太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 19… 太田 和彦(おおた かずひこ、1905年5月20日 - 1984年7月5日)は、日本の文部官僚、図書館情報学者。図書館短期大学(現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長を務めた。 長野県飯田市出身。旧制長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学文学部哲学科卒業。文部省(現・文部科学省)入省。教科書調査官を務めた。 旧制浪速高等学校教授、群馬大学教授、獨協大学文学部教授を歴任し、1969年図書館短期大学(のちの図書館情報大学を経て、現・筑波大学情報学群知識情報・図書館学類)学長に就任。時代に即した文献情報学科の新設、筑波移転に伴う四年制大学昇格(図書館情報大学)の基礎固めに尽力した。
栗原 美能留(くりはら みのる、1902年(明治35年)7月… 栗原 美能留(くりはら みのる、1902年(明治35年)7月31日 - 1997年(平成9年)4月24日)は、日本の内務官僚。官選高知県知事。
高橋 庸弥(たかはし つねや、1901年(明治34年)5月1… 高橋 庸弥(たかはし つねや、1901年(明治34年)5月10日 - 1970年(昭和45年)2月7日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選鳥取県知事。 長野県諏訪郡玉川村(現茅野市)生まれ。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て第八高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し大分県属となる。 以後、警視庁特別高等警察部第一課長、石川県書記官・警察部長、内務省警保局警務課長、企画院書記官などを経て、大阪府警察局長となる。 1945年4月、鳥取県知事に就任。同年10月、厚生省労政局長に転じ、労働組合法の原案作成に関わった。
青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6… 青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6日 - 1982年〈昭和57年〉4月21日)は、日本の内務・警察官僚、公選初代愛媛県知事(1期)。 長野県更級郡牧郷村(現:長野市)に青木善蔵の三男として生まれる。第二高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県警部となる。 以後、麻布警察署長、六本木警察署長、深川警察署長、西平野警察署長、関東局警務課長、同特別高等警察課長、同警察官教習所長、満州国治安部特務科長、福井県書記官・警察部長、内務事務官、厚生省監理課長、情報局第一部第二課長、首相秘書官、内務省監査官、千葉県書記官・警察部長などを経て、福島県内政部長に就任。
西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5… 西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5月8日)- 1958年(昭和33年)11月24日)は、日本の農林官僚、教育者、政治家。富山県知事、大東文化大学教授、衆議院議員。旧姓・永井。 長野県上水内郡古牧村平林(現長野市)出身。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、松本高等学校理科を経て1923年、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、翌1924年、同大法学部政治学科を卒業。農林省に入り農林属となる。 以後、農林事務官、農林書記官、大阪営林局長、農林省山林局長などを歴任。1944年2月、富山県知事に就任し、同年7月まで在任。農商省農政局長に移り、さらに馬政局長官、農林省開拓局長を務めた。
塩原 時三郎(しおばら ときさぶろう、1896年(明治29年… 塩原 時三郎(しおばら ときさぶろう、1896年(明治29年)2月18日 - 1964年(昭和39年)10月27日)は、日本の逓信官僚、政治家。衆議院議員、通信院総裁・逓信院総裁、官選清水市長。 長野県更級郡八幡村(現・千曲市)出身。和田開蔵の長男として生まれ、山林技師・塩原谷五郎の養子となる。旧制長野中学、第八高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。在学中の1919年(大正8年)4月、国家主義的学生団体興国同志会(国本社の前身)の結成に参画した。 大学卒業後、官界に入り逓信局書記兼逓信属・東京逓信局兼電気局勤務となる。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。
