勝又 基(かつまた もとい、1970年 - )は、日本の日本… 勝又 基(かつまた もとい、1970年 - )は、日本の日本文学者、明星大学教授。 静岡県御殿場市生まれ。金沢大学文学部卒業、2001年九州大学大学院文学研究科博士課程修了、「元禄期教訓本研究」で博士(文学)の学位を取得。2005年明星大学日本文化学部専任講師となり、助教授を経て、2015年人文学部教授。専門は近世文学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。 項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
加藤 淳子(かとう じゅんこ、1961年6月 - )は、日本… 加藤 淳子(かとう じゅんこ、1961年6月 - )は、日本の政治学者、文学者。専攻は、政治過程論、公共政策論、比較政治学。東京大学大学院法学政治学研究科教授。再分配政策決定過程、政党連合理論等の研究で有名。近年は、神経政治学(ニューロ・ポリティクス)と呼ばれる、政治学と脳神経科学の融合を目指した研究を行っている。イェール大学Ph.D(Political Science)。 東京都生まれ、静岡県立浜松北高等学校卒、東京大学入学後、佐藤誠三郎らの影響を受け、1984年 東京大学教養学部後期課程教養学科を卒業、86年 同大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻修士課程修了、同年よりイェール大学大学院政治学部に留学し、89年 修士号、92年 博士号取得。
松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中… 松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中国古典文学者、中国語教育者。東京学芸大学名誉教授。日中翻訳文化教育協会会長。 専門は中国古典文学、中国語教育など。日本語、中国語辞書編纂に力を尽くし、漢字の情報処理(デジタル化)などにも貢献。アジアの漢字コード標準化や、コンピュータにおける多言語処理の先駆者としても知られる。また、長年中国語翻訳や漢方医学の古典訓読などにも携わり、多くの人材を育てている。 1951年、静岡県浜松市生まれる。 1971年東京教育大学(現筑波大学)文学部に入学、1975年東京大学大学院修士課程に進学、博士課程を経て、1979年より2016年まで東京学芸大学で教鞭を執り、一橋大学大学院で10年間兼任教授を務めた。
大高 洋司(おおたか ようじ、1950年 - )は、日本の国… 大高 洋司(おおたか ようじ、1950年 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に読本(よみほん)。国文学研究資料館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。博士(文学)。 1969年、静岡県立静岡高等学校卒業。1973年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。1980年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学修士(慶應義塾大学)。1985年、甲南女子大学文学部助教授、1996年、同教授、2001年、国文学研究資料館整理閲覧部教授。2003年、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻教授。2004年、国文学研究資料館文学資源研究系教授。2011年3月、『京伝と馬琴 <稗史もの>読本様式の形成』で大阪大学より博士(文学)の学位を取得。
川合 康三(かわい こうぞう、1948年4月4日 - )は、… 川合 康三(かわい こうぞう、1948年4月4日 - )は、日本の中国文学者、京都大学名誉教授。日本学術会議会員。日本学士院会員。 静岡県浜松市生まれ。1971年京都大学文学部中国文学科卒、小川環樹に師事、1976年同大学院博士課程中退、京都大学助手、1979年東北大学文学部専任講師、1981年助教授、1987年京都大学文学部助教授、1995年教授を経て大学院文学研究科教授、2012年定年退任。台湾大学招聘教授(2012-13年度)、ブランダイス大学招聘教授、國學院大學文学部特別専任教授(2015-19年度)。1991年蘆北賞受賞。2000年『中国自伝文学研究』により京大文学博士。 中国古典文学で中唐の詩を専門とし、恋愛詩を論じた『中国のアルバ』のような著書もある。
佐藤 三武朗(さとう さぶろう、1944年4月 - )は、日… 佐藤 三武朗(さとう さぶろう、1944年4月 - )は、日本の比較文学者、作家。佐野日本大学短期大学学長。日本大学名誉教授。 現在は、日本大学の顧問である。 英国留学を経て、日本大学文理学部専任講師、国際関係学部助教授、教授・学部長。日本大学評議員、日本大学理事、日本大学副総長、日本大学総長代理代行を歴任。 静岡県田方郡(現・伊豆市)生まれ。日本大学三島高等学校を経て、日本大学文理学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。 1995年9月、大学設置審議会の組織審議会において日本大学大学院国際関係研究科博士後期課程(比較文学(日欧)特別研究、特別研究指導I、特別研究指導II、特別研究指導III)のDマル合と判定。
