、名古屋放送の開局に際して放送界に転じ、取締役東京支社長に就任。
武藤 欣之助(むとう きんのすけ、1910年〈明治43年〉3… 武藤 欣之助(むとう きんのすけ、1910年〈明治43年〉3月25日 - 没年不明)は、日本の実業家。広正社創業者。 山梨県東山梨郡平等村上岩下(現・山梨市上岩下)出身。1931年、20歳で広正社を個人創業。各種看板の製作、屋外広告、浴場広告を主として取扱う。 1953年、有限会社に改組する。1955年、株式会社組織に改める。宣伝自動車、交通広告の方面に進出する。 京成電鉄広告会会長、東京都浴場広告連盟理事、広正社社長、東京浴場組合理事、京成懇談会会長などをつとめる。 趣味は旅行。住所は東京都葛飾区青戸6丁目。本籍は山梨県山梨市上岩下。 1969年5月に税務署に於て発表した年間所得500万円以上の高額所得者の名簿である『全国高額所得調 昭和44年度版』に武藤欣之助(広告宣伝業)が掲載されている。
山本 三郎(やまもと さぶろう、1909年(明治42年)11… 山本 三郎(やまもと さぶろう、1909年(明治42年)11月17日 - 1997年(平成9年)10月15日)は、日本の建設官僚、経営者。工学博士。建設事務次官などを歴任した。 山梨県に生まれる。1933年、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、同年に内務省土木局に就職。関東地方建設局内の各所長などを経て、1956年、建設省河川局長、1960年、建設省技監、1961年、建設事務次官を歴任。1963年に退官した。同年、土木学会会長( - 1964年)に就任。 1964年、三井港湾開発社長となる。1974年、水資源開発公団総裁に就任し、1982年まで在任した。1997年死去。享年87。 治水分野で活躍し、特定多目的ダム法や海岸法、地すべり等防止法、治山治水緊急措置法の制定や、1963年に新河川法が制定される際に中心的な役割を果たした。
小林 甲子郎(こばやし こうしろう、1907年(明治40年)… 小林 甲子郎(こばやし こうしろう、1907年(明治40年)4月7日 - 1989年(平成元年)6月27日)は、昭和期の実業家。京王帝都電鉄(現・京王電鉄)代表取締役社長(第3代)。 山梨県初狩村(現大月市)において、酒造業を営む小林亀麿、ふくの二男として生まれる。二男であるが、兄が早逝したので実質的には長男として育つ。 父亀麿は、初狩村の村長や、北都留郡議会、山梨県議会で議員をつとめ、都留電燈会社(後に東京電力に統合)の社長をつとめた地元の実力者であった。 小林は、山梨県立都留中学校(現・山梨県立都留高等学校)を経て、1931年、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、甲州財閥の縁で、東武鉄道に入社した。
小林 宏治(こばやし こうじ、1907年 <明治40年> 2… 小林 宏治(こばやし こうじ、1907年 <明治40年> 2月17日 - 1996年 <平成8年> 11月30日)は、日本の実業家。元日本電気(NEC)社長、会長。位階は正三位。 山梨県大月市出身。1925年に山梨県立都留中学校(現山梨県立都留高等学校)を卒業した後、旧制松本高校理科甲類、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1929年に日本電気に入社する。常務、専務、副社長を経て、1964年社長となる。小林が社長の時代に、NECは通信とコンピュータ、半導体を主軸とした総合電器メーカーへと発展し、「NEC中興の祖」と呼ばれた。1976年会長に就任。父親、藤本氏から小林氏に入婿(本姓 藤本氏)[要出典]。