大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990… 大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990年7月5日)は、日本の官僚。 長野県東筑摩郡山形村生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。農商務省から1925年衆議院書記官に転じ、1945年書記官長を経て、1947年新憲法下での初代衆議院事務総長となった。1956年から1962年まで土地調整委員会委員長を務めた後、西武グループの株式会社「池袋地下駐車場」に転じ、1966年同社長。同年従四位勲一等瑞宝章を受勲した。
早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21… 早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21日 - 1970年(昭和45年)8月4日)は、日本の内務官僚。官選県知事、海軍司政長官。 長野県出身。早川繁夫の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部を卒業。1921年、貴族院に入り貴族院属となる。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。 1923年4月、内務省に転じ警視庁属となる。以後、警察署長、警視庁事務官、同消防部長、長崎県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長などを経て、1939年4月、熊本県総務部長に就任。 1941年1月、沖縄県知事に就任。標準語・国民礼法励行運動、南進政策、翼賛壮年団の結成、食糧増産などを推進した。
近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日… 近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日 - 1977年8月15日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 長野県埴科郡屋代町(現:千曲市屋代)において、農業・旅館業、近藤万五郎・たか夫妻の長男として生まれる。4歳で母と死別。県立長野中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1919年(大正8年)10月、高等試験行政科試験に合格。1920年(大正9年)8月、内務省に入り鳥取県属となり内務部に配属。以後、鳥取県警視・警察部勤務、奈良県警察部保安課長、青森県警察部保安課長、北海道庁土木部土地改良課長を歴任。北海道庁在任中の1927年(昭和2年)6月、文官分限令第11条第1項第4号により休職を命ぜられ帰郷した(逸話を参照)。
保良 せき(ほら せき、1893年5月15日 - 1980年… 保良 せき(ほら せき、1893年5月15日 - 1980年10月6日)は、日本の看護師、厚生官僚、幼稚園経営者である。日本の訪問看護、公衆衛生、保育事業の先駆者の1人である。 長野県飯田市出身。東京市の東京慈恵医院看護婦教育所卒業後、1921年に女性伝道師として渡米。アメリカ合衆国コロラド州の看護師資格を得る。コロラド病院看護学校、コロンビア大学などで学び、ニューヨーク市で公衆衛生看護やセツルメントの訪問看護に携わる。 1929年に帰国後は大阪市の「大阪朝日社会事業団」(朝日新聞社)の「公衆衛生訪問婦協会」で主任として働きつつ、1931年から1943年まで看護専門雑誌「看護婦」を発刊し続けた。
小林 次郎(こばやし じろう、1891年(明治24年)8月1… 小林 次郎(こばやし じろう、1891年(明治24年)8月13日 - 1967年(昭和42年)7月2日)は、日本の内務官僚。位階は正三位。貴族院書記官長、貴族院勅選議員、参議院事務総長。 1891年長野県上水内郡高岡村(現飯綱町)に小学校教員の父小林頼利、母ときの次男として生まれる。当時小林家は家屋の一部を高岡村役場庁舎として貸していたので、次郎は「村役場に生まれた子」であった。また次郎が高岡尋常小学校(飯綱町立牟礼小学校)に通っていた9歳の時、父頼利が校長に着任したため「村の校長先生の子」ともなった。城山尋常高等小学校(長野市立城山小学校)から旧制長野中学校(長野県長野高等学校)へ進学。一年先輩には青木一男(大蔵大臣)、一年後輩には栗林忠道(陸軍大将)がいた。