鷲山 恭彦(わしやま やすひこ、1943年2月27日 - )… 鷲山 恭彦(わしやま やすひこ、1943年2月27日 - )は、日本の文学者(ドイツ文学・ドイツ社会思想)。学位は文学修士(東京大学・1970年)。公益社団法人大日本報徳社社長(第8代)、東京学芸大学名誉教授。松本亀次郎記念日中友好国際交流の会会長。 新潟大学教養部講師、東京学芸大学教育学部教授、東京学芸大学教育学部主事、東京学芸大学附属図書館館長、東京学芸大学学長(第10代)、国立大学法人奈良教育大学理事、独立行政法人国立青少年教育振興機構監事などを歴任した。 1943年、静岡県小笠郡土方村に生まれる。肺結核により中学校を1年間休学したものの、静岡県立掛川西高等学校を経て、東京大学に入学した。
海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )… 海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )は、日本の国文学者。専門は中古文学、美術史(西洋絵画)。常葉学園大学第5代学長・名誉教授・名誉学長。文学修士。 1938年(昭和13年)、静岡県出身。1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学文学部国語国文学科卒業。1967年(昭和42年)、同大学院人文科学研究科修士課程(国文学)修了。麻布高校教諭等を経て、1984年(昭和59年)、常葉学園大学教授。2002年(平成14年)、同大学長。常葉学園大学名誉教授、名誉学長。
喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )… 喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽評論家。中央大学名誉教授。 和歌山県出身。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学文理学部独文科卒業。1962年、東京大学大学院修士課程修了。静岡大学講師、助教授、東京教育大学助教授、中央大学経済学部助教授、教授。2007年、定年退職。中央大学名誉教授。1990年ごろから『レコード芸術』などに音楽評論を執筆。クラシック音楽関係の翻訳多数。
鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 19… 鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 1978年3月27日)はドイツ文学者・評論家。静岡県磐田市出身。
小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 199… 小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 1995年3月19日)は、日本の小説家、比較文学者。 静岡県掛川市生まれ。本名・小沢虎義。東京大学文学部仏文科卒。中学校、高校の教師を経て、常葉学園大学教授。1974年「鬼のいる杜で」で第11回文藝賞受賞。1975年「営巣記」で第73回芥川賞候補、同年つづけて「黒い風を見た…」で第74回同候補。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
水野 義明(みずの よしあき、1932年 - 2012年6月… 水野 義明(みずの よしあき、1932年 - 2012年6月17日)は、日本の英語学者、文学者、エスペランティスト。明治大学教授。日本エスペラント学会の理事、参与を経て、同会の後身の日本エスペラント協会顧問。関東エスペラント連盟会長等歴任。エスペラントを用いた世界各地の旅行経験を著書にまとめた。
安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日… 安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日 - 1999年〈平成11年〉5月14日)は、日本の国文学者・国語教育学者。位階は正五位。 静岡県沼津市出身。1953年東京文理科大学国文科卒。東京都立高校教諭、東京成徳短期大学教授、上越教育大学教授、上越教育大学附属小学校長、上越教育大学附属図書館長、1995年定年退官、名誉教授、十文字学園女子大学教授。1999年、脳内出血のため死去。死没日付をもって正五位に叙された。
渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 20… 渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 2006年11月18日)は、日本の児童文学者、翻訳家。元慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。 昭和時代戦後から平成時代にかけて、児童文学を多数創作した他、『エルマーのぼうけん』をはじめとした英米の絵本や童話を中心とした児童文学や、海外の児童文学理論の翻訳を数多く手がけた。 静岡県静岡市葵区生まれ。静岡県立静岡商業学校、久我山工業専門学校を経て、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業後、米国のウェスタン・リザーブ大学大学院を修了。ニューヨーク公共図書館児童部勤務を経て、1975年まで慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。