平沢 要(ひらさわ かなめ、1891年〈明治24年〉4月11… 平沢 要(ひらさわ かなめ、1891年〈明治24年〉4月11日 - 1957年〈昭和32年〉5月25日)は、日本の逓信官僚。 長野県上伊那郡西春近村(現・伊那市)出身。旧制第一高等学校を経て、1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。逓信省に入り、為替貯金局書記、同事務官補・逓信事務官補、電気局事務官、逓信省参事官・大臣官房文書課勤務、逓信書記官・電気局監理課長、同業務課長、大臣官房文書課長、広島逓信局長を歴任。1936年(昭和11年)、逓信省電務局長・逓信官吏練習所長となり、翌年には逓信次官に就任した。 退官後は中支那振興株式会社副総裁に就任し、1943年(昭和18年)まで在任した。
青木 一男(あおき かずお、1889年〈明治22年〉11月2… 青木 一男(あおき かずお、1889年〈明治22年〉11月28日 - 1982年〈昭和57年〉6月25日)は、日本の大蔵官僚・政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 貴族院議員(勅選)、参議院議員(4期)、大蔵大臣、大東亜大臣などを歴任。 長野県更級郡牧郷村(現:長野市)で農家・青木善蔵の長男として生まれる。高等小学校卒業後は農業に従事して母と祖母の手助けをするつもりでいたが、出奔していた父親から「学資を送るので進学せよ」との手紙が届き、長野中学校(現:長野県長野高等学校)に進学する。のち第一高等学校を経て、1916年(大正5年)に東京帝国大学法学部を卒業し、大蔵省に入省する。 入省後、預金部運用課長、蔵相秘書官兼秘書課長、理財局国庫課長に就任。
鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 198… 鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 1987年5月28日)は、日本の土木工学者、内務官僚。元日本大学教授。土木工学・港湾工学の研究に業績を上げる。1927年工学博士(九州帝国大学)。 長野県松本市生まれ。1908年旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)卒業、1911年第八高等学校卒業、1914年九州帝国大学土木工学科卒業。1914年内務省に入り、鉄道技師、土木局技術課長、内務技監を務める。 1930年日本大学旧工学部教授、1944年土木学会会長。1945年内務省を退官し、日本発送電の技術顧問となる。1947年から東京大学講師を兼任、1952年日本大学国土総合開発研究所長。1964年港湾審議会長、チリ津波対策審議会長、1968年日本港湾協会長などを歴任。
青木 春好(あおき しゅんこう、1887年(明治20年)3月… 青木 春好(あおき しゅんこう、1887年(明治20年)3月19日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の官吏。東京市江戸川区長。 青木丑松の四男として長野県東筑摩郡、のちの錦部村(四賀村を経て現松本市)に生まれる。小学校を経て、松本中学校に学ぶ。日本大学法律科に入学するが、中途退学する。1909年(明治42年)裁判所書記試験に合格し、東京府属となり、1923年(大正12年)南葛飾郡長を拝命する。ついで北豊島郡南千住町助役、1932年(昭和7年)東京市荒川区主事税務課長、1933年(昭和8年)庶務課長を経て、1938年(昭和13年)5月、江戸川区長に就任し、1942年(昭和17年)9月まで務めた。
金井 章次(かない しょうじ、1886年(明治19年)12月… 金井 章次(かない しょうじ、1886年(明治19年)12月1日 - 1967年(昭和42年)12月3日)は、日本の医師、官僚。蒙古聯合自治政府最高顧問。旧姓は倉島。 長野県小県郡住吉村[要出典](神科村を経て現上田市)で、倉島称平の四男として生まれ。旧上田藩士・金井広治の養子となる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、第二高等学校を経て、1913年東京帝国大学医学部卒業。1912年同郷の山極勝三郎の病理学研究室に入り、1914年北里研究所に移籍。1920年ロンドン大学に留学、ついで1922年国際連盟事務局保健部に勤務。日本人の海外における風土馴化を研究し、1924年帰国して慶應義塾大学教授。 1930年南満州鉄道の招きで満州に渡り、満州青年連盟理事長代理となる。
篠原 英太郎(しのはら えいたろう、1885年(明治18年)… 篠原 英太郎(しのはら えいたろう、1885年(明治18年)10月10日 - 1955年(昭和30年)3月7日)は、日本の内務官僚。林内閣の内務次官、官選県知事、京都市長。 長野県木曽郡木祖村出身。篠原武兵衛の五男として生まれる。第三高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り山梨県属となる。1912年11月、文官高等試験に合格した。 以後、石川県理事官、朝鮮総督府殖産局土地改良課長、内務省大臣官房文書課長、同都市計画課長、北海道庁土木部長などを歴任。 1927年5月、山形県知事に就任。1929年10月、文部省普通学務局長に転じた。1931年12月、岡山県知事に就任。
下条 康麿(しもじょう やすまろ、1885年(明治18年)1… 下条 康麿(しもじょう やすまろ、1885年(明治18年)1月20日 - 1966年(昭和41年)4月25日)は、日本の政治家、内務官僚、統計学および社会学者。経済学博士。貴族院議員、参議院議員、吉田茂内閣の文部大臣を歴任した。
金井 清(かない きよし、1884年〈明治17年〉12月7日… 金井 清(かない きよし、1884年〈明治17年〉12月7日 - 1966年〈昭和41年〉4月26日)は、日本の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市上諏訪)に生まれる。諏訪郡立実科中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1903年に第一高等学校に入学。3年次在学中の1905年、市河三喜に代わって動物学者のアンダーソンと行動をともにし、1906年にも協力する。1905年にアンダーソンに随行した際に、奈良県東吉野村鷲家口で、最後のものとされるニホンオオカミの捕獲個体(ただし猟師によりすでに殺されていた)に立ち会っている。
小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、188… 小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、1884年1月6日 - 1976年8月1日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員。農本主義者。 長野県諏訪郡米沢村(現茅野市)に小学校教員の小平邦之助の長男として生まれる。旧制諏訪実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制第一高等学校工科を途中休学。1910年に東京帝国大学農科大学を卒業し、さらに同法科大学政治科に入学。在学中の1913年に高等文官試験に合格し、翌年に卒業した。 農商務省に入り、農政課に配属。農政課小作分室長として石黒忠篤農政課長とともに小作立法に取り組む。1922年に産業組合の主管課である農務課長に就任、産業組合中央金庫の設立に中心的役割を果たした。
三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 … 三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 - 1968年(昭和43年)7月15日)は、日本の文部・内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山形県知事、島根県知事、札幌観光協会長。
五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15… 五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の実業家、政治家、官僚。東急及びその子会社の東急電鉄といった東急グループの事実上の創業者である。正三位勲一等。長野県青木村名誉村民。 長野県の農家に生まれ、東京帝国大学卒業後、官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(後の東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収し、「強盗慶太」の異名を取った。一方、実業家としては優れた経営を行い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の小林一三と並び、「西の小林・東の五島」と称された。
赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27… 赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27日 - 1945年〈昭和20年〉9月10日)は、日本の内務官僚、政治家。静岡県知事、警視総監、貴族院議員。 長野県埴科郡南条村(現・坂城町)出身。赤池七右衛門の長男として生まれる。東京府立一中、第一高等学校を経て、1902年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入り、京都府属となり内務部第一課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1904年5月、内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となり、以後、福島県参事官、同県事務官、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、兵庫県事務官・警察部長などを歴任。 1913年6月、内務省本省に戻り内務書記官に就任。