小泉 保(こいずみ たもつ、1926年2月20日 - 200… 小泉 保(こいずみ たもつ、1926年2月20日 - 2009年12月18日)は、日本の言語学者、文学者(ウラル語学、フィンランド文学研究)。勲等は瑞宝中綬章。学位は博士(文学)(東京大学・論文博士・1995年)。関西外国語大学名誉教授。 静岡県立静岡高等学校教諭を経て、静岡女子短期大学に勤務し、ヘルシンキ大学講師、静岡女子大学文学部教授、大阪外国語大学外国語学部教授、関西外国語大学外国語学部教授、関西外国語大学国際言語学部教授、関西外国語大学国際言語学部学部長、学校法人関西外国語大学理事などを歴任した。 静岡県出身でウラル語学を専攻する言語学者、文学者である。ウラル語の母音体系や母音調和に関する研究や、音韻理論の日本語への適用などに取り組んだ。
須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 201… 須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 2011年7月10日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、小説家。 静岡市出身。1943年、静岡県立静岡中学校卒業。横浜工業専門学校造船科卒業後、1947年、農林省水産局漁船課に入省。1952年より、ガリオア資金による留学生としてアメリカに渡り、ミシガン大学で1年間学ぶ。ここで妻となる越川さち(後、共立女子大学教授)と知り合う。その後、明治大学文学部夜間三年に編入学し、青沼一郎の教えを受け、1954年、ハーマン・メルヴィル「モービー・デイック」論により卒論提出。明治大学大大学院に進学。越川さちと結婚、農林省水産庁退職。1956年、明治大学文学部助手。
杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 198… 冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 1988年1月26日)は、英文学者、筑波大学名誉教授。 静岡県御殿場市生まれ。1944年東京文理科大学英文科卒、兵役ののち、研究社入社、『英語青年』の編集にあたる。1959-1960年ハーヴァード大学に留学。一橋大学社会学部助教授、筑波大学教授、1979-1980年日本英文学会会長。1985年定年退官、大妻女子大学教授。1988年、在職中に心筋梗塞のため死去。 シェイクスピアが専門、福原麟太郎に師事した。しばしば富原芳彰と表記される。
小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月1… 小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月14日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の国文学者。元八幡大学学長、名誉教授、文学博士(関西学院大学・論文博士・1979年)。九州近代文学会理事。静岡県沼津市出身。 台北帝大時代、海軍予備学生として学徒出陣、長崎相浦海軍基地で出陣を待ったが終戦となる。1947年(昭和22年)戸畑専門学校で発足したサークル文芸部では戸専文学を発行。他に単行詩集、文学雑誌などを相次いで発行し文学啓蒙運動に力を注いだ。川端康成の研究でも知られており「川端康成文芸の世界」で文学博士号を取得している。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2… 斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2007年6月12日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、著作家。 東京高等商船学校助教授・茨城キリスト教大学教授・同学長・立正大学教授を歴任。 東京都生まれ。静岡県浜松市育ち。1943年京都帝国大学言語学科卒。東京高等商船学校助教授。 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局顧問。その後外務省勤務。日本の小説を英訳するなど文化の国際交流に尽くす。 1969年茨城キリスト教大学教授、1975年から1978年学長。1980年立正大学教授、1988年定年退任。ダートマス大学客員教授。
高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13… 高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 早稲田大学、お茶の水女子大学などの非常勤講師も務めた。耽美派や芥川龍之介などの研究で知られる。多くの研究書と啓蒙書、3冊の受験参考書がある。 1960年(昭和35年)9月に新塔社で刊行された『新釈 現代文』は、現代文を読むための「たった一つのこと」だけを説いた高校生、大学受験生向けの本である。約20数年間、現代国語の受験参考書としてベストセラーとなった。「たった一つのこと」とは、文脈を追跡するための「内面的運動感覚」である。論旨の展開を追跡する論理感覚とでもいうものであった。