有賀 光豊(あるが みつとよ、1873年5月23日 - 19… 有賀 光豊(あるが みつとよ、1873年5月23日 - 1949年5月31日)は、日本の官僚。貴族院議員。実業家。 長野県伊那郡南殿村(現上伊那郡南箕輪村)生まれ。 1891年、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業。1894年、東京法学院(現中央大学)英語法律科卒業。志願兵として近衛野戦砲兵連隊に入隊し、日清戦争従軍後、砲兵少尉で除隊。1897年、高等文官試験に合格して大蔵省主税局に入省。長崎税関監視部長、函館税務署長を経て、1906年に韓国政府に聘用され鎮南浦税関長となり、さらに統監府財政監査官、同書記官・監査部長に就任した。その後、朝鮮総督府書記官・関税課長、京畿道内務部長、同第一部長、度支部税関長、朝鮮総督府参事官・事務官などを歴任。
小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1… 小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1869年11月6日〉 - 1945年〈昭和20年〉9月22日)は、明治後期から大正初期にかけての日本の内務官僚・官選県知事、昭和戦前期にかけての弁護士・政治家・実業家である。 現在の長野県須坂市の出身で、政界では衆議院議員(当選2回)、実業界では信濃電気の副社長や長野商工会議所会頭を務めた。 小田切磐太郎は、明治2年10月3日(新暦:1869年11月6日)、小田切豊太郎の長男として生まれた。父・豊太郎は長野県上高井郡須坂町、現在の須坂市の豪商小田切家(屋号は「東糀屋」)の一族で、3代目小田切新蔵の弟にあたる。1875年(明治8年)より須坂の地場産業である製糸業(山ヨ製糸所)を経営していた。
澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(… 澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(慶応元年4月23日) - 1927年(昭和2年)12月24日)は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。子の一人に、美術史学者となった澤柳大五郎がいる。
小林 重威(こばやし しげたけ、万延元年9月23日(1860… 小林 重威(こばやし しげたけ、万延元年9月23日(1860年11月5日) – 1917年(大正6年)2月6日)は、日本の内務官僚。山口県下関市長。 信濃国佐久郡小諸(現在の長野県小諸市)出身。1890年(明治23年)、内務属となり、県治局市町村課長、大分県参事官、福岡県参事官・内務部第一課長、同事務官・第三部長、京都府事務官・第三部長、徳島県事務官・第二部長を歴任した。1908年(明治41年)、韓国政府の応聘により全羅南道書記官に就任。 韓国併合後は下関市長に転じた。退任後、大阪市助役・港湾部長を務めた。
中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年… 中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年1月25日〕 - 昭和4年〔1929年〕7月7日)は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号は「背水」または「背山」で、通称「背水将軍」。 日本初の林学博士の一人で、原敬首相暗殺犯中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。歴史学者の中山久四郎元東京文理科大学教授は養子で、その長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。 信濃国伊那郡高遠城下(現在の長野県伊那市)に儒学者・中村元起(黒水と号す)の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の藩儒の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として開成学校に入学する。
中川 元(なかがわ はじめ、1852年1月7日(嘉永4年12… 中川 元(なかがわ はじめ、1852年1月7日(嘉永4年12月16日) - 1913年9月28日)は明治時代の日本の教育者、文部官僚。第四高等中学校(金沢大学の前身の一つ)、第五高等学校(熊本大学の前身の一つ)、第二高等学校(東北大学の前身の一つ)、仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身の一つ)の校長を歴任した。旧名・孫一郎、号は槐陰。 信濃国飯田城下に信濃飯田藩士中川逸山の長男として生まれる。1871年藩の貢進生に選ばれ大学南校に進み、フランス語を学ぶ。文部省より出向の同校職員九鬼隆一と知遇を得る。1874年文部省に出仕し、外国語学校教授に任じらた。1878年1月にフランスに留学を命じられる。
伊沢 修二(いさわ しゅうじ、旧字体:伊澤、1851年7月2… 伊沢 修二(いさわ しゅうじ、旧字体:伊澤、1851年7月27日(嘉永4年6月29日) - 1917年(大正6年)5月3日)は、日本の教育者、文部官僚。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者である。号は楽石。 信濃国高遠城下(現在の長野県伊那市高遠町)に高遠藩士の父・勝三郎、母・多計の子として生まれる。幼名は八弥。父は20俵2人扶持の低禄の下級武士のため極端な貧乏暮らしだった(事実上1年4人で分け与えなけければならないこととなっている)。 1861年(文久1年)から藩校進徳館で学び、1867年(慶応3年)に江戸へ出府。ジョン万次郎に英語を学ぶ。万次郎が欧米に出張すると、1869年(明治2年)に築地に転居したアメリカ合衆国長老教会の宣教師カラゾルスから英語を学ぶ。
寺田 祐之(てらだ すけゆき、1851年1月27日(嘉永3年… 寺田 祐之(てらだ すけゆき、1851年1月27日(嘉永3年12月26日) - 1917年(大正6年)3月14日)は、日本の内務官僚。鳥取・岡山・宮城・広島の各県知事を歴任した。特に広島県知事在任中、県物産陳列館(現在の原爆ドーム)の設立に関わったことで知られる。 信濃国水内郡飯山に後の旧飯山藩士(長野県士族)寺田覚の長男として生まれ、慶応3年、寺田勘兵衛の養子となり家督を相続。1871年、飯山県文学助教兼学監となり、司法省十二等出仕警視属四等警視に転じた。その後、警察は内務省に移り、兵庫・山梨・香川・広島の各県警部長、新潟県内務部長などを経て1901年(明治34年)4月2日、鳥取県知事に就任。
渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、184… 渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、1846年3月29日〈弘化3年3月3日〉- 1919年〈大正8年〉5月11日)は、明治期の日本の官僚、政治家。位階・勲等・爵位は正二位勲一等子爵。旧姓は小池。第2次伊藤内閣の大蔵大臣、逓信大臣、第4次伊藤内閣の大蔵大臣を歴任した。兄は伯爵渡辺千秋。 1846年3月29日(弘化3年3月3日)、信濃国諏訪郡東堀村(後の長野県岡谷市)にて諏訪高島藩士の家に生まれた。父渡辺政徳は、武士が桃の節句に生まれたのでは具合が悪いということで、藩庁に端午の節句の5月5日生まれと届けている。両親と早く死別したため、兄の千秋とともに祖母の手によって養育された。10歳の時にコレラにかかるが、一命を取り留める。
渡辺 千秋(わたなべ ちあき、旧字体: 渡邊 千秋、1843… 渡辺 千秋(わたなべ ちあき、旧字体: 渡邊 千秋、1843年6月17日〈天保14年5月20日〉- 1921年〈大正10年〉8月27日)は、明治・大正期の日本の官僚。位階・勲等・爵位は、正二位勲一等伯爵。 信濃国諏訪郡東堀村(現:長野県岡谷市)に諏訪高島藩の下級武士・渡辺斧蔵政徳の子として生まれる。楓関と号する。生家は、岡谷市長地柴宮に「旧渡辺家住宅」(県宝指定)として保存されている。 明治維新後、鹿児島県大書記官・北海道庁長官などを歴任する。大久保利通の計らいで宮内省に奉職し、内蔵頭・宮内次官の後、1910年(明治43年)4月には宮内大臣に就任する。1911年(明治44年)4月、朝鮮併合の功により伯爵になるも、渡辺に何の関係があるのかと疑を生じ、井上馨も大いに憤慨する。
小松 彰(こまつ あきら、1842年4月19日(天保13年3… 小松 彰(こまつ あきら、1842年4月19日(天保13年3月9日) - 1888年(明治21年)3月25日)は明治時代の日本の実業家、官僚。旧松本藩士。通称・彰太郎、左右輔。号は雪巌。 久美浜県権知事兼生野県権知事、豊岡県令、東京株式取引所頭取を歴任した。 天保13年3月9日(1842年4月19日)、信濃国筑摩郡松本城下に松本藩医小松維貫(通称・齢司、坪井信道門弟)の子として生まれる。幼名は金八。藩学崇教館に学んだのち、安政5年(1858年)から藩命で江戸に遊学。塩谷宕陰の教えを受け、文久元年(1861年)には陽明学を学ぶため古賀謹堂に入門したが、父・維貫が江戸に赴任した文久2年(1862年)、家事を掌るべく帰藩した。