松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 19… 松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 1990年10月30日)は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。文学博士。1958年、日本学士院賞受賞。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校、静岡高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。1957年「栄花物語の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 1933年から1938年まで、母校の静岡中学で教鞭を執った(国漢)。山形高等学校教授、第八高等学校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1959年、同教授。1973年、定年退官、名誉教授。南山大学教授。1980年、南山大学退職。1958年、「栄花物語の研究」で日本学士院賞受賞。
池谷 敏雄(いけや としお、1904年9月 - 1990年1… 池谷 敏雄(いけや としお、1904年9月 - 1990年12月19日)は、英文学者。 静岡県浜松市生まれ。1927年広島高等師範学校(現・広島大学)英文科卒、東京府立第五中学校(現・東京都立小石川高等学校)教諭、東京都立日比谷高等学校教諭、桜美林大学教授。1985年中京大学教授。ジョン・バニヤン『天路歴程』を翻訳した。
河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1… 河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 静岡県浜松市生まれ。旧姓中村。1913年静岡女子師範学校卒、小学校教諭を一年勤めたのち、東京女子高等師範学校に入り、1918年卒業、川越高等女学校教諭、1920年から1923年まで東京帝国大学で初の女子聴講生となり国文学を学び、実践女学校専門部国文科教師、1928年東北帝国大学法文学部に入学、当時助教授であった河野与一と知る。1931年卒業し実践女子専門学校講師。1937年教授となり、河野との結婚を公表する。1943年辞職し、1944年河野のいる宮城県築館町に疎開、戦後1950年に与一が岩波書店顧問となり上京、1962年『宇津保物語』全三巻を岩波古典文学大系として刊行する。
石川 佐久太郎(いしかわ さくたろう、1888年7月30日 … 石川 佐久太郎(いしかわ さくたろう、1888年7月30日 - 1954年)は、日本の国文学者・歌人。 静岡県出身。静岡県立静岡中学校、第六高等学校 (旧制)を経て、1914年(大正3年)、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業。東京女子高等師範学校教授、日本女子大学教授を歴任した。国文学者。歌人。号して横村。
佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 … 佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 - 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者。弟・順三は立教大学総長。
奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉-… 奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉- 1947年11月20日)は、日本の英文学者、英語教育者、翻訳家。山口高等商業学校(現・山口大学)教授、立教学校(現・立教大学)英語教授。多くの編著があり、英語教科書や青年英文学叢書など広く読まれた。 1872年5月(明治5年4月)、静岡県伊豆生まれ。兄は静岡県人・奈倉新一郎。 伊豆学校で学んだ後、東京へ出て、東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)で修学する。英国人アーサー・ロイド(立教学院総理)、米国人ジエーキンボル両氏に就いて英語及び英文学を修める。 1890年(明治23年)、郷里に戻って伊豆学校の英語教師となる。その後、再び東京へ出て、1891年(明治24年)、私立錦城学校英語専攻科を卒業。
角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日… 角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日〈1869年10月20日〉 - 1916年〈大正5年〉3月16日)は、明治時代の詩人、北欧文学者、文芸評論家、新聞記者。本名:角田勤一郎。大阪の論壇・文壇で重きを成して世論形成に大きな力を持ち、東の坪内逍遥と並び称された。 新聞社ごとに号や筆名を使い分け、『國民新聞』では岳麓布衣、『大阪朝日新聞』では不二行者、出門一笑、『大阪毎日新聞』では迂鈍居士、鈍右衛門、『読売新聞』では剣南、伊吹郊人、豹子頭、『東京日日新聞』では浩々而歌閣主、他、剣南道士など。 駿河国富士郡大宮町(現・静岡県富士宮市)生まれで旧静岡藩士の家系。佐野天声の実兄である。