宮坂 祐介(みやさか ゆうすけ )は、日本の国土交通官僚・外… 宮坂 祐介(みやさか ゆうすけ )は、日本の国土交通官僚・外交官。内閣官房内閣審議官、内閣府政策統括官等を経て、バルバドス駐箚特命全権大使。 長野県出身。1986年長野県屋代高等学校卒業。1990年東北大学法学部卒業、建設省入省。 建設省建設経済局建設振興課課長補佐、国土交通省土地・建設産業局不動産市場整備課不動産投資市場整備室長等を経て、2014年内閣府参事官(防災計画担当)(政策統括官(防災担当)付)、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)、内閣官房国土強靭化推進室参事官。2015年国土交通省大臣官房付。2016年国土交通省土地・建設産業局国際課長。2019年国土交通省都市局総務課長。 国土交通省総合政策局海外プロジェクト推進課長を経て、2020年退官、首都高速道路経営企画部長。
花岡 和道(はなおか かずみち)は、日本の警察官僚、警視監。… 花岡 和道(はなおか かずみち)は、日本の警察官僚、警視監。警察大学校教務部長、新潟県警察本部長等を経て、警察庁九州管区警察局長。 長野県東御市出身。長野県上田高等学校を経て、中央大学法学部卒業。1986年警察庁入庁。長崎県警察本部警備部長や、大阪府警察本部交通部交通指導課長、警察庁長官官房総務課理事官、警察庁九州管区警察局総務監察部監察官、警察庁交通局交通指導課交通事故事件捜査指導室長、警察庁中部管区警察局広域調整部長、兵庫県警察本部警務部長、警察庁刑事局組織犯罪対策部薬物銃器対策課長、警察庁警察大学校教務部長等を経て、2018年から新潟県警察本部長を務め、北朝鮮による日本人拉致問題や、新潟小2女児殺害事件などの捜査を進めた。
稲山 文男(いなやま ふみお)は、日本の総務官僚。内閣府官民… 稲山 文男(いなやま ふみお)は、日本の総務官僚。内閣府官民人材交流センター副センター長や、内閣官房行政改革推進本部事務局長、総務省行政管理局長を歴任した。 長野県佐久市出身。長野県野沢北高等学校在学中に父が病没し、母もがんで大学進学後に死去した。1987年一橋大学法学部卒業、総務庁入庁。国際労働機関総会日本政府代表顧問等を経て、2006年総務省人事・恩給局参事官兼内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)。 2007年総務省大臣官房参事官(任用担当)。2008年総務省人事・恩給局人事政策課長。2009年総務省人事・恩給局参事官兼内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)。2013年総務省人事・恩給局総務課長兼内閣府地方分権改革推進室参事官。
石田晋也(いしだ しんや)は、日本の財務・金融官僚。 長野県… 石田晋也(いしだ しんや)は、日本の財務・金融官僚。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1990年 大蔵省入省(主計局総務課)。国際通貨基金(IMF)、青森県庁、金融庁、主計局などで勤務し、2006年より本格的に金融行政の道を歩んでいく。2021年7月8日 金融庁総合政策局審議官(監督局担当)。2022年6月24日 金融庁総合政策局総括審議官兼公文書監理官。2025年7月1日、金融庁監督局長。
武居 丈二 (たけい たけじ、1955年 - )は、日本の総… 武居 丈二 (たけい たけじ、1955年 - )は、日本の総務官僚。岩手県総務部長や、福岡県副知事、総務省自治大学校長等を経て、全国町村会事務総長。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学工学部卒業、自治省入省。大分県財政課長、自治大学校教授、自治省地域政策室課長補佐、人事院短期在外研究員、自治省公営企業第一課理事官、自治省財政企画官、岩手県総務部長、総務省総合通信基盤局電波部基幹通信課長、消防庁救急救助課長等を歴任。 2005年福岡県副知事。2009年消防庁国民保護・防災部長。2010年地方公共団体金融機構理事。2012年総務省大臣官房地域力創造審議官。2013年総務省自治大学校長。
野澤 和行(のざわ かずゆき)は、日本の国土交通官僚。国土交… 野澤 和行(のざわ かずゆき)は、日本の国土交通官僚。国土交通政策研究所総括主任研究官、国土交通省近畿運輸局長等を経て、日本旅客船協会理事長。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1988年運輸省入省(海上技術安全局労政課)。1991年運輸省航空局飛行場部環境整備課企画係長。1992年運輸省海上技術安全局総務課企画係長。1993年運輸省新潟運輸局企画部地域交通企画課長。1994年運輸省運輸政策局環境・海洋課専門官。1995年運輸省運輸政策局環境・海洋課補佐官。同年海上保安庁警備救難部警備第一課補佐官。 1997年運輸省海上交通局国内貨物課補佐官。1999年運輸省鉄道局幹線鉄道課補佐